2011年9月9日金曜日

“あなたは大きくなったら  何になりたいですか?“

今日は
何回かこのブログで
紹介させて
いただいている
「こころのチキンスープ」の
中から
こんな話を
共有してください。

このブログを
読んでいる方が
何歳かは
わかりません。

でも、
「あなたは
大きくなったら
何になりたいですか?」と
問いかけます。

それでは、
抜粋させて
いただきます。

『人間は、ひょんなときに思いがけない発見をすることがあります。
私は数週間前に、そんなひとときをもちました。
私が寝室のベッドの上で、赤ちゃんのおむつを替えていると、
五歳のアリッサがやってきて、ベッドに飛び乗りこう尋ねました。

「ママ、大きくなったら、何になりたい?」

私は、娘が新しい遊びでも考え出したのかもしれないと思い、
調子を合わせて答えました。

「うーん、そうね。大きくなったら、お母さんになりたいかな…」

「ダメよ、もうお母さんになってるじゃない。ねえ、何になりたい?」

つぎに、私はこう答えました。

「わかったわ。それじゃ、大きくなったら、牧師さんになりたい」

「だってママ、もうなってるでしょう!」

「あら、ごめんなさい。じゃあ、どう答えたらいいのかしら」と
私は言いました。

「ママ、大きくなったら、何になりたいか、
思ったままを言えばいいの。
何でも好きなものになれるのよ!」

私は、とっさにどう言ったらいいかわかりませんでした。
アリッサは、私から答えを引き出すのをあきらめ、
部屋を出て行ってしまいました。

しかし、このわずか数分のできごとに、
私は心を揺さぶられていました。
幼い娘の目には、
私はいまでも私のなりたいものになれる人と映っていたのです!
年齢も、牧師という職業も、夫と五人の子どもも、
学士号や修士号も、何ひとつ関係ありません。

彼女にとって、私はいまだ夢を描き、
高い理想をかかげることのできる人間でした。
私の将来はまだ終わっていないのです。

私は宇宙飛行士にも、ピアニストにも、オペラ歌手にもなれるのです。

彼女には、私がいまだ可能性に向かって成長しつつあり、
私の行く手には輝く未来が待ち受けていると
見えているにちがいありません。

娘は、誠実かつ純真そのものに、
まったく同じ質問を、おじいちゃんやおばあちゃんにも、
いえ、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんにだってするでしょう。

こう気づいたとき、娘と共有したこのひとときが
美しくきらめいて見えたのでした。
ある本に、こんな一節がありました。

「歳をとったとき、私は、
いまの私とはまったくちがった人になっていることだろう。
いま、もう一人の私が生まれようとしているから…」

さあ、あなたも考えてみてください。
大きくなったら、何になりたいですか?

テリー・ジョンソン牧師

「私たちが一番高くまで飛ばせる凧、それは想像力です。」
ローレン・バコール

いかがでしたか?
私たちが
いかに
制限された不自由な心に
支配されているか
気づかされる
短いけど
すばらしいお話です。

私たちは
神様の子ども
無限で
永遠な
存在です。

いつも
こころが
この領域に
ある時

どこまでも高く
飛翔できる
翼を
持っていることに
歓喜の声を
あげるでしょう。

『今日は残りの人生の最初の日』

あなたは、
大きくなったら
何になりたいですか?

共有ありがとうございます。

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