2011年11月13日日曜日

“自我”から“真我”へ

私のブログの
タイトルは
「今日は残りの
人生の最初の日」
というタイトルを
つけました。

それは、
私たちには
今日という括り
正確に言えば
今、ここ
この瞬間しか
確かな時は
ないからです。

今日は最初の日であり、
最後の日かも
知れません。

私は、今この瞬間に
このブログを
書いています。

この瞬間に
自分の意識を
全集中させて

このブログが
一人でも
多くの人の
目に止まり
何かを感じて
もらえば
うれしいなあという
気持ちで
パソコンに
向かっています。

今、この瞬間で
なけらば
伝えられないのです。
昨日は終わり
明日は永遠に
来ないからです。

私たちには
今日、今ここの
この瞬間しか
時間は与えられて
いないのです。

多くの人が
これから先も
今までのように
永遠に生き続けられる
ような感覚で
一日一日を
送っています。

私がいつも
このブログで
書いていますように

私たちの
実相である魂は
永遠の生命を
持つものであります。

しかし、
肉体を持ちながら
いつまで
今のこの人生を
体験できるのかは
知っているものは
いないのです。

このブログを
書いている最中に
終わるかも
知れませんし

明日なのか
何年先なのか
誰も知らないのです。
期限付きの人生を
体験しているのです。

今、若い人たちは
確率的には
まだ、何十年も
あるかも知れませんが

今回の大震災でも
感じたと思いますが
多くの方が
一瞬に自分の人生を
強制的に遮断
されました。

天災は時と場所を
選ぶ訳では
ありません。

私の体験でも
私の一番最初の孫は
一年にも満たずに
突然死で
この世を後にしました。

孫はこの世に
何を体験しに
来たのでしょう?
孫の母親(私の娘)や
父親や私や女房を
含めて
その関係性において
それぞれに
その後の人生に
影響を及ぼしたことは
まぎれもない事実です。

そう考えますと
今日は残りの人生の
最初の日です。
今日だけは
今の瞬間だけは
確かに
この肉体を持って
貴重な体験を
味わっています。

もっと
このタイトルに
秘められた
今日という
重要性
今この瞬間という
時を大切に
生きなければならないと
感じます。

そのためには
このブログでも
よく取り上げています
“自我”と“真我”
について
考察を深め
一日でも早く
自我なる自分から
真我なる自分への
覚醒が望まれるのです。

“自我”とは
“偽我”ともいい
偽者の自分です。

限定つきの
期限の中で
肉体を持ち
あらゆる体験を
していく中で
肉体から
生み出されるところの
五感のみの体験に
囚われていく
我のことです。

この“自我”は
五感と言う
自分の感覚器官を
喜ばせるものと
そうでないものの
分離を促します。

あらゆる判断が
その我にある
ものですから
人も出来事も
我を中心に物事を
考えることになります。

そうなると
どう反応するかというと
“自我”である
我を基準として
考えますので、

自分以外の
他の出来事や他人の
問題点ばかりが
気になるように
なっていきます。

つまり“自我”は
粗探しの
名人の我です。

“自我”は
我のみ良しの心です。
その“自我”の我が、
不快に思うのは

他人のこんなことが
問題だからなのだ!
女房が亭主が
上司が部下が
政治家が国家が
システムが等々
自分以外のところに
犯人を捜し、
問題の原因を
探します。

“自我”は
自分の問題点は
気にならないのです。

今までの
社会は
家庭においても
職場においても
国家間においても
“自我”が幅を
利かせていた
時代であったと
言えるのでは
ないでしょうか?

競争社会において
声を大きくして
主張することが
いいとされてきました。

権力を持つものは
その自らの力を
行使し支配を
し続けてきました。

お金もそうです。
持っているものと
持っていないもの

武力もそうです。
核を持つ国は
持たない国を
脅かしその力で
もって
リーダーシップを
持ち続けてきました。

歪んだ力の行使です。

その結果は
どうでしたか?
この地球上に
考えられないような
アンバランスを
創造したのです。

地球上の
数パーセントの人が
地球上の富の
90パーセント以上を
占有しています。

一方では
もう一ヶ月以上も
不衛生な水と
わずかなパンの
一切れで
命を繋いでいます。

結局は
多くの富を
占有したとて
それを
失いたくないために
もっともっとと
求めていきます。

一日も安心した
平和な心には
なれないのです。

“自我”の心が
大きければ
大きいほど
すべてが苦しく
感じるように
なるのです。
誰も真の満足は
得られないのです。

これからは
今までのように
“自我”のまま
生きることは
できない時代に
入ってきます。

世界の70億人の
人たちや
すべての動植物や
万有万物が
共生する時代が
必然的に
やってきます。

このままでは
地球規模で
崩壊して
しまうのです。

“自我”のまま
我良しとし
これ以上
進めていくことは
できないのです。

今日からは
自分を
省みる視点
すなわち
今、起こっている
出来事のすべては

自らの内に
問題の原因が
あるのだという
視点です。
まず、内省しなければ
なりません。

“自我”による
思いが
すべての問題を
引き起こしている
張本人なのです。

その“自我”なる
思いを見つめ

その原因たる我を
真なる我に
聖なる我に
置き換えて
いかなければ
ならないのです。

この世の変化は
私たちの
心が改善され
変化しなければ
起こらないのです。

自らの内に
思いやりと慈しみの
愛の種を蒔かずに
すばらしい世の中が
訪れることは
ありません。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちは
今、この瞬間の
今、いるところで
“真我”を自覚
するのです。

まだ、
私の周囲にも
自分の今までの
人生を否定する
人たちが多く
見受けられます。

しかし、それは
過去の自分が
発してきた
思いと行動の
結果なのです。

他の誰かが
その否定する人生を
創ったわけでは
ありません。

過去は既に亡霊です。
そんなことを
いつまでも
引きずらないで
ください!

今日の自分が
明日を創るのです。
今、この瞬間に
思いを変えることが
できれば、
明日は
やってくるのです。

私たちは
この世に
生かされている
存在なのです。

実は
生かされて
いるだけで
ありがたいのです。

この世の
稀有な貴重な瞬間を
確かに体験させて
頂いているのです。

その体験の目的は
誰にでも備わって
いるところの
“真我”を発見する
ためだけに
あるのです。

私たちには
特別に
創造力
(想像力)という
神の性質の
偉大なる力を
与えられて
生かされました。

これが
人間をして
万物の霊長と
呼ぶ
ひとつの所以で
ありました。

しかし、
人間はこれを
履き違え

肉体に捕らえられ
“自我”なる
偽者の我の中で

独りよがりの又、
分離と闘争や
侵略や
奪取といった
不幸の想像力
(創造力)を
行使し、

核兵器や爆弾等も
創造してきました。

それは
諸刃の刃であり
開発した
身をも滅ぼす
自らにも害が及ぶ
創造であったのです。

真実は
“真我”の心で
創造力(想像力)を
大いに発揮して
愛の想像(創造)を
するために
神は人間に
創造(想像)の
自由を与えたのです。

この創造力
(想像力)は
無限大の力です。

永遠に
創造し続けます。

みんなが共生し
平和と安心を
創造する力です。

これからは
“真我”という
真なる我
神なる我が
この世に
地上ユートピアを
実現する原動力に
なるのです。

私たちが
その礎となるのです。
頑張ってまいりましょう。

生かしていただいて
ありがとうございます。

0 件のコメント:

コメントを投稿