まず、
私たちは
自分を許し、
自分を
愛してください。
この宇宙に、
存在するのは、
愛のみです。
まず、
自分に対して
愛を充分に
注いでください。
自分を許し
自分に愛を
注ぐことから
はじめなければ、
他人に対して
愛を注ぐことが、
できません。
自分を
愛することが、
苦しみの
元になっている原因を
取り除くことができます。
自分を
愛さないで
どうして
神の愛を感じられますか?
神は愛です。
すべての
生きとし生けるもの
すべての
ありとあらゆる物質は
神の愛によって
創造されました。
愛は
宇宙的な
コミュニケーションです。
それは
宇宙をつくり
宇宙を動かしている
エネルギーです。
すべてに
存在しているのです。
私にもあなたにも
ただ、
自分を許し
愛することを
決めればいいのです。
確認して
受け入れればいいのです。
私たちは
神の
決して、
尽きることのない愛を
無限供給されています。
今日、
今の瞬間から
その愛を
自分に
そして
すべてに注ぐことを
決意して
今日一日を
乗り切っていきましょう。
2011年5月31日火曜日
2011年5月30日月曜日
心を開いて生きる
次の一歩は、
いまの一歩によって
知ることが出来る。
一瞬一瞬が本質的に、
全ての命を
作り出す世界を
その中に持っています。
でもこれは、
わたしたちが本当に
今という瞬間に生きてこそ、
初めてわかることです。
ほかの方法では
それを
知ることはできません。
創造主のリアリティを
知性で知ることや、
頭脳によって
思い巡らすことはできません。
それは、
ただ味わうことなのです。
私たちは
自分の歩く道を
捜し求めることが
目的だと
信じています。
しかし、
それは
プロセスに過ぎず
真実は、
既に、
私たちの内奥に
あるところの
精神的聖域に
下りて行けばいいことです。
しばらく、
忘れていたことを
思い出すだけなのです。
一粒の砂に
永遠を見、
野の花に
天国を見ることです。
愛をもって
気づくのです。
愛をもって
花を感じるのです。
体感するのです。
花の芳しい香りを
楽しんでください。
その美しい花を
支えている
葉っぱや茎や根っこの力も
力強く感じるのです。
その美しさも
そのやさしさも
その支えている力も
それは
あなたそのものなのです。
そのことを
信じてください。
あなたが
それを感じ
あなたが、
それを見ていること
そのものが
あなたの本質であり
証明なのです。
今という、
確かな時間の
その一瞬一瞬を
すべてのものに対して
心を開いて生きることです。
愛をもって生きることです
すべてはひとつなのです。
いまの一歩によって
知ることが出来る。
一瞬一瞬が本質的に、
全ての命を
作り出す世界を
その中に持っています。
でもこれは、
わたしたちが本当に
今という瞬間に生きてこそ、
初めてわかることです。
ほかの方法では
それを
知ることはできません。
創造主のリアリティを
知性で知ることや、
頭脳によって
思い巡らすことはできません。
それは、
ただ味わうことなのです。
私たちは
自分の歩く道を
捜し求めることが
目的だと
信じています。
しかし、
それは
プロセスに過ぎず
真実は、
既に、
私たちの内奥に
あるところの
精神的聖域に
下りて行けばいいことです。
しばらく、
忘れていたことを
思い出すだけなのです。
一粒の砂に
永遠を見、
野の花に
天国を見ることです。
愛をもって
気づくのです。
愛をもって
花を感じるのです。
体感するのです。
花の芳しい香りを
楽しんでください。
その美しい花を
支えている
葉っぱや茎や根っこの力も
力強く感じるのです。
その美しさも
そのやさしさも
その支えている力も
それは
あなたそのものなのです。
そのことを
信じてください。
あなたが
それを感じ
あなたが、
それを見ていること
そのものが
あなたの本質であり
証明なのです。
今という、
確かな時間の
その一瞬一瞬を
すべてのものに対して
心を開いて生きることです。
愛をもって生きることです
すべてはひとつなのです。
2011年5月29日日曜日
“許す”ということ
私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
怒りを持ちます。
私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。
それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。
私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。
それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
自我は
エゴと
言い換えても
いいでしょう。
分離に
向かいます。
神我(真我)は
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、
一体性に向かいます
エゴに対して
エゴで向かっても、
決して、
まとまることはありません。
怒り、
妬み、
嫉み、
愚痴などは
エゴから生じます。
この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。
私たちの内面に
あるところの
神我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。
許すということは
自分自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。
許しは
私たちにとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。
この許すということを
瞑想の中に
取り入れましょう。
私たちが
神我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。
それは、
魂のための栄養であり、
私たちの中の
神我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
怒りを持ちます。
私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。
それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。
私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。
それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。
自我は
エゴと
言い換えても
いいでしょう。
分離に
向かいます。
神我(真我)は
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、
一体性に向かいます
エゴに対して
エゴで向かっても、
決して、
まとまることはありません。
怒り、
妬み、
嫉み、
愚痴などは
エゴから生じます。
この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。
私たちの内面に
あるところの
神我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。
許すということは
自分自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。
許しは
私たちにとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。
この許すということを
瞑想の中に
取り入れましょう。
私たちが
神我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。
それは、
魂のための栄養であり、
私たちの中の
神我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです
2011年5月28日土曜日
創造主と共に
私たちの
内面にすべての力
愛、叡智、
そして手段としての
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てを
所有していて、
創造主である神とつながり、
導かれています。
この厳粛なる
事実を認識して
こころから信頼してください。
この創造主からの
愛と光は
私たち自身の
こころの歪みが創出した
数多くの障害物を取り除き、
“怖れ”は消滅し
平和で安全な
幸せに満ち足りた
気持ちになります。
実は、
この創造主とのつながりを
認識することから
瞑想は、
はじまっていきます。
私の住むこの美しい地球
その地球を構成する
バランスの取れた
自然のパノラマ
わたしの人生を
美しく彩るために、
あらゆる立場で
係わってくれる方々、
深く
思いを巡らせながら
感謝の気持ちで
瞑想に入っていきます。
この
永遠の生命の中の
瞬間を
感じ、
愛おしく、
大切に味わい、
自分自身を優しく包み
かけがえのない
すべての生命を愛します。
その聖なる心のまま
しばらく愛に留まり
神からの
人生の贈り物
地球での旅の中で
愛と優しさを
実践していきます。
それは、
すべてはひとつであり
生きとし生けるもの
すべての中に
神が
宿っていることを
確認する旅なのです
2011年5月27日金曜日
イメージとビジュアライゼーション
これまで私は
自らの内部に
繋がることの
重要性を
何度も
お伝えしてきました。
それでは
そのためには
どうあらねば
ならないでしょうか。
そこで
参考になるか
わかりませんが
私は以前
仕事で
リラクゼーションプログラムの開発を
していたことがあります。
その仕事の内容については
長くなるので
詳細は避けますが
その中で、
特に
スポーツ選手のために開発した
プログラムの一部を紹介します。
世界のホームラン王の
王 貞治さんが
全盛時代、
バッターボックスに入って
集中したときに、
ピッチャーが投げるボールが
まるで
止まっているように見えた。
という話を
聞いたことがありませんか。
多分、
現大リーグのイチローさんも
王さんと同様、そういう経験をしていると思います。
一流のパフォーマーは
野球だけに限らず
どんなスポーツでも
このような
体験を持っています。
そこで
地道に練習を
継続することと、
絶対に欠かせないのは
冷静で落ち着いた心を
開拓するということです。
そういうプログラムを
個々のスポーツ選手に
提供していました。
それは、
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てが
存在する場所、
つまり心の奥深くにある
精神的聖域に、
パフォーマー自身の
内部に到達する手助けをする
プログラムです。
、
リラックスしているけれども
完全に心が集中した
心の状態を創るということです。
その状態になる上で
重要なことは
イメージと
ビジュアライゼーションです。
それを少し説明していきます。
イメージは実際に、
パフォーマーの
肉体の動きを改善します。
精神的にリハーサル、
あるいはイメージを行う時、
私たちはそれぞれの動作を
青写真に撮っており、
深く、無意識のレベルで
より熟知した体感をしているのです。
ビジュアライゼーションとは
見ることであり、
イメージは
体感することです。
どちらも役に立つ
精神的な
トレーニング技術です。
厳密に
ビジュアライゼーションとは
何でしょうか。
またイメージと
どう違うのでしょうか。
自分が海岸にいた時のことを
思い出せますか?
『岩にぶつかる
波の音が聞こえ、
かもめが
餌を求めて
鳴いているのが
聞こえました。
砂に反射する
太陽が見え、
岸辺を歩くと
水平線を
見ることができました。
今、目を閉じれば、
まだこの光景や、
水際に立っている
自分自身を
見ることができ、
飛んでいるかもめや、
海岸に
訪れたことに結びつく
その他の光景を
見ることができるでしょう。』
これが
ビジュアライゼーションであり、
自分の心の中で
見ることです。
自分を
視覚的に表すことにより、
技術を
正すことができるのです。
脳波が
α波(アルファ波:7ヘルツ~11ヘルツ)の時に生じる
心の機能であり、
リラックス状態に
近づくことを必要とします。
一方、
イメージというのは、
例えば、
水泳選手が
イメージを用いると、
『足の下の
飛び込み台や、
滑り込んだ
水の感覚を感じ、
水の中で見ている
コースラインや、
勝利を得た時の
プールの端を見ているのを
想像することができるのです。』
脳波がθ波(シータ波:3ヘルツ~7ヘルツ)の時に生じる
心の機能です。
実際に
これは一部を
紹介したに過ぎませんが、
それぞれのパフォーマーの
状況に合わせて
設計をして
提供をしていました。
提供したすべてのパフォーマーが
実行に移す前と比べて
飛躍的に記録はあがりました。
このように
私たちは
静かに、こころを落ち着かせ
瞑想をするときに
イメージと
ビジュアライゼーションを
上手に取り込むことによって
私たちの心の奥深くにある
精神的聖域に到達するに到る
洞察力を得ることが
できるようになると感じましたので
紹介させていただきました。
参考にしていただけたら幸いです。
自らの内部に
繋がることの
重要性を
何度も
お伝えしてきました。
それでは
そのためには
どうあらねば
ならないでしょうか。
そこで
参考になるか
わかりませんが
私は以前
仕事で
リラクゼーションプログラムの開発を
していたことがあります。
その仕事の内容については
長くなるので
詳細は避けますが
その中で、
特に
スポーツ選手のために開発した
プログラムの一部を紹介します。
世界のホームラン王の
王 貞治さんが
全盛時代、
バッターボックスに入って
集中したときに、
ピッチャーが投げるボールが
まるで
止まっているように見えた。
という話を
聞いたことがありませんか。
多分、
現大リーグのイチローさんも
王さんと同様、そういう経験をしていると思います。
一流のパフォーマーは
野球だけに限らず
どんなスポーツでも
このような
体験を持っています。
そこで
地道に練習を
継続することと、
絶対に欠かせないのは
冷静で落ち着いた心を
開拓するということです。
そういうプログラムを
個々のスポーツ選手に
提供していました。
それは、
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てが
存在する場所、
つまり心の奥深くにある
精神的聖域に、
パフォーマー自身の
内部に到達する手助けをする
プログラムです。
、
リラックスしているけれども
完全に心が集中した
心の状態を創るということです。
その状態になる上で
重要なことは
イメージと
ビジュアライゼーションです。
それを少し説明していきます。
イメージは実際に、
パフォーマーの
肉体の動きを改善します。
精神的にリハーサル、
あるいはイメージを行う時、
私たちはそれぞれの動作を
青写真に撮っており、
深く、無意識のレベルで
より熟知した体感をしているのです。
ビジュアライゼーションとは
見ることであり、
イメージは
体感することです。
どちらも役に立つ
精神的な
トレーニング技術です。
厳密に
ビジュアライゼーションとは
何でしょうか。
またイメージと
どう違うのでしょうか。
自分が海岸にいた時のことを
思い出せますか?
『岩にぶつかる
波の音が聞こえ、
かもめが
餌を求めて
鳴いているのが
聞こえました。
砂に反射する
太陽が見え、
岸辺を歩くと
水平線を
見ることができました。
今、目を閉じれば、
まだこの光景や、
水際に立っている
自分自身を
見ることができ、
飛んでいるかもめや、
海岸に
訪れたことに結びつく
その他の光景を
見ることができるでしょう。』
これが
ビジュアライゼーションであり、
自分の心の中で
見ることです。
自分を
視覚的に表すことにより、
技術を
正すことができるのです。
脳波が
α波(アルファ波:7ヘルツ~11ヘルツ)の時に生じる
心の機能であり、
リラックス状態に
近づくことを必要とします。
一方、
イメージというのは、
例えば、
水泳選手が
イメージを用いると、
『足の下の
飛び込み台や、
滑り込んだ
水の感覚を感じ、
水の中で見ている
コースラインや、
勝利を得た時の
プールの端を見ているのを
想像することができるのです。』
脳波がθ波(シータ波:3ヘルツ~7ヘルツ)の時に生じる
心の機能です。
実際に
これは一部を
紹介したに過ぎませんが、
それぞれのパフォーマーの
状況に合わせて
設計をして
提供をしていました。
提供したすべてのパフォーマーが
実行に移す前と比べて
飛躍的に記録はあがりました。
このように
私たちは
静かに、こころを落ち着かせ
瞑想をするときに
イメージと
ビジュアライゼーションを
上手に取り込むことによって
私たちの心の奥深くにある
精神的聖域に到達するに到る
洞察力を得ることが
できるようになると感じましたので
紹介させていただきました。
参考にしていただけたら幸いです。
2011年5月25日水曜日
現象に囚われるな
私たちを
取り巻く
現象は
3・11の
あの大震災を境に
風景や価値観が一変しました。
日本人の多くが
初めて体験をした
大きな出来事でした。
地震において
たくさんのかけがえのない
生命が喪われました。
道路や建物や
あらゆる物質的なものが
烈しく破壊されました。
津波によって
それは、さらに
跡形も無く
葬り去られました。
原発の心臓も抉られ
原発の血液ともいうべき
プルトニウムも流れ
空気や土壌や海流に
不規則に
飛翔し浸透し流れ込んでいます。
まるで
小さな
悪い芽を
放置していたばかりに
気がついたときには
取り返しのつかない
闇の中に在る
悪魔のように
混沌
苦痛
疑惑
怒り
絶望の淵に
喘いでいます。
このままでは
本当に
沈没して
しまうかもしれません。
しかし、しかし、しかし
宇宙の真実は
闇の中に在るすべては
私たちの心が
光を
歪めている時の
反映としているに
過ぎないのです。
実相であるところの
無限の中においては
永遠に翳ることのない
光輝く存在なのです。
与えても与えても
決して
失うことのない
愛の如くの存在なのです。
現象の中で
何度も何度も
痛めつけられ
踏みにじられても
ギブアップしない
完璧な魂が実体なのです。
実は
今生において
初めて体験した
出来事だと
思っているでしょうか?
私たちの魂は
数え切れない
輪廻の中で
この現象の世界で
見聞きした
あらゆる出来事は
体験しているのです。
自らの
心の内奥にあるところの
意識には
それらの経験が
私たちが
引き出そうとさえすれば
いつでも
ウォーミングアップして
待ってくれているのです。
私たちの本質は
光や愛
無限や善
安全や美
融和や希望
勇気や歓喜の
性質を持つ
大いなる存在であり
すべての否定的な
経験というものは
その光と愛を
新たに賛美するための
役割を持っているに
過ぎないのです。
取り巻く
現象は
3・11の
あの大震災を境に
風景や価値観が一変しました。
日本人の多くが
初めて体験をした
大きな出来事でした。
地震において
たくさんのかけがえのない
生命が喪われました。
道路や建物や
あらゆる物質的なものが
烈しく破壊されました。
津波によって
それは、さらに
跡形も無く
葬り去られました。
原発の心臓も抉られ
原発の血液ともいうべき
プルトニウムも流れ
空気や土壌や海流に
不規則に
飛翔し浸透し流れ込んでいます。
まるで
小さな
悪い芽を
放置していたばかりに
気がついたときには
取り返しのつかない
闇の中に在る
悪魔のように
混沌
苦痛
疑惑
怒り
絶望の淵に
喘いでいます。
このままでは
本当に
沈没して
しまうかもしれません。
しかし、しかし、しかし
宇宙の真実は
闇の中に在るすべては
私たちの心が
光を
歪めている時の
反映としているに
過ぎないのです。
実相であるところの
無限の中においては
永遠に翳ることのない
光輝く存在なのです。
与えても与えても
決して
失うことのない
愛の如くの存在なのです。
現象の中で
何度も何度も
痛めつけられ
踏みにじられても
ギブアップしない
完璧な魂が実体なのです。
実は
今生において
初めて体験した
出来事だと
思っているでしょうか?
私たちの魂は
数え切れない
輪廻の中で
この現象の世界で
見聞きした
あらゆる出来事は
体験しているのです。
自らの
心の内奥にあるところの
意識には
それらの経験が
私たちが
引き出そうとさえすれば
いつでも
ウォーミングアップして
待ってくれているのです。
私たちの本質は
光や愛
無限や善
安全や美
融和や希望
勇気や歓喜の
性質を持つ
大いなる存在であり
すべての否定的な
経験というものは
その光と愛を
新たに賛美するための
役割を持っているに
過ぎないのです。
2011年5月24日火曜日
闇の本質は有限
私たちは
闇を、
恐れます。
正確に言うと
闇は怖いもの
そう信じています。
まるで、
実体があるが如く
すべての闇は、
光が
妨害されているに
過ぎません。
暗闇の部屋の中にいても、
スイッチを入れれば
明るい灯が点るでしょう。
闇の本質は有限であり、
私たちの、
誤った幻想が
送り込むところの
影に過ぎません。
その影が
私たちを光から、
遠ざけています。
私たちは、
もともと
光の存在であり、
無限なる永遠の生命です。
無限が
有限の闇に
負けるわけはありません。
ただ、
闇は一時的に、
私たちが
学びを得るために
現れているに過ぎません。
私たちが、
光輝く
神の化身であることを、
確信するために。
そういった意味においては
闇にも感謝をしなければ
なりませんね。
闇を、
恐れます。
正確に言うと
闇は怖いもの
そう信じています。
まるで、
実体があるが如く
すべての闇は、
光が
妨害されているに
過ぎません。
暗闇の部屋の中にいても、
スイッチを入れれば
明るい灯が点るでしょう。
闇の本質は有限であり、
私たちの、
誤った幻想が
送り込むところの
影に過ぎません。
その影が
私たちを光から、
遠ざけています。
私たちは、
もともと
光の存在であり、
無限なる永遠の生命です。
無限が
有限の闇に
負けるわけはありません。
ただ、
闇は一時的に、
私たちが
学びを得るために
現れているに過ぎません。
私たちが、
光輝く
神の化身であることを、
確信するために。
そういった意味においては
闇にも感謝をしなければ
なりませんね。
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