2011年8月17日水曜日

“自我意識と真我意識”


このブログでは
自我と真我(神我)という
言葉をよく使います。

自我意識といっても
いいのですが、
肉体をこそ我であると
捉える意識のことを
言っています。

一方、
真我(神我)意識は
内なる神性をこそ
我であると
捉える意識のことを
言っています。

自我意識を
肉我意識とか、
偽我意識とも
言っています。

真我意識を
神我意識とか
完全意識とも
言っています。

肉体なる我は
有限であり
いつか必ず滅びる
ものであります。
そこからは誰も
逃れることは
できません。

真我なる我は
無限であり
永遠に滅ぶことは
ありません。

私たちは
滅び行く有限なる我を
重要視して
毎日を送っています。

自我意識は
肉我意識ですから
肉の目で感じますから
自分と他人と
別のものと見ます。
分離した見方です。
そこから対立も
生まれてくるわけです。
滅び行く有限にこそ
最終点を見ているから
苦となるのです。
事実は生命は
永遠なのです。

私たちの
真我なる意識は
不可視です。
肉眼では見ることは
できません。
しかし、
瞑想を通じて
内観を通じて
インスピレーションとして
確かな実感を持つことは
できます。

その意識の領域は
無限であり
永遠です。
決して喪うことのない
完全意識です。

この完全意識は
生きとし生けるものの
一つひとつに
備わっています。

皆、同じひとつの
完全意識が
神我意識が
宿っているのです。

そこに対立はありません。
自他一体なのです。
神なる意識には
一点の空間もないのです。

私たちは
自我意識に
打ち勝たねばなりません。

肉我の我に
打ち勝って、
真我の我に
還らなくてはなりません。

敵は自分です。
自分を縛っているのは
自分だけなのです。
自分以外の誰も
私たちを
縛ることはできません。

太陽は
自我意識を
持つでしょうか?

ただ、
永遠に
光を
照らし続けています。

地球が少しずつ
回転していて
昼夜を分かち
闇を見ているに
過ぎないだけです。

本質から見た太陽は
生命の息吹である
光を永遠に
生産しているのです。

しかし
例え、私たちが
同じエリアで
同じ時間帯で
夜という
闇を見たとしても、
必ず、朝には
太陽が
昇ってくるのです。

毎日訪れる
今日という瞬間
太陽が昇り
エネルギーが
満ち満ちて来るのです。

愛と
智慧と
生命に
溢れた一日が
始まるのです。
その栄光に
気づけば
いいだけなのです。

真我意識とは
今、
この瞬間に生きる
ということです。

何故なら、
過去も、
未来も無く
永遠の今だけが
存在していることを
気づくことが
真我意識だからです。

私たちが
真我に目覚める時、
永遠の
今という瞬間を
初めて
手に入れることに
なります。

自我意識で
得た認識は
過去の出来事です。
過去はないのですから、
幻影に
過ぎないのです。

今に生きるということは
自我意識を手放す
ということです。

過去の擦り切れた
幻影に
縛られないで
ください。

その代わりに、
自由自在な
無限なる愛
無限なる智慧
無限なる生命を
感じてください。

新しい我に
新我に真我に神我の
意識に
立ち帰ろうでは
ありませんか。

ありがとうございます。

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