春分の日を迎え
昼と夜の時間の長さが
逆転しました。
2012年3月20日は
単純に昼夜の逆転
だけではなく
明らかに
闇と光が変化した。
そう思える。
そんな時、
為清勝彦さんから
昨年の7月8日に
デービッド・アイクさんが
発表した
未翻訳の
「AWAKENING THE WORLD –
EVERY HEART MAKES A DIFFERENCE」
「地球の覚醒にハートを合わせよう」
(邦題)
の翻訳メッセージが
届きました。
是非、読者の皆さまに
共有して頂こうと
思っていましたところ
前回のブログで
紹介させていただいた
森田 玄さんの
ブログ
「玄のリモ農園ダイアリー」から
これまたタイムリーな
内容を発見しました
ドリー・メイさんの
「ライトワーカーの仕事」です。
併せて紹介させて
いただきたいと
思います。
為清勝彦さん翻訳の
デービッド・アイクさんの
メッセージを最初に
紹介させていただきます。
デービッド・アイクさんの
メルマガは
私の友人には
数年前から
PCや携帯メールに
転送させて
いただいて
度々読んで
いただいていました。
皆さまにも
共有して頂きたいと
思います。
「地球の覚醒にハートを合わせよう」
By David Icke
2011年7月8日
『いつも質問されることがある。
「我々にできることは何か?」
今週末〔2011年7月9日〕、
私は大きな可能性を秘めたことを始めるつもりだ。
それは我々が一緒にできること、
座ったままでもできることである。
簡単かつ単純で、参加する人々には、限りない便益がある。
そして、もし十分な数の人々が参加するならば、
文字通り、世界を変えることになる。
毎日20分を費やすだけだ。
もっと長い時間をかければさらに良いだろうが、
とりあえず一日に20分を
「地球の覚醒にハートを合わせよう
(ひとつひとつのハートが世界に目覚めをもたらす)」
と題した活動に使ってほしいと私はお願いする。
我々にはパワーがある。
基本的な仕組みさえ理解すれば、
振動でできた監獄の壁を倒しても余りあるパワーがある。
ハート・エネルギーを乱し、低い振動の思考・感情
(恐怖、ストレス、怒り、フラストレーション、うつ状態など)
を生成している支配システムは、偶然に出来上がったものではない。
人類を乱れた低い振動の状態に保持する目的でそうなっている。
そして、彼らの欲しがるエネルギーを生み出すように、
閉じたマインド(無関心)に人々を束縛している。
さらに、ここが大事なポイントだが、
このことが、バランスの欠如した乱れた低い振動の
電磁気エネルギーを、「地球の気」に絶えず供給しているのである。
HAARPなど相互関連した放射線テクノロジーは、
このエネルギーの「海」の響き(共鳴)を一層抑圧し、
乱すためにも利用されている。
そうして、その「海」にいる魚(人間のこと)を、
「海」全体と同じ低い振動の状態へと誘導している。
エネルギーの「海」の中で人々は撹乱された状態になる。
また逆に、その人々の乱れたパターンが
「海」にフィードバックされる。
こうして一層ネガティブな作用を増幅していく
フィードバック・ループを形成しているのだ。
この回路を断ち切らなければならない。
個人そして集団のエネルギー場を、
支配システムが依拠している分裂・混乱状態から、
我々を自由にする結合・整合状態へと
変容させなければならない。
操られた混乱状態の中からでも、
我々は調和したエネルギーを発振することができる。
十分な数の人々が
「地球の覚醒にハートを合わせよう」に参加するならば、
それができる。何百万、何千万、もっと多くの人数が必要だ。
フラストレーションなどネガティブな感情を持つと、
心臓のリズム(心拍)は乱れる(左)。
感謝などポジティブな感情に切り替えると、
心臓のリズムは安定・整合する(右)。
こうしている今も、刻一刻と、人間が地球のエネルギー場に
どれほどの影響を与えているか、その実態を知れば誰でも驚くだろう。
現在のテクノロジーならば計測することもできる。
9/11のような大事件に世界の人々が反応すると、
地球のエネルギー場には大きなスパイク
(急激な跳ね上がり)が生じる。
9/11で生み出された恐怖の感情が
陰謀集団の目的に貢献したことは自明だろうが、
それとは逆に、地球のエネルギー場を、
愛、平和、調和へと開くためにも
我々のパワーは使うことができる。
そして、不均衡と混乱の上に存続している
支配システムのトランプの家(砂上の楼閣)も
崩すことができる。
この新しい企画
「地球の覚醒にハートを合わせよう」では、
毎日イギリス時間の午後9時半に、
世界中のハートとマインドを接続し、
愛、平和、調和の結合エネルギーを
集合的なフィールドに送り出す場を提供する。
その際、
気持ちを集中するための補助として、
毎日、映像を掲載する予定である。
たとえば、大地や海などの自然の風景、
トリポリの写真、または、悪と混沌の猛襲を受け、
癒しと調和を必要としている人の写真になるだろう。
http://www.davidicke.com/articles/the-awakening-mainmenu-118/50785-awakening-the-world-every-heart-makes-a-difference-the-picture
また、世界中の町や村で、
こうして定期的にエネルギー場を結合させ、
愛、平和、調和を「地球の気」に送り出したいと
思っている人々がいるだろう。
そのまとめ役を名乗り出る人も必要だ。
参加人数は多いほど良い。
また、「聖地」として有名な場所で大規模な集会を
開催する必要もある。
聖地というのは、主要なエネルギーの渦
〔人体のチャクラに相当〕がある場所に位置しているからこそ、
「聖地」と認識されている。
そうした場所で行ったことは、地球への作用も大きい。
そうした組織を作り集会をする人々が
コミュニケーションできるように、
Davidicke.comのフォーラムに特別なセクションを設けている。
必要なのは時間と場所だけだ。
また、現在起きていることに抗議するために、
街路(ストリート)に繰り出す人が増えている。
そうした人々に言っておきたい。
自分の主張を聞けと要求するのは結構なことだ。
だが、我々はもっと賢く(ストリートワイズに)
ならなければならない。
もしも、抗議運動が、怒りの感情を抱き、
攻撃的、敵対的なものならば、
それは支配者たちがまさに望んでいることを
やっているだけだ。
彼らが欲しがっているエネルギーを増産するからである。
何千もの人々が、立ち上がって怒りの抗議をする代わりに、
ハートを結合させ、黙って座って集中し、
愛と平和のエネルギーを送り始めたとしたら、
そのパワーはどれほど強くなるだろうか。
愛と平和の想念は、怒りや恨みよりも、
5千倍も強力だという測定結果がある。
スローガンを大声で叫んだり、
政府や警察を罵倒する代わりに、
ただひたすら大勢で座り、
静かにハートに集中し、
愛、平和、調和の想念を送るのである。
そのインパクトはものすごいだろう。
意識、健康、感情のバランスなど、
ハートは、あらゆることの中心である。
だから支配システムは、常にハートを攻撃目標にしている。
我々は、誰にでも備わっているパワーである。
我々は、月と太陽のダンスである。
我々は、隠れることのない望みである。
我々は、潮流の転換である。』
(翻訳:為清勝彦 Japanese translation by Katsuhiko Tamekiyo)
いかがでしょうか?
為清勝彦さんは
必ずしも
デービッド・アイクさんの
提案メッセージに
対して100%思いを
ひとつにするものでは
ありません。
読者の方も
それぞれに感想は
あることと思います。
翻訳された為清さん自身
「これに賛同して
参加するというよりは
想念のパワーの
重要さを理解できると
思って訳してみた。」と
仰っています。
そして
次の警告もされています。
『アイクは、イギリスの夜9時半に合わせて
世界で同時にハーモニーの想念を
集中させようと呼びかけている。
人数はなるべく多く、
最終的には何百万、何千万人という
規模にする必要があるといっている。
それと同じことが現実になされている。テレビだ。
何百万もの人々が、同じ時間に同じ番組を見ている。
ニュースを見て政治に怒りを感じ、
悲惨な犯罪に不安を感じ、
悲劇のドラマを見ては泣いている。
同時に同じ感情が発生している。
そうして束ねられた想念のパワーは
どこに向かうのだろうか?
表層意識では気付かないが、深層意識では認識されている
サブリミナル広告のことは昔から問題になっている。
そうした技術を使えば、
誰にも気付かれることなく、
想念のパワーを特定の目的に仕向けることも可能だろう。
私がテレビの危険性を警告している理由はそこにある。
テレビは、時間や場所を定めて行う
宗教の礼拝・儀式と同じであり、
テレビを見ることは
メインストリームの社会という
宗教に入信している状態である。
だから、テレビを見ていると
(面白くないかもしれないが)安心するのである。
テレビを見るのをやめるのは、
宗教団体から離脱するのと同じぐらい心理的に困難だ。
今の社会を支配している勢力に
想念のパワーを供給し続けたいならば、
彼らと運命をともにしたいならば、
これからもテレビを見ればよいだろう。
人それぞれ自由な選択だ。
人々がテレビ番組(プログラム)を見ているとき、
情報の波という形態で、
テレビを通じて、情報が部屋に伝送される。
テレビ局で働く人々は
何が行われているか知らなくてもかまわない。
テレビ放送は、
通信を乗せる搬送波として利用されているだけであり、
それでテレビを見ている人々にサブリミナルの情報が届く。
テレビを見ているときの脳波の動きは、
催眠術で引き起こされたものに似ているという事実も、
心理操作をより効果的にすることになり、
さらに新型のデジタル・テレビやラジオは、
独自のサブリミナル的な「語りかけ」をしている。
これにはサブリミナル通信をさらに一歩進める意味があり、
それゆえに各国の政府は必死になって導入しているようだ。
(2012年3月4日のアイクのニューズレターより)
想念のパワーを集めて地球に覚醒をもたらすということは、
テレビが形成している想念フィールド(テレビ場)と
勝負することを意味する。
だから、最終的には、何千万、何億という人数が必要だと
アイクは言っているのだろう。
(中略)
支配システムは、我々が自らビジョンを描き、
少しずつ着実に新しい世界を築くのを阻止したいようだ。
いわゆるスピリチュアリズムの本質は「いつかどこかで」である。
待っていれば、いつか今の世界は破滅し、楽園が訪れる。
誰かが用意してくれる。そう信じてほしいのである。
あるいは、終末予言や地震の予測などに
ふりまわされていてほしいのである。
これからのことを真剣に考えても、
「いまここで」何をしても、無駄だと信じてほしいのである。
そしてこの世で、未来を具体的にイメージし、
さらに推進する力がある者はといえば、
利益追求の企業か、秘密結社ネットワークぐらいである。』
と結んでいる。
デービッド・アイクさんが
仰っている。
「個人そして集団のエネルギー場を、
支配システムが依拠している分裂・混乱状態から、
我々を自由にする結合・整合状態へと
変容させなければならない。
操られた混乱状態の中からでも、
我々は調和したエネルギーを発振することができる。」
この内容は
私が以前から
唱えているテーマで
あります。
私たちひとりひとりの
内面には
神なる我
真我が備わっています。
アイクさんが言う
分裂・混乱状態から、
我々を自由にする
結合・整合状態への
変容というのは
自我なる意識状態から
真我なる意識への
自覚を促すものです。
私たちの本質は
愛・智慧・生命・調和なる
無限の光エネルギーです。
恐怖、ストレス、怒り、
フラストレーション、うつ状態等は
偽者の我が創る
自我(偽我)からの
仮の現われ、
闇の想念に過ぎません。
私たちの身勝手から
闇に力を与えているに
過ぎないのです。
朝が来ない夜はないのです。
暗い部屋もスイッチを
入れれば
パーッと明るく
なるでしょう!
そのように
私たちは
できています。
何者にも依存することなく
自らの内面に
答えが書かれています。
私たち自身が
ライトワーカーなのです。
それでは
森田 玄さんの
「玄のリモ農園ダイアリー」より
紹介させていただきます。
ライトワーカーの仕事
ウォールストリート金融界を中心に
全米で話題になっていることのひとつに、
3月14日のニューヨークタイムズに
「私がゴールドマンサックスを辞める理由」
という内部告発の寄稿記事があります。
これは世界最大の金融投資会社のひとつである
アメリカのゴールドマンサックスに
12年間務めた役員が、
金儲けのためには平気で顧客を騙す会社の体制を
「これほど腐敗し破壊的な環境は見たことがない」
と糾弾する会社への縁切り状を
この日の新聞に公開したのです。
この人の良心が目覚めたのですね。
これも光が世界に増している一つの徴候でしょうか。
ハワイにいるスピリチュアルなリーダーの
一人であるドリー・メイさんも、
かつては不動産売買で成功した会社の社長でしたが、
80年代の不況で一夜の内に
2,500万ドルという負債を抱えて倒産し、
一時は債権者が700人にも昇ったそうです。
でもそれがきっかけで内なる世界に目覚めたのです。
ドリーさんの書いた「ライトワーカーの仕事」を
たまたま手にした雑誌にみつけ、
とても心を動かされたので、
ドリーさんの了承を得てここに転載させていただきます。
でもマシュー君の言う、
私たちの細胞が
”炭素基盤からクリスタル基盤に変化”していることが
科学的に実証されているとドリーさんは書いていますが
、私はまだ確認していません。
********************
『ライトワーカーとは、
自分が輝く愛の光の灯台であることを知っている人です。
この光は癒したり、感じたり、ただそうあるために使われます。
それは愛と歓びの波動です。
それはやろうと思えばできますが、
押し出したり、操作する必要はありません。
ライトワーカーはなにもしていないように見えるかもしれません。
でもそこに存在することが、何気なく微妙な素晴らしい方法で、
ほかの人たちの気持を落ち着かせ、気づかせ、その存在を高めるのです。
灯台は単に輝く光です。
ほかの人たちがその光を受けて何をするかは、
その人たちが選択し創造することです。
ライトワーカーの仕事は光になることです。
そうすることで、このアセンションが進行している時代に
なにが起きているのか理解できず混乱している人たちの
気持を落ち着かせます。
それらはチャクラ(からだのエネルギーの中心)の覚醒、
極度の不眠症、なかなか良くならない関節痛や筋肉痛、
めまい、記憶喪失(認知症とは違います)、心悸亢進、
頭痛、一過性の異常症状などです。
このような症状を経験している人たちは病気ではありません。
それは問題ではないのです。
さまざまな問題について人々が不安を訴えて来ます。
関節痛、視力異常、頭痛、腹痛、食生活の変化、
不眠症、めまいなどです。
その人たちの心配と恐れは実は私たちが見ている
新しい”映画”に興奮しているためなのです。
私たちはスクリーンに釘付けになって、
少々取り乱しているのです。
べつにそうする必要はありません。
だれかに相談して、答えてもらって恐れや不安を
鎮めてもらうのもいいでしょう。
でもそれよりは、自分自身の内に問いかけて、
自己のハイアーセルフとつながって
不安をなくす方がいいです。
心配ありません。ほんとうに大丈夫なのです。
地球の第三次元の自己に転生する前に
あなたがつくった本来の人生プラン/合意に、
あなたは間違いなく沿って進んでいます。
あなたはこの地球の変換時にここにいるように
選んで来ているのです。
あなたのからだは実際に炭素基盤からクリスタル基盤に
変換しつつあります。
科学がこれを証明しているのです。
各細胞のDNAとその炭素基の原子量が
変化するところを科学者たちが観察しています。
考えても見てください。私たちは肉体的、
エネルギー的に変化して細胞がより多くの光に
満たされるようになるのです。
クリスタルの光の存在に一瞬でなるのではありません。
それはからだとこころと精神に
慣れるように徐々に起こります。
あなたの魂はすでにそれがどこに向っているのか知っています。
あなたのエネルギー体には
7つのチャクラが背骨に沿って走っていますが、
それらがこの地球に入ってくる
新しい高エネルギーの光の波動を受け取り、
そのような変化の多くをコントロールしています。
太陽光と月光は黄色みが減ってさらに明るく白くなります。
これらの近い天体とほかの遠い天体からの
光の波動エネルギーがこの変化を生みます。
このような変化に反抗し、否定し、拒否する人たちには
変化は起こりません。
その人たちは、その考えにふさわしい場所を
自分たちで見出すでしょう。
恐れる必要はありません。すべてうまく行っています。
変化のために私たちはここに来たのです。
汽車がいま駅を離れようとしていますが、
行きたくないと言う人たちがいます・・問題ありません。
では、光がいったい何だというのでしょう?
科学はあらゆる存在するものが、X線、紫外線、レーザー光線、
ダークホール、太陽光、ラジオ波などの巨大な光の
スペクトラムのようなものだと理解し始めています。
光によって物が起こります。それは波で伝わります。
それがあらゆるものの波動を変換することで、
現在この惑星とこの宇宙とそのあらゆる存在に
変化を起こしています。
あらゆるものにです。長い間科学の謎であった失われた環
(ミッシングリンク)に私たちがなるのです。
過去の最後の変化は動物から考える人間でした。
今回の変化は人間から、
統一、平和、愛、歓びの感覚をもつ宇宙人です。
それは宇宙の高い意識の兄弟愛からの再結合の中で、
双対性を超え、善悪を超えた分離の和解という
私たちの真の人間性です。これがささいな変化ではないことは明白です。
惑星と宇宙とそしてあらゆる創造物と供に、
一つの種として私たちはいま改良され、
グレードアップされつつあります。
私たちはこれが起こる助けをすることに合意したのです。
このレベルアップは私たちの世界だけのことではありません。
多次元レベルでのことです。
大きな違いは、このようなことはこれまでに起きませんでした。
変化の間、ほかのどのような存在たちも肉体を持ったまま
留まったことはありません。
ところが、いまここにはたくさんの人間ではない存在たちがいて、
私たちが宇宙でも未曾有の出来事を経験できるように、
愛情を持って支援し、見守り、導き、指揮してくれているのです。
ライトワーカーの仕事は闇に気づいていて、
しかしそれに飲み込まれないでいることです。
ライトワーカーは、全人口の1%の支配者たちの
腐敗、欲、欺瞞、濫用などの重大な悪行為を知り、
彼らがどのようにメディア、政治、金融、食料、宗教を通して
私たちにそのような卑劣な行為を行っているか気づいているでしょう。
その気づきは闇に光をもたらすためのものです。
それによって隠されていたことが明らかにされるのです。
気づきの光を輝かせることが、
いまやパワーを失いつつある闇の人たちのいる
陰の世界を明らかにするのです。
それが彼らを弱くするだけでなく、
光が来ない前には彼らの身の安全からできなかった立場を
変えるチャンスにもなるのです。
私たちはこのすべてにどう関わっていくのか決めなければなりません。
私たちは許しのこころをもつライトワーカーになれます。
私たちは報復、罰則、投獄、公共での恥を要求する迫害者にもなれます。
ライトワーカーは愛と思いやりと許しを選びます。
私たちは完全ではありませんが、私たちがみなワンネスであること、
そのような悪党たちはこの転生での目的があって
その役割を演じる合意をしたことを思い出すことができます。
すべては私たちのいまのこの気づきのために起きているのです。
それらによって、私たちの心の中にある陰の深さを知ることができます。
この人生ではそれほどひどいことはしていないかもしれませんが、
私たちの数多くの転生や思考や怒りの中のどこかで、
ほんのつかの間かもしれませんが、その陰が生きていたのです。
あらゆることが変化しています。
いま母なる地球にこうしていることはワクワクする時です。
私には平和と愛と歓びがすぐ近くに来ていることが感じられます。
私たちが一緒にこれを実現させ、この地球をより高い波動の、癒された、
全体の、愛に満ちた、飢餓のない、豊穣と光に満ちた星にしましょう。
もしあなたがこれを読んでいるのなら、あなたもライトワーカーです。
お帰りなさい。』
原文: http://www.dollymae.blogspot.com/2012/02/lightworkers-job.html
『今日は残りの人生の最初の日』
二つのメッセージ
いかがでしたか?
キーワードは
“愛と思いやりと許し”
だと思います。
それは
私たち自身が
無限の
“愛と思いやりと許し”
を持って
生かされている
存在だからなのです。
今まで
どれだけの
愛を授かったでしょう!
今まで
どれだけの
思いやりを
かけていただいた
ことでしょう!
今まで
どれだけ許されて
きたのでしょう!
“愛と思いやりと許し”
がなかったら
私たちは
今、ここに
存在することすら
できていなかったと
思います。
どんなことも
私たちを
真我に到達する
ために
現れた人物であり
出来事なのです。
寧ろ、感謝をしなければ
ならないのです。
今、私たちは
自分自身の
心の内面に
向かって
突き進むことです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2012年3月21日水曜日
2012年3月16日金曜日
「現実の共有」
森田 玄さんの
「玄のリモ農園」という
ブログの3月13日投稿に
「現実の共有」という
文章が掲載されています。
森田 玄さんは
「マシュー君のメッセージ」
の翻訳者として
有名な方です。
ナチュラル・スピリット社から
出版されていますし、
自身のブログでも
タイムリーに
翻訳できたものから
紹介してくれています。
奥さんの
きくちゆみさん共々
環境保護活動や
9・11貿易センター
爆破事件の真相追及の活動や
人間の持つ自然治癒力を
高めるための
ハーモニクスライフを
提案していたり
いろいろな活動を
積極的に進めている方です。
私のブログでも
何回も紹介させて
いただいておりますので
ご存知の方も
おられると思います。
私もお二人が
提案している
ローフードの料理を
味わったり
9,11の真相追求の
イベントに参加して
その後の食事会に
参加して楽しい時間を
過ごさせていただいた
こともあり
お二人の活動と共に
人間性も
とても素晴らしい方々です。
まずは
森田 玄さんが
書かれた
「現実の共有」を
共有してください。
「現実の共有」
『真実は、あるいは現実と
言ってもいいかもしれません、ひとつです。
私と妻は80年代から
環境保護活動に関わってきましたが、
考えてみると正に人々に
「現実を共有」してもらいたいという願いで
様々な取り組みをしてきたとも言えます。
それはどうしてかと言うと、
立場の異なる人たちが
ひとつの現実を共有できないかぎり、
そこに対話も理解も生まれず、
対立だけが残るからです。
人と人がつながるためには、
この現実の共有が必要条件です。
その意味でジャーナリズムと
メディア(報道)のパワーは圧倒的であり、
恐ろしいほどの”現実”を
創造することが可能です。
しかし彼らが報道という
一方的な手段を握っている限り、
一般の人々と広く現実を共有し、
つながるためには、
メディアを支配する彼らとまず
現実を共有することが必要です。
高木仁三郎さんは、
反原発活動に生涯を捧げ、
その途中でガンに倒れた
国際的にも著名な市民原子力科学者です。
彼の業績は
残された素晴らしい著作物からも明らかですが、
彼の主張が正面から主要メディアで
とり上げられたことはありませんでした。
反原発の旗手として、
原子力の恐ろしさを現場の科学者として
訴えたきた彼の目には、
311は起こるべくして起きたことだったでしょう。
高木さんの警告を真摯に受けた私たちは、
いわゆる低レベル放射線被曝(内部被曝)の
健康への深刻な影響を訴えるために
2006年アメリカの
アーネスト・スターングラス博士を
日本に招聘して各地で講演会を開催しました。
スターングラス博士は肥田舜太郎医師に
低レベル放射線の影響を最初に伝えた人です。
議員会館で報道各社を招いて記者会見を行いましたが、
主要メディアで記事にしたところは皆無でした。
私たちは原子力村の圧倒的パワーに
ただただ立ちすくむだけでした。
311一周年を迎えて、
やっとジャーナリストたちの態度に
変化が起こりつつあります。
とくに目に留まったのは京都新聞が
社説ではっきりと
日本が脱原発の道をとるべきだと書いたことです。
また報道ステーションのSPエンディングで
司会者の古舘伊知郎氏が
原発報道への反省決意表明をしたと聞きました。
そして今日読んだ共同通信の
編集委員が書いた記事がこころに残ったので、
ここにそのまま転載します。
連載コラム「3・11に思う-
われわれ科学記者と呼ばれる集団は、
市民科学者の声にどれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に発信してきただろうか」
と題したこの記事によって、
多くのジャーナリストが目覚め、
現実を共有してくれることをこころから願います。』
いかがでしょうか?
森田 玄さんや
奥様のきくち ゆみさんの
多くの活動を
知るものにとって
真実を伝えることが
いかに難しいか
テレビを初めとした
強大なマスコミの力
あらゆるマスコミは
真実を報道する筈なのに
政治も医療も
農業や食品関係も
金融も何もかも
利益と言う一点で
世界的に繋がっている
現状の中で
真実を伝えることは
命をかけた行為を
意味するものです。
お二人とも
何度も無力感や脱力感に
打ちひしがれた
違いないのです。
森田 玄さんや
きくちゆみさんや
あらゆる人たちの
「真実を伝えたい!」という
ひとりひとりの信念が
少しづつですが
身を結ぼうとしています。
森田 玄さんが
言うように
あらゆるジャーナリストが
身を挺して
真実を語り始めています。
特に
「報道ステーション」という
視聴率の高い番組で
古舘伊知郎さんのような
認知度の高い方の
このような表明は
大変、意義深いことだと
思います。
それでは
共同通信の記事である
連載コラム
「3・11に思う-
われわれ科学記者と
呼ばれる集団は、
市民科学者の声に
どれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に
発信してきただろうか」を
掲載させていただきます。
「原発の不都合な真実」
『東京電力福島第1原発事故後の1年を生きた。
この1年間、記者として、それ以前に一市民として、
自分は一体これまで何をしてきのか、
これから何をするべきなのだろうと自問する日々が続いている。
あの日以降、恐らくすべての日本人が、
震災と原発事故後の日本でどう生きるのか、
という問いに直面しているのだろう。
震災と事故からわずか1年しか経っていない中で、
一人の記者が感慨などを公表することに
さして意味があるとは思えないのだが、
編集部からの依頼もあって、
今、自分の心の中にあるものをつづってみた。
(共同通信編集委員 井田徹治)
× × ×
私が東京の本社の科学部に配属されたのは
1991年のことだった。
当時の驚きの一つは
「××省は」「●●庁は」という役所を主語にした
記事ではないと意味のある記事ではないと考え、
膨大な額の国家予算を投じて進められる
巨大科学技術関連の記事を、
官庁やその研究機関の研究者の話を基に、
その意義や成果の十分な検証なしに発信する
記者クラブ詰めの記者たちが、
自分の周囲にいかに多いかということだった。
原発の安全性や電源としての優位性に関する神話、
再生可能エネルギーは役に立たないという神話。
最近では、
「世界各国で原子力ルネッサンスが始まった」という神話。
原発事故によって明らかになった
これらの多くの「神話」の形成に、
そんな科学記者たちの行動が
一役買ったことを否定するのは難しい。
だが一方で、1990年代の初めは、
環境保護運動や反核運動が世界的な盛り上がりを見せ、
その担い手である市民団体と、
それを支える「市民科学者」の存在が
重要度を増してきた時期でもあった。
当時の日本で、官製の科学研究とは一線を画し、
市民の側に足場を置いた「市民科学者」の
重要性を指摘したのが故・高木仁三郎さんであった。
高木さんの発言や行動に強い感銘と影響を受け、
市民団体や市民科学者による研究報告などが
提供してくれる、粗削りではあっても
先見性と批判精神に富み、官製情報とはまったく違った
弱者の視点に立った情報はとても新鮮だった。
だが、役所の情報を、先を争って探り、役所からのリークを
受けては記事を書く科学記者はいくらでもいたが、
市民科学者の声に
真剣に耳を傾ける記者は当時、まだ少なかった。
個人的には、役所からの官製情報からは距離を置き、
市民団体やそれと行動をともにする内外の科学者たちの姿、
そこからの情報を可能な限り発信する努力を
してきたつもりだった。
少なくとも官製情報を基にした原発の安全神話や
「原発は安定供給に貢献する安価な電源だ」との
神話の形成に直接加担するようなことを、
ジャーナリストとしてやってこなかったという自負もあった。
だが、事故後の今、
どう考えてみても自分の努力は不足していたと思う。
私は科学部記者として
1995年の阪神大震災の取材にかかわった。
高木さんは震災直後、日本物理学会誌での論文の中で、
巨大地震の後に非常用ディーゼル発電機の
起動失敗などの可能性を列挙し
「メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」
と指摘していた。
不勉強にして、この論文の存在を知ったのは
ずっと後になってからのことで、それを記事することもしなかった。
結果的に原子力にまつわる多くの神話の形成に
少なからず加担してきたことに今、
大きな責任を感じ、自らを恥じている。
そもそもわれわれ科学記者と呼ばれる集団は、
市民科学者の声にどれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に発信してきただろうか。
G8サミットなどの国際会議や官庁の取材、
スペースシャトルの打ち上げなどの
巨大プロジェクトの取材に投じるリソースの100分の1でも、
市民科学者の取材に割いてきただろうか。
日常の取材の中で、
電力会社と一体不可分となった原子力の安全規制、
インサイダーだけで決められる
原発と石炭火力を極度に偏重するエネルギー政策、
再生可能エネルギーの拡大を阻む
さまざまな利権といった問題を記者として知り、
原発開発には極めて批判的なことを言いながら、
心の中のかなりの部分を
原発の安全神話が占めていたのだと今になって思う。
「科学における貧困の最大の理由は、
大抵は豊かだと思い込むためだ。
科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、
無限の誤謬にひとつの終止符を打ってゆくことだ」というのは
ドイツの劇作家、ブレヒトの傑作の一つ
「ガリレオの生涯」の中の一節である。
事故以来、この一文章がずっと頭に中にある。
われわれ科学記者は、実はさして根拠のないことが多い
「科学の豊かさ」にばかり気を取られ、
多くの誤謬を一つずつ提起し、
それを正していこうとする市民科学者の
地道な努力に目を向けることは少なかった。
日本の市民科学者は、欧米の市民科学者に比べて、
極めて不利な立場に置かれている。
欧米なら簡単に入手できるような基礎的な情報や統計が、
日本では役所や企業の手に握られたまま公開されずにいる。
税制や寄付制度などが理由となって、
市民科学者を支える市民団体の財政は常に厳しい。
だが、原発事故とその後の政府の対応の混乱は、
今の日本において「オルタナティブな知」を担う
市民科学者の存在がいかに重要であるかをあらためて示した。
市民サイドに立った科学者が提供する
オルタナティブな知の活動の不十分さ、
それに真摯に耳を傾ける政策決定者と
彼らを巻き込んだオープンな議論の場の欠如、
十分な経験と知識を基に
それらを正確に伝えるメディアの不在。
原発事故後に明らかになったこれらの問題点は、
単に原子力やエネルギーだけの問題ではない。
1999年、JCOの臨界事故を受け、
高木さんは、がんに苦しむ病床で
「原発事故はなぜ繰り返すのか」(岩波新書)という本を書いた。
その中で高木さんは
「原子力時代の末期症状による大事故の危険」が
「先に逝ってしまう人間の心を最も悩ます」と記し、
「歴史を見通す透徹した知力と、
大胆に現実に立ち向かう活発な行動力」を持つよう、
残された者に呼び掛けた。
残念ながらわれわれ、残された者の努力は
明らかに不十分だったと言わざるを得ない。
2度とこの過ちを繰り返さないために、
市民科学者たらんとする研究者が生まれ育つ環境を整え、
日本社会全体でそれを支える仕組みを作ること。
それが大切だと思う。
2012/03/11』
『今日は残りの人生の最初の日』
今、人間の内部にある
霊性が目覚めています。
物質至上主義は
或る一部に
権力を集め
あらゆる富と
情報、資源を
集中させ
いたずらに
欲望をかきたて
ひとりひとりの人間を
分離してきました。
私たちの本質とは
愛であるのです。
物質も愛のために
存在するのです。
愛を離れては
物質は不毛なのです。
本質を離れることによって
限定意識と言う
自我意識が
表れてくるのです。
それは
自分たちさえ
良ければという心です。
私たちの本質は
真我意識と言う
寛大な意識なのです。
真実はひとつなのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
「玄のリモ農園」という
ブログの3月13日投稿に
「現実の共有」という
文章が掲載されています。
森田 玄さんは
「マシュー君のメッセージ」
の翻訳者として
有名な方です。
ナチュラル・スピリット社から
出版されていますし、
自身のブログでも
タイムリーに
翻訳できたものから
紹介してくれています。
奥さんの
きくちゆみさん共々
環境保護活動や
9・11貿易センター
爆破事件の真相追及の活動や
人間の持つ自然治癒力を
高めるための
ハーモニクスライフを
提案していたり
いろいろな活動を
積極的に進めている方です。
私のブログでも
何回も紹介させて
いただいておりますので
ご存知の方も
おられると思います。
私もお二人が
提案している
ローフードの料理を
味わったり
9,11の真相追求の
イベントに参加して
その後の食事会に
参加して楽しい時間を
過ごさせていただいた
こともあり
お二人の活動と共に
人間性も
とても素晴らしい方々です。
まずは
森田 玄さんが
書かれた
「現実の共有」を
共有してください。
「現実の共有」
『真実は、あるいは現実と
言ってもいいかもしれません、ひとつです。
私と妻は80年代から
環境保護活動に関わってきましたが、
考えてみると正に人々に
「現実を共有」してもらいたいという願いで
様々な取り組みをしてきたとも言えます。
それはどうしてかと言うと、
立場の異なる人たちが
ひとつの現実を共有できないかぎり、
そこに対話も理解も生まれず、
対立だけが残るからです。
人と人がつながるためには、
この現実の共有が必要条件です。
その意味でジャーナリズムと
メディア(報道)のパワーは圧倒的であり、
恐ろしいほどの”現実”を
創造することが可能です。
しかし彼らが報道という
一方的な手段を握っている限り、
一般の人々と広く現実を共有し、
つながるためには、
メディアを支配する彼らとまず
現実を共有することが必要です。
高木仁三郎さんは、
反原発活動に生涯を捧げ、
その途中でガンに倒れた
国際的にも著名な市民原子力科学者です。
彼の業績は
残された素晴らしい著作物からも明らかですが、
彼の主張が正面から主要メディアで
とり上げられたことはありませんでした。
反原発の旗手として、
原子力の恐ろしさを現場の科学者として
訴えたきた彼の目には、
311は起こるべくして起きたことだったでしょう。
高木さんの警告を真摯に受けた私たちは、
いわゆる低レベル放射線被曝(内部被曝)の
健康への深刻な影響を訴えるために
2006年アメリカの
アーネスト・スターングラス博士を
日本に招聘して各地で講演会を開催しました。
スターングラス博士は肥田舜太郎医師に
低レベル放射線の影響を最初に伝えた人です。
議員会館で報道各社を招いて記者会見を行いましたが、
主要メディアで記事にしたところは皆無でした。
私たちは原子力村の圧倒的パワーに
ただただ立ちすくむだけでした。
311一周年を迎えて、
やっとジャーナリストたちの態度に
変化が起こりつつあります。
とくに目に留まったのは京都新聞が
社説ではっきりと
日本が脱原発の道をとるべきだと書いたことです。
また報道ステーションのSPエンディングで
司会者の古舘伊知郎氏が
原発報道への反省決意表明をしたと聞きました。
そして今日読んだ共同通信の
編集委員が書いた記事がこころに残ったので、
ここにそのまま転載します。
連載コラム「3・11に思う-
われわれ科学記者と呼ばれる集団は、
市民科学者の声にどれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に発信してきただろうか」
と題したこの記事によって、
多くのジャーナリストが目覚め、
現実を共有してくれることをこころから願います。』
いかがでしょうか?
森田 玄さんや
奥様のきくち ゆみさんの
多くの活動を
知るものにとって
真実を伝えることが
いかに難しいか
テレビを初めとした
強大なマスコミの力
あらゆるマスコミは
真実を報道する筈なのに
政治も医療も
農業や食品関係も
金融も何もかも
利益と言う一点で
世界的に繋がっている
現状の中で
真実を伝えることは
命をかけた行為を
意味するものです。
お二人とも
何度も無力感や脱力感に
打ちひしがれた
違いないのです。
森田 玄さんや
きくちゆみさんや
あらゆる人たちの
「真実を伝えたい!」という
ひとりひとりの信念が
少しづつですが
身を結ぼうとしています。
森田 玄さんが
言うように
あらゆるジャーナリストが
身を挺して
真実を語り始めています。
特に
「報道ステーション」という
視聴率の高い番組で
古舘伊知郎さんのような
認知度の高い方の
このような表明は
大変、意義深いことだと
思います。
それでは
共同通信の記事である
連載コラム
「3・11に思う-
われわれ科学記者と
呼ばれる集団は、
市民科学者の声に
どれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に
発信してきただろうか」を
掲載させていただきます。
「原発の不都合な真実」
『東京電力福島第1原発事故後の1年を生きた。
この1年間、記者として、それ以前に一市民として、
自分は一体これまで何をしてきのか、
これから何をするべきなのだろうと自問する日々が続いている。
あの日以降、恐らくすべての日本人が、
震災と原発事故後の日本でどう生きるのか、
という問いに直面しているのだろう。
震災と事故からわずか1年しか経っていない中で、
一人の記者が感慨などを公表することに
さして意味があるとは思えないのだが、
編集部からの依頼もあって、
今、自分の心の中にあるものをつづってみた。
(共同通信編集委員 井田徹治)
× × ×
私が東京の本社の科学部に配属されたのは
1991年のことだった。
当時の驚きの一つは
「××省は」「●●庁は」という役所を主語にした
記事ではないと意味のある記事ではないと考え、
膨大な額の国家予算を投じて進められる
巨大科学技術関連の記事を、
官庁やその研究機関の研究者の話を基に、
その意義や成果の十分な検証なしに発信する
記者クラブ詰めの記者たちが、
自分の周囲にいかに多いかということだった。
原発の安全性や電源としての優位性に関する神話、
再生可能エネルギーは役に立たないという神話。
最近では、
「世界各国で原子力ルネッサンスが始まった」という神話。
原発事故によって明らかになった
これらの多くの「神話」の形成に、
そんな科学記者たちの行動が
一役買ったことを否定するのは難しい。
だが一方で、1990年代の初めは、
環境保護運動や反核運動が世界的な盛り上がりを見せ、
その担い手である市民団体と、
それを支える「市民科学者」の存在が
重要度を増してきた時期でもあった。
当時の日本で、官製の科学研究とは一線を画し、
市民の側に足場を置いた「市民科学者」の
重要性を指摘したのが故・高木仁三郎さんであった。
高木さんの発言や行動に強い感銘と影響を受け、
市民団体や市民科学者による研究報告などが
提供してくれる、粗削りではあっても
先見性と批判精神に富み、官製情報とはまったく違った
弱者の視点に立った情報はとても新鮮だった。
だが、役所の情報を、先を争って探り、役所からのリークを
受けては記事を書く科学記者はいくらでもいたが、
市民科学者の声に
真剣に耳を傾ける記者は当時、まだ少なかった。
個人的には、役所からの官製情報からは距離を置き、
市民団体やそれと行動をともにする内外の科学者たちの姿、
そこからの情報を可能な限り発信する努力を
してきたつもりだった。
少なくとも官製情報を基にした原発の安全神話や
「原発は安定供給に貢献する安価な電源だ」との
神話の形成に直接加担するようなことを、
ジャーナリストとしてやってこなかったという自負もあった。
だが、事故後の今、
どう考えてみても自分の努力は不足していたと思う。
私は科学部記者として
1995年の阪神大震災の取材にかかわった。
高木さんは震災直後、日本物理学会誌での論文の中で、
巨大地震の後に非常用ディーゼル発電機の
起動失敗などの可能性を列挙し
「メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう」
と指摘していた。
不勉強にして、この論文の存在を知ったのは
ずっと後になってからのことで、それを記事することもしなかった。
結果的に原子力にまつわる多くの神話の形成に
少なからず加担してきたことに今、
大きな責任を感じ、自らを恥じている。
そもそもわれわれ科学記者と呼ばれる集団は、
市民科学者の声にどれだけ真剣に耳を傾け、
どれだけそれを社会に発信してきただろうか。
G8サミットなどの国際会議や官庁の取材、
スペースシャトルの打ち上げなどの
巨大プロジェクトの取材に投じるリソースの100分の1でも、
市民科学者の取材に割いてきただろうか。
日常の取材の中で、
電力会社と一体不可分となった原子力の安全規制、
インサイダーだけで決められる
原発と石炭火力を極度に偏重するエネルギー政策、
再生可能エネルギーの拡大を阻む
さまざまな利権といった問題を記者として知り、
原発開発には極めて批判的なことを言いながら、
心の中のかなりの部分を
原発の安全神話が占めていたのだと今になって思う。
「科学における貧困の最大の理由は、
大抵は豊かだと思い込むためだ。
科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、
無限の誤謬にひとつの終止符を打ってゆくことだ」というのは
ドイツの劇作家、ブレヒトの傑作の一つ
「ガリレオの生涯」の中の一節である。
事故以来、この一文章がずっと頭に中にある。
われわれ科学記者は、実はさして根拠のないことが多い
「科学の豊かさ」にばかり気を取られ、
多くの誤謬を一つずつ提起し、
それを正していこうとする市民科学者の
地道な努力に目を向けることは少なかった。
日本の市民科学者は、欧米の市民科学者に比べて、
極めて不利な立場に置かれている。
欧米なら簡単に入手できるような基礎的な情報や統計が、
日本では役所や企業の手に握られたまま公開されずにいる。
税制や寄付制度などが理由となって、
市民科学者を支える市民団体の財政は常に厳しい。
だが、原発事故とその後の政府の対応の混乱は、
今の日本において「オルタナティブな知」を担う
市民科学者の存在がいかに重要であるかをあらためて示した。
市民サイドに立った科学者が提供する
オルタナティブな知の活動の不十分さ、
それに真摯に耳を傾ける政策決定者と
彼らを巻き込んだオープンな議論の場の欠如、
十分な経験と知識を基に
それらを正確に伝えるメディアの不在。
原発事故後に明らかになったこれらの問題点は、
単に原子力やエネルギーだけの問題ではない。
1999年、JCOの臨界事故を受け、
高木さんは、がんに苦しむ病床で
「原発事故はなぜ繰り返すのか」(岩波新書)という本を書いた。
その中で高木さんは
「原子力時代の末期症状による大事故の危険」が
「先に逝ってしまう人間の心を最も悩ます」と記し、
「歴史を見通す透徹した知力と、
大胆に現実に立ち向かう活発な行動力」を持つよう、
残された者に呼び掛けた。
残念ながらわれわれ、残された者の努力は
明らかに不十分だったと言わざるを得ない。
2度とこの過ちを繰り返さないために、
市民科学者たらんとする研究者が生まれ育つ環境を整え、
日本社会全体でそれを支える仕組みを作ること。
それが大切だと思う。
2012/03/11』
『今日は残りの人生の最初の日』
今、人間の内部にある
霊性が目覚めています。
物質至上主義は
或る一部に
権力を集め
あらゆる富と
情報、資源を
集中させ
いたずらに
欲望をかきたて
ひとりひとりの人間を
分離してきました。
私たちの本質とは
愛であるのです。
物質も愛のために
存在するのです。
愛を離れては
物質は不毛なのです。
本質を離れることによって
限定意識と言う
自我意識が
表れてくるのです。
それは
自分たちさえ
良ければという心です。
私たちの本質は
真我意識と言う
寛大な意識なのです。
真実はひとつなのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2012年3月12日月曜日
“震災から1年の念い”
昨日は
東日本大震災から
一年経ちました。
各地で
3月11日
14時46分
祈りを捧げ
哀悼の意を表しました。
すべては
ひとつに繋がっている
その思いを改めて
強くしました。
人の悲しみを
我がものとして
受け止め
人の強さに
やはり我が意を
強くします。
私たちひとりひとりの
念いが奇跡を
生むと思うのです。
瀧本光静
(たきもとこうせい)さんの
ブログに掲載されて
いたものです。
「最後のメール」という
タイトルです。
この最後のメールは
フェイスブックや
ツィッター等で
話題を
集めているようです。
知っている方も
いらっしゃるとは
思いますが
紹介させて
いただきたいと思います。
瀧本光静さんは
大阪の日蓮宗の女性の
住職の方です。
発見された携帯電話に
残っていたメールです。
それは、
配信されなかった
1通のメール。
お父さんに宛てた
最後のメールでした。
どんな思いで、
だいすきなお父さんへ
メールを打ったのか。
『最後のメール
文字が読めるでしょうか・・・
気仙沼で発見された
携帯に残された
最後のメールです。
この原稿は
私が担当をしている新聞の
今月分の原稿です。
いつも手書き文字と
イラストを書いています。
「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに
行きたかったです
お父さん
今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが
享年 長女17才 次女14才 」
真横で妹が死にゆくなか
どんな想いで
暗黒と極寒の中、
彼女はメールを
残したのでしょう。
涙が止みません。
48才のお父様より
この携帯を
見せていただきました。
一周忌の11日(日)
宮城の地にて
祈りの会を
行わせていただきます。
14時46分に
黙祷を行います。
どうか、
皆様各々の場所にて
黙祷を
御奉げくださいますよう。』
と書かれていました。
いかがでしたか?
皆さまにも
大切にされている人が
おられることと
思います。
『今日は残りの人生の最初の日』
今は、当たり前のように
あるのではありません。
今の一瞬一瞬が
奇跡のような瞬間なのです。
私たちは
生かされているのです。
この今日という一日を、
かけがえのない瞬間に
していこうでは
ありませんか。
生かしていただいて
ありがとうございます。
東日本大震災から
一年経ちました。
各地で
3月11日
14時46分
祈りを捧げ
哀悼の意を表しました。
すべては
ひとつに繋がっている
その思いを改めて
強くしました。
人の悲しみを
我がものとして
受け止め
人の強さに
やはり我が意を
強くします。
私たちひとりひとりの
念いが奇跡を
生むと思うのです。
瀧本光静
(たきもとこうせい)さんの
ブログに掲載されて
いたものです。
「最後のメール」という
タイトルです。
この最後のメールは
フェイスブックや
ツィッター等で
話題を
集めているようです。
知っている方も
いらっしゃるとは
思いますが
紹介させて
いただきたいと思います。
瀧本光静さんは
大阪の日蓮宗の女性の
住職の方です。
発見された携帯電話に
残っていたメールです。
それは、
配信されなかった
1通のメール。
お父さんに宛てた
最後のメールでした。
どんな思いで、
だいすきなお父さんへ
メールを打ったのか。
『最後のメール
文字が読めるでしょうか・・・
気仙沼で発見された
携帯に残された
最後のメールです。
この原稿は
私が担当をしている新聞の
今月分の原稿です。
いつも手書き文字と
イラストを書いています。
「もうバッテリがないよ
痛いと言わなくなったので
妹はさっき死んだみたいです。(T。T)
埼玉はだいじょうぶですか?
またお父さんと一緒に
ディズニーランドに
行きたかったです
お父さん
今までありがとう
だいすきなお父さんへ
本当にありが
享年 長女17才 次女14才 」
真横で妹が死にゆくなか
どんな想いで
暗黒と極寒の中、
彼女はメールを
残したのでしょう。
涙が止みません。
48才のお父様より
この携帯を
見せていただきました。
一周忌の11日(日)
宮城の地にて
祈りの会を
行わせていただきます。
14時46分に
黙祷を行います。
どうか、
皆様各々の場所にて
黙祷を
御奉げくださいますよう。』
と書かれていました。
いかがでしたか?
皆さまにも
大切にされている人が
おられることと
思います。
『今日は残りの人生の最初の日』
今は、当たり前のように
あるのではありません。
今の一瞬一瞬が
奇跡のような瞬間なのです。
私たちは
生かされているのです。
この今日という一日を、
かけがえのない瞬間に
していこうでは
ありませんか。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2012年3月10日土曜日
“真我の表現者たち”
神奈川県知事の
黒岩裕治さんの
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
というブログがあります。
そこに
山元加津子さんのことが
書かれていました。
山元加津子さんのことは
私のブログで
何回も紹介させて
いただいている方なので
もう既に
ご存知の方も
多いと思います。
黒岩さんのブログです。
http://oshigoto.e-nurse.net/contents_kuroiwa.php?no=65
山元加津子さんの活動と
人となりを知る上で
とても的確に
書かれていますので
紹介させていただきたいと
思います。
山元加津子さんの
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」という
メルマガを通じて
森安英憲さんのことも
縁ができました。
森安さんからも
メールが届いています。
後半に紹介させて
いただきますので
最後まで共有してください。
まずは
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
から抜粋させていただきます。
『第65回 ~養護学校の先生「かっこちゃん
(本名=山元加津子さん)」について~
今回は私の友人のかっこちゃんについて書きます。
かっこちゃんは養護学校の先生で作家、
本名は山元加津子と言います。
日本のマザーテレサになりつつある女性なんて
言われているようですから、
すでにご存知の方も多いかもしれません。
直接お目にかかったのは一度だけですが、
交流が始まって10年以上になります。
ここしばらくは連絡が途絶えていたのですが、
先日、久々にメールが飛び込んできて、ビックリ。
かっこちゃんは今、
これまでとは全く違った世界で
またスゴイことをやりつつあるのです。
かっこちゃんが出した本の出版社から、
ほぼ同じ時期に私も本を出版したことが
きっかけとなりました。
その「たんぽぽの仲間たち」(三五館)に描かれた
養護学校の生徒さんたちとかっこさんの交流は、
胸がじーんと熱くなる感動的なものでした。
生徒と呼ばず、「私の大切な友達」と呼ぶかっこちゃん。
中でも強烈な印象を与えてくれたのは、
“詩人”の大ちゃんでした。
世間からは知的障害と呼ばれている子供の中に潜む
感性を見事に引き出し、心の叫びを素晴らしい詩の
カタチで私たちに見せてくれたのです。
「僕が生まれたのには、理由がある。
生まれるってことには、みんな理由があるんや」
「朝顔のたねは黒いけど 青い花が咲く。
赤い花が咲く。だからぼくは詩を作る」
「遠い道でもな 大丈夫や 一歩ずつや とちゅうに
花もさいているし とりもなくし わらびかてとれるやろ」
詩だけを見ていたら、
大ちゃんがいわゆる知的障害児とは到底思えません。
しかし、それは私たちが知的障害と言われている人たちの
真実の姿を知らないで、勝手な思い込みによって、
イメージを作ってしまっているからに違いありません。
確かに大ちゃんはIQは低いかもしれませんが、
そもそもIQって何なんでしょうか?
IQなんて所詮、脳のある種の機能を測る
データのひとつに過ぎません。
IQは高いけれども、人間としてはどうしようもない
バカものというのはいくらでもいるではないですか。
かっこちゃんのスゴイところは、
IQなどには紛らわされずに大ちゃんの本当の心と
向き合うことができ、
しっかりコミュニケーションがとれることです。
だからこそ大ちゃんの天才的詩心をも
キチンと発見することもできたのです。
かっこちゃんは文字通り天使のような女性です。
ミュージカル「葉っぱのフレディ」の
金沢公演に来てくれた時に初めてお目にかかりましたが、
私の想像を少しも裏切らない慈愛に満ち満ちた人でした。
傍にいるだけで、
じんわりとそのぬくもりが伝わってくるようでした。
そんなかっこちゃんが今、闘っています。
かっこちゃんから久々に送られてきたメールで
私はそのことを知りました。
そして、新刊「満月をきれいと僕は言えるぞ」(三五館)
の中に、その闘いぶりが詳細に綴られていました。
元同僚で親友の特別支援学校教諭、
宮ぷーこと宮田俊也さん(43)が2009年2月、
突然の脳幹出血で倒れたことから、
かっこちゃんの生活も一変しました。
宮ぷーは一命は取り留めたものの、
ドクターに「一生植物状態で一生、
体のどこも動きません」と宣告されてしまいました。
しかし、「心から湧き上がるように
『だいじょうぶ』だと思った」というかっこちゃんは
毎日病室に通い、懸命に語りかけ、励まし、
手足の曲げ伸ばしをしたり、さまざまな刺激を与え続けました。
かっこちゃんは
ずっと特別支援学校で先生をやってきましたから、
どんなに重い障害を持った子供であっても、
誰もが気持ちを持っていて、
それを伝えようとしていることを知っていたのです。
宮ぷーの脳のCTは
例のないほど大きな出血の跡を写し出していました。
反射でどこかが動くことはあっても、
声をかけても、揺すっても、体のどこも動かせないままでした。
倒れて8日目に目を開けました。
かっこちゃんは「目が開いた、目が開いた」と
ドクターやナースに喜びの気持ちを伝えました。
しかし、ドクターは
「残念ながら、なぜか植物状態の人は昼間に目を開けて、
夜は目を閉じるのですよ」と言うばかり。
それでもかっこちゃんは動じませんでした。
自分がだいじょうぶだと思った感覚を信じたのです。
倒れてまもなく2カ月になろうという時、
「今日は晴れですか?」というドクターの問いかけに対し、
宮ぷーはパチっと閉じました。
それでもドクターは
「万に一つも意識を取り戻すのはむつかしい」と言いますが、
かっこちゃんは信じません。
このかっこちゃんの強い思いが奇跡を起こしていくのです。
「宮ぷーの気持ちがわかりたい」と思った
かっこちゃんの気持ちが伝わったのでしょうか、
宮ぷーは少しずつではありますが、
反応を示すようになってきました。
そして、あいうえお表を目で追うようになってきました。
かっこちゃんは目の玉の動きを必死に見ながら、
宮ぷーが何を言おうとしているのか、その言葉を探しました。
初めて、かっこちゃんが確認できた文字は
「か」と「こ」でした。「かこ」とは何か?
それは「かっこ」ちゃんのことでした。
宮ぷーが名前を呼んでくれたことを知り、
かっこちゃんは宮ぷーの胸に顔を埋めていっぱい泣きました。
宮ぷーには意識があるし、伝えたい思いもある。
ただ、それをうまく表現できないだけの状態だったということを
かっこちゃんは確信することができたのです。
宮ぷーはレッツ・チャットという意思伝達装置によって、
自分の気持ちを伝えられるようになりました。
器械の手を借りることによって会話ができるようになったのです。
一時、メーカーが生産を中止することになった時、
かっこちゃんは生産継続の応援メールを呼び掛けました。
その結果、メーカーも中止の決定を覆し、
生産を継続することにしました。
かっこちゃんの思いが伝わったのです。
宮ぷーは今、レッツ・チャットでブログを書いています。
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
宮ぷーがどのように回復していったかは
動画サイトで確認することができます。
http://www.youtube.com/watch?v=jyGrJ5bfa1E
言葉だけではイメージしにくい話ではありますが、
映像を見れば一目瞭然です。
かっこちゃんは毎日、宮ぷー日記を書いています。
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
かっこちゃんはやっぱりスゴイ人です。
宮ぷーを毎日、支え続けているだけでなく、
意思伝達装置がまだ十分に普及していない
現状を変えようと、具体的なアクションを起こしています。
おはなしだいすき。
http://ohanashi-daisuki.com/
自分が倒れたときに、
「意思伝達の方法を長期にわたって探ってほしい」というカード、
ノーティス!カードも提案しています。
そんなかっこちゃんのことを
ナースのみなさんにも幅広く知ってもらいたいと思い、
ご紹介した次第です。
ナースにとっても
見習うべき点がたくさんあるのではないでしょうか。(以上)
抜粋了
いかがでしたか?
かっこちゃん
(山元加津子さん)のことを
知っていただくのに
黒岩さんのこの文章は
一目瞭然と思います。
どんなに素晴らしい方か
お分かりいただけたと
思います。
また、そのかっこちゃんの
メルマガで知った
森安さんも
何回も紹介させて
頂いていますが
とても素晴らしい方です。
私の過去のブログに
戻って参照してください。
森安さんからは
こんなメールを
頂きました。
『こんばんは。萬谷さんのリサイタルに
足を運んでくださりありがとうございました。
由緒ある舞台で豊かなときをすごされたと思います。
私も11日に奈良で、萬谷さんのリサイタルに行きます。
養護学校コンサートの感動を忘れない
当時の生徒たち・保護者が多数来場予定で、
立ち見が出ること間違いありません。
奈良でのリサイタルは、
会場整理・受付に養護学校の生徒が参加します。
卒業式シーズン・入学式シーズンになりました。
卒業式は感動で涙するものです。
入学式は?それは晴れやかな気持ちでしょう?
世の中、そうとばかりは限らないんですね。
私は毎年、複数の養護学校から、
卒業式・入学式に呼ばれます。
そこで感じたことやそれを元に書きとめた手記を、
短い文章ですが下記します。』
と書いてあり
下記のはじめは
「入学式に思うこと」
後半は
「同じであること、分けること」
というタイトルで
手記を送って
頂いています。
共有してください。
「入学式に思うこと」
『「ご入学おめでとうございます」
入学式での来賓の挨拶の常識です。
でも、養護学校の入学式に出席した私は、
子どもたちの顔を見て、
その挨拶ができませんでした。
高校の入学式。自立への一歩を踏み出す日。
不安は大きくても、晴れやかな顔をするものです。
養護学校に入学した
子どもたちも同じ気持ちなのだろうか。
中学までは地域の学校に行き、
高校で自分だけ道をそれてしまった。
何で自分は「障害者」と言われるのか。
なぜ障害があったら
みんなと違う道を歩かなければならないのか。
この学校に来た子どもたちは、
みな同じ思いを持っていると思います。
一歩外に出ればそこには理解のない社会が待っている。
そして、学校でも、その社会に合わせるように、
厳しい教育をされます。
そんな子どもたちが、
入学式で晴れやかな気持ちのわけがないと、
私は思いました。
私はこの子どもたちといっしょに歩きたい。
「みなさん。3年間よろしくね」
これが私の子どもたちへの挨拶です。
---
「同じであること、分けること」
地域の学校でうまくいかず
養護学校に来た子どもたち。
あの子は養護学校だから、
障害者だからと区別される子どもたち。
タテマエはきれいごとを言うが、
手に負えない子を体よく排除する私たち。
本当は同じがいいんだけどねと
私たちは口では言うのだけど・・・。
私の住む隣町の駅前にスーパーが進出しました。
昔からその土地には地元のパン屋さんがありました。
パン屋さんは経営の危機を迎えました。
結局パン屋さんは不本意ながら、
スーパーの食品売り場の一角に場所を借りて
店を続けることにしました。
スーパーの食品売り場にはもちろん、
大手メーカーのパンコーナーもあります。
食品売り場のレイアウトでは、
パン屋さんとスーパーのパンコーナーは
大きく離されていました。
パン屋さんの商売を圧迫するような
レイアウトを避けたのだと思います。
でもやっぱりパン屋さんは売上が落ちました。
」お客さんがスーパーだけで
買い物を済ませてしまうからです。
それは何年も続きました。
ところがある日
スーパーに行ってみて私は驚きました。
スーパーのパンコーナーが
パン屋さんの真横に移動してたのです。
ついにスーパーが
パン屋さんを排除しにかかったのかと思いました。
しかししばらくその場で見ていて、
私はそれが違うことに気がつきました。
パンコーナーに来たお客さんは、
同じ売り場としてパン屋さんのパンも見て歩き、
そしてパン屋さんのパンも買っているのです。
同じパンなのだから、
同じ場所でお客さんに見てもらおうという
スーパーの発想の転換だったようです。
同じであれば問題がおき、
理由があって分けたのだけど、
分けるということがまた、新たな問題を生む。
でも私は思います。
同じであること、分けること。
どちらがいいかという方法論ではない。
問題を生んでいるのは「方法」ではなく、
私たちの心です。
スーパーのパン屋さんを見ながら
そんなことを考えていたのは私ぐらいでしょうか 笑。』
---
森安 英憲
『今日は残りの人生の最初の日』
自分
自分たち
自分たちの地域
自分たちの国
自分たちの等々・・・。
その心は
自我の延長にあります。
自我は人と人を
分け隔てます。
自と他は別のものでは
ありません。
すべてはひとつです。
真なる我
真我こそが
ひとつに
まとまる道なのです。
私たちは
例外なく
神の表現者であります。
その自覚が
待たれているのです。
共有有難うございます。
生かしていただいて
ありがとうございます。
黒岩裕治さんの
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
というブログがあります。
そこに
山元加津子さんのことが
書かれていました。
山元加津子さんのことは
私のブログで
何回も紹介させて
いただいている方なので
もう既に
ご存知の方も
多いと思います。
黒岩さんのブログです。
http://oshigoto.e-nurse.net/contents_kuroiwa.php?no=65
山元加津子さんの活動と
人となりを知る上で
とても的確に
書かれていますので
紹介させていただきたいと
思います。
山元加津子さんの
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」という
メルマガを通じて
森安英憲さんのことも
縁ができました。
森安さんからも
メールが届いています。
後半に紹介させて
いただきますので
最後まで共有してください。
まずは
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
から抜粋させていただきます。
『第65回 ~養護学校の先生「かっこちゃん
(本名=山元加津子さん)」について~
今回は私の友人のかっこちゃんについて書きます。
かっこちゃんは養護学校の先生で作家、
本名は山元加津子と言います。
日本のマザーテレサになりつつある女性なんて
言われているようですから、
すでにご存知の方も多いかもしれません。
直接お目にかかったのは一度だけですが、
交流が始まって10年以上になります。
ここしばらくは連絡が途絶えていたのですが、
先日、久々にメールが飛び込んできて、ビックリ。
かっこちゃんは今、
これまでとは全く違った世界で
またスゴイことをやりつつあるのです。
かっこちゃんが出した本の出版社から、
ほぼ同じ時期に私も本を出版したことが
きっかけとなりました。
その「たんぽぽの仲間たち」(三五館)に描かれた
養護学校の生徒さんたちとかっこさんの交流は、
胸がじーんと熱くなる感動的なものでした。
生徒と呼ばず、「私の大切な友達」と呼ぶかっこちゃん。
中でも強烈な印象を与えてくれたのは、
“詩人”の大ちゃんでした。
世間からは知的障害と呼ばれている子供の中に潜む
感性を見事に引き出し、心の叫びを素晴らしい詩の
カタチで私たちに見せてくれたのです。
「僕が生まれたのには、理由がある。
生まれるってことには、みんな理由があるんや」
「朝顔のたねは黒いけど 青い花が咲く。
赤い花が咲く。だからぼくは詩を作る」
「遠い道でもな 大丈夫や 一歩ずつや とちゅうに
花もさいているし とりもなくし わらびかてとれるやろ」
詩だけを見ていたら、
大ちゃんがいわゆる知的障害児とは到底思えません。
しかし、それは私たちが知的障害と言われている人たちの
真実の姿を知らないで、勝手な思い込みによって、
イメージを作ってしまっているからに違いありません。
確かに大ちゃんはIQは低いかもしれませんが、
そもそもIQって何なんでしょうか?
IQなんて所詮、脳のある種の機能を測る
データのひとつに過ぎません。
IQは高いけれども、人間としてはどうしようもない
バカものというのはいくらでもいるではないですか。
かっこちゃんのスゴイところは、
IQなどには紛らわされずに大ちゃんの本当の心と
向き合うことができ、
しっかりコミュニケーションがとれることです。
だからこそ大ちゃんの天才的詩心をも
キチンと発見することもできたのです。
かっこちゃんは文字通り天使のような女性です。
ミュージカル「葉っぱのフレディ」の
金沢公演に来てくれた時に初めてお目にかかりましたが、
私の想像を少しも裏切らない慈愛に満ち満ちた人でした。
傍にいるだけで、
じんわりとそのぬくもりが伝わってくるようでした。
そんなかっこちゃんが今、闘っています。
かっこちゃんから久々に送られてきたメールで
私はそのことを知りました。
そして、新刊「満月をきれいと僕は言えるぞ」(三五館)
の中に、その闘いぶりが詳細に綴られていました。
元同僚で親友の特別支援学校教諭、
宮ぷーこと宮田俊也さん(43)が2009年2月、
突然の脳幹出血で倒れたことから、
かっこちゃんの生活も一変しました。
宮ぷーは一命は取り留めたものの、
ドクターに「一生植物状態で一生、
体のどこも動きません」と宣告されてしまいました。
しかし、「心から湧き上がるように
『だいじょうぶ』だと思った」というかっこちゃんは
毎日病室に通い、懸命に語りかけ、励まし、
手足の曲げ伸ばしをしたり、さまざまな刺激を与え続けました。
かっこちゃんは
ずっと特別支援学校で先生をやってきましたから、
どんなに重い障害を持った子供であっても、
誰もが気持ちを持っていて、
それを伝えようとしていることを知っていたのです。
宮ぷーの脳のCTは
例のないほど大きな出血の跡を写し出していました。
反射でどこかが動くことはあっても、
声をかけても、揺すっても、体のどこも動かせないままでした。
倒れて8日目に目を開けました。
かっこちゃんは「目が開いた、目が開いた」と
ドクターやナースに喜びの気持ちを伝えました。
しかし、ドクターは
「残念ながら、なぜか植物状態の人は昼間に目を開けて、
夜は目を閉じるのですよ」と言うばかり。
それでもかっこちゃんは動じませんでした。
自分がだいじょうぶだと思った感覚を信じたのです。
倒れてまもなく2カ月になろうという時、
「今日は晴れですか?」というドクターの問いかけに対し、
宮ぷーはパチっと閉じました。
それでもドクターは
「万に一つも意識を取り戻すのはむつかしい」と言いますが、
かっこちゃんは信じません。
このかっこちゃんの強い思いが奇跡を起こしていくのです。
「宮ぷーの気持ちがわかりたい」と思った
かっこちゃんの気持ちが伝わったのでしょうか、
宮ぷーは少しずつではありますが、
反応を示すようになってきました。
そして、あいうえお表を目で追うようになってきました。
かっこちゃんは目の玉の動きを必死に見ながら、
宮ぷーが何を言おうとしているのか、その言葉を探しました。
初めて、かっこちゃんが確認できた文字は
「か」と「こ」でした。「かこ」とは何か?
それは「かっこ」ちゃんのことでした。
宮ぷーが名前を呼んでくれたことを知り、
かっこちゃんは宮ぷーの胸に顔を埋めていっぱい泣きました。
宮ぷーには意識があるし、伝えたい思いもある。
ただ、それをうまく表現できないだけの状態だったということを
かっこちゃんは確信することができたのです。
宮ぷーはレッツ・チャットという意思伝達装置によって、
自分の気持ちを伝えられるようになりました。
器械の手を借りることによって会話ができるようになったのです。
一時、メーカーが生産を中止することになった時、
かっこちゃんは生産継続の応援メールを呼び掛けました。
その結果、メーカーも中止の決定を覆し、
生産を継続することにしました。
かっこちゃんの思いが伝わったのです。
宮ぷーは今、レッツ・チャットでブログを書いています。
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/
宮ぷーがどのように回復していったかは
動画サイトで確認することができます。
http://www.youtube.com/watch?v=jyGrJ5bfa1E
言葉だけではイメージしにくい話ではありますが、
映像を見れば一目瞭然です。
かっこちゃんは毎日、宮ぷー日記を書いています。
http://www.mag2.com/m/0001012961.html
かっこちゃんはやっぱりスゴイ人です。
宮ぷーを毎日、支え続けているだけでなく、
意思伝達装置がまだ十分に普及していない
現状を変えようと、具体的なアクションを起こしています。
おはなしだいすき。
http://ohanashi-daisuki.com/
自分が倒れたときに、
「意思伝達の方法を長期にわたって探ってほしい」というカード、
ノーティス!カードも提案しています。
そんなかっこちゃんのことを
ナースのみなさんにも幅広く知ってもらいたいと思い、
ご紹介した次第です。
ナースにとっても
見習うべき点がたくさんあるのではないでしょうか。(以上)
抜粋了
いかがでしたか?
かっこちゃん
(山元加津子さん)のことを
知っていただくのに
黒岩さんのこの文章は
一目瞭然と思います。
どんなに素晴らしい方か
お分かりいただけたと
思います。
また、そのかっこちゃんの
メルマガで知った
森安さんも
何回も紹介させて
頂いていますが
とても素晴らしい方です。
私の過去のブログに
戻って参照してください。
森安さんからは
こんなメールを
頂きました。
『こんばんは。萬谷さんのリサイタルに
足を運んでくださりありがとうございました。
由緒ある舞台で豊かなときをすごされたと思います。
私も11日に奈良で、萬谷さんのリサイタルに行きます。
養護学校コンサートの感動を忘れない
当時の生徒たち・保護者が多数来場予定で、
立ち見が出ること間違いありません。
奈良でのリサイタルは、
会場整理・受付に養護学校の生徒が参加します。
卒業式シーズン・入学式シーズンになりました。
卒業式は感動で涙するものです。
入学式は?それは晴れやかな気持ちでしょう?
世の中、そうとばかりは限らないんですね。
私は毎年、複数の養護学校から、
卒業式・入学式に呼ばれます。
そこで感じたことやそれを元に書きとめた手記を、
短い文章ですが下記します。』
と書いてあり
下記のはじめは
「入学式に思うこと」
後半は
「同じであること、分けること」
というタイトルで
手記を送って
頂いています。
共有してください。
「入学式に思うこと」
『「ご入学おめでとうございます」
入学式での来賓の挨拶の常識です。
でも、養護学校の入学式に出席した私は、
子どもたちの顔を見て、
その挨拶ができませんでした。
高校の入学式。自立への一歩を踏み出す日。
不安は大きくても、晴れやかな顔をするものです。
養護学校に入学した
子どもたちも同じ気持ちなのだろうか。
中学までは地域の学校に行き、
高校で自分だけ道をそれてしまった。
何で自分は「障害者」と言われるのか。
なぜ障害があったら
みんなと違う道を歩かなければならないのか。
この学校に来た子どもたちは、
みな同じ思いを持っていると思います。
一歩外に出ればそこには理解のない社会が待っている。
そして、学校でも、その社会に合わせるように、
厳しい教育をされます。
そんな子どもたちが、
入学式で晴れやかな気持ちのわけがないと、
私は思いました。
私はこの子どもたちといっしょに歩きたい。
「みなさん。3年間よろしくね」
これが私の子どもたちへの挨拶です。
---
「同じであること、分けること」
地域の学校でうまくいかず
養護学校に来た子どもたち。
あの子は養護学校だから、
障害者だからと区別される子どもたち。
タテマエはきれいごとを言うが、
手に負えない子を体よく排除する私たち。
本当は同じがいいんだけどねと
私たちは口では言うのだけど・・・。
私の住む隣町の駅前にスーパーが進出しました。
昔からその土地には地元のパン屋さんがありました。
パン屋さんは経営の危機を迎えました。
結局パン屋さんは不本意ながら、
スーパーの食品売り場の一角に場所を借りて
店を続けることにしました。
スーパーの食品売り場にはもちろん、
大手メーカーのパンコーナーもあります。
食品売り場のレイアウトでは、
パン屋さんとスーパーのパンコーナーは
大きく離されていました。
パン屋さんの商売を圧迫するような
レイアウトを避けたのだと思います。
でもやっぱりパン屋さんは売上が落ちました。
」お客さんがスーパーだけで
買い物を済ませてしまうからです。
それは何年も続きました。
ところがある日
スーパーに行ってみて私は驚きました。
スーパーのパンコーナーが
パン屋さんの真横に移動してたのです。
ついにスーパーが
パン屋さんを排除しにかかったのかと思いました。
しかししばらくその場で見ていて、
私はそれが違うことに気がつきました。
パンコーナーに来たお客さんは、
同じ売り場としてパン屋さんのパンも見て歩き、
そしてパン屋さんのパンも買っているのです。
同じパンなのだから、
同じ場所でお客さんに見てもらおうという
スーパーの発想の転換だったようです。
同じであれば問題がおき、
理由があって分けたのだけど、
分けるということがまた、新たな問題を生む。
でも私は思います。
同じであること、分けること。
どちらがいいかという方法論ではない。
問題を生んでいるのは「方法」ではなく、
私たちの心です。
スーパーのパン屋さんを見ながら
そんなことを考えていたのは私ぐらいでしょうか 笑。』
---
森安 英憲
『今日は残りの人生の最初の日』
自分
自分たち
自分たちの地域
自分たちの国
自分たちの等々・・・。
その心は
自我の延長にあります。
自我は人と人を
分け隔てます。
自と他は別のものでは
ありません。
すべてはひとつです。
真なる我
真我こそが
ひとつに
まとまる道なのです。
私たちは
例外なく
神の表現者であります。
その自覚が
待たれているのです。
共有有難うございます。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2012年3月8日木曜日
“心満たされる豊かさ!”
昨日は
萬谷 衣里さんの
ピアノリサイタルに
行ってきました。
萬谷さんの
パンフレットの
プロフィールを見ますと
東京藝術大学、
同大学院修了。
ローム、ヤマハの
各音楽の財団の奨学生として
ロストック音楽・演劇大学にて
研鑽を積み、ドイツ国家
演奏家資格を取得。
2010年イタリアの
カサグランデ国際ピアノ
コンクール最高位受賞。
リスト、シューベルト、
ルーマニアの各国際
コンクールで優勝、入賞。
国内の他、ドイツ、イタリア、
フランス、ポーランド等で
オーケストラとの共演、
音楽祭、リサイタルへ出演し、
いずれも高い評価を得る。
2011年11月、
デビューアルバム
「イースト・サイド・ラプソティ~
リスト&エネスク」をリリース、
現在ロスティック音楽・
演劇大学非常勤講師。
とあります。
萬谷さんは
ドイツに住んでいて
今回のリサイタルは
萬谷さんの母校である
東京藝術大学より推薦され、
奏楽堂デビューコンサート
シリーズ出演の運びと
なりました。
このリサイタルの
会場である奏楽堂は
旧東京音楽学校奏楽堂と
看板に掲げられています。
上野公園内にある
明治23年に創建された
日本最古の木造の
洋式音楽ホールで
重要文化財に指定されています。
二階にある音楽ホールは、
かつて滝廉太郎が
ピアノを弾き、
山田耕筰が歌曲を歌い、
三浦環が日本人による
初のオペラ公演で
デビューを飾った
由緒ある舞台です。
大変奥ゆかしさを感じる
素晴らしいホールです。
来年の4月からは
この奏楽堂での演奏や
入館ができなくなるそうです。
通常は
コンサート以外では
本居 長世
(もとおり ながよ)
常設展示室が開設
されています。
大人300円
小・中学生100円で
入館で来ます。
本居 長世さんは
(1885生-1945没)
国学者である
本居 宣長
(もとおり のりなが)さんの
家系に生まれながらも
音楽を志し、
東京音楽学校の
門を叩いたそうです。
あの有名な
「赤い靴」や
「七つの子」
「青い眼の人形」などの
童謡を始め、
芸術歌曲、歌劇、
器楽曲等を数多く
発表した方です。
本居さんのご遺族より
約900点にわたる
音楽資料を
寄贈されたものを
常設しています。
本居 長世さん自らが
記した楽譜や写真や
遺愛品など貴重な資料を
見ることができます。
また、
東京藝術大学学生による
演奏会も多数
行われています。
入館料か500円くらいで
楽しむことができます。
是非、一度ご覧に
なられることを
お勧めします。
話は逸れてしまいましたが、
今回の萬谷 衣里さんの
ピアノリサイタルの
縁をつけて下さったのは
何回もブログで
紹介させていただいている
森安 英憲さんです。
自身の職場に
多数、養護学校の卒業生を
雇用しておられる
とても素晴らしい方です。
以前にも紹介して
おりますが
森安さんと萬谷さんの
エピソードを
もう一度記します。
「養護学校でコンサートを」
~クラシックコンサートの思い出~
『「知的障害」という言葉もおかしいなと思いますが、
10年ほど前までは「精神薄弱」と言っていたそうです。
精神薄弱という言葉が
「当事者に不快感を与えるという理由もあり」
知的障害に変えられたそうです。
話変わりますが、私はピアノの音が大好きです。
あるときふと、養護学校の子どもたちに
プロのピアニストの演奏を聴かせてあげたいと思いました。
私は後先考えず、
大好きなクラシックピアニスト エリさんに
養護学校の子どもたちへの思いをメールで話しました。
10日連続でメールしました。ほとんど迷惑メールです。
そして「養護学校でピアノを弾いてほしい」と。
ドイツに住むエリさんはさぞかし驚いたことでしょう。
養護学校でプロのピアニストがクラシックコンサート。
この前代未聞の企画にエリさんは
「養護学校の子どもがクラシックを聴くのですか?」
と戸惑いを隠さず、
学校は「アニメソングとかじゃないと難しいだろう」
と不安を示しました。
私は子どもたちの感性を信じていました。
エリさんはドイツから帰国の翌日リハーサル、
その翌日本番、
それも学年ごとに3度の公演という
無茶なお願いを聞いてくれました。
・・・その日、子どもたちがくれた答えは
私の予想さえ超えました。
エリさんは何度も
「また養護学校に呼んでくださいね」と。
そして、その日に子どもたちが書いた感想文は、
1か月も先生方の手をわたってから、私の手元に届きました。
その感想文に私は何度も胸が熱くなりました。
この感想文を書いた子どもたちの精神が薄弱なのでしょうか?
この子どもたちを精神薄弱と呼んでいたのは、
私たちの心の貧しさの表れではないでしょうか。
コンサートのフィナーレを飾った
リストのハンガリーラプソディー第2番の躍動的なメロディーと、
別世界に入りこんだような子どもたちのことは、
いつまでも私の脳裏を離れることはありません。
そして子どもたちの心を
しっかり受け取ってくださったエリさんは、
ドイツから世界へ、子どもたちの心を
ピアノにのせて伝えていってくれることでしょう。
いつも大切なことを教えてくれる子どもたちに、
たまにはお返しを、と思った私でしたが、
子どもたちはやっぱり、
私たちに大切なことを教えてくれたのでした。
この日から、
私は子どもたちにお返ししようなんて気持ちは捨てました。
子どもたちがくれたものは、社会に返していこうと。
2009年10月2日
森安 英憲』
この時のことを
2009年
10月7日号の
毎日新聞にも
簡単に紹介されて
いました。
2009年10月2日に
奈良県立養護高等学校で
行われた
萬谷 衣里
ピアノリサイタルの
記事です。
抜粋します。
“ピアニストの萬谷さん演奏
県立高等養護学校“
『田原本町営森の県立高等
養護学校で、関西や首都圏
で活動するピアニスト、
萬谷衣里さん(27)の
コンサートが開かれ。生徒
143人が美しい音色に聴
き入った。
1年前から自身の職場で
同校生徒の実習を受け入れ
今年3月から県ジョブサポ
―ターとして活動している
森安英憲さん(43)が
「プロのピアノ演奏を聴か
せてあげたい」と、萬谷さ
んに依頼したのがきっかけ
で実現した。
参加した女子生徒は
「音色がきれいで、吸い込
まれそうな感じになった。
また、聴きたいと思った。」
とうれしそうに話した。
森安さんは「生徒は熱心に聴
き、ものすごく喜んでくれた。
これからも生徒が喜んでくれ
る企画を考えていきたい」と
話した。』
以上、毎日新聞抜粋了
その後
森安さんから頂いた
メールに
こう書かれていました。
『ちなみに余談ですが、
養護学校では140名の生徒全員と、
言葉を交わしサインをしてくれた
萬谷さんでした。
彼女は11月にデビューCD
「イーストサイドラプソディー」を
リリース(2800円)。
ルーマニア協会とかいうところから
出ているため、ショップには並んでいません。
リサイタル当日に
会場で販売しているかも知れません。
買って「サインしてください」と言えば、
CD面に気軽にサインしてくれると思います。
このCDには、
養護学校コンサートのフィナーレに使われた
「リスト作曲:ハンガリー狂詩曲第2番」が
入っています。』
昨日のリサイタルでは
森安さんが大好きな
このリストの
「ハンガリー狂想曲:第2番
:嬰ハ短調」は
演奏されませんでしたが、
リストの曲は
「子守歌S.198」
とても穏やかな
透明感のあるメロディに
魅せられました。
「愛の夢―3つのノクターンより
第3番「おお、愛しうる限り愛せ」
「詩的で宗教的な調べ
S173より 第7番「葬送」
深遠な楽曲を楽しませて
いただきました。
森安さんの仰せの通り
萬谷 衣里さんの
デビューアルバム
「イースト・サイド・ラプソティ~
リスト&エネスク」を
会場で買いました。
勿論、萬谷さんから
サインも頂いて
まいりました。(笑)
そのCDで
リストの
「ハンガリー狂想曲:第2番
:嬰ハ短調」を聴きました。
とても躍動的な旋律で
とても素敵な一曲です。
これから毎日聴けます。
とても楽しみです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日という一日を
浮き浮きとした
一日にすることが
できます。
それは自分の
心がけ次第なのです。
すばらしいものに
積極的に触れてみる。
その余韻は
途切れることなく
続く人生の
リサイタルのようです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2012年3月1日木曜日
“折り鶴よ天に届け!”
早いもので
今日からもう
3月になりました。
あの東日本大震災から
一年目を
迎えようとしています。
今年は全国共、
寒い冬が続き
おととい行ってきた
富士山の裾野にも
雪景色が広がっていました。
特に
震災地の皆様は
寒冷の地域ばかりなので
いつにも増して
厳しい日々を
過ごされたことと思います。
これから
復興するまでに
まだまだ
それぞれの困難に
立ち向かわれることと
思われます。
今年も
微力ながら
少しでも力になれる
ことは何かないだろうか?
と、女房と話していたところ
被災地の
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)
小学校の保護者である
針生 貴子さんから
女房に対して
折り鶴のお礼の
お手紙が届きました。
この閖上(ゆりあげ)
地区というのは
津波により
甚大な被害を受け
地獄そのものを
体験させられた
地域です。
2011年5月2日の
英国の新聞に
「津波で街が
地図から消える」とも
報道された地区です。
家や学校が
呑み込まれ
多くの人たちが
お亡くなりになりました。
この閖上小学校の
児童たちの幼い生命も
多数、この世を
強制的に旅立つ
ことになりました。
自身も食道がんと
闘っている最中の
女房としては
このニュースを聞き
大変悲しんでいました。
そして、
自分が今できることは
何かを探っていたと
思います。
そんな時、
このブログでも
何回も紹介させて
頂いています
山元加津子さんの
メルマガ
「宮ぷーこころの架橋
プロジェクト」で
震災に会った子どもたちを
励まそう!との
プロジェクトを
進めている方が
名取市に居られて
折り鶴を折って
送ってくれる方を
求めているとの話で
女房は
これをやらせて
もらいたいと
一も二も無く
折り鶴プロジェクトに
参加させていただき
それからというもの
病院でも自宅でも
寸暇を惜しんで
折り鶴を折って
千羽になったら送り
又、千羽になったら
送っていました。
本人の両手の
リハビリにもなって
一石二鳥とは
まさしくこういう
ことを言うのでしょう!
そのお礼の手紙が
届いたのです。
下記に文面を紹介
しますので
共有してください。
『私は閖上に住む針生と申します。
現在6年生と2年生の息子が、
不二が丘小学校内の閖上小学校に
通っております。
私が皆様の折り鶴に出会ったのは、
一学期の授業参観で初めて
不二が丘小学校を訪れたときでした。
少し緊張して校舎に入ると、
昇降口から階段、ホールまで所狭しと
飾られた色とりどりの折り鶴が
私たちを迎えてくれました。
「大変だったね、
生きていてくれてありがとう。」
「ひとりじゃないよ。一緒に頑張ろう。」
壁にはたくさんのメッセージカードが
貼られていました。
数え切れないほどの折り鶴と
温かいメッセージに囲まれ、
傷ついた子どもたちの心が、
どれだけ勇気付けられていたかと思うと
有難くて涙が止まりませんでした。
縁あって、途中から
折り鶴プロジェクトに参加させていただき、
皆様の折り鶴を繋ぐ作業を
させていただきました。
鶴に込められた温かい想いを感じながら、
一つ一つ鶴を繋いでいくことで、
私自身も癒され、前に進む力をいただいたと
思います。
震災直後は元気も笑顔も失ったように
見えた子どもたちも、
今は少しづつ日常を取り戻し、
温かく見守り支えてくださっている
全ての方々のお陰で
明るく強く成長しています。
折り鶴プロジェクトに賛同し、
たくさんの鶴を送ってくださった皆さま、
子どもたちに心を寄せてくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
生かされてる命に感謝し、
子どもたちの未来を信じ、
これからも頑張っていきます。』
閖上小学校 保護者
針生 貴子
そして、針生さんの
6年生の息子さんの
感謝の言葉が掲載
されている
1月15日付
日本経済新聞の“窓”の
コラム記事のコピーも
同封してくれました。
それも読んでください。
◎・・・一年の無病息災や家内安全などを
願って正月飾りなどを燃やす伝統行事
「どんと祭」が14日、東日本大震災で
大きな被害を受けた宮城県内の各地で
行われた。
◎・・・同県名取市の神社では、津波で
大きな被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区の
閖上小学校の児童らが参加。米国やマレー
シアなど世界各国から届けられたたくさんの
折り鶴を燃やし、復興への思いを誓った。
◎・・・折り鶴は保護者らが
「かけがえのない人や大切な物をなくした
子どもたちの心を支えよう」と間借りした
小学校に飾ってきた。
6年生の針生明旺くんは
「折り鶴を送ってくれた人たちに心から
感謝したい」と話した。
日本経済新聞 1月15日「窓」
また、今の閖上の復興の
様子を伝える
「閖上復興だより」
~もう一度 心をひとつに~
という地域新聞と
折り鶴のお炊き上げの
写真を編集してくれた
郵便はがきと
心のこもった
手作りのしおりを
添えてくれました。
被災された子どもたちを
励まそうと始まった
折り鶴プロジェクト
でしたが、感謝のお手紙や
「復興だより」などで
子どもたちの地域での
清掃活動の様子や
名取市内と近隣の小中学生
115名が子どもミュージカル
公演のため元気一杯
練習に励んでいる様子を
報せていただきまして
逆に励まされ力を
貰ったのは
私たちの方でした。
『今日は残りの人生の最初の日』
1月14日
どんと祭で
折り鶴をお炊き上げ
していただきました。
亡くなられた方々への
鎮魂、
復興への願いよ天に届け
との思いを込め
折り鶴は
飛び立って
まいりました。
有難いことです。
このプロジェクトの
一員として
参加できたことは
女房にとっても
この上ない
喜びになったと
思います。
まだまだ復興は
これからです。
いつまでも被災された
方たちのことを
忘れることなく
今後も何か
ほんの
ささやかなことしか
できませんが、
少しでも、
被災地の皆さまの
心の支えになる活動を
見つけて
参加していきます。
共有ありがとうございます。
生かしていただいて
ありがとうございます。
今日からもう
3月になりました。
あの東日本大震災から
一年目を
迎えようとしています。
今年は全国共、
寒い冬が続き
おととい行ってきた
富士山の裾野にも
雪景色が広がっていました。
特に
震災地の皆様は
寒冷の地域ばかりなので
いつにも増して
厳しい日々を
過ごされたことと思います。
これから
復興するまでに
まだまだ
それぞれの困難に
立ち向かわれることと
思われます。
今年も
微力ながら
少しでも力になれる
ことは何かないだろうか?
と、女房と話していたところ
被災地の
宮城県名取市閖上(ゆりあげ)
小学校の保護者である
針生 貴子さんから
女房に対して
折り鶴のお礼の
お手紙が届きました。
この閖上(ゆりあげ)
地区というのは
津波により
甚大な被害を受け
地獄そのものを
体験させられた
地域です。
2011年5月2日の
英国の新聞に
「津波で街が
地図から消える」とも
報道された地区です。
家や学校が
呑み込まれ
多くの人たちが
お亡くなりになりました。
この閖上小学校の
児童たちの幼い生命も
多数、この世を
強制的に旅立つ
ことになりました。
自身も食道がんと
闘っている最中の
女房としては
このニュースを聞き
大変悲しんでいました。
そして、
自分が今できることは
何かを探っていたと
思います。
そんな時、
このブログでも
何回も紹介させて
頂いています
山元加津子さんの
メルマガ
「宮ぷーこころの架橋
プロジェクト」で
震災に会った子どもたちを
励まそう!との
プロジェクトを
進めている方が
名取市に居られて
折り鶴を折って
送ってくれる方を
求めているとの話で
女房は
これをやらせて
もらいたいと
一も二も無く
折り鶴プロジェクトに
参加させていただき
それからというもの
病院でも自宅でも
寸暇を惜しんで
折り鶴を折って
千羽になったら送り
又、千羽になったら
送っていました。
本人の両手の
リハビリにもなって
一石二鳥とは
まさしくこういう
ことを言うのでしょう!
そのお礼の手紙が
届いたのです。
下記に文面を紹介
しますので
共有してください。
『私は閖上に住む針生と申します。
現在6年生と2年生の息子が、
不二が丘小学校内の閖上小学校に
通っております。
私が皆様の折り鶴に出会ったのは、
一学期の授業参観で初めて
不二が丘小学校を訪れたときでした。
少し緊張して校舎に入ると、
昇降口から階段、ホールまで所狭しと
飾られた色とりどりの折り鶴が
私たちを迎えてくれました。
「大変だったね、
生きていてくれてありがとう。」
「ひとりじゃないよ。一緒に頑張ろう。」
壁にはたくさんのメッセージカードが
貼られていました。
数え切れないほどの折り鶴と
温かいメッセージに囲まれ、
傷ついた子どもたちの心が、
どれだけ勇気付けられていたかと思うと
有難くて涙が止まりませんでした。
縁あって、途中から
折り鶴プロジェクトに参加させていただき、
皆様の折り鶴を繋ぐ作業を
させていただきました。
鶴に込められた温かい想いを感じながら、
一つ一つ鶴を繋いでいくことで、
私自身も癒され、前に進む力をいただいたと
思います。
震災直後は元気も笑顔も失ったように
見えた子どもたちも、
今は少しづつ日常を取り戻し、
温かく見守り支えてくださっている
全ての方々のお陰で
明るく強く成長しています。
折り鶴プロジェクトに賛同し、
たくさんの鶴を送ってくださった皆さま、
子どもたちに心を寄せてくださった皆さま、
本当にありがとうございました。
生かされてる命に感謝し、
子どもたちの未来を信じ、
これからも頑張っていきます。』
閖上小学校 保護者
針生 貴子
そして、針生さんの
6年生の息子さんの
感謝の言葉が掲載
されている
1月15日付
日本経済新聞の“窓”の
コラム記事のコピーも
同封してくれました。
それも読んでください。
◎・・・一年の無病息災や家内安全などを
願って正月飾りなどを燃やす伝統行事
「どんと祭」が14日、東日本大震災で
大きな被害を受けた宮城県内の各地で
行われた。
◎・・・同県名取市の神社では、津波で
大きな被害を受けた閖上(ゆりあげ)地区の
閖上小学校の児童らが参加。米国やマレー
シアなど世界各国から届けられたたくさんの
折り鶴を燃やし、復興への思いを誓った。
◎・・・折り鶴は保護者らが
「かけがえのない人や大切な物をなくした
子どもたちの心を支えよう」と間借りした
小学校に飾ってきた。
6年生の針生明旺くんは
「折り鶴を送ってくれた人たちに心から
感謝したい」と話した。
日本経済新聞 1月15日「窓」
また、今の閖上の復興の
様子を伝える
「閖上復興だより」
~もう一度 心をひとつに~
という地域新聞と
折り鶴のお炊き上げの
写真を編集してくれた
郵便はがきと
心のこもった
手作りのしおりを
添えてくれました。
被災された子どもたちを
励まそうと始まった
折り鶴プロジェクト
でしたが、感謝のお手紙や
「復興だより」などで
子どもたちの地域での
清掃活動の様子や
名取市内と近隣の小中学生
115名が子どもミュージカル
公演のため元気一杯
練習に励んでいる様子を
報せていただきまして
逆に励まされ力を
貰ったのは
私たちの方でした。
『今日は残りの人生の最初の日』
1月14日
どんと祭で
折り鶴をお炊き上げ
していただきました。
亡くなられた方々への
鎮魂、
復興への願いよ天に届け
との思いを込め
折り鶴は
飛び立って
まいりました。
有難いことです。
このプロジェクトの
一員として
参加できたことは
女房にとっても
この上ない
喜びになったと
思います。
まだまだ復興は
これからです。
いつまでも被災された
方たちのことを
忘れることなく
今後も何か
ほんの
ささやかなことしか
できませんが、
少しでも、
被災地の皆さまの
心の支えになる活動を
見つけて
参加していきます。
共有ありがとうございます。
生かしていただいて
ありがとうございます。
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