2012年6月30日土曜日

「幸せ気分」


いつもこのブログで
紹介させていただいています
山元加津子さんの
「宮ぷー心の架橋プロジェクト」に
雪絵ちゃん(笹田雪絵さん)の本を
想いだしながら書いた
去年の日記を紹介してくれました。
素晴らしい気づきを
提供してくれます。
是非、共有してください。
雪絵ちゃんは同じ
魔女の翼:から  
「お日様気分」というエッセイも
出しています。
定価1,000円(税込)

2011/6/3
雪絵ちゃんの本「幸せ気分」
(魔女の翼TEL052-871-3009)は、
本屋さんには並ばない本ですが、
すごくたくさんの方に愛されています。
その本の元になったのは
仲間と一緒に手作りした
雪絵ちゃん手書きの
紫色の「幸せ気分」という冊子でした。
今日は本棚を少し整理していたら、
その本が目について、手にとりました。
ぱっと開いて読んだいくつかのエッセイ。
偶然に開いたページからだけでも、
はっと気がつかされることがいっぱいあって、
体の中に雪絵ちゃんの存在が
広がるような気持ちになります。

雪絵ちゃんとは、慢性の病気を持っていて、
そのために地域の学校に通うことが難しいお子さんが
通っている病弱養護学校で出会いました。
雪絵ちゃんは中学二年生のときに、
多発性硬化症(別名MS)を発病しました。
熱が出て、手や足が思うように動かなくなったり
目が見えにくくなったりしました。
しばらくするとだんだん見えるようになって、
手足が動くようになりましたが、
雪絵ちゃんの場合は再発を繰り返して、
しずつ症状が重くなっていきました。
でも、同じMSでも、一度発病しても、
それから発病しなかったり、軽い経過をたどる方も
たくさんおられるように聞いています。

手作りの「幸せ気分」から文章を拾いました。
・・・・・
『楽しい悲しみ
悲しい事やつらいこと、悩みがあるのは、嫌だけど、
これらをちゃんと通らないと前へは進めない。
明日は来ない。前へ進みたい。だから喜んで悲しみます。
何日か後に、いい事が待機しているかもしれない。
そうに決まってる。
だから、今日は悲しい事があったけど、
とりあえず私のことを待っててくれている
いい日のために通過しておかないといけない。
楽しみながら、明日を期待しながら悲しむよ。
なんか明日はいい事ありそう。

・・・・・
いいの?
隣に入院していた人とは3週間くらい一緒でした。
とても気が合い、良く話をしたり、笑ったりしてたため、
3週間の入院生活は楽しすぎるくらい楽しく過ごせました。
入院してそこで初めて出逢って、
たった3週間だけ一緒にいただけなのにその人
私の身体をすごく心配してくれて真剣に身体、
もっとよくなるといいなあとよく言っていました。
そしてある日、突然、
「ねえ、私の目あげることできないかな?」
と言いました。
 どうして?この間逢ったばかりの私に、
目をあげるってどうして言えるの?
もらったりすることのできない目だけど、
気持ちがすごく嬉しくてたまりませんでした。
査しても良くなっていないけど、
私の目どんどん強く元気になっていってるんだよ。
私の目って幸せ者でしょ。

・・・・・
届くよ
好きなこと自由に書いていいというノートが
(病院に)ありました。
そのノートを見ると死にたい、死にたいと
たくさんの人が書いていました。
もう嫌だ、情けないよとか。
でもたくさんの人の死にたいを読んでいるうちに、
この人たちは皆死にたいのではなくて
生きたいんだと思いました。
助けて!元気になりたい。私生きたい。
そう言ってるのだと思うのです。
誰かに死にたいと言える人は素敵です。
精一杯生きてる人です。自分を大切に想ってる人です。
元気になりたくて、誰かの助けがほしくて
んでるのだと思うのです。
その声必ず助けてくれる人に届くはず。
だからもっと言ってね。伝えてね。

・・・・・
もっと自由に
私はもっと自由になりたい。
(みんなわたしに)
遠慮せずなんでも頼んでねと言うけど、
(わたしが)何かしてるとき、
遠慮せずに言ってくれればいいのにと言うけど、
私は遠慮しているわけではないのです。
何かをしてもらうと言うことは、
その人がいなければいけないって事です。
たとえばりんごを食べたくても
皮をむくことが出来なかったら、
誰かにお願いするしかありません。
でも皮をむくことを覚えたらこれから
誰かを待たずに食べたい時に
自由にりんごを食べることが出来ます。
遠慮して自分で皮をむくのではなく、
自由になりたくて皮をむくのです。
出来ることをどんどん「遠慮しないで」という
言葉でうばわれていくのは嫌です。
すこしでも可能性のあることはやってみたいのです。
だめかもしれない。
でもできるかもしれない、
できたら、またひとつ自由な世界が広がるのです。
なんだってやってみないと分からないもん。
もちろん出来ないことや、
やって欲しいことはお願いします。
そういう時の遠慮しないでねという言葉はうれしい。
つらそうに何かしてても顔が笑っていたら
それは楽しんでいる時です。
大変そうに見えるけど、
無理してるように見えるけど、
私、自由を楽しんでるんだよ。

・・・・・
幸せ気分
私の病気は前触れもなくやってきます。
前の日元気だったのに朝起きたら、
目が、足が・・・という感じです。
だから私はいつ再発しても後悔しないように
毎日思いっきり生きていたいなって思っています。
誰かに評価してもらうのではなく、
自分なりの精一杯を、思いっきり楽しくすごす方法を・・。
急ぐことや決まり事、そして慌てて
何かすることが少々苦手な私なので、
今日できることは今日するではなくて、
今日できなかったら、
明日すればいいというのが雪絵流です。
こっちの方が気楽でかえって
なんでもできてしまうので、不思議。

そしてとりあえず、明日は寝ててもいいから・・・・
今日だけがんばるの。
そう思うとじゃあ今日だけ一生懸命っていうの
やってみようかなって思う。
そして元気なうちにばかしちゃえーって思う。
入院してからでは手も足も出ないもん。
今の内にやっちゃえ、
倒れてからではばかしたくても出来ない。
ばかなこととは挑戦したいこと。
やりたいけどちょっと不安。
でもやりたい・・・と思ったらすぐ
えーいばかしちゃえー。
私が何したって世の中にとってはちっぽけなことで、
全国ニュースになる訳ではないんだからと思うのです。
当たり前ですよね。元気なうちに恥かいて傷ついて
いっぱいばか(挑戦)しちゃえって思うのです。
出来るうちにやらなきゃ。

この広い世界、たくさんいる人、人、人。
私はその中のたった一人。
私一人ぐらい何したっていいじゃない。
泣いたって笑ったって転んだって、
杖だって車椅子だって、なんだっていいような
気がしてくるのです。
悩んでる時にそう思うと、
悩んでいる自分がばかばかしく
思えてくるときがあります。
たーくさんの人の中の一人、
ねっ、ちっぽけでしょう?
平気、平気。やっちゃえー!
どんなに勇気がいることでも、
恥かくかもってことでも、
全国ニュースにならないって。 

 そしてずっと悩み続けてきた
薬のせいでなるまんまるな顔。
自分でも太った、丸いとうるさいくらい
言ってた時期がありました。
でもある日私の顔が丸いからといって
困るのは誰かなと思ったのです。
そしたら太って困るのは、
こーんなに広い世界で、
私たった一人だけだったんです。
私以外の全ての人は私の顔が太ってても細くても
係なかったんですよね。
なんだか自分一人のために
さわいでいたのかと思うと
ちょっとあきれてドッと疲れてしまいました。
でもまん丸顔が嫌でどうしようもないとき、
ある人がいいことを教えてくれました。
世の中にはきれいな顔の人がいる。
でもいい顔の人もいるよって。そうなのです。
生き生きとしてる人の顔ってすごく素敵だし、
格好いいし、いい顔って思う。
私それ聞いたとき、まんまるでもいい。
私いい顔の人めざそうと思いました。
そしてもう一人の友達が、
悩んでいる私に太ってても
きれいで素敵な笑顔は作れるよって言ってくれました。
太ってても笑えるんです。
二つとも素敵な言葉です。
私は今いい顔、
そして素敵な笑顔をめざしています。

 自分に自信をもって生きていきたい。
自信って自分を信じることなんだって。
私は自分を信じてるし、信じたいし、信じていく。
時々みすてたくなるけれど私は自分を信じぬく。
これから何がおこっても大丈夫。そう信じられる。
時々どこからか湧いてくるすごい自信があります。
私に出来ないことがあるわけじゃない。
なんだって出来るんだからって。
すごい自信です。

 いろいろ書いてて楽しかった。
はじめ何か書いてって言われたとき、
うまく自分の言葉で書けなくて
きれいにしすぎてしまったのです。
読んでみてあきれるくらい。
ぐだめだと思いやめ、
すこししてまた書いて、またやめて、
5回ほどそういうことをしていました。
そしてとうとうやめようって思ったのです。
私、欲張りだったのです。
たくさんのひとに・・・
と思ってしまっていたのです。
もう書くのやめてもし嬉しいことがあったら
その話をしたい人にして、
聞いてほしい人に聞いてもらって、
と相手の人との間でその時の素直な言葉で
話せばいいって思ったのです。
嬉しい話を沢山の人にではなく、
その時話したい人に一緒に喜んでくれる人にと。
そう思い、書くのをやめるって決めたのです。

でもね、そう決めて
2,3日後にすーっと書けたのです。
いい文章とはいえないし、
言葉も変だったりするけど書こう、
書こうって思ってではなく、
楽しく書けたのです。
きっと今でもうまく書けなかったのは
欲張った心のせいかなと思います。
本当に欲張った嫌な文だったもん。
そのかわり、今のも
決してうまく書けてるとは言えないし、
私の言葉でちょっと読みにくいところも
いっぱいだと思うけど、
でもね、すごく楽しかったの。
嬉しかったの。
読んでくれた人が本の全てを
うんうんってうなづいてくれなくてもいいの。
でも一つでもほんの一言でも、
ちょっとでも、
うんって言ってくれたら、
私、嬉しくてどうしていいか分からず泣いちゃう。
感動で心臓爆発しちゃう。

 本を作るということだけでなくて、
誰かと知らない誰かと一緒に喜びたかったの。
読んでくれた人誰かと・・・。
その声は直接私に届かなくてもいいの。
きっときっと通じると思うので、
本(雪絵)と読んでくれた人と
一緒にすごす時間があっただけでも最高。
「私だけ」でなく
「読んでくれた人だけ」でなく一緒がいいの。
一緒が。私、
命のある限り、
この世にデェーンと居座って
おいしい空気吸って
空を見上げてみんなと一緒に
ずっとずーっと幸せ気分でいたいな・・・。
ありがとう。 
・・・・・』


以上です。
如何でしたでしょうか?
雪絵ちゃんは
12月28日、雪がたくさん
降っているときに
生まれました。
そして、
12月26日に亡くなりました。
27日がお通夜
28日が雪絵ちゃんの
お葬式でした。
雪絵ちゃんは
生まれるときも
亡くなるときも
自分で決めてきました。
山元加津子さんは
最後にこう記しています。

「きっと人は亡くなっても
それで終わりではないのですね。
雪絵ちゃんはいつも
私たちに元気をくれたり、
勇気をくれたり、
大切なことに
気がつかせてくれたりします。
のそばにも、それから、
実際に会ったことのない人のそばにも、
雪絵ちゃんはいつも
いてくれている気がします。
そして、なんだか私は神様が、
雪絵ちゃんを天使みたいに愛して、
雪絵ちゃんを通して、みんなに
「誰もが素敵で大切なんだよ。
みんなひとりひとり、
必要でここにいるんだよ」
と教えてくださっているように
思えてならないのです。」

加津子さんが書いた
文章があります。
とても涙なくして
読めません。
是非、読んでください。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/eigoyukie/yukiechanswish2.html


「今日は残りの人生の最初の日」

今日も感動から
一日が始まります。

生かしていただいてありがとうございます。

2012年6月6日水曜日

東京湾の現実「魚の放射能汚染状況と奇形魚」


前々回に
引き続いて
「つむじ風」のブログを
転載いたします。

是非、
ブログに飛んで
確認してください。
写真等資料も
掲載されていますので
もっと実感が
わくと思います。

つむじ風」ブログより
http://hyouhei03.blogzine.jp/tumuzikaze/2012/06/post_e405.html

2012-06-05
東京湾の現実「魚の放射能汚染状況と奇形魚」・・・・
この現実を直視しないのは、
愚かである・・・・・。
それに目をつむり、楽天を装う事は、
悲観的であることが『愚か』であるという前に
悲惨と言うべきだ!!

 悲惨な楽天家と、『愚か』な悲観主義者とどちらが賢明か? と問われるならば、私は間違いなく後者を選ぶであろう。

 それは何故か?

 前者は無知であり、後者は『愚か』であるかも知れないが、無知ではない。『愚か』なのは直すことが出来るが、無知は救いがたい。悲観は方法論を見いだせば、悲観の原因から離脱することが可能である。

 無知の原因は何か?

 一言で言えば、情念に薄いことから来る。情念とは、心のもっとも深いところから発する念であって、その最たるものは『愛情念』だ。だから、女は強い。女は賢い。事に放射能禍において、男は至って無知である。

 その理由は何か?

 言うまでもなく察せられる方も多かろう。子供に対する『愛情念』の違いにある。男は、愚かにも利に流されている。仕事、金、生活・・・。それも大切なものであろう。しかし、愛する者を失って、それは意味を為さない。守るべき者を失って、男の分は立つまい。

 無知を装う男達が、如何に今のこの時期になんと多いことか? 嘆かれる。

 話は変わって、『ぬまゆブログ3』というブログがある。2度アカウントを消された。だから、今パート3になっている。消したのはYahoo! Japanである。理由は知れない。察しは付く。http://numayu.blogspot.jp/

 放射能禍を振りまくからだろう。

 しかし、

 書いてあることは真実だ。誰がそのことを真っ向から否定し得よう。これまでずっと注しし続けてきた。現在もだ。悲観主義かも知れないが、全くの真実がそこにある。

 今、世の中が狂っているのだ。誰だって、真実を直視すれば、悲観主義になる。そうでないのは、己を偽るか、目を覆い、耳を塞ぎ、口を固く閉ざしているにすぎない。何のために? 仕事や生活やご主人様のためにだ。ひどいのは、己の欲のために、儲けのためにそれをしている。

 そこには大切な伴侶や、ましてやそれ以上かも知れない自らの子供達に対する『愛情念』はないとは言えないが、薄い。前記の理由のために言い訳をしている。しかし、そんなものはいくらでも取り替えのきくものであると言うことを知らなくてはならない。

 『ご主人様』と書いたが、それは会社であったり、得意先であったりするであろう。少なくとも仕える対象だ。雇われ経営者であれば、株主であろう。

 ここでは、守るべき患者や養護者や、児童生徒のためにやむを得ない場合は含まない。そう言う人々は、少なくとも無知ではない。承知の上、使命感であるから、是非誤解のないように読んでくれたまえ。

 無知は真実に向き合う必要がある。

 そして、その上で利ではなく、理を保って判断する必要があるであろう。それは真実を見つめる必要があるのだ。

 敢えて、そう言う画像を選んで掲載した。これ以外にゴマンとある。この後、飛躍的に増えるであろう。これはチェルノブイリの話でないのである。日本の福島とその周辺の現実、のみならず、東京を含む関東周辺の現実なのだ。

 恐るべき事に、生命輪廻の速い生物の現実だが、このことは確実に人間に襲いかかる確率は非常に高く、明白である。そのことに目を覆うことは、何を意味するのであろうか?

 それ以上は書かない。書く必要はないだろう。

 利に聡い人間は、この現実を見るまでもなく、敢えてそれを全国に拡散することを欲している。瓦礫は全国にばらまくし、捨てられた野菜は安価に全国の市場に潜り込ましている。

 最近、回転寿司の愛好家であるが、控えている理由がある。その杞憂は的中した。奇形魚は好んで安価に買い取られ、そう言った市場に出没するとの噂は、どうも信憑性が高い。

 昨今、客足がめっきり落ちたのを散見するが、そんな杞憂を抱いているの私一人ではなかっただと、妙な納得をする。
 本当かどうかは知らない。

 疑いは強い。

 まあ、私見であるが書いておきたい。そう言うことをするのは、出来るのは大手企業だ。そして、この期に及んで原発再稼働を支持しているのも大大企業である。利に走っているからで、『愛情念』からではほとほとない。一部高級官僚と政治屋も同じだ。

 しかし、放射能は人を選ばない。福島を離れ、山形から通勤していると聞く福島県現知事も同じである。彼は混乱に乗じてSPEEDYを見落としたと言っているが、あれは正真正銘ウソである。そうであれば、山形から出勤しない。

 妻子を逃がし、『今直ちに危険はない。』と広報した人物の又同じ。論を待たないであろう。

 さて、最後に書いておきたい。

 放射能禍は、実はこれからだ。山や谷を汚染した放射能はやがて川に流れ、海に溜まる。その事実は現出している。当然だ。予期されたことだ。知るべき立場の者で知らない者はいないだろう。しかし、言わないだけだ。報じないだけだ。それは己を偽り、民を偽っている。

【転載開始】

 福島第一原発事故による影響で、東京湾の土に含まれる放射性セシウムが増えていることが、近畿大学の研究チームの調査でわかった。
 近畿大学・山崎秀夫教授の研究チームが先月2日、荒川などの河口付近の3か所で海底の土を採取し、一平方メートルあたりに含まれる放射性セシウムの量を調べたところ、去年8月の調査結果と比べて、3か所とも放射性セシウムの量が大幅に増えていることがわかった。これにより、川から放射性セシウムを含む土が東京湾に流れ込んでいることが裏付けられた。
 東京湾の魚などへの影響について、山崎教授は、「土や泥に付着した放射性セシウムは剥がれにくく、魚に取り込まれても吸収されずに排せつされるため、体内には蓄積しにくい」として、現時点で魚への影響はほとんどないとしている。水産庁などの調査でも、東京湾の魚から放射性セシウムは、ほとんど検出されていない。
 しかし、海底の土から魚に放射性セシウムがどのように移行するかについては未解明の要素も多く、山崎教授は「今後も引き続きモニタリングが不可欠だ」としている。【転載終了】

 その報いは、必ず来る。放射能は人を選ばない。

 目覚める必要がある。目覚めて真実に向き合って対処する必要がある。そうすれば、必ず、解決策見いだせるだろう。が、未だにそれをしていないことに暗澹たる気持ちをぬぐいきれない。

 それが再稼働であり、瓦礫全国処理であり、報道規制である。他にも無数にあるが、ミクロで言えば、『愛情念』の欠如だ。

我が家でお預かりしてる福島からの避難犬、放射能の中での妊娠。
先週出産しましたが、子犬の指が6本です。(狼爪が2本)
原発事故との因果関係ははっきりしませんが、可能性は否めない。


やっぱり、

経済産業省前でハンガーストライキをする青年たち
この時のハンガーストライキのメンバーのひとり米原幹太さん(22歳)です。

彼が、南房総の漁師さんからお話しを聞いています。
500~700ベクレルの測定値が出ても、それは表には出てこない事。
奇形魚の水揚げされる回数が増えていること。
その奇形魚を安い回転ずしが激安で仕入れて行くことなど、
決して、表には出てこない生の声だと思います。
お子さんもいらしてご自身の生活もかかっていらっしゃるだろうと思われる中、
このように話して下さって感謝します。
彼の心の中の葛藤も痛いほど感じました。
これからますます汚染される海。
どうするべきなのか、わたしたちは自分自身でどのように健康を守っていかなければならないのか、
内容を書き出しました。

6/2 米原幹太のもう朝ですよ!
ゲスト・南房総の漁師(ラジオですので音声のみです)



千葉県南房総の、漁師の本間一功さんがゲスト出演。東京湾に起こる、魚達の異常。魚の放射能の汚染状況。

5:00頃~
幹太:
一功さんちょっと自己紹介を含めて、
今千葉県の富浦の法の、南房総の方にお住まいで、漁師さんを、もう何年ぐらいやっていらっしゃるんですか?

一功:今ちょうど4年と半年ぐらい

幹太:
それで311以降、原発事故後、お子さんもいらっしゃいますし、
千葉のアクションの方に関わっておられますね。
本日はちょっと、この間のいっこうさんのつぶやきの中で、奇形魚というか、
東京湾の中の魚で、あの辺り一帯で、奇形魚の動画を見たんで、ちょっと衝撃的だったので、
ラジオにゲストとして出演してもらう事にお願いしました。

一功:
協力できることは何でも。
やっぱりね、なんか、最近はね、
揚がる、ま、毎回っていうわけではないんだけど、
一週間に最低2回ぐらいは入るね。

幹太:ほんとですか、

一功:うちはね、他はどうかは知らないけど。

幹太:それは、この4年位漁師をやっていて、今までも、311以前もそういうことはあったんでしょうか?

一功:あのね、無くはないんだけども、なんか顕著になってきているのは最近ですね。

幹太:どういう魚とか、種類に多いとか、

一功:
そう言われるとなんか、やっぱるね海底にいるやつ。
ヒラメと、あと、スズキ。
あとブリ。生態系の上にいる奴。
だから本当に今注意を促されているものが特にそうなっているから、
個人的に観察してみて思ったのは、
尾びれが無いものが多くて、
あとは脊髄が、なんていうんだろう

幹太:歪んでいるとか、

一功:そうそう、

幹太:尾びれが無いってどんな感じ?

一功:普通魚って、人魚みたいに、それがない。

幹太:それはどこまでないんですか?尾びれが無いって、ひれが全く無いんですか?

一功:そうそう、そうそう。なんか、丸い形になっている

幹太:あとは脊髄が歪んでいるとか、僕も動画でちょっと見ましたけれども、

一功:うん、ああいうのが中心だね、大体。

幹太:あの動画はいっこうさんの撮影ですか?

一功:うん、あの動画は俺です。

【転載終了】

2012年5月28日月曜日

「腐敗した銀行制度」

今日は
このユー・チューブの
動画をご覧ください。

「腐敗した銀行制度」
というタイトルからして、
政治家か経済学者の
講演会かなんかの
映像か?と
思ってしまうのでは
ないかと思います。

これはカナダの
12歳のあどけない少女
ビクトリアさんの
講演タイトルなのです。

ビクトリアさんは
一度カナダの
ロータリークラブ会員
600人の前で
このスピーチをしています。

今回の映像は
そのスピーチが
評判を呼び
パブリック・バンキング
アメリカという
公的銀行(州立など)を
推進している団体からの
招聘によって
講演をした際の
ビクトリアさんの
とてもすばらしい
講演です。

今までの一部の
グループが権力を
行使し牛耳ってきた
現行システムが
カナダを否世界を
崩壊させてきました。

ビクトリアさんの
12歳の純真な神性は
見抜いているのです。

それでは
ビクトリアさんの
講演の動画を
ご覧になってください。



「腐敗した銀行制度」
カナダ12歳の少女による講演
http://www.youtube.com/watch?v=ABkW3SRtEz0&feature=player_embedded

カナダがどうして、借金まみれになっていることを
不思議に思ったことはありますか?
政府がカナダ人に多くの税金を払わせることに
不思議に思ったことはありますか?
最も大きな民間銀行の銀行家がより裕福になって、
残りの私達がそうではないことを
不思議に思ったことはありますか?


国全体の借金が8000億ドル以上もあることに
不思議に思ったことはありますか?
あるいは、なぜ、私達は一日当たり1.6億ドルの利息を
国の借金の金利として支払うのでしょう?
これは年間600億ドルです!
誰がこの600億ドルを受け取るのだろうと、
不思議に思ったことはありますか?

私が見つけたことは、銀行と政府が共謀して、
財政的にカナダの人々を奴隷にしているということです。

私がとりあげる三つの重要な点は
皆さんの関心を十分に集めて、
皆さんがご自身で調査を進めて、
政府がカナダの人々に対して行う
犯罪行為を止めることにたずさわって下さると希望します。

まず最初にカナダ銀行について簡単に検証します。
二つ目に今日の銀行がどのように機能しているかを見てみます。
最後に政府に実行を請願することができる
実行可能な解決策を提供します。

カナダ銀行 (中央銀行)

カナダの歴史のおいて、ほとんど知られていない
Gerald Grattan McGeerという人物がいます。
彼は法律家で、国会議員、バンクーバー市長を務めました。

彼のカナダに対する貢献は私達の歴史にとって
もっとも偉大な一つです。
彼はカナダのお金の創造と管理を唯一行う
カナダ銀行の設立を擁護しました。
193473日の設立され、
すべてのカナダ人によって所有されていました

カナダ銀行のおかげで、1970年代まで、
政府が現在私達が持っている銀行制度を導入することを
決定するまで、カナダの借金は常に管理可能なレベルに
抑えられていました。
現在の銀行制度はカナダの人々から略奪するものです。
ではどのように略奪をしているのでしょうか?

今日の銀行制度はどうなっているか?

今日、民間銀行と政府がどのように機能しているかを
説明させてください。
まず最初に、カナダ政府はお金を民間銀行から借ります。
彼らは借金として複利の利子付きでカナダに貸すのです。
それから政府は驚異的に増大する財政赤字への利息の
支払いのために、カナダ人への毎年、課税額を増やし続けています。
その結果はインフレーションで、
カナダ人にとって私達の経済へ費やす本当のお金が減少し、
本当のお金は銀行のポケットに詰め込まれるのです。

同様に政府は貸付金の形で存在していないお金を
貸し出す能力を銀行に与えました。
銀行があなたに住宅ローンを提供するとき、
文字通り「死の誓約」、貸付という意味で、
銀行はあなたにお金を渡すわけではないのです。
彼らはコンピューターのキーをクリックして、
空気から、偽のお金を作り出すのです。
実際には彼らの金庫にはないのです。
現在、銀行は40億ドルの預金しか持っていませんが、
1.5兆ドル貸し付けているのです。

Graham Towers
さんを引用します。

「毎回必ず、銀行が貸付を行うたびに、
新しく預金されたお金として新しい信用が作り出される。
大まかに言えば、銀行からのすべての新しいお金は
貸付という形態である。貸付とは借金のことだから、
現在の制度では、すべてのお金は借金である。」

私は興味を持ったことに、マタイの福音書21があります。
キリストですら、寺院から両替商を追い払ったのです。
なぜなら、彼らは通貨を操作していて、
人々からお金を盗んでいたからです。

民間銀行はマタイの福音書21章の両替商のようなものです。
彼らはカナダの人々のお金、そして自由を横領し、
略奪しているのです。彼らを止める必要があります。

銀行制度はどのように機能するべきか?

悪名高いインタビューでMcGeer氏は Towers氏に尋ねました。
「なぜ、政府はお金を創造する権力を民間に手渡し、独占させ、
政府は自分でお金を創造できるのに、民間から利息付で借金をして、
国を倒産寸前まで追い込んだのですか?」

Towers
氏は答えました。
「もし、議会が銀行制度の運営形態の変更を望むのであれば、
それは明らかに政府の権限内で可能なことです」

言い換えれば、もしカナダ政府が国家のために、
お金を必要とするのであれば、彼らは直接カナダ銀行(中央銀行)
から借りることができるのです。
それから市民は公平な税金をカナダ銀行に返金するのです。
この税金のお金は私達の経済インフラへの投入として戻され、
最終的には借金はなくなります。
経済構造が借金によるお金ではなく、本物のお金が基本になるので、
カナダ市民は再び繁栄するでしょう。

ロイヤル銀行のような民間銀行によって所有されている
借金についてですが、私達がカナダ銀行(中央銀行)に借金分の
お金を印刷させて、彼らに渡します。
その後、カナダ銀行の借金を返済するのです。そうです。
私達は法的権利としてそうすることができます。

結論

結論として、私達は銀行制度と共謀した政府によって、
横領され、略奪されて続けていることは12歳カナダ人の私ですら、
痛ましいほど明らかなことです。
この犯罪を止めるには私達は何をすべきでしょうか?
次の世代が銀行家により奴隷にされる借金ベースの経済から
自由で開放されるために何をすべきでしょうか?

Margaret Mead
氏の引用です。みなさんにこれを思い出してほしいのです。

「小さなグループの人々が
世界を変えることができるということを
決して疑わないでください。
実際に、いままで常にそうだったのです。


引用終了




いかがでしたか?


私たちは世界を変えたいと
思っています。
しかし、実際は
自らのしがらみの中で
変化を怖れてもいます。


純真無垢な
ビクトリアさんには
怖れはありません。


もう嘘はつけないのです。
すべては明らかに
なっていきます。


一部の者たちが
考えた
一部の者たちだけが
富める現行のシステムは
終りを告げます。


「今日は残りの人生の最初の日」


過去は既に飛び去った鳥です。


今日 この一瞬から
変容できるのです。
私たちがその鍵を
握っているのです。


生かして頂いて
ありがとうございます。





2012年5月25日金曜日

緊急拡散!がれき搬入が意味するもの

私が
よくお邪魔するブログに
 「つむじ風」があります。
そこで取り上げられて
いた大きな問題です。

ご存知の
北九州試験償却の件です。

この問題については
私自身も
被災地の復興や
被災地の方々の
心情を考えたとき

私たち自身の
問題として
安全を充分に
確認した上で
各地域が相応に
受け入れるべきでは
ないかと 思っていました。

 しかし、
この「つむじ風」の 記事と
北九州での
現場での 映像を見て、

このまま、
この問題を放置して
日本中が汚染されたら
例外なく
被爆することになります。
 
拡散され
汚染された土地が
元に戻ることがないのは
チェルノブイリの周辺を
見ても明らかです。
教訓は生かさなければ
なりません。

だからこそ 絶対、
拡散しては ならないと
思いました。

少なくても事実を伝えて、
国民的議論を重ね
コンセンサスを得る
必要はあると思うのです。

事実を知らされないまま
感情論に左右されては
ならないと思います。

後で後悔しても
もう既に遅いのです。

 [つむじ風の」
記事を転載します。 
もしも
同じ考えを お持ちでしたら

この記事を友人や
大切な方々に
拡散して いただき
この事実を知って
頂きたいと思います。
お願いいたします。 

このブログの最後の
「つむじ風ブログ」のところを
クリックしてください。
記事と映像が
ご覧になれます。

ただし、この動画も
必ず消されると
いうことですので
早めにご覧になってください。


 下記転載

 2012-05-23
北九州市試験焼却、がれき搬入
(空間線量が10倍に)
線量計が、あっという間に
0.06 -> 0.61 に上昇!!
これは想定内の話・・・・。
これは既に東京搬入でも
同じ事があった!

これでも『放射能』瓦礫と
言わないのか??  

あれこれ言う
コメント氏も居るが、
掲載はしているが、相手にしない。  
見識不足の人間は
どこまでも見識不足だ。
瓦礫全国拡散は、
イクオール放射能全国拡散だ。
これに議論の余地はない。  

問題は、それを強行する意図だ。
それを知れば、驚くであろう。
何度も書いたので今回は触れない。  

瓦礫には放射能
(放射性物質=核種)によって、
染められている。
これは明らかな事実。
だから、運搬車が近づくと
放射線量が高まる。
当然のことだ。
除染等、不可能なのだ。
染まると言うことは
化学的反応、結合を意味する。  

その瓦礫を焼却すれば、
当然、プルームとして蒸散する。
そんなことは当たり前だ。
半分は焼却施設から
蒸散するであろう。

そして、周りを再染する。
残りは焼却灰と共に濃縮する。  
そして、
埋め立てられた灰からは、
雨水と共に
地中をじわじわと汚染する。  
こんな事も分からないのか? 

この動画必ず消されるから、
既に確保したが、拡散願う。

 「つむじ風ブログ

2012年4月22日日曜日

「耳の大きなおじいさん」


ある会合の席で
講師の方が紹介
してくれた
「耳の大きなおじいさん」
というお話があります。

このお話は
高木善之さんの本
『ありがとう』
(地球村出版)の中の

(P30からP33)に
書かれている一節です。

とてもすばらしいお話です。
共有してください。

『私が子どもの頃、
近所に
東(あずま)さんという
お宅があり、
そこにおじいさんがいました。

おじいさんは
いつも籐椅子で
揺られていました。
耳が大きく、
いつもニコニコして、
いつも半分寝ていました。

もとは父と同じ病院の
歯医者さんでしたが、
数年前に定年退職しましたので
六十五歳くらいです。
いまなら六十五歳は
高齢ではありませんが、

「村の船頭さん」の歌詞にも
「ことし六十のおじいさん」
とあるくらいですから、
当時は六十五といえば、
近所でもっとも高齢でした。

この
「耳の大きなおじいさん」は、
「悩み事、相談事をすると
とても楽になり、
解決が見つかる」
ということで評判で、
近所の人はもちろん、
遠くからも
人がやって来ました。

私は、
小さな子どもだったので
実際に
相談したわけでは
ありませんが、

人の話によると、
おじいさんは、
どんな話も
黙って聴くのだそうです。

相手が笑うと、
おじいさんも微笑んで
くれるのだそうです。

相手が泣くと、
おじいさんも
涙を流して
くれるのだそうです。

相手が黙り込むと、
おじいさんは
やさしい目で見つめて
黙って待って
くれるそうです。

そして、
相手が立ち上がると、
抱きしめて
くれるそうです。

そして玄関まで
送ってくれて、
相手が
見えなくなるまで
手を振って
くれるそうです。

相談に来た者は、
最後には
みんな涙を流して
「ありがとう!
ありがとう!」
と感謝して帰って
いくそうです。

「耳の大きなおじいさん」は
どんな悩み事も、
受け止めて
くれるのだそうです。

あとになって私は、
父親にこのことを聞くと、

「あのおじいさんはね、
耳が聞こえなかったんだよ」
と衝撃的なことを
話してくれました。

「えっ!どうして!
どうして
耳の聞こえない人が
相談を解決できたの?」
と聞くと、父は

「さあ、
わからないけれど・・・
きっと愛
だったんだろうね」
と言いました。

そして父は、
「ボケ(認知症)が
かなり進んでいた」
と付け加えました。

耳が聞こえない
おじいさん、
認知症の
おじいさん、
相手の話も聞こえない、
相手の話も理解できない
おじいさんが、
多くの人の
相談事や悩み事を
解決したということ。

そのおじいさんを
思い出すと、
いつも
ニコニコしている
笑顔が浮かんできます。

相談者は、

黙って
聴いてくれること、

うなずいてくれること、

共に
喜んでくれること、

共に
悲しんでくれること、

それを一番に
求めているのです。』

いかがでしたでしょうか?

私も昔で言えば
「おじいさん」と
呼ばれる歳になりました。

少し耳も
遠くなっています。
聞き返すことが
増えました。

また、少し
ボケてもきました。
単純な言葉が
中々出てきません。
よく忘れ物をします。

でもこのお話を読んで
それもいいかと
そして、
「この、
耳の大きなおじいさん
のような人に
なりたい!」
と思えてきました。

だんだんと
年を経てくれば
必要のないことは
聞かなくてもいいように
自然に耳も遠くなって
いくのでしょう。

取り越し苦労や
持ち越し苦労を
しないで
いいように
ボケてもいくのだと
思います。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日もひとりでも
多くの人のお話を
聞きたくなりました。

少なくとも
今日一日は
「口の大きなおじいさん」
ではなく、
自分の主張は引っ込めて

人の話に耳を傾けよう!
そして共に笑い
共に悲しみ
大きな愛で包んでみよう!
と思うのです。

この
「耳の大きなおじいさん」
のように

生かして頂いて
ありがとうございます。

2012年4月16日月曜日

『最後だとわかっていたなら』

昨日は女房の実家がある
鶴見(横浜市)に行き
女房の妹さんや
妹さんの長女
弟さんと
食事をし語らい
楽しい一日を
過ごしました。

今年は早々
ブログでも
書かせて戴きましたが
女房のもう一人の
弟さん(長男)が
肺がんと肝硬変で
突然逝去しました。

女房自身も
食道がんと
共に生きてきた
8年もの間
死や別れを意識
しなかったことは
なかったと思います。

そんな中
昨年は私たち
日本人、いや、
日本人だけでなく
世界中の人たちが

3,11に
未曾有の
大震災と津波が襲い

たくさんの方たちが
お亡くなりになり

愛する人たち
大切な人たちとの
強制的な?別れを
目の当たりに
しました。

昨日まではいや、
さっきまでは
普通の日常を
送っていたのに!?

「なぜ!?どうして!?」

当事者の方たちの
喪失感や後悔は
いかばかりかと
察せられます。

しかし、同時に
何よりも
かけがえのない人たち
大切な人たちへの
限りない愛の気持ちが
私たちにも
芽生えてきたのでは
ないでしょうか!

人と人との
“絆”(きずな)

限られた人生の中で
70億もの中から
会うことができた奇跡
“一期一会”という
言葉の持つ深い意味を

その中で
親子。兄弟、友人として
会いまみえることが
出来ている
かけがえのない
愛する人々

この大きな出来事は
今、私たちがやるべき
本当に大切なことは
一体何なのか?を
一人ひとりが思い直す
きっかけになったのも
事実であります。

今、会えるときに
会っておきたい。
会って、
私があなたを
愛していることを
伝えたい“

照れくさくて
今更言えないかも
知れないけれど
私流の愛を伝えたい!
素直にそのままを
伝えたい!

今。語らい合うことの
とても素晴らしく
充実した時間
そんな大切な時間を
確かに感じていきたい
そう思うのです。

ひとつの愛の詩が
あります。

それは
ノーマ・コーネット・
マレック(Norma Cornett Marek)
さんという
アメリカ人女性が書いた
「Tomorrow Never Comes」
という詩です。

これは、彼女が
亡くなった
我が子を偲んで
1989年に書いた
詩です。

2001年の9.11
ワールド・
トレーディング・センタ
爆破事件の後に
チェーンメールとして
世界中に送られ
多くの人に感動を
与えた作品です。

9.11の救命の時に
出動し
爆破現場で命を
落とされた消防士の方の
書かれたものとの
尾ひれがついて
噂話がまことしやかに
囁かれた作品としても
評判になったそうです。

日本でも
評判になり
佐川睦さんという方が
大変感銘を受け
この詩を翻訳して
くださり

邦題
「最後だとわかっていたなら」
というタイトルで
2007年に
サンクチュアリ出版で
出版されています。

作者の
ノーマ・コーネット・
マレックさんは
2004年に亡くなった
そうです。

しかし、
この詩が伝える
かけがえのない
愛の伝達の渦は
拡大し多くの人に
生きる力と
多くの感動を
与え続けると
思います。

それでは
共有してください。


『最後だとわかっていたなら』

あなたが
眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
もっとちゃんとカバーをかけて
神様に
その魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたが
ドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
あなたを抱きしめて 
キスをして
そして
またもう一度呼び寄せて 
抱きしめただろう

あなたが
喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは
言わなくても 
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と
わたしは 
伝えただろう

たしかに
いつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 
今日
どんなにあなたを愛しているか 
伝えたい

そして 
わたしたちは 
忘れないようにしたい

若い人にも 
年老いた人にも
明日は誰にも約束されて
いないのだということを
愛する人を
抱きしめられるのは
今日が
最後になるかもしれないことを

明日が
来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは
今日を後悔するだろうから

微笑みや 
抱擁や 
キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の
最後の願いとなってしまったことを
どうして 
してあげられなかったのかと

だから 
今日
あなたの大切な人たちを 
しっかりと抱きしめよう
そして 
その人を愛していること
いつでも 
いつまでも
大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や
「許してね」や
「ありがとう」や
「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば 
もし
明日が来ないとしても
あなたは
今日を後悔しないだろうから

【翻訳 佐川睦さん】

【原文 全文】
Tomorrow Never Comes
Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.


いかがでしたでしょうか!

『今日は残りの人生の最初の日』

「ごめんね」を
今、伝えましょう。

「許してね」を
今、伝えましょう。

「ありがとう」を
今、伝えましょう。

「気にしないで」を
今、伝えましょう。

確かな時間は
今しか
ないのだから。

そして、
「今」
『あなたを
愛しています 』と
伝えましょう!

生かしていただいて
ありがとうございます。