2012年4月2日月曜日

“生きる力 安らかな死”

本日は
二つの知らせなければ
ならないと思う
重要な情報があります。

一つは
ベストセラー
「大往生したけりゃ
医療とかかわるな」
(幻冬舎新書)の
著者である
中村仁一医師を取材した
ジャーナリスト
塩田芳享さんの

【医者には診せない 
苦しまずに死ねる
「自然な最期」~ベストセラー
医師が明かす大往生の秘訣~】
という
末期がんと
どう関わっていくか?を
テーマにした
週刊文春の記事と

もう一つは
病気や事故のために、
意識が無く、
回復の見込みが少ないと
思われてきた
「植物状態」から
少しでも回復し
自分の意志を
伝達する方法は
数多くあるにも拘らず
知らないか故に
それを諦め、
悲しい思いをされている
患者さんや家族の人たちが
たくさんおられます。

山元加津子さんは
自身の経験を
宮ぷー こころの
架橋プロジェクト」
というメルマガで
同僚の宮ぷー
(宮田俊也さん)の
脳幹出血からの
生還を宮ぷーと共に
果たしてこられた実情を
毎日、書いて
愛を送り届けて
いらっしゃいます。

このブログでも
何回も紹介させて
頂いていますので
皆さまもご存知のことと
思います。

山元加津子さんは
知った人たちが
一人でも多くの方たちに
伝達しお知らせし
なければという
使命感から

今回のメルマガの
特別版で
「白雪姫 プロジェクト」の
スタートの案内が届きました。
どうか、共有して頂き
一人でも多くの方が
このプロジェクトの
愛ある情報から
救われますよう

言葉を取り戻し
自分の足で
この大地に再び
立って欲しいと
思わずにいられません。

是非、この二つの情報を
あなたの大切な方たちに
拡散してくださるよう
心より、お願いいたします。


●【緊急告知】 がん完全放置 → 全員安楽死 ・うそのような本当の話

*この情報を今必要としている、身内、友人、知人の方がいませんか?ぜひお知らせください。誤ったがん治療を回避しましょう。
*******************

●医者には診せない 苦しまずに死ねる「自然な最期」~ベストセラー医師が明かす大往生の秘訣~
(出典)週刊文春2012/03/29号P52~55
(ジャーナリスト)塩田芳享
―――――――――――――――――――――――――――――
ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者・中村医師は、老人ホームで末期がんの入居者を数多く看取ってきた体験から、ある一つの確信を得るようになった。がんになっても医療を受けず、「完全放置」すれば、全く苦しむことなくあの世に逝ける――。
―――――――――――――――――――――――――――――

厚生労働省は二〇一二年度を「新生在宅医療・介護元年」と銘打って、在宅医療・介護の推進を呼びかける。厚労省の調査では、六割以上の人が自宅での最期を希望しながらも、実際は病院で亡くなる人が八割近い。住み慣れた我が家で最期を迎える人はわずか15%に過ぎないのだ。
 
二月二十五日に放送されたNHKのスペシャルドラマ『家で死ぬということ』は、住み慣れた岐阜県の旧家で最期を迎えたいと願う末期がんの老女の物語だった。しかし老女の希望は簡単に受け入れられない。東京に住む娘夫婦が入院させようと画策するからだ。「がんの末期は大変苦しいものだ。病院に入院しなければ、その苦しみには耐えられないだろう」--東京の娘夫婦はそう危惧したのだ。

「末期のがんは苦しいもの」-そう考えている人は大変に多い。実際に、日本緩和医療学会の調べでも、がんと診断された時点で痛みを感じる人は30%に対して、末期がんの場合は75%の人が痛みを感じていると報告されている。

しかし、「がんの最期は苦しいもの」という常識に異議を唱える医師が、いま大きな注目を集めている。今年一月に『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)を出版した中村仁一医師(71)だ。わずか一ヵ月半で二十六万部も売れているという。なぜ、この本が多くの読者の心を捉えたのか。それは中村医師が、自ら勤務する老人ホームのデータによって、「自然の最期は苦しまない」「死は恐いものではない」ことを実証してくれたからだ。

「私自身、六十歳でこの老人ホームに来るまでは、がんの最期は苦しいものだと考えていました。そう考えることが医療界の常識でしたし、苦しむがん患者しか診ていませんでしたから」
 
そう語る中村医師は京都大学医学部を卒業後、内科医として京都の民間病院に勤務。介護保険が始まった平成十二年から、京都にある社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所の常勤医となる。「同和園」に来るまでは中村医師も「がんの末期の痛みをとるためには、麻薬を使うのが当たり前」と考えていたという。

「病院に勤務している頃は、胃がん、直腸がん、肺がん、肝臓がんなど、色々ながんを診てきましたが、大なり小なりの差こそあれ、患者さんはみなはっきりと痛みを訴えていました。そして痛みを訴える人には必ず麻薬を使う。それが常識だったのです」

その常識が「同和園」に来て大きく覆されてゆく。実際に「同和園」では、こんなことが起こっていた。「同和園」に入居していた山川悟さん(79、以下患者はすべて仮名)が吐血し、病院に入院することになった。そして精密検査の結果、手遅れの胃がんだと判明する。しかし、山川さんは中等度以上の認知症を患っており、なおかつ七十九歳という高齢。家族は積極的治療を望まず、「同和園」で看取ってほしいと要望する。

普通なら末期のがん患者を医療体制の整っていない老人ホームに戻すことなど考えられないことだという。末期のがん患者のほとんどが激しい痛みを訴えるものと考えられているからだ。しかし、中村医師は家族が望んでいるならと、ホームで看取ることにした。だからといって成算があったわけではなかった。

◎52人全員が痛みがなかった

「このホームには麻薬をおいていなかったので、いくところまでいって、痛みが出たら病院に送ろうと考えていました」
しかしそれは杞憂に終わった。病院でなんの治療もせずにホームに戻った山川さんは、痛みを訴えるどころか、コールタールのような黒い便が普通の便に変わり、食事ももりもり食べるようになった。血液検査をしたところ、貧血も改善し、正常の域に達していった。その後も痛みが出ず、外出するなど普通の生活をすることができるまで回復したという。病院からは、余命はせいぜい二~三ヵ月と言われた山川さんは結局、一年近くも普通の生活を続け、最後まで苦しむことなく安らかに亡くなったというのだ。

このホームに来るまで、中村医師は「最期まで痛みが出ないがん患者」がいることなど、全く念頭になかったという。山川さんのケースは偶然でなかった。こんなケースもあった。

食欲が落ち、やせてきて、胃腸の具合が思わしくないということで入院した海老原卓二さん(70)は検査の結果、進行性の胃がんで余命三ヵ月と診断された。がん性の腹膜炎を起こしていたが、がんに対して積極的治療の意思がなかった海老原さんは二週間で退院してホームに戻ってきた。痛みは全く訴えなかったが、がん性腹膜炎で腹水が増え、蛙腹がだんだんひどくなっていく。しんどがるようなら、腹水を抜かなくてはと中村医師が思っているうちに傾眠状態となり、口から一滴の水も摂ることができなくなる。その後、海老原さんは何の治療もしなかったが、最後まで痛みを訴えることなく、安らかに息を引き取ったという。驚いたことに、亡くなった時には、あの出っ張った蛙腹がぺしゃんことなり、完全に腹水が消えていたという。

「人間、生きるためには水分が必要です。口から水分を摂れなくなった海老原さんは、身体にある水分を全部使い果たして亡くなったのです。人間の自然の身体の仕組みはこんなにすごいものなのかと、感嘆しました」

中村医師が「同和園」に来て以降、最期まで痛みが出ないがん患者が十人くらい続いたという。これはもはや偶然ではない。中村医師はそう思うようになっていった。十人に共通していたことは、がんが手遅れで発見され、その後、抗がん剤や放射線などの治療をせずに、いわば、がんを「完全放置」していたことだった。これは中村医師が勧めたことではなく、本人や家族が望んだからだという。

彼らを診ていくうちに、中村医師はこのような考えに行き着く。「末期のがん患者はのたうちまわるほど苦しむと思っていたのに、十人の患者の誰一人、がんの痛みで苦しむ人がいなかった。がんが発見されるまでも痛みが出ず、その後、亡くなるまで全く苦しんでいない。がんという病気は、『完全放置』していれば、全然苦しむことはないのかもしれない」

この考えが、どれだけ正しいのか。平成十五年から平成二十二年までの間に「同和園」でがんで亡くなった人の数は五十二名。年齢とがんの種類は様々だが、驚いたことに麻薬を使うほどに痛んだケースは1例もなかったというのだ。五十二名中、ホームで最期まで看取った人は二十七名。それ以外の二十五名は病院で最期を迎えたが、彼らも痛みを訴えたから、入院したわけではない。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり黄疸がでたりしたために、「最期は病院で」という家族の要望があったからだという。

もちろん痛みを訴えた人が、まったくいなかったというわけではない。九十九歳の女性は首に大きなしこりができたので、病院で検査したところ、どこかから転移したがんであると診断される。詳しく知るためには精密検査が必要だったが、高齢であることから、家族は治療も精密検査も望まず、ホームに戻ってきた。

その後、しこりは急に大きくなり、女性は痛みを訴えたのだが、その痛みは、冷却シートを貼るだけで治まってしまったというのだ。「がんの痛みが冷却シートぐらいで治る訳がありませんから、これはがんの痛みではなく、しこりが急速に大きくなったため、皮膚が引っ張られて、それを痛みと感じるようになったんだと思います」

以前は、がん患者が痛みを訴えたら、すぐにそれはがんの痛みと考え、麻薬を使っていたこともあったという中村医師だが、「同和園」に来て、その考えが大きく変わったという。「がんの患者が痛みを訴えると、なんでもがんの影響だと考える傾向が強いような気がします。ここに来て、そのことがよくわかるようになりました。お尻がただれて痛いという患者に麻薬を使う医師がいるほどですから。がん患者の痛みの中には、がんの影響ではないものもかなりあると私は思うようになりました」

◎病院のがん患者との違いは何か

中村医師は十六年前から「自分の死を考える集い」という市民グループを主宰している。
「いまの時代、“死”をタブー視し、遠ざけるあまり、“生″もおかしなものになっている。“自分の死”を考えることは、“死に方”を考えるのではなく、死ぬまでの。“生き方”を考えることなのだ」

中村医師のこんな考えに共感した人が全国から集まってくる。なかにはがんと診断された人もいる。検査の結果、肺がんと診断された森野茂一さん(79)もそんな一人。森野さんは診断後、担当医からこう言われたという。

「八十歳なら手術はやらないが、あなたは七十九歳だから手術しよう」なぜ、一歳だけの違いで手術をするかしないかが決まるのか――。そう考えた森野さんは医師に不信感を持つようになる。そして「集い」にやってきて、中村医師の考え方に共感し、その後一切の医療との関わりを絶つことになる。手術の勧めを拒否し、肺がんを「完全放置」した森野さんはその後どうなったか。

なんと、その後四年三ヵ月間も好きな卓球を続けながら、QOL(生活の質)も全く落ちることなく、普通に生活を続けることができたというのだ。さすがに亡くなる1ヵ月前には、へたりこんで力は衰えたというが、最後まで呼吸困難もなく、痛みも全く出なかったという。しかし、亡くなる間際に問題が起きた。どこの医者にもかかっていなかった森野さんには、亡くなった後に死亡診断書を書いてくれる医師がいなかったのだ。そうした場合、「不審死」として警察が入って厄介なことになる。中村医師は森野さんに至急、往診医を探すよう助言する。八方手を尽くしてなんとか往診医を見つけるが、医療との関わりを絶ったがん患者など、普通の医師からすれば常識外だ。往診医から、「入院しろ、検査しろ、点滴しろ」と厳しく迫られたという。

当初は頑なに拒否していた森野さんだが、仕方なく一回だけ点滴注射と血液検査を受けた。そのとき、肺がんの腫瘍マーカーの数値のあまりの高さに医師は驚いたという。だが、最期まで全く痛みを訴えることもなく、苦しむこともなかった。そして、何の治療もしないことに猛反対だった子供たちが、「よくぞ、こんな穏やかな死を見せてくれた」と感謝したほど、森野さんの最期は安らかなものだったという。

前述したように、中村医師は、以前は「がんの最期は苦しむもの」が常識だと考えていた。だが、「同和園」で診た七十人以上のがん患者には、一人も麻薬が必要な人はいなかった。その違いは何なのか?実ははっきりとした違いがあった。「同和園」の人たちは、がんが手遅れで発見され、さらに高齢でほとんどの人が認知症を患っているために、抗がん剤や放射線などの治療を一切していない。

中村医師が以前勤めていた病院で診た患者は、すべて手術をした後か、抗がん剤や放射線の治療をしている人たちだった。「抗がん剤や放射線をした場合の最期が、必ず痛むかどうかはわかりません。しかし、治療をしなかった人は痛まなかったということだけは言えます」

筆者は本誌昨年九月二十九日号の「病院で死なないための『理想の看取り』」という記事で、延命治療などの医療に頼らずに「自然な最期」を迎えた人たちの事例を取り上げた。

東京・世田谷にある特別養護老人ホーム「芦花ホーム」に入居していた武藤公江さん(89)は誤嘸性(ごえんせい)肺炎を起こして救急病院に運ばれた。幸い肺炎はすぐに治まったが、その後医師から「胃ろう」をつけるよう強要される。しかし、これを夫は頑なに拒否した。認知症の妻の体に管を付けて、みじめな姿にさせたくないというのが理由だった。口から食べられないと宣告された公江さんだったが、その後、一日わずか六百キロカロリーという少量のゼリー食を夫が愛情込めて食べさせることで、一年半も元気に生き続けたのだ。息をひきとるときも、大変に安らかなものだったという。

富山県砺波市にある「ナラティブホーム」は終末期の行き場のない人を受け入れる看取りの場である。この施設では延命治療は一切しない。完全に自然な最期だ。そうすると、体はやせ衰えていくが、逆に不思議な現象が色々起こるという。認知症がよくなったり、耳が聞こえるようになったりと、医学では解明できない不思議な現象である。医療に頼らない自然な最期には、本来人間が持っている色々な力が現れてくるのだ。

◎人間には“自然緩和力”がある

そうした事例を知るまでは、筆者も、がんに限らず死ぬときは苦しいものと考えていた。だが、取材を続けていくと、「自然な最期」は驚くほど安らかなものであり、医療に頼らなくても痛みを感じないという。“事実”を知るようになった。そんな例をいくつも見ていくうちに、筆者はある確信を得るようになる。

それは、人間には自分で病気を治す“自然治癒力”があるように、安らかに死んでいける力、“自然緩和力”とでも呼ぶべき力が本来備わっているのではないかということだ。このことは、来月上旬出版予定の拙著『医療に頼らない理想の最期』(日新報道刊)に詳しく書いた。

人間は本来安らかに死んでいける力を持っている――数多くのがん患者を診続けてきた中村医師も全く同じ考えを持っていると言う。「死ぬ間際、人間は飢餓状態の場合、エンドルフィンという脳内麻薬が出て気持ちの良い状態になっているのです。呼吸状態がおかしくなっている時は酸欠になりますが、あの酸欠状態の時は脳内モルヒネが出ているのです。人間が死んでいく時は、自然に放っておけば、夢うつつのまどろみの状態で気持ち良くこの世からあの世へ移行できるものなのです。人間は本来、このような力を持っていて、自然な最期は苦しいものではないんです」

だが現在、この“自然緩和力”が使われることはほとんどない。中村医師が言う。「病気ではない。“死”に対して、医療が過度に介入するから、人間の本来持っている力が生かされてないのです。人間の持っている自然な力を無駄な医療が邪魔しているのです。医療の本来の役割とは、人間が持っている自然の力を最大限発揮させることなのです」

二人に一人ががんにかかり、三人に一人ががんで死ぬと言われている時代である。治療法は進化し、多種多様になっている。どの治療法を選ぶか悩む人も多いことだろう。だが、そんなときに、「何もしないで完全放置する」という選択肢もあるのではないだろうか。これだけの多くの人が、全く苦しむこともなく、安らかに亡くなっているという“事実”があるのだから。
(転載 了)

次は
山元加津子さんの
「白雪姫 プロジェクト」
始動のお知らせを
転載いたします。


『こんにちは。山元加津子と言います。ぜひ、この1分ほどの動画を見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=ot_fmBvKUh0&feature=youtu.be

脳幹出血で友人の宮ぷーが倒れて、一生植物状態で四肢まひだと
お医者さんが言われたときも「だいじょうぶ」と思えたのは、
学校の子どもたちが教えてくれたことがあったからでした。
私は、特別支援学校に長くいます。
子どもたちは、意識がないように見えても、実は、すべての人に
思いがあり、全部わかっているし、聞こえているし、
見えているということと、そして、もうひとつは、
人間の体や脳にはものすごい回復力があり、
あきらめなければ思いは伝えあえるし、
きっと回復していくんだということを
教え続けてくれました。
それは、間違いがないことだと私は思っています。

ところが、残念なことに、それはまだ、一般常識ではないのです。
私は、情報がないために、知らないというただそれだけの理由で、
思いが伝えあえなかったり、回復をあきらめなければならない方が
おられることに胸が痛くてたまらなくなります。
だって、もしかしたら、それは、自分の家族だったり、
自分だったりするのかもしれません。
そして、廃用症候群(寝かしておくことで病気になってしまうこと)も
決して人ごとではないのです。

どうかみなさんのお力で「白雪姫プロジェクト」をすすめていただきたいです。
そして、みんなが笑顔でいられますようにと心から願っています。

白雪姫プロジェクトとは…「病気や事故のために、意識が無く、
回復の見込みが少ないと思われてきた「植物状態」と言われる人たちが
世界に何十万人もいるといわれています。
その方たちは、これまで、ベッドで長い間寝たままの生活を送ってこられました。
けれど、意識を取戻し、食べる、思いを伝えるなどの生活行動を取り戻すための
方法があることがわかってきました。
白雪姫プロジェクトは、回復の方法や、それにつながる意思伝達の方法、
口から食事をとること、リハビリの方法、介護の方法などの
情報を集め広めるプロジェクトです。
私たちは、「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが
当たり前になっていく世界をめざします。
白雪姫は王子さまの愛によって、目覚めることができました。
白雪姫プロジェクトはそんな愛でいっぱいのプロジェクトです」

ただ、知らないというだけで、思いを伝えられない方、
ただ、知らないというだけで、回復をあきらめてしまっている方や
ご家族の方がたくさんおられるということ。
それはとてもとても悲しく残念なことです。
4月1日に白雪姫プロジェクトを始めます。

まず、情報をお伝えするために、ホームページを開設しました。
http://shirayukihime-project.net/

意識を取り戻すために、具体的にどうすればいいか、
腰を痛めない介護法はどうすればいいか、
人は寝かせたままにしておくとどうなってしまうかなど、
たくさんの情報が載っています。
また、多くの専門家の先生や、
村上和雄さんや、
黒岩祐治さん、
紙屋克子さん…
たくさんの方にも応援いただいて、
コメントを寄せていただいています。

 私がみなさんにお願いしたいのは、
とにかく、まず必要な方に、
情報をつたえていただきたいこと。
そして、白雪姫プロジェクトの内容を
多くの方に知っていただきたいということです。
皆さんお願いです。
白雪姫プロジェクトには
「応援のしかた」ページがあります。
そこに応援の方法が書いてあります。

1.応援のページの登録をお願いしたいです。
「私は白雪姫プロジェクトを応援します」というページです。
ここには、お顔の写真、ブログやミクシィやフェイスブック
などを入れて登録するページがあります。
そこに登録していただくと、白雪姫のページから、
みなさんのページに飛ぶことができます。
そしてもうひとつ、このプロジェクトを
多くの方に知っていただくために、
みなさんのお持ちのブログやフェイスブックページなどに、
「私は白雪姫プロジェクトを応援しています」の
文字とリンクをお願いしたいです。
それが、広まっていく大きな力になるからです。
登録数全部で何万にもなることが、目標です。
きっとそうすれば、何か変わっていくはずと思っています。

2.ちらしがあります。配っていただけたらうれしいです。
・・・・・

もっともっといろんな応援の仕方があると思うのです。
ぜひ、そんな方法も教えてください。
そして、どうぞ、応援をよろしくお願いします。
今も、横になったまま、
思いも伝えられずにいる方がおられます。
一分一秒もそんなことは嫌なのです。
どうぞどうぞお力をお貸しください。
私だけでは何もできないのです。
ぜひお願いします。
そして本当にみんなが、
元気で笑っていられますようにと
心から願っています。    
山元加津子
・・・・・(転載 了)

いかがでしたでしょうか?

どちらも皆さまや
皆さまの周囲の
大切な方たちの
問題として
決して
無関係な問題では
ありません。

私自身も
何回もこのブログで
紹介していますが
私の女房も
食道がんになってから
7年以上
24回も入退院を
繰り返してきた立場です。

4月4日にも
次の入院のための
通常の検査の日が
やってきます。
その度に
女房は落ち込み
夜、眠れない日が続きます。

今、この原稿を
書いているのは
夜中の3時半です。
女房のお付き合いで
近くで書いています。

女房の場合は
体力が無かったことと
(入院時26キロ)
私たちの方からも
拒否したため
幸いにも
抗がん剤や
放射線治療は
やらずに
内視鏡治療で
がんを切除して
いただいています。

女房は
食道の3分の2程
がんに侵されていました。
しかし、
女房よりも軽度の
同じ食道がんの方で
抗がん剤や
放射線治療を
受けた方の多くは
亡くなっています。

内視鏡は
一度に3センチ位しか
切除できないので
時間はかかりましたが
女房の場合は
それが良かったようです。
でも、その間
二度、死にかけたことは
あります。

また、変なもので
体力が無かったため
がんの進行も
ほとんど進まなかった
ことも幸いしたと思います。

若干、喉頭がんが
3箇所くらい
見つかった程度で
済んでいます。
これから切除していく
予定になっています。

しかし、
この週刊文春の
塩田芳享さんの
記事を読んで
今後のがんとの
付き合い方は
真剣に話し合って
決めようと思いました。

また
もう一方の
事故や病気で
植物状態になったり
意識はあっても
周りの無知から
あえて寝たきり状態に
なってきた方たちも

私の友人や
周囲の人たちの中にも
今まで
たくさん見てきました。

今、そのような状態の
家族や友人や
大切なかけがえのない人を
立ち上がらせることが
できます。

もう一度
お願いいたします。
この情報を一人でも
多くの方に
拡散してください。

『今日は残りの人生の最初の日』

人間には
偉大な力が
潜在しています。

自己を癒す力です。

私たちが
心の底から望むならば
驚異的なパワーを
ひとりひとりが
発揮できるのです。

自然治癒力
自然回復力
自然緩和力

偉大な力が
備わっています。

希望の伝道者として
共に伝えて
いくことは
難しいことでは
ありません。
今日、
一人でもいい誰かに
伝えてください。

生かして頂いて
ありがとうございます。

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