今日は
ユーチューブで見た
「先生 可能性のない人なんていない」を
紹介します。
“ある小学校で
いいクラスをつくろうと
一生懸命な先生がいた
その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく
遅刻をしたり、居眠りをしたり
みんなが手を挙げて発表する中でも
一度も手を挙げない少年がいた
先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからか、その少年を
毛嫌いするようになった
中間記録に先生は少年の
悪いところばかりを
記入するようになっていた
ある時
少年の一年生からの記録が目に留まった
そこには、こう書いてあった
『朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ』とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない、
先生はそう思った。
二年生になると
『母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する』
と書かれていた。
三年生では
『母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする』。
三年生の後半の記録には
『母親が死亡、
希望を失い、悲しんでいる』とあり、
四年生になると
『父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、
子どもに暴力をふるう』。
先生の胸に、激しい痛みが走った。
だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。
放課後、先生は少年に声をかけた。
『先生は夕方まで、教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは、教えてあげるから』。
少年は、初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で
予習、復習を熱心に続けた。
授業で、少年が初めて手を挙げた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。
六年生では、先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、
先生に、少年から一枚のカードが届いた。
『先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で
一番すばらしい先生でした』。
それから六年、またカードが届いた。
『明日は、高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます』
十年を経て、またカードがきた。
そこには、先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
『僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、
神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって
最高の先生は、
五年生の時に
担任して下さった先生です。』
そして一年、
届いたカードは、結婚式の招待状だった。
『母親の席に座ってください』
と一行、書き添えられていた。
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。。。“
いかがでしょうか?
私は
このユーチュブの動画を
見たとき
(と言っても中島みゆきさんの
BGMが流れ文字だけが流れます)
涙で文字が揺らぎました。
是非、ご覧になってください。
私の人生の
それぞれの
瞬間、瞬間において
目をかけ
手を差し伸べてくれた
関わったくれた
人たちの思い出が
走馬灯のように
浮かんできました。
私の人生も
プロフィールに
ある通り
決して褒められた
人生では
ありませんでした。
しかし、
その中でも
人の評価は
どうであっても
私を評価してくれ
無所得の愛を
与えてくれる人たちの
お陰で
今、現在があります。
改めて
その人たちに
感謝したいと
思います。
昨日のブログ
「ひとを信じるエネルギー」でも
あったテーマですが、
「たったひとりでいいから、
自分の未来を信じて
こころを注いでくれるひとがいたら、
ひとは、生きていける」
ほんとうに
そういうひとが
人生の節々に
いてくれました。
その人たちは
神の化身以外
何者でもありません。
その人になって
私の前に
姿を現わして
くれたのです。
そして
私にエネルギーを
与えてくれました。
その人たちが
いなければ
その時に
一般的に下されていた
評価のまま
人生は
送られていた筈です。
その時に
私を信じるエネルギーを
与えてくれた
その人に
影響を受け
そのエネルギーに
応えようと
変容をしていきます。
私たちも
多くの評価を
人に下しています。
果たして
この評価は
適切なものでしょうか?
何を持って
評価をして
いるのでしょう?
自分の価値観である
一般常識という
モノサシで
測って
決めつけているに
過ぎないのではないか?
私たちは
自分にとって
相手が
どのように見えようとも
外見や容姿
先入観からではなく
相手の神性を
みつめるように
見ることが
大切なのでは
ないかと
思うのです。
その神性を見るとき
相手の神性も
輝きだします。
相手を信じたように
その通りに
また、それ以上に
輝くものです。
こう考えると
結局のところ
私たちの
ものの見方
考え方次第だと
いうことが
分かります。
相手を
自分の価値観や
先入観で
ものを見るのか
相手の神性を
見つめるのか
次第と
言うことなのです。
あなたの周囲に
起こる出来事や
関わる人たちは
今のあなたに
どう映っていますか?
あなたの
見方や捉え方に
意識を向けてください。
この世界は
あなたが信じたものを
見る世界です。
あなたの観念が、
あなたの世界を
創造しています。
人は、創造エネルギー
そのものです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、この瞬間
あなたは
何を創造しますか?
今日も
共有ありがとうございます。
2011年9月30日金曜日
2011年9月29日木曜日
「ひとを信じるエネルギー」
このブログで
何回か紹介
しています。
「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」の
山元加津子さんの
講演会が
9月26日に横浜で
あったようです。
その講演会に
参加していた
かめおかゆみこさん
という方が
山元さんの講演会の
すばらしい感想文を
書いてくれました。
そのかめおかさんの
すばらしい感想文が
「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」メルマガに
掲載されて
いましたので
抜粋させていただきます。
共有してください。
『山元加津子さん(かっこちゃん)の
講演会を聴きに行ってきました。
涙あり笑いありのすてきな講演会でしたが、
何よりもこころに残ったのが、
このひとことでした。
「たったひとりでいいから、
自分の未来を信じて
こころを注いでくれるひとがいたら、
ひとは、生きていける」
ひとは、意識的であれ、
無意識的であれ、
さまざまなことを期待して
(ときには怖れながら)
生きているものです。
そのひとつが、
ひとからどう思われるか。
そのため、ときには、
きらわれないように、
浮かないように、
自分をおさえこんだりします。
けれども、
本当は、そうではないのですね。
たとえ、
1000人のひとと
知り合いになったとしても、
本当にこころをひらけるひとが、
そこにいなかったら、
ひとりぼっちの気持ちが
深まるだけでしょう。
たったひとりでいいから、
本当に、自分のことを信じて、
見つめてくれるひとがいたら…。
それが、家族であっても、
友人であっても、
誰でも。ひとは、生きる勇気を
もらえるのだと思うのです。
年間3万人を超えるかたが、
みずからいのちを絶っていく。
そんな異常な事態が、
13年もつづいているこの日本で、
そこにいたらないまでも、
誰ともこころをわかちあえないで、
苦しんでいるひとは、
どれほどいることでしょう。
いえ、かつての私もそうでした。
もっと言えば、
そう思いこんでいた
時期がありました。
思いこんで、
勝手に自分を孤独に
追いやっていたのです。
本当は、たくさんのひとたちに
見守られているのだということ。
本当は、たくさんのつながりの
なかで生きているのだということ。
そのことに気づきもしないで…。
孤独のただなかにいるとき、
ひとは、それを感じるだけの
余裕をもつことができません。
だからこそ、
それを伝えるひとが必要なのです。
たったひとりでいいから、
そのひとをまっすぐに見つめて、
あなたのことを信じているよ。
あなたは、絶対に大丈夫。
そんな思いを注いでくれるひとが。
だから、あなたのまわりで、
そんなふうに
苦しんでいるひとがいたなら、
どうぞ、あなたが、
その「たったひとり」のひとになって、
そのひとを信じてあげてください。
信じて見つめてあげてください。
何もできなくていいのです。
信じるだけでいいのです。
それは、
まちがいなくエネルギーとなって、
そのひとに届きます。
そしてね。
どうぞこのことに気づいてください。
あなたが誰かの可能性を
本気で信じるとき、
あなた自身のなかに、
「ひとを信じるエネルギー」が
生まれるのです。
自分には、誰かをこころから
応援することができる。
誰かの未来を本気で信じて、
応援することができる。
そう思う気持ちが、
エネルギーに
ならないわけがないのです。
だから、私たちは、
ひとを信じることで、
そのひとにエネルギーをあたえ、
自分自身にも、
エネルギーを
あたえているのです。
私たちが、お互いに、
その、「たったひとり」の
ひとになりあえたら、
かなしみと絶望の連鎖を、
終わらせることが
できるはずなのです!
かっこちゃんの講演を聴きながら、
私は、ひとりで、
そんなことを考えていました。
かっこちゃんが、それを信じて、
語りつづけていくように、
私もまた
語りつづけたいと思いました。
それぞれの場で、
それぞれのやりかたで、
どうぞ、あなたも、
その「たったひとり」のひとに
なってください。
そうして、お互いが、
「たったひとり」のひとに
なっていきましょうよ。
いつか気がついたら、
たったひとりのみんなが、
手をつなぎあって、
たったひとりではなくなって
いるかもしれませんが。(*^_^*)
そしたら
世界は変わりますね!
かがやく未来が
ひらけますね!』
いかがでしたか?
「たったひとりでいいから、
自分の未来を信じて
こころを注いでくれるひとがいたら、
ひとは、生きていける」
このメッセージが
届きましたでしょうか。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、
あなたは
誰に対して
こころを
注ぎましょうか?
あなたの周りに
ちょっと
気になる
愛する人は
いませんか?
その人に
こころを差し向けて
あげましょう!
信じるエネルギーを
広げていきましょう!
共有ありがとうございます。
2011年9月28日水曜日
“神.ドット.com”
私たちの本質は
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
これは何回も
このブログで
書いている内容です。
昨日、
こんな夢を見ました。
イメージとしては
渋谷の
ハチ公前の信号から
たくさんの人々が
渋谷109の方向に
歩いています。
それを109側から
TVの画面で
私が見ています。
TVの画面が
どんどん
拡大していきます。
人々の顔や姿が
はっきり
見えてきます。
どんどん
近づいてきます。
だんだん近づくと
姿や顔の形は
無くなり
TVの粒子のような
ドットのように
なりました。
ドットだけが
見えます。
TV画面は
ドットで
敷き詰められました。
そして
徐々に画面が縮小し
ドットが全体に
広がっているのが
見え
そのドットが
徐々に見えなくなって
人々の顔の形が
見えてきて
姿が見えてきて
人々が歩いていました。
逆回しです。
そして
さらに
画面が
縮小していきます。
人々が
どんどん小さくなり
最後は
点になりました。
ドットです。
私はその時
生命の実相を
イメージとして
見させていただいたと
感じました。
私たちの
本質は
このドットで
現わしたところの
不可視の存在に
あります。
ドットは
すべてに
遍満していました。
人々にも
周囲の空気にも
信号にも
道路にも
樹木にも
同じドットで
満ち満ちていました。
縮小したとき
そのドットは
ひとつでした。
ひとつのドットが
すべてを
生か占めている
そう夢の中で
感じたのです。
このドットが
いつも
このブログで
書いているところの
冒頭の
私たちの本質は
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
と書いた本質です。
空であり
大生命であり
大気であり
大霊であり
大愛であり
普遍エネルギーである
ところの
神の存在です。
神は
あまねく
遍満していました。
人々にも
周囲の空気にも
信号にも
道路にも
樹木にも
同じ神の
エネルギーで
満ち満ちていました。
生きとし生けるもの
万有万物すべてに
例外なく
遍満しています。
同じ神が
すべてに
宿っています。
ひとつの神が
すべてを
生か占めているのです。
遡るところ
2600年前の
お釈迦さまに
宿るところの神(仏)も
2000年前
イエスさまに
宿るところの神も
あなたに
宿っている神も
同じひとつの神が
宿っています。
神は
時間
空間
距離を超えて
始めなく
終わりなき
存在
永久不変の
一なる本源
根源神であり
創造主である
存在
すべてのすべて
在りて在るもの
神
仏
上帝
大霊
大愛
サムシング・グレート
無限大と
呼ばれる存在
それが神なのです。
と同時に
肉体は
何の力も持たない。
何のエネルギーも
ないことを
感じました。
人間は
生きて
いるのではなく
生かされて
いるという
実感です。
肉体は
生命の
乗り舟に過ぎない
生命が
離れたとき
すべての
肉体機能は
失われます。
以前、
ティーパック・
チョプラ博士の著書
『チョプラ博士の
クォンタム・ヘルス―
こころ からだの
完全健康
(パーフェクト
ヘルス)ガイド』を
紹介しました。
その中で
チョプラ博士は、
こう述べています。
細胞には
知性があると
述べて
次のように
知性の持つ
再生の力を
語っていられます。
『肌は5週間ごとに、
一見すると
頑丈そうな骨格は
3か月ごとに、
胃の粘膜は
5日ごとに、
全て
再生されています。
外見は
以前と変わらない
ように見えても、
細胞は絶えず
入れ換わって
いるのです。
そして
1年後には
体の原子の
98パーセントが
新しくなっています。』
博士の言う
知性とは何でしょう?
言い方を変えた
神の呼び方だと
思います。
私たちの
肉体の細胞や
組織を
生かし続ける
エネルギーが
常に
私たちの
肉体の中で
働き続けています。
1年後には
身体の原子が
98パーセント
新しくなっている
ということは
ほぼ、1年ごとに
新しい肉体を
再生している
ことになります。
このメカニズムこそ
知性(神)の
存在の仕事です。
肉体自身は
肉体だけでは
何にもできません。
すべてが
神(知性)の
為せる業なのです。
生かされているのです。
生命が離れた
肉体に
いくら
動くように
命じても
動くことは
ありません。
焼かれて
骨になり、
いずれは
その骨も
消えてしまいます。
私たちの実体は
無限が創造した
有限の中に
無限が宿り
表現をしています。
その有限こそが
自分と
勘違い
しないことです。
有限の中で
無限を
表現するために
有限でいるだけです。
1年で細胞は
入れ替わります。
輪廻をしているのです。
最後は
有限は
役目を終えます。
しかし
無限は
生き通しなのです。
無限は永遠です。
永遠不滅なのです。
永久不変なのです。
有限は
幻影に過ぎません。
仮相です。
無限は
実相なのです。
無形無相の大霊です。
不可視の大愛です。
仮相である
有限である
肉体や物質に
惑わされては
いけません。
『今日は残りの人生の最初の日』
今、この瞬間に
実相を感じることが
できます。
いつか
実相になると
いうものでは
ないのです。
無限は
今の瞬間に訪れます。
それは
この瞬間こそが
永遠の今だからです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
ありがとうございます。
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
これは何回も
このブログで
書いている内容です。
昨日、
こんな夢を見ました。
イメージとしては
渋谷の
ハチ公前の信号から
たくさんの人々が
渋谷109の方向に
歩いています。
それを109側から
TVの画面で
私が見ています。
TVの画面が
どんどん
拡大していきます。
人々の顔や姿が
はっきり
見えてきます。
どんどん
近づいてきます。
だんだん近づくと
姿や顔の形は
無くなり
TVの粒子のような
ドットのように
なりました。
ドットだけが
見えます。
TV画面は
ドットで
敷き詰められました。
そして
徐々に画面が縮小し
ドットが全体に
広がっているのが
見え
そのドットが
徐々に見えなくなって
人々の顔の形が
見えてきて
姿が見えてきて
人々が歩いていました。
逆回しです。
そして
さらに
画面が
縮小していきます。
人々が
どんどん小さくなり
最後は
点になりました。
ドットです。
私はその時
生命の実相を
イメージとして
見させていただいたと
感じました。
私たちの
本質は
このドットで
現わしたところの
不可視の存在に
あります。
ドットは
すべてに
遍満していました。
人々にも
周囲の空気にも
信号にも
道路にも
樹木にも
同じドットで
満ち満ちていました。
縮小したとき
そのドットは
ひとつでした。
ひとつのドットが
すべてを
生か占めている
そう夢の中で
感じたのです。
このドットが
いつも
このブログで
書いているところの
冒頭の
私たちの本質は
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
と書いた本質です。
空であり
大生命であり
大気であり
大霊であり
大愛であり
普遍エネルギーである
ところの
神の存在です。
神は
あまねく
遍満していました。
人々にも
周囲の空気にも
信号にも
道路にも
樹木にも
同じ神の
エネルギーで
満ち満ちていました。
生きとし生けるもの
万有万物すべてに
例外なく
遍満しています。
同じ神が
すべてに
宿っています。
ひとつの神が
すべてを
生か占めているのです。
遡るところ
2600年前の
お釈迦さまに
宿るところの神(仏)も
2000年前
イエスさまに
宿るところの神も
あなたに
宿っている神も
同じひとつの神が
宿っています。
神は
時間
空間
距離を超えて
始めなく
終わりなき
存在
永久不変の
一なる本源
根源神であり
創造主である
存在
すべてのすべて
在りて在るもの
神
仏
上帝
大霊
大愛
サムシング・グレート
無限大と
呼ばれる存在
それが神なのです。
と同時に
肉体は
何の力も持たない。
何のエネルギーも
ないことを
感じました。
人間は
生きて
いるのではなく
生かされて
いるという
実感です。
肉体は
生命の
乗り舟に過ぎない
生命が
離れたとき
すべての
肉体機能は
失われます。
以前、
ティーパック・
チョプラ博士の著書
『チョプラ博士の
クォンタム・ヘルス―
こころ からだの
完全健康
(パーフェクト
ヘルス)ガイド』を
紹介しました。
その中で
チョプラ博士は、
こう述べています。
細胞には
知性があると
述べて
次のように
知性の持つ
再生の力を
語っていられます。
『肌は5週間ごとに、
一見すると
頑丈そうな骨格は
3か月ごとに、
胃の粘膜は
5日ごとに、
全て
再生されています。
外見は
以前と変わらない
ように見えても、
細胞は絶えず
入れ換わって
いるのです。
そして
1年後には
体の原子の
98パーセントが
新しくなっています。』
博士の言う
知性とは何でしょう?
言い方を変えた
神の呼び方だと
思います。
私たちの
肉体の細胞や
組織を
生かし続ける
エネルギーが
常に
私たちの
肉体の中で
働き続けています。
1年後には
身体の原子が
98パーセント
新しくなっている
ということは
ほぼ、1年ごとに
新しい肉体を
再生している
ことになります。
このメカニズムこそ
知性(神)の
存在の仕事です。
肉体自身は
肉体だけでは
何にもできません。
すべてが
神(知性)の
為せる業なのです。
生かされているのです。
生命が離れた
肉体に
いくら
動くように
命じても
動くことは
ありません。
焼かれて
骨になり、
いずれは
その骨も
消えてしまいます。
私たちの実体は
無限が創造した
有限の中に
無限が宿り
表現をしています。
その有限こそが
自分と
勘違い
しないことです。
有限の中で
無限を
表現するために
有限でいるだけです。
1年で細胞は
入れ替わります。
輪廻をしているのです。
最後は
有限は
役目を終えます。
しかし
無限は
生き通しなのです。
無限は永遠です。
永遠不滅なのです。
永久不変なのです。
有限は
幻影に過ぎません。
仮相です。
無限は
実相なのです。
無形無相の大霊です。
不可視の大愛です。
仮相である
有限である
肉体や物質に
惑わされては
いけません。
『今日は残りの人生の最初の日』
今、この瞬間に
実相を感じることが
できます。
いつか
実相になると
いうものでは
ないのです。
無限は
今の瞬間に訪れます。
それは
この瞬間こそが
永遠の今だからです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
ありがとうございます。
2011年9月26日月曜日
「完全性を知る!」
昨日のブログは
知花先生の
宇宙のしくみを
学びました。
結局のところ
私たちの本質は
宇宙に
遍満するところの
気体であり
この物質界に
一時的に
水という
質量と
気体である
電子・原子を
宿している
肉体という
固体を持っている
存在であり
死と言うのは
この乗り舟である
固体から
気体が離れることに
過ぎないことが
解ります。
固体そのものには
何の力も
何のエネルギーも
ありません。
それを
与えているのは
自らの内に
備わっているところの
気体である
宇宙エネルギーであり
フリーエネルギー
真空エネルギーで
あります。
この本質の
不可視の存在
それを
大霊
大愛
無限
久遠の存在
神と呼んでいます。
それは
宇宙のしくみや
神という偉大な
存在のことを
説明して
いるだけではなく
あなたのことを
言っているのです。
他人事と
思わないでください。
その存在が
あなたなのです。
宇宙のしくみは
人生のしくみでも
あります。
あなたの
ありのままの存在
そのままの存在は
無形無相
在りて在る者
永遠不滅の存在
無限の存在
完全で完璧の
存在なのです。
この固体に入り
肉体を持つ
ということは
この完全性を覚る
ためにあるのです。
気体にとって
液体や
固体になることは
バイブレーションを
低くしなければ
なりません。
わざわざ
低級我になるのです。
固体は
これ以上
下げられない位
バイブレーションを
低くし荒くして
います。
これが
修行の目的に
なるからです。
固体という
肉体を纏いながら
バイブレーションを
高めていく旅を
続けています。
高級我への道です。
肉体は
仮の相です。
せいぜい
80有余年着ている
衣装のようなものです。
だからいずれ
脱がなければ
ならないのです。
有限のものが
本質であるわけなど
ないのです。
仮想に過ぎないのです。
しかし
私たち人間は
本質を忘れ
仮相を自分と思い
肉体こそ自分と
勘違いをし
肉体のみを
喜ばすことに
専念するように
なっていきます。
今までは
それでも良かった
かもしれません。
少しぐらいの
回り道は
良くあることでした。
しかし
今、時代は
霊性の時代に
入ってきています。
今までの
行き過ぎた文明は
極を向かえ
地球をいくつも
滅ぼす程の核を持ち
宇宙にまで
影響をさせる
ところまで
バイブレーションが
下がっています。
物質文明が
行き過ぎた時
過去の大陸も
滅びてきました。
ムー大陸やレムリア
並びに
アトランティスが
そうでした。
今は、
その時以上に
物質文明が極まって
います。
極まりは窮まりでも
あります。
急速に
本質である
実相である
霊性に
目覚めなければ
ならないのです。
私たちは
今ある最善の場所で
そのままで
完全・完璧で
あること
不足しているもの
など何もないこと
すべては
与えきりで
満たされていること
永遠の存在で
無限大であること。
愛しか
存在しないことを
知ることです。
元々の
実相の存在に
目覚めることです。
無限である存在が
有限であるものに
振り回されては
なりません。
そんなものは
小さなことです。
肉体という
有限を重視するから
大きく見えている
だけなのです。
錯覚に過ぎません。
惑わされては
いけません。
『今日は残りの人生の最初の日』
今、既に
満たされているか
不足しているかは
それは
あなたの
選択にしか
過ぎません。
足りているものに
意識の焦点を
合わせた人が
満たされた人であり。
不足しているものに
意識の焦点を
合わせた人が
満たされない
人なのです。
結局は
あなたを
制限しているのは
あなた自身の
自我意識が
そうさせているのです。
あなたが
真我意識に
フォーカスすれば
「すべては無限で、
完全である!」ことに
気づきます。
それは、あなたに
絶対の至福感と
やすらぎの気持ちを
もたらすことでしょう。
ありがとうございました。
知花先生の
宇宙のしくみを
学びました。
結局のところ
私たちの本質は
宇宙に
遍満するところの
気体であり
この物質界に
一時的に
水という
質量と
気体である
電子・原子を
宿している
肉体という
固体を持っている
存在であり
死と言うのは
この乗り舟である
固体から
気体が離れることに
過ぎないことが
解ります。
固体そのものには
何の力も
何のエネルギーも
ありません。
それを
与えているのは
自らの内に
備わっているところの
気体である
宇宙エネルギーであり
フリーエネルギー
真空エネルギーで
あります。
この本質の
不可視の存在
それを
大霊
大愛
無限
久遠の存在
神と呼んでいます。
それは
宇宙のしくみや
神という偉大な
存在のことを
説明して
いるだけではなく
あなたのことを
言っているのです。
他人事と
思わないでください。
その存在が
あなたなのです。
宇宙のしくみは
人生のしくみでも
あります。
あなたの
ありのままの存在
そのままの存在は
無形無相
在りて在る者
永遠不滅の存在
無限の存在
完全で完璧の
存在なのです。
この固体に入り
肉体を持つ
ということは
この完全性を覚る
ためにあるのです。
気体にとって
液体や
固体になることは
バイブレーションを
低くしなければ
なりません。
わざわざ
低級我になるのです。
固体は
これ以上
下げられない位
バイブレーションを
低くし荒くして
います。
これが
修行の目的に
なるからです。
固体という
肉体を纏いながら
バイブレーションを
高めていく旅を
続けています。
高級我への道です。
肉体は
仮の相です。
せいぜい
80有余年着ている
衣装のようなものです。
だからいずれ
脱がなければ
ならないのです。
有限のものが
本質であるわけなど
ないのです。
仮想に過ぎないのです。
しかし
私たち人間は
本質を忘れ
仮相を自分と思い
肉体こそ自分と
勘違いをし
肉体のみを
喜ばすことに
専念するように
なっていきます。
今までは
それでも良かった
かもしれません。
少しぐらいの
回り道は
良くあることでした。
しかし
今、時代は
霊性の時代に
入ってきています。
今までの
行き過ぎた文明は
極を向かえ
地球をいくつも
滅ぼす程の核を持ち
宇宙にまで
影響をさせる
ところまで
バイブレーションが
下がっています。
物質文明が
行き過ぎた時
過去の大陸も
滅びてきました。
ムー大陸やレムリア
並びに
アトランティスが
そうでした。
今は、
その時以上に
物質文明が極まって
います。
極まりは窮まりでも
あります。
急速に
本質である
実相である
霊性に
目覚めなければ
ならないのです。
私たちは
今ある最善の場所で
そのままで
完全・完璧で
あること
不足しているもの
など何もないこと
すべては
与えきりで
満たされていること
永遠の存在で
無限大であること。
愛しか
存在しないことを
知ることです。
元々の
実相の存在に
目覚めることです。
無限である存在が
有限であるものに
振り回されては
なりません。
そんなものは
小さなことです。
肉体という
有限を重視するから
大きく見えている
だけなのです。
錯覚に過ぎません。
惑わされては
いけません。
『今日は残りの人生の最初の日』
今、既に
満たされているか
不足しているかは
それは
あなたの
選択にしか
過ぎません。
足りているものに
意識の焦点を
合わせた人が
満たされた人であり。
不足しているものに
意識の焦点を
合わせた人が
満たされない
人なのです。
結局は
あなたを
制限しているのは
あなた自身の
自我意識が
そうさせているのです。
あなたが
真我意識に
フォーカスすれば
「すべては無限で、
完全である!」ことに
気づきます。
それは、あなたに
絶対の至福感と
やすらぎの気持ちを
もたらすことでしょう。
ありがとうございました。
2011年9月25日日曜日
“宇宙のしくみ”
今日は
先日ブログで
一部
取り上げた
知花敏彦先生の
勉強会の
テープの中からの
メモを参考に
整理してみたいと
思います。
宇宙のしくみに
ついて
解りやすく
説明して
くれています。
まず、神が
宇宙を
創造されました。
その
宇宙の創造により、
エネルギーと
質量が
生まれました。
そのエネルギーと
質量とから
物質が
創造され、
天と地が
生まれました。
構造的には
天を陽として
地を陰とする
陰陽の法則が
横軸に
天という原因と
地という結果の
原因と結果の法則が
縦軸になり
十字の構造と
なります。
そして
その十字の中心の
横と縦が
交わる点が
プラスマイナスゼロの
完全調和点と
なります。
この
完全調和のことを
“愛”というのです。
この交点の
愛の法則の
ゼロポイントから
すべての
エネルギーは
発生されています。
それは
光の
エネルギーであり、
フリーエネルギー
真空エネルギーと
言われています。
ゼロ磁場から
エネルギーが
発生するのです。
N極とS極の
中心磁場には
SとN極が生れ、
磁力はN極から
S極へと流れます。
数字の8の字を
横にしたような
∞の図を見たことが
あると思いますが、
これをメビウスの輪、
無限大の循環とも
いっています。
十字の法則に
この
エネルギー
循環の法則を
加えたものが、
宇宙法則の基本です。
陰陽の法則、
原因と結果の法則、
それに加えて
エネルギー
循環の法則です。
十字の交点は
プラスマイナス0の
ポイントとなります。
このゼロポイントは
完全調和、
完全バランスした点で、
中性磁場であり、
ゼロ磁場です。
ここが
神の愛のポイントです。
愛とは完全中和の
ことをいうのです。
愛は力であり
すべてのエネルギー
なのです。
万象万物
生きとし
生けるものの
すべては
愛の法則によって、
この現象世界に
創造されて
くるのです。
宇宙の構造は
ミクロの世界と
言って
気体の世界
マクロの世界は
液体と
固体の世界です。
この物質界は
個体の世界です。
気体である
空気を冷やすと
水になり、
水を冷すと
氷になり
固体となります。
氷を暖めると
水という液体になり、
水を暖めると
蒸発して
空気に戻ります。
冷すということは
バイブレーションを
下げ、
暖めるということは
バイブレーションを
上げる
ということです。
この
三つの次元差は
バイブレーションの
差があるだけで、
いずれも
エネルギーと質量、
又は
原子と
電子の世界では
共通しています。
これを「三位一体」と
いっています。
この宇宙の構造は
この三つの次元しか
ないのです。
気体は
目に見えません。
不可視です。
お釈迦さまは
この目に見えない
気体の次元を
空と呼び、
目に見える液体や
固体の次元を
色と呼んだのです。
氷と水は
必ず空気に
帰りますから、
液体と
固体の世界を
諸行無常と
いったのです。
無常とは
常に一定の
ものはない。
エントロピーの
法則によって
滅びる次元だと
いったのです。
この
物質次元の
世界には
生老病死はあり、
不可視の
気体の世界は
常在で
苦しみはないと
説かれたのです。
お釈迦さまは
空の世界こそが
実在の世界であり、
色の世界は
仮想の世界だと
説かれました。
ミクロの世界が
あるのみであって、
この物質世界は
幻影で
必ず空の世界へ戻ると
説かれたのです。
これが
色即是空
空即是色
色心不二の教えです。
私たちは
輪廻転生を
繰り返しますが
それは
この物質界で
肉体を持ち、
この肉体こそが
生きていると
思う人の魂は
結局、
物質感から
離れられず
固体波動を持ちます。
また、
自分が肉体だ、
肉体が死んだら
自分も死ぬと
思っている人の魂は
固体波動を持ちます。
その肉的の死により
魂は幽界という
場所に赴き、
この物質界に
再び生まれてきます。
これを
輪廻転生といいます。
自分の本質は
生命であり、
気体という
天から来た者で
あることを
知っている魂で、
完成された魂は
肉体死に際して、
魂は霊界
いわゆる
気体に帰ります。
このことを
成仏とか
解脱、昇天と
呼んでいます。
再び
この物質界に
生まれることは
ありません。
輪廻転生からの
解脱です。
人生の
最大の目的は
解脱する
ことなのです。
イエスさまは
「再び生まれてはならない、
天の住者になりなさい。」
と仰られました。
私たちの本質は
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
次に
ミクロコスモスと
マクロコスモスに
ついて
知花先生は
次のように
解説しています。
メモを参考に
整理します。
この
宇宙空間のことを
ミクロコスモスと呼び、
この
物質界のことを
マクロコスモスと
呼んでいます。
この両者には
いかなる因果関係が
あるのでしょうか?
また、
ミクロとマクロとは
何が
違うのでしょうか?
この宇宙の星々
そして
そこに生存する
万象万物は
いかに生まれ、
死んで
ゆくのでしょうか?
私たち人間や
万象万物は
エネルギーと質量の
バランスの結果
生まれました。
それは前述した
通りです。
アインシュタイン博士は
有名な
相対性原理の中で
エネルギーと
質量とが
相対する
関係によって、
万物は生まれるとの
仮説を立てました。
EとMが
相対であると
考えたために、
アインシュタイン博士は
それ以後
宇宙の解明に
行き詰まったのです。
お釈迦様は
エネルギーと
質量は
バランスする、
慈悲、中道が
正しい法則であると
悟りました。
ですから、
お釈迦さまは
慈悲の仏陀と
呼ばれるのです。
イエスさまは、
このエネルギーと
質量が完全調和し、
バランスして
物質が
生まれると唱え、
この完全調和を
愛と説いたのです。
ですから
イエスさまは
愛のキリストと
呼ばれるのです。
お釈迦さまや
イエスさまが説いた
この
エネルギーと
質量が
安全バランスを
とることによって、
物質は
創造されるのです。
アンバランスでは
物質は
創造されないのです。
愛のバランスによって、
この宇宙の
万象万物は
創造されるのです。
私たち
一人ひとりも
この愛の
バランスの結果、
この物質世界に
存在しているのです。
ミクロの世界は
永遠であり久遠、
そして
無限大の世界です。
エネルギーも
質量も無限大に
この宇宙空間に
遍満しているのです。
物質には
マイナスの
エントロピーの法則が
働きますから、
物質には必ず
始め終りがあります。
必ず消え去っていく
定めなのです。
ミクロの世界には
プラスの
エントロピーが
働きますから、
滅びることのない
久遠の世界です。
エネルギーと質量は
原子と電子と
呼び変えても
同じことです。
物質は
マイナスの
エントロピーが
働き続けますから
原子と電子も
変化し続けるのです。
アインシュタイン博士の
物理学の世界は
結果としての
物質のみを
対象としていますから、
どうしても
限界があります。
原因の世界の
エネルギーと
質量または
原子と電子は
見えない世界で、
計測も分析も
できませんから
人間の科学の
対象とは
なっていません。
しかし、
この不可視の
エネルギーと質量の
世界こそ
原因の世界であり、
この原因の世界を
対象とするのが
本当の科学では
ないでしょうか。
結局、
学問は結果であり、
消え去る
物質のみを
対象としているのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちは
今日、今という瞬間に
確かに存在しています。
その存在には
必ず
根源の原因が
あるのです。
それをもたらす
ものが
神の愛と調和を
因子として
成り立っているのです。
私たちは
とても美しいもの
そして
平和で安全な
バランスの中に
在るものです。
この事実を
知ったあなたは
今日、どのように
感じ、生きるのでしょう?
共有、ありがとうございます。
先日ブログで
一部
取り上げた
知花敏彦先生の
勉強会の
テープの中からの
メモを参考に
整理してみたいと
思います。
宇宙のしくみに
ついて
解りやすく
説明して
くれています。
まず、神が
宇宙を
創造されました。
その
宇宙の創造により、
エネルギーと
質量が
生まれました。
そのエネルギーと
質量とから
物質が
創造され、
天と地が
生まれました。
構造的には
天を陽として
地を陰とする
陰陽の法則が
横軸に
天という原因と
地という結果の
原因と結果の法則が
縦軸になり
十字の構造と
なります。
そして
その十字の中心の
横と縦が
交わる点が
プラスマイナスゼロの
完全調和点と
なります。
この
完全調和のことを
“愛”というのです。
この交点の
愛の法則の
ゼロポイントから
すべての
エネルギーは
発生されています。
それは
光の
エネルギーであり、
フリーエネルギー
真空エネルギーと
言われています。
ゼロ磁場から
エネルギーが
発生するのです。
N極とS極の
中心磁場には
SとN極が生れ、
磁力はN極から
S極へと流れます。
数字の8の字を
横にしたような
∞の図を見たことが
あると思いますが、
これをメビウスの輪、
無限大の循環とも
いっています。
十字の法則に
この
エネルギー
循環の法則を
加えたものが、
宇宙法則の基本です。
陰陽の法則、
原因と結果の法則、
それに加えて
エネルギー
循環の法則です。
十字の交点は
プラスマイナス0の
ポイントとなります。
このゼロポイントは
完全調和、
完全バランスした点で、
中性磁場であり、
ゼロ磁場です。
ここが
神の愛のポイントです。
愛とは完全中和の
ことをいうのです。
愛は力であり
すべてのエネルギー
なのです。
万象万物
生きとし
生けるものの
すべては
愛の法則によって、
この現象世界に
創造されて
くるのです。
宇宙の構造は
ミクロの世界と
言って
気体の世界
マクロの世界は
液体と
固体の世界です。
この物質界は
個体の世界です。
気体である
空気を冷やすと
水になり、
水を冷すと
氷になり
固体となります。
氷を暖めると
水という液体になり、
水を暖めると
蒸発して
空気に戻ります。
冷すということは
バイブレーションを
下げ、
暖めるということは
バイブレーションを
上げる
ということです。
この
三つの次元差は
バイブレーションの
差があるだけで、
いずれも
エネルギーと質量、
又は
原子と
電子の世界では
共通しています。
これを「三位一体」と
いっています。
この宇宙の構造は
この三つの次元しか
ないのです。
気体は
目に見えません。
不可視です。
お釈迦さまは
この目に見えない
気体の次元を
空と呼び、
目に見える液体や
固体の次元を
色と呼んだのです。
氷と水は
必ず空気に
帰りますから、
液体と
固体の世界を
諸行無常と
いったのです。
無常とは
常に一定の
ものはない。
エントロピーの
法則によって
滅びる次元だと
いったのです。
この
物質次元の
世界には
生老病死はあり、
不可視の
気体の世界は
常在で
苦しみはないと
説かれたのです。
お釈迦さまは
空の世界こそが
実在の世界であり、
色の世界は
仮想の世界だと
説かれました。
ミクロの世界が
あるのみであって、
この物質世界は
幻影で
必ず空の世界へ戻ると
説かれたのです。
これが
色即是空
空即是色
色心不二の教えです。
私たちは
輪廻転生を
繰り返しますが
それは
この物質界で
肉体を持ち、
この肉体こそが
生きていると
思う人の魂は
結局、
物質感から
離れられず
固体波動を持ちます。
また、
自分が肉体だ、
肉体が死んだら
自分も死ぬと
思っている人の魂は
固体波動を持ちます。
その肉的の死により
魂は幽界という
場所に赴き、
この物質界に
再び生まれてきます。
これを
輪廻転生といいます。
自分の本質は
生命であり、
気体という
天から来た者で
あることを
知っている魂で、
完成された魂は
肉体死に際して、
魂は霊界
いわゆる
気体に帰ります。
このことを
成仏とか
解脱、昇天と
呼んでいます。
再び
この物質界に
生まれることは
ありません。
輪廻転生からの
解脱です。
人生の
最大の目的は
解脱する
ことなのです。
イエスさまは
「再び生まれてはならない、
天の住者になりなさい。」
と仰られました。
私たちの本質は
色である肉体に
あるのではなく、
空である生命に
あるのです。
次に
ミクロコスモスと
マクロコスモスに
ついて
知花先生は
次のように
解説しています。
メモを参考に
整理します。
この
宇宙空間のことを
ミクロコスモスと呼び、
この
物質界のことを
マクロコスモスと
呼んでいます。
この両者には
いかなる因果関係が
あるのでしょうか?
また、
ミクロとマクロとは
何が
違うのでしょうか?
この宇宙の星々
そして
そこに生存する
万象万物は
いかに生まれ、
死んで
ゆくのでしょうか?
私たち人間や
万象万物は
エネルギーと質量の
バランスの結果
生まれました。
それは前述した
通りです。
アインシュタイン博士は
有名な
相対性原理の中で
エネルギーと
質量とが
相対する
関係によって、
万物は生まれるとの
仮説を立てました。
EとMが
相対であると
考えたために、
アインシュタイン博士は
それ以後
宇宙の解明に
行き詰まったのです。
お釈迦様は
エネルギーと
質量は
バランスする、
慈悲、中道が
正しい法則であると
悟りました。
ですから、
お釈迦さまは
慈悲の仏陀と
呼ばれるのです。
イエスさまは、
このエネルギーと
質量が完全調和し、
バランスして
物質が
生まれると唱え、
この完全調和を
愛と説いたのです。
ですから
イエスさまは
愛のキリストと
呼ばれるのです。
お釈迦さまや
イエスさまが説いた
この
エネルギーと
質量が
安全バランスを
とることによって、
物質は
創造されるのです。
アンバランスでは
物質は
創造されないのです。
愛のバランスによって、
この宇宙の
万象万物は
創造されるのです。
私たち
一人ひとりも
この愛の
バランスの結果、
この物質世界に
存在しているのです。
ミクロの世界は
永遠であり久遠、
そして
無限大の世界です。
エネルギーも
質量も無限大に
この宇宙空間に
遍満しているのです。
物質には
マイナスの
エントロピーの法則が
働きますから、
物質には必ず
始め終りがあります。
必ず消え去っていく
定めなのです。
ミクロの世界には
プラスの
エントロピーが
働きますから、
滅びることのない
久遠の世界です。
エネルギーと質量は
原子と電子と
呼び変えても
同じことです。
物質は
マイナスの
エントロピーが
働き続けますから
原子と電子も
変化し続けるのです。
アインシュタイン博士の
物理学の世界は
結果としての
物質のみを
対象としていますから、
どうしても
限界があります。
原因の世界の
エネルギーと
質量または
原子と電子は
見えない世界で、
計測も分析も
できませんから
人間の科学の
対象とは
なっていません。
しかし、
この不可視の
エネルギーと質量の
世界こそ
原因の世界であり、
この原因の世界を
対象とするのが
本当の科学では
ないでしょうか。
結局、
学問は結果であり、
消え去る
物質のみを
対象としているのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちは
今日、今という瞬間に
確かに存在しています。
その存在には
必ず
根源の原因が
あるのです。
それをもたらす
ものが
神の愛と調和を
因子として
成り立っているのです。
私たちは
とても美しいもの
そして
平和で安全な
バランスの中に
在るものです。
この事実を
知ったあなたは
今日、どのように
感じ、生きるのでしょう?
共有、ありがとうございます。
2011年9月24日土曜日
“秋分の日に思う”
昨日は
秋分の日でした。
昼と夜の長さが
ほぼ同じ日です。
これからは
少しずつ
日の入りが
早く
感じられるように
なってくるでしょう。
女房の病院でも
昨日の夜食に
おはぎが
ついていました。
女房は甘いものが
苦手なので
私がそのおはぎを
頂戴いたしました。
とても
おいしかったです。
ご馳走様でした。
又、
秋分の日は
彼岸の中日
でもあります。
これから
一週間ほどは
太陽が
真東から昇り
真西に沈みます。
この太陽軌道の
節目は、
太陽からの
波動を一身に受けて
願いが叶うと
言われています。
ただ、
自分のために
願うのではなく
世のため
人のために
願うので
なければ
なりません。
他を思い願いを
かけることに
よって
自分も生かされる
ことに
繋がっていきます。
私は
東日本大震災で
被災された方
並びに
復興に全力を
挙げていらっしゃる
方たちへ
救いの手を
述べて頂けるように
願いました。
そして
世界中が
平和で仲良く
している
イメージを持ち
願わせて
いただきました。
そして
勿論、
皆様の健康と
女房の健康を
願わせて
いただきました。
お彼岸には
こういった
願いの作用が
強力に働く
期間であると
言われています。
皆様も
どうか大切な
人のために
願いをして
みては
如何でしょう。
女房の具合の方は
非常に順調です。
貧血が続いて
いましたので、
数日前に
輸血をしました。
輸血は
その血液が
適合するかもあって
30分ごとに
体温及び
血中酸素濃度と
血圧を測って
チェックを
します。
何事も無く
輸血も定着し
今は
歩行訓練や
筋力をつけるための
リハビリを
始めています。
食事も
おかゆを大盛に
して頂き
おかずも
食べています。
体重も
昨日、計りましたら
32キロに
なっていました。
お腹が空くという
感覚が
戻ってきました。
目のくぼみも
無くなってきて
表情も
明るいです。
あれ程
何ヶ月にも亘り
摂食障害を
起こして
いたことが
信じられないような
回復振りです。
前向きに
なったことで
自然治癒力が
発露し
細胞や組織の
一つひとつが
活性化してきて
いると思います。
それぞれが
持っている
大いなる自己からの
癒す力の
エネルギーの
強さに
今更ながら
感動させて
いただいています。
これも
関わって
頂いている
担当の先生や
看護師さん
並びに
皆様の応援の
お陰です。
とても
感謝しています。
ありがとうございます。
まだまだ
これから
体力が回復して
くれば
がんの切除手術が
待っていますので
この経験を生かし
さらに
前向きに
考え
共に頑張って
いこうと
思っています。
『今日は残りの人生の最初の日』
本当に“そうだな!”と
実感しています。
今、この瞬間から
新たなる人生が
始まります。
この
永遠の今に
生かされていることに
心よりの
感謝をし
今日も
送らせて
いただきます。
「生かしていただいて
ありがとうございます」
2011年9月22日木曜日
「“焦り”は何故、起こるのか?」
今日は
寝ているとき
左足のふくらはぎが
攣りました。
昨日は
右足だったので
これで
すべては
終了します。
やはり
痛みも
バランスを
取らなければ
可哀相です。
これで
私の方も
両足が
痛いので
バランスよく
歩けます。
ありがとうございます。
昨日は
ブログを見て
多くの方が
心配をしてくれました。
このブログで
何回も紹介した
中国で設計会社を
している
友人から
(参照1)(参照2)
こんなメールが
届きました。
面白いメールです。
紹介します。
「アーカ・メロディ兄
階段から
6段落ちたわけ、
たわけもの、
修行が足りん。
先々週、
自分も膝が痛くて、
こんだけ
歩いておるのに、歳だ。
それも痛みが、、、
斜めに
階段を上る、
がん細胞が
骨に来たか
E-シンに相談、
(お医者さんと思います
・・・アーカ)
馬鹿者、
バナナを食べているか、
少なくとも
1週間に1本、、、
はあーと言いながら、
食べた2日後、
痛くない、
どうして、と聞くと、
あたしも痛くて、
医者で検査、
バナナが
足りないという。
この医者、
しかし彼女も
バナナで直りました。
このように
人の体は
非常によく
できております、
痛いとき、
体に対する
ありがたさが
わかりまして、
良いことです、
でも、
アーカメロディ兄を
お待ちくださる、
皆様のために、
健康を
保たなければ
なりません、
朝、気功など
試みてはどうです、
自分の先輩で
車生活の人は
早く亡くなります、
インドのバスは
いつくるか
わかりません。
アフリカは
公共乗り物が
ないですから、
歩くだけです。
時間は
時を
刻むものがなければ
日が暮れる、
昇るで
わかるだけです。
あわてて
どうするのですか、
そんなに
奥様が見たいのか、
幸せ者に違いがない、
ともかく気をつけて。」
というメールです。
私からは
「○○さん
いつもありがとうございます。
たわけです。
バナナを食べます。
気功もします。
でも偉大な
自然治癒力を
再認識しましたよ!
ありがとうございます。
日本には来ませんか?
アーカメロディ」
と返信しましたら、
「アーカメロディ兄へ
行きます
23日晩上
東京です
たわけ様に
会いたいです。」
と、書いていました。
23日といえば
明日です。
今から
とても楽しみです。
前述の
バナナの話
面白いですね。
バナナを
食べれば
痛みが取れるのだ
そうです。
早速、
試したいと
思います。
でも実際
足が痛んだり
骨が痛かったり
足が攣ったりする
根本原因には
カリウムの不足が
あげられます。
バナナは
カリウム豊富
ですからね!
他の栄養素も
あるでしょうし、
本当に
いいかも知れませんね。
そういえば
女房が以前にも
今回のような
食欲がないことにより
栄養障害になり
入院したときに
検査をして
骨粗しょう症だと
診断されました。
その後
カリウムを
多量に服用
しています。
根拠は
大有りですね。
気功は
やり方が
わからないので
中国から
折角
友人が来るので
本場の
やり方を
教えて
もらいましょうかね(笑)
もうひとつ
メールを
紹介させてください。
女房の弟さんからの
メールです。
女房の弟さんは
女房の入院で
必要なものが
あったら
いつでも
言ってくださいと
声をかけて
くれました。
いつも
心配してくれる
心優しい
弟さんです。
女房の兄弟は
この弟さんも
そうですが
香川県に嫁いでいる
妹さんも
よーく女房のことを
思ってくれて
手作りの
履きやすい
パンツ(ずぼん)とか
上着など
また、手作りの
お守りなどを
送ってくれたり
その
たびごとに
心を送ってくれます。
今回も
妹さんから
寒くなるのでと
裏地をつけた
パンツと
上着を作って
送ってくれました。
寒がりの
女房は
大喜びです。
姉思いの
妹と弟です。
いつも
感謝しています。
ありがとうございます。
妹さんも
弟さんも
私のブログを
見てくれていて
たまに
メールで
コメントしてくれます。
その弟さんからの
メールです。
「私達、
プラント運転を
している人間にも
非定常作業の焦りは
事故を招くので
十分な注意をはらいます。
でも労災は
発生してしまいます。
焦りは何故、
発生するのでしょうか
わかりません。」
と書いてありました。
弟さんは
リサイクル会社に
勤務されており
後輩に指導する
立場でも
あるので
関心があるのだと
思います。
それでは
焦りは何故
起きるのでしょうか?
今、
やっている仕事や
物事に集中して
いないからだと
思います。
わたしの例を
見ても
家の階段を
降りていて
「ふと女房の病院に
早く行かなくっちゃ!」と
思った瞬間
意識が病院に
いっていて
「女房が待っている!」と
イメージされました。
そこに照準が
当った訳です。
本当は
階段を
一歩一歩
集中して
降りていれば
階段を
踏み外すことは
なかったと
思います。
私の場合は
兎も角として
特に仕事の場合
お客様への
訪問で
遅刻することは
問題は
あります。
交通機関は
中々
予定通りには
いきません。
ちょっとした
アクシデントに
巻き込まれ
「遅刻するかも
知れない!」と
思った瞬間から
「時間がない!」と思い
意識の照準を
遅刻に焦点を
当て続けて
しまいます。
これが
“焦り”です。
“焦り”が
遅刻の意識を
増幅し
遅刻という現実を
創造し始めます。
「どうしよう!」と
思えば思うほど
泥沼に嵌り
遅刻を引き寄せて
しまいます。
会社の
工場などでも
納期であるとか
期日が
限られているような
仕事に
“焦る”気持ちは
よく、現れます。
勿論、
その納期に
間に合わないのは
ビジネスとしては
問題は
あります。
しかし
“焦り”は禁物です。
結局
「間に合わない!」に
照準を当て
間に合わない現実を
引き寄せて
しまいます。
納期の問題は
仕事の仕方に
あります。
リーダーの問題が
多いと思います。
会社の人間の
現有勢力を
つかんだ上
この人数で
このくらいの時間を
かければ
この納期に
間に合うという
シュミレーションをし
計画を
立てればいいことです。
“焦り”を
生み出さない
環境をつくれば
いいことです。
それが
リーダーの仕事です。
それぞれの
仕事には
それぞれに
合った
納期というものが
ある筈です。
ビルを
一棟
今日中につくれ!とは
来ない筈です。
これは
単なる無謀にしか
過ぎません。
目の前の仕事や
していることに
集中すること
仕事を
している最中に
あのトンカツ屋さん
お昼は
すぐ混むから
一分でも
早くいきたい!と
思いながら
仕事をしていると
“焦る”
気持ちが生じます。
事務系なら
兎も角
あらゆる現場作業中
であれば
労災も起こって
しまいます。
結局のところ
起こってもいない
現実に意識を
向けて
時間が無い!
間に合わない!と
いう思いが
“焦り”の正体です。
ひとつの
取り越し苦労で
あります。
『今日は残りの人生の最初の日』
どんな些事であっても
目の前の仕事
今、やっている
ことだけに
照準をあてること
そこに
全力を挙げることが
“焦る”気持ちを
起こさない
唯一の
方法では
ないかと
思います。
ありがとうございます。
寝ているとき
左足のふくらはぎが
攣りました。
昨日は
右足だったので
これで
すべては
終了します。
やはり
痛みも
バランスを
取らなければ
可哀相です。
これで
私の方も
両足が
痛いので
バランスよく
歩けます。
ありがとうございます。
昨日は
ブログを見て
多くの方が
心配をしてくれました。
このブログで
何回も紹介した
中国で設計会社を
している
友人から
(参照1)(参照2)
こんなメールが
届きました。
面白いメールです。
紹介します。
「アーカ・メロディ兄
階段から
6段落ちたわけ、
たわけもの、
修行が足りん。
先々週、
自分も膝が痛くて、
こんだけ
歩いておるのに、歳だ。
それも痛みが、、、
斜めに
階段を上る、
がん細胞が
骨に来たか
E-シンに相談、
(お医者さんと思います
・・・アーカ)
馬鹿者、
バナナを食べているか、
少なくとも
1週間に1本、、、
はあーと言いながら、
食べた2日後、
痛くない、
どうして、と聞くと、
あたしも痛くて、
医者で検査、
バナナが
足りないという。
この医者、
しかし彼女も
バナナで直りました。
このように
人の体は
非常によく
できております、
痛いとき、
体に対する
ありがたさが
わかりまして、
良いことです、
でも、
アーカメロディ兄を
お待ちくださる、
皆様のために、
健康を
保たなければ
なりません、
朝、気功など
試みてはどうです、
自分の先輩で
車生活の人は
早く亡くなります、
インドのバスは
いつくるか
わかりません。
アフリカは
公共乗り物が
ないですから、
歩くだけです。
時間は
時を
刻むものがなければ
日が暮れる、
昇るで
わかるだけです。
あわてて
どうするのですか、
そんなに
奥様が見たいのか、
幸せ者に違いがない、
ともかく気をつけて。」
というメールです。
私からは
「○○さん
いつもありがとうございます。
たわけです。
バナナを食べます。
気功もします。
でも偉大な
自然治癒力を
再認識しましたよ!
ありがとうございます。
日本には来ませんか?
アーカメロディ」
と返信しましたら、
「アーカメロディ兄へ
行きます
23日晩上
東京です
たわけ様に
会いたいです。」
と、書いていました。
23日といえば
明日です。
今から
とても楽しみです。
前述の
バナナの話
面白いですね。
バナナを
食べれば
痛みが取れるのだ
そうです。
早速、
試したいと
思います。
でも実際
足が痛んだり
骨が痛かったり
足が攣ったりする
根本原因には
カリウムの不足が
あげられます。
バナナは
カリウム豊富
ですからね!
他の栄養素も
あるでしょうし、
本当に
いいかも知れませんね。
そういえば
女房が以前にも
今回のような
食欲がないことにより
栄養障害になり
入院したときに
検査をして
骨粗しょう症だと
診断されました。
その後
カリウムを
多量に服用
しています。
根拠は
大有りですね。
気功は
やり方が
わからないので
中国から
折角
友人が来るので
本場の
やり方を
教えて
もらいましょうかね(笑)
もうひとつ
メールを
紹介させてください。
女房の弟さんからの
メールです。
女房の弟さんは
女房の入院で
必要なものが
あったら
いつでも
言ってくださいと
声をかけて
くれました。
いつも
心配してくれる
心優しい
弟さんです。
女房の兄弟は
この弟さんも
そうですが
香川県に嫁いでいる
妹さんも
よーく女房のことを
思ってくれて
手作りの
履きやすい
パンツ(ずぼん)とか
上着など
また、手作りの
お守りなどを
送ってくれたり
その
たびごとに
心を送ってくれます。
今回も
妹さんから
寒くなるのでと
裏地をつけた
パンツと
上着を作って
送ってくれました。
寒がりの
女房は
大喜びです。
姉思いの
妹と弟です。
いつも
感謝しています。
ありがとうございます。
妹さんも
弟さんも
私のブログを
見てくれていて
たまに
メールで
コメントしてくれます。
その弟さんからの
メールです。
「私達、
プラント運転を
している人間にも
非定常作業の焦りは
事故を招くので
十分な注意をはらいます。
でも労災は
発生してしまいます。
焦りは何故、
発生するのでしょうか
わかりません。」
と書いてありました。
弟さんは
リサイクル会社に
勤務されており
後輩に指導する
立場でも
あるので
関心があるのだと
思います。
それでは
焦りは何故
起きるのでしょうか?
今、
やっている仕事や
物事に集中して
いないからだと
思います。
わたしの例を
見ても
家の階段を
降りていて
「ふと女房の病院に
早く行かなくっちゃ!」と
思った瞬間
意識が病院に
いっていて
「女房が待っている!」と
イメージされました。
そこに照準が
当った訳です。
本当は
階段を
一歩一歩
集中して
降りていれば
階段を
踏み外すことは
なかったと
思います。
私の場合は
兎も角として
特に仕事の場合
お客様への
訪問で
遅刻することは
問題は
あります。
交通機関は
中々
予定通りには
いきません。
ちょっとした
アクシデントに
巻き込まれ
「遅刻するかも
知れない!」と
思った瞬間から
「時間がない!」と思い
意識の照準を
遅刻に焦点を
当て続けて
しまいます。
これが
“焦り”です。
“焦り”が
遅刻の意識を
増幅し
遅刻という現実を
創造し始めます。
「どうしよう!」と
思えば思うほど
泥沼に嵌り
遅刻を引き寄せて
しまいます。
会社の
工場などでも
納期であるとか
期日が
限られているような
仕事に
“焦る”気持ちは
よく、現れます。
勿論、
その納期に
間に合わないのは
ビジネスとしては
問題は
あります。
しかし
“焦り”は禁物です。
結局
「間に合わない!」に
照準を当て
間に合わない現実を
引き寄せて
しまいます。
納期の問題は
仕事の仕方に
あります。
リーダーの問題が
多いと思います。
会社の人間の
現有勢力を
つかんだ上
この人数で
このくらいの時間を
かければ
この納期に
間に合うという
シュミレーションをし
計画を
立てればいいことです。
“焦り”を
生み出さない
環境をつくれば
いいことです。
それが
リーダーの仕事です。
それぞれの
仕事には
それぞれに
合った
納期というものが
ある筈です。
ビルを
一棟
今日中につくれ!とは
来ない筈です。
これは
単なる無謀にしか
過ぎません。
目の前の仕事や
していることに
集中すること
仕事を
している最中に
あのトンカツ屋さん
お昼は
すぐ混むから
一分でも
早くいきたい!と
思いながら
仕事をしていると
“焦る”
気持ちが生じます。
事務系なら
兎も角
あらゆる現場作業中
であれば
労災も起こって
しまいます。
結局のところ
起こってもいない
現実に意識を
向けて
時間が無い!
間に合わない!と
いう思いが
“焦り”の正体です。
ひとつの
取り越し苦労で
あります。
『今日は残りの人生の最初の日』
どんな些事であっても
目の前の仕事
今、やっている
ことだけに
照準をあてること
そこに
全力を挙げることが
“焦る”気持ちを
起こさない
唯一の
方法では
ないかと
思います。
ありがとうございます。
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