2012年3月10日土曜日

“真我の表現者たち”

神奈川県知事の
黒岩裕治さんの
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
というブログがあります。

そこに
山元加津子さんのことが
書かれていました。
山元加津子さんのことは
私のブログで
何回も紹介させて
いただいている方なので
もう既に
ご存知の方も
多いと思います。

黒岩さんのブログです。
http://oshigoto.e-nurse.net/contents_kuroiwa.php?no=65

山元加津子さんの活動と
人となりを知る上で
とても的確に
書かれていますので
紹介させていただきたいと
思います。

山元加津子さんの
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」という
メルマガを通じて
森安英憲さんのことも
縁ができました。
森安さんからも
メールが届いています。
後半に紹介させて
いただきますので
最後まで共有してください。

まずは
“黒岩祐治の頼むぞ!ナース”
から抜粋させていただきます。

『第65回 ~養護学校の先生「かっこちゃん
(本名=山元加津子さん)」について~

 今回は私の友人のかっこちゃんについて書きます。
かっこちゃんは養護学校の先生で作家、
本名は山元加津子と言います。
日本のマザーテレサになりつつある女性なんて
言われているようですから、
すでにご存知の方も多いかもしれません。

 直接お目にかかったのは一度だけですが、
交流が始まって10年以上になります。
ここしばらくは連絡が途絶えていたのですが、
先日、久々にメールが飛び込んできて、ビックリ。
かっこちゃんは今、
これまでとは全く違った世界で
またスゴイことをやりつつあるのです。

 かっこちゃんが出した本の出版社から、
ほぼ同じ時期に私も本を出版したことが
きっかけとなりました。
その「たんぽぽの仲間たち」(三五館)に描かれた
養護学校の生徒さんたちとかっこさんの交流は、
胸がじーんと熱くなる感動的なものでした。

 生徒と呼ばず、「私の大切な友達」と呼ぶかっこちゃん。
中でも強烈な印象を与えてくれたのは、
“詩人”の大ちゃんでした。
世間からは知的障害と呼ばれている子供の中に潜む
感性を見事に引き出し、心の叫びを素晴らしい詩の
カタチで私たちに見せてくれたのです。

 「僕が生まれたのには、理由がある。
生まれるってことには、みんな理由があるんや」

 「朝顔のたねは黒いけど 青い花が咲く。
赤い花が咲く。だからぼくは詩を作る」

 「遠い道でもな 大丈夫や 一歩ずつや とちゅうに 
花もさいているし とりもなくし わらびかてとれるやろ」

 詩だけを見ていたら、
大ちゃんがいわゆる知的障害児とは到底思えません。
しかし、それは私たちが知的障害と言われている人たちの
真実の姿を知らないで、勝手な思い込みによって、
イメージを作ってしまっているからに違いありません。

 確かに大ちゃんはIQは低いかもしれませんが、
そもそもIQって何なんでしょうか?
IQなんて所詮、脳のある種の機能を測る
データのひとつに過ぎません。
IQは高いけれども、人間としてはどうしようもない
バカものというのはいくらでもいるではないですか。

 かっこちゃんのスゴイところは、
IQなどには紛らわされずに大ちゃんの本当の心と
向き合うことができ、
しっかりコミュニケーションがとれることです。
だからこそ大ちゃんの天才的詩心をも
キチンと発見することもできたのです。

 かっこちゃんは文字通り天使のような女性です。
ミュージカル「葉っぱのフレディ」の
金沢公演に来てくれた時に初めてお目にかかりましたが、
私の想像を少しも裏切らない慈愛に満ち満ちた人でした。
傍にいるだけで、
じんわりとそのぬくもりが伝わってくるようでした。

 そんなかっこちゃんが今、闘っています。
かっこちゃんから久々に送られてきたメールで
私はそのことを知りました。
そして、新刊「満月をきれいと僕は言えるぞ」(三五館)
の中に、その闘いぶりが詳細に綴られていました。

 元同僚で親友の特別支援学校教諭、
宮ぷーこと宮田俊也さん(43)が2009年2月、
突然の脳幹出血で倒れたことから、
かっこちゃんの生活も一変しました。
宮ぷーは一命は取り留めたものの、
ドクターに「一生植物状態で一生、
体のどこも動きません」と宣告されてしまいました。

 しかし、「心から湧き上がるように
『だいじょうぶ』だと思った」というかっこちゃんは
毎日病室に通い、懸命に語りかけ、励まし、
手足の曲げ伸ばしをしたり、さまざまな刺激を与え続けました。
かっこちゃんは
ずっと特別支援学校で先生をやってきましたから、
どんなに重い障害を持った子供であっても、
誰もが気持ちを持っていて、
それを伝えようとしていることを知っていたのです。

 宮ぷーの脳のCTは
例のないほど大きな出血の跡を写し出していました。
反射でどこかが動くことはあっても、
声をかけても、揺すっても、体のどこも動かせないままでした。
倒れて8日目に目を開けました。

 かっこちゃんは「目が開いた、目が開いた」と
ドクターやナースに喜びの気持ちを伝えました。
しかし、ドクターは
「残念ながら、なぜか植物状態の人は昼間に目を開けて、
夜は目を閉じるのですよ」と言うばかり。
それでもかっこちゃんは動じませんでした。
自分がだいじょうぶだと思った感覚を信じたのです。

 倒れてまもなく2カ月になろうという時、
「今日は晴れですか?」というドクターの問いかけに対し、
宮ぷーはパチっと閉じました。
それでもドクターは
「万に一つも意識を取り戻すのはむつかしい」と言いますが、
かっこちゃんは信じません。

 このかっこちゃんの強い思いが奇跡を起こしていくのです。
「宮ぷーの気持ちがわかりたい」と思った
かっこちゃんの気持ちが伝わったのでしょうか、
宮ぷーは少しずつではありますが、
反応を示すようになってきました。
そして、あいうえお表を目で追うようになってきました。
かっこちゃんは目の玉の動きを必死に見ながら、
宮ぷーが何を言おうとしているのか、その言葉を探しました。

 初めて、かっこちゃんが確認できた文字は
「か」と「こ」でした。「かこ」とは何か?
それは「かっこ」ちゃんのことでした。
宮ぷーが名前を呼んでくれたことを知り、
かっこちゃんは宮ぷーの胸に顔を埋めていっぱい泣きました。
宮ぷーには意識があるし、伝えたい思いもある。
ただ、それをうまく表現できないだけの状態だったということを
かっこちゃんは確信することができたのです。

 宮ぷーはレッツ・チャットという意思伝達装置によって、
自分の気持ちを伝えられるようになりました。
器械の手を借りることによって会話ができるようになったのです。
一時、メーカーが生産を中止することになった時、
かっこちゃんは生産継続の応援メールを呼び掛けました。
その結果、メーカーも中止の決定を覆し、
生産を継続することにしました。
かっこちゃんの思いが伝わったのです。

宮ぷーは今、レッツ・チャットでブログを書いています。
http://ameblo.jp/miyapu-ohanashi/

宮ぷーがどのように回復していったかは
動画サイトで確認することができます。
http://www.youtube.com/watch?v=jyGrJ5bfa1E

言葉だけではイメージしにくい話ではありますが、
映像を見れば一目瞭然です。
かっこちゃんは毎日、宮ぷー日記を書いています。
http://www.mag2.com/m/0001012961.html

 かっこちゃんはやっぱりスゴイ人です。
宮ぷーを毎日、支え続けているだけでなく、
意思伝達装置がまだ十分に普及していない
現状を変えようと、具体的なアクションを起こしています。
おはなしだいすき。
http://ohanashi-daisuki.com/

 自分が倒れたときに、
「意思伝達の方法を長期にわたって探ってほしい」というカード、
ノーティス!カードも提案しています。

 そんなかっこちゃんのことを
ナースのみなさんにも幅広く知ってもらいたいと思い、
ご紹介した次第です。
ナースにとっても
見習うべき点がたくさんあるのではないでしょうか。(以上)
抜粋了

いかがでしたか?
かっこちゃん
(山元加津子さん)のことを
知っていただくのに
黒岩さんのこの文章は
一目瞭然と思います。
どんなに素晴らしい方か
お分かりいただけたと
思います。

また、そのかっこちゃんの
メルマガで知った
森安さんも
何回も紹介させて
頂いていますが
とても素晴らしい方です。
私の過去のブログに
戻って参照してください。

森安さんからは
こんなメールを
頂きました。

『こんばんは。萬谷さんのリサイタルに
足を運んでくださりありがとうございました。
由緒ある舞台で豊かなときをすごされたと思います。
私も11日に奈良で、萬谷さんのリサイタルに行きます。

養護学校コンサートの感動を忘れない
当時の生徒たち・保護者が多数来場予定で、
立ち見が出ること間違いありません。

奈良でのリサイタルは、
会場整理・受付に養護学校の生徒が参加します。

卒業式シーズン・入学式シーズンになりました。
卒業式は感動で涙するものです。
入学式は?それは晴れやかな気持ちでしょう?
世の中、そうとばかりは限らないんですね。

私は毎年、複数の養護学校から、
卒業式・入学式に呼ばれます。
そこで感じたことやそれを元に書きとめた手記を、
短い文章ですが下記します。』

と書いてあり
下記のはじめは
「入学式に思うこと」
後半は
「同じであること、分けること」
というタイトルで
手記を送って
頂いています。
共有してください。

「入学式に思うこと」

『「ご入学おめでとうございます」

入学式での来賓の挨拶の常識です。
でも、養護学校の入学式に出席した私は、
子どもたちの顔を見て、
その挨拶ができませんでした。

高校の入学式。自立への一歩を踏み出す日。
不安は大きくても、晴れやかな顔をするものです。

養護学校に入学した
子どもたちも同じ気持ちなのだろうか。

中学までは地域の学校に行き、
高校で自分だけ道をそれてしまった。
何で自分は「障害者」と言われるのか。
なぜ障害があったら
みんなと違う道を歩かなければならないのか。

この学校に来た子どもたちは、
みな同じ思いを持っていると思います。
一歩外に出ればそこには理解のない社会が待っている。
そして、学校でも、その社会に合わせるように、
厳しい教育をされます。

そんな子どもたちが、
入学式で晴れやかな気持ちのわけがないと、
私は思いました。

私はこの子どもたちといっしょに歩きたい。

「みなさん。3年間よろしくね」
これが私の子どもたちへの挨拶です。

---

「同じであること、分けること」

地域の学校でうまくいかず
養護学校に来た子どもたち。

あの子は養護学校だから、
障害者だからと区別される子どもたち。

タテマエはきれいごとを言うが、
手に負えない子を体よく排除する私たち。

本当は同じがいいんだけどねと
私たちは口では言うのだけど・・・。

私の住む隣町の駅前にスーパーが進出しました。
昔からその土地には地元のパン屋さんがありました。
パン屋さんは経営の危機を迎えました。
結局パン屋さんは不本意ながら、
スーパーの食品売り場の一角に場所を借りて
店を続けることにしました。

スーパーの食品売り場にはもちろん、
大手メーカーのパンコーナーもあります。
食品売り場のレイアウトでは、
パン屋さんとスーパーのパンコーナーは
大きく離されていました。
パン屋さんの商売を圧迫するような
レイアウトを避けたのだと思います。

でもやっぱりパン屋さんは売上が落ちました。
」お客さんがスーパーだけで
買い物を済ませてしまうからです。

それは何年も続きました。
ところがある日
スーパーに行ってみて私は驚きました。
スーパーのパンコーナーが
パン屋さんの真横に移動してたのです。
ついにスーパーが
パン屋さんを排除しにかかったのかと思いました。

しかししばらくその場で見ていて、
私はそれが違うことに気がつきました。
パンコーナーに来たお客さんは、
同じ売り場としてパン屋さんのパンも見て歩き、
そしてパン屋さんのパンも買っているのです。
同じパンなのだから、
同じ場所でお客さんに見てもらおうという
スーパーの発想の転換だったようです。

同じであれば問題がおき、
理由があって分けたのだけど、
分けるということがまた、新たな問題を生む。

でも私は思います。
同じであること、分けること。
どちらがいいかという方法論ではない。
問題を生んでいるのは「方法」ではなく、
私たちの心です。
スーパーのパン屋さんを見ながら
そんなことを考えていたのは私ぐらいでしょうか 笑。』
---
森安 英憲

『今日は残りの人生の最初の日』

自分
自分たち
自分たちの地域
自分たちの国
自分たちの等々・・・。
その心は
自我の延長にあります。

自我は人と人を
分け隔てます。
自と他は別のものでは
ありません。
すべてはひとつです。
真なる我
真我こそが
ひとつに
まとまる道なのです。
私たちは
例外なく
神の表現者であります。
その自覚が
待たれているのです。

共有有難うございます。

生かしていただいて
ありがとうございます。

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