今日は
何回かこのブログで
紹介させて
いただいている
「こころのチキンスープ」の
中から
こんな話を
共有してください。
このブログを
読んでいる方が
何歳かは
わかりません。
でも、
「あなたは
大きくなったら
何になりたいですか?」と
問いかけます。
それでは、
抜粋させて
いただきます。
『人間は、ひょんなときに思いがけない発見をすることがあります。
私は数週間前に、そんなひとときをもちました。
私が寝室のベッドの上で、赤ちゃんのおむつを替えていると、
五歳のアリッサがやってきて、ベッドに飛び乗りこう尋ねました。
「ママ、大きくなったら、何になりたい?」
私は、娘が新しい遊びでも考え出したのかもしれないと思い、
調子を合わせて答えました。
「うーん、そうね。大きくなったら、お母さんになりたいかな…」
「ダメよ、もうお母さんになってるじゃない。ねえ、何になりたい?」
つぎに、私はこう答えました。
「わかったわ。それじゃ、大きくなったら、牧師さんになりたい」
「だってママ、もうなってるでしょう!」
「あら、ごめんなさい。じゃあ、どう答えたらいいのかしら」と
私は言いました。
「ママ、大きくなったら、何になりたいか、
思ったままを言えばいいの。
何でも好きなものになれるのよ!」
私は、とっさにどう言ったらいいかわかりませんでした。
アリッサは、私から答えを引き出すのをあきらめ、
部屋を出て行ってしまいました。
しかし、このわずか数分のできごとに、
私は心を揺さぶられていました。
幼い娘の目には、
私はいまでも私のなりたいものになれる人と映っていたのです!
年齢も、牧師という職業も、夫と五人の子どもも、
学士号や修士号も、何ひとつ関係ありません。
彼女にとって、私はいまだ夢を描き、
高い理想をかかげることのできる人間でした。
私の将来はまだ終わっていないのです。
私は宇宙飛行士にも、ピアニストにも、オペラ歌手にもなれるのです。
彼女には、私がいまだ可能性に向かって成長しつつあり、
私の行く手には輝く未来が待ち受けていると
見えているにちがいありません。
娘は、誠実かつ純真そのものに、
まったく同じ質問を、おじいちゃんやおばあちゃんにも、
いえ、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんにだってするでしょう。
こう気づいたとき、娘と共有したこのひとときが
美しくきらめいて見えたのでした。
ある本に、こんな一節がありました。
「歳をとったとき、私は、
いまの私とはまったくちがった人になっていることだろう。
いま、もう一人の私が生まれようとしているから…」
さあ、あなたも考えてみてください。
大きくなったら、何になりたいですか?
テリー・ジョンソン牧師
「私たちが一番高くまで飛ばせる凧、それは想像力です。」
ローレン・バコール
いかがでしたか?
私たちが
いかに
制限された不自由な心に
支配されているか
気づかされる
短いけど
すばらしいお話です。
私たちは
神様の子ども
無限で
永遠な
存在です。
いつも
こころが
この領域に
ある時
どこまでも高く
飛翔できる
翼を
持っていることに
歓喜の声を
あげるでしょう。
『今日は残りの人生の最初の日』
あなたは、
大きくなったら
何になりたいですか?
共有ありがとうございます。
2011年9月9日金曜日
2011年9月8日木曜日
「瞑想のすすめ」
私たちの住む
この地上世界は
毎日、
この肉体の目で
見ている世界です。
朝起きて
最初に
目にするものは
何でしょうか。
時計でしょうか?
旦那さんや
奥さんでしょうか?
他のものですか?
何でもいいのですが
人によって
違うでしょうが
この目で
見たものから
意識が動き出します
時計を見て
「あ!何時だ!
急ごう!」とか
奥さんを見て
「おはよう!
ご飯できてる!」とか
そして
いろいろな
現象での
出来事の
一日が
スタートします。
多くの人が
このリズムで
毎日を
送っていきます。
一方
目に見えない世界が
あります。
周波数が異なる
意識の世界です。
便宜的に
天上世界と
呼びます。
私たち
肉の目で見る癖が
ついていますので
目に見えない世界は
無いと
断定する人たちは
多いです。
私の周囲でも
そんな方が
たくさんいます。
私自身も
そうでしたから
中々
見えない世界を
信じるということは
並大抵では
ありません。
その後の
いろいろな体験や
いろいろな縁や
勉強を通じて
ある時
確信するのです。
しかし
厳然として
あるのです。
ここは
あるという前提で
話を進めます。
あるということを
信じている方でも
この
地上世界と
天上世界は
別々にあると
思っている方が
多く
いらっしゃいます。
また、
ある宗派などでは
そう説いている
ところもあります。
地上世界と
天上世界は
別々にある
存在ではなく
同時に
存在しているのです。
天と地は一体です。
地上世界という
物質界は
変化の中に在り
一定のものは
無い世界です。
目に見える世界
有限の世界です。
天上世界は
不変の世界
目に見えない
意識の世界
ビジョンでしか
見ることが
できない世界
内なる宇宙の世界
無限の世界です。
天上世界は
原因であり、
エネルギーと
質量との
完全調和した
愛の世界です。
地上世界は
結果であり、
その天上世界の
愛の念いが
形として
物質として
現わした
結果の世界です。
天上世界と
地上世界は
このように
原因と
結果であり
離れては存在
できない
表裏一体の
世界です。
ただ私たち
結果の世界に
住まう人間が、
この地上世界に
生れる時に
すべての
潜在意識の記憶を
忘れてしまうために
有限の世界に
閉じ込められて
いるのです。
単なる錯覚に
過ぎません。
これは
肉体の目で
見ているだけ
だからなのです。
本質の目で
見なければ
なりません。
それは
私たちの原因を
知るということです。
原因を
知らない限り
肉体による
物質による
有限から
離れられなく
なります。
有限を
いくら求めても
不毛です。
それは
求めても
求めても
形を変えて
いくでしょう。
不変なもの
無限なものを
求めることです。
その方法は
一日のスタートに
20分でも
30分でも
いいです。
目から見ないで
目を瞑り
心の目を
開いていきます。
チャクラを
意識し
無限の光を
取り入れるのです。
意識して
あるべき姿を
見つめるのです。
夜の寝る前の時間
少しの時間で
いいから
目を瞑り
今日一日を
振り返り
肉の目で見た
数々の現象が
あったなら
チャクラを意識し
無限の愛の光を
取り入れて
開放してください。
そのわずかな時間が
あなたを
本質へと
誘う鍵と
なるでしょう。
地上世界も
天上世界も
有限も
無限も
原因も
結果も
同時に存在して
いるのですから
どちらの
思いを発するのかに
かかっているのです。
私たちは
同時に
存在しているものを
同時に
思うことは
できないのです。
天上世界の愛の
思いを発するのか?
地上世界の
自我の思いを
発するのか?
物質界の
有限の思いを
発するのか?
天上世界の
無限の思いを
発するのか?
創造主である
原因の世界から
思いを発するのか?
被造物である
創られた側
結果の世界から
思いを発するのか?
そのどちらかを
今、思うのでしょうか?
『今日は残りの人生の最初の日』
今日という
この瞬間
あなたは
どちらの思いを
選択し
発していきますか?
そのために
朝と夜の
寝る前の時間を
取って下さい
少なくても
この時間は
あなたにとって
永遠の時間に
なることでしょう。
真実は
あなたは
これから無限に
なるのではないのです。
最初から
無限なのです。
原因を
忘れているに
過ぎません。
今、この瞬間も
無限なのです。
未来永劫に
無限の存在なのです。
ただあなたが
目で見える
外だけを見て
内を見ないからに
過ぎません。
そして、
制限をつけた
存在
有限な存在に
周波数を
合わせています。
あなたの悟りは
あなたの
理解力によります。
あなたの救いは
あなたにしか
出来ないのです。
私たちは
もともと
無限の存在ですから、
そのことを
思い出すだけで
良いのです。
今日から
少しの時間で
いいから
瞑想を
してください。
それが
無限の自分
真実の自分を
思い出す
方法なのです。
「己を知ることは
神を知ることになる」と
言われているのは
このことなのです。
ありがとうございます。
この地上世界は
毎日、
この肉体の目で
見ている世界です。
朝起きて
最初に
目にするものは
何でしょうか。
時計でしょうか?
旦那さんや
奥さんでしょうか?
他のものですか?
何でもいいのですが
人によって
違うでしょうが
この目で
見たものから
意識が動き出します
時計を見て
「あ!何時だ!
急ごう!」とか
奥さんを見て
「おはよう!
ご飯できてる!」とか
そして
いろいろな
現象での
出来事の
一日が
スタートします。
多くの人が
このリズムで
毎日を
送っていきます。
一方
目に見えない世界が
あります。
周波数が異なる
意識の世界です。
便宜的に
天上世界と
呼びます。
私たち
肉の目で見る癖が
ついていますので
目に見えない世界は
無いと
断定する人たちは
多いです。
私の周囲でも
そんな方が
たくさんいます。
私自身も
そうでしたから
中々
見えない世界を
信じるということは
並大抵では
ありません。
その後の
いろいろな体験や
いろいろな縁や
勉強を通じて
ある時
確信するのです。
しかし
厳然として
あるのです。
ここは
あるという前提で
話を進めます。
あるということを
信じている方でも
この
地上世界と
天上世界は
別々にあると
思っている方が
多く
いらっしゃいます。
また、
ある宗派などでは
そう説いている
ところもあります。
地上世界と
天上世界は
別々にある
存在ではなく
同時に
存在しているのです。
天と地は一体です。
地上世界という
物質界は
変化の中に在り
一定のものは
無い世界です。
目に見える世界
有限の世界です。
天上世界は
不変の世界
目に見えない
意識の世界
ビジョンでしか
見ることが
できない世界
内なる宇宙の世界
無限の世界です。
天上世界は
原因であり、
エネルギーと
質量との
完全調和した
愛の世界です。
地上世界は
結果であり、
その天上世界の
愛の念いが
形として
物質として
現わした
結果の世界です。
天上世界と
地上世界は
このように
原因と
結果であり
離れては存在
できない
表裏一体の
世界です。
ただ私たち
結果の世界に
住まう人間が、
この地上世界に
生れる時に
すべての
潜在意識の記憶を
忘れてしまうために
有限の世界に
閉じ込められて
いるのです。
単なる錯覚に
過ぎません。
これは
肉体の目で
見ているだけ
だからなのです。
本質の目で
見なければ
なりません。
それは
私たちの原因を
知るということです。
原因を
知らない限り
肉体による
物質による
有限から
離れられなく
なります。
有限を
いくら求めても
不毛です。
それは
求めても
求めても
形を変えて
いくでしょう。
不変なもの
無限なものを
求めることです。
その方法は
一日のスタートに
20分でも
30分でも
いいです。
目から見ないで
目を瞑り
心の目を
開いていきます。
チャクラを
意識し
無限の光を
取り入れるのです。
意識して
あるべき姿を
見つめるのです。
夜の寝る前の時間
少しの時間で
いいから
目を瞑り
今日一日を
振り返り
肉の目で見た
数々の現象が
あったなら
チャクラを意識し
無限の愛の光を
取り入れて
開放してください。
そのわずかな時間が
あなたを
本質へと
誘う鍵と
なるでしょう。
地上世界も
天上世界も
有限も
無限も
原因も
結果も
同時に存在して
いるのですから
どちらの
思いを発するのかに
かかっているのです。
私たちは
同時に
存在しているものを
同時に
思うことは
できないのです。
天上世界の愛の
思いを発するのか?
地上世界の
自我の思いを
発するのか?
物質界の
有限の思いを
発するのか?
天上世界の
無限の思いを
発するのか?
創造主である
原因の世界から
思いを発するのか?
被造物である
創られた側
結果の世界から
思いを発するのか?
そのどちらかを
今、思うのでしょうか?
『今日は残りの人生の最初の日』
今日という
この瞬間
あなたは
どちらの思いを
選択し
発していきますか?
そのために
朝と夜の
寝る前の時間を
取って下さい
少なくても
この時間は
あなたにとって
永遠の時間に
なることでしょう。
真実は
あなたは
これから無限に
なるのではないのです。
最初から
無限なのです。
原因を
忘れているに
過ぎません。
今、この瞬間も
無限なのです。
未来永劫に
無限の存在なのです。
ただあなたが
目で見える
外だけを見て
内を見ないからに
過ぎません。
そして、
制限をつけた
存在
有限な存在に
周波数を
合わせています。
あなたの悟りは
あなたの
理解力によります。
あなたの救いは
あなたにしか
出来ないのです。
私たちは
もともと
無限の存在ですから、
そのことを
思い出すだけで
良いのです。
今日から
少しの時間で
いいから
瞑想を
してください。
それが
無限の自分
真実の自分を
思い出す
方法なのです。
「己を知ることは
神を知ることになる」と
言われているのは
このことなのです。
ありがとうございます。
2011年9月6日火曜日
「永遠性、無限性を感じる!」
ある雑誌を
読んでいましたら、
私たちの
細胞の中には
ある種の
暗号情報
ある種の
DNA情報が
潜在的に
組み込まれている
のだそうです。
ただ、
現在は
休眠状態だそうで、
私たち
人間の波動が
一定レベルに
達すると
起動するように
なっていると
書いてありました。
先日書いた
「水がめ座の時代」に
リンクするような
内容です。
私の解釈では
「人間の波動が
一定レベルに
達する」とは
私たちが
霊的に
覚醒した状態を
いうのではないかと
思います。
自我の意識から
離れて
真我なる意識を
顕現しながら
もう
自我なる意識が
一切
出てこない状態に
なった時に
私たちの
波動は
上昇していきます。
その
真我意識への
到達を得た
人たちが
ある臨界値を
越えた時に
眠っている
ある種の
潜在的な
DNA情報が
バイブレーションを
感じ
起動するのでは
ないかと思います。
それでは
その真我意識に
到達する
状態とは
どんな状態
なのでしょうか?
真我意識は
読んで字の如く
真なる我の
意識です。
真なる自分とは
何でしょう?
真我意識は
神我意識です。
”神が我”
”我が神”という
認識です。
私たち
一人ひとりに
宿っている
内在する神を
知るという
ことです。
真(神)我意識に
到達するとは
”神のいるところに
我が居り”
”我のいるところに
神が居る”
本質である神に
我を
全託すること、
委ねると
いうことです。
私たちは
自我意識で
もがけばもがくほど、
悩み
苦しみは
拡大するだけです。
私たちは
神我意識に
委ねていれば、
すべての物事は
悩みや
苦しみの
対象では
なくなります。
私たちの
信じるべきことは
人間という
形の存在ではなく、
存在の本源である
神なのです。
でも、
私たちは
どうしても
見える存在
この形ある人間に
惑わされて
しまいがちです。
その状態から
離れて
いかなければ
なりません。
真(神)我意識に
到達すると
いうことは
神の”永遠性”
神の”無限性”を
知ると
いうことです。
私たちが
この
真理である
ところの
永遠性
無限性を
知ったとき
すべての
悩み
苦しみは
解き放たれ
そこには
魂の進化のみが
あるのです。
「天国は
汝.の内に在り
初めに永遠ありき」
「初めに無限ありき」
なのです。
永遠や
無限を知り
受け入れたとき
永遠の臨在観
無限の臨在観に
満たされていきます。
神の臨在観です。
神に
満たされるとは、
永遠に
満たされる
無限に
満たされると
いうことです。
私たちは
永遠で無限なる
存在です。
その自覚を
することです。
神の
永遠なる性
無限なる性を
愛し
それを意識し
現わしていくことです。
意識を
永遠なる
無限なるものに
焦点を合わせ
上昇させるのです。
自我意識を
真我意識
(神我意識)である
永遠意識
無限意識に
高めなくては
なりません。
『今日は残りの人生の最初の日』
ある意味では
今、この瞬間に
どこに意識を
向けているかが
大切です。
今、この瞬間に
永遠
無限を
感じてください。
大袈裟でも
何でもなく
その意識を
自覚することが
私たちの
明るい未来を
創ることになるのです。
自分との戦いです。
真剣に
真の自分を
追求していこう
ではありませんか。
そして
私たちが
波動を高める
臨界値を超える
原動力と
なるのです。
ある暗号を
起動するために
ありがとうございます。
読んでいましたら、
私たちの
細胞の中には
ある種の
暗号情報
ある種の
DNA情報が
潜在的に
組み込まれている
のだそうです。
ただ、
現在は
休眠状態だそうで、
私たち
人間の波動が
一定レベルに
達すると
起動するように
なっていると
書いてありました。
先日書いた
「水がめ座の時代」に
リンクするような
内容です。
私の解釈では
「人間の波動が
一定レベルに
達する」とは
私たちが
霊的に
覚醒した状態を
いうのではないかと
思います。
自我の意識から
離れて
真我なる意識を
顕現しながら
もう
自我なる意識が
一切
出てこない状態に
なった時に
私たちの
波動は
上昇していきます。
その
真我意識への
到達を得た
人たちが
ある臨界値を
越えた時に
眠っている
ある種の
潜在的な
DNA情報が
バイブレーションを
感じ
起動するのでは
ないかと思います。
それでは
その真我意識に
到達する
状態とは
どんな状態
なのでしょうか?
真我意識は
読んで字の如く
真なる我の
意識です。
真なる自分とは
何でしょう?
真我意識は
神我意識です。
”神が我”
”我が神”という
認識です。
私たち
一人ひとりに
宿っている
内在する神を
知るという
ことです。
真(神)我意識に
到達するとは
”神のいるところに
我が居り”
”我のいるところに
神が居る”
本質である神に
我を
全託すること、
委ねると
いうことです。
私たちは
自我意識で
もがけばもがくほど、
悩み
苦しみは
拡大するだけです。
私たちは
神我意識に
委ねていれば、
すべての物事は
悩みや
苦しみの
対象では
なくなります。
私たちの
信じるべきことは
人間という
形の存在ではなく、
存在の本源である
神なのです。
でも、
私たちは
どうしても
見える存在
この形ある人間に
惑わされて
しまいがちです。
その状態から
離れて
いかなければ
なりません。
真(神)我意識に
到達すると
いうことは
神の”永遠性”
神の”無限性”を
知ると
いうことです。
私たちが
この
真理である
ところの
永遠性
無限性を
知ったとき
すべての
悩み
苦しみは
解き放たれ
そこには
魂の進化のみが
あるのです。
「天国は
汝.の内に在り
初めに永遠ありき」
「初めに無限ありき」
なのです。
永遠や
無限を知り
受け入れたとき
永遠の臨在観
無限の臨在観に
満たされていきます。
神の臨在観です。
神に
満たされるとは、
永遠に
満たされる
無限に
満たされると
いうことです。
私たちは
永遠で無限なる
存在です。
その自覚を
することです。
神の
永遠なる性
無限なる性を
愛し
それを意識し
現わしていくことです。
意識を
永遠なる
無限なるものに
焦点を合わせ
上昇させるのです。
自我意識を
真我意識
(神我意識)である
永遠意識
無限意識に
高めなくては
なりません。
『今日は残りの人生の最初の日』
ある意味では
今、この瞬間に
どこに意識を
向けているかが
大切です。
今、この瞬間に
永遠
無限を
感じてください。
大袈裟でも
何でもなく
その意識を
自覚することが
私たちの
明るい未来を
創ることになるのです。
自分との戦いです。
真剣に
真の自分を
追求していこう
ではありませんか。
そして
私たちが
波動を高める
臨界値を超える
原動力と
なるのです。
ある暗号を
起動するために
ありがとうございます。
2011年9月4日日曜日
“次なる文明の考え方”
昨日の
ブログは
「水がめ座の時代」と
いうタイトルで
書かせていただきました。
次なる進化の
ステージが
開かれていて
精神文明へと
進んでいく
ということを
書きました。
最近
若い人たちと
お話をさせて
いただくと
感じるのですが、
非常に
精神性が高い
人たちが
多いということを
感じています。
特に
平成以降に
生まれた方の中に
多く
見受けられます。
やはり
水がめ座の時代に
突入し
精神文明への
パラダイムシフトが
起こっていることと
関係しているのかも
知れません。
彼らの考えの中に
地位も
名誉も
財産も、
人が一生をかけて
追い求める
ものではないという
認識を
持つ人たちが
増えているのです。
私たちの時代
特に
戦後の
昭和20年代に
生まれた人たちには
まったく
考えられない
認識です。
私たちは
その
地位と
名誉と
財産を
追い求めて
きました。
その結果
地位や
名誉や
財産を
得られた人たちも
おりましたが
残念ながら
得られなかった
人たちも
多いと思います。
また
一度は
得られたけれど
失った人たちも
いると思います。
あれ程
やっきになって
手に入れたいと
思った
地位や
名誉や
財産を
得たとしても
必ずしも
幸福になれた訳では
ありません。
手に入れられなかった
からといって
必ずしも
不幸であった訳でも
ありません。
地位や
名誉や
財産が
絶対的な
幸福の条件では
ありませんでした。
それは
誰でも
解っていることです。
しかし、
今でも
地位や
名誉や
財産を
追い掛け回して
得ようと
やっきになっている
人たちも
見受けられます。
地位や
名誉や
財産は
得ようと思って
与えられるものでは
ありません。
地位や
名誉は
自分以外の
他からの
評価により
与えられるものです。
財産は
その地位や
名誉に
ふさわしい
ものとして
ついてくるものです。
そういった点では
何も
間違ったことは
ありません。
寧ろ
すばらしいことです。
ただ、
それを
追い求めてきて
今の現実を
見たときに
そこには
多くの犠牲が
横たわっていました。
物質文明を
追求してきた
私たちは
物質の
生産のために
自然を
破壊してきました。
自然は創造主が
創造したものです。
そのままで
完璧なものでした。
それを
物質文明を
謳歌するために
私たちは
自然の
バランスを崩し
不完全なものに
してしまいました。
開発と称して
人が楽しむ施設や
ゴルフ場等々
作る為に
森林を伐採し
自然環境を
酸化させて
きました。
それにより
生き物の
老化を早め
病気を
生産しています。
また、
大量生産
大量消費と称して
母なる大地
生を育む大地に
農薬や除草剤
酸性の強い
化学物質を
撒き散らしています。
それによって
大地にいる
人類にとって
最高に
相性のいい
生命の
大先輩である
微生物をも
殺傷してきました。
微生物を
殺すということは
私たち人間や
動植物を
殺すことに
繋がっていくのに。
雨が降って
その化学物質で
汚染された
山や大地に
浸透していき
水が汚染されて
いきました。
そして
その大地に含んだ
化学物質が風と共に
空気を汚染し
それを
人間が吸い込み
動植物も
影響されています。
生態系を
完全に
破壊してきました。
ここでも
訳のわからない
ような病気を
生産しています。
このように
人間が
人間の物質性を
満足させるために
独りよがりで
発展させてきたら
結果として
人間自身に
あらゆる
問題が
生じてきて
いるのです。
また、
酸化していき
細胞が腐って
病気に罹った
人たちに対して
その細胞を強い
化学薬品で殺すか
細胞を取り除く
ということしか
国や医療関係者も
考えていません。
どうも
自分勝手に
物事を
考えてきた
この物質文明での
中で
根本を
考えることとか
全体を見て
判断することが
出来なくなって
しまったのでは
ないかと感じます。
この物質文明での
産業は
開発して
山を切り開き
海を
埋め立て
自然を破壊させ
農薬や
化学肥料や
薬品のように、
酸化させ
難病の発生原因に
なるものを
生産・販売して
利益を
上げてきました。
冒頭に
あげました
平成の若者たちは
今迄の
物質文明が
作り上げた社会に
行き詰まり
その時代に
生まれ
育ってきた中で
人間のエゴで
作られた社会の
幸福というものの
考え方
過てるシステムの
中での
成功であると
思われてきた
地位や
名誉や
財産等
それらに対する
幻想が消え去り
つつあるのだと
思います。
真の幸福は
人間だけでは
到達できないのです。
生きとし生けるもの
万有万物
すべてが共生し
幸福になる時代です。
これからの
営みは
どんなもので
あっても
全体を考えながら
協力して
創造するものです。
今、
私たちの
している仕事が
生きとし生ける
もの全てに対し
役に立っているの
だろうかという
観点で
一日一日を
生ききること
なんだろうと
思います。
私は
いい時代に
入ってきたと
思います。
これから
私たちは
地球の環境を
修復して、
元の完全な
自然や健康を
取り戻すために
遅れてくる人たち
次の
精神文明の
担い手である
子供たちには
きれいな地球に
戻して
完全な自然を
残して
あげなければと
感じています。
今日も
共有ありがとうございます。
2011年9月3日土曜日
「水がめ座の時代」
今の時代は、
水がめ座の時代に
入っていると
言われています。
聞いたことが
ある方も
多いと
思います。
諸説があり
1956年から
入っているという
説もありますが、
キリスト生誕を起点に
西暦2000年までが
魚座の時代で
2001年から
水瓶座の時代と
言われています。
地球はこれまで
約2000年ごとに
一つの時代の変化を
迎えてきましたが、
今回の「変動」は
私たちが住む
地球ばかりでなく、
太陽系全体が
25860年に
一度迎える、
“太陽年”の変容の
周期に入って
いるのだそうで、
そのため
宇宙全体が
この地球の変化を
特に関心を持って
観察して
いるようです。
特に
この十数年
宇宙から
チャネラーを通じて
日常的に
メッセージが
送られくるように
なっています。
また、
UFO等が
上空に
頻繁に
訪れていて
多くの方が
目にするように
なっています。
来るべき
コンタクトのために
私たちに
心の準備を
促しているのかも
知れません。
では
水がめ座の時代に
入ったということが
私たちに対して
どのような
意味が
あるのでしょうか?
水がめ座の時代とは
どういう時代なの
でしょうか?
前の
うお座の時代は
競争
対立
派閥の時代と
言われていました。
この
2000年間で
いろいろな
発明があり
私たちの生活は
飛躍的に
改善され
物質的な
豊かさを
享受してきました。
物質文明が栄え
極を迎えました。
古いエネルギーの
時代です。
水がめ座は
個人の霊性を
高める時、
人類の高次への
覚醒のとき
いわゆる
精神文明の時代と
言われています。
今迄の
古いエネルギーが
もたらした
行き過ぎの
物質至上主義の
弊害とも
言うべき
心の荒廃を
修正していく時代
バランスのとれた
統合の時代
新しいエネルギーの
時代です。
物質文明は
終わり、
これからは
精神文明の時代に
入っています。
しかし、
水がめ座の時代に
入ったからといって
まだ、
古いエネルギーに
固執している
勢力も残存して
いるのです。
今の地球上には
新しい統合の
エネルギーに
順応する者と
古い物質の
エネルギーに
順応する者と、
二つの両極端に
分かれています。
日本では
3月11日に
発生した
東日本大震災以来
原発による
放射能汚染が
拡大しています。
また
それに関連して
失業や
倒産
エネルギー危機
医療の問題や
環境破壊
二次災害等の
問題が噴出しています。
世界も
例外ではなく
金融危機や
震災を始め
あらゆる
自然災害や
暴力や犯罪
内戦等々
混沌が進んでいる
ように感じられます。
これはすべて
今迄の
古い時代の
残存エネルギーが
もたらす
同一の危機の
異なった側面を
現わしているに
過ぎません。
まだ
暫くは
この危機は
続くでしょう。
もっと
大きなクライシスが
起こる可能性も
否定できません。
それは
今までの
私たちが
その原因を
創ってきたからです。
古いエネルギーが
ひずみを
ゆがみを
創ってきました。
それは
開放されない限り
真の
新しい時代は
訪れ得ないのです。
私たち
一人ひとりの
意識の在り方が
地球の破壊に
つながる原因を
創りだして
いるのです。
すべては
私たちの意識
内面に
存在する意識の
あり方が
古い価値観の
エネルギーから
発するところの
自我による
エゴからの意識なのか
新しい価値観の
水がめ座の
エネルギーから
発するところの
真我による
神性からの
意識なのか
その分水嶺に
あると
思います。
アセンションという
言葉を
聞いたことが
あるでしょうか。
一般的には
あまり使うことは
ないかも知れません。
意味は
“上昇”です。
精神世界では
“次元上昇”を
意味する言葉です。
いまこそ
この
アセンションが
重要な時代に
なりました。
まず
自らの意識を
アセンション
するのです。
それは
私たちの心の内に
既に備わっている
偉大なる力に
気づくことによって
可能になるのです。
私たちには
一人の例外もなく
深遠なる
気づきと
無限の可能性が
備わっているのです。
気づけば
今のその瞬間から
アセンションが
できるのです。
パラダイムの
変化のとき来たりです。
ケンブリッジ大学の
物理学者である
ルパート・シェルドレイクさんの
「生命のニューサイエンス」
形態形成場と行動の進化という
本があります。
(工作舎刊)
この本の中で書かれている
「形態形成場」理論は
「自然界には、
電気・磁気・重力以外の
未知の力の場つまり
「形態形成場」が存在し、
ある形や
活動が広がると
その形や活動パターンが
それに刻印され、
その共鳴作用によって
同じような
形や行動が
起こりやすくなる」と
いうものです。
共通している
ものとして
船井幸雄さんの
「百匹目の猿」
(サンマーク出版)という
本のまえがきに
書いてある
内容も
抜粋させて
いただきます。
「宮崎県の串間市、ここから約2キロメートルの
石波海岸のすぐ近くに幸島というしまがあります。
周囲約4キロメートルのこの島には、
いまは百匹ほどのニホンザルが住んでいます。
海水浴をし、餌付けされたサツマイモを
海水で洗って食べると言うので「文化猿」といわれ
観光名所ともなっています。
ところで話は約半世紀前にさかのぼります。
1950年(昭和25年)のこと、
京都大学霊長類研究所の研究者たちが、
この猿たちにサツマイモの餌付けを試みはじめました。
そして1952年に成功したのですが、
その頃は20匹の猿しか幸島にはいなかったのです。
はじめの頃、猿たちは、サツマイモの泥を
手や腕で落として食べていました。
しかし1953年のある日、
一歳半のメス猿が泥を川の水で洗い流してから
食べはじめたのです。
メス猿のこの行動は、
やがて若い猿たちや母親猿たちにまねられ、
1957年には、20匹中15匹がイモを
川の水で洗って食べるようになりました。
ところがおもしろいことに、12歳以上のオス猿は、
イモ洗いが群れに定着して10年たっても、
イモ洗いをしなかったのです。
これは人間にも当てはまります。
ボス的立場の男性ほど新しい流れに抵抗するのが現実ですから、
やはり猿と人間は似ているようです。
ところでその後、川の水がかれたことなどもあり、
いつの間にか猿たちは海水で
イモを洗って食べるようになりました。
海水の塩分がイモをおいしくしたのか、
このようにして猿たちのイモ洗いは
淡水から海水へと変わっていったのです。
そうしてあるとき、大分県の高崎山の猿たちの中にも
水でイモを洗う猿たちがいるのが見つかりました。
それは幸島で猿たちのイモ洗いが定着したあとのことなのですが、
彼らは幸島の猿たちとはなんの関係もない猿たちです。
あえていうならニホンザルという点だけが同じです。
やがて高崎山の猿たちにも
イモ洗いの行動は広がっていきました。
現在もこれは行われています。
この猿のイモ洗い現象が
遠く離れた幸島から高崎山へ伝播した現象を、
アメリカのニューエイジ科学者の第一人者
ライアル・ワトソンがベストセラーになった彼の著書
『生命潮流』 (日本語版・工作舎館)の中で
「百匹目の猿現象」と名づけ発表しました。
そのため、この言葉は広く世の中に知られるようになりました。
彼は、幸島でサツマイモを洗うニホンザルの数が
ある臨界値をこえると、その行動は幸島の群れ全体に
広がるだけでなく、遠く離れた他の場所に生息する
猿たちの間にも自然に伝わるのではないかと考えたのです。
そして、その臨界値を便宜的に
「百匹目」としたのです。おもしろい発想です。」
いかがでしょうか?
これは猿の例ですが
私たち人間も
同じでは
ないでしょうか?
最初に紹介した
シェルドレイクさんの
理論を
私たちの
意識レベルに
置き換えてみても
いいのでは
ないでしょうか。
私たちが
私たちの内面に
備わっている
偉大なる力に
気づき
真我意識に
上昇することによって
その神性から
発せられる
エネルギーが
「形態形成場」を
創ります。
その
「形態形成場」を
中心に
まず、私たちの
周囲の人たちが
目覚めへと
向かい
さらに
はずみを
つけていきます。
また
一人が覚醒し
覚醒した人たちが
ある一定の数に
達すると
その場を超えて
その影響は
日本中に
世界中に
宇宙に及んで
いくというものです。
そうなった時
私たちの世界は
真の
水がめ座の時代に
移行することが
できるのです。
一人ひとりが
自我からではない
真我からの意識から
話し合える世界です。
自と他の区別の無い
「私はあなたであり
あなたは私であります」
境界は取り払われ
それぞれのエゴは
溶解していきます。
その世界からは
すべての破壊は
消失し
真我(神我)の持つ
優しさや
思いやり
慈しみの
愛と光に満ちた
世界になって
いきます。
今、
目の前に起こることが
どんな苦難・困難
危機であったとしても
怖れてはいけません。
水瓶座の時代
それは私たちが
これから経験していく
進化のための
新しい領域です。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちの
心の内面に
地球の未来が
かかっています。
宇宙の未来も
かかっています。
水がめ座の時代
私たちには
次なる進化の
ステージ
アセンションが
開かれています。
この瞬間こそが
永遠につながる
道になるのです。
ありがとうございます。
水がめ座の時代に
入っていると
言われています。
聞いたことが
ある方も
多いと
思います。
諸説があり
1956年から
入っているという
説もありますが、
キリスト生誕を起点に
西暦2000年までが
魚座の時代で
2001年から
水瓶座の時代と
言われています。
地球はこれまで
約2000年ごとに
一つの時代の変化を
迎えてきましたが、
今回の「変動」は
私たちが住む
地球ばかりでなく、
太陽系全体が
25860年に
一度迎える、
“太陽年”の変容の
周期に入って
いるのだそうで、
そのため
宇宙全体が
この地球の変化を
特に関心を持って
観察して
いるようです。
特に
この十数年
宇宙から
チャネラーを通じて
日常的に
メッセージが
送られくるように
なっています。
また、
UFO等が
上空に
頻繁に
訪れていて
多くの方が
目にするように
なっています。
来るべき
コンタクトのために
私たちに
心の準備を
促しているのかも
知れません。
では
水がめ座の時代に
入ったということが
私たちに対して
どのような
意味が
あるのでしょうか?
水がめ座の時代とは
どういう時代なの
でしょうか?
前の
うお座の時代は
競争
対立
派閥の時代と
言われていました。
この
2000年間で
いろいろな
発明があり
私たちの生活は
飛躍的に
改善され
物質的な
豊かさを
享受してきました。
物質文明が栄え
極を迎えました。
古いエネルギーの
時代です。
水がめ座は
個人の霊性を
高める時、
人類の高次への
覚醒のとき
いわゆる
精神文明の時代と
言われています。
今迄の
古いエネルギーが
もたらした
行き過ぎの
物質至上主義の
弊害とも
言うべき
心の荒廃を
修正していく時代
バランスのとれた
統合の時代
新しいエネルギーの
時代です。
物質文明は
終わり、
これからは
精神文明の時代に
入っています。
しかし、
水がめ座の時代に
入ったからといって
まだ、
古いエネルギーに
固執している
勢力も残存して
いるのです。
今の地球上には
新しい統合の
エネルギーに
順応する者と
古い物質の
エネルギーに
順応する者と、
二つの両極端に
分かれています。
日本では
3月11日に
発生した
東日本大震災以来
原発による
放射能汚染が
拡大しています。
また
それに関連して
失業や
倒産
エネルギー危機
医療の問題や
環境破壊
二次災害等の
問題が噴出しています。
世界も
例外ではなく
金融危機や
震災を始め
あらゆる
自然災害や
暴力や犯罪
内戦等々
混沌が進んでいる
ように感じられます。
これはすべて
今迄の
古い時代の
残存エネルギーが
もたらす
同一の危機の
異なった側面を
現わしているに
過ぎません。
まだ
暫くは
この危機は
続くでしょう。
もっと
大きなクライシスが
起こる可能性も
否定できません。
それは
今までの
私たちが
その原因を
創ってきたからです。
古いエネルギーが
ひずみを
ゆがみを
創ってきました。
それは
開放されない限り
真の
新しい時代は
訪れ得ないのです。
私たち
一人ひとりの
意識の在り方が
地球の破壊に
つながる原因を
創りだして
いるのです。
すべては
私たちの意識
内面に
存在する意識の
あり方が
古い価値観の
エネルギーから
発するところの
自我による
エゴからの意識なのか
新しい価値観の
水がめ座の
エネルギーから
発するところの
真我による
神性からの
意識なのか
その分水嶺に
あると
思います。
アセンションという
言葉を
聞いたことが
あるでしょうか。
一般的には
あまり使うことは
ないかも知れません。
意味は
“上昇”です。
精神世界では
“次元上昇”を
意味する言葉です。
いまこそ
この
アセンションが
重要な時代に
なりました。
まず
自らの意識を
アセンション
するのです。
それは
私たちの心の内に
既に備わっている
偉大なる力に
気づくことによって
可能になるのです。
私たちには
一人の例外もなく
深遠なる
気づきと
無限の可能性が
備わっているのです。
気づけば
今のその瞬間から
アセンションが
できるのです。
パラダイムの
変化のとき来たりです。
ケンブリッジ大学の
物理学者である
ルパート・シェルドレイクさんの
「生命のニューサイエンス」
形態形成場と行動の進化という
本があります。
(工作舎刊)
この本の中で書かれている
「形態形成場」理論は
「自然界には、
電気・磁気・重力以外の
未知の力の場つまり
「形態形成場」が存在し、
ある形や
活動が広がると
その形や活動パターンが
それに刻印され、
その共鳴作用によって
同じような
形や行動が
起こりやすくなる」と
いうものです。
共通している
ものとして
船井幸雄さんの
「百匹目の猿」
(サンマーク出版)という
本のまえがきに
書いてある
内容も
抜粋させて
いただきます。
「宮崎県の串間市、ここから約2キロメートルの
石波海岸のすぐ近くに幸島というしまがあります。
周囲約4キロメートルのこの島には、
いまは百匹ほどのニホンザルが住んでいます。
海水浴をし、餌付けされたサツマイモを
海水で洗って食べると言うので「文化猿」といわれ
観光名所ともなっています。
ところで話は約半世紀前にさかのぼります。
1950年(昭和25年)のこと、
京都大学霊長類研究所の研究者たちが、
この猿たちにサツマイモの餌付けを試みはじめました。
そして1952年に成功したのですが、
その頃は20匹の猿しか幸島にはいなかったのです。
はじめの頃、猿たちは、サツマイモの泥を
手や腕で落として食べていました。
しかし1953年のある日、
一歳半のメス猿が泥を川の水で洗い流してから
食べはじめたのです。
メス猿のこの行動は、
やがて若い猿たちや母親猿たちにまねられ、
1957年には、20匹中15匹がイモを
川の水で洗って食べるようになりました。
ところがおもしろいことに、12歳以上のオス猿は、
イモ洗いが群れに定着して10年たっても、
イモ洗いをしなかったのです。
これは人間にも当てはまります。
ボス的立場の男性ほど新しい流れに抵抗するのが現実ですから、
やはり猿と人間は似ているようです。
ところでその後、川の水がかれたことなどもあり、
いつの間にか猿たちは海水で
イモを洗って食べるようになりました。
海水の塩分がイモをおいしくしたのか、
このようにして猿たちのイモ洗いは
淡水から海水へと変わっていったのです。
そうしてあるとき、大分県の高崎山の猿たちの中にも
水でイモを洗う猿たちがいるのが見つかりました。
それは幸島で猿たちのイモ洗いが定着したあとのことなのですが、
彼らは幸島の猿たちとはなんの関係もない猿たちです。
あえていうならニホンザルという点だけが同じです。
やがて高崎山の猿たちにも
イモ洗いの行動は広がっていきました。
現在もこれは行われています。
この猿のイモ洗い現象が
遠く離れた幸島から高崎山へ伝播した現象を、
アメリカのニューエイジ科学者の第一人者
ライアル・ワトソンがベストセラーになった彼の著書
『生命潮流』 (日本語版・工作舎館)の中で
「百匹目の猿現象」と名づけ発表しました。
そのため、この言葉は広く世の中に知られるようになりました。
彼は、幸島でサツマイモを洗うニホンザルの数が
ある臨界値をこえると、その行動は幸島の群れ全体に
広がるだけでなく、遠く離れた他の場所に生息する
猿たちの間にも自然に伝わるのではないかと考えたのです。
そして、その臨界値を便宜的に
「百匹目」としたのです。おもしろい発想です。」
いかがでしょうか?
これは猿の例ですが
私たち人間も
同じでは
ないでしょうか?
最初に紹介した
シェルドレイクさんの
理論を
私たちの
意識レベルに
置き換えてみても
いいのでは
ないでしょうか。
私たちが
私たちの内面に
備わっている
偉大なる力に
気づき
真我意識に
上昇することによって
その神性から
発せられる
エネルギーが
「形態形成場」を
創ります。
その
「形態形成場」を
中心に
まず、私たちの
周囲の人たちが
目覚めへと
向かい
さらに
はずみを
つけていきます。
また
一人が覚醒し
覚醒した人たちが
ある一定の数に
達すると
その場を超えて
その影響は
日本中に
世界中に
宇宙に及んで
いくというものです。
そうなった時
私たちの世界は
真の
水がめ座の時代に
移行することが
できるのです。
一人ひとりが
自我からではない
真我からの意識から
話し合える世界です。
自と他の区別の無い
「私はあなたであり
あなたは私であります」
境界は取り払われ
それぞれのエゴは
溶解していきます。
その世界からは
すべての破壊は
消失し
真我(神我)の持つ
優しさや
思いやり
慈しみの
愛と光に満ちた
世界になって
いきます。
今、
目の前に起こることが
どんな苦難・困難
危機であったとしても
怖れてはいけません。
水瓶座の時代
それは私たちが
これから経験していく
進化のための
新しい領域です。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちの
心の内面に
地球の未来が
かかっています。
宇宙の未来も
かかっています。
水がめ座の時代
私たちには
次なる進化の
ステージ
アセンションが
開かれています。
この瞬間こそが
永遠につながる
道になるのです。
ありがとうございます。
2011年9月2日金曜日
“闇の本質は有限”
今日の
東京は
すばらしい
よい天気です。
しかし
夕方からは
台風12号の
影響で
大雨が降るとの
気象情報でした。
南から
北西に向かって
時速10kmの
ゆっくりとした速度で
進んでいるようです。
今後の進路が
気になるところです。
私たち
人間も
今、大きな岐路に
立たされています。
今、
世界は
混沌の中にあり
数多くの
痛みや
悲しみ
怒りや
怖れが
渦巻いています。
その一方で
数多くの人たちが
霊的な
覚醒を得て
目覚めても
きています。
この
対立軸にある
二極性は
闇と
光の鬩ぎあいの様に
見えなくも
ありません。
しかし
ここで
本質をみつめて
いきますと
闇の本質は
有限であることが
わかります。
闇とは
光に対しての
対立軸ではなくて
一時の
歪みでしか
ありません。
光を
より一層
輝かせるために
闇は
あるのに
過ぎないのです。
怖れは
愛と
思いやりによって、
悲しみは
喜びによって
怒りは
受け入れる
ことによって
消えていくものです。
闇は
そこにある
スイッチを
ONにすれば
灯りがついて
消えてしまいます。
私たちは
闇を
殊更に
大きい存在にして
怖れています。
思い込みの
迷路に
悪戦苦闘しながら
辿っています。
その内に
闇や恐怖が
存在するが如く
信じ込んでいきます。
闇は
私たちの
進化の過程で
学ぶために
現れているに
過ぎないのに
闇は
私たちの
内部に
灯りのスイッチが
あることを
気づかせるために
現れているのに
過ぎないのに
闇に
打ち負かされて
光から
切り離されて
いっています。
私たちが
その本質で
あるところの
光のスイッチに
気づき
それを
ONにする
選択をすれば
そこには
光しか
存在しないことが
わかります。
私たちは
その内面に、
私たちの
起源である
至高の創造主の
神聖なる閃光を
携えています。
私たちの
聖なるこころの
中心に在る
閃光に意識を
集中する時、
その光は
さらに強い輝きを
増していきます。
私たち
一人ひとりが
その内なる
方向に
進路を向ける時
私たちの世界も
進路を
変えていく
方向に
進んでいきます。
闇の
本質は
有限であり
ただ
光を遮っている
部分に
過ぎないのですから
何を
怖れることが
ありましょうか。
大宇宙は
光です。
いくら
使っても
使い切れない程の
無限の光です。
この
無限の光は
私たち一人ひとり
だけではなく
生きとし
生けるもの
万有万物すべてに
注がれています。
安定供給
無限供給なのです。
この
宇宙の
安定性の
中だからこそ
逆に
あらゆる混沌が
生まれる
余地があるのだと
言えるのです。
ようは
あらゆる混沌は
光に収束され
変容するために
現れているのです。
混沌を混沌として
見るのではなく
光という一点に
向かう進化としての
プロセスとして
見るのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今という瞬間に
積極的で
愛に溢れる
状態で
過ごすことです。
永遠の今は
すべての時間と
空間の中に
存在しているのです。
私たちは
光の中で
大きな愛に
抱かれているのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
東京は
すばらしい
よい天気です。
しかし
夕方からは
台風12号の
影響で
大雨が降るとの
気象情報でした。
南から
北西に向かって
時速10kmの
ゆっくりとした速度で
進んでいるようです。
今後の進路が
気になるところです。
私たち
人間も
今、大きな岐路に
立たされています。
今、
世界は
混沌の中にあり
数多くの
痛みや
悲しみ
怒りや
怖れが
渦巻いています。
その一方で
数多くの人たちが
霊的な
覚醒を得て
目覚めても
きています。
この
対立軸にある
二極性は
闇と
光の鬩ぎあいの様に
見えなくも
ありません。
しかし
ここで
本質をみつめて
いきますと
闇の本質は
有限であることが
わかります。
闇とは
光に対しての
対立軸ではなくて
一時の
歪みでしか
ありません。
光を
より一層
輝かせるために
闇は
あるのに
過ぎないのです。
怖れは
愛と
思いやりによって、
悲しみは
喜びによって
怒りは
受け入れる
ことによって
消えていくものです。
闇は
そこにある
スイッチを
ONにすれば
灯りがついて
消えてしまいます。
私たちは
闇を
殊更に
大きい存在にして
怖れています。
思い込みの
迷路に
悪戦苦闘しながら
辿っています。
その内に
闇や恐怖が
存在するが如く
信じ込んでいきます。
闇は
私たちの
進化の過程で
学ぶために
現れているに
過ぎないのに
闇は
私たちの
内部に
灯りのスイッチが
あることを
気づかせるために
現れているのに
過ぎないのに
闇に
打ち負かされて
光から
切り離されて
いっています。
私たちが
その本質で
あるところの
光のスイッチに
気づき
それを
ONにする
選択をすれば
そこには
光しか
存在しないことが
わかります。
私たちは
その内面に、
私たちの
起源である
至高の創造主の
神聖なる閃光を
携えています。
私たちの
聖なるこころの
中心に在る
閃光に意識を
集中する時、
その光は
さらに強い輝きを
増していきます。
私たち
一人ひとりが
その内なる
方向に
進路を向ける時
私たちの世界も
進路を
変えていく
方向に
進んでいきます。
闇の
本質は
有限であり
ただ
光を遮っている
部分に
過ぎないのですから
何を
怖れることが
ありましょうか。
大宇宙は
光です。
いくら
使っても
使い切れない程の
無限の光です。
この
無限の光は
私たち一人ひとり
だけではなく
生きとし
生けるもの
万有万物すべてに
注がれています。
安定供給
無限供給なのです。
この
宇宙の
安定性の
中だからこそ
逆に
あらゆる混沌が
生まれる
余地があるのだと
言えるのです。
ようは
あらゆる混沌は
光に収束され
変容するために
現れているのです。
混沌を混沌として
見るのではなく
光という一点に
向かう進化としての
プロセスとして
見るのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今という瞬間に
積極的で
愛に溢れる
状態で
過ごすことです。
永遠の今は
すべての時間と
空間の中に
存在しているのです。
私たちは
光の中で
大きな愛に
抱かれているのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2011年9月1日木曜日
“今の思いを点検しよう!”
今日から
9月になりました。
早いものです。
学生さんなどは
決意も新た
今日からの
再スタートに
思いを馳せて
おられることと
思います。
今日は
思いについて
書いてみたいと
思います。
私たちの
現在の状況は
私たちが
今まで発した
思い通りに
なっています。
これは法則です。
それ以上でもなく
それ以下でも
ありません。
人間は
毎日
何かを知り
何かを信じ
何かを想像
しています。
その思いが
私たちを
形成しています。
「そんなことはない!
私は、自分の
思い通りに
なっていない!
だから
今、○○なのだ!」と
思う方も
かなりいるのでは
ないですか?
この○○には
それぞれの方の
思い通りに
なっていない
項目が
入ります。
なぜ?
そう思われる方が
多いのでしょう?
「思い通りにしたい!」
という思いは
どこから
来ているのでしょう?
「思い通りにしたい!」は
今、自分は
「思い通りに
なっていない!」から
そう思ったわけです。
ですから
「思い通りに
なっていない」
現実を
引き寄せています。
結局
自らの
思いの通りに
なるのです。
ということは
私たちは
日常の思いを
正しく発しなければ
ならないと
いうことです。
私たちは
今、
何を
思っているのかを
点検する
必要があります。
私たちは
あまりにも
望む現実ばかりに
思いが至り
今、
自分が
何を
思っているかには
関心を示しません。
まず
順序を
変えなければ
なりません。
望む現実を
得たいのであれば
まず
望む自分を
創らなければ
なりません。
今の
あなた自身の
思いを点検し
自分の思いの
傾向性が
不足感から
発して
不足しているから
これを得て
満足したいという
欲求の方向で
行動したとしても
それは
いくら待っても
その得たい現実は
得ることは
できないのです。
欲求は
自我意識から
発せられます。
自我意識からは
正しい現実は
得ることは
できないのです。
特に
これからの時代は
自我意識から
発せられる
願望は
何も実現することは
ないでしょう。
なぜ?
自我意識からの
願望は
実現できないのでしょう。
(正確には
不足や否定から
発しているので
実現しています)
それは
今、
世界に
起こっている現実を
見れば
わかります。
それが
結果なのです。
思いやり
共生
優しさ
平和
安全
美しさ等々
正しさを伴わない
願望は
限界を迎えました。
もう
自我意識からくる
独りよがりの
他を奪い
自分たちだけが
得ようとする
欲求は
一切
実現しないことに
なっています。
その犠牲に
なった同胞が
今日も
食を得られず
薬を得られず
かけがえのない
生命を
終えています。
もうこれ以上
自我意識での
欲求に
応えていける
地球では
ないのです。
食いつぶして
いるのです。
財産が
あるといって
母なる大地
地球の
預金通帳から
勝手に引き出して
贅沢三昧を
している
放蕩息子のように!
私たちは
もう
このような
生き方からは
離れなければ
なりません。
真我意識からなる
正しさの基準を
持つところの
望む自分を
創っていくのです。
不足感から
得たいと感ずる
欲求ではなく
今、
すべてを
与えられている
という観点から
思いを
発するのです。
真我意識から
発するのです。
真我意識とは
神我意識です。
無限意識です。
自我意識とは
肉我意識です。
有限意識です。
私たちの
真実は
無限に
与えられている
存在なのです
神我意識なのです。
もう既に
満たされているのです。
思いを点検するとは
自らの思いが
自我意識から
発しているのか
真我意識から
発しているのかを
点検するのです。
自我意識は
欲求からの願望で
望む現実の結果を
求めます。
真我意識は
正しい基準に照らし
望む現実を
得るために
まず
望む自分(原因)を
創ります。
真我意識は
無限であり
永遠です。
無限なのですから
失うものなど
何もないのです。
永遠なのですから
滅することも
ないのです。
自我意識は
肉我であり
有限です。
形あるものは
いつかは
消滅していきます。
あなたは
いつまで
消滅するものを
追い求め
思い続けるのでしょう。
『今日は残りの人生の最初の日』
永遠に
失うことのない
不滅の
真我意識に
気づくことです。
気づいたとき
平和と
安心の気持ちが
印されます。
今日、
今の瞬間に
気づきは
起こるのです。
それは
永遠の今だからです。
ありがとうございます。
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