2011年9月14日水曜日

“絶望感の底が意味するもの”

昨日は
とても嬉しい事が
ありました。

入院している
女房の体重が
27キロから
30キロに
なっていました。

まだ、入院して
昨日は5日目
外見からは
判らないのですが、
体重計に
乗りましたら
きっかり
30キロを示しました。

思わず
二人共々
目を合わせて
「良かったね!」と
喜びました。

今回の入院は
22回目の入院です。
8年間に亘って
大体年間に
3回づつ入院して
きました。

数年前にも
一回あったのですが、
普段でも食欲が
ないのに関わらず
口から
入れるものを
一切、
拒否して
しまうのです。
食欲中枢に
問題があるらしく
食べたいという気が
起こらないようです。

ここ何ヶ月かは
少しでも
食べてもらおうと
柔らかいものや
女房の
好みのものや
栄養ドリンク等々
手を変え品を変え
与えようとしますが、

目の前に
一緒に
1時間ぐらい
ついてあげて
食べることに
集中させながら
わずかなものを
食べてもらうように
していました。

歩行もままならず
毎日椅子に
座って
千羽鶴を
折っているだけの
生活リズムです。

(千羽鶴は
今回の
東日本大震災で
亡くなった
子どもたちにと
鎮魂の意味で
折っています。
もう、既に
3000羽の
千羽鶴を
送らせて
いただきました。)

そんな状態で
体力が
どんどん
低下していました。

今年の初めに
入院し
手術をして
退院して以来

定期的な
検査を
してきましたが
体力が
低下しているため
手術が
先延ばしに
なっていました。

今回は
先生も
見るに見かねて
体力の回復と
栄養管理と
リハビリのために
入院を勧めて
頂きました。

手術が
耐えられる
基礎的な
体力を
つけることが
目的です。

私の女房は
食道がんです。
食道の3分の2は
がんに侵されて
いました。

8年前に
別の病院で
がんではないけど
がんの一歩手前の
上皮なんとかという
病名で
入院したことが
あります。

しかし、
そこでは
手術も無く
治癒した
ということで
確か
三週間ほどで
退院しました。

退院後
半年くらい
経ってから
先ほど
お話したような
食欲低下が起こり
どんどん
痩せてきて
ひとりでは
歩けない状態に
なってしまい、

ある時
トイレに
立とうとした
瞬間に
転んでしまいました。

その時に
中指が完全に
逆向きになって
折れてしまいました。

近くの病院に
行って
中指の
レントゲンと共に
身体の
レントゲン等を
撮ってくれました。

その時に
その病院で
判明しました。

私だけが
先生に
呼ばれました。
「重度の食道がんです!」
そう言いました。

半年くらい前に
がんの一歩手前
ということで
治ったと
思ったのに
重度の食道がんと
言われて
耳を疑いました。

勿論、
そのことも
先生に聞きましたが
そういうことは
よく
あるんだそうです。

調べるために
細胞を取るのですが
ちょっとずれた
場合に

そう
判断することも
あるんだそうです。

それで、
その病院の
紹介状を持って
今、
お世話になっている
病院に
最初の入院を
することに
なりました。

先生と
今後の
病気治療について
話し合いを
持ちました。

その当時の
女房の体重は
26キロでした。
ほとんど限界でした。

先生は
本当は食道を
全摘出したいが

食道の位置が
背骨やあばら骨に
囲まれているために
大手術になる。

女房の場合
それには
耐えられないだろう。

リスクが大き過ぎる。
と言ってくれました。

他は
放射線治療と
抗がん剤治療を
やっていくの
だけれども
これも
今の体力だと
持たないかも
しれない。

無理の無い
ところだと
内視鏡で手術をする
方法がある。

しかし、これも
身体に
負担が
かからないと
言う訳ではない。

それと
一度に
2~3センチ程しか
切除できないので
切除して
傷を治して

また、入院して
切除するを
繰り返さなければ
ならないので
時間が
かかることと

何回も
やっている内に
傷が
治ろうとして
皮膚が
盛り上がるので
他のがん細胞が
切除しにくくなる。

また、
その間に
がんが
他に進行する
場合もあって
時間との
戦いになる
との説明でした。

私は
元々、
放射線治療や
抗がん剤治療に
対して
疑問を
持っていましたので

二も無く
この内視鏡治療を
選択しました。

この8年の間
女房は
二度ほど
生死を彷徨いました。

ただ、
体力が無いため
がんの進行も
遅かったために、
新しい進行は進まず
一年に三回ほどの
手術のテンポで
進むことが
できました。
何が幸いするか
解りません。

去年の暮れ近くに
咽頭がんが
みつかり
それは切除し
今も咽頭がんが
みつかりました。

今回、
体力が回復して
その咽頭がんと
他の食道がんを
切除する
予定でいます。

この8年間の間に
多くのがん患者とも
知り合いに
なりました。

女房より
軽かった
同じ食道がんの
方も
亡くなりました。

体力の無いことは
いいことでは
ありませんが
がんも
エネルギーです。
負の
エネルギーです。

元気のある方の
エネルギーを
食べて侵食します。

がんと言っても
いろいろな種類があり
予想の出来ない
動きをします。
徐々に侵食し
身体を弱らせ
止めを刺すもの。

また、
あんなに
元気だったのに
と思うぐらい
あっという間に
侵食し
一気に広がり
生命を
終わらせるもの
等々

一概に
語れるものでは
ありません。

多くの人の
多くの絶望感と
そこから
這い上がろうとする
生きる強さも
見てきました。

その人たちにも
守るべき
家族も居ます。

或いは
夫であったり
妻であったり
子供であったり
父母であったり
その人たちを
支える人たちの
様々な
表情の中に

それぞれの
人生ドラマを
感じてまいりました。

女房も
数々の
絶望を
口には出さぬが
感じていたのは
近くにいるものは
感じます。

人が
絶望を感じるとは
どういうことでしょう?

読んで字の如く
望みを
絶たれた状態
理想は消え
目標を見失った
状態のことです。

以前
メンタルトレーニングに
関する仕事を
したことは
以前のブログにも
書きました。

その時に
岡山にある
篠原クリニックに
行ったことが
あります。
そこの院長は
篠原佳年先生で
サンマーク出版から
「快癒力」等
多くの本も
書かれている方です。

その先生とは
その後何回か
東京に来られたときに
ホテルで会ったり
お付き合いをさせて
いただいていました。

その時に
聞かせていただいた
話で
印象に残ったことが
ありました。

ある時
東京から
岡山の
篠原クリニックへ
ある会社の社長と
その部下と
思われる方が
篠原先生の
ご著書を見て
わざわざ
やってきました。

その部下の方が
話を切り出しました。

「先生、
我が社の社長は
末期のがんに
侵されています。

東京の有名な病院に
悉く診断して
もらいましたが
あと3ヶ月の命だと
言われてしまいました。

先生の本を読んで
先生なら治せると思って
わざわざ
岡山まで来ました。
先生、何とか我が社の
社長のがんを
治して頂けません
でしょうか?

社長がいなければ
我が社は
存続できないのです!
お願いします。」

篠原先生は
「がんの
専門病院の
先生たちが
診断して、
3ヶ月の命と
いうものを、
私にも
治すことは
できません。

まず、
この
生きられる時間を
真剣に
生き切ることです。」
と言われたそうです。

その後、
その社長は
絶望の果てに
自殺をして
しまったそうです。

もう一人
女性の方で
末期のがんの方が
来られて
余命宣告をされた
方だったそうです。

その方も
先生の本を読んで
先述の社長さんと
同じように
先生に治してくれと
頼んだそうです。

先生は
同じように
治すことが
できないと
仰ったようです。

その方も
絶望をされて
肩を落として
帰られたそうです。

2~3年位経った
ある日
その方から
手紙が
来たそうです。

そこには
余命宣告された
がんが
すっかり
消えてしまったこと
その報告と
その時のお礼が
述べられて
いたそうです。

その方は
実は
その方には
息子があり
その息子が
その後
事故で
重度の障害に
なったのだ
そうです。

その為に
経済状態の事もあり
息子の看病や
介護をしなければ
ならない立場に
追い込まれて
しまったそうです。

自分の
病気どころでは
無くなって
しまいました。

一心不乱になって
医療費を
稼ぐために
働いて
あとは
息子の看病にと
大忙しの時間を
送っていたんだ
そうです。

とても
自分の
病気どころではなく、
病気を
忘れてしまって
いたようです、

そうして
気がついて
病院で
がんを
見てもらったら
がんは
消えていたという
お話でした。

この二人の
お話は
本当に
対照的な話です。

人はすべての
望みが絶たれたとき
命を失いたく
ないがために
自分の命を
自分で奪います。

その反面
がんの
余命宣告という
苦しさから
逃れようと
最後の可能性を
求めて
この篠原先生の
クリニックに来た
女性は
篠原先生の一言が
すべての望みを
絶たれたとき
可能性は無くなり
エゴが悲鳴を上げ
絶望のふちへと
落ちていきます。

そこまでは
先述の社長さんと
一緒です。
しかし、
彼女の目の前に
現れたものは
息子の事故による
息子の高度障害です。

自分のことを忘れ
自分の大切な
息子のために
すべてを注ぎます。

エゴがすべてを
放棄したとき
その時から
新しいすべてが
始まります。

愛の力が
湧き上がってきます。
愛は
最大のエネルギーです。

人は
エゴから離れ
愛に生きるとき
すべての
愛の属性である
癒しの力
無限の力
永遠の力が
最大限に
現れてきます。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちには
今という瞬間の
この毎瞬、毎瞬に
今、ある愛の力を
使うことができます。

人は
絶望という底に
突き当たったとき
エゴである
自我が崩れる
瞬間があります。

その先には
すべてに
備わっている
真我が
発芽するのです。
絶望のふちに
あるものは
大いなる
神性の
覚醒なのです。

今を生き切ることこそ
大切なことです。

今日も一日
愛の心を
意識して
送っていきましょう。

共有、ありがとうございます。

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