「恩返すまで死ねない」
老人が漏らした嗚咽悲しさや悔しさではない。
心の奥底の感情が、そのまま噴き出したとしか表現できない涙。
そんな涙を流して嗚咽(おえつ)する"老人"の姿を見たのは、
生まれて初めてだったかもしれない。
3月26日から約20日間、被災各地を巡った。
岩手県大槌町の中央公民館では、避難者らの暮らしを取材した。
震災から約1カ月が過ぎ、住民らは不自由ながらも避難生活に慣れてきていた。
その半面、震災当初の緊張が薄れ、避難所には疲労と倦怠(けんたい)が
侵食してきているように見えた。
消されたテレビ。薄暗がりの中に響く、くぐもった話し声。
一日中横になったままの人々…。この傾向は、特に高齢者に顕著だった。
「退屈ではないか。何か必要なものはないか」。避難者らにそう聞いて回った。
そこで出会った道又康司さん(79)は
「食事も毛布もあり、何の不自由もなく過ごしている。不満などない」という。
「そんなものなのかな」と安易に納得してしまっていた。
岩手を去る前日、取材で知り合った方々にあいさつするため、この避難所を訪れた。
その際、道又さんも見つけた。取材のお礼を述べると、「ちょっと話を」という。
そこで避難所の端のいすに並んで座った。
道又さんは「食事や衛生面に不満がないといえば嘘になる。
しかし全国の皆様から本当に温かい支援をいただいている上、
周囲に大勢の避難者がいる中では言えなかった」と明かした。
その言葉を聞き、繊細な取材を怠った自分の顔が赤らむのを感じた。
さらに、関東に住む息子から同居の誘いがあったこと、
その誘いを断り町に残る決心をしたことを教えてくれた。
「大槌の復興には10年以上かかるだろう。しかし私は、
もし再びどこかで災害が起きたとき、復興した大槌が今度は
恩返しをする姿を見届けてからでないと、死んでも死にきれない…」
言葉の途中で、道又さんは嗚咽を漏らし、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。
最後に50歳も年下の私に差し出された手の温かみと涙の感触は、今もこの手に残っている。
(産経新聞・小野田雄一)
この道又さんのような方が、苦労を重ね敗戦後の日本を復興されてきた。
それが、また今、震災や津波によって、すべてを失ってしまった。
この道又さんが語る言葉は重い。
『わたしたちこそ、あなたに恩返しをしなければならない。』
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