2011年11月11日金曜日

「もう一人の自分」



昨日のブログ
続きのような内容に
なりますが、

この世の混乱や
苦難・困難の意味は

あらゆる体験を通じて
私たちの魂を
鍛錬して成長
させるための
神からの貴重な
プレゼントなのです。



私たちの
本来の魂は
根源なる神に
繋がるところの
真我(神我、仏我、良心)
であるのです。
永遠不滅で
不変な心なのです。

その不変なるものを
中心に宿し
肉体を持ち
10%の顕在意識を
表面に現わしながら
この世を経験して
いるのです。

その現れている
ところの表面なる
意識が
肉体こそ自分と
思い込み
真我意識をさらに
奥へ奥へと
追いやっていきます。
それが自我意識です。
私たちの
ネガティブな面の
意識です。

偽我意識とも言います。
偽者の自分です。
我のみ良しと
思う意識です。

我のみ良し
なのですから
我より優れるものに
嫉妬し
怒り、謗り
怨んだりします。

我より劣るものを
軽蔑し
罵り、のけ者にします。
私たちの
嫌な面の個性です。

私たちは
あらゆる輪廻の中で
この自我意識に
嵌って
いろいろな罪や闇を
創ってきました。
それを業(カルマ)と
いいます。

その業(カルマ)が
あるからこそ
何回もこの世に
降りてくるのです。

それを業(カルマ)の
刈り取りと言います。

自分が他に与えた
気持ちは
自分自身が
味わって見なければ
わからないでしょう!

それが
苦しみや悲しみ
混乱の意味なのです。

この世に
肉体を持つ前に
指導する立場の
霊と共に
今回の人生計画を
考えるときに

今回こそ
「自我をなくす!」と
決めてくるのです。
そして、
この世に
生まれてくるのです。

なぜならば
自我を持ったまま、
霊の世界に
帰った場合、
その自我の個性に
沿った世界に
行くことになります。

これを宗教や宗派に
よっては地獄と
呼ぶところもあります。

しかし、
事実は
神や指導霊や
閻魔さんが
強制的に行かす
訳ではありません。

霊の世界に帰って
自らの今生の目的と
実際の人生が
まるで映画でも
見るように
映し出されるのです。

一人の例外もなく
明らかになるのです。
自ずから
波長同通の法則が
働くのです。

強い自我意識で
他を一切無視し
傍若無人の行為を
してきた人たちの
行く先は
地獄そのものの世界と
思うかも知れませんが

自分と同類の
自我意識を
持った者同士が
自然発生的に
集合するのです。

霊の世界は
ある意味
例外なく公平無比の
世界なのです。

毎日、毎日
嫌な自分の個性を
相手に見るのです。
似たもの同士が
集まるのですから
いかに強い自我を
持っていても
いずれは
自ずと反省する
ようになります。

このような
システムで
次回、
生まれ変わった場合は
「絶対に
自我をなくす!」と
強く心に
決めるのです。

霊の世界では
波長の違う魂は
一緒にいることは
できない世界です。

この世だけが
すべての次元の
魂が混在する
ことのできる
極めて貴重な
玉石混交の
世界なのです。

それも時間が
限定されています。
肉体の死を持って
時間切れになるのです。

ある意味では
どんな苦難や困難で
あっても
ずっと続くことは
ありません。

有限なのです。
今しか、しかも
この世界でしか
体験できないのです。

それも
自分自身で
望んだ体験です。

その苦難や困難な
体験は
自らの偽者の我を
あぶりだし

本来の我である
真我(神我)に戻る
ためにあるのです。

苦しい中で
あぶりだされた
その自我こそ
今回の生で克服
しなければならない
テーマであるのです。

この世でいう
善や悪というものは
絶対のものでは
ありません。

それは、自我で見た
善や悪だからです。
見方においては
善にも悪にも
なるのです。

どんな悪人に見える
人であっても
自我という意識を
捨てたときには

そこに現れるのは
絶対的な善が
あるのみなのです。

完全なる神性が
あるのです。

永遠に不変なる
存在なのです。

だから
今、悩み、苦しみ、
悲しみの渦中に
いる人には
頑張って
欲しいのです。

どんなに
大きな困難だと
思えるような
出来事が
襲ってきても

耐えられない
ものなど何も
ありません。

この世の
どんな混乱も
あなたの心を
傷つけることなど
できないのです。

あなたの本来の心は
永遠不滅の
真我なのです。

無限なる心を
傷つけることは
不可能なのです。

傷ついているのは
自我意識だからに
過ぎないのです。

ですから
今、目の前に
起こっていることを
静観して眺めて
見てください。

その状態が
何をあなたに
語ろうとしているのか?

そこから
あなたは
何を汲み取らなければ
ならないのか?を

もう一人の
本来の
自分の視点で
冷静に
見つめることです。

『今日は残りの人生の最初の日』

このもう一人の
本来の自分こそ
真我なのです。
真我は愛そのものです。
愛の視点で
今の状態を
見つめるのです。

その視点
真我なる、愛なる視点を
通すことによって
天界の扉は
開いてくれるのです。

生かして頂いて
ありがとうございます。

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