2011年6月8日水曜日

観の転回


私たちが、
苦難にあり、
否定的な感情に
見舞われるとき、

恐れて
混乱している子供を
愛おしく
慈しみ
見つめる母親の
眼差しのように、
自分自身を眺めてください。

私たちが、
嫉妬心や
復讐心や
怒りに震え、
人を許せない気持ちに
陥っているとき、

神や仏が
私たちに
無所得の愛の光を
投げかけているように、
俯瞰の眼で眺めてください。

これらの不完全な念いは、
その心から離れて、
第三者として、
眺めて観ることによって、
新しい見方を
発見できる機会を
得ることができます。

お釈迦さまが、
二千六百年前に、
説いた真理の一つです。
観の転回です。

例えば、
コップ一つとっても、
物質レベルの
眼でみたとしても、
角度を変えて見た場合、
形が異なるように、

コップの本質を観た時には、
コップは形ではなく、
ガラスなのです。

観の転回とは
見方を変えるというのではなく
元々、備わっているところの
本質の眼で、本源の心で
冷静に
自らを第三者的に
眺めて観るということです。

次第、次第に
こころのざわめきが
薄れていくのを
感じることでしょう。

否定的なる
不完全な念いというものは、
存在せず、
光が妨害されていることに
過ぎません。
すべての闇は
私たちが本来のこころを
忘れているに過ぎません。

観の転回とは
私たちの
本来のこころ
一なる本源のこころを
想いだす方法なのです。

2011年6月7日火曜日

防災コンセントとタイ料理のお話

昨日は私の友人からお誘いがあり
久しぶりに外でお酒を飲みました。
夕方6時に大久保駅で待ち合わせをして
防災コンセントという会社を経営している若い夫妻と
合流しました。

大久保駅に立ち寄ったのも何年かぶりです。
街の変化には驚きました。
狭いエリアの中に、いろいろな店がひしめいて
まるで、アジアのどこかの国にいる錯覚を覚えます。

最初に連れて行っていただいたお店は和風創作料理の
静かな雰囲気のお店でした。
夫妻が、行きつけの店だそうです。

夫妻は、共に若い経営者です。
ご主人は複数の会社を経営して、
成功している34才の青年経営者です。
奥さんは、28才で㈱防災コンセントの社長です。
5月に会社を興したばかりで社長見習いです。
会社の名前通り、防災コンセントを普及する会社です。

東日本大震災が3月11日に起こりました。
今回は津波による被害が多く、火災による被害が
目立ちませんでしたが、かなりの火災はあったようです。
16年前の1月17日に起こった阪神・淡路大震災では、
長田地区をはじめ多くの市街地が同時に火災に見舞われ
火の海になった光景は、未だに鮮明に記憶に残っています。
阪神大震災においての、消防庁からのデータ資料を
みせていただきましたが、
発火原因の約30%が電気による発熱体です。
しかし、原因が不明というのはその倍近くもあるのだそうです。
コンセントからの火災が非常に多いとのことです。
コンセントやコンセントに差し込んだプラグ部分に
埃や水分などが付着して、差込プラグの刃の間に電流が流れ、
火花放電を繰り返すことで、炭化し、導電化され
出火する現象も多く発生しており、
トラッキング現象というのだそうです。

また。コンセントにも寿命があるそうで、
たまには(5年毎?)交換したほうがいいそうです。
コンセント周辺もこまめに掃除をしたり、
注意をするにこしたことはありません。

我が家も、今の家に住んで25年以上経ちますが、
考えてみると一度もコンセントを変えたことはありません、
備えあれば憂いなしかもしれません。

ついこの間も、名古屋で三世代8人家族の家が全焼、
焼け跡からおじいさんと息子夫婦、
17歳の長男を筆頭に、11歳、9歳、6歳の女の子が亡くなって、
84歳のおばあさんだけが一人生存という
悲惨な火災事故がありましたが、
パソコン周辺のタコ足配線が原因ではないかと、報道されていました。
火災は本当に一瞬のうちに家族を引き離してしまいます。悲しいことです。

夫妻は、特に東日本大震災以降、
防災という意識が高まったと言います。
強い地震の時、電気が使えなくなることが多いです。
でも、地震災害への緊急対応や復旧に、不可欠なので、
電気は割りと早く復旧されるのだそうです。
このときに、火災が発生することが多いのだそうです。

例えば、コンセントにつながっている電熱器のような発熱体に
電流が通電されて戻るとき、地震で壊れた家具や
燃えやすいものに着火して火災が起こるのだと言います。
このような地震でなくても、
先ほど説明したトラッキング現象や
タコ足配線などの原因や雷等、いろいろな原因があげられます。

知らないために、万が一のことが起こりえる災害を、
少しでも減らしたいと強く思われて、
夫妻は防災コンセントを
広めたいと思いましたと語ってくれました。

この防災コンセントは、
震度5以上の地震を感知し、電源を即座に遮断し、
電気器具の破損、転倒、落下による火災を防止する。

落雷時に、配線を通じて流れてきた電流を遮断するので、
パソコンをはじめ電化製品の破損を防止する。

地震のときの停電後に電源の遮断を継続し。
再送電のときに起こる通電火災を防止する。

電気配線から火災の予兆を感知、電源を遮断し、
差しっぱなしコンセントに埃が溜まって、
発火(トラッキング)する火災を防止する。
また、プラグの半抜け状態のとき、
抵抗値が増加して発熱する、その発熱で発生する火災を防止する。

特にトラッキングによる火災は普段の生活でも
予防しにくいのだそうで、漏電ブレーカーでも
完全に防止することはできないんだそうです。

この防災コンセントは産学共同で
京都のメーカーと京都大学の大学院工学科研究所教授で
歴史都市防災研究センター長である土岐憲三さんを
筆頭とするグループで開発された商品で、
世界遺産である清水寺や東寺、平等院鳳凰寺、
金閣寺、東大寺、神護寺などや重要文化財や公共施設には、
既に取り付けられているとのことでした。

夫妻は知り合いから土岐先生を紹介され、
この防災コンセントの存在を知り、
すぐに清水寺や金閣寺等の取り付けてある場所に
連れて行っていただいて、
この商品のすばらしさに魅了されたのだそうです。
そして、「未然に防ぐことの出来る災害は少しでも減らしたい」
という一心で、一人でも多くの方たちの
役に立ちたいとこの事業を始められました。

久しぶりに若い情熱のある方と語らい、
楽しい時間を過ごさせていただいたと共に、
この若い夫妻の事業が成功することを、心より願わずにはおれません。

いつもは二件目からは遠慮するのですが、 夫妻からお誘いあり、
近くのタイ料理のお店に連れていっていただきました。
本当に久方ぶりのタイ料理です。
私は、20年くらい前になりますが、
仕事でタイに行っており2年間くらい
1ヶ月おきに日本とタイを往来していた時期があります。
タイ料理は大好きでこちらに帰ってきても
よく女房や社員たちと食べにいきました。
しかし、この5~6年行っていませんでした。

あっ!そうそう、バンコクの正式名を知っているでしょうか?
世界一長い都市名だと思いますよ。

『クルンテープ・プラマハーナコーン
・アモーンラッタナコーシン・マヒンタラーユッタヤー
・マハーディロック・ポップ・ノッパラット
・ラーチャタニーブリーロム・ウドムラーチャニウェートマハーサターン
・アモーンピマーン・アワターンサティット
・サッカタッティヤウィサヌカムプラシット』
(タイ国政府観光庁より)

『イン神(インドラ、帝釈天)が
ウィッサヌカム神(ヴィシュヌカルマ神)に
命じてお作りになった、神が権化としてお住みになる、
多くの大宮殿を持ち、九宝のように楽しい王の都、
最高・偉大な地、イン神の戦争のない平和な、
イン神の卓越した宝石のような、偉大な天使の都。』
という意味だそうです。
バンコクにはこの歌があって、一生懸命に覚えました。
でも、今は忘れました。

タイ料理に戻りますが、
ヤムウンセンがでてきました。
「ヤム」とは、混ぜるの意味で、サラダのことを言います。
「ウンセン」は春雨、いわゆる春雨サラダです。
唐辛子、パクチー、レモングラス、ニンニクなどの
ハーブ類を細かく刻み、ナンプラー、ライム果汁、
パームシュガーを加えてドレッシングを作ります。
これに野菜やナッツ、肉そして春雨を混ぜてできあがりです。

大好物のヤムウンセンでしたが、辛いの辛くないのって
(辛いのですが)随分食していない間に、
舌の感覚が元にもっどってしまったみたいです。
おいしいけど、とびっきり辛いのです。
(タイ語ではアロイ・テー・ペーッマークといいます)

もうひとり一緒に行った友人が
「辛いのを一瞬で抑える方法があるよ!」と教えてくれました。
その方法は、レモンを輪切りにして
塩を振りかけたものを食べるんです。
本当に一瞬で辛さがとれました。皆さんも是非試してみてください。

他に、サラダをもう一品頼みました。
豚肉のひき肉入りのサラダです。ヤムムーヨといいます。
これは、特別辛くないので辛いのが苦手な人にはいいですよ。

あとは、パッタイが出ました。
パッタイとは、お米で作ったやや太目の面を使ったタイ風焼きそばです。
えびや、ニラ、もやし、干しえびなどを炒め、
ナンプラー、タマリンド汁、砂糖、ライム、ピーナツ
などを加えて出来上がる、屋台を代表する料理のひとつです。
タイではこれに赤い唐辛子やナンプラー、砂糖などを
お好みで加えて食べます。
これは、食べやすいので初歩の人には、無難かもしれません。
あと、一品青菜を炒めたパップンファイデンも食べました。
これは、私の定番です。

それと、定番といえば、トムヤムクンですが、
おなかいっぱいに成りましたので、今回はパスしました。
トムヤムクンは、世界三大スープのひとつです。
「トム」は煮るという意味で一般的には汁物(スープ)のこと。
「ヤム」はサラダといいましたが、
ここでは元の意味で混ぜや和えると言う意味。
「クン」は海老のことです。
材料を海老から魚にすれば、トムヤムプラー。
鶏肉を入れれば、トムヤムガイとなります。
酸っぱ辛いスープは、一度食べたら忘れられない美味しさです。
今度来る機会があったら、是非いただきたいスープです。

ところで、世界三大スープって、
トムヤムクン以外に名前を知っていますか?
三大スープと言っていますが、実は四つあるのも知っていますか?
三大と名のつくものには、良くあることなのだそうですが、
選定する人たちが、互いに譲れない場合に
四つや五つあっても三大と呼ぶんだそうですよ。

世界三大スープはトムヤムクンの他に
・ブイヤベース(フランスマルセイユ発祥)
・ ボルシチ(ロシア料理)・
・ フカヒレスープ(中国料理)のことです。
以上、豆知識でした。

楽しい時間を過ごさせていただいたことに、感謝いたします。
ありがとうございました。

2011年6月6日月曜日

マザー・テレサとマハトマ・ガンジー


マザー・テレサさんのことは
何回か、
このブログでも
紹介しました。
マザー・テレサさんの言葉は
大好きなものばかりですが。
特に、
この内容が好きです。



『人は
不合理、
非論理、
利己的です。
気にすることなく、
人を愛しなさい。

あなたが
善を行うと、
利己的な目的で
それをしたと
言われるでしょう。
気にすることなく、
善を行いなさい。

目的を
達しようとするとき、
邪魔立てする人に
出会うでしょう。
気にすることなく、
やり遂げなさい。

善い行いをしても、
おそらく次の日には
忘れられるでしょう
気にすることなく
善を行い続けなさい。

あなたの
正直さと誠実さとが、
あなたを
傷つけるでしょう
気にすることなく
正直で誠実で
あり続けないさい。

助けた相手から
恩知らずの仕打ちを
受けるでしょう。
気にすることなく
助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを
世に与え続けなさい。
けり返されるかもしれません。
気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい。

気にすることなく、
最良のものを与え続けなさい…。

結局のところ、
あなたと人との
間のことであったことはなく、
あなたと神との
間のことだったのです』

今更、語るまでもなく
マザー・テレサさんは
一なる本源の
愛と感謝の
最高の表現を実現した方です。


ガンジーさんも
そのひとりだと思います。

マハトマ・ガンジーさんは
『真理は神である』
この一言に
自分の全ての理念を
集約させた方です。



ガンジーさんが
非暴力運動(アヒンサー)を
実践する背景には、
神への
絶対的信頼がありました。

ガンジーさんの
有名な言葉を紹介します。

『歴史全体を通して
いつも真理と愛が
勝利をしたことを思い出す。
暴君や殺戮者は
そのときには無敵に見えるが、
最終的には滅びてしまう。
どんなときも、私はそれを思うのだ』

ガンジーさんは
神の無限
大愛
永遠性を
立派に表現されました。

彼は、
非暴力運動を
推進するにおいて

ともすれば、
自己の内の
臆病や
不安に
打ちのめされそうになり
怒りの気持ちが
こみあげてくる
民衆に向かって、

ひとりひとりが
神の本質を宿している。
目には目をは
全世界を盲目にしている。
真理と愛でたたかうのだ。
『真理は神である』
と激励したのでした。

その考えは
後の
マーティン・ルーサー・
キング・ジュニア
などにも
影響していく。

2011年6月5日日曜日

「汝の隣人を愛せよ」

イエスさまは
「汝の隣人を愛せよ」
と、おっしゃいました。

創造者であり
第一原因者である
一なる本源に基づいて
私たちは存在しています。


すべての
生きとし生けるものの中に
一なる神が顕現しています。

であるならば、
自分と他人を隔てるものは
何もないことが
わかります。
隣人も私たちも
一体です。
一体である隣人を
愛することは、結局のところ
自分を愛することになります。

すべての人間
ひとりひとりが
この世に
存在している目的は、

その魂と
肉体の目的は、
本源なる神の一つの
愛の
表現媒体として
在るのではないでしょうか。

愛を表現する為に
魂と肉体が
造られたのではないでしょうか。

「汝の隣人を愛せよ」

お父さん。
お母さん。
夫。
妻。
子どもたち。
友人や
地域や社会の方々。
自然や動物たちに。

自分の一生の中で
触れ合うことの出来る
数少ない隣人たちに。

精一杯、
愛と感謝を表現できる
自分で在りたいと思います。

私たちの多くは
私も含めて
戦後に生まれた方が大半です。

戦後、復興するために
私たちの両親や先輩たちは
血の滲むような努力をされ
日本を創る礎になりました。

その後の日本は
昭和30年代以降、
右肩上がりに成長を続けました。
テレビや洗濯機や冷蔵庫などの
家電が普及され、
全家庭が我先に購入しました。

物質主義が極まり
お金が
すべての権力の象徴で、
世界をさえ、
呑み込んでいきました。

行き過ぎで、
バブルは終焉しました。

しかし、その間に
最も大切な
心を喪ってしまいました。

私も、
そのど真ん中にいました。
金のためなら、
手段を選ばない。
極端に言えば、
人間は
お金を稼ぐための対象であり、
いかに欲を煽り、
みせかけの幸せや
楽しみのために
時間を浪費していました。

自己と他者
自分と他のもの
いわゆる、
自分と対象物という
考え方の最たるものです。

その考え方は、

その眼に見えるものだけの
無知なるが故に、
分離感を感じ、
罵り、
けなし、
人を裁き、
不調和の心を
引き起こしてきました。
結局、
満ち足りない念い
不安や
恐怖が巣食っていたのです。

イエスさまは
「真理は汝を自由ならしめん」
とも、説いています。

私たちは
真理を知ることによって
自らを開放して
自由になるのです。

私たち
一人ひとりは

愛と感謝を
表現するために
神性を宿して
人間として存在しています。

これは、真理なのです。

今日一日
どんな小さなことでもいい
愛を
感謝を
表現していきましょう。

2011年6月4日土曜日

一なる本源


天地一体といいます。
色即是空
空即是色といいます。
これは
同じ意味です。

天地一体は
イエスさまが説き
色即是空・空即是色は
お釈迦様が説きました。

私たちは、
無限の宇宙に
遍満するところの
ミクロの原子と
電子からできています。

原因のない結果が
存在し得ない様に
私たちは、
原子と電子から離れて
存在することはできません。

原子と電子は
神と言い換えても
いいかもしれません。

神は創造者であり、
第一原因者です。
原因である神と
結果である私たちは
決して離れて
存在することはできません。

ゆえに、
天と地も一体であり、
色(肉体・現象)即ち
是、空(原子・神)であり、
空即ち
是、色である
ということになります。

イエスさまやお釈迦様は
そのことを悟りました。

神は無限であり、
永遠であり、
不死であり、
原因であります。

即ち、
結果である私たちも
無限であり、
永遠であり、
不死であるのです。

原因の世界には、
四苦(生・老・病・死)は
存在しないのです。

お釈迦さまが
悟ったのは、
この現象界における
人間の観念、
概念にのみ、
四苦があるのであって、
原因の世界には
存在しないことを
理解されたのです。

この悟りにより
仏即我、
宇宙即我の境地に達し、
永遠の
仏陀となられたのです。

しかし、
私たちは
どうしても
分離した見方、
二元的な
見方をする癖があります。

自己と他者
自分と他のもの
いわゆる、
自分と対象物という
見方をするところに
どうしても
執着が生まれ、
あらゆる
欲の原因を創っていきます。
それが
苦しみの正体でもあります。

宇宙の真実は
天と地は一体であり
自他も一体であり、
色即是空 空即是色であります。
すべては一体であり
ひとつです、

自分の本源、
本質を追究していくと、
誰もが
ミクロの原子電子という
神に到達するのです。

結果の世界は、
原因の世界に
到達しなければならないのです。

2011年6月2日木曜日

自分に優しさを

テレビや
週刊誌等の車内広告から
垣間見える世界は、   
政治の抗争や
殺人や
強盗事件や
芸能人のゴシップ等
数々の
否定的な部分が
数多く語られています。

確かに
テレビや週刊誌等は
衝撃的なことを、
並べ立てた方が、
視聴率や販売部数が
伸びるのでしょう

しかし
テレビや週刊誌で
報じていることは
ほんの一部分に過ぎないのです。

私たちが
一番高い山に登り
私たちの世界を
眺めるとしたら
そこには
否定的なことより
はるかに多くの
感動的なことがあり、
憎しみより、
多くの愛があり
暴力よりも
やさしさに満ち溢れています。

自らの
本当の心を忘れて、
暴走している人たちが
目だって見えるに
過ぎないのです。

どうしていいかわからず、
喚いたり、
暴れたりしているに過ぎません。

私も、
そうでしたから
よーくわかります。

ある意味では
可哀想な人たちです。
自らの
本質に気がつけば
必ず、
元の心に
戻ってきます。
本質は
光の存在なのですから。

私たちは
自分を癒すものや
喜ばすものを
自らの心に施すことが
少ないように思います。

静かに座って
瞑想をしたり
音楽を聴いたり
自然と共に散歩をしたり
そして、
光のプリズムが
水面に映えるのを感じたり
花の持つ、
すばらしい色彩や
芳しい香りを感じたり
動物たちと
無邪気に戯れたり、
愛する人と
手をにぎりあったり

なんであろうと
自身の存在の
癒しや喜びの中心に
錨をおろし、
自身を愛おしみ、
優しく
大切に扱ってみてください。

肉体感覚の持つ
頭脳で考えたりとか
知性がもたらす雑音を
無視できるようなことを
やってみましょう。

形にこだわらず
自らの内なる
静けさの中に
内なる真実の中に
自分にできる方法で
入ってみてください。

それは
あなたの
存在そのもののが、
既にもっている
エッセンスであり、
魂の叡智への
鍵でもあります。

2011年6月1日水曜日

究極の道


私たちの
人生の途上で、
今まで、
多くの本に
出会い
感銘を受けてきました。

私たちの
方途を示す
羅針盤として、

また、
自信を失くしている時に
勇気を与え
怠け心に
やる気を与え
そして、
あらゆる知識を
与えてくれました。

また、
両親をはじめとして
兄弟、
夫婦、
子供、
友人、
仕事上の仲間達、
       
出会った
数多くの
人達との
稀有な
関係性の中で
共に
立場を換えて
貴重な
人生体験を積んできました。

愛し、
愛され、
離れたり、
またくっついたり、
憎んでみたり、
憎まれたり、
葛藤しながらも
知恵を汲み上げてきました。

あらゆる
本たちとの出会いも
あらゆる
人々との出会いも、
偶然に
出会ったものは
一つとしてありません。

自分が選択して、
出会ったのです。

両親も
自分で
選んだと言ったら、
言い過ぎでしょうか?
でも、

それは真実です。

自らの
永遠の輪廻の中で
残した課題(業)を
学ぶために

敢えて、
困難なる道も
織り交ぜながら、
人生を送ります。

それは、
自らの
本質であるところの、
愛を思い出す
旅なのです。

自らの
意識の中に
元々ありながら
ぼやけているものに
スポットを当て
真実の光を
照らすためであるのです。

自らの
インスピレーションを
見逃さないでください。
それは
あなたにとって
もっとも大切にする
価値のあるものです。

私たちは
外にある
人や物が
いくら偉大で
あろうとも、
全面的に依存したり
崇拝しないでください。

崇拝すべきは
自らの内部に
厳然として在るからです。

万人の内にいるところの
神の光を
輝かせることが
究極の道なのです。