2011年9月6日火曜日

「永遠性、無限性を感じる!」

ある雑誌を
読んでいましたら、

私たちの
細胞の中には
ある種の
暗号情報

ある種の
DNA情報が
潜在的に
組み込まれている
のだそうです。

ただ、
現在は
休眠状態だそうで、

私たち
人間の波動が
一定レベルに
達すると
起動するように
なっていると
書いてありました。

先日書いた
水がめ座の時代」に
リンクするような
内容です。

私の解釈では
「人間の波動が
一定レベルに
達する」とは
私たちが
霊的に
覚醒した状態を
いうのではないかと
思います。

自我の意識から
離れて
真我なる意識を
顕現しながら

もう
自我なる意識が
一切
出てこない状態に
なった時に

私たちの
波動は
上昇していきます。

その
真我意識への
到達を得た
人たちが
ある臨界値を
越えた時に

眠っている
ある種の
潜在的な
DNA情報が
バイブレーションを
感じ
起動するのでは
ないかと思います。

それでは
その真我意識に
到達する
状態とは
どんな状態
なのでしょうか?

真我意識は
読んで字の如く
真なる我の
意識です。

真なる自分とは
何でしょう?
真我意識は
神我意識です。

”神が我”
”我が神”という
認識です。

私たち
一人ひとりに
宿っている
内在する神を
知るという
ことです。

真(神)我意識に
到達するとは

”神のいるところに
我が居り”
”我のいるところに
神が居る”

本質である神に
我を
全託すること、
委ねると
いうことです。

私たちは
自我意識で
もがけばもがくほど、
悩み
苦しみは
拡大するだけです。

私たちは
神我意識に
委ねていれば、
すべての物事は
悩みや
苦しみの
対象では
なくなります。

私たちの
信じるべきことは
人間という
形の存在ではなく、
存在の本源である
神なのです。

でも、
私たちは
どうしても
見える存在
この形ある人間に
惑わされて
しまいがちです。

その状態から
離れて
いかなければ
なりません。

真(神)我意識に
到達すると
いうことは

神の”永遠性”
神の”無限性”を
知ると
いうことです。

私たちが
この
真理である
ところの
永遠性
無限性を
知ったとき

すべての
悩み
苦しみは
解き放たれ
そこには
魂の進化のみが
あるのです。

「天国は
汝.の内に在り
初めに永遠ありき」
「初めに無限ありき」
なのです。

永遠や
無限を知り
受け入れたとき

永遠の臨在観
無限の臨在観に
満たされていきます。
神の臨在観です。

神に
満たされるとは、
永遠に
満たされる
無限に
満たされると
いうことです。

私たちは
永遠で無限なる
存在です。
その自覚を
することです。

神の
永遠なる性
無限なる性を
愛し
それを意識し
現わしていくことです。

意識を
永遠なる
無限なるものに
焦点を合わせ
上昇させるのです。

自我意識を
真我意識
(神我意識)である
永遠意識
無限意識に
高めなくては
なりません。

『今日は残りの人生の最初の日』

ある意味では
今、この瞬間に
どこに意識を
向けているかが
大切です。

今、この瞬間に
永遠
無限を
感じてください。

大袈裟でも
何でもなく
その意識を
自覚することが

私たちの
明るい未来を
創ることになるのです。

自分との戦いです。
真剣に
真の自分を
追求していこう
ではありませんか。

そして
私たちが
波動を高める
臨界値を超える
原動力と
なるのです。

ある暗号を
起動するために

ありがとうございます。

2011年9月4日日曜日

“次なる文明の考え方”


昨日の
ブログは
水がめ座の時代」と
いうタイトルで
書かせていただきました。

次なる進化の
ステージが
開かれていて
精神文明へと
進んでいく
ということを
書きました。



最近
若い人たちと
お話をさせて
いただくと
感じるのですが、

非常に
精神性が高い
人たちが
多いということを
感じています。

特に
平成以降に
生まれた方の中に
多く
見受けられます。

やはり
水がめ座の時代に
突入し
精神文明への
パラダイムシフトが
起こっていることと
関係しているのかも
知れません。

彼らの考えの中に
地位も
名誉も
財産も、
人が一生をかけて
追い求める
ものではないという
認識を
持つ人たちが
増えているのです。

私たちの時代
特に
戦後の
昭和20年代に
生まれた人たちには
まったく
考えられない
認識です。

私たちは
その
地位と
名誉と
財産を
追い求めて
きました。

その結果
地位や
名誉や
財産を
得られた人たちも
おりましたが

残念ながら
得られなかった
人たちも
多いと思います。

また
一度は
得られたけれど
失った人たちも
いると思います。

あれ程
やっきになって
手に入れたいと
思った
地位や
名誉や
財産を
得たとしても
必ずしも
幸福になれた訳では
ありません。

手に入れられなかった
からといって
必ずしも
不幸であった訳でも
ありません。

地位や
名誉や
財産が
絶対的な
幸福の条件では
ありませんでした。

それは
誰でも
解っていることです。

しかし、
今でも
地位や
名誉や
財産を
追い掛け回して
得ようと
やっきになっている
人たちも
見受けられます。

地位や
名誉や
財産は
得ようと思って
与えられるものでは
ありません。

地位や
名誉は
自分以外の
他からの
評価により
与えられるものです。

財産は
その地位や
名誉に
ふさわしい
ものとして
ついてくるものです。

そういった点では
何も
間違ったことは
ありません。
寧ろ
すばらしいことです。

ただ、
それを
追い求めてきて
今の現実を
見たときに
そこには
多くの犠牲が
横たわっていました。

物質文明を
追求してきた
私たちは
物質の
生産のために
自然を
破壊してきました。

自然は創造主が
創造したものです。
そのままで
完璧なものでした。

それを
物質文明を
謳歌するために
私たちは
自然の
バランスを崩し
不完全なものに
してしまいました。

開発と称して
人が楽しむ施設や
ゴルフ場等々
作る為に

森林を伐採し
自然環境を
酸化させて
きました。

それにより
生き物の
老化を早め
病気を
生産しています。

また、
大量生産
大量消費と称して

母なる大地
生を育む大地に

農薬や除草剤
酸性の強い
化学物質を
撒き散らしています。

それによって
大地にいる
人類にとって
最高に
相性のいい
生命の
大先輩である
微生物をも
殺傷してきました。

微生物を
殺すということは
私たち人間や
動植物を
殺すことに
繋がっていくのに。

雨が降って
その化学物質で
汚染された
山や大地に
浸透していき
水が汚染されて
いきました。

そして
その大地に含んだ
化学物質が風と共に
空気を汚染し

それを
人間が吸い込み
動植物も
影響されています。

生態系を
完全に
破壊してきました。

ここでも
訳のわからない
ような病気を
生産しています。

このように
人間が
人間の物質性を
満足させるために
独りよがりで
発展させてきたら

結果として
人間自身に
あらゆる
問題が
生じてきて
いるのです。

また、
酸化していき
細胞が腐って
病気に罹った
人たちに対して

その細胞を強い
化学薬品で殺すか
細胞を取り除く
ということしか
国や医療関係者も
考えていません。

どうも
自分勝手に
物事を
考えてきた
この物質文明での
中で

根本を
考えることとか
全体を見て
判断することが
出来なくなって
しまったのでは
ないかと感じます。

この物質文明での
産業は
開発して
山を切り開き
海を
埋め立て
自然を破壊させ

農薬や
化学肥料や
薬品のように、
酸化させ
難病の発生原因に
なるものを
生産・販売して
利益を
上げてきました。

冒頭に
あげました
平成の若者たちは

今迄の
物質文明が
作り上げた社会に
行き詰まり
その時代に
生まれ
育ってきた中で

人間のエゴで
作られた社会の
幸福というものの
考え方

過てるシステムの
中での
成功であると
思われてきた

地位や
名誉や
財産等
それらに対する
幻想が消え去り
つつあるのだと
思います。

真の幸福は
人間だけでは
到達できないのです。

生きとし生けるもの
万有万物
すべてが共生し
幸福になる時代です。

これからの
営みは
どんなもので
あっても
全体を考えながら
協力して
創造するものです。

今、
私たちの
している仕事が
生きとし生ける
もの全てに対し
役に立っているの
だろうかという
観点で
一日一日を
生ききること
なんだろうと
思います。

私は
いい時代に
入ってきたと
思います。

これから
私たちは
地球の環境を
修復して、
元の完全な
自然や健康を
取り戻すために

遅れてくる人たち
次の
精神文明の
担い手である
子供たちには
きれいな地球に
戻して
完全な自然を
残して
あげなければと
感じています。

今日も
共有ありがとうございます。

2011年9月3日土曜日

「水がめ座の時代」

今の時代は、
水がめ座の時代に
入っていると
言われています。

聞いたことが
ある方も
多いと
思います。

諸説があり
1956年から
入っているという
説もありますが、

キリスト生誕を起点に
西暦2000年までが 
魚座の時代で 
2001年から
水瓶座の時代と
言われています。

地球はこれまで
約2000年ごとに
一つの時代の変化を
迎えてきましたが、

今回の「変動」は
私たちが住む
地球ばかりでなく、

太陽系全体が
25860年に
一度迎える、
“太陽年”の変容の
周期に入って
いるのだそうで、

そのため
宇宙全体が
この地球の変化を
特に関心を持って
観察して
いるようです。

特に
この十数年
宇宙から
チャネラーを通じて
日常的に
メッセージが
送られくるように
なっています。


また、
UFO等が
上空に
頻繁に
訪れていて
多くの方が
目にするように
なっています。


来るべき
コンタクトのために
私たちに
心の準備を
促しているのかも
知れません。

では
水がめ座の時代に
入ったということが
私たちに対して
どのような
意味が
あるのでしょうか?
水がめ座の時代とは
どういう時代なの
でしょうか?

前の
うお座の時代は
競争
対立
派閥の時代と
言われていました。

この
2000年間で
いろいろな
発明があり
私たちの生活は
飛躍的に
改善され
物質的な
豊かさを
享受してきました。

物質文明が栄え
極を迎えました。
古いエネルギーの
時代です。

水がめ座は
個人の霊性を
高める時、

人類の高次への
覚醒のとき

いわゆる
精神文明の時代と
言われています。

今迄の
古いエネルギーが
もたらした
行き過ぎの
物質至上主義の
弊害とも
言うべき
心の荒廃を
修正していく時代

バランスのとれた
統合の時代
新しいエネルギーの
時代です。

物質文明は
終わり、
これからは
精神文明の時代に
入っています。

しかし、
水がめ座の時代に
入ったからといって

まだ、
古いエネルギーに
固執している
勢力も残存して
いるのです。

今の地球上には
新しい統合の
エネルギーに
順応する者と

古い物質の
エネルギーに
順応する者と、
二つの両極端に
分かれています。

日本では
3月11日に
発生した
東日本大震災以来
原発による
放射能汚染が
拡大しています。

また
それに関連して
失業や
倒産
エネルギー危機
医療の問題や
環境破壊
二次災害等の
問題が噴出しています。

世界も
例外ではなく
金融危機や
震災を始め
あらゆる
自然災害や
暴力や犯罪
内戦等々
混沌が進んでいる
ように感じられます。

これはすべて
今迄の
古い時代の
残存エネルギーが
もたらす
同一の危機の
異なった側面を
現わしているに
過ぎません。

まだ
暫くは
この危機は
続くでしょう。

もっと
大きなクライシスが
起こる可能性も
否定できません。

それは
今までの
私たちが
その原因を
創ってきたからです。
古いエネルギーが
ひずみを
ゆがみを
創ってきました。

それは
開放されない限り
真の
新しい時代は
訪れ得ないのです。

私たち
一人ひとりの
意識の在り方が
地球の破壊に
つながる原因を
創りだして
いるのです。

すべては
私たちの意識

内面に
存在する意識の
あり方が

古い価値観の
エネルギーから
発するところの
自我による
エゴからの意識なのか

新しい価値観の
水がめ座の
エネルギーから
発するところの
真我による
神性からの
意識なのか

その分水嶺に
あると
思います。

アセンションという
言葉を
聞いたことが
あるでしょうか。

一般的には
あまり使うことは
ないかも知れません。

意味は
“上昇”です。
精神世界では
“次元上昇”を
意味する言葉です。

いまこそ
この
アセンションが
重要な時代に
なりました。

まず
自らの意識を
アセンション
するのです。

それは
私たちの心の内に
既に備わっている
偉大なる力に
気づくことによって
可能になるのです。

私たちには
一人の例外もなく
深遠なる
気づきと
無限の可能性が
備わっているのです。

気づけば
今のその瞬間から
アセンションが
できるのです。

パラダイムの
変化のとき来たりです。

ケンブリッジ大学の
物理学者である
ルパート・シェルドレイクさんの
「生命のニューサイエンス」
形態形成場と行動の進化という
本があります。
(工作舎刊)

この本の中で書かれている
「形態形成場」理論は

「自然界には、
電気・磁気・重力以外の
未知の力の場つまり
「形態形成場」が存在し、
ある形や
活動が広がると
その形や活動パターンが
それに刻印され、
その共鳴作用によって
同じような
形や行動が
起こりやすくなる」と
いうものです。

共通している
ものとして
船井幸雄さんの
「百匹目の猿」
(サンマーク出版)という
本のまえがきに
書いてある
内容も
抜粋させて
いただきます。

「宮崎県の串間市、ここから約2キロメートルの
石波海岸のすぐ近くに幸島というしまがあります。

 周囲約4キロメートルのこの島には、
いまは百匹ほどのニホンザルが住んでいます。
海水浴をし、餌付けされたサツマイモを
海水で洗って食べると言うので「文化猿」といわれ
観光名所ともなっています。

 ところで話は約半世紀前にさかのぼります。
1950年(昭和25年)のこと、
京都大学霊長類研究所の研究者たちが、
この猿たちにサツマイモの餌付けを試みはじめました。
そして1952年に成功したのですが、
その頃は20匹の猿しか幸島にはいなかったのです。

 はじめの頃、猿たちは、サツマイモの泥を
手や腕で落として食べていました。
しかし1953年のある日、
一歳半のメス猿が泥を川の水で洗い流してから
食べはじめたのです。

 メス猿のこの行動は、
やがて若い猿たちや母親猿たちにまねられ、
1957年には、20匹中15匹がイモを
川の水で洗って食べるようになりました。

 ところがおもしろいことに、12歳以上のオス猿は、
イモ洗いが群れに定着して10年たっても、
イモ洗いをしなかったのです。
これは人間にも当てはまります。
ボス的立場の男性ほど新しい流れに抵抗するのが現実ですから、
やはり猿と人間は似ているようです。

 ところでその後、川の水がかれたことなどもあり、
いつの間にか猿たちは海水で
イモを洗って食べるようになりました。
海水の塩分がイモをおいしくしたのか、
このようにして猿たちのイモ洗いは
淡水から海水へと変わっていったのです。

 そうしてあるとき、大分県の高崎山の猿たちの中にも
水でイモを洗う猿たちがいるのが見つかりました。
それは幸島で猿たちのイモ洗いが定着したあとのことなのですが、
彼らは幸島の猿たちとはなんの関係もない猿たちです。
あえていうならニホンザルという点だけが同じです。

 やがて高崎山の猿たちにも
イモ洗いの行動は広がっていきました。
現在もこれは行われています。

 この猿のイモ洗い現象が
遠く離れた幸島から高崎山へ伝播した現象を、
アメリカのニューエイジ科学者の第一人者
ライアル・ワトソンがベストセラーになった彼の著書
『生命潮流』 (日本語版・工作舎館)の中で
「百匹目の猿現象」と名づけ発表しました。

 そのため、この言葉は広く世の中に知られるようになりました。
彼は、幸島でサツマイモを洗うニホンザルの数が
ある臨界値をこえると、その行動は幸島の群れ全体に
広がるだけでなく、遠く離れた他の場所に生息する
猿たちの間にも自然に伝わるのではないかと考えたのです。

 そして、その臨界値を便宜的に
「百匹目」としたのです。おもしろい発想です。」


いかがでしょうか?
これは猿の例ですが

私たち人間も
同じでは
ないでしょうか?

最初に紹介した
シェルドレイクさんの
理論を

私たちの
意識レベルに
置き換えてみても
いいのでは
ないでしょうか。

私たちが
私たちの内面に
備わっている
偉大なる力に
気づき
真我意識に
上昇することによって

その神性から
発せられる
エネルギーが
「形態形成場」を
創ります。

その
「形態形成場」を
中心に
まず、私たちの
周囲の人たちが
目覚めへと
向かい
さらに
はずみを
つけていきます。

また
一人が覚醒し
覚醒した人たちが
ある一定の数に
達すると
その場を超えて
その影響は
日本中に
世界中に
宇宙に及んで
いくというものです。

そうなった時
私たちの世界は
真の
水がめ座の時代に
移行することが
できるのです。

一人ひとりが
自我からではない
真我からの意識から
話し合える世界です。

自と他の区別の無い
「私はあなたであり
あなたは私であります」
境界は取り払われ
それぞれのエゴは
溶解していきます。

その世界からは
すべての破壊は
消失し

真我(神我)の持つ
優しさや
思いやり
慈しみの
愛と光に満ちた
世界になって
いきます。

今、
目の前に起こることが
どんな苦難・困難
危機であったとしても
怖れてはいけません。

水瓶座の時代
それは私たちが
これから経験していく
進化のための
新しい領域です。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちの
心の内面に
地球の未来が
かかっています。
宇宙の未来も
かかっています。

水がめ座の時代
私たちには
次なる進化の
ステージ
アセンションが
開かれています。

この瞬間こそが
永遠につながる
道になるのです。

ありがとうございます。

2011年9月2日金曜日

“闇の本質は有限”

今日の
東京は
すばらしい
よい天気です。

しかし
夕方からは
台風12号の
影響で
大雨が降るとの
気象情報でした。

南から
北西に向かって
時速10kmの
ゆっくりとした速度で
進んでいるようです。
今後の進路が
気になるところです。

私たち
人間も
今、大きな岐路に
立たされています。

今、
世界は
混沌の中にあり
数多くの
痛みや
悲しみ
怒りや
怖れが
渦巻いています。

その一方で
数多くの人たちが
霊的な
覚醒を得て
目覚めても
きています。

この
対立軸にある
二極性は
闇と
光の鬩ぎあいの様に
見えなくも
ありません。

しかし
ここで
本質をみつめて
いきますと
闇の本質は
有限であることが
わかります。

闇とは
光に対しての
対立軸ではなくて
一時の
歪みでしか
ありません。

光を
より一層
輝かせるために
闇は
あるのに
過ぎないのです。

怖れは
愛と
思いやりによって、
悲しみは
喜びによって
怒りは
受け入れる
ことによって
消えていくものです。

闇は
そこにある
スイッチを
ONにすれば
灯りがついて
消えてしまいます。

私たちは
闇を
殊更に
大きい存在にして
怖れています。

思い込みの
迷路に
悪戦苦闘しながら
辿っています。

その内に
闇や恐怖が
存在するが如く
信じ込んでいきます。

闇は
私たちの
進化の過程で
学ぶために
現れているに
過ぎないのに

闇は
私たちの
内部に
灯りのスイッチが
あることを
気づかせるために
現れているのに
過ぎないのに

闇に
打ち負かされて
光から
切り離されて
いっています。

私たちが
その本質で
あるところの
光のスイッチに
気づき

それを
ONにする
選択をすれば

そこには
光しか
存在しないことが
わかります。

私たちは
その内面に、
私たちの
起源である
至高の創造主の
神聖なる閃光を
携えています。

私たちの
聖なるこころの
中心に在る
閃光に意識を
集中する時、
その光は
さらに強い輝きを
増していきます。

私たち
一人ひとりが
その内なる
方向に
進路を向ける時

私たちの世界も
進路を
変えていく
方向に
進んでいきます。

闇の
本質は
有限であり
ただ
光を遮っている
部分に
過ぎないのですから
何を
怖れることが
ありましょうか。

大宇宙は
光です。
いくら
使っても
使い切れない程の
無限の光です。

この
無限の光は
私たち一人ひとり
だけではなく

生きとし
生けるもの
万有万物すべてに
注がれています。

安定供給
無限供給なのです。

この
宇宙の
安定性の
中だからこそ
逆に
あらゆる混沌が
生まれる
余地があるのだと
言えるのです。

ようは
あらゆる混沌は
光に収束され
変容するために
現れているのです。

混沌を混沌として
見るのではなく
光という一点に
向かう進化としての
プロセスとして
見るのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今という瞬間に
積極的で
愛に溢れる
状態で
過ごすことです。

永遠の今は
すべての時間と
空間の中に
存在しているのです。

私たちは
光の中で
大きな愛に
抱かれているのです。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2011年9月1日木曜日

“今の思いを点検しよう!”


今日から
9月になりました。
早いものです。
学生さんなどは
決意も新た
今日からの
再スタートに
思いを馳せて
おられることと
思います。

今日は
思いについて
書いてみたいと
思います。

私たちの
現在の状況は
私たちが
今まで発した
思い通りに
なっています。

これは法則です。
それ以上でもなく
それ以下でも
ありません。

人間は
毎日
何かを知り
何かを信じ
何かを想像
しています。

その思いが
私たちを
形成しています。

「そんなことはない!
私は、自分の
思い通りに
なっていない!
だから
今、○○なのだ!」と
思う方も
かなりいるのでは
ないですか?

この○○には
それぞれの方の
思い通りに
なっていない
項目が
入ります。

なぜ?
そう思われる方が
多いのでしょう?

「思い通りにしたい!」
という思いは
どこから
来ているのでしょう?

「思い通りにしたい!」は
今、自分は
「思い通りに
なっていない!」から
そう思ったわけです。

ですから
「思い通りに
なっていない」
現実を
引き寄せています。

結局
自らの
思いの通りに
なるのです。

ということは
私たちは
日常の思いを
正しく発しなければ
ならないと
いうことです。

私たちは
今、
何を
思っているのかを
点検する
必要があります。

私たちは
あまりにも
望む現実ばかりに
思いが至り

今、
自分が
何を
思っているかには
関心を示しません。

まず
順序を
変えなければ
なりません。

望む現実を
得たいのであれば
まず
望む自分を
創らなければ
なりません。

今の
あなた自身の
思いを点検し
自分の思いの
傾向性が
不足感から
発して

不足しているから
これを得て
満足したいという
欲求の方向で
行動したとしても

それは
いくら待っても
その得たい現実は
得ることは
できないのです。

欲求は
自我意識から
発せられます。
自我意識からは
正しい現実は
得ることは
できないのです。

特に
これからの時代は
自我意識から
発せられる
願望は
何も実現することは
ないでしょう。

なぜ?
自我意識からの
願望は
実現できないのでしょう。
(正確には
不足や否定から
発しているので
実現しています)

それは
今、
世界に
起こっている現実を
見れば
わかります。
それが
結果なのです。

思いやり
共生
優しさ
平和
安全
美しさ等々
正しさを伴わない
願望は
限界を迎えました。

もう
自我意識からくる
独りよがりの
他を奪い
自分たちだけが
得ようとする
欲求は
一切
実現しないことに
なっています。

その犠牲に
なった同胞が
今日も
食を得られず
薬を得られず
かけがえのない
生命を
終えています。

もうこれ以上
自我意識での
欲求に
応えていける
地球では
ないのです。
食いつぶして
いるのです。

財産が
あるといって
母なる大地
地球の
預金通帳から
勝手に引き出して
贅沢三昧を
している
放蕩息子のように!

私たちは
もう
このような
生き方からは
離れなければ
なりません。

真我意識からなる
正しさの基準を
持つところの
望む自分を
創っていくのです。

不足感から
得たいと感ずる
欲求ではなく

今、
すべてを
与えられている
という観点から
思いを
発するのです。

真我意識から
発するのです。

真我意識とは
神我意識です。
無限意識です。

自我意識とは
肉我意識です。
有限意識です。

私たちの
真実は
無限に
与えられている
存在なのです
神我意識なのです。

もう既に
満たされているのです。

思いを点検するとは
自らの思いが
自我意識から
発しているのか
真我意識から
発しているのかを
点検するのです。

自我意識は
欲求からの願望で
望む現実の結果を
求めます。

真我意識は
正しい基準に照らし
望む現実を
得るために
まず
望む自分(原因)を
創ります。

真我意識は
無限であり
永遠です。

無限なのですから
失うものなど
何もないのです。

永遠なのですから
滅することも
ないのです。

自我意識は
肉我であり
有限です。

形あるものは
いつかは
消滅していきます。

あなたは
いつまで
消滅するものを
追い求め
思い続けるのでしょう。

『今日は残りの人生の最初の日』

永遠に
失うことのない
不滅の
真我意識に
気づくことです。

気づいたとき
平和と
安心の気持ちが
印されます。

今日、
今の瞬間に
気づきは
起こるのです。
それは
永遠の今だからです。

ありがとうございます。

2011年8月31日水曜日

“地球に愛を”

今、
私たちは
この宇宙の中の
地球に存在しています。

といっても
唯、漠然としか
感じていないように
思います。

私たちが窺い知る
ことのできる
地球は
地球儀の上での
地球
或いは
人工衛星や宇宙船から
送られてくる
映像上の地球です。

アポロ計画で
月面着陸をしたと
いうことで
大騒ぎをしたり、
宇宙探検には
関心を示しても
意外と
地球に対しては
改めて関心を示す
ことは少ないように
思います。

しかし
私たちにとって
地球は
母なる大地なのです。
その母なる大地に
育まれ
生長してきました。

地球は
地球が持つ
エネルギーを
惜しみなく
無条件で
与えてくれています。

母なる大地
地球は
山川草木
万物を生かし
ありとあらゆる
生命を
受け止めていて
くださいます。

私たちは
母なる大地
地球が

あまりにも自然に
さらに気前よく
何でも
無条件に
与えてくださるので
慣れっこになって

好き勝手に
傍若無人に
振舞ってきました。

私たちが
その
与えきりの
空気や

海や
山や
大地からの
恵みだけでは
満足せず

さらに
快適なものを
追い求め
地球上の資源を
無駄に浪費して
いきました。

私たちの
欲は
それに留まらず

まるで
ハイエナが
動物の屍骸に
むさぼるように
あさましい
様相を
呈してきました。

いや、
ハイエナは
腹膨れれば
欲しがりませんが、

私たち人間は
もっと快適に
もっともっとと
限界なく
求め続けてきました。

山を切り開き
海を埋め立て
動物の住処をなくし
絶滅させてきました。

食料を奪い
それを求めてくる
動物たちを
容赦なく
殺しました。

「仕方ないんだ!」
と言いながら。

私たち人間は
それでは
飽き足らず
私たちと
同じ同胞である
人間をも
武器で追い払い
すべてを
奪い取っています。

そして
さらに
奪い取るために
この母なる大地
地球が何個も
消滅してしまう程の
“核”を開発して
しまいました。

さらに
“核”には
“核”で対抗しようと
抑止力という
言葉を使い
さらに
“核”を
保有しようと
しています。

もう地球は
限界にきています。
私たちが
痛めつけて
痛めつけて
疲弊しています。

地球は
私たち人類
70億人弱
動植物や
生きとし生けるものの
多くの生命を
懐に抱き
守り抜いてきました。

今のままで
いいんでしょうか?

その母なる大地
地球に対し
今こそ
恩返しをしようでは
ないですか。

母なる大地
地球に
愛を届けなければ
なりません。

母なる地球に
感謝を
しなければ
なりません。

私たちは
母なる大地
地球に
思いを馳せ

母なる大地が
育てた
山川草木の
愛のエネルギーと
同じく
育てられた
私たちの
愛のエネルギーを
融合させ
その神秘なる偉大さ
その輝ける美しさ
その眩いばかりの光
その融合の神々しさを
送りましょう。

母なる大地
地球に対し

ごめんなさい
許してください
ありがとうございます
愛しています

と伝えましょう。

私たちの
内部から
美しい地球の
イメージを高めて
心から
お伝えしましょう。

今まで
いただいた
無条件の愛と光を

自分の
周囲で
参加してくれる
家族や
ペット
草花や
石たちと共に

どんな場所からでも
大地に立ち
みんなで
大地に愛を
おくりましょう。

何回も
何回も
心から
愛をこめて

ごめんなさい
I'm sorry.
許してください
Please forgive me.
ありがとうございます
Thank you.
愛しています
I love you.

そして
母なる大地
地球に
宣言しましょう。

私たちは
あなたが
(母なる大地が)
等しく
与えてくれている
恵みに
感謝し
他のどんな人よりも
多くを望む
ことはありません。

又、
あらゆろ国籍や
人種や環境で
あなたが育んだ
人間を差別
することは
一切、いたしません。

人はすべてが
平等であるからです。

又、
生きとし生けるもの
万有万物に対して
和解をし
仲良く
共生する道を
探していきます。

それはすべてが
神の子であり
あなたが育んだ
生命だからです。

私たちに
無条件の愛を
与えてくださった
あなたに対して
私たちは
ささやかでは
あるけれど
愛を
お届けします。

私たちが
あなたから
受け取った
愛のエネルギーで
この世を
照らすとき
あなたを
心に想い
その輝きを
あなたにも
お送りします。

母なる大地
地球よ
ありがとうございます。
あなたを
心より
愛しています。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、この瞬間に
あなたに
愛を送ります。
受け取ってください。

ありがとうございます。
愛しています。

ありがとうございます。

2011年8月30日火曜日

「共に在る!」

今日は
何回か紹介させて
いただいている
「心のチキンスープ」より
抜粋させてください。

“わたしを見守るひとがいる”
(『こころのチキンスープ13
 ほんとうに起こったラブストーリー』より)

 バスの乗客は、白い杖を持った美しい若い女性が
慎重にステップをのぼってくるのをはらはらしながら見守っていた。
彼女は手探りで座席の位置を確かめながら通路を歩いて、
運転手に教えられた空席を見つけた。座席に腰を下ろすと、
ブリーフケースを膝に載せ、杖を脚によせて立てた。

 34歳のスーザンが視覚障害者になってから1年になる。
誤診のために視力を失って、彼女は闇と怒りと苛立ちと
自己憐憫の世界に突き落とされた。
ひと一倍独立心の強い女性だったのに、
残酷な運命のいたずらのせいで、
ひとの助けを借りなければならないのが辛かった。
「どうして、こんな目にあわなければならないの?」
彼女は怒りに胸をつまらせて嘆いた。
だが、いくら泣いてもわめいても祈っても、
辛い現実が変わるはずもないことはわかっていた。
視力は2度と回復しない。

 以前は明るかったスーザンの心は、重い鬱の雲に覆われた。
毎日をやり過ごすだけでも、苛立ちや果てしない疲労の連続だった。
彼女は必死の思いで夫のマークにすがった。

 マークは空軍の将校で、心からスーザンを愛していた。
視力を失った彼女が絶望の淵に沈み込んだとき、
マークはなんとか妻にもういちど力と自信を取り戻させよう、
もういちど独立心を回復させてやろうと決意した。
軍人であるマークは、扱いの困難な状況に対処する訓練を
充分に受けていたが、その彼でさえ、
これはこの上なく厳しい闘いになることを知っていた。

 ついに、スーザンは仕事に復帰する決心をした。
だが、どうやって職場に通ったらいいだろう? 
以前はバスを使っていたが、
ひとりで街に出るなんてもう怖くてできない。
マークが、毎日車で職場まで送って行こうと申し出た。
2人の職場は街の反対側に分かれていたのだが。
はじめ、スーザンは喜んだし、
ほんのわずかなことにも大変な思いをしている妻を
守ってやりたいというマークの気持ちもこれで満たされた。

 ところがしばらくすると、
マークはこのままではいけないと気づいた。
そんなことを続けるのはどう考えても無理だったし、
負担が大きすぎる。
スーザンはひとりでバスに乗ることを覚えなければいけないんだ、
とマークは自分に言い聞かせた。
だが、彼女にそう言うと考えただけで、彼はひるんだ。
それでなくても頼りなく、怒りにさいなまれているのに。
そんなことを言われたら、どうなるだろう?

 マークの予想どおり、またバスに乗ると考えただけで、
スーザンは震え上がった。
「目が見えないのよ!」
彼女は苦々しく答えた。
「どうすれば行く先がわかるの? 
あなた、もうわたしの面倒を見るのがいやになったんだわ」

 こう言われてマークの心は傷ついたが、
しかしなすべきことはわかっていた。
彼はスーザンに毎日、朝晩いっしょにバスに乗ってやると約束した。
彼女がひとりで大丈夫と思うまで、どんなに時間がかかっても。

 そのとおりになった。
まる2週間、軍服を着て支度を整えたマークは、
毎日スーザンの送り迎えをした。
残った感覚、とくに聴覚を働かせて、自分の居場所をつかみ、
新しい環境に適応する術をスーザンに教えた。
バスの運転手ともなじみになり、彼女に気を配り、
座席をとっておいてもらえるようにした。

 そのうちに、スーザンも笑い声をあげるようになった。
バスを下りるときにつまづいたり、
書類が詰まったブリーフケースを通路に落としてしまう
といった運の悪い日にすら、笑顔が出るようになった。

 毎朝、2人はいっしょに出かけ、
それからマークはタクシーでオフィスに向かった。
車で送迎するよりももっと費用がかかったが、
マークは時間の問題だと知っていた。
スーザンはきっとひとりでバスに乗れるようになる。
彼はスーザンを信じていた。
視力を失う前の、何があっても恐れずに立ち向かって、
決してあきらめなかったスーザンを。

 ついに、スーザンはひとりでバスに乗ると言いだした。
月曜日になった。スーザンは出かける前に、
夫であり親友でもあるマークの首に両腕をまきつけた。
彼の誠実さと忍耐と愛を思って、スーザンの目に感謝の涙があふれた。
「行ってきます」。
2人は初めて、べつべつに出勤した。

 月曜日、火曜日、水曜日、木曜日……。
毎日は無事に過ぎていき、スーザンの気持ちも、
かつてなかったほど明るくなった。
やったわ! 自分だけで出勤できるんだ。
 金曜日の朝、スーザンはいつものようにバスに乗った。
料金を払ってバスを下りようとしたとき、運転手が言った。
「あんたはいいねぇ」

 スーザンは、まさか自分に言われたのではないだろうと考えた。
いったい誰が目の見えない女性をうらやむというのだろう。
この1年をやっとの思いで生きてきたというのに。
不思議に思って、彼女は運転手に聞いた。
「どうして、いいねぇなんて言うんですか?」

 運転手は答えた。
「だって、あんたみたいに大切にされて、守られていたら、
さぞかし気分がいいだろうと思ってさ」

 スーザンには運転手の言っていることが
全然わからなかったので、もう一度尋ねた。
「どういう意味なの?」

 答えが返ってきた。
「ほら、今週ずっと、
毎朝ハンサムな軍人が通りの向こうに立って、
あんたがバスを下りるのを見守っていたじゃないか。
あんたが無事に通りを渡って、
オフィスの建物に入っていくのを確かめているんだよ。
それから、彼はあんたにキスを投げ、
小さく敬礼をして去っていく。
あんたはほんとうにラッキーな女性だよ」

 幸せの涙がスーザンの頬をつたった。
目には見えなくても、マークの存在がありありと感じられた。
わたしはラッキーだ。ほんとうにラッキーだわ。
彼は視力よりももっと力強いプレゼントを、
見る必要などない、
はっきりと信じられるプレゼントをくれたのだった。
闇の世界を明るく照らしてくれる愛というプレゼントを。
(シャロン・ワイダ)

如何でしたか
私はこの話を聞いたとき
メアリー・スティーブンさんが
14歳のときに書いた
「足跡」という
詩を思い出しました。

この詩も
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“足跡”
 

『ある夜、

 私は夢を見た。

 夢の中で、

 私は神様とともに

 浜辺を歩いていた。

 空には、

 私の人生の

 さまざまな場面が

 走馬灯のように

 映し出された。

 そのそれぞれの場面で、

 私は二人分の足跡が

 砂浜についているのを見た。

 ひとつは私のもの、

 そしてもうひとつは

 神様のものだった。


 驚いたことに、

 私の人生の中で

 足跡が

 一人分しかない時があることに

 気がついた。

 そして、

 それは人生で

 もっとも暗く

 悲しい時期ばかりだった。


 私は神様に尋ねた。

「 神様、

 あなたはおっしゃいました。

 一度私があなたについていくと

 決めたなら、

 あなたはずっといっしょに

 歩いてくださると。


 しかし、

 私が辛く悲しい時期に、

 砂浜には一人分の足跡

 しかありませんでした。

 私がもっとも

 あなたを

必要としているときに、

 どうして

 私を

 お見捨てなられたのですか 」


 すると、

 神様は

 答えておっしゃった。

 「 一人分の

   足跡しか

   なかった時期には、

   私は

   お前を

   背負って

   歩いていたのだよ 」 』


いかがでしたか、
賢明な
読者の方は
私が何を云わんと
しているか
もうお分かりだと
思います。

私たち
一人ひとりに
どんな時にも
苦しいとき
悲しいとき
共に在ってくれる存在が
神なのです。

私たちに
生きる希望と
真実の喜び
無限の力
克服する克己心
決して諦めないで
やり抜く力
思いやりと
献身的な愛を
そして
永遠の中に
瞬間として
存在する
今を

「今日は残りの人生の最初の日」

今、この瞬間こそ
神が働き給うのです。

今、この瞬間に
神と共に
すばらしい瞬間を
心ゆくまで
味わい尽くして
いこうでは
ありませんか。

今日も
共有して
ありがとうございます。

生かしていただいて
ありがとうございます。