2011年10月28日金曜日

“この世の意味”

一昨日は
谷口雅春先生の
「生命の実相」講義の
テープの中から
創世記の第2章
アダムとイヴの物語を
紹介しましたが

アダムとイヴが
蛇に唆されて
善悪の知恵の実を
食して以来
絶対善は包み隠され
二元性の中で
あらゆる迷妄の中に
私たちは
ある訳ですが

別の観点で言えば
それはそれで
私たちに取って
必要なものである
と言う言い方も
あると思います。

二元性があるから
闇によって
光の輝度はより
輝きを増すように
もう一方の
負の働きによって
プラスの働きの
すばらしさが
際立つという
局面もある訳です。

包み隠すという
この語源が
“包み”から“罪”と
なったのですが、
アダムとイヴ以来
私たちに
つきまとうところの
闇や影そして
否定性や悪や
罪などの部分は
私たちの
輪廻の中での
この現実界での
階梯を上るうえでの
カリキュラムの
一部でもある訳です。

そう考えると
私たちが
小学校から
中学校へ
さらに高校や大学に
進むように
人生の成長にとっての
条件ともいい得る
部分だと思います。

あらゆる闇の部分
混沌や疑惑
絶望や怒り
苦痛や困難は

私たちの心が
もう一方の
平和や安心や
統合や癒し
優しさ、愛の
光の部分を
歪めているやり方の
反映として
現れているに過ぎず
この肉体を持つ間の
経験則でしか
ない訳で

結局は
宇宙の根源である
愛と光を
より見出すために

愛と光を
賛美するために
現れる
プロセスとしてあるに
過ぎないものです。

私たちは
永遠の魂の進化の
道筋にあるものです。

今、その途上に
どのようなことが
起こっていようが
それは
いずれ到達する
エデンの花園への
重要な道筋なのです。

神はアダムとイヴを
エデンの花園から
追放しました。

この真実の意味は
蛇と言う
闇の象徴を現わし
魂と肉体の
分離という幻想の
闇の中に
アダムとイヴを
置いてきました。

そのアダムとイヴは
私たちです。
その幻想の闇の中に
深く入り込み
もがき苦しみ悩み
人は経験を得るのです。

そして、
その迷路から
抜け出し
幻想から真実の
永遠の全体性へと
戻っていくのです。

その間も
私たちを
創造した神は
私たちと
一刻も離れずに
始終、愛のまなざしで
見守っているのです。

そして
私たち自身が
この現実界において
あらゆる経験を
創造して
いっているのです。

私たちは
本質の部分は
創造者であり
それと同時に
肉体や個性は
被造物である訳です。

どんなことであろうが
自分の行う創造に
対する責任を
受け入れるという
姿勢を持つことは
必要です。

その姿勢を
持った上で
私たちは
この肉体を
持っている以上
その肉体を持つ意味も
ある訳ですから
肉体から起こる
迷妄は
誰でも
起こる部分です。

その人間的な部分を
離れた上での
天上人のみの
悟りも又、
ないのです。

エデンの花園は
永遠の生命の世界です。
その真実なる
永遠を知るために

私たちは
この限られた世界に
有限の肉体に
閉じこもって
不自由な
悩み多き人生を
歩んでいます。

永遠なる真の意味を
無限なる真の意味を
自由なる真の意味を
求めて

『今日は残りの人生の最初の日』

この瞬間、瞬間に
私たちは
進化の道筋の
旅の中で
正しい道に
いるのです。

今、自分に
起こっていることを
受け入れましょう
それは
あなたが未来の
状態になるために
必要なステップ
なのですから

その上で
あなたの心と
直観に従って下さい。

心は頭脳よりも
あなたの魂のことを
一番知っているのです。

生かして頂いて
ありがとうございます。

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