2011年6月22日水曜日

ホームレスの人たちとの出会い


昨日ふと、
思い出したことがあります。
10年ほど前のことです。
当時、
シルバー層の方たちの
健康や仕事をサポートする
目的を持って、
NPOを立ち上げました。



その後、
縁を持った方の中に
以前、ホームレス体験が
ある人がいました。

その人は、いわゆる
昔、
ヤクザと呼称される人でした。
若い頃、
過ちで人を殺め
網走刑務所に
長年服役していた人です。

裁判のとき
殺めた人の奥さんから
「お父さん(夫)を帰せ!!」と
言われた言葉が、
今も脳裏から離れないと
当時、言っていました。

しかし、
出所して戻ってきても、
服役中に知り合った
暴力団の組長と
兄弟の契りをしていたことと、
中々、
仕事につけないこともあって
再び、その組長を頼り、
ヤクザの道に戻っていきました。

人間には元々、
良心が備わっています。

彼は、
取り返しのつかないことを
してしまったことに対して、
毎夜、毎夜、
自責の念に責苛まれ、
眠れない毎日を
過ごしていたと言っていました。

結局、
眠れないがために、
そこから逃れるために
酒に溺れる。
そのうちに、
酒でもどうにもならず、
麻薬に
手を
のばすようになってきます。

シャブに浸り、
お決まりの
転落の人生が
はじまります。

シャブが切れると
不安と恐怖が襲ってきて、
そこから逃れたいために
一時の慰めと
高揚感を得たいがために
益々、
嵌まっていくようになります。

その後も、
依存し続け、
自分を見失い、
暴力事件を何回も起こし、
刑務所に戻されました。
私が知り合った頃は、
出所して、数週間かした頃、
ある病院で知り合いました。

私も、
たまたま
その病院に
入院していました。

彼は、
C型肝炎に
侵されていること、
毎日、
インターフェロンを
打っていて
精神的に落ち込むし、
疲れるということを
話してくれました。

ヤクザという職業の人たちに
大変、多い病気です。

彼も、
ご他聞にもれず、
全身刺青を
彫っています。
刺青・酒・シャブ
(だけでなく注射針の廻し打ちで、
うつるケースも多いのです)は
C型肝炎だけでなく、
肝炎に
ならない方が
おかしいぐらい、
肝臓を虐めてます。

私が、
病院に入院していた
3週間あまり、
病気のことだけではなく、
過去のことや
今の心境のこと
今後のことなどを
話して
聞かせてくれました。

その後、彼は退院して、
私を尋ねてきました。

彼を
立ち直らせる
意味もあって、

当時、
初心者向けの
パソコン教室も
やっていましたので、
彼に、
パソコンを
勉強させました。
と同時に、
生活保護の手続きを
役所に
相談しに一緒に行きました。

重病でもあるので、
割と早く
受給できるようになりました。

アパートを借り、
生活用具も揃え、
後は、
あまり無理をしないでも
できる仕事を
探せばいい体制を
共につくっていきました。

その頃、
彼が出所後、
病院に入るまで
ホームレスを
していたことを
聞いていたのと。
又、
以前にも何回も
経験があることを
聞いていました。。

それで、私は
最初に記述したとおり
NPOを立ち上げていて、
特に
シルバー層の
ホームレスの人たちの
生活状況や
健康状態等を知りたいと
思っていた時でした。

彼に頼んで、
紹介をしてもらいました。
三日間、
ホームレスの人たちの
貴重な生の声を
聞かせていただく
ことができました。
彼も一緒に
付き合ってくれました。

或るホームレス氏がいました。
その人は
当時60代前半くらいでしょう。
背広を着ていて、
きれいに洗濯された
真っ白なワイシャツが
とても印象的でした。
眼鏡をかけていられて、
髪も、オールバックで
ブラシで整えていますし。
身なりがきちんとしていました。
とてもホームレスに見えません。

その方に、
話を聞くことができました。
その方は、
宇都宮で何かの工場を
経営していたとのことです。

取引先の
思いがけない倒産の
憂き目に遭い、
資金繰りに
困窮していたそうです。

当然、
近くの親・兄弟、
親類縁者に
お金を借りては凌ぎ
また、お金を借りては
凌ぎを重ねていました。
しかし、
その繰り返しも
限界がきました。
結局、
筋の良くない金融に
借りるように
なってしまったそうです。

何回も
強引な取り立てをされ、
恐怖に慄いていました。
もう、
明日にでも、
どうにかしないと、
命を取られるかもしれない、
ぎりぎりのところに
追い詰められたそうです。

それで奥さんと子どもたち
(二人いると言っていました)に、
話して
「お父さんの知り合いで、
静岡に資産家の親友がいるから、
今からその人のところに行って、
必ずお金を用立ててくる。
必ず連絡は入れるから、待っててくれ!」
と言い残して、

最後に残っていた
時計を質屋に入れて
何万円か作って
静岡に行ったとのことです。

静岡に着いて、
その友人に会い、
借金を申し込んだが
ケンもホロロ、
断られたそうです。

すべての望みは消え、
絶望感で
胸が
押しつぶされそうだったと、
表現していました。

「いっそ、
電車に飛び込もう!」と思い、
「いやっ!」と思い留まりを
繰り返しながら、
持ってきたお金がなくなるまで、
電車を乗り継いで
着いた駅が、この駅でした。
そこからとぼとぼ歩き、
気がついたら、この公園の
このベンチに座っていたのだと
座っているベンチに視線を移し、
仰っていました。

そのベンチの上に
その方の涙が数滴落ち
ベンチを濡らしたのを
今も、強烈に覚えています。

それから、5年間、
この公園で
生活をしているという話でした。

「女房や子供たちには、本当に申し訳ないことをしました。その後、どうなっているか?多分、大変な人生を送らせてしまったと思います。」

「帰りたいと思いませんか?」

「それは思います。しかし、今更、私が現れても却って迷惑をかけてしまうと思うのです。子供たちも成人しているし、自分たちの生活もあるでしょうし、何せ、どんな理由があるにせよ、私の勝手で放棄したのですからね。」
とため息をつきました。

さらに続けて、話してくれました。
「私は一着しかない背広とワイシャツと下着は、毎日きれいにしています。公園には水道がありますし、体だって洗えるし、背広は毎日、この拾ってきたブラシで汚れを落としています。あとは、粉石けんだけは、買って洗濯をしています。その樹木と樹木の間に紐を結び干しています。」と言った後、家族に対する気持ちを、こんな風に語ってくれました。

「いつ、どんな形で私を知っている人が私を見かけないとも限りません。もし、女房や子供たちに風の便りで耳に入ったとき、みすぼらしい、惨めな姿だけは、耳に入れて欲しくはありません。放棄しただけでも、大変なことなのに、ましてや、今に至っても、家族の心を痛めることはできません。」


それは、
10年前の夏の暑い日でした。
私は、
前述の方を含めて、
また、同行してくれた彼を含めて、
その公園の主の当時70代の
ベテランホームレス氏、
30代、そして40代の
ホームレス氏と、
違う世代の方たちの話を聞き、
過ごすことができました。

夜に差しかかって、
暗くなりかけた
7時頃だったでしょう。

ベテランホームレス氏が
「社長、
今、飯の支度をしにいっていますから、
ちょっと待ってください。
腹減ったでしょう。
飯でも食いましょう。
今日は社長が来てくれたんで、
特別メニューを誂えています、」

ものの10分もしない頃、
二人の(30代、40代)ホームレス氏が
ビニール袋に何袋も、
何かいっぱい詰めたものを
抱えて帰ってきました。

ビニールを敷き始め、
その袋の中のものを取り出し
紙パックの器に
器用に盛り始めました。

大変なご馳走です。
から揚げやエビフライ、
サラダから煮物、
おつまみになる食材までも
どんどん出てくるのです。
きちんと、袋ごとに分けています。
生野菜の袋
煮物の袋
揚げ物の袋
スープはスープ入れの容器に
お箸も、
スプーンも
フォークも
調味料は彼らの家(といってもダンボールですが)
に備え付けてあります。

思わず、
「これ、どうしたの!」と聞きました。

食材担当は、
「ええ、すべてルートがあるんですよ!廻りきれないぐらい、和食・洋食それもフランス料理からイタリア料理、コンビニに至るまで、何でもありますよ!社長が来てくれたんで、今日は高級店の料理ばかりです。客に出した後の残り物を貰ってくるんです。
いえ、いえ、汚いものじゃあないですよ!ソースがついてたり、マヨネーズがついてたりしたものは、捨ててきます。まったく、(客が)箸をつけてないものも、たくさんあるんです。これは、コンビ二から貰ってきたもんです。この周辺で、5、6軒のコンビニの店長とは入魂にしていますので!」

「後は、酒ですね!私たちは残ビー(残ったビールを少しづつ集め、一本の壜をいっぱいにし、手作りの閉め金具の様なもので蓋を閉めた物)で、いいんですけど、社長はそういう訳にはいかないでしょう!酒は買ってきてください!」
と言うことで、
豪華絢爛な
楽しい宴会をやりました。
歌が飛びっきり上手い30代ホームレス氏
プロ顔負け
落語が好きな70代ベテランホームレス氏
その間もビールを注いでくれたり、
ごみを整理したり、
ハエや蚊を団扇で追い払ってくれたり、
その団扇で風を送ってくれたり
マメにてきぱきと立ち回る40代ホームレス氏
寡黙だけど、その様子を楽しみながら
微笑を返す60代の宇都宮の紳士。

みんな、、
このまま、一般社会でも
立派に通じる人たちばかり、

しかし、そうはならない
複雑に絡み合って
ほどけない糸のような
それぞれの人生の妙味。

それそれが持つ
その場でできる最高のものを
もてなす心が醸成する。

今まで経験した
どんな宴会よりも
感動したのを思い出します。

今、震災があって、
サバイバルといったことも
話題になっていますが、
ホームレスの人たちの、
サバイバル能力は、
すばらいしいものがあります。
私たちより、
豊かさを
享受しているかもしれません。

ここで、私が聞いた、
ホームレスの人たちの
生活ぶりを少し紹介します。

彼らの朝は早いです。
夏は4時か5時には活動します。
彼らの仕事は
空き缶や新聞・雑誌・ダンボールを
拾って業者に持ち込み、
売って収入を得ます。

これも、
担当地区はありますが、
何人かが
バッティングするので
早く仕事に行き、
集めてこなくてはなりません。

でも、すばらしいのは
自分が
今日必要とする生活費以上の
収入は得ようとしないので、
目標の仕事をしたら、
情報つきで
他の人に譲ります。

それと、
大きなイベント等がある場合、
お金を渡されて、
何時間も並んで、チケットを買って、
その手数料をもらい収入を得ます。

これは、違法です。
ヤクザ組織がダフ行為
(買ったチケットを高く転売する)
をする目的の一翼を担います。

あとは、
建築現場や
土木事業や
船舶の荷積みや荷卸等沖仲仕等の
その日だけ人手が不足した時だけ
(特に肉体労働)
仕事にありついて収入を得ます。

山谷地区や
愛燐地区や
川崎の富士見町(通称原っぱ)等の
決まった場所に

働き手を得るため(求人側)、
また、
働く場所を求めて(求職側)
集まってきます。

求人側は
荷台のあるトラックで来て、
一日いくらでこんな仕事と発表すると、
われ先ととばかりに、
その車の荷台に乗り込みます。
求人定員に達し次第打ち切り、
競争力が高く、
あぶれるケースも多いのです。

ホームレスの方は、
宇都宮の方もそうですが、
いろいろな理由で
ホームレスになっています。

中には、
ほんとうに
怠惰なだけという人もいますが、
わたしが出会った
ホームレスの人たちは、
それぞれに事情があり、
ここに来るに至っています。

家がないということは、
上記のように
収入を得ることは、
限定されてくるので
容易ではありません。

だから、
特に都会で駅から
10分~15分以内の
優良物件・一等地を選んでいます。
そこは、
何でもある場所です。
或るホームレス氏が
「東京の街は、世界一豊かな場所ですよ!」
と、言ってたのも、思い出します。

収入が少なくても、
住むのに不自由がありません。
家賃はありませんし、
前述のように、
食事には困りません。
病気にならないように、
梅雨から夏場は
生ものは一切食べません。

そういうことさえ、
注意を払っていれば、
3月から10月くらいまでは
公園で新聞紙やダンボールを駆使して、
快適に過ごせるようです。

問題は11月から2月までの
4ヶ月間の過ごし方です。
毛布や布団、
湯たんぽやストーブで
暖をとる必要が出てきます。

しかし、都会にいれば、
粗大ごみなどで、
捨ててあるので、
いくらでも集まるそうです。
彼らは、器用ですから
壊れた物でも
修理して使います。

その公園にいた人は、
テントを張り、
発電機も持っていて、
テレビや
パソコン、
冷蔵庫・洗濯機を持ち、
湯沸し器でお湯を沸かし、
炊飯器でご飯を炊き
電気コンロで
自炊をしていました。
オール電化です。
全部、拾ってきたものか
貰ったものです。

最悪は、
雨や雪の日だそうです。
そのために何ヶ所か駅の構内や
他の凌げる場所を
押さえているんだそうです。
いずれにしても、
好立地だと、
どこかは探せるんだそうです。

私は、
夏場の公園で2泊しました。
ベンチに毛布を敷き、寝ました。
しかし、やわな私は
蚊にはまいりました。
蚊にあちらこちら血を吸われて、
かゆいのかゆくないの(かゆいんですが)
とても、眠れませんでした。

ところが、
他のホームレスの人たちを見ますと、
すやすや眠っています。
彼らも、蚊に喰われているとは
思うんですけど、
何ともないように寝ています。
免疫があるんですかねえ?

最後の日にも、
またまた、勉強になりました。
30代と40代のホームレス氏が、
どこからか、
靴を20足程もって来ました。

新品です。
価格の札やら
いろいろな札が
ついたままです。

「この靴、どうしたの?」

「拾ってきたんです。或る靴屋が定期的に廃棄するんです。」

「こんな、新品でデザインのいいものを捨てちゃうの?どうして?」

「良く、見てください。この種類は左と左でこの種類は右と右でチンバなんです。だから、似たデザインと同じ色や寸法を併せて履くんです。
一流品だから、履きやすいですよ。社長、足の寸法はいくつですか?」
と聞かれました。

確かに、
同じものは
左・左、右・右だけです。
思わず、笑ってしまいました。

そして、「26」と言いました。

「26ですか?こちらは、26で左がある。あっ!同じデザインのがあった!あっ!違う右は25,5だ!でも、これ履けませんか?履いてみてください。」
と言ってくれたので、
折角だから履いてみました。

やはり、
少し右のほうはきつめなのですが、
履けないことはありません、
「履けるわ!かっこいいね!」
「そうですか(笑い)、社長、よければ、それ貰ってください!」

その靴は、
つい4年くらい前まで、
ちゃんと
履かせていただいていました。
やはり、
いい品物は、
長持ちしますね!

いろいろ、
書きましたが
本当はまだまだ、
いろいろな話はあるのです。
彼らを語るのに
こんな限られた時間では
表現し切れません。
また、次の機会に
書くこともあると思います。

その後、
彼ら、
ホームレスの人たちが
どうされているか、
知らないのですが、

自らが設計した
設計図に沿って
自らの人生の問題集を
一生懸命になって
解き続けていると思います。

彼らの、
無事と
幸多からんことを
祈らずにはいられません。

すばらしい体験を思い出し

今更ながら、
その体験をさせていただいた方々に
感謝を申し上げたいと思います。、
本当に、ありがとうございました。

2011年6月21日火曜日

自分に厳しく、人には寛容な心を

私たち人間は、
概して、人には厳しく、
自らには甘い傾向に
ありがちなのでは
ないでしょうか?

人の欠点ばかりが、
よく見えて、
自らの欠点は
見つめようともしない。

自分の畑は
草が生え放題なのに、
人の畑は
「あなたの畑は
草がぼうぼうですね!」と。
指摘しています。

自分の心を見つめ、
雑草を
マメに刈り取り、
心を正し、
綺麗にして初めて、
人の汚い心も
綺麗にする
ことができるのです。

自らに厳しく、
人には
寛容な心が大切です.

自らを
厳しくすることが
自己成長に繋がります。
自らの心は
自分自身にしか
清めることは
できないのです。

基本的には
人の
欠点を直そうと
思うより

自らの欠点を
修正することの
ほうが簡単です。

それは、
自分自身だからです。

自分が変われば
変えようなんて
思わなくても
人は
変わっていくものです。

たとえ、
人が
変わらなくても、
自分の心を正し
きれいになった分
得したと
思いませんか?

「自分を
愛してください!」
と、言いました。
自分を
愛するということは、
自分に
厳しくあると
同義です。

自らの
正しい心
やさしい心
慈しみの心
思いやりの心
美しい心

それらの
神の性質を
耕すことに
関しては
厳然として
妥協しないことこそ

自分を
愛する
ことだからです。

自分に厳しく
人に
寛容で
あってください。

その人に対する
寛容さこそ
自分を
愛することにも
繋がっていきます。

自他は一体であり、
人と自分は
別のものでは
ありません。

人を通して
現れるものは
自らを
映す鏡です。

人を通して
自分の
課題のヒントを
与えてくれて
いるのです。

人を通して
現れることが
例え
嫌なことでも、

人を通して
現れるところの
天使のような心も

その時の、
自らの心に
反映して
起こるのです。

今の自分を知るには
自分以外の
周囲の人たちとの
関係性を見れば
自ずと
知ることができます。

その人たちが
明るく
調和して
光り輝いて
いるでしょうか?

それとも、
暗く、
不調和で
不満の心で
いるでしょうか?

一目瞭然です。

今日から
自分を
愛してください。

自分を
愛するということは
今までの自分を
許すということです。

今までの
自分の嫌な部分を
許すということです。

そして
今日から
自分に厳しく
あってください。
人に
寛容で
あってください。

自らの神性をこそ
磨いていきましょう。

この道こそ
正しき道です。
神に至る近道なのです。

あいがとうございます。

2011年6月20日月曜日

「時間」という概念

皆さんは、
最近、
時間が速く過ぎていく
感じを受けたことが
ありませんか?

時間の加速は
事実起こっているのです。

十数年前
ピーター・ラッセルさんの
「ホワイトホール・イン・タイム」
という、本を読みました。
この本は、
ラッセルさんの
個人的な体験を
織り交ぜながら、
哲学や宗教
心理学や物理学、生物学の
豊富な知識で
進化の意味と
人間の未来について
現代科学の世界観に基づいて
書いています。
おなじみの
山川鉱矢さん、
亜希子さんご夫婦の翻訳で、
400ページ近い本ですが
読みやすく、
一気に
読ましていただいた本です。

少し、引用します。
一章の1に
“生活の加速化現象”という
項目があります。
『すでに、ほとんどの人が気がついているとおもいますが、
物事の変化の仕方はほとんど速度を増しています。
以前は何世紀もかけて、やっと世界中に伝えられた新技術が、
今では数年の内に世界全体に行きわたります。
昔だったら何十年もかかった複雑な計算も、今では二、三分
でできてしまいます。
昔は何ヶ月もかかった通信が、今ではほんの数秒という速さ
で可能となりました、あらゆる分野で、進歩のプロセスは、
どんどん速くなってきています。
その結果、私たちの大多数は、あわただしい生活を送り、中
にはまるで駆り立てられているような人生を送っている人々
もいます。吸収しなければならない情報の量も、学ばなけれ
ばならない技術の量も、やらなくてはならない仕事の量も、
どんどん増えています。
そのくせ、これらすべてを行うための時間は、ますます少な
くなっています。(中略)
そして、周囲の変化が速まってゆくに従って、私たちは将来
に対する楽観的な見方を変えざるを得なくなってきています。
今では、一年先のことはおろか、六ヶ月先のことでさえ、確
信を持って予測することはできません。(後略)』
一章の7
“今日―明日への跳躍台”
『これらのすべては進化という観点からすると、実質的には
一瞬のうちに起こりました。私たちは何十億年という時間の
単位から、ほんの十数年という単位にまで、どんどん間隔の
狭まりつつある、らせん状の発展の産物なのです。』

つまり、
ラッセルさんの言うことは、
時計を見れば、
1日は24時間です。
しかし、
同じ時間に起こる現象が、
加速度的に
増えているということは、
実際の時間は
スピードアップ
されているということです。

実際に、
計算してみると
今は1日が
16時間程なんだそうです。
時間は、
早くなっていたのです。

そして、
もう一人
「時間」について
タイムウエーブ・ゼロ理論
という理論を提唱した
テレス・マッケンナさんも
同様なことを
言っています。

簡便に言いますと、
『時間は
どんどん加速していて、
渦巻き状に
フラクタル構造を作っている。
さらに、
相似のパターンが
いくつも集まってきて、
時間の渦ができていて、
加速が渦巻きの中心に達し、
時間がゼロになる』
という、理論です。

丁度、
お風呂の栓を抜くとき
水が
ゆっくりと、らせん状に
排水口の方に
流れていきます。
排水口に
近づくにつれて
水が
らせん状に流れる
スピードが速まり
渦巻きは排水口の
中心に達し
水は無くなり
ゼロになります。
こんな、感じですね。

マッケンナさんは
さらに、
加速が渦巻きの中心に達し、
時間がゼロになる日を
計算して特定しました。
その日は、
2012年12月22日と
言いました。

マヤ文明や
古代文明の預言書
などと重なり
いろいろな議論を
呼んでいますが、
特に、
マヤ文明において
使われていた暦の1つ
長期暦が、
2012年12月21日から
12月23日頃に
終わっていることから、
注目されました。

二人の理論は
大変興味深いもので、
2012年12月22日前後に
何が起きるのか?
大変、楽しみにしています。

本質の世界
無限の世界
永遠性の観点からの
時間という概念は、
どうでしょうか。

こちらの世界の
直線的な時間感覚では
ありません、

ただ、
存り続ける
ということになります、
それは、
あらゆる万物の存在と
ひとつになる感覚です。

時間とは、
肉体という
物質的な次元でのみ
必要な構成要素として

私たちの進化のために、
学びのために

教育的な要素として、
存在しています。

それは、
物質的波動の中で、

敢えて、
二元的な
体験をするためには
時間は必要になります。

その中で、
美しいものと
醜いものや
慈愛と
憎しみや
光や
闇を経験し

美しいものや
慈しみや愛や光に
フォーカスし、
際立たせる
プロセスを踏みます。

それは、
進化のプロセスです。

そして、
今、この瞬間に
自らが
はるかに美しく
はるかに光り輝く
はるかに智慧ある
存在へとなっていくのです。

私たちが
物質的な肉体を
解き放ち
美しく
光り輝く
智慧者として
存在するならば、
もはや時間は
必要ではありません。

この世界に居ながら
ただ、
在り続けるという
永遠の至福の中に
満たされていくことでしょう。

2011年6月19日日曜日

潜在意識で観る

私たちの意識には
「顕在意識」と
「潜在意識」がある。

願望実現や
成功法則などの分野で、
一度や、二度は
聞いたことがあると
思います。

特に
「潜在意識」
という言葉を
世に知らしめたのは、
心理学者の
フロイトさんです。

私たちには
ジョセフ・マーフィーさんの
書籍の方が
なじみがあるのでは
ないでしょうか。
潜在意識を活用した
成功法則
「眠りながら巨富を得る」は
大ベストセラーになりました。
読んだ方も
多いのではないでしょうか。

フロイトさんの
理論にさらに
ユングさんが
理論を進め
解説しました。

その説明とは
人間の意識を氷山に例え

普段、
私たちが
意識している
顕在意識は
海の上に
顔を出している
部分にしかすぎない。

そして
海中に
沈んでいる部分、
つまり
意識の大部分が
潜在意識(無意識)によって
構成されていると
言いました。

さらに、
ユングさんは
潜在意識(無意識)は、
個人的な経験から
構成された
個人的無意識と

さらに
潜在意識の
奥深くに広がる
個人の経験の
領域を超えた
すべてに共通の
無意識領域がある。

そのことを
集合的無意識と
称しました。

仏教では
視覚、
聴覚、
嗅覚、
味覚、
触覚という
肉体感覚から受ける
意識と

末那識(まなしき)、
阿頼耶識(あらやしき)という
深層意識層を
説いています。

その
五感から受ける、
肉体感覚から
感じる、
外からの情報で働く、
意識のことを
顕在意識といい、

内なる意識
末那識・阿頼耶識の
深層意識層を
潜在意識と言います。

突き詰めれば
顕在意識と
潜在意識は
外と内の関係にあり、
本来は一体で
繋がっています。
離れることはできません。

顕在意識は
自我意識であり
潜在意識は
神我意識です。

この潜在意識は
宇宙意識そのものであり、
全知全能の情報源と
コンタクトできる
意識です。

ユングさんは
おそらく
そのことを
集合的無意識と
言ったと感じます。

私たちの多くは
この意識の
90%以上を占める
潜在意識を
忘れてしまい、
ほとんどの
時間と空間を
表面の意識
所謂、
顕在意識のままで
過ごしていきます。

外なるものと
内なるものは
一体であります。

潜在意識をもっと
働かせる必要が
あります。

一体になれば
そこに顕現されるのは
愛と光に包まれた
大調和のみです。

“人を愛す”
と言うこと、
ひとつをとっても

顕在意識は
肉体という
フィールターを通した
自我意識からなので、
五感を通しての顕れを
捉えるに過ぎません。

あの人は背が高く
ハンサムだから
大好き。
あの女性は、
ファッションセンスが
僕と合うし、
それに美人だから
好きです。
という、
限定的な意識です。

潜在意識下での
“人を愛す”は、
自他一体なのです。

潜在意識は
他人と自分の
区別がありません。
無差別
無所得の愛です。
すべてはひとつ、
人の幸せは
自分の幸せなのです。

顕在意識は
自分と他人とは
別と考えますから、
そこに
分離感が生じ、
不信感や憎悪から、
トラブルへと
発展していく
元になります

おのずと、
人に制限を
加える世界に
なっていきます。。

そのまま
放置していくと
顕在意識が
優位のままに
これからも
暗い世界を
表現することに
なっていきます。
それを、
暗示といいます。

顕在意識は
暗示となり、
潜在意識は
啓示となります。

啓示即ち
インスピレーションです。
それは
本源なる神からの
知恵であり、
偉大なる
プレゼントです。

お釈迦さまも
『外を見るなかれ、
内をこそ観よ』
と語られています。
それは、
『顕在意識で
見てはならない。
潜在意識で観る
ことによってのみ、
仏の智慧を
得ることができるのだ』
と、言っているのです。

私たちは
顕在意識を
遮断し
潜在意識を
働かせることによって
本来、既に在る
無限なる本質からの
ひらめきを
聞ける自分を
取り戻せるのです。

2011年6月18日土曜日

“我は生命なり”

イエスさまは
”我は生命なり”
と言いました。

私たちは
生命によって
生かされています。

自分の顔や肉体を見て
自分であると
思っていますが、

イエスさまは
“我は肉体なり”
とは、言いませんでした。


聖書には
”肉体は
宇宙の塵で創られた”
とも、書かれています。

宇宙の塵とは
何でしょう?

塵とは
質量のことです。
つまり“水”です。
肉体は“水”で
創られたのです。
母親の胎内の“水”
羊水で創られます。
しかし、
肉体そのものでは
生きている
わけでは
ありません。

その肉体を
生かしめているのが、
生命なのです。

生命は
エネルギーですから
生命エネルギーと
言い換えても
いいでしょう。

宇宙のすべてを
生かしている
大生命です。
宇宙エネルギーです。

宇宙エネルギーは
愛であり、
智慧であり、
光です。
光エネルギーです。

肉体には
老・病・死が
ありますが、
光エネルギーは
永遠です。
永久エネルギー
無限エネルギー
ともいいます。

この
無限エネルギーは
全てに
存在しています。
全てに
宿っています。

無限エネルギーは
二つとない
唯、一つの生命、
唯一不二の生命です。

その一なる生命
一なる本源が
宇宙に遍満し
私たちにも
存在しています。

それが
イエスさまが言った、
“我は肉体にあらず、
我は生命なり“
なのです。

肉体は物質であり、
生命によって
生かされています。

私たちが
言うところの
“死”
肉体の死によって
生命は
中断されることは
ありません。

永遠に
存在しています。
私たちの生命は
確かな
リアリティーを持って
生き続けていきます。

これは、
真理です。
真実です。
信じてください。
真実の“我”は生命です。
真実の自分を
失ってはなりません。

いつまでも
“我”は
肉体なりで、
生きているからこそ

死の我に生きて
死の恐怖に
怯えています

肉体という
小さな枠に
閉じこもっているから、
小さな我の
つまらない悩みが
尽きないのです。


“我は生命なり”
生命は
全知全能の神です。
それを
受け止め
それを
認めさえすれば、

私たちは
永遠に生きる
ものとなるのです。

2011年6月17日金曜日

自殺についての質問

ある知り合いの方から、
こんな質問メールが届きました。
長文ですので、
質問内容の部分に限って、
転載いたします。

Q『自殺について、
自らが設計した設計図を
中途で破棄した場合は、
起こった問題を
クリアしていないので、
来世にまた同じ問題を、
繰り返しやり直すと、
書いていましたが、
普通に死んだ場合でも、
必ずしも
自らの問題集を解いて
帰れると
いうことではないので、
絶望感や不安感を
持ってまま死んだとすると、
やり直さなければ、
ならないのでしょうか?
また、そうだとすると、
自殺しても、
別に変わらないのでは
ないでしょうか?』
という、質問です。
それに対して、
『明日のブログに投稿します。
と返事をしました。』


A:大きな違いがあると思います。
まず、
自殺は
人生設計を
自らの意思で
放棄しました。
別の言い方で
言いますと、
人が
学校をやめるのを
選択したときは
その時、
学ぶことが
できなかったことを、
学び直す
必要があります。

人生における問題集は、
自らの魂にとって
成長のためですから
今までの
輪廻の過程も
関係してきます。

誰だって
そうだと思いますが、
過去の輪廻で
経験して
学びきった問題は、
成長のためには、
磨きにはなりませんよね。
だから、
チャレンジの
し甲斐がありません。

また、
小学生が一気に
高校生の勉強をしても、
難しすぎて、
とても
解くことは
できないでしょう。

私たちひとりひとりが、
少し難しい
ほどほどの問題を
選択します。

その際に、
この世の学校と同様に
進路指導の先生がいて、
環境や性別
両親や家族
肉体的能力
精神的能力
感情的能力
などの要素を
選択するための
相談に乗っています。

綿密に
人生計画が練られ
本人と神との約束が
交わされます。

そして、
この世に
創造主の
表現者として
降りてきます。

自殺は、
神並びに、
神の代理人である
指導者の先生も、
また、
何回も
要素を変えながら
共に進化を
し続けている
他の魂の兄弟たちとの
約束を
破ることになります。

さらに、
今回の生において
関係性を
持っている人たちに
対しての設計図も
微妙に
変更を
余儀なくされてきます。

自殺した方との問題性は
変わらざるを
得なくなります。

勿論、
自殺した方は
この世での
絶望感や
残した家族や
周囲の方たちへの
罪悪感、
今後、
どうしていくのかという
不安感
心配感を強く持って、
逝くことになります。

あの世に帰って、
暫くすると、
すべての真実を
思い出します。

魂としての自分は、
肉体がない分、
精妙ですから
自責の念も
何倍も何十倍にも
なってしまいます。

よく、
天国と地獄といいますが、
あの世に、
天国と地獄が
あるのではありません。
創造主である神は、
罰することはありません。
神は
無限であり
普遍の本源です。
永遠の愛しか与えません。

自らの魂が
苛むのです。
自らの魂が
暗闇を
創っていきます。

そういった魂たちが
ひとつの層を
創っている領域を
地獄と
言っているに
過ぎません。

しかし、
それも
永遠性の
観点からは
制限はありません。

自らの、
クリア
できなかった点を
チェックし
自らの
傾向性の
問題点を知り
多くの価値ある
学びをし、
「今度は、
失敗しないぞ!」
と、決意し
次の機会を
待っています。

人生の
設計図に沿って
問題集に
挑戦し
生を
全うすることは
真理を知り
神の
表現者としての
自覚を得るための
完璧な計画に
参加し続けた
ということです。

魂の成長のためには
とても、
大きく飛躍する
機会を得ているのです。
わざわざ、
肉体という
付加を与えて
鍛えている
磨いているのです。

乗り切れない計画を
立ててきたわけでは
ありません。
絶対に
クリア
することができます。
いつでも
神が潜在する部屋を
ノックして
話しかけてください。
あなたの内に在る
神が微笑みながら
やさしく
応えてくださるでしょう。
あなたの潜在意識が
息を吹き返す時です。

2011年6月16日木曜日

原因をこそ辿る

私たちが
今、この瞬間
存在していること
生きていること

それは
結果であり
結果には
必ず
原因があります。

それでは、
その原因なるもの
元になるものとは
何でしょう。

それが神であり
霊であり
生命エネルギーです。

霊あるゆえに
この色(しき)の世界が
存在します。

この見える世界は
霊がなくては
一切存在できません。
色心不二です。

私たちが
生きていると
書きましたが
正確には
その霊に
生かされている
というのが
真実です。

しかし、
この色(しき)の世界
この見える世界は
慣れてくると
ここが、
私たちが生きる
場所
住めば都で
住みやすく
なってきます。

そのうちに
結果だけに生き、
その原因で
あるところの
神霊
生命エネルギーを
見失っていきます。

この結果だけが
すべてだと
思い込んでいきます。

私も
そうです。

未熟で無知な魂で、
この世こそ
すべてであると
思っていました。

この見える世界を
絶対視し
貪るように
金銭や物質を
かき集めていました。

集めれば
集めるほど
もっと欲しくなる
この世のすべてが
お金で買える
人の心までもがと
際限を
なくしていきます。

大ばか者です。

この世は
無常です。
常なき物に
しがみついて
必死に、

人を傷つけようが、
手段も選ばず、
何をしょうが、
この世の物を
かき集めようとする。

無常の物、
永遠でないものを
かき集めようとする。

どんなに、
かき集めようとも
この世を去るとき
一生懸命になって
集めた
地位や
名誉や
財産は
持ち帰ることは
できません。

とろう!
とろう!の人生は
徒労に終わります。

この世は
結果の世界です。

目の前に
現れている
どんな現象も
幻想に過ぎないものです。

形あるものは
悉く
いずれは、
無くなっていきます。
有限です。
仮の相(すがた)です。

実相は神霊です。
無限です。
決して、
喪うことはありません。

この世は無常です。
見える結果だけに
生きることは
錯覚でしかありません。

その
本質である原因
無限の拡がりを
見出すのです。

何も
恐れることは
ありません。
何も
不安を持つことは
ありません。
恐怖も不安も
有限です。
実体はないのです。
実体のないものに
惑わされては
いけません。

真理を
思い出すことです。
自らの内にある
神性を
感じることです。

私たちは
普遍なる
永遠の生命をもつ
無限なる本源の
一なるものの
紐に繋がる
偉大な魂なのです。