2011年9月10日土曜日

「無限に生きる」


“私たちは
無限である。“

このブログで
何回も何回も
書いてきた
テーマです。

この世で
私たちの
目の前に
生起することは
無限の自分が
選択をしない限り
起こることは
ありません。

どんな
些細なことでも
どんな
大きなことに
見えるものでも

無限の自分が
選択した結果
起こっています。

偶然はひとつも
ありません。
すべて必然です。

でも天変地異とか
自分で選択は
出来ないでしょう。
という声が
聞こえてきそうですが、

実は
無限の自分は
深い部分で
承諾していることです。

それは
無限を
感じなければ
解りえないことです。

無限で永遠の
存在である
私たちが
日常
起こってくる
出来事に
一喜一憂しているに
過ぎないのです。

無限で永遠の
存在である
私たちが
有限を
制限を
見てるに
過ぎません。

それは
形あるものを
真実として
捉えていて
本質を
見ようと
しないからに
過ぎないのです。

私たちが
生まれる前に
今回の生の
課題を
決めて

そして
有限の肉体に
閉じこもり
無限を覆い
この世に
現れてくる訳です。

無限は
覆われているだけで
ないのでは
ありません。
唯、奥深くに
眠っているのです。

問題を解くのに
答えが
解っていたら
実力がつかないので

自らの
課題の中で
いろいろな
問題を
与えながら

ひとつひとつ
解いていきながら
実力を
あげていきます。

すべては
心の奥深くに
厳然として
存在する
無限に
到達するために
絶妙に書かれた
進化の設計図なのです。

だから
何の心配もする
必要はないのです。

簡単な
問題を
解いていたら
退屈で
あくびがでるでしょう!

わたしたちが
小学校1年生の
読み書きや
算数の
九九のテストを
されても
つまらないでしょう!

新鮮かもしれませんが(笑)

巧妙に仕掛けられた
引っ掛け問題が
隠されています。

自分が作った
問題集ですから
自分の魂の傾向性を
よく知っていますから
間違えやすい問題も
誰よりも
解っています。

そういう問題を
出します。

その問題を
クリアして
こころの奥深くに
潜在している
無限を
発見するまで
これでもか
これでもかと
問題は
現れてきます。

問題が
問題で
なくなった時

私たちは
本質なる
実相の世界
無限へと
至っていく道を
発見するのです。

元々
備わっている
無限に
気づくことに
なります。

無限というのは
不可能は無いと
いうことです。

不可能はあると
お思いですか?

そう思っていれば
不可能は
まだまだ
あります。

人間は
自分自身の
思った通りの
自分に
なるのですから
不可能を
創っていきます。

そういった意味では
思い通りの
自分に
なっているのです。

みんな
超能力者です。
思った通りに
させる能力を
持っているのですから

どうですか
そういう観点に
たって物事を
見てください。

そうすれば
日常の中で
電車で足を
踏まれたくらいで
怒っては
いけないと
いうことにも
繋がります。

それは
自分で与えた
問題に
尻尾を巻いて
ギブアップして
いるようなものです。

自分の
怒りっぽい性格を
知っている
無限の自分が
自らに
与えた
問題なのですから

頑固すぎるくらい
怒りっぽいようだと
足を踏んだ上に
踏んだ相手は
「すいません!」も
言いません。

そこで
さらに
怒り狂って
墓穴を掘ります。

私が
そうでした
堪え性の無い
すぐ怒る人間でした。

若い頃は
目が合ったといって
喧嘩をふっかけ
殴る蹴るの
暴行を加えていました。

自分が創作して
いるにも
かかわらず
魂レベルで
相手役を
引き受けてくれた
恩ある
人を殴り蹴りをする
訳ですから、
何をか況やです。

私に
あらゆる罵声や
暴行を加えられた
数多い
心の友に
心から
お詫びを
申し上げたいと
思います。

「私の作品に
出演して
いただいた上に
ギャラも
払わないばかりか
罵詈雑言、
目に余る暴行を
与えて
申し訳ありませんでした!」

「しかし、
あなたの物語の中に
私の存在が
出演者として
あなたの傾向性を
修正し
無限に向かわせる
お手伝いが
できたとすれば、
そのことは不問に
付してください。
ありがとうございます。」

こう考えていくと、
私たちの
まわりに起こる
すべての出来事は
私たちに
責任があるという
立場に
変化していきます。

私たちの
まわりに生起する
すべての体験が
怒りや
妬みや
恨みつらみといった
苦しみを伴う
感情ではなく

自分自身に
巣食っている
マイナスの
こころの傾向性に
あることに
気づいていきます。

肉体に宿った
無限の自分が
有限性に浸り切り
その限定された
ものの考え方
ものの見方に
気づくのです。

自分が
創造の源であり、
他の出来事や
人間が
問題ではないことに
気づきます。

『今日は残りの人生の最初の日』

今までは
今までです。
既にないものです。

今日、この瞬間から
私たちは
すべてに
責任をとる
立場になれます。

そう思うとき
私たちは
今後、一切
被害を被ることは
ひとつも
ないのです。

「私が知らないこと。
私が承諾
していない出来事や
人に対しては
責任は持てない」と、
いうかも知れませんが、

あなたの目の前に
起こることは
どんな
些細なことから
大きな
出来事まで
あなたが
承諾して
いないことは
決して起こる事は
無いのです。

ありがとうございます。

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