2011年11月10日木曜日

「自分を知る道」

この世に
トラブルや
あらゆる混乱の種は
尽きることのない
ように
次から次へと
現れてくるように
見えます。

いろんな人間関係の
中で起こっている
家庭間の問題
嫁、姑の世代間
ギャップによる
トラブルや
夫婦間の価値観の
相違による軋轢や
親子の絆の希薄
による虐待問題や
学校でのいじめ問題
職場での
上司との折り合いや
政治的な思想間闘争や
様々なシステムへの
不満から来る
デモやストライキ
等々

日常的なトラブルから
国家間の戦争に
到るまで
様々な混乱や
混沌は
後を絶ちません。

そして
世界は
大震災や津波
原発事故
水害や旱魃と
自然災害も
今までより以上に
規模も数も
増加しているように
見えます。

なぜ?
神も仏もあると
いうのでしたら
このような
闇の世界を
そのままにして
おくのでしょう?

神も仏も
あるものか?と
思う方も
いるかも知れません!

しかしながら
ここで
本当の事実を
告げなければ
なりません。

事実は
今、起こっている
混乱と
思われるものは

すべてが、
神の計画の中の
青写真にあること
であるのです。

これはすべて
神のお考えなのです。

あらゆる混乱や闇と
思えるものは
私たちの魂の
成長のために
用意させられた
仕掛けであるのです。

私たちに
様々な経験を
させるために
現れているのです。

私たちの
目の前に起こる
人や出来事は
私たちの魂の
進化に必要
不可欠なのです。

この混沌は
私たちの
試練として
立ちはだかっている
というのが
事実なのです。

苦難や困難の
感覚を味わって
苦難・困難の
意味を探り
そして克服して
力量をあげて
いくのです。

ブレが大きければ
大きいほど
それを克服した時に
より魂の成長も
大きいのです。

このことは
私たちに対する
神の深遠なる
愛であるのです。

私たちの
創り主である神は
私たちに
10%の自己意識を
顕在させて
残りの90%を
潜在意識下
(神意識)に潜め
その場所を
住居としました。
共に体験をするため
見届けるためです。

私たちは
原始にも生まれ
裸で暮らし
土地を開墾したり
或いは
狩猟をしたり
火を使う技術を
覚えたり
何千万年という間に
いろいろな人種を
体験し、
国籍や性別
或いは職業や
貧富の経験や
あらゆる戦い、
宗教の違い等々
ありとあらゆる
体験を続けている
存在です。

ある時は貧乏を
体験して
貧乏の感覚を味わい
貧乏の原因や
貧乏からの脱却という
体験を積みます。
或いは
克服できないまま
極貧の一生を
経験したりします。

ある時は逆の体験
大金持ちでの
感覚を通じて
どのように考え
人と関わったのか
どんなお金の使い方を
したのか
その結果どんなことを
学ぶのかを
体験していきます。

大病の経験も
そうです。
何が原因して
病気になったのか?
その意味するところを
徹底的に学ぶのです。

当事者としての場合と
或いは、
その当事者の
介護や看護を
するものとしての
体験も積むのです。

ある時は
王様で
ある時は奴隷で
また、それぞれが
立場を変わって
体験をしたり
それぞれの
立場での感覚を
味わいます。

戦争で
殺す側に立ったり
殺される側にも
立ったり
するのです。

敵同士で
ありながら
助け合う
体験もあるし
味方であるのに
共に憎しみ合う
体験もします。

人の犠牲になる
経験
人を貶める経験

あらゆる
天災や事故に遭い
不慮の死を遂げたり
大切な人を
喪って
悲嘆に暮れる日々を
送ったりもします。

事故の加害者になって
苦しむ経験も
あったかも知れません。

一生、伴侶と縁が無く
独身で過ごす体験や
プレーボーイ
プレーガールで
奔放なまま生きて
相手を苦しめる体験

また、逆の経験も
味わうのです。
どれだけ相手が
苦しかったかを
知るのです。

それも
私たちに取って
どんな体験が
魂が成長・進化を
し続けていくのか
すべては
精妙な計画なのです。

この地上にある
すべてのものは
神の御心なくして
現れるものなど
ひとつもないのが
真実なのです。

すべては
魂を成長させ
進化させるための
体験なのです。
これは
神の偉大な
愛の法則なのです。

肉体的には
悲惨な形での
死を経験したことも
数多く体験して
きました。

しかし、
私たちの魂には
神と同様に
永遠の生命が
与えられています。

不死不滅なのです。
永遠で無限な
存在として
創造されて
いるのです。

そして
神は
この肉体に
宿っている間も
私たちと
一秒たりとも
離れたことは
ありません。

ある時は
共に涙し
ある時は
私たちを励まし
ある時は共に喜んで
くれているのです。
あなたはそれを
感じている筈です。

あなたの魂を
鍛えんがために
あなたが
気がつくまで
いつまででも
待ってくれる存在
感じたことは
ないでしょうか?

あなたが
大変な苦難、困難に
出合って悩みの
渦中にある時
共に在ってくれて
励まし共に
涙する存在
感じたことが
あるでしょう!

その試練の中でも、
なるべく大きな事故は
起こさないように、
常に見守り

重要な局面に
おいては
直観という
インスピレーションを
与え続けているのです。

しかし、
私たちは
この世に
はまり込んでしまい
90%の神意識を
忘れてしまいます。

10%の自我意識が
あまりにも強く
なり過ぎて
聞く耳を
持たないように
なってくるのです。

してはいけないことを
やろうとした時に
胸に圧迫感を
覚えて嫌な気持ちに
なったことが
あるでしょう!

それが
あなたの中で
常に見守っている
神のサインなのですよ!

その行動を
止めようとして
いるのです。
その度に
あなたが感じるように
サインを出し続けて
いるのです。

あなたは
気のせいだとして
自我のまま
それを無視しているに
過ぎないのです。

或いは
感じていても
打ち消して
しまうのです。
自我という
偽者の自分の
言い訳が
もたげてしまう
からです。

嘘をついても
神は
すべてを
知っているのです。

あなたの行動の
善悪も
あなたの真実も
神はお見通しなのです。
どんな小さなことでも
知っています。

あなたが
人に善を施したならば
胸元から
押えきれない喜びが
湧いてくるでしょう。
これが
神の祝福なのです。
「よく、やった!」と
褒めてくれて
いるのです。

悪いことを
してしまった時、
嘆きの心で
「あーしまった!」と
サインを
送っているのです。

あなたに
気づかせるために
胸が圧迫する
感覚です。

それで
心が苦しくなるのです。

あなたの
真なる心
真我(神我)が
あなたに
気づかせるのです。

このように
私たちの
日常の生活の中でも
一時も休むことなく
神が働いて
くれているのです。

大いなる
神の愛が
溢れてやむことは
ないのです。

これが、
真我という私、
愛の御心(みこころ)、
神の御心(みこころ)
なのです。

本来の私、
真我からの私は
愛しかないのです。
すべては
愛のみが
存在するのです。

「私を見たものは、
神を見たものである。
なにものも
神を見たことは
ないけれども、
私を知ったものは、
神を知ったものである。」

この聖書の言葉の
私と言うのは
真我(神我)の
ことです。

真我の私を
見るもの
即ち、見つけたものは、
神を発見できた
ものなのです。

真我(神我)
到達でしか
真理は
わからないのです!

真理は私たちの
内部に在るものです。

真理は外を
いくら探しても
見つからないのです。
あなたの内側にのみ
発見できるのです。

真の我を
知ったものは、
はじめて真理を
語ることが
できるのです。

それは
愛を発見したからです。
この愛は、
お父さんやお母さん
兄弟や子どもたちの
家庭愛から始まり
隣人への愛、
そして国民への愛、
全世界の人類への愛、
果ては、
別の惑星にまで
愛が波及して
いくのです。

私が真の私を
知ったから、
この真の我は
神のご意志であり、
神の御(み)言葉で
あるからです。

何が本物か?
何が偽者か?は
私を見たもの、
私を知ったものしか
わからないのです。

いわゆる
真我からでなければ、
わかり得ないのです。

この世の無知や
苦難、困難を
克服したとき、
魂が進化し、
真我となるのです。

自分自身を知ったとき
光があたるのです。
神を知るのです。
愛を知るのです。

いかに
私たちの経験の
価値が大きいことが
理解できたのでは
ないでしょうか!

真我になったときが、
世の光になるのです。

あの世に地獄が
あるのでは
なかったのです、
この世に地獄は
存在します。

正確には
自分こそ我なり
肉体こそ我なりと思い
神から離れた時
真っ暗闇になるのです。

何故かというと
神は光だからです
光が射さないのです。
闇なのです。
その闇に留まることが
地獄なのです。

地獄も体験しなければ
私たちの
本当の故郷を
見出すことは
できないのです。
味わってみなければ
解らないのです。

地獄とは
自分が光を遮っている
部分にしか
過ぎないことを
経験するのです。

そして地獄を
克服するのです。
この地上界における
実体を知り、
真の我を知り、
初めて
神は愛深き方だと
わかるのです。

今から現れてくる
如何なる困難も
あなたの前から
姿を消します。
それは真我を
知ったからです。

この困難や苦難と
思えしものは
あなたに
克服されるために
現れているのです。

光は闇を消すのです。
闇と光の戦いなのです。
あなたの心の中で
戦っているのです。

いかなる悪も
愛という武器には
適わないのです。

最後は
愛が勝つのです。
愛は
神の力なのです。
愛は
神のエネルギーです。
愛は
神の現われなのです。

積極的に
闇に立ち向かって
いくのです。

偽者の自分
偽我から
真我(神我)へと
念いが変わることこそ
真の勇者として
生まれ変わるのです。

いかなる環境が
目の前に起きようとも、
闇の中にいながら
闇を怖れない自分、
闇を喜んで
受けて立つ自分を
体験します。

今、どんな苦境に
あろうとも、
いつかは感謝できる
自分が来るのです。

人生の困難が
魂の糧であったと
思える時が。

あなたを
傷つけた人は
あなたの前に現れた
敵と見えし人は、
あなたの
魂の成長のために
使わされた
犠牲者なのです。

神の深遠な
愛の計画の中で
魂の深奥のレベルで
その役割を
担ってくれて
いるのです。

イエスさまが仰った
「汝の敵を愛せよ!」とは
そのことを
見通されて
いたからこそ
伝えることができた
真理なのです。

私たちは
そのお陰で
闇を克服する
知恵と力を
つけていくことが
できるのです。

これを魂の成長と
いうのです。

今、この地上界は
混沌と闇の
真っ只中に
あるように
見えます。

しかし
そのすぐ先には
新しい時代が
訪れようとしています。
愛の時代です。

アクエリアスの時代の
周期に入っていると
聞いたことが
ありませんか?

あらゆる
識者や本や文献に
おいて
地球の次元上昇や
精神の時代の到来
また26000年に
一回の周期で
大きく価値観が
動く時代に突入して
いるとも伝え聞きます。

私が感じるのも
同じように感じます。
今までの時代は
混乱が分離を生み
魂の体験の時代でした。

これからは
統合の時代です。
今までの経験から
得た愛を発揮する
時代に入って
いくでしょう。

人間の魂の完成の
周期に入っていく
ように感じられます。

新しい夜明けが
始まろうとしています。

夜明け前は
暗いものです。

しかし、
いかにこの世が
混乱しようが
迷ってはいけません。
その出来事に
囚われてもなりません。

今、現れている
この世の困難は
新しい夜明けの
善なる前兆であるのです。

今の混乱は
光に向かう
転換期のために
あるのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、この瞬間に
あなたに
闇や困難が
現れているのなら
幸いであります。

あなたを
強くするために
あなたの無知を
智慧へと誘わんとする
神の愛を知るからです。

受けて立とうでは
ないですか!
力強く

闇や困難に
感謝をしましょう!

闇がなければ
夜明けの光の
眩さを感じることも
できないのです。

生かして頂いて
ありがとうございます。

0 件のコメント:

コメントを投稿