2012年2月24日金曜日

『この社会で生きやすく・ この社会を生きやすく』

昨日は
女房の弟さんが
1月6日に亡くなって
49日経ちました。
49日法要を行い
横浜の三沢墓地で
納骨式を行いました。
心安らかに
旅立ってまいりました。
その瞬間は
昼前の11時45分頃
冷たい雨が
残されたお母さんや
兄弟たちの
心のうちを現わすように
大粒の涙となって
洗い流すかのような
光景でした。

暫く
ブログをお休み
しましたが
喪に服しておりました。
この49日間
彼との対話の中で
彼岸へ送り届けることが
できたのではないかと
思っております。

その23日を
明日に控えていた
2月22日に
このブログで
何回も紹介させて
頂いています
森安 英憲さんから
森安さんの知人の
萬谷 衣里(まんたにえり)さんの
ピアノリサイタルのご案内と
共にメールが届きました。
下記にそのメールの
内容を許可がありましたので
紹介させてください。
表題は「多数凡人の世界」と
あります。

「こんにちは。
アーカメロディさんはどちらにお住まいですか。
私の知人であるピアニストの萬谷衣里さんが、
留学先のドイツから一時帰国して東京でリサイタルをします。
よかったら聴いてください。

3月7日 水曜日 18時30分開演 
台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園 重要文化財)
2,000円 


大地震や新型インフルエンザなどあって、
最近社会ではリスクマネジメントという
新しい概念が台頭してきているようです。

緊急時の備え、ではなく、
普段の会社運営がどんなことにも対応できる
柔軟性を持つものにしよう、ということみたいです。

そのいちばんの中心が「人的資源の多重性」。
例えば大地震があって社員の半分が出勤できなくても、
生産が滞らないためには。みたいなことです。

それには、普段から倍の人数をかかえることは
当然できないので、さてどうするの?と。

これはチャンスだと思いますね。
私がずっとやってきたことが、
社会のメジャーな考え方に
採り入れられてきたと思うんです。

少数精鋭といって、別に精鋭でもない人が、
しかも低いレベルの仕事をやっているこの社会です。

社会と会社は同じ構成でなければ、
会社は社会に貢献しているとは言えません。
排除しているからです。障害や病気の人もいるから、
社会に貢献できるのです。

社会は少数精鋭で成り立っているのではありません。
社会は多数凡人です。

会社も、多数凡人が当たり前。
一人より二人。二人より三人。
いざというとき、一人の精鋭ではできないことでも、
二人の凡人ならできることも多くあります。

障害、病気の人だけではありません。
私はシルバー人材の採用もしていますが、
シルバー人材はキャリアがあり、
一方で体力や年金の関係があり短時間勤務を希望します。
それなら、例えば2名採用枠に
4名とか6名とか採用して順番に出勤すればよい。

いざというときは、2名の精鋭しか保有していなければ
その2名が出勤できなかったらお手上げですが、
4名や6名いれば2名分はまかなえる。
普段から2倍3倍の人数をかかえることはできるわけです。

外野からは「人増やしよって」と罵声を浴びていますが、
人を減らすことが生産性を上げることだという、
単純明快な賢い人にはわからないことです。

人を減らすことで、
高いレベルの人が低いレベルの仕事までやるから、
生産性が落ちるのです。

私にはリスクマネジメントは何ら新しい概念ではなく、
既にやっています。

また、働き手が減っていく日本と言われていますが、
そもそも現在、働けるのに働けなくされている人が
山ほどいることを、気がついていない人が多すぎます。

簡単なことですね。みんなに役割があるという当たり前のこと。
排除するのが好きな社会ですが、
「共に生きよう」と思えば、視界は360度開けると思うのだけど。」

いかがでしょうか?
まず、萬谷 衣里さんの
ピアノリサイタルは
是非、聴かせて
いただこうと思います。

萬谷 衣里さんの
リサイタル紹介の
Hpを拝見しますと
こう記されていました。

「2012年3月7日(水)、
母校・東京藝術大学より推薦され、
「奏楽堂デビューコンサート・シリーズ」に
出演することになりました。
このコンサートは
日本最古の木造の洋式音楽ホールとして、
重要文化財に指定されている、
旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園内)で行われます。
プログラムはモーツァルトが
母の死に際して書いたといわれる
イ短調のソナタからリスト、ブラームス、ブゾーニまで
「哀歌~エレジー」をテーマに選曲をいたしました。
初春の上野で、皆様にお目にかかれましたら幸いです。 」

私にとっても
タイムリーな企画で
萬谷さんが
「哀歌~エレジー」をテーマに選曲を
してくれたとのこと

女房も今は次の入院の前の
自宅静養期間なので
一緒に萬谷さんの
ピアノリサイタルを聴き
女房の弟さんを
偲びたいと思います。

プログラムは
下記の内容です。
モーツァルト: ピアノ・ソナタ 第8番 イ短調 K.310
リスト: 子守歌 S.198
リスト: 愛の夢 ノクターン第3番
リスト: 詩的で宗教的な調べ S.173 より 第7番 「葬送」
ブゾーニ: J.S.バッハによる幻想曲
ブラームス: ピアノ・ソナタ 第2番 嬰へ短調 作品2

お近くで
時間が取れる方は
是非、聴いてください。
いつもながら
森安さんの
偶然ではない
必然のはからいに
心より感謝したいと思います。
ありがとうございます。
とても待ち遠しい
楽しみな日になりました。

私は現在、老人の
健康サポートを
テーマとした
小さなNPOを
運営しています。
その中で
森安さんが仰る通り
今、特にシルバー人材の
仕事を確保することは
大変困難な社会に
なっています。

それで
シルバー人材のキャリアを
生かした仕事を
みつけサポートしています。
ひとつは
個人情報保護に関する
コンサルタントや
審査員や外部監査
そして
事業継続計画
(Business continuity planning、BCP)
に関するお手伝いです。

森安さんがメールで
書いています
リスクマネジメントの
お仕事です。

私どものNPOでも
昨年、東京のセミナー会場で
企業を集めて
事業継続のセミナーを
開催しました。
20社ほど集まって
いただきました。

シルバー人材の方たちには
長い間、
文書管理をお仕事に
してきた方や
管理職や経営に携わった方も
たくさんおられますので
まずできることの仕事を
作っていこうという
考えでやっています。

まだ、ボチボチですが
4月から或る大手企業との
アライアンスで
個人情報のパッケージ
ビジネスが決まりましたので
森安さんが進めておられる
多数凡人の精神を入れて
多数の方に分担して
生き生きと
仕事をして頂こうと
思いました。

さらに森安さんから
今度職安の依頼で
「発達障害者への職業ガイダンス」で
講演をされる時の
ジョブガイダンスも
送付してくださいました。
森安さんがどういう方か
良くわかります。
一緒に共有してください。

タイトルは
『この社会で生きやすく・
この社会を生きやすく』です。

「初めまして。立積住備工業の森安と申します。
会社での本業は「経理」ですが、
あるきっかけから障害のある方々との
つきあいを始めて5年になります。

森安の常識は社会の非常識と言われていますが、
非常識の中にこそ本当のことがあると、
そう教えてくれたのは障害のある方々でした。

私たちの会社・立積住備工業株式会社は
平城宮跡、朱雀門の隣にあります。
会社ができて37年になります。ユニットバスの製造をしています。
社員総数85名。障害のある社員が16名います。

私がこの仕事をするようになったきっかけは、
5年前にさかのぼります。
ある日の夕方、養護学校の先生が飛び込みで会社に来られて、
「養護学校の生徒の職場実習をやってください」とおっしゃいました。
養護学校だの職場実習だの、そんなの会社の仕事と関係ないよと、
私は断ろうと思いました。

でも私は思い直しました。
養護学校の生徒たちに、会ったこともないのに、
断ってはいけないかと思い、
私は一度だけ学校に行くことにしました。
10日後に学校に行きました。
でも、学校の前まで行くと、
子どもたちの叫び声や奇声が聞こえてきました。
「やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。
もう会社に戻ろう」と思ったとき、
ちょうど迎えに出てきた先生に見つかってしまいました。
そしてしかたなく学校に入ったのだけど、
思っていたのと違って、子どもたちは
とても優しく、温かく、私を迎えてくれました。

何てかわいい子どもたちなんだろう。
そのとき私はそう思いました。
私は、障害とは、体が不自由なことや、
知能の発達が遅れていることだと思っていたけど、
そうではありませんでした。

今まで、この子どもたちのことを、
知ろうともせず、受け入れようともしていなかった私が、
この子どもたちにとって本当の障害だったのです。

子どもたちを目の前にして、
「この子どもたちが幸せになる仕事を、私はしよう」
そう心に決めて、それから5年がたちました。

障害は決してその人ひとりのものではありません。
障害とは、人と人の間にあるもの。
障害とは、人と社会の関係を表す言葉。

例えば耳が聞こえないことを聴覚障害といいますが、
耳の聞こえない人とコミュニケーションがとれないこの社会も、
障害を作っているのです。
車イスでは階段が登れませんが、
まわりの人が車イスをかかえれば階段も登れます。
その優しさのない社会が本当の障害なのです。

私たちの会社は、
「障害者雇用をしている会社。障害者に理解のある会社」と
いわれていますが、そうではありません。
大事なことはたったひとつ。目の前の人を大切にすることです。
それは人として最も大切なことです。
そして、いつも目の前にある、いちばん簡単なことです。

でも私たちはそんな簡単なことができずに、
障害を作り出してしまうのです。

私は、こんな夢を持っています。
「誰もが当たり前に働ける会社」 
「誰もが当たり前に暮らせる社会」
私たちの会社には、障害がある仲間がいます。
この会社で、彼らが幸せに働いてほしい。
彼らが幸せに働ける会社は、みんな
が幸せに働ける会社です。
そして、この社会もそうです。
障害ある人たちが幸せに暮らせる社会は、
みんなが幸せに暮らせる社会です。

だから、誰もが当たり前に働ける会社に。
誰もが当たり前に暮らせる社会に。
それが私の夢です。

「角を矯めて牛を殺す」ということわざがあります。
短所を矯正することにより、
かえって長所を出せなくしてしまうというたとえだと思います。
長所と短所は同じものだからです。
その人の性質が最も強く出るところを、
良く見れば長所、悪く見れば短所。
確かに短所は改めたほうがいいかも知れませんが、
一方でそれは受け入れる側の感性の問題でもあります。
短所と言われることを貫き極めることで
超一流になっている人がたくさんいるわけです。

障害や短所を決して恐れることはありません。
それは、人と違うすばらしい性質を持っているということです。
その活かし方が、本人にとっても社会にとっても、大切なことだと思います。

私たちはユニットバスの製造をしています。
これは、洗い場というプラスチック
製品の加工をやっている職場です。

元々大手業者に外注していた仕事ですが、私はある思いがあって、
この仕事を自社に取り戻して、新しい職場を作りました。
そして10名という中小企業としては大型の新規雇用をし、
そこに過半数の6名の知的障害者を採用しました。

「ありえない」と誰もが思った立ち上がりでしたが、
1年近くたって障害者は8名になっています。
ひとりひとりは確かに能力が低い。
「ありえない」採用、「ありえない」職場作りです。
でもこの彼らが、大手業者に負けない生産性をあげているのです。

大手業者の社員さんは、
みんながオールマイティーな優れた能力を持っています。
私たちの社員は、「これしかできない」人が多いです。
でも、それぞれが、自分に与えられた役割だけを、
きちんとこなしたらどういう結果が生まれるでしょうか。

私たちの社員は「これだけプロ」です。
不器用でもいい。みんなが自分のできることに集中すれば、
全体として誰にも負けない仕事ができるのです。
同じアウトプットを出すなら、できるだけ小さなインプットで。
それは企業の当たり前。
同じアウトプットを出すなら、できるだけ能力の低い人で。
非常識と言われる私たちがやっていることは、企業活動そのものです。

生産性を下げるものは能力の高い低いではなく、
能力に見合わない仕事をさせることです。
この仕事を例にとれば、優秀な社員にはこの仕事は
簡単すぎてふさわしくなく、もっとやるべき仕事があるということです。
優秀な社員にこの仕事をさせるがゆえに、生産性を低下させている。
実はこの社会ではむしろそのケースが多く、
それは能力の低い者を除外するという形で、
さらに社会的損失を作り出しているのです。
私たちがやっていることは実に簡単なことですが、
それを理解するには現場を見ることが大事です。
そして、会社は社会の縮図ですから、
それは私たちの会社にとどまることではなく、この社会の真理です。

・この会社で働きたいという気持ち
・この仕事なら続けられるという気持ち
・未完成であること
就職は高いハードルですが、
もっと大切なことは「続けられること」です。
就職の準備には、目の前のことを続けられる力を養うことが必要です。

私は、自分の能力の高さをアピールする人は採用しません。
仕事はその会社に入ってからのことです。
能力の高さや資格は重要な要素ではありません。
また失礼ですが「現に就職できていない」者に、
企業が即戦力を期待するわけがありません。

そこへ何でもできるようなアピールをすれば、
かえって企業は引くものです。
それよりも今置かれた立場をわきまえて、
事実をそのまま伝えたほうがいいです。
スタート地点を明確にすることは、
企業側に「何をすべきか」考える機会を与えることです。

そんな物分かりのよい企業はないと思われるでしょうけど、
未完成な者を受け入れて、共に育つという感性を持たない企業なら、
所詮入ってもこちらが傷つくだけで続けられません。

ところで、企業が障害者を雇用するとき、
前提に求めるのが、コミュニケーション能力です。
それがなければ面接もできませんから。
でも私たちの会社には面接もまともにできなかった社員がいます。
そのとき私は思ったことがあります。
コミュニケーションは双方向のものです。
彼が私とコミュニケーションが取れな
い・私が彼とコミュニケーションが取れない、それは同じ事象のはずです。
彼に伝える力がない・私に受け止める力がない。

またコミュニケーションの方法は多様です。
言葉だけでなく身振りや表情もあります。
信頼できない相手に話などできないという気持ちもあるでしょう。
最初は私が話しかけても彼は目が泳いでもう答えられないわけです。
ところが毎日同じことを続けていると、
パターンを読んで答を用意してくるようになりました。
そうして話の種類を増やしていき、
それなりのコミュニケーションが取れるようになりました。

それと同時に彼は表情がとても明るくなりました。
伏目がちでおどおどしていた最初の彼とは違います。
仕事でも一生懸命自分をアピールしています。
それが彼のいちばんのコミュニケーションなのだと思います。
コミュニケーションができないからと
入り口で否定すれば今の彼はないし、
こちらにその力がないのを相手のせいにして
人の力を埋もれさせているとすれば、
私たちは何と罪深いことをしているのでしょう。
コミュニケーションができないのはお互い様というわけです。
ただ現実問題この社会で少しでも生きやすくなろうと思えば、
自分の特性と「社会の特性」を知って、
社会の特性に合わせられる力を持つことが、
あなたの財産になるでしょう。

企業はコミュニケーション能力に欠けるがゆえに、
あなたに「こちらに合わせたコミュニケーションをお願いします」
というわけです。

障害者問題とは、少数者の問題、ニッチな世界、他人事。
そう思ううちは、この社会に幸せが訪れることはありません。
この社会にはいろんな人がいます。
みんな理由があって「ちがい」を持って生まれ、
みんなが必要で、誰が欠けてもいけないのです。
障害者は社会に適合せよと言うけど、
ではその社会って、そんなに立派な社会でしょうか?
障害者は社会のかやの外ではありません。
障害者を含めて一つの社会です。
障害者がいなければ、その分社会は欠けるのです。
少数者問題は、同時に残りの多数者問題です。
障害者が増えているのは、人が生きにくい社会だからです。
障害は社会が作るものです。
会社という小さな社会も同じです。
障害者が働きにくい会社は、みんなが働きにくい会社です。
社会適合ももちろん大事。
そしてこの社会を生きやすい社会に変えていくことも
とても大事なことです。
私はそういう仕事をしていきたいし、
みなさんも勇気を持って社会に出て行くことが、
社会を変えていくことだと思います。

障害のない社会をいっしょに作りたい。
私の話が少しでも参考になれば幸いです。
森安 英憲」

いかがでしょうか?
とても重要な視点であります。
是非、皆様の意見も
お聞かせください。
共有ありがとうございます。

生かしていただいて
ありがとうございます。

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