2011年9月11日日曜日

「体験をすること」

このブログのテーマは
今という
この瞬間に
生きるという
観点から
お話を進めています。

今、この瞬間にしか
確かな実在は
ありません。

今を
確かに
生き切ることこそ
実に
必要なことです。

では
「今を生きる!」と
言っても
「どう、生きれば
いいの?」という
声が
聞こえてきそうです。

昨日のブログにも
書きましたが
私たちは
この現象の世界に
自らの
問題集を
携えて
降りてきます。

その問題集は
過去に生きた中で
修正できなかった
数々の
自らの傾向性を
乗り越える意味で
綿密に
設計された
自らが
自らに
与えた問題集です。

この世に
生まれて
きたときには
すっかり
忘れて
この人生の課題に
取り組んでいきます。

すべては
神に繋がる道
魂の進化のために
現れているに
過ぎません。

人はよく
「なぜ?
わたしにばかり
次から次へ
問題が
起こるのだろう?」と
言います。

正確には
「なぜ?私は
こんなにも多くの
難題を
自分に
与えたのだろう?」
というのが正しいのです。

それは、
あなたが
それらに
耐えていける
大きな
魂であることと、

この現象界における
肉体や物質に
偏りすぎていて
自我から
問題を
解決しようと
今は
考えている
からなのです。

頑固な傾向性は
さらに
問題を
大きくしていきます。

自我では
問題は解決しません。
自我は
対立した考えを
生みます。

自我は
一生懸命
頭脳を
捏ね繰り回して
分析を企てます。

分析は
分離を生みます。
自分の価値観
自分の正しさの
基準という
曖昧模糊としたもので

自分のその時の
モノサシで
計ろうとします。

この
空間的場所における
思考世界に
嵌って
しまっています。

証明できないこと
立証できないことを
排除する意識が
問題をさらに
複雑にしていきます。

自らが
問題を
分析しようと
余計なことを
考えるから
さらに
混乱するのです。

困難にしているのは
自我から考えた
自分なのだと
気づかないうちは
堂々めぐりに
なることでしょう。

正しくは
自らが
この現象界に
生まれる前に

自らに課した
体験を通してしか
得られない
数々の
問題を
自らに
課している
ということです。

自分が
何かをするという
意識から離れて
自らが課した
目の前に
現れるところの
体験を目的と
するのです。

この現象界は
体験をする
場所として
設定されています。

あらゆる体験は
あなたにとって
無駄なものは
ひとつも存在
しないのです。

そして
偶然に
起こることも
一切ないのです。
すべて必然です。

あらゆる
出来事は
自らが
この現象界で
体験したかった
ものばかりです。

天上界で
問題を作り
この現象界で
自分が体験できる
問題集を
作成しているとき
天上界での
あなたは
ワクワクして
いた筈なのです。

「私は
今回の生においては
必ず
これらの問題集を
クリアして
なるべく
早い時期に
体験の目的を
知るだろう!
それは
心の内奥に
潜んでいる
神性に気づき
自らの
場所を
光り輝く
愛の世界に
することだったのだ!
私の周囲を
照らしていくのだ!
この現象界は
愛の表現界として
あったのだ!」と

こういう
気持ちでした。

どうですか?
思い出しました
でしょうか?

こう考えると
今、起こっている
問題と思っている
テーマを
体験していると
いうことは
自分の
思い通りに
起こっている
出来事でしょう!

すべてが
思い通りの
世界なのです。

私たちは
これらの体験を
通じて
元々備わっている
真我意識に
到達して
いくのです。

そこには
苦しみや
悩みは
存在しません

愛を表現するための
すべての要素が
備わっています

自由自在です。
思いやりや
慈しみや
美しさや
優しさや
安心や
平和や
愛のエキスが
いっぱい詰まった
神様の部屋です。

ここには
目を
吊り上げていたり
渋面の様相も
嘆き
喘いでいるものも
一人も
おりません。

皆が、
本質を
実感しています。

無限の世界
永遠の世界
実相の世界です。
喜びに
満ち満ちています。

私たちは
本当は
こちらが
永遠の
住まいなのです。

この現象界は
仮の住まいに
過ぎません。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、この瞬間に
あなたの体験している
テーマは何ですか?

折角ですから
喜んで
楽しみながら
体験してみてください。

あなたが
生まれる前に
このテーマを
こなしていく自分に
ワクワクしたように!

ありがとうございます。

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