2012年2月29日水曜日

“上九一色村と田子の浦”

昨日は山梨の甲府に
仕事ででかけました。
中央自動車道で
一宮御坂インターを降りて
20号線で甲府に
向かいました。

仕事が思いのほか
早く終わりましたので
最近、お母さんが
亡くなって実家の
静岡県富士市に戻った
友人に連絡しました。
在宅でしたので、
一度、寄らせて頂く
ことになりました。

甲府をスタートして
精進湖バイバスから
139号線で
山道を越えて行きます。

私はこの道は
はじめて通ります。
暫く車を走らせていると
目の前に白銀の富士山が
最高の表情を見せて
くれています。
標識を見ますと
精進湖と書いてあります。

精進湖は
富士五湖のひとつで
私は河口湖や山中湖は
行ったことがありますが、
本栖湖や西湖と共に
行ったことがありません。

車窓から見ただけですが
精進湖は小さいけれど
神々しい神秘的な湖です。
澄み切った湖水と
富士山のパノラマは
思わず車を停めて
見入ってしまいました。
小船を静かな湖面に
浮かべ糸を垂れて
釣りをしている方が
おられました。
わかさぎでも
釣っているのでしょうか。

後ろから車に
クラクションを
鳴らされましので
少しの間でしたが
余韻を残しつつ
再出発です。

そして
本栖湖はちらっと
垣間見るだけで通過し
そのまま走らせました。
車窓からは湖の全貌は
見ることができません。

暫くそのまま
車を走らせていると
標識に上九一色村と
書いてあります。

上九一色村はあの
地下鉄サリン事件や
数々の事件を起こした
オーム真理教の
サティアンがあった場所です。

今も思い出しますが
確か平成7年でしたか
1月17日に
阪神淡路大震災があり
その年の3月20日に
地下鉄サリン事件が
ありました。

私はその日は
国際展示場に
或るイベントがあり
リラクセーション関連の
システム等を
出展していました。
その時事件に巻き込まれ
私はサリンを蒔いた
電車には乗車して
いませんでしたので
事なきを得たのですが
大幅に展示場に着くのが
遅れました。

そのサリンを
製造していたのが
この上九一色村の
第7サティアンで

今まで名前すら
知らなかった
一つの村が
一躍、全国いや世界に
有名になりました。

連日、この上九一色村に
マスコミや報道陣の
過熱した取材合戦が
繰り広げられていました。

また、列をなして
捜査員の方たちが
ガスマスクをつけて
インコを手に持ち
ものものしい戦闘服で
サティアンを捜索する
様子が、
テレビに放映されました。
17年も前ですが
今でも鮮明に覚えています。

今、オセロの
中島知子さんの
家賃滞納問題から
中島さんと同居している
女性の占い師さんのことが
連日、テレビや
インターネットで
話題になっていまして
マインドコントロールや
洗脳ということが
言われています。

マインドコントロールや
洗脳という言葉を
一躍、有名にしたのも
このオウムの事件でした。

その頃、
今、通過している
この上九一色村の道を
オウムの信者たちが
頭に電極をつけた
帽子のようなものを
被ってこの辺を
歩いていたのだと
思いますと

この静かな山間の村の
人たちからすれば
まったくもって
異様極まりない
気持ち悪かっただろうなと
思わずにはいられません。

私も当時
リラクセーションや
スポーツ選手たちの
イマジネーション等の
システムを提供していた
仕事をしていたので
よく思うのですが

洗脳は別物ですが
マインドコントロール
というのは
あくまでも
自分自身をコントロール
するための知恵であり
他人をコントロールする
ものではありません。

オウムや今回の
中島知子さんの例を
とってみても
報道されていることが
真実であるならば
教祖や他人に
自分の心を
委ねてしまっています。
依存心では
だめなのです。

また、
教祖や占い師の方が
自分自身をさえ
コントロールできて
いません。
自分自身を
コントロールできない人が
ヴァジラヤーナという
金剛乗の教えを曲解し
ポアという殺人思想を
妄想・暴走するのです。

また、神の名を語り
神が焼肉を食べたいとか
神が誰々と
離れなさいとか
悪口を言ったりとか
煩悩を煽り
分離を促して
いくのです。
少し冷静に考えれば
解ることです。

前述しましたが
マインドコントロールは
自らが自らを高めて
いくためのものであって

上記のような例は
マインドコントロールを
悪用した例と
言えるでしょう。

人の上に立つ
立場であればある程、
まずは自分自身を
コントロール
できなければなりません。

話が横にそれました。
しかし、上九一色村は
これまた大変
広い村です。
かなり車で走らせても
上九一色村の標識が
出てくるのです。

上九一色村を
あとにして
道の駅朝霧高原の
看板がありましたので
そこで一休みを
しました。
雄大な富士山を背景に
牛舎のような
牧歌的な施設です。
そこで農産物や
町の特産品を
販売していました。
朝霧高原牛乳を
飲んで、
エネルギーを補給して
富士宮市を抜けて
富士市の友人宅へ
一路向かいました。


友人と会い
富士市の富士山眺望
スポットを案内して
頂きました。
実に美しい!
大変堪能させて
いただきました。

その後、時間が
ありましたので
海を見に行こうと
なりまして
田子の浦に一緒に
まいりました。
田子の浦漁港があり
松林の横を道路が
通っていて
堤防の上まで
車で行くことができます。
その堤防から見る
駿河湾一面に広がる
景色も是非お勧めです。

「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 
富士の高嶺に雪は降りける」

万葉集の有名な和歌です。
今年は寒い日が
続いているせいか
富士山の真っ白い雪景色が
裾野にまで広がって
いました。
友人も言っていましたが
地元でもあまり
見たことはないのだそうです。

帰り道に
友人が
この周辺は
吉原と言って
江戸時代に栄えた
東海道五十三次の宿場町、
吉原宿の跡であると
教えてもらいました。

『今日は残りの人生の最初の日』

まだまだ
初めてのことは
たくさんあります。
今日の一瞬が
人生で最初の経験を
しています。
今日を大いに
楽しんでまいりましょう。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年2月26日日曜日

“多数凡人”の意味するもの

24日のブログ
森安 英憲さんから
頂いたメール
萬谷 衣里(まんたに えり)さんの
ピアノコンサートのご案内と
添付してくださった
森安さんが職安の講演会で
発表されるジョブガイダンス
『この社会で生きやすく・
この社会を生きやすく』を
掲載させていただきました。

そうしましたら
反響が大きく
私の場合
あまりブログ上の
コメント欄には
書かれる方は
少ないのですが、
メールや携帯を
知っている方たちが
多いものですから
直接コメントを
頂くことが多いのです。

その中で
或るコンサルタント会社の
経営者の方から
こんなメールを
頂きました、

「森安さんの仰ることは
目からウロコでした、
私も少数精鋭という
言葉に錯覚をしていた様です。
今の社会、仕事をしたくても
仕事がない状況ですが
一部の人たちに富が
集中していたり
仕事が集中していて
却って、効率を
悪くしている
みんなが少し分け合うだけで
すばらしい世の中に
なるんだと確信しました。
今後は多数凡人を
心がけていきます!」

さらに
いつも私のブログでも
紹介させて頂いています
中国で設計事務所を
経営している友人からは
私のブログの再開の歓迎と
このようなメールを
いただきました。

「アーカメロディ兄へ
またはじまりましたか、
皆様の心を
いやし癒されるブログです。
末永く励んでください。
ありがとうございました。

日本の社会は、おとなしい
律儀な人たちの国です、
私がいる中国圏とは違います。
でももう我慢している
必要などないのです、
言葉に出して、行動に出して、
表現をしましょう、
今を変えましょう、
もう待つ必要などないです、
個がそれぞれに始めましょう。 
みんなつながります。
とてもうれしい気持ちです。」

また、知的障害の子を持つ
38歳の主婦の方からは

「森安さんが書いている
“障害者を含めて一つの社会です。”と
思っていただける人が
一人でも増え
また、その人が
友人や社会に伝播していく
そうしたら何と
すばらしいことでしょう!
“障害は社会が作るもの”とも
仰っていましたが
本当にそう思います。
知的障害だからと言って
すべて理解しているのです。
表現することが
出来にくいというだけです。
でも、人への思いやりや
優しい心は
誰にも負けずに
持っています。
人間として
とても大切なことです。
その大切なことが
生かせない社会にこそ
寧ろ、障害があるのでは
ないでしょうか!?
子どもからいつも教わる
毎日です。
私は社会がつけた
知的障害者と言われている
偉大なる愛深き天使と
一緒に生長できることを
神に感謝しています。

森安さんありがとう!」

とのメールが
届きました。
私もまったく同感です!

又、森安さんからも
ブログ掲載のお礼と
萬谷 衣里さんとの
エピソードを記した
メールがありました。

「養護学校でコンサートを」
クラシックコンサートの思い出
というタイトルで
2009年10月2日に
書かれた内容です。
いつもながら
とても素晴らしいお話です。
共有してください。


『こんにちは。
掲載ありがとうございました。

簡単なことですね。
みんなが仲良く力を合わせるだけのことです。
企業は効率を追い求める?
競争によって最適な経済が自然にできる?

ウソ八百 笑。

企業・競争社会は重複のムダ、
排除のムダ、ムダムダムダだらけ。
BCP(事業継続計画のこと)も必要になりますね 笑。

ボランティアなら
人は必要最小限で効率よく動こうとします。
ムダなことはやりません。

「お金」という概念があると、
「最少の人員で」(企業・競争社会)

「お金」という概念がなければ、
「できるだけ多くの人を」(ボランティア)
みんなが力を合わせて、ムダなことをやらず、
お金を媒介にせず。

どちらが効率よく生産的な社会なのでしょう?笑笑

私たちは、できるだけ成長しないように
努力しようとしているようですね 笑。

競争社会には特許なんて概念もあって。
そんなにいいものならオープンにして
みんなで使えばみんなが幸せになりますよね。
独り占めするなんて、
社会を不幸にするためにやってると言われて、
反論できるでしょうか 笑

---

ところでピアニストの萬谷衣里さんとの
エピソードを下記しておきます。

「養護学校でコンサートを」
~クラシックコンサートの思い出~

「知的障害」という言葉もおかしいなと思いますが、
10年ほど前までは「精神薄弱」と言っていたそうです。
精神薄弱という言葉が 
「当事者に不快感を与えるという理由もあり」 
知的障害に変えられたそうです。

話変わりますが、私はピアノの音が大好きです。
あるときふと、養護学校の子どもたちに
プロのピアニストの演奏を聴かせてあげたいと思いました。

私は後先考えず、
大好きなクラシックピアニスト エリさんに
養護学校の子どもたちへの思いをメールで話しました。
10日連続でメールしました。ほとんど迷惑メールです。
そして「養護学校でピアノを弾いてほしい」と。
ドイツに住むエリさんはさぞかし驚いたことでしょう。

養護学校でプロのピアニストがクラシックコンサート。
この前代未聞の企画にエリさんは

「養護学校の子どもがクラシックを聴くのですか?」
と戸惑いを隠さず、

学校は「アニメソングとかじゃないと難しいだろう」
と不安を示しました。

私は子どもたちの感性を信じていました。

エリさんはドイツから帰国の翌日リハーサル、
その翌日本番、
それも学年ごとに3度の公演という
無茶なお願いを聞いてくれました。

・・・その日、子どもたちがくれた答えは
私の予想さえ超えました。

エリさんは何度も
「また養護学校に呼んでくださいね」と。
そして、その日に子どもたちが書いた感想文は、
1か月も先生方の手をわたってから、私の手元に届きました。
その感想文に私は何度も胸が熱くなりました。

この感想文を書いた子どもたちの精神が薄弱なのでしょうか?
この子どもたちを精神薄弱と呼んでいたのは、
私たちの心の貧しさの表れではないでしょうか。

コンサートのフィナーレを飾った
リストのハンガリーラプソディー第2番の躍動的なメロディーと、
別世界に入りこんだような子どもたちのことは、
いつまでも私の脳裏を離れることはありません。

そして子どもたちの心を
しっかり受け取ってくださったエリさんは、
ドイツから世界へ、子どもたちの心を
ピアノにのせて伝えていってくれることでしょう。

いつも大切なことを教えてくれる子どもたちに、
たまにはお返しを、と思った私でしたが、
子どもたちはやっぱり、
私たちに大切なことを教えてくれたのでした。

この日から、
私は子どもたちにお返ししようなんて気持ちは捨てました。
子どもたちがくれたものは、社会に返していこうと。

2009年10月2日

森安 英憲』

「今日は残りの人生の最初の日」

萬谷 衣里さんの
ピアノコンサートが
さらに楽しみになってきました。
ワクワクします!
もう1度日時と場所を
確認します。

3月7日 水曜日 18時30分開演 
台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園 重要文化財)
2,000円

ですので、
皆様も如何でしょう!!

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年2月25日土曜日

THINKERから ■■日本語字幕付き動画と3月イベントのお知らせ■■

このブログでも
たびたび取り上げています。
THINKERから
興味ある情報が
届いています。

また、緊急の講演会の
ご案内と3月のイベントの
お知らせも併せて
ご覧ください。

私たちが日常当たり前と
思っていることの中に
潜んでいる危険性に
警鐘を鳴らしています。

下記に紹介された
ワクチンや気象兵器だけでなく
他にも興味深い
様々な問題について
ユーチューブにアップ
されていますので
同時にご覧ください。

私はTHINKERの
活動を応援しています。

ユーチューブのTHINKERチャンネルにアップした日本語字幕付き動画の紹介です。
興味のある方は、ぜひ一度ご覧ください。

●メルク社のトップワクチン開発技術者モーリス・ヒルマン博士の音声インタビュー
風疹・はしか・おたふくかぜのワクチンなどを開発したヒルマン博士いわく「ワクチンは20世紀が生んだ質の悪い医療技術(bargain-basement technology)」
ヒルマン博士は、「生ポリオワクチンのウイルスはミドリザルの腎臓細胞で培養するため、SV40と呼ばれる40種類にのぼるヒト・サル共通感染空胞化ウイルスが混入していたと言います。その感染を防ぐために別のサルをアフリカから空輸したら、そのサル達がエイズウイルスを持っていたとも、、、。全世界で実施されてきた生ポリオワクチン中のSV40が、現在も増え続けるガンを引き起こしてきたのでしょうか?2005年に亡くなった彼の生前の貴重な発言。ワクチンそのものに関して、再考を促す内容です。


●アメリカのTV番組が報道した気象改変施設の存在
ネット上では多くの人がすでに知っている気象兵器(気象改変施設)。しかし、それがどのように気候を操作するのか、大気圏の構造からその仕組みを説明できる人は少ないように思います。この番組では、一般人にもわかりやすくその仕組みを説明しています。現在、日本政府とニコンと東京大学と自衛隊が共同で南極に建設中の巨大電波施設。1本3Mのアンテナを1000本有する「パンジーレーダー計画」は、科学者が電離層研究と称して強烈な電波を大気圏に向かって放射するプロジェクトです。一見、夢のある計画ですが、この動画を観た後では「子供が針で風船遊びをしている」危険行為にしかみえません。みなさんはどうお考えでしょうか。


先週から愛知県の渥美半島沖で、メタンハイドレードの試掘調査を探査船の「ちきゅう」が始めました。巨大活断層が発見されているこの地域を刺激する危険きわまりない作業です。温暖化対策のCCS(二酸化炭素地中貯留)と同じで、どのプロジェクトも「温暖化防止のため」「エネルギー対策のため」「科学の進歩のため」と一般人を欺く目的が表向きに語られています。

以下は3月イベントのお知らせです。
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①静岡県三島市・NPO自然派ママたちの座談会主催
「原発・世界同時不況・温暖化・食糧危機のホント」
【日時】3月4日(日)開場13:30 開始14:00 終了16:00
【場所】成真寺 本堂
    静岡県三島市大社町7-56 
    最寄りバス停 東小入口より徒歩1分
【講演者】THINKER 
【参加費】1000円
【問合せ】土屋 080-1590-2751 
Eメール: shizenhamama@hotmail.co.jp
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②5回シリーズ講演会 in 岡崎 
第5回「マスコミのウソを見抜く力をつける」
【日時】3月20日(火・祝)開場12:30 講演開始13:00 終了16:30
【参加費】予約1000円 / 当日1200円
【会場】岡崎市・北部地域交流センター「なごみん」3F
   岡崎市西蔵前町字季平45番地1 
   TEL(0564)66-8251 

【予約申込・問い合わせ】
逸見 Eメール: anjali_29@k.vodafone.ne.jp
    TEL: 090-6555-7591
※講演会終了後、懇親会を予定しています。(18:00-20:00 場所未定のため当日、会場にてお知らせします)
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最後に急な告知ですが、関東方面の方にお知らせです。
『あなたはお金のしくみにこうして騙されている』の著者であり、同志の天野統康さんが主催するNPO法人ジャパンイニシアチブの第二回講演会・マスメディアが報道しない事実!
『~原発・放射能・TPP ~今そこにある日本の危機を反TPP、反原発の元農林水産副大臣が語る』 
―衆議院議員 篠原 孝氏 講演
【日時】平成24年2月28日(火)18:00~19:30
    開場17:30 混み合いますのでお早めにご来場ください
【場所】衆議院事務局憲政記念館(定員100名)
    東京都 千代田区永田町1-1-1
    東京メトロ 永田町駅下車 2番出口から徒歩5分
    国会議事堂前駅下車 2番出口から徒歩7分
【参加費】当日払い2,000円 事前振込み1,500円  
      学生20席まで無料(要学生証/必ずお申込み下さい)
【振込先口座】みずほ銀行 飯田橋支店 普通預金 2551960 ジャパンイニシアチブ
※お振込み名と参加者のお名前が同じになるようにして下さい。
【参加費のお振込締切】当日払い適用の振込は26日まで。
事前振込み額適用の振込は25日まで。学生は26日まで。
お申込みはこちらから 
【問合せ】天野 Eメール: m.amano@japan-init.or.jp

2012年2月24日金曜日

『この社会で生きやすく・ この社会を生きやすく』

昨日は
女房の弟さんが
1月6日に亡くなって
49日経ちました。
49日法要を行い
横浜の三沢墓地で
納骨式を行いました。
心安らかに
旅立ってまいりました。
その瞬間は
昼前の11時45分頃
冷たい雨が
残されたお母さんや
兄弟たちの
心のうちを現わすように
大粒の涙となって
洗い流すかのような
光景でした。

暫く
ブログをお休み
しましたが
喪に服しておりました。
この49日間
彼との対話の中で
彼岸へ送り届けることが
できたのではないかと
思っております。

その23日を
明日に控えていた
2月22日に
このブログで
何回も紹介させて
頂いています
森安 英憲さんから
森安さんの知人の
萬谷 衣里(まんたにえり)さんの
ピアノリサイタルのご案内と
共にメールが届きました。
下記にそのメールの
内容を許可がありましたので
紹介させてください。
表題は「多数凡人の世界」と
あります。

「こんにちは。
アーカメロディさんはどちらにお住まいですか。
私の知人であるピアニストの萬谷衣里さんが、
留学先のドイツから一時帰国して東京でリサイタルをします。
よかったら聴いてください。

3月7日 水曜日 18時30分開演 
台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園 重要文化財)
2,000円 


大地震や新型インフルエンザなどあって、
最近社会ではリスクマネジメントという
新しい概念が台頭してきているようです。

緊急時の備え、ではなく、
普段の会社運営がどんなことにも対応できる
柔軟性を持つものにしよう、ということみたいです。

そのいちばんの中心が「人的資源の多重性」。
例えば大地震があって社員の半分が出勤できなくても、
生産が滞らないためには。みたいなことです。

それには、普段から倍の人数をかかえることは
当然できないので、さてどうするの?と。

これはチャンスだと思いますね。
私がずっとやってきたことが、
社会のメジャーな考え方に
採り入れられてきたと思うんです。

少数精鋭といって、別に精鋭でもない人が、
しかも低いレベルの仕事をやっているこの社会です。

社会と会社は同じ構成でなければ、
会社は社会に貢献しているとは言えません。
排除しているからです。障害や病気の人もいるから、
社会に貢献できるのです。

社会は少数精鋭で成り立っているのではありません。
社会は多数凡人です。

会社も、多数凡人が当たり前。
一人より二人。二人より三人。
いざというとき、一人の精鋭ではできないことでも、
二人の凡人ならできることも多くあります。

障害、病気の人だけではありません。
私はシルバー人材の採用もしていますが、
シルバー人材はキャリアがあり、
一方で体力や年金の関係があり短時間勤務を希望します。
それなら、例えば2名採用枠に
4名とか6名とか採用して順番に出勤すればよい。

いざというときは、2名の精鋭しか保有していなければ
その2名が出勤できなかったらお手上げですが、
4名や6名いれば2名分はまかなえる。
普段から2倍3倍の人数をかかえることはできるわけです。

外野からは「人増やしよって」と罵声を浴びていますが、
人を減らすことが生産性を上げることだという、
単純明快な賢い人にはわからないことです。

人を減らすことで、
高いレベルの人が低いレベルの仕事までやるから、
生産性が落ちるのです。

私にはリスクマネジメントは何ら新しい概念ではなく、
既にやっています。

また、働き手が減っていく日本と言われていますが、
そもそも現在、働けるのに働けなくされている人が
山ほどいることを、気がついていない人が多すぎます。

簡単なことですね。みんなに役割があるという当たり前のこと。
排除するのが好きな社会ですが、
「共に生きよう」と思えば、視界は360度開けると思うのだけど。」

いかがでしょうか?
まず、萬谷 衣里さんの
ピアノリサイタルは
是非、聴かせて
いただこうと思います。

萬谷 衣里さんの
リサイタル紹介の
Hpを拝見しますと
こう記されていました。

「2012年3月7日(水)、
母校・東京藝術大学より推薦され、
「奏楽堂デビューコンサート・シリーズ」に
出演することになりました。
このコンサートは
日本最古の木造の洋式音楽ホールとして、
重要文化財に指定されている、
旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園内)で行われます。
プログラムはモーツァルトが
母の死に際して書いたといわれる
イ短調のソナタからリスト、ブラームス、ブゾーニまで
「哀歌~エレジー」をテーマに選曲をいたしました。
初春の上野で、皆様にお目にかかれましたら幸いです。 」

私にとっても
タイムリーな企画で
萬谷さんが
「哀歌~エレジー」をテーマに選曲を
してくれたとのこと

女房も今は次の入院の前の
自宅静養期間なので
一緒に萬谷さんの
ピアノリサイタルを聴き
女房の弟さんを
偲びたいと思います。

プログラムは
下記の内容です。
モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310
リスト: 子守歌 S.198
リスト: 愛の夢 ノクターン第3番
リスト: 詩的で宗教的な調べ S.173 より 第7番 「葬送」
ブゾーニ: J.S.バッハによる幻想曲
ブラームス: ピアノ・ソナタ 第2番 嬰へ短調 作品2

お近くで
時間が取れる方は
是非、聴いてください。
いつもながら
森安さんの
偶然ではない
必然のはからいに
心より感謝したいと思います。
ありがとうございます。
とても待ち遠しい
楽しみな日になりました。

私は現在、老人の
健康サポートを
テーマとした
小さなNPOを
運営しています。
その中で
森安さんが仰る通り
今、特にシルバー人材の
仕事を確保することは
大変困難な社会に
なっています。

それで
シルバー人材のキャリアを
生かした仕事を
みつけサポートしています。
ひとつは
個人情報保護に関する
コンサルタントや
審査員や外部監査
そして
事業継続計画
(Business continuity planning、BCP)
に関するお手伝いです。

森安さんがメールで
書いています
リスクマネジメントの
お仕事です。

私どものNPOでも
昨年、東京のセミナー会場で
企業を集めて
事業継続のセミナーを
開催しました。
20社ほど集まって
いただきました。

シルバー人材の方たちには
長い間、
文書管理をお仕事に
してきた方や
管理職や経営に携わった方も
たくさんおられますので
まずできることの仕事を
作っていこうという
考えでやっています。

まだ、ボチボチですが
4月から或る大手企業との
アライアンスで
個人情報のパッケージ
ビジネスが決まりましたので
森安さんが進めておられる
多数凡人の精神を入れて
多数の方に分担して
生き生きと
仕事をして頂こうと
思いました。

さらに森安さんから
今度職安の依頼で
「発達障害者への職業ガイダンス」で
講演をされる時の
ジョブガイダンスも
送付してくださいました。
森安さんがどういう方か
良くわかります。
一緒に共有してください。

タイトルは
『この社会で生きやすく・
この社会を生きやすく』です。

「初めまして。立積住備工業の森安と申します。
会社での本業は「経理」ですが、
あるきっかけから障害のある方々との
つきあいを始めて5年になります。

森安の常識は社会の非常識と言われていますが、
非常識の中にこそ本当のことがあると、
そう教えてくれたのは障害のある方々でした。

私たちの会社・立積住備工業株式会社は
平城宮跡、朱雀門の隣にあります。
会社ができて37年になります。ユニットバスの製造をしています。
社員総数85名。障害のある社員が16名います。

私がこの仕事をするようになったきっかけは、
5年前にさかのぼります。
ある日の夕方、養護学校の先生が飛び込みで会社に来られて、
「養護学校の生徒の職場実習をやってください」とおっしゃいました。
養護学校だの職場実習だの、そんなの会社の仕事と関係ないよと、
私は断ろうと思いました。

でも私は思い直しました。
養護学校の生徒たちに、会ったこともないのに、
断ってはいけないかと思い、
私は一度だけ学校に行くことにしました。
10日後に学校に行きました。
でも、学校の前まで行くと、
子どもたちの叫び声や奇声が聞こえてきました。
「やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。
もう会社に戻ろう」と思ったとき、
ちょうど迎えに出てきた先生に見つかってしまいました。
そしてしかたなく学校に入ったのだけど、
思っていたのと違って、子どもたちは
とても優しく、温かく、私を迎えてくれました。

何てかわいい子どもたちなんだろう。
そのとき私はそう思いました。
私は、障害とは、体が不自由なことや、
知能の発達が遅れていることだと思っていたけど、
そうではありませんでした。

今まで、この子どもたちのことを、
知ろうともせず、受け入れようともしていなかった私が、
この子どもたちにとって本当の障害だったのです。

子どもたちを目の前にして、
「この子どもたちが幸せになる仕事を、私はしよう」
そう心に決めて、それから5年がたちました。

障害は決してその人ひとりのものではありません。
障害とは、人と人の間にあるもの。
障害とは、人と社会の関係を表す言葉。

例えば耳が聞こえないことを聴覚障害といいますが、
耳の聞こえない人とコミュニケーションがとれないこの社会も、
障害を作っているのです。
車イスでは階段が登れませんが、
まわりの人が車イスをかかえれば階段も登れます。
その優しさのない社会が本当の障害なのです。

私たちの会社は、
「障害者雇用をしている会社。障害者に理解のある会社」と
いわれていますが、そうではありません。
大事なことはたったひとつ。目の前の人を大切にすることです。
それは人として最も大切なことです。
そして、いつも目の前にある、いちばん簡単なことです。

でも私たちはそんな簡単なことができずに、
障害を作り出してしまうのです。

私は、こんな夢を持っています。
「誰もが当たり前に働ける会社」 
「誰もが当たり前に暮らせる社会」
私たちの会社には、障害がある仲間がいます。
この会社で、彼らが幸せに働いてほしい。
彼らが幸せに働ける会社は、みんな
が幸せに働ける会社です。
そして、この社会もそうです。
障害ある人たちが幸せに暮らせる社会は、
みんなが幸せに暮らせる社会です。

だから、誰もが当たり前に働ける会社に。
誰もが当たり前に暮らせる社会に。
それが私の夢です。

「角を矯めて牛を殺す」ということわざがあります。
短所を矯正することにより、
かえって長所を出せなくしてしまうというたとえだと思います。
長所と短所は同じものだからです。
その人の性質が最も強く出るところを、
良く見れば長所、悪く見れば短所。
確かに短所は改めたほうがいいかも知れませんが、
一方でそれは受け入れる側の感性の問題でもあります。
短所と言われることを貫き極めることで
超一流になっている人がたくさんいるわけです。

障害や短所を決して恐れることはありません。
それは、人と違うすばらしい性質を持っているということです。
その活かし方が、本人にとっても社会にとっても、大切なことだと思います。

私たちはユニットバスの製造をしています。
これは、洗い場というプラスチック
製品の加工をやっている職場です。

元々大手業者に外注していた仕事ですが、私はある思いがあって、
この仕事を自社に取り戻して、新しい職場を作りました。
そして10名という中小企業としては大型の新規雇用をし、
そこに過半数の6名の知的障害者を採用しました。

「ありえない」と誰もが思った立ち上がりでしたが、
1年近くたって障害者は8名になっています。
ひとりひとりは確かに能力が低い。
「ありえない」採用、「ありえない」職場作りです。
でもこの彼らが、大手業者に負けない生産性をあげているのです。

大手業者の社員さんは、
みんながオールマイティーな優れた能力を持っています。
私たちの社員は、「これしかできない」人が多いです。
でも、それぞれが、自分に与えられた役割だけを、
きちんとこなしたらどういう結果が生まれるでしょうか。

私たちの社員は「これだけプロ」です。
不器用でもいい。みんなが自分のできることに集中すれば、
全体として誰にも負けない仕事ができるのです。
同じアウトプットを出すなら、できるだけ小さなインプットで。
それは企業の当たり前。
同じアウトプットを出すなら、できるだけ能力の低い人で。
非常識と言われる私たちがやっていることは、企業活動そのものです。

生産性を下げるものは能力の高い低いではなく、
能力に見合わない仕事をさせることです。
この仕事を例にとれば、優秀な社員にはこの仕事は
簡単すぎてふさわしくなく、もっとやるべき仕事があるということです。
優秀な社員にこの仕事をさせるがゆえに、生産性を低下させている。
実はこの社会ではむしろそのケースが多く、
それは能力の低い者を除外するという形で、
さらに社会的損失を作り出しているのです。
私たちがやっていることは実に簡単なことですが、
それを理解するには現場を見ることが大事です。
そして、会社は社会の縮図ですから、
それは私たちの会社にとどまることではなく、この社会の真理です。

・この会社で働きたいという気持ち
・この仕事なら続けられるという気持ち
・未完成であること
就職は高いハードルですが、
もっと大切なことは「続けられること」です。
就職の準備には、目の前のことを続けられる力を養うことが必要です。

私は、自分の能力の高さをアピールする人は採用しません。
仕事はその会社に入ってからのことです。
能力の高さや資格は重要な要素ではありません。
また失礼ですが「現に就職できていない」者に、
企業が即戦力を期待するわけがありません。

そこへ何でもできるようなアピールをすれば、
かえって企業は引くものです。
それよりも今置かれた立場をわきまえて、
事実をそのまま伝えたほうがいいです。
スタート地点を明確にすることは、
企業側に「何をすべきか」考える機会を与えることです。

そんな物分かりのよい企業はないと思われるでしょうけど、
未完成な者を受け入れて、共に育つという感性を持たない企業なら、
所詮入ってもこちらが傷つくだけで続けられません。

ところで、企業が障害者を雇用するとき、
前提に求めるのが、コミュニケーション能力です。
それがなければ面接もできませんから。
でも私たちの会社には面接もまともにできなかった社員がいます。
そのとき私は思ったことがあります。
コミュニケーションは双方向のものです。
彼が私とコミュニケーションが取れな
い・私が彼とコミュニケーションが取れない、それは同じ事象のはずです。
彼に伝える力がない・私に受け止める力がない。

またコミュニケーションの方法は多様です。
言葉だけでなく身振りや表情もあります。
信頼できない相手に話などできないという気持ちもあるでしょう。
最初は私が話しかけても彼は目が泳いでもう答えられないわけです。
ところが毎日同じことを続けていると、
パターンを読んで答を用意してくるようになりました。
そうして話の種類を増やしていき、
それなりのコミュニケーションが取れるようになりました。

それと同時に彼は表情がとても明るくなりました。
伏目がちでおどおどしていた最初の彼とは違います。
仕事でも一生懸命自分をアピールしています。
それが彼のいちばんのコミュニケーションなのだと思います。
コミュニケーションができないからと
入り口で否定すれば今の彼はないし、
こちらにその力がないのを相手のせいにして
人の力を埋もれさせているとすれば、
私たちは何と罪深いことをしているのでしょう。
コミュニケーションができないのはお互い様というわけです。
ただ現実問題この社会で少しでも生きやすくなろうと思えば、
自分の特性と「社会の特性」を知って、
社会の特性に合わせられる力を持つことが、
あなたの財産になるでしょう。

企業はコミュニケーション能力に欠けるがゆえに、
あなたに「こちらに合わせたコミュニケーションをお願いします」
というわけです。

障害者問題とは、少数者の問題、ニッチな世界、他人事。
そう思ううちは、この社会に幸せが訪れることはありません。
この社会にはいろんな人がいます。
みんな理由があって「ちがい」を持って生まれ、
みんなが必要で、誰が欠けてもいけないのです。
障害者は社会に適合せよと言うけど、
ではその社会って、そんなに立派な社会でしょうか?
障害者は社会のかやの外ではありません。
障害者を含めて一つの社会です。
障害者がいなければ、その分社会は欠けるのです。
少数者問題は、同時に残りの多数者問題です。
障害者が増えているのは、人が生きにくい社会だからです。
障害は社会が作るものです。
会社という小さな社会も同じです。
障害者が働きにくい会社は、みんなが働きにくい会社です。
社会適合ももちろん大事。
そしてこの社会を生きやすい社会に変えていくことも
とても大事なことです。
私はそういう仕事をしていきたいし、
みなさんも勇気を持って社会に出て行くことが、
社会を変えていくことだと思います。

障害のない社会をいっしょに作りたい。
私の話が少しでも参考になれば幸いです。
森安 英憲」

いかがでしょうか?
とても重要な視点であります。
是非、皆様の意見も
お聞かせください。
共有ありがとうございます。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年2月2日木曜日

「共時性の中に生きる」

年が明けて
私の女房の弟さんが
亡くなりました。
まだ、56歳でした。

弟さんが
勤務している
会社の方には
暮れに体調が悪いと
言っていたそうですが

仕事始めの
1月5日に出社せず
6日~10日まで
連絡が取れない
状態だったので、
会社の同僚の方が
心配してくれて
弟さんのマンションの
大家さんに頼んで
部屋の鍵を
開けてもらい
亡くなっているのを
発見したそうです。

こういったケースは
警察署が解剖を
するのですが、
その結果
亡くなったのは
1月6日だったとのことで、
死後4日経っていました。
死因は肺がんと肝硬変と
いうことで
どちらが死因といっても
いいぐらい悪化していた
様です。

弟さんは
現在は独身でしたので
発見が遅れて
4日も経って
しまいました。

女房の親や
兄弟は
お母さんが
横浜市鶴見区に
ご健在で
女房のお姉さんが
長女で近くの川崎に
旦那さんと住んでいます。
女房が次女で
今回亡くなった弟さんが
その下で、長男です。
そして、このブログでも
紹介したことのある
四国に嫁いでいる
妹さんが三女です。
そして、母親の隣に
マンションを借りて
住んでいる
やはり、このブログで
紹介したことのある
一番下の弟さんが
います。
やはり独身です。
何故か?男は独身です。

この5人兄弟の中で
この亡くなった
弟さんだけが
ここ20年程
他の兄弟との連絡を
あまりとって
いなかったために
近況については
家族のみんなも
状況を把握して
いませんでした。

健康面においては
寧ろ
病気とは程遠いと
思われていた方でした。

それだけに
お母さんや
兄弟たちの驚きと
悲しみは
如何ばかりかと
慮ります。

それぞれに
彼との思い出はあり
その思いに浸りながらも
彼と今生での
お別れを言い
また、次の再会を
約束したことでしょう。

彼の納骨までの
49日間
私は
毎朝
仏壇に向かって
弟さんに
こう
語りかけていきます。

「○○○○さん
あなたは1月6日に
亡くなりました。
1月13日には
焼き場にて
56年間使っていた
肉体にも
お別れを告げました。

しかしながら
あなたの実相は
完全円満なる霊なのです。
その証拠に
何も食さなくても
生きているという
確かな実感があるでしょう。

これから
あなたには
既に亡くなっている
お父さんを始め
有縁の方たちが
あなたを導くために
あなたの前に
訪れてまいります。

その方たちの
あなたを思う愛情を
魂から受け取って
その導きに従って
より深い気づきを
感じてください。

あなたの深い気づきは、
古いエネルギーから
あなたを開放し、
あなた自身の肉体や物質に
付着するものを
手放していくプロセスです。

最早、あなたには
病気もありません。
あらゆる執着から
自由になっていきます。
素晴らしい事です。
全てが変化していきます。
一つのステージを
越えていくのです。

そして
新生したあなたの
あたたかい愛で
残された
お母さんや
兄弟たち並びに
あなたに係わった
有縁の方たちを
お見守り下さいますよう
宜しくお願いいたします。」

真理を学んだことのある方
であるならば、
永遠の生命を自覚
されているでしょうが
自覚の無い方やまた、
自覚があっても
亡くなった状況が
昨年の地震や津波や
交通事故と言った
突発的なことであったり
した場合
どうしても直ぐには
理解できない方も
おります。

そのために
49日間という期間は
意味のあることと
言えます。

その場合
お坊さんから
あげて頂くお経も
大変、すばらしい内容で
雰囲気としては
いいのですが
それはそれとして

私は
亡くなられた方の年齢や
状況に鑑みて
現代語にて
その人自身に
毎朝、語りかけるように
お話をしていきます。

いつも同じではなく
弟さんの場合は
一番上のお姉さんや
一番下の弟さんのところに
たびたび出かけていって
夜中にテレビを点けたり
見ているテレビを
突然消したり
棚の上の物を
転がしたり
いたずらをするのです。

一番下の弟さんから
そんなことがあったので
お兄さんの相手を
してあげたそうです。
そして、
こんなメールが
届いていました。

「身内は気配でわかります。
ただ、恐怖感は何もありません。
昨日、兄の写真と一緒に
語り合いました。
酒を二人で飲みながら・・・」

その人の
係わりのあることの
状況を逐次、付け加えて
普通に友人と
話をしているように
語りかけるのです。

おとなしく
聞いている姿を
感じることもあれば
悲しみや
寂しさの感情の
波動も感じることが
できます。

何か
どうしても
言ったおきたいことが
あれば
夢枕に立ち
大切なことを
伝えてくれることも
あります。

ただ、不思議と
49日に近ずくにつれ
穏やかな静かな
波動になってくるものです。
理解さえしてくれれば
肉体と言う粗い密度と
違って
早く悟れるのです。

「今日は残りの人生の最初の日」

今日も彼に
語りかけました。
今日の彼は
とてもあたたかな波動を
出してくれました。

2月23日には
納骨をいたします。
それまでの間
彼と共に
次のステップに進むよう
語りかけていきます。

生かしていただいて
ありがとうございます、