2011年6月11日土曜日

自分の内の無限


私たちは、
個人として
両親から生まれ
姓名を持ち
肉体を持っています。

その両親も
それぞれに
それぞれの
両親から生まれ
肉体を持ってきました。

これは、
延々と続いてきました。
また、
今後も続いていきます。

今、
自分が存在しているのも
この永遠の営みの中で
先祖の縁をいただいて
きたからであり、

見えない先祖に対して
今、
生かされている
ことの感謝を
日々、
手向けていくことは
何より、大切なことです。

以前のブログにも
触れましたが、
私たちは、
私たちが、
両親を選択して
この時代を
この環境をも
選択してきました。

私も、
よく、親にいいました。
「好きで、
生まれてきたわけじゃない。
頼んでもいないのに、
勝手に生みやがって!」

皆さんは、
言ったことは
無いかもしれませんが、
思ったことは
一度くらいは
あるのではないでしょうか。

しかし、
事実は両親が
勝手に生んだ
わけではないのです。
私たちが、選んで
生まれてきました。
無知なるがゆえに
発した私の言葉に
恥じ入るばかりです。

それでは、
そこに
生命を
与えている存在
それは、
何なのでしょうか?

それこそが、
宇宙に遍満するところの
生命エネルギーであり
すべての
生きとし生けるものに、
生命を
宿しているところの
創造主である
神なのです。

私にも
あなたにも
鉱物や
動植物にも
ひとつの
エネルギーが
同じ
エネルギーが
存在しています。

私たちが、
人間として
この肉体ありきと
思っているものは、
ただの物質に過ぎません。

生命が
離れたと同時に、
呼吸をすることも、
動くことも
一切なくなります。

これが、
肉体における死
というものです。

これから、
暑い夏がきます。
コートを着る役目は
終わりましたので
もう、
着ることはありません。
コートは着なくても
最新の薄手の
クールビズは着ていきます。

このように
コート(肉体)の役目が
終わっても、
生命としては、
永遠に
生き続けていきます。

生命は永遠であり
久遠であり
無限であり
不死です。

私たちは
創造主の
エネルギーを
宿したもの
創造主の子
神の子です。

この大いなる真理を
久しく
忘れていただけです。

肉体のみを
すべてと思い
肉体を
喜ばすことのために
物質を得ることのために
空間を時間を
浪費してきました。

その間でも
生命エネルギーである神は
一秒たりとも
共に在ってくれて
一度も離れたことは
ありませんでした。

その大いなる寛容の性質
その大いなる愛の性質
その大いなる慈しみの性質
その大いなる信頼の性質
その大いなる美の性質
その大いなる善の性質

本質であるところの
燦然とする光そのものの
神の性質を
私たち
ひとりひとりに
わけ隔てなく
宿してくれています。

本質に生きるとは、
本来の自分
神の子であることの
自覚に立ち返り

久遠に生きる。
永遠不滅の
無限に生きることです。

それは、
私たち
ひとりひとりの内に
わけ隔てなく
宿っているところの
神性を
顕現する
神の我を
顕現することです。

内(神・天・仏)なる声が
インスピレーションとなり

今の一瞬を
神の表現者として
現すことが
真理の実践であり
悟りでもあると思います。

二千六百年前の
お釈迦さまや
二千年前の
イエスさまを
通して語られた真理も

私たちの
インスピレーションから
語られる言葉も

ひとつの神である
無限から
語られる真理です。
同じ無限です。
無差別の神です。

無限なる神は
人の上に人を創らず
人の下にも人を創る
ことはありません。

私たち
ひとりひとりの内に
お釈迦さまや
イエスさまと同じ
神が宿っています。
“汝の救いは、汝自身なり"と
イエスさまが説きました。
私たち
ひとりひとりが
救い主なのです。
救世主は
遥か遠い雲の彼方に
いるのではないのです。

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