2011年6月22日水曜日

ホームレスの人たちとの出会い


昨日ふと、
思い出したことがあります。
10年ほど前のことです。
当時、
シルバー層の方たちの
健康や仕事をサポートする
目的を持って、
NPOを立ち上げました。



その後、
縁を持った方の中に
以前、ホームレス体験が
ある人がいました。

その人は、いわゆる
昔、
ヤクザと呼称される人でした。
若い頃、
過ちで人を殺め
網走刑務所に
長年服役していた人です。

裁判のとき
殺めた人の奥さんから
「お父さん(夫)を帰せ!!」と
言われた言葉が、
今も脳裏から離れないと
当時、言っていました。

しかし、
出所して戻ってきても、
服役中に知り合った
暴力団の組長と
兄弟の契りをしていたことと、
中々、
仕事につけないこともあって
再び、その組長を頼り、
ヤクザの道に戻っていきました。

人間には元々、
良心が備わっています。

彼は、
取り返しのつかないことを
してしまったことに対して、
毎夜、毎夜、
自責の念に責苛まれ、
眠れない毎日を
過ごしていたと言っていました。

結局、
眠れないがために、
そこから逃れるために
酒に溺れる。
そのうちに、
酒でもどうにもならず、
麻薬に
手を
のばすようになってきます。

シャブに浸り、
お決まりの
転落の人生が
はじまります。

シャブが切れると
不安と恐怖が襲ってきて、
そこから逃れたいために
一時の慰めと
高揚感を得たいがために
益々、
嵌まっていくようになります。

その後も、
依存し続け、
自分を見失い、
暴力事件を何回も起こし、
刑務所に戻されました。
私が知り合った頃は、
出所して、数週間かした頃、
ある病院で知り合いました。

私も、
たまたま
その病院に
入院していました。

彼は、
C型肝炎に
侵されていること、
毎日、
インターフェロンを
打っていて
精神的に落ち込むし、
疲れるということを
話してくれました。

ヤクザという職業の人たちに
大変、多い病気です。

彼も、
ご他聞にもれず、
全身刺青を
彫っています。
刺青・酒・シャブ
(だけでなく注射針の廻し打ちで、
うつるケースも多いのです)は
C型肝炎だけでなく、
肝炎に
ならない方が
おかしいぐらい、
肝臓を虐めてます。

私が、
病院に入院していた
3週間あまり、
病気のことだけではなく、
過去のことや
今の心境のこと
今後のことなどを
話して
聞かせてくれました。

その後、彼は退院して、
私を尋ねてきました。

彼を
立ち直らせる
意味もあって、

当時、
初心者向けの
パソコン教室も
やっていましたので、
彼に、
パソコンを
勉強させました。
と同時に、
生活保護の手続きを
役所に
相談しに一緒に行きました。

重病でもあるので、
割と早く
受給できるようになりました。

アパートを借り、
生活用具も揃え、
後は、
あまり無理をしないでも
できる仕事を
探せばいい体制を
共につくっていきました。

その頃、
彼が出所後、
病院に入るまで
ホームレスを
していたことを
聞いていたのと。
又、
以前にも何回も
経験があることを
聞いていました。。

それで、私は
最初に記述したとおり
NPOを立ち上げていて、
特に
シルバー層の
ホームレスの人たちの
生活状況や
健康状態等を知りたいと
思っていた時でした。

彼に頼んで、
紹介をしてもらいました。
三日間、
ホームレスの人たちの
貴重な生の声を
聞かせていただく
ことができました。
彼も一緒に
付き合ってくれました。

或るホームレス氏がいました。
その人は
当時60代前半くらいでしょう。
背広を着ていて、
きれいに洗濯された
真っ白なワイシャツが
とても印象的でした。
眼鏡をかけていられて、
髪も、オールバックで
ブラシで整えていますし。
身なりがきちんとしていました。
とてもホームレスに見えません。

その方に、
話を聞くことができました。
その方は、
宇都宮で何かの工場を
経営していたとのことです。

取引先の
思いがけない倒産の
憂き目に遭い、
資金繰りに
困窮していたそうです。

当然、
近くの親・兄弟、
親類縁者に
お金を借りては凌ぎ
また、お金を借りては
凌ぎを重ねていました。
しかし、
その繰り返しも
限界がきました。
結局、
筋の良くない金融に
借りるように
なってしまったそうです。

何回も
強引な取り立てをされ、
恐怖に慄いていました。
もう、
明日にでも、
どうにかしないと、
命を取られるかもしれない、
ぎりぎりのところに
追い詰められたそうです。

それで奥さんと子どもたち
(二人いると言っていました)に、
話して
「お父さんの知り合いで、
静岡に資産家の親友がいるから、
今からその人のところに行って、
必ずお金を用立ててくる。
必ず連絡は入れるから、待っててくれ!」
と言い残して、

最後に残っていた
時計を質屋に入れて
何万円か作って
静岡に行ったとのことです。

静岡に着いて、
その友人に会い、
借金を申し込んだが
ケンもホロロ、
断られたそうです。

すべての望みは消え、
絶望感で
胸が
押しつぶされそうだったと、
表現していました。

「いっそ、
電車に飛び込もう!」と思い、
「いやっ!」と思い留まりを
繰り返しながら、
持ってきたお金がなくなるまで、
電車を乗り継いで
着いた駅が、この駅でした。
そこからとぼとぼ歩き、
気がついたら、この公園の
このベンチに座っていたのだと
座っているベンチに視線を移し、
仰っていました。

そのベンチの上に
その方の涙が数滴落ち
ベンチを濡らしたのを
今も、強烈に覚えています。

それから、5年間、
この公園で
生活をしているという話でした。

「女房や子供たちには、本当に申し訳ないことをしました。その後、どうなっているか?多分、大変な人生を送らせてしまったと思います。」

「帰りたいと思いませんか?」

「それは思います。しかし、今更、私が現れても却って迷惑をかけてしまうと思うのです。子供たちも成人しているし、自分たちの生活もあるでしょうし、何せ、どんな理由があるにせよ、私の勝手で放棄したのですからね。」
とため息をつきました。

さらに続けて、話してくれました。
「私は一着しかない背広とワイシャツと下着は、毎日きれいにしています。公園には水道がありますし、体だって洗えるし、背広は毎日、この拾ってきたブラシで汚れを落としています。あとは、粉石けんだけは、買って洗濯をしています。その樹木と樹木の間に紐を結び干しています。」と言った後、家族に対する気持ちを、こんな風に語ってくれました。

「いつ、どんな形で私を知っている人が私を見かけないとも限りません。もし、女房や子供たちに風の便りで耳に入ったとき、みすぼらしい、惨めな姿だけは、耳に入れて欲しくはありません。放棄しただけでも、大変なことなのに、ましてや、今に至っても、家族の心を痛めることはできません。」


それは、
10年前の夏の暑い日でした。
私は、
前述の方を含めて、
また、同行してくれた彼を含めて、
その公園の主の当時70代の
ベテランホームレス氏、
30代、そして40代の
ホームレス氏と、
違う世代の方たちの話を聞き、
過ごすことができました。

夜に差しかかって、
暗くなりかけた
7時頃だったでしょう。

ベテランホームレス氏が
「社長、
今、飯の支度をしにいっていますから、
ちょっと待ってください。
腹減ったでしょう。
飯でも食いましょう。
今日は社長が来てくれたんで、
特別メニューを誂えています、」

ものの10分もしない頃、
二人の(30代、40代)ホームレス氏が
ビニール袋に何袋も、
何かいっぱい詰めたものを
抱えて帰ってきました。

ビニールを敷き始め、
その袋の中のものを取り出し
紙パックの器に
器用に盛り始めました。

大変なご馳走です。
から揚げやエビフライ、
サラダから煮物、
おつまみになる食材までも
どんどん出てくるのです。
きちんと、袋ごとに分けています。
生野菜の袋
煮物の袋
揚げ物の袋
スープはスープ入れの容器に
お箸も、
スプーンも
フォークも
調味料は彼らの家(といってもダンボールですが)
に備え付けてあります。

思わず、
「これ、どうしたの!」と聞きました。

食材担当は、
「ええ、すべてルートがあるんですよ!廻りきれないぐらい、和食・洋食それもフランス料理からイタリア料理、コンビニに至るまで、何でもありますよ!社長が来てくれたんで、今日は高級店の料理ばかりです。客に出した後の残り物を貰ってくるんです。
いえ、いえ、汚いものじゃあないですよ!ソースがついてたり、マヨネーズがついてたりしたものは、捨ててきます。まったく、(客が)箸をつけてないものも、たくさんあるんです。これは、コンビ二から貰ってきたもんです。この周辺で、5、6軒のコンビニの店長とは入魂にしていますので!」

「後は、酒ですね!私たちは残ビー(残ったビールを少しづつ集め、一本の壜をいっぱいにし、手作りの閉め金具の様なもので蓋を閉めた物)で、いいんですけど、社長はそういう訳にはいかないでしょう!酒は買ってきてください!」
と言うことで、
豪華絢爛な
楽しい宴会をやりました。
歌が飛びっきり上手い30代ホームレス氏
プロ顔負け
落語が好きな70代ベテランホームレス氏
その間もビールを注いでくれたり、
ごみを整理したり、
ハエや蚊を団扇で追い払ってくれたり、
その団扇で風を送ってくれたり
マメにてきぱきと立ち回る40代ホームレス氏
寡黙だけど、その様子を楽しみながら
微笑を返す60代の宇都宮の紳士。

みんな、、
このまま、一般社会でも
立派に通じる人たちばかり、

しかし、そうはならない
複雑に絡み合って
ほどけない糸のような
それぞれの人生の妙味。

それそれが持つ
その場でできる最高のものを
もてなす心が醸成する。

今まで経験した
どんな宴会よりも
感動したのを思い出します。

今、震災があって、
サバイバルといったことも
話題になっていますが、
ホームレスの人たちの、
サバイバル能力は、
すばらいしいものがあります。
私たちより、
豊かさを
享受しているかもしれません。

ここで、私が聞いた、
ホームレスの人たちの
生活ぶりを少し紹介します。

彼らの朝は早いです。
夏は4時か5時には活動します。
彼らの仕事は
空き缶や新聞・雑誌・ダンボールを
拾って業者に持ち込み、
売って収入を得ます。

これも、
担当地区はありますが、
何人かが
バッティングするので
早く仕事に行き、
集めてこなくてはなりません。

でも、すばらしいのは
自分が
今日必要とする生活費以上の
収入は得ようとしないので、
目標の仕事をしたら、
情報つきで
他の人に譲ります。

それと、
大きなイベント等がある場合、
お金を渡されて、
何時間も並んで、チケットを買って、
その手数料をもらい収入を得ます。

これは、違法です。
ヤクザ組織がダフ行為
(買ったチケットを高く転売する)
をする目的の一翼を担います。

あとは、
建築現場や
土木事業や
船舶の荷積みや荷卸等沖仲仕等の
その日だけ人手が不足した時だけ
(特に肉体労働)
仕事にありついて収入を得ます。

山谷地区や
愛燐地区や
川崎の富士見町(通称原っぱ)等の
決まった場所に

働き手を得るため(求人側)、
また、
働く場所を求めて(求職側)
集まってきます。

求人側は
荷台のあるトラックで来て、
一日いくらでこんな仕事と発表すると、
われ先ととばかりに、
その車の荷台に乗り込みます。
求人定員に達し次第打ち切り、
競争力が高く、
あぶれるケースも多いのです。

ホームレスの方は、
宇都宮の方もそうですが、
いろいろな理由で
ホームレスになっています。

中には、
ほんとうに
怠惰なだけという人もいますが、
わたしが出会った
ホームレスの人たちは、
それぞれに事情があり、
ここに来るに至っています。

家がないということは、
上記のように
収入を得ることは、
限定されてくるので
容易ではありません。

だから、
特に都会で駅から
10分~15分以内の
優良物件・一等地を選んでいます。
そこは、
何でもある場所です。
或るホームレス氏が
「東京の街は、世界一豊かな場所ですよ!」
と、言ってたのも、思い出します。

収入が少なくても、
住むのに不自由がありません。
家賃はありませんし、
前述のように、
食事には困りません。
病気にならないように、
梅雨から夏場は
生ものは一切食べません。

そういうことさえ、
注意を払っていれば、
3月から10月くらいまでは
公園で新聞紙やダンボールを駆使して、
快適に過ごせるようです。

問題は11月から2月までの
4ヶ月間の過ごし方です。
毛布や布団、
湯たんぽやストーブで
暖をとる必要が出てきます。

しかし、都会にいれば、
粗大ごみなどで、
捨ててあるので、
いくらでも集まるそうです。
彼らは、器用ですから
壊れた物でも
修理して使います。

その公園にいた人は、
テントを張り、
発電機も持っていて、
テレビや
パソコン、
冷蔵庫・洗濯機を持ち、
湯沸し器でお湯を沸かし、
炊飯器でご飯を炊き
電気コンロで
自炊をしていました。
オール電化です。
全部、拾ってきたものか
貰ったものです。

最悪は、
雨や雪の日だそうです。
そのために何ヶ所か駅の構内や
他の凌げる場所を
押さえているんだそうです。
いずれにしても、
好立地だと、
どこかは探せるんだそうです。

私は、
夏場の公園で2泊しました。
ベンチに毛布を敷き、寝ました。
しかし、やわな私は
蚊にはまいりました。
蚊にあちらこちら血を吸われて、
かゆいのかゆくないの(かゆいんですが)
とても、眠れませんでした。

ところが、
他のホームレスの人たちを見ますと、
すやすや眠っています。
彼らも、蚊に喰われているとは
思うんですけど、
何ともないように寝ています。
免疫があるんですかねえ?

最後の日にも、
またまた、勉強になりました。
30代と40代のホームレス氏が、
どこからか、
靴を20足程もって来ました。

新品です。
価格の札やら
いろいろな札が
ついたままです。

「この靴、どうしたの?」

「拾ってきたんです。或る靴屋が定期的に廃棄するんです。」

「こんな、新品でデザインのいいものを捨てちゃうの?どうして?」

「良く、見てください。この種類は左と左でこの種類は右と右でチンバなんです。だから、似たデザインと同じ色や寸法を併せて履くんです。
一流品だから、履きやすいですよ。社長、足の寸法はいくつですか?」
と聞かれました。

確かに、
同じものは
左・左、右・右だけです。
思わず、笑ってしまいました。

そして、「26」と言いました。

「26ですか?こちらは、26で左がある。あっ!同じデザインのがあった!あっ!違う右は25,5だ!でも、これ履けませんか?履いてみてください。」
と言ってくれたので、
折角だから履いてみました。

やはり、
少し右のほうはきつめなのですが、
履けないことはありません、
「履けるわ!かっこいいね!」
「そうですか(笑い)、社長、よければ、それ貰ってください!」

その靴は、
つい4年くらい前まで、
ちゃんと
履かせていただいていました。
やはり、
いい品物は、
長持ちしますね!

いろいろ、
書きましたが
本当はまだまだ、
いろいろな話はあるのです。
彼らを語るのに
こんな限られた時間では
表現し切れません。
また、次の機会に
書くこともあると思います。

その後、
彼ら、
ホームレスの人たちが
どうされているか、
知らないのですが、

自らが設計した
設計図に沿って
自らの人生の問題集を
一生懸命になって
解き続けていると思います。

彼らの、
無事と
幸多からんことを
祈らずにはいられません。

すばらしい体験を思い出し

今更ながら、
その体験をさせていただいた方々に
感謝を申し上げたいと思います。、
本当に、ありがとうございました。

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