2011年5月31日火曜日

自らを愛す

まず、
私たちは
自分を許し、
自分を
愛してください。

この宇宙に、   
存在するのは、
愛のみです。

まず、
自分に対して
愛を充分に
注いでください。

自分を許し
自分に愛を
注ぐことから
はじめなければ、
他人に対して
愛を注ぐことが、
できません。

自分を
愛することが、
苦しみの
元になっている原因を
取り除くことができます。

自分を
愛さないで
どうして
神の愛を感じられますか?

神は愛です。
すべての
生きとし生けるもの
すべての
ありとあらゆる物質は
神の愛によって
創造されました。

愛は
宇宙的な
コミュニケーションです。

それは
宇宙をつくり
宇宙を動かしている
エネルギーです。

すべてに
存在しているのです。
私にもあなたにも

ただ、
自分を許し
愛することを
決めればいいのです。
確認して
受け入れればいいのです。

私たちは
神の
決して、
尽きることのない愛を
無限供給されています。

今日、
今の瞬間から
その愛を
自分に
そして
すべてに注ぐことを
決意して
今日一日を
乗り切っていきましょう。

2011年5月30日月曜日

心を開いて生きる

次の一歩は、
いまの一歩によって
知ることが出来る。

一瞬一瞬が本質的に、
全ての命を
作り出す世界を
その中に持っています。

でもこれは、 
わたしたちが本当に
今という瞬間に生きてこそ、
初めてわかることです。

ほかの方法では
それを
知ることはできません。

創造主のリアリティを
知性で知ることや、
頭脳によって
思い巡らすことはできません。
それは、
ただ味わうことなのです。

私たちは
自分の歩く道を
捜し求めることが
目的だと
信じています。

しかし、
それは
プロセスに過ぎず
真実は、
既に、
私たちの内奥に
あるところの
精神的聖域に
下りて行けばいいことです。

しばらく、
忘れていたことを
思い出すだけなのです。



一粒の砂に
永遠を見、
野の花に
天国を見ることです。

愛をもって
気づくのです。

愛をもって
花を感じるのです。
体感するのです。

花の芳しい香りを
楽しんでください。

その美しい花を
支えている
葉っぱや茎や根っこの力も
力強く感じるのです。

その美しさも
そのやさしさも
その支えている力も
それは
あなたそのものなのです。

そのことを
信じてください。

あなたが
それを感じ
あなたが、
それを見ていること
そのものが
あなたの本質であり
証明なのです。

今という、
確かな時間の
その一瞬一瞬を
すべてのものに対して
心を開いて生きることです。
愛をもって生きることです
すべてはひとつなのです。

2011年5月29日日曜日

“許す”ということ

私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
怒りを持ちます。

私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。

それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。

私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。

私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。

それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。

自我は
エゴと
言い換えても
いいでしょう。
分離に
向かいます。

神我(真我)は
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、
一体性に向かいます

エゴに対して
エゴで向かっても、
決して、
まとまることはありません。

怒り、
妬み、
嫉み、
愚痴などは
エゴから生じます。

この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。


私たちの内面に
あるところの
神我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。

許すということは
自分自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。

許しは
私たちにとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。

この許すということを
瞑想の中に
取り入れましょう。

私たちが
神我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。

それは、
魂のための栄養であり、
私たちの中の
神我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです

2011年5月28日土曜日

創造主と共に


私たちの
内面にすべての力
愛、叡智、
そして手段としての
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てを
所有していて、

創造主である神とつながり、
導かれています。

この厳粛なる
事実を認識して
こころから信頼してください。

この創造主からの
愛と光は
私たち自身の
こころの歪みが創出した
数多くの障害物を取り除き、
“怖れ”は消滅し

平和で安全な
幸せに満ち足りた
気持ちになります。

実は、
この創造主とのつながりを
認識することから
瞑想は、
はじまっていきます。

私の住むこの美しい地球

その地球を構成する
バランスの取れた
自然のパノラマ

わたしの人生を
美しく彩るために、
あらゆる立場で
係わってくれる方々、

深く
思いを巡らせながら
感謝の気持ちで
瞑想に入っていきます。

この
永遠の生命の中の
瞬間を
感じ、
愛おしく、
大切に味わい、
自分自身を優しく包み
かけがえのない
すべての生命を愛します。

その聖なる心のまま
しばらく愛に留まり

神からの
人生の贈り物
地球での旅の中で
愛と優しさを
実践していきます。

それは、
すべてはひとつであり
生きとし生けるもの
すべての中に
神が
宿っていることを
確認する旅なのです

2011年5月27日金曜日

イメージとビジュアライゼーション

これまで私は
自らの内部に
繋がることの
重要性を
何度も
お伝えしてきました。

それでは
そのためには
どうあらねば
ならないでしょうか。

そこで
参考になるか
わかりませんが
私は以前
仕事で
リラクゼーションプログラムの開発を
していたことがあります。
その仕事の内容については
長くなるので
詳細は避けますが

その中で、
特に
スポーツ選手のために開発した
プログラムの一部を紹介します。

世界のホームラン王の
王 貞治さんが
全盛時代、
バッターボックスに入って
集中したときに、
ピッチャーが投げるボールが
まるで
止まっているように見えた。
という話を
聞いたことがありませんか。

多分、
現大リーグのイチローさんも
王さんと同様、そういう経験をしていると思います。

一流のパフォーマーは
野球だけに限らず
どんなスポーツでも
このような
体験を持っています。

そこで
地道に練習を
継続することと、

絶対に欠かせないのは
冷静で落ち着いた心を
開拓するということです。

そういうプログラムを
個々のスポーツ選手に
提供していました。

それは、
集中力、
ビジュアライゼーション、
積極的姿勢の全てが
存在する場所、
つまり心の奥深くにある
精神的聖域に、
パフォーマー自身の
内部に到達する手助けをする
プログラムです。

リラックスしているけれども
完全に心が集中した
心の状態を創るということです。

その状態になる上で
重要なことは
イメージと
ビジュアライゼーションです。

それを少し説明していきます。

イメージは実際に、
パフォーマーの
肉体の動きを改善します。

精神的にリハーサル、
あるいはイメージを行う時、
私たちはそれぞれの動作を
青写真に撮っており、
深く、無意識のレベルで
より熟知した体感をしているのです。

ビジュアライゼーションとは
見ることであり、
イメージは
体感することです。
どちらも役に立つ
精神的な
トレーニング技術です。

厳密に
ビジュアライゼーションとは
何でしょうか。
またイメージと
どう違うのでしょうか。

自分が海岸にいた時のことを
思い出せますか?


『岩にぶつかる
波の音が聞こえ、

かもめが
餌を求めて
鳴いているのが
聞こえました。

砂に反射する
太陽が見え、
岸辺を歩くと
水平線を
見ることができました。

今、目を閉じれば、
まだこの光景や、
水際に立っている
自分自身を
見ることができ、

飛んでいるかもめや、
海岸に
訪れたことに結びつく
その他の光景を
見ることができるでしょう。』

これが
ビジュアライゼーションであり、
自分の心の中で
見ることです。
自分を
視覚的に表すことにより、
技術を
正すことができるのです。

脳波が
α波(アルファ波:7ヘルツ~11ヘルツ)の時に生じる
心の機能であり、
リラックス状態に
近づくことを必要とします。

一方、
イメージというのは、
例えば、
水泳選手が
イメージを用いると、

『足の下の
飛び込み台や、
滑り込んだ
水の感覚を感じ、
水の中で見ている
コースラインや、
勝利を得た時の
プールの端を見ているのを
想像することができるのです。』

脳波がθ波(シータ波:3ヘルツ~7ヘルツ)の時に生じる
心の機能です。

実際に
これは一部を
紹介したに過ぎませんが、

それぞれのパフォーマーの
状況に合わせて
設計をして
提供をしていました。
提供したすべてのパフォーマーが
実行に移す前と比べて
飛躍的に記録はあがりました。

このように
私たちは
静かに、こころを落ち着かせ
瞑想をするときに
イメージと
ビジュアライゼーションを
上手に取り込むことによって
私たちの心の奥深くにある
精神的聖域に到達するに到る
洞察力を得ることが
できるようになると感じましたので
紹介させていただきました。

参考にしていただけたら幸いです。

2011年5月25日水曜日

現象に囚われるな

私たちを
取り巻く
現象は

3・11の
あの大震災を境に
風景や価値観が一変しました。

日本人の多くが
初めて体験をした
大きな出来事でした。

地震において
たくさんのかけがえのない
生命が喪われました。
道路や建物や
あらゆる物質的なものが
烈しく破壊されました。

津波によって
それは、さらに
跡形も無く
葬り去られました。

原発の心臓も抉られ
原発の血液ともいうべき
プルトニウムも流れ
空気や土壌や海流に
不規則に
飛翔し浸透し流れ込んでいます。

まるで
小さな
悪い芽を
放置していたばかりに
気がついたときには
取り返しのつかない
闇の中に在る
悪魔のように

混沌
苦痛
疑惑
怒り
絶望の淵に
喘いでいます。

このままでは
本当に
沈没して
しまうかもしれません。


しかし、しかし、しかし
宇宙の真実は
闇の中に在るすべては

私たちの心が
光を
歪めている時の
反映としているに
過ぎないのです。

実相であるところの
無限の中においては
永遠に翳ることのない
光輝く存在なのです。


与えても与えても
決して
失うことのない
愛の如くの存在なのです。

現象の中で
何度も何度も
痛めつけられ
踏みにじられても
ギブアップしない
完璧な魂が実体なのです。

実は
今生において
初めて体験した
出来事だと
思っているでしょうか?

私たちの魂は
数え切れない
輪廻の中で
この現象の世界で
見聞きした
あらゆる出来事は
体験しているのです。

自らの
心の内奥にあるところの
意識には
それらの経験が
私たちが
引き出そうとさえすれば
いつでも
ウォーミングアップして
待ってくれているのです。

私たちの本質は
光や愛
無限や善
安全や美
融和や希望    
勇気や歓喜の
性質を持つ    
大いなる存在であり

すべての否定的な
経験というものは
その光と愛を
新たに賛美するための
役割を持っているに
過ぎないのです。

2011年5月24日火曜日

闇の本質は有限

私たちは
闇を、
恐れます。

正確に言うと
闇は怖いもの

そう信じています。

まるで、
実体があるが如く

すべての闇は、
光が
妨害されているに
過ぎません。

暗闇の部屋の中にいても、
スイッチを入れれば
明るい灯が点るでしょう。

闇の本質は有限であり、

私たちの、
誤った幻想が
送り込むところの
影に過ぎません。

その影が
私たちを光から、
遠ざけています。

私たちは、
もともと
光の存在であり、
無限なる永遠の生命です。

無限が
有限の闇に
負けるわけはありません。

ただ、
闇は一時的に、
私たちが
学びを得るために
現れているに過ぎません。

私たちが、
光輝く
神の化身であることを、
確信するために。

そういった意味においては
闇にも感謝をしなければ
なりませんね。

2011年5月23日月曜日

困難をこそ、愛する

私たちは
何か大きな困難に
出会ったとき
とても苦痛で
逃げ出してしまうか、
焦燥の念にかられ、
性急に処理しようと
行動してしまうことがあります。

そのどちらも、
真の解決に至ることはありません。

解決をすることが
目的ではないからです。

辛抱強くあり、
その未解決の
問題自体を
自らの
進化のために

こころより歓迎し
わからないこと自体を
やさしく愛するよう
心がけることです。


大切なのは、
未解決の
未知の部分も含めて
すべてを
生ききることです。
そのプロセスをこそ
愛するということです。。

すると、徐々に
自分の道を
歩いていることに
気づくことでしょう。




さまざまな困難と
思われるものは
たんなる
障害物ではありません、

私たちの心に巣食う
闇の部分の
あらわれであることに
気づきの光を投げかけ

内在する神性
優しさ
寛大さ
勇気
慈悲などの
愛の発露を
引き出し

大きな深い理解を
与えてくれる
機会を
提供してくれているのです。

魂を磨く砥石なのです。

2011年5月22日日曜日

『神の覚え書き』つづき

一つ前の『神の覚え書き』からお読みください。このページはつづきです。

あなたはわたしの最高の創造物。
 あなたのなかには、世界の偉大な都市を破壊し・・再生することのできる充分な原子エネルギーが含まれているのです。
 これでもあなたは自分が貧しいと言うのですか?
 いいえ、あなたは裕福です!たった今、あなたの富を一緒に数え上げてきました。目録を振り返ってみてごらんなさい。もう一度、それを数えてみなさい。自分の財産を数えてみるのです!
 なぜあなたは自分を裏切ったのですか?人間のすべての恵みが自分から剥ぎ取られてしまったと嘆くのはなぜですか?自分に人生を変える力がないと、どうして自分に嘘をついたのですか?あなたは才能も、五感も、能力も、楽しみも、本能も、感覚も、誇りもないと言うのですか?希望もないのですか?敗北した巨人のようにどうして隅に縮こまっているのですか?じめじめした地獄の中がそんなにもいいと言うのですか?
 あなたは多くのものを持っています。あなたの恵みはコップから溢れています。・・贅沢によって甘やかされた子供のように、それらにあなたは気づかないのです。わたしは気前良く平等にそれらのものを授けたのです。
 わたしに答えてください。
 自分自身に答えてください。
 あなたが自分の恵みをそんなにも軽々しく扱うなら、年老いて病に倒れ。弱って絶望した裕福な人間ですら、地下に溜め込んだ黄金を、若さや健康と引きかえようとしないでしょう。
 幸福と成功に導く第一の秘密を教えてあげましょう。あなたは今このときでさえ、偉大な栄光を達成するために必要なすべての恵みをもっているということです。それらはあなたの宝であり、今日から、新しいより良い人生の基礎を作るための道具なのです。
 ですから、自分の恵みに感謝し、すでに自分が偉大なる創造物であることを認識して下さい。それが、この世で一番の奇跡を行ない、生きた屍から蘇るためにあなたが従わねばならない第一の法則です。
 貧しさの中で学んだ教えに感謝しなさい。なぜなら、物を持っていない者が貧しい者ではないからです。より多くを欲する者だけが貧しいのです。真の安心は、持っている物の中にはなく、物を持たなくてもできることの中にあります。
 あなたを失敗に導いた不利な条件はどこにもあるのですか?あるのはあなたの心の中だけに過ぎません。
 自分の恵みに感謝しなさい。
 第二の法則は第一の法則に似ています。
 第二の法則は、自分のかけがえのなさを主張するということです。
 あなたは自分を無縁基地に閉じ込め、自分自身の失敗を許せないまま、自己憎悪と罪の意識で自分を責めつづけています。自分自身や他人に対して犯した罪を糾弾しつづけています。
 あなたは不思議に思うかもしれません。あなたが自分の失敗や罪、あさましいふるまいを許せないのに、なぜわたしが許せるのかと。
 あなたに三つの理由を教えましょう。第一にあなたはわたしを必要としています。あなたは灰色の凡庸さの塊の中で破壊に向かって進む群衆の一人ではありません。そして、あなたは偉大でまれな存在なのです。
 レンブラントの絵画、ドガのブロンズ像、ストラディバリウスのバイオリン、シェークスピアの戯曲を思い浮かべて下さい。それらは二つの理由で偉大な価値を持っています。一つは創作にあたった者が達人であるということ、もう一つは、その数が少ないということです。けれども、それらのうちのどれよりも、めずらしいものがあります。
 あなたこそ、地球上で最も貴重な宝なのです。自分を創り出したものが誰かを知っているだけではなく、自分がこの世にたった一人しかいない事を知っているのですから。
 人類の歴史がはじまって以来、この惑星の上を歩いたことのある七百億人の中に、あなたとまったく同一の人物は誰もいないのです。
 この世の終わりまで、あなたのような人物は出てこないでしょう。
 あなたは自分のかけがえのなさを知りもしなければ、評価もしてきませんでした。
 でも、あなたはこの世でもっともまれな存在なのです。
 崇高な愛の瞬間、あなたの父親から数にして四億以上のおびただしい愛の種子が流れ出しました。あなたの母親の胎内を泳いでいる途中、そのすべてがあきらめて死んでいったのです。たった一つ、あなたを除いてすべてが。
 あなただけが母体の温かさ中で辛抱し、あなたの片割れであるたった一つの細胞を探し求めたのです。その細胞はとても小さいので、子宮を満たすために二百万個もの細胞が必要でした。しかし、どんなに小さな確率でも、その広大な暗闇と混乱の海の中で、あなたは我慢し、極微の細胞を見出して合体し、新しい人生をはじめたのです。他でもないあなたの人生を。
 あなたはすべての子供がそうであるように、まだ人間に失望していないというメッセージを構えて到着しました。そうして二つの細胞は奇跡の融合をとげたのです。二つの細胞のそれぞれは二十三対の染色体を含み、各染色体の中には、何百という遺伝子が含まれています。それらの遺伝子があなたの瞳の色や魅力的な物腰から脳の大きさに至るまで、あなたの特徴をすべて司るのです。
 四億もの精子と、各染色体の何百もの遺伝子を組み合わせれば、三百兆もの異なった人間を生み出すことが可能なのです。
 けれども、誰をわたしは生み出したでしょう。
 あなたです!たった一人しかいない、かけがえのないあなたです。心や言動、動きや容貌や行動において、これまで生きていた誰にも、今、生きている誰にも、これから生まれてくる誰とも同じでない性質を備えた値段のつけようのない宝物。
 あなたは値段のつけようのないほど値打ちがあるのに、どうして自分を安売りしてきたのですか?
 あなたをけなす人の言うことにどうして耳を傾けたのですか?なお悪いことに、どうして彼らを信じたのですか?
 わたしの忠告を聞いてください。これ以上、自分のかけがえのなさを暗闇に隠してはなりません。表に出すのです。世界に示すのです。あなたの兄が歩くように歩いてはなりません。あなたの指導者が話すように話してはなりません。人が働くように働いてはなりません。自分自身でありなさい。自分のかけがえのなさを世界に示しなさい。そうすれば、世界はあなたに黄金を持って応えるでしょう。それが幸福と成功に導く第二法則です。
 あなたのかけがえのなさを主張しなさい。
 今、あなたは二つの法則を手に入れました。
 自分の恵みに感謝しなさい!自分のかけがえのなさを主張しなさい!
 あなたに不利な条件など何もありません。あなたは凡庸ではないのです。
 あなたは他人に意見を合わせます。無理に笑顔も作ります。自分を偽っていることも認めます。
 次のあなたの不平はなんでしょう?自分にチャンスが巡ってこないということですか?
 そのようなことは終わりになります。今、わたしがあなたにあらゆる企てに成功する法則を教えるからです。何世紀も前、この法則は山頂からあなたの祖先に与えられました。ある者たちはその法則を重んじたがゆえに、幸福と成功と富と心の平和に満たされた人生を送りました。けれども、ほとんどの人たちはそれに耳を貸しませんでした。というのも、魔法の手段やよこしまなやり方を探し求め、彼らに豊かな人生をもたらしてくれる幸運という悪魔を待っていたからです。彼等は虚しく待ちつづけました。ちょうどあなたが待っているように。そして、あなたが泣いたように泣き、幸運の不足をわたしの意志のせいにして責めました。
 その法則は単純なものです。老若男女、貧民も王も、誰でも自分のためにこの秘密を用いることができます。成功のあらゆる法則やどうしたら成功できるかについて言われたり、書かれたりしてきたものの中で、この方法だけがしくじったことがありませんでした。
 「もし、誰かが、あなたをしいて一マイル行かせようとするなら、その人と共に二マイル行きなさい」・・つまり自分の枠を超えるという法則です。
 それが第三の法則です。あなたの夢を超えた豊かさと喝采を生み出す秘訣なのです。
 自分の枠を超えなさい!
 たった一つの確かな成功の手段は、どんな仕事をしていようと、自分に期待されている以上の奉仕をすることなのです。それは歴史が始まって以来、成功した人たちすべてが従がってきた習慣です。したがって、自分自身を凡庸にさせておくためのもっとも確実な方法は、支払を受けているぶんだけの仕事をすることだと言えます。
 自分が受け取っているお金以上の仕事をするのは騙されている証拠だと思ってはいけません。なぜなら人生には振り子があって、あなたのかく汗は今日、報われなくても、明日、十倍になって戻ってくるからです。凡庸な人間は自分の枠を決して超えようとはしません。自分を騙すべきではないと思うからです。しかし、あなたは凡庸な人間ではありません。枠を超えるのは自分自身の意志で承認しなければならない特権なのです。それは避けられないし、避けてはなりません。それを無視し、他人と同じようにほとんど何もしないでいてみなさい。そのときの失敗の責任をとるのはあなた以外にありません。
 自分の枠を超えて奉仕すれば、必ず報酬がついてまわります。原因と結果、手段と目的、種と果実、これらは引き離すことができないのです。結果はすでに原因の中に咲いています。目的はすでに手段の中に存在し、果実はつねに種の中にあります。
 自分の枠を超えなさい。
 不快な主人に仕えていても、気にしてはなりません。彼にもっと奉仕しなさい。
 そして、あなたに借りがあるのは、彼ではなく、わたしということにして下さい。そうすれば、刻一刻と余分な奉仕への報酬が支払われているのが感じられるでしょう。すぐに報酬がこなくても、心配しないようにしなさい。長い間、支払が止められていればいるほど、あなたにとっていいでしょう。利息に利息が重なるというのが、この法則の最大の利点なのです。
 あなたは成功を強要することはできません。成功に値することができるだけです。そして今、まれなる報酬に値するために必要な、偉大なる秘密を知ったのです。
 自分の枠を超えなさい。
 チャンスがないと言って泣いた場所はどこにありますか?見なさい!あなたの周囲を見まわしてみなさい。つい昨日、自己憐憫でのたうっていた場所で、あなたは黄金のカーペットの上を背筋を伸ばして歩いています。何も変わってはいません・・あなた以外に。そしてあなたがすべてなのです。
 あなたはわたしの最大の奇跡。
 この世で一番の奇跡。 
 今や、幸福と成功に導く法則は三つあります。
 自分の恵みに感謝しなさい!自分のかけがえのなさを主張しなさい!自分の枠を超えなさい!
 根気づよく進まなければなりません。感謝の気持ちをもって自分の恵みを数え上げ、誇りを持って自分のかけがえのなさを主張し、自分の枠を超えて進むのです。これらのことは、瞬きする間には実現されません。苦労に苦労を重ねて獲得したものこそ、もっとも長持ちするのです。自分で財産を築いた者の方が、相続した者より自分の財産を大切にするのと同じです。
 新しい人生に入っていくのを恐れてはなりません。崇高なことを成し遂げようとすると必ずリスクが伴います。リスクを負うのを恐れる者は、崇高なことを成し遂げようと期待してはなりません。今やあなたは、自分が奇跡であるのを知っています。奇跡には恐怖はないのです。
 誇りを持ちなさい。あなたは人生の研究室で実験をしている気まぐれで無頓着な研究者ではないのです。理解できない力の奴隷ではないのです。あなたはほかならぬわたしの力の自由な表現であり、わたしの愛の自由な現われなのです。あなたは一つの目的を持って創られました。
 わたしの手を感じなさい。わたしの言葉を聞きなさい。
 あなたはわたしを必要としています。わたしはあなたを必要としています。
 われわれには再建すべき世界があります。もしそれに奇跡が必要なら、その奇跡とはなんでしょう?わたしたちが両方とも奇跡だということです。
 わたしは、はじめて巨大な波からあなたをつむぎだし、砂の上にあなたを打ち上げた日以来、あなたへの信頼を失ったことがありません。あなたの時間にすれば、それは五億年以上も前のことでした。三万年以上も前にあなたを完成させるまで、たくさんのモデル、形、大きさがありました。それ以来、あなたを改善する努力をしていません。
 というのも、どうして奇跡を改善することができましょう?あなたを見るだけで一つの驚異であり、わたしを喜ばせました。わたしはあなたにこの世界とその統治権を与えました。それから、あなたが自分の可能性を完全に出しきれるように、わたしはもう一度、あなたの上に手を置き、今日でさえ、宇宙のいかなる生物にも知られていないパワーを授けたのです。
 わたしはあなたに、
 考える力をあたえました。
 愛する力をあたえました。
 意志の力をあたえました。
 笑う力をあたえました。
 想像する力をあたえました。
 創造する力をあたえました。
 計画する力をあたえました。
 話す力をあたえました。
 祈る力をあたえました。
 あなたを誇りに思うわたしの気持ちには限りがありません。あなたはわたしの究極の創造物、もっとも偉大な奇跡なのです。完璧な生き物なのです。いかなる風土や困難、挑戦にも応じられる存在、わたしからの一切の干渉がなくても、自分自身の運命を操ることができる存在。感じたものや知覚したものを、本能的にではなく、考え、熟慮することによって、自分自身や全人類にとって最良の行動に変えることのできる存在なのです。
 かくして、われわれは成功と幸福の第四の法則にいきつくのです。わたしは、もう一つ、天使さえ持っていない偉大な力をあなたに与えました。
 選択する力です。
 この贈り物によって、わたしはあなたを天使より上位に置いたのです。なぜなら、天使は選ぶ自由を持っていないからです。わたしはあなたに自分の運命の完璧な制御権を与えました。自分の自由意志に相談して、あなた自身の性質を自分で決めるよう告げたのです。あなたは本質的に天国的存在でも、地上的存在でもありません。自分の好みに応じた形に自分を作る自由を持っているのです。あなたは最低の生命に堕落する自由を持ちましたが、それと同時に、魂の判断により、神聖な高次元の生命に生まれ変わる力も持ったのです。
 わたしはあなたから偉大な力、選択する力を取り上げたことはありません。
 この莫大な力をあなたはどうしましたか?自分自身を見つめてください。これまでの人生にあなたがなしてきた選択を振り返ってみてください。
 過ぎ去ったものは過ぎ去ったものです。今、あなたは第四の偉大な幸福と成功の法則を知っています・・自分の選択する力を賢く使いなさい。
 憎むより、愛することを選びなさい。
 泣くより、笑うことを選びなさい。
 破壊するより、創造することを選びなさい。
 あきらめるより、忍耐することを選びなさい。
 人のうわさ話しをするより、褒めることを選びなさい。
 傷つけることより、癒すことを選びなさい。
 盗むより、あたえることを選びなさい。
 ぐずぐずするより、行動することを選びなさい。
 堕落するより、成長することを選びなさい。
 呪うより、祈ることを選びなさい。
 死ぬより、生きることを選びなさい。
 今あなたは、自分の不運がわたしの意志ではなかったことを 知っています。というのも、すべての力があなたの中に授けられているからです。人間性を拒否する行為や思考の蓄積はあなたのしていることであって、わたしのものではありません。わたしの贈り物は小さなあなたの性質に大きすぎたのです。今では、あなたは大きく成長して賢くなりました。大地の恵みはあなたのものになるでしょう。
 あなたは人間以上の存在なのです。開かれた可能性を持った「成る人間」なのです。
 あなたは驚異的なものごとをやってのけることができます。あなたの可能性には限りがありません。わたしが創ったほかの創造物の中で、火を用いることをマスターしたものはいますか?重力を征服し、天に突入し、いろいろな病気や疫病や旱魃を征服したものはいるでしょうか?
 二度と身を落としてはなりません!
 クズのような人生に甘んじてはいけません!
 今日のこの日から、自分の才能を隠してはなりません!
 子供が「大きくなったら」と言うのを思い出してください。しかし、それはなんでしょう?大きくなった少年は言います。「大人になったら」と。大人になると、「結婚したら」と言います。しかし、結婚したからって、それがなんだというのでしょう?結婚すると、考えが変わり、「退職したら」と言います。退職のときがくると、歩んできた風景を振り返ります。冷たい風がその上を吹き渡り、どうしてか自分の人生をつかみ損ねたことに気づきます。
 今日のこの日を楽しみなさい。明日は明日、楽しめばいいのです。
 あなたはこの世で一番の奇跡を成し遂げたのです。
 生きながらの死から蘇ったのです。
 もうこれ以上、自分を憐れまないでしょう。毎日が、挑戦となり、喜びとなるでしょう。
 あなたはふたたび生まれ変わったのです。でも、以前と同じように、失敗や絶望を、あるいは成功や幸福を選ぶことができます。選択はあなたにまかされています。選択するのはあなただけなのです。わたしは前と同じように、誇らしく、あるいは悲しみながら、見つめていることしかできません。
 では、ここで幸福と成功の四つの法則を思い出してください。
 自分の恵みに感謝しなさい。
 自分のかけがえのなさを主張しなさい。
 自分の枠を超えなさい。
 選ぶ力を賢く用いなさい。
 そして、もう一つ、以上の四つを実現するために必要なことがあります。
 自分自身への愛、他者への愛、そしてわたしへの愛をもって以上のことをやり抜くということです。
 涙をぬぐいなさい。手を伸ばしてわたしの手をつかみ、背筋をピンと立てなさい。
 あなたを縛ってきた墓場の衣装をわたしに切り裂かせてください。
 今日、あなたは知らされました。

 自分こそ、「この世で一番の奇跡」であることを。

終了

ありがとうございました。  

『神の覚え書き』

私が
神の実在や
永遠の生命とか
真理とかに
まったく縁の無い頃

物質文明の
最前線に
立っていて
経済がすべてと
思っていた。
しかし、
こころは荒れ放題のまま
肉体が喜ぶことをのみに
のめりこんでいた頃

丁度、そんな時に
出会ったのが
谷口雅春先生の
『生命の実相』でした。

24歳の時で
今までの人生の価値観が
180度転換する驚きでした。

「人間神の子完全実相」
「人間本来病なし」
「あの世が実相の世界で、この世は仮相の世界」

谷口先生が神示により
自動書記で語られる
メッセージは
初めて聞いた言葉ばかり
新鮮で
当時のわたしには
目からウロコ状態でした。

それから、数々の
すばらしい本と
めぐり合い
本は
私を新しい世界へといざない
バランスを失った時、
また、崩れそうになると
私に語りかけ、 
奮い立たせて
救ってくれました。

紹介する、
オグ・マンディーノさんの著作も、
私を随分励まし
勇気を与えてくれました。
文章も美しく
大好きな著者で
マンディーノさんの本は
全部読みました。

その中で
『この世で一番の奇跡』という
本があります。
読まれた方もたくさんいると思います。
1970年代に書かれた本ですが、
日本では1999年に発表された本です。
その本の9章に
『神の覚え書き』という章が
あります。

世は、世紀末一色で、
2000年を迎えるというよりは、
暗雲たなびく
澱んだような空気に感じました。

その頃の私は会社を辞めようか
どうか、迷っていた時期で

その時に、
この章に書かれている
『神の覚え書き』の内容に
あるような
“心の叫び”のような心境で
あったのだと思います。

神が
こんなに身近に感じ、
親しみと
いつも私と共にある
という実感を得た
『神の覚え書き』でした。

今までの神は、
畏れ多く、
遠い彼方の存在と
感じていた神との距離が
いつも一緒に在ってくれることに
涙したこの『神の覚え書き』でした。

この本はを読んだとき
今、悩みの渦中にある方
大切な人を喪った方
重病にある方に
早く立ち直ってもらいたいと思い、
プレゼントさせていただいたり、
この章をワープロし
多くの人に差し上げた本でもあります。

私の友人に
数年前に約1年2ヶ月くらい
刑務所に入所してた方がいます。

その友人とは
入所している間
手紙のやりとりを
していました。
その時、
この『神の覚え書き』の章を
ワープロで打って
送りました。

その友人とは
何回も手紙の中で
これからのものの見方や考え方
これからの人生のことなどを
やりとりしていました。

その時の手紙の一部と
『神の覚え書き』です。
とても、長いので
二回に分けてお届けします。




刑務所での生活について、書いてありました。大変でしょうが、今の○○さんだったら「何事も必然、順調なプロセスなんだ。」と思っていると思います。「他人をとがめ責め、自己のみを正しとする生き方をしてきた天罰ですね。」とありましたが、天は言い変えて神は天罰など与えませんよ。いつもいつも○○さんと共にあり、優しく、辛抱強く見守ってくれているのが、神という「存在」です。○○さんは決して孤独ではありません。
 私の好きな著者のひとり、故オグ・マンディーノの著作に「この世で一番の奇跡」という本があります。その中に「神の覚え書き」という章があります。私が感じている「神」と一番近い「神の真の念い」が綴られている素晴らしい章です。受け取ってください。
草々

3月15日
アーカ・メロディ



神の覚え書き

 
 神からあなたへ

 あなたの叫びが聞こえます。
 幾重もの雲にさえぎられた暗闇を突き抜け、星の光と混じり合ったあなたの叫びは、太陽の光の道筋にいるわたしの心に届きます。
 わたしがあなたの声を聞いていることをわかってください。そして心を平和にし、落ち着いてください。
 わたしがあなたの苦しみを慰めてあげましょう。わたしはあなたの悲しみの原因も・・それを癒す方法も知っています。
 あなたは子供の時の夢が年を重ねるにつれて、ことごとくついえさってしまったことを嘆いています。
 自分を敬う気持ちが数々の失敗によって崩れ去ってしまったことを嘆いています。
 自分の潜在的な可能性のすべてを、安全性と引き換えに、手放してしまったことを嘆いています。
 自分の個性が大衆によって踏みにじられてしまったことを嘆いています。
 自分の才能がすべてあやまった使い方によって、無駄にされてきたことを嘆いています。
 あなたは自分自身のことを不名誉な人間として見つめ、水溜りに映った自分の姿から顔をそむけます。生気のない目で恥ずかしげにあなたを見返すこの人間の偽者は一体、何者なのでしょう?
 あなたの優雅な作法、美しい姿、きびきびした動作、澄みきった心、気のきいた話し方はどこにいってしまったのですか?あなたのそうした品々を誰が盗んだのですか?わたしは盗んだ者の正体を知っていますが、あなたも知っているのですか?
 かつてあなたは、たくさんの本を読み、たくさん書き、ソロモンのすべての知恵に自分が追いつき追い越すことを確信していました。
 そして、季節が移り変わって年がたつうちに、自分自身のエデンの園を治めるようになるだろうと確信しました。
 あなたのなかにそれらの計画や夢や種を植えつけたのが誰か覚えていますか?思い出せないでしょう?
 はじめてあなたが母親の子宮から出てきて、わたしがあなたの柔らかな額に手を置いたときのことを覚えていないでしょう。あなたを祝福するさい。あなたの小さな耳元にわたしが囁いたことを覚えていますか?
 わたしたちの間の秘密を覚えていますか?思い出せないでしょう?
 過ぎ去った年月があなたの記憶を破壊してしまったのです。なぜなら、恐怖、疑惑、不安、悔恨、憎悪があなたの心を満たし、それらの獣が棲みついた場所に、楽しい記憶がいすわれる余地がないからです。
 これ以上、嘆かないで下さい。わたしはあなたと共にいます・・この瞬間はあなたの人生の分かれ目です。今までに過ぎ去った年月は、母親の子宮のなかで眠っていたのと同じようなものです。過ぎ去ったものは死んだものです。死人は死人に埋めてもらいましょう。
 今日、あなたは生きた屍から甦ります。 
 今日はあなたの誕生日、あなたの新しい誕生の日。あなたの最初の人生は、劇のリハーサルのようなものにすぎませんでした。今回は幕が上がります。今回は世間が見つめ、拍手する用意をしています。今回、あなたは失敗しません。
 あなたのロウソクを灯しなさい。パンを分かち合いなさい。ワインを注ぎなさい。あなたは生まれ変わったのです。
 さなぎからかえった蝶のように、あなたは飛び立つでしょう。望みのままに高々と飛ぶでしょう。ハチもトンボもカマキリも、真の人生の豊かさを求めようとするあなたの使命や探求を邪魔しないでしょう。
 あなたの頭にわたしの手が置かれているのを感じなさい。
 わたしの知恵に耳を貸すのです。
 あなたが生まれたときに聞いて忘れてしまった秘密をいま一度、分かち合いましょう。
 あなたはわたしの最大の奇跡。
 この世で一番の奇跡。
 それがあなたの最初に聞いた言葉だったのです。そのあとであなたは泣き出しました。誰でもみんな泣くのです。
 あなたはわたしを信じなくなりました。あなたの不信を正してくれることは、今まで何も起こりませんでした。つまらない仕事で自分が失敗したと思っているときに、どうして自分が奇跡になり得ましょう?どんなささいな責任も果す自信がないときに、どうして自分が奇跡であり得ましょう?負債に縛られ、明日のパンを思い煩っているときに、どうして自分が奇跡になり得ましょう?
 それ以上は言わないで下さい。こぼれたミルクは元に戻らないのです。でも、わたしは、これまでどれだけの預言者、賢人、詩人、美術家、作曲家、科学者、哲学者、伝道者を送って、あなたが聖なる存在であることや神のような潜在能力をもっていることを告げさせ、成功の秘密について語らせたでしょう?あなたは彼らをどのように扱いましたか?
 それでもわたしはあなたを愛しています。預言者が預言した通り、今、わたしはあなたとともにいます。あなたを救うために。
 ふたたびわたしはあなたの上に手を置きます。
 今回で二度目です。
 あなたはわたしの面影を宿しています。
 それを知らなかったのですか?聞いたことがありませんでしたか?最初から告げられていなかったのでしょうか?地が創造されたときからずっとわかっていなかったのですか?そのように尋ねてもむだでしょう。
 あなたはそれを知りませんでした。聞いていませんでした。わかっていませんでした。
 あなたは、神のようななりをしていると告げられてきました。愚か者を演じる神だと告げられてきました。
 あなたは、高貴な目的と無限の能力を持った特別な芸術作品だと告げられてきました。天使のように振る舞い、神のような理解力をもった、形も動きもすばらしい作品だと告げられてきました。
 なのに、あなたは誰も信じなくなりました。幸福へと至る地図を焼き払い、心の平和を求めることをやめ、栄光へと続く運命の道の脇に置かれたロウソクを消してしまったのです。そして、無意味さと自己憐憫の暗闇の中で、つまずき、迷い、恐れ、ついには自分で生み出した地獄に落ちてしまったのです。
 その結果、あなたは泣き、胸をかきむしり、自分の身にふりかかった運命を呪いました。自分自身の狭い了見と怠惰な行ないが目の前の結果を生み出していることを認めようとせず、自分の失敗を負わせるスケープ・ゴートを探しました。なんと素早く、スケープ・ゴートを見出したでしょう。
 あなたはわたしを責めました!
 自分の困難、凡庸さ、チャンス不足、失敗は・・神の意志だと叫んだのです!
 あなたは間違っています!
 あなたはすばらしい恵みを授けられているのです。
 あなたの目をごらんなさい。目がある故に、あなたは昇り沈みする太陽を見ることができます・・わたしがあなたの目につけた何億という感覚の受容器が、美しい緑の葉や純白の雪を見ることを可能にしているのです。静かな池のたたずまい、悠々と空を飛ぶ鷲、はしゃぎまわる子供たち、夜空を照らす星を見られるのも目のおかげです。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたの持っている耳。それは何と見事な道具でしょう。それがある故に、赤ん坊の笑い声も泣き声も聞くことができます。あなたのそれぞれの耳にわたしが組み込んだ二万四千本の神経繊維が木々のそよぎ、岩に当って砕ける潮の音、荘厳なオペラ、コマドリの訴え、子供たちの遊ぶ声・・そして、あなたを愛していますという言葉に反応してふるえるのです。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたの唇、それはつばを吐くためだけのものではありません。唇がある故に、あなたは話すことができます・・わたしが生み出したほかの生物はできませんが、あなたの言葉は、怒りを鎮め、意気消沈した人を元気にし、仕事を投げ出したがっている人を激励し、不幸な人を楽しませ、孤独な人を癒し、褒める価値のある人を褒め、敗北した人を励まし、無知の人に教え・・あなたを愛していますと言うことができます。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたは、風や周囲のものにいじめられるまま、小さな一点に縛り付けられている木ではありません。背伸びをし、走り、踊り、働くことができるのです。というのも、わたしがあなたのなかに設計して組み込んだ五百の筋肉、ニ百の骨、十一キロメートルもの神経繊維が、あなたの命ずるままに、強調して働くからです。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたは愛に飢えていますか?夜も日も、孤独に飲み込まれていますか?
 いいえこれからはそうではありません。わたしが愛の秘密を教えましょう。愛を受け取るには、愛されることは求めずに愛を与えなければならないという秘密です。何かの目的を果たすためや満足を得るために、また自分の誇りを守るために愛することは、愛ではありません。愛とは何の見返りも求めない贈り物なのです。今やあなたは、利己心を持たない愛がそれ自体で報酬であることを知っています。たとえ、与えた愛が返ってこなかったとしても、愛は失われません。報われない愛はあなたのもとに舞い戻り、あなたの心を和らげ、浄めるからです。
 その恵みに感謝しなさい。二度、感謝しなさい。
 あなたの心臓は脈打っています。胸に触れて、日夜、脈打つそのリズムを感じてみなさい。眠っているときも、目覚めているときも、毎年毎年、三千六百回の脈を打ち、静脈や動脈や血管のなかに大量の血液を送り出しているのです・・毎年、ニ千七十万リットル以上の血液を送り出しているのです。人間は決してそのような機械を作りませんでした。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたの柔らかい皮膚をごらんなさい。それは驚くべき創造の産物であり、石鹸とオイルとブラシで世話をし、気遣ってやるだけでいいのです。すべての鋼鉄は時がたてば色あせて錆びつきますが、あなたの皮膚はそうではありません。最強の金属でさえ、使えばやがてすりきれますが、わたしがあなたの周囲にこしらえた皮膚という層はそうではありません。年老いた人間が若い人たちに取って代わられるように、皮膚もたえず古い細胞を新しい細胞に取って代わらせ、新しくなるのです。
 その恵みに感謝しなさい。
 深深と呼吸をしてごらんなさい。すがすがしい生命の息吹が体内に入ってくるのがわかるでしょう。肺という命の窓がそれを可能にしているのです。あなたの命の窓はあなた自身が創り出した最悪の環境のなかでさえ、あなたを支えています。六億もの折りたたまれた肉のポケットを通してあなたを生かす酸素を濾過するいっぽうで、ガス状の老廃物を体から排出させているのです。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたの全身には温かな血が流れています。あなたの四・七リットルの血液の中には、ニ十二兆もの血液細胞が含まれており、それぞれの細胞には、数百万の分子が含まれています。さらに、各分子の中には、毎秒、一千万回以上の速さで振動している原子があります。毎秒、ニ百万個以上の血液細胞が死んで、新しい細胞に取って代わられるということが、あなたの誕生以来続いているのです。体の中が常にそうだったように、あなたも今、生まれ変わろうとしています。
 その恵みに感謝しなさい。
 あなたの脳、それも宇宙でもっとも複雑な構造物です。わたしは知っています。およそ千三百グラムの脳のなかには、百三十億もの神経繊維が入っています。これは地球上の人口のほぼ三倍にあたります。あなたが誕生以来体験したあらゆる知覚、音、味、匂い、行動をしまい込んででおくのを助けるために、わたしは、あなたの細胞の中に数え切れないほどの分子を埋め込みました。あなたの人生で起きたすべての出来事がそこにあり、思い出されるのを待っています。また、脳が体を制御するのを助けるために、あなたの体じゅうに、四百万の痛みを感じる探知機、五十万の触感の探知機、ニ十万以上もの温度を感じる探知機を散りばめて置きました。いかなる国の金塊もあなたほど完璧に守られていることはないでしょう。古代の驚異を探してみても、あなたほど偉大なものはないでしょう。
つづく

2011年5月21日土曜日

今日はあなたの誕生日

あなたは
この世を去るときに
振り返って何を思うでしょうか?

多くの人は
死ぬ間際になって、
しようと思って
できなかった事を
後悔します。

私も、多分
後悔すると思います。

しかし
「思い残すことは無い!
精一杯頑張った!」と
言いたいとも思っています。

過去の私は、
多くの人を傷つけ
家族を悩まし
人として
やってはいけないことの
数々
数え上げたら
きりがないくらい

「昨日は既に飛び立った鳥である」

過去に犯した
あらゆる過ち。
過去にやらなければ、
ならなかった
あらゆる行動。

私たちは
今日、省みて
受け入れて
教訓としましょう。

そして、
過去は過去
実体の無い
過去と決別をして


『今日は残りの人生の最初の日』

今日こそ、
確かな日
今日が誕生日

新しい人生をスタートできる。
今日は過去のように生きない。
今日は過去の延長線上ではない。

今日からは
全く新しい人生のスタートだ!



今日。
人との関わりを
一期一会の瞬間を
大事にして生きよう。

今日。
自我を出さず
相手の立場に
なって生きよう。

今日。
目の前に現れる
貴重な物事を
受け切り

些細なことと
思われることでも、
全身全霊で
取り組もう。

今日。
生かされていることは
奇跡とも言うべき
宇宙からのプレゼント
両親や
先祖の方々や
神に、感謝しよう。

今日。

今日。

そして、
今日の終わりに
今日一日を
振り返ってみましょう。

「今日。私は生きた。」

“精一杯”
そのために生まれてきたのです。

2011年5月20日金曜日

自らの神性をみつめる

人間は
この世に生を得た以上
老・病・死を
体験しない人は
いません。
死はどんな人にも
平等にやってきます。

しかしながら、
実相の世界では
永遠の生命であることも
真実であります。
その観点からは
人間は
死ぬことはありません。

どちらも真理です。

永遠性の観点からの
肉体は、
神性を宿しており
一秒たりとも
神と離れて
存在することは
あり得ません。

それを、知ってください。
あなたが
どんな苦境に
立たされていても
どんな悲痛の
状態にあっても

神は
あなたと共に在ります。

そういう意味では
あなたは
一度たりとも
孤独であったことは
ありません。

自分は
孤独である。
もし、そう感じて
いるとしたら
それは、単なる錯覚です。

少なくとも
日に一回は
静かに
自らの内奥にある神性と
向き合ってください。

そして、
そこに光を感じてください。
無限を感じてください。
慈悲を感じてください。
激励を感じてください。
完全性を感じてください。
永遠性を感じてください。
思考を捨てて
心を解放して
神の愛を感じてください。

神が
どんな時も
共に在ることを
感じ取れるように
なってくることでしょう。

2011年5月19日木曜日

人生の目的


私たちが
この世に
生まれてくる
目的は
何でありましょう。

わたしは
こう思っています。

それは
宇宙の根源である
神とひとつに
繋がる旅であり



魂の
永遠なる進化
のための
探求であり
冒険であると

そのために
自分自身が選択して
乗り物としての
肉体をまとい

わざわざ
不自由な感覚や
苦痛や
象徴としての死を
体験します。

その中で
すべての
生きとし生けるものが

神の現れであり
神性を宿していて

私たちの目には
どのように
視覚化して見えようとも

宇宙の根源と
対立するものでは
ないということを
知ること

これが大きな目的です。

ですから
私たちは
私たちの前に
どんな困難・苦難と
思われるものがあり、
混沌の中にあると
感じていても、

それは、
自分自身が選択し、
課した人生の問題集です。

永遠性という観点からは
逆に、
肉体をまとっての体験は
貴重な経験になります。

楽しみながら
解いていきたいと
思っています。

2011年5月18日水曜日

永遠の中のいま


昨日の夕方近く、
東京では
空が暗くなり
小粒の雨が
ふってきました。
その後は
ふったりふらなかったり
はっきりしない
空模様でした。

でも、
私たちは
もっともっと
土砂降りや
嵐や
台風のような状態でも

太陽の光が
ただ、
隠れているだけで
その奥の奥には
燦然と輝いている
ことを
知っています。

今日は
昨日の雨が
うそのように
太陽が
明るいまばゆい光を
届けてくれています。

それだけで
何か
楽しいワクワクした
気持ちに
なってきます。

それと同様に
私たちを
取り巻く
社会情勢が
あたかも
混乱や疑いや
混沌のように
私たちの目には
移っています。

しかし
その表面的な影の下に
永遠の光があるのです。

私たちは
この永遠性に根ざした上で
確固とした
今の瞬間を
生ききるとき

宇宙の計画の中での
大きな愛
無限
光に
包まれていることを
自覚するのです。

福島のこどもたちへ〜山本太郎

俳優の山本太郎さんからのメッセージです。
転載希望ですので、多くの人に知らせてください。
芸能界では原発について述べることは、干される
覚悟があってのことと思います。
山本太郎さんのメッセージをお聞きください。
 
 

2011年5月17日火曜日

自らを磨く反省行


私たちの心を
そのまま、
野放しにしますと、
             
怒りや
欲や、
不満や
驕り。

それに
悪口や
陰口などに
占有されて
しまいます。

どうして
そうなるのでしょう?

私たちは
私たちの本質が
神の性質や
仏の性質を、
宿している事を
忘れているからです。

神や仏は
怒りや、
欲や、
不満や、
驕り
それに
悪口や、
陰口などを
出すことは
ありません。

ようは、
自分の中に
内在する
ダイヤモンドの
輝きに
意識を
集中させて
焦点を絞り、             
一日の終わりに、
自らを
省みる事を、
実施してみるのです。

今日の
自分が発した毒は、
今日の内に
点検をし、
明日に
持ち越さないことです。

ダイヤモンドも、
磨かなければ、
輝くことはありません。

2011年5月14日土曜日

内在の神に問う


何がいいことで、
何が悪いことか、
大概のことでは、 
分かっていますよね。


微妙なところで、 
いいか悪いか、  
判断できないことも、
あるでしょう。


しかしながら、
ほとんどのことは、
私たちは理解しています。


ようは、
知っていて
悪いと自覚している
ことに関しては、
しなければいいのです。


判断できないことに
対してだけ、
自らの
潜在する心に
問えばいいのです。


何も難しく
考えることありません。


必ず、
内在する
あなたの
無限なる
神我なる実相は、
答を指し示してくれるでしょう。


ただ、それを聞いて、
正すか、
それとも無視するかは、
あなたの判断の自由です。

因果の法則


身・口・意(しん・く・い)
人間が為す
思いや
言葉や
行いは

善なる思いや
善なる言葉や
善なる行いは
善なる果をつくる。

よって、
身・口・意を正すことは
善なる結果を生じます。
善因善果です。
お釈迦様は
この因果の法則を教えてくださいました。

逆に
悪なる思いや
悪なる言葉や
悪なる行いは
悪なる果をつくる

よって、
身・口・意を正さず、放置すると
悪なる結果を生じます。
悪因悪果となります。

別の言葉で
良い種をまけば
美しい花を咲かす。
悪い種をまけば
実らず花は咲かない。
これも同じ意味です。

この法則は、
絶対法則です。
悪い思いや
言葉や
行いを正さない限り
結果を
帳消しにすることは
できません。

誰からも
報いを受けるという
わけではありません。

自分の内奥にある
神や
仏や
無限や
愛の意識が
本来の姿と異なるものに対して
決して受け付けることは
ないのです。

何ともいえない
嫌な気持ちになり、
すべてが思わしく
なってきます。

では、
どうすればいいのでしょうか?

静かな心で
内なる声に
耳を傾け耳を澄ましていると、
そのヒントを
教えてくれるようになります。

いくら外の
神や仏にすがっても
答えは
永遠に
出ることはありません。

2011年5月13日金曜日

「今」「ここ」

私たちは、
永久に
生きられるが如く
生きています。

既に、
どれ程の時間が
過ぎ去った事でしょう。

『今日は残りの人生の最初の日』

今にも、
人生が
終わってしまうが如く

すべてを
恐怖することは、
愚か窮まりない
ことではあります。

しかし、
誰も
これから
いつまでも
生きられる保証を
得ている者も
ありません。

大切なことは、
「今」という、
この時間
「ここ」という、
この場所に
生かされている事を
体感することです。

「今日を
確かに生き切り」
また
「今日を
確かに生き切る」

明日という概念は、
ないものとして、
生きる事が
大事なことではないでしょうか。

2011年5月11日水曜日

『聖なる旅』  ダン・ミルマン著


『わたしがスタンフォード病院で
ボランティアをしていた時のことです。
リザという少女と知り合いました。
彼女は非常に稀で深刻な病気に苦しんでいました。

彼女が回復する唯一のチャンスは、
彼女の5才になる弟から輸血をしてもらうことでした。
この弟は奇跡的に同じ病気を克服して、
その病気と戦うために必要な免疫を作り出していました。
医者はその状況を幼い弟に説明して、
血をお姉さんにあげてくれるかどうか尋ねました。
彼はほんの一瞬ためらったあと、深呼吸していいました。

「ええ、もしそれで、リザが救えるのなら、僕、やります」

輸血が行われている間、彼は姉の隣に横になって、
彼女のほほに血の気が戻ってゆくのを見て、にっこりしていました。
わたしたちみんなもです。

しばらくすると、彼の顔が真っ青になり、ほほ笑みが消えました。
彼は医者を見上げて、震える声で尋ねました。

「僕は今すぐ、死ぬの?」

幼い少年は医者の言葉を誤解していたの。
彼は自分の血を全部、彼女にあげるのだと思っていたのでした。
わたしはこの子から、勇気というものを学びました。』

私たちは、
この男の子のように
愛する人のために、
命を賭した行動が
できるであろうか?

若いころ、
取りに足らない、
つまらないことで
危ういことを
していた者として、
真実の勇気・
真実の愛というものを
学んだ本でありました。

この震災で
多くの人の生命を
失ったこの時、
私たちの快適な生活を
守ることのみを、
考えるのではなく、

一たび、
不自由な生活を
送ることに
なったとしても、
未来の
人たちのための
真の復興を
選択することこそ、
真の勇気では
ないかと思います。

2011年5月10日火曜日

感動する心


震災が
悲惨な現状を
写し出し、

原発が
不安感を
増幅しています。

しかし、
その混沌の中で、
様々な
感動の出来事を
私たちは見てきました。
多くの人達が
泣き、
癒され、
励まされた事でしょう。

私たちの
心の深いところに
私たちが
既に
持っているところの
神性・
仏性とも呼ぶ
ダイヤモンドの心が
輝きだしています。

その高い心の状態で、
わたし達は
わたし達の
神性と
わたし達の
次元的な経験が
より高い
領域に向って
進んでいることを
自然に
受け入れているのです。

ですから、
この混沌の時こそ、
わたし達は
感動から始め、
次に
その感動に基づいて
わたし達の人生を判断し、
後ろ向きの
状態の代わりに
別の感動を
経験するように
意思を
定めて行く
ときだと感じます。

私たちの
持つエネルギーは、
わたし達が、
例え
どのような方向を
意図しようとも
その意図した方向に
向って行くという
法則があります。

わたし達は
感動の心で、
歓びから
より素晴らしい歓びへ

愛から
より素晴らしい愛へ、

平和から
より素晴らしい
平和に向けて
前進する
ことによって、

素晴らしい今を
呼び込む事ができます。
感謝の気持ちが
より高い振動、
終止符を創り出し、
より
高い振動に向かって
エネルギーを
拡大させていきます。

『生かして頂いてありがとうございます』

一度
感動の法則、
つまり
動いているエネルギーを
理解すると、
わたし達の
最も深く
高い潜在能力と
感応し、
最も
大切にしてきた
夢を成就する
経験を
創り出して
いく事になるでしょう。

2011年5月9日月曜日

友人からのメール


友人から
久しぶりに
メールが届きました。
齢60歳を越えて、
病気がちだと、
強気で
バリバリ
やっていた人ほど、
どうしても
弱気に
なるのかも知れません。

ましてや、
つい最近、
中学生時代からの
友達を
亡くしたばかり、
気持ちとは、
裏腹に、
身体が
思うように動かない
不自由さを、
また、
自分は
いつ死ぬのだろうか?
分かる方法は
あるだろうか?などと、
聞いて来たのです。

下は私からの
返信文です。
『こちらこそ、
ご無沙汰をしています。
人間は
肉体的には、
衰え、
病を持ち
死んで行きます。
これは、
今年も
桜の花が咲いたと
同じくらい
自然体です。

しかし、
いつ死ぬかは
分かりません。
だから、
一日一生の思いで、
今日と言う括りで、
精一杯の生を
生き切る事と
思います。

もし、
今日も
生きる事ができたら、
『生かして頂いて
ありがとうございます。』
と、感謝することなんだと
つくづく思います。』
と、書きました。

すると、
その友人から
再びメールが
送られて来ました。

『ご返事
ありがとうございます。
よくわかりました。
感謝もせず
欲張って
明日もと
思っていた事を
改めて見ます。
そして花粉症と
戦います。
自分が
花粉症になって
初めて
アーカさんの辛さが
わかりました。
人の痛みが
わからない自分に
気づいたこと…
今日の成長です。じゃ~』

60を越えてでも、
こんなにも素直に
メールの
やり取りができる事が、
妙に嬉しくなりました。

ありがとうございます!
愛しています!
生かして頂いて
ありがとうございます!

2011年5月8日日曜日

マザー・テレサの愛

マザー・テレサさんは語る


『この世の
最大の不幸は、
貧しさや
病ではない。
むしろ、
その事によって
見捨てられ、
だれからも
自分は
必要とされていないと
かんじることである』と。

だとすれば、
なにびとも路上で
だれからも
省みられることなく、
見捨てられたまま
死なせる
わけにはいかない。
せめて、
臨終の瞬間だけでも、
人間らしく大切に
扱われる必要が、

「あなたも、
この世に望まれて
生まれてきた。
大切な人なのだ」と
愛の抱擁で
伝えることなのである。

ある時、
裕福な男の方が、
マザー・テレサさんに
言いました。
「あなたはなぜ、
貧しい人々に
魚をあげるのですか。
なぜ、
自分たちで
魚が釣れるように
釣り竿を
あげないのですか」
と尋ねました。

その時
マザー・テレサさんは
こう答えました。
『私たちが
世話をしている人々は、
病気や飢え、
疫病などで、
とても
自分で立っては
いられない状態です。

ですから、
まず魚をあげて
立てるようになったら、
あなたのほうへ
連れてまいります。
その時になったら、
釣り竿を
持たせて
あげられるはずです』と。

マザー・テレサさんの愛は、
今もシスターたちに
受け継がれている。

2011年5月6日金曜日

もうひとつの震災ものがたり⑥

女の子の小さな宝物「ずっとなくさないように」


 宮城県石巻市立渡波(わたのは)小学校を取材していたときのことだ。
同校は校舎1階が津波にのまれながら避難所となっており、
その日、男性タレントや女性歌手が慰問に訪れた。
「本物だ!」とサインをせがもうとした子供たちは、
案内役の職員に「時間が限られているのでできない」と拒まれた。

 一人の少女はがっかりした表情を見せたが、
恥ずかしそうに「サインして」と記者に近づいてきた。
「有名人じゃないんだよ」と説明しても「いいの、集めるのが好きだから」と、
真新しいドラえもんの表紙のノートを差し出した。

 支援物資でもらったのだろう。
パラパラめくってみると、どのページも真っ白だった。
1ページ目にぎこちなくサインした。
「大事にする」。顔を赤らめながら少女は言った。胸が痛んだ。

 「いいもの、見せてあげる」。
別の日、校庭で声をかけた4年生になる別の女の子は、
和紙でできた花柄の小箱から金色の2つのピンバッジを取り出した。

 「アメリカの人が私と弟と友達にくれたの。
『日本中で3人しか持っていないから自慢できるよ』って」。
行方不明者の捜索やがれき撤去のため学校周辺に入っていた
米軍の一人から去り際に贈られたという。

 「弟のも持ち歩いているの。ずっとなくさないようにね」。
がれきから見つけたという小箱に、大事そうにバッジをしまった。

 女の子は津波で親友を亡くした。
「学校に入って最初に話しかけてくれた友達。
一緒に登校したり、勉強したりしたのに…」。
自宅も流され、体育館で避難生活していたが、新しい友達もできた。
4歳の女の子で、体育館で姉のように寄り添って絵本を読んであげていた。

 4月から別の学校へ転任が決まった女性教諭は子供たちに語り掛けた。
「地震でたくさんのものを失いました。大切な人、おうち、思い出の品。
でも優しい心、大切な気持ちはなくなりません」

 被災地の人たちは本当に多くのものを失った。
それでも笑顔を絶やさず、新しい宝物を見つけ出そうとする子供たちがいる。
長く困難な道かもしれないが、復興に向かう被災地を見つめていきたい。
子供たちが教えてくれた大事な何かを、ずっとなくさないように。
(桜井紀雄・産経新聞より)

 この少女を初め、被災地の方々が失ったものは多い。
と同時に、本当の大切な心を得たのではないか。
私たちも、その心を感じとれる感性を失わないようにしたい。

2011年5月5日木曜日

もうひとつの震災ものがたり⑤

「僕は泣かない。お父さんがいちばん悲しいから」

3月11日午後2時46分。
あの日、あの瞬間から1カ月を迎えた東日本大震災では、
多くの子供たちが親を亡くした。

 宮城県女川町の木村夢吹(いぶき)君(7)も母の成美さん(35)を失った。
周囲を気遣っていまだに涙を見せず、その小さな胸に悲しみを抱え込んだままだ。
朝と寝る前には、笑顔の母の写真に「おはよう」「おやすみ」とあいさつをする。
でも家族が成美さんの話をすると、「寂しくなるからいわないで」と怒ったような顔をする。
 
 成美さんはこの夏、待望の第2子が生まれる予定だった。
夢吹君は、初めてのきょうだいの誕生を心待ちにしていたという。
夫の隆征さん(41)は思い出す。
「『ケンカができるから弟がいいな』って。
間があいてできた子だったから、みんな喜んでね」。
甘えん坊だった夢吹君も、成美さんの妊娠がわかった後は進んで家事を手伝うようになっていた。

 成美さんは隆征さんと同じ自宅近くの水産加工会社で働いていた。
海岸から1キロ以上離れた場所に建つ頑丈な鉄骨の工場。
しかし大津波は工場を突き抜け、成美さんは数日後、
同僚ら十数人とともに工場内で折り重なって見つかった。
隆征さんは当時工場におらず、安置所で亡きがらと対面した。
傷ひとつない眠るような顔が、せめてもの救いだった。

 家族が泣き崩れるなか、夢吹君は涙を見せなかった。
悲しみの対面から数日後、隆征さんが「悲しいときは泣けよ」
と避難所で声をかけると、夢吹君はこう答えたという。
「お父さんがいちばん悲しいから、僕は泣かない」

 その後も夢吹君が涙を見せることはないが、やんちゃっぷりに拍車がかかった。
隆征さんは、夢吹君が無理をしていることはわかっている。
避難所で一緒に寝起きしている祖母の豊子さん(63)も、
「寂しいって言ってくれた方が安心なんだけど…」と気をもむ。

 隆征さんとの職場結婚から8年。
成美さんは出産に備え、震災の10日後に退職する予定だった。
次の検診ではおなかの子の性別がわかる予定で、
男女どちらでもいいように2つの名前も考えていた。
妻とまだ見ぬわが子を亡くした1カ月前から、隆征さんの時間は止まったままだった。
何も考えられず、助けられなかった悔しさが心を埋めていた。

 震災から丸1カ月となる11日、隆征さんは自宅近くで重機に乗り、
周囲を覆うがれきを動かしていた。
黙祷(もくとう)するために重機を止めた午後2時46分、
直前に動かしたがれきの中に見覚えのある服が目に入った。
結婚後、初めて成美さんが買ってくれたお気に入りのジャージー。
近くに成美さんの存在を感じずにはいられなかった。

 隆征さんは今、夢吹君と成美さんのために前を向こうと思っている。
再出発の第一歩として、近く仮設住宅の入居を申し込むつもりだ。
12日には2年生になった夢吹君も始業式を迎える。
 「子どもがいっから、頑張んなきゃ。
夢吹が強く、優しく育つことが成美の願いだったから」。
そう口にし、雨が降り始めた空を見上げた。
産経新聞より

それぞれの人たちに、それぞれの人生の問題集があります。決して解けない問題など、ありません。共に進化していきましょうね!

「慈」「悲」「喜」「捨」・・・じ・ひ・き・しゃ


仏教における基本的な教えの一つに
『四無量心』があります。

「慈」・・他の人の幸福を心から願う心。

「悲」・・他の人の苦しみや悲しみを取り除いてあげようという心。

「喜」・・他の人が幸福になった姿をみて満足できる、心から喜べる心。

「捨」・・他の人が幸福になった姿をみて、とらわれない心。
(嫉妬心がわかない・心が揺れることがない。)

今こそ、
この教えは、
私たちに
大きな示唆を
与えてくれます。

私たちは、
毎日生きていくために
食事をします。
「身体の栄養」です。

世界には、
その毎日の食事さえ
満足にいただけない人たちが
犇いています。
今、日本においても、
大きな経験をしたばかりです。

では「心の栄養」は
どうでしょうか?
真実に生きていくために
栄養は足りていますか?

あなたは
「他の人の幸福を
心から願っていますか?」

あなたは
「他の人の苦しみや悲しみを
取り除いてあげようとしていますか?」

あなたは
「他の人が
幸福になった姿をみて
満足できる、
心から喜べることができますか?」

あなたは
「他の人が
幸福になった姿をみて、
とらわれない心でしょうか?」

これらの四つの徳目を
ひとつひとつ点検していくと、
反省とともに、
私たちの心に
栄養が「ジワーッと」
染み渡っていくようです。

私たちは、
今日は残りの人生の最初の日の
スタートとして、
『四無量心』・・・
『慈』
『悲』
『喜』
『捨』の心を
意識して
他の人たちを
癒せることができる
存在でありたいと思います!

2011年5月3日火曜日

すべては変化する

この世は、
移ろいゆく世の中、
”諸行無常"の世界です。


生まれて、
老いて、
病を持って
この世を
去ることになっています。
どんな人にも等しく
訪れることです。

その人生において
どのような一生を送るかは
今という確かな瞬間に
何を見て、何を考えるかに
かかっています。

宇宙を支配している
唯一絶対の法則は
すべては
変化するというものです。
どんな人の人生にも
あまねく及びます。

であるならば、
今、
目の前に起こっている
例え理不尽で
不都合な出来事のように
思えても

その変化
を快く受け入れることが
できれば、
その変化は絶好の機会と
なるのです。

すべては受け入れ
どう利用するかに
かかっているのです。

もうひとつの震災ものがたり④



「祈りで人は救えるのか…」宗教者も悩み、苦しむ毎日
           
東日本大震災での
犠牲者の追悼や被災者の支援に、
多くの僧侶らも奔走している。        
「宗教者の果たすべき役割とは何か」
「祈りで人は救えるのか」。 
     
死者行方不明者
2万6千人超という現実に、
宗教者も悩み、苦しむ毎日が続く。          
28日は「四十九日」。
寺には
葬儀の読経を求める人たちが
いまも訪れている。

「震災後、
数え切れないほどの死者を弔いました」。   
細川雅美住職(53)の言葉には
疲労がにじんでいた。  

「これでも片づいた方です。
皆さんの力を借りながら、前に進んでいます」  

宮城県石巻市の称法寺。
津波で
境内のすべてが破壊された。
葬儀離れ現象があるとはいえ、
多くの人にとって葬儀は
故人との別れの大切な儀式だ。
      
称法寺には、
供養を求めて遺骨を抱えて
訪ねる人たちの姿が今も見られる。
  
「門徒(檀家=だんか)は、
付き合いのある
この寺での供養でないと納得しません。       
そんな思いに丁寧に応じたい。 
   
今は、
体が5つあっても足りないくらい」         
3月11日、
細川住職は仙台市にいた。        
2日後、
やっとたどり着いた
寺の姿は変わり果てていた。
 
津波は本堂1階の天井まで達した。
重い釣り鐘すら、
台座だけを残して流されていた。 
      
寺で留守番していた僧侶は
遺体となって見つかった。  
340年もの歴史を刻んできた寺は
苦難に直面している。 

「早く、地域や門徒の生活を
まともな状態にしたい。   
『本堂も建て直すでしょ』と聞かれた。
もちろん、そのつもりです」  
   
寺には、
仙台を拠点にした僧侶のボランティアが
駆け付けてくれた。     
がれきを取り除いたり、
生活物資を運んだりしてくれた。 
ボランティアの僧侶らは、
寺の支援だけでなく、
地域の支援にも繰り出している。 
「ボランティアも私も、やるべきことが山積です」
           
■ 「一人の人間として、
魂が激しく揺さぶられた」。  
宮城県内陸の栗原市にある通大寺、
金田諦応(たいおう)住職(55)は、
津波が直撃した沿岸部などから
次々と運び込まれてくる遺体に
愕然(がくぜん)とした。 

「目の前に迫った生と死の現実。
宗教者として
自分がこれまで考えてきた世界を
はるかに超えていた」 
「はっと気付いたんです。
おれは坊さんだ。
今、
自分にできることは読経なんだ、と」 
栗原市内の火葬場で、
有志の僧侶とともにボランティアで読経を始めた。

200人以上を弔ったという。
呆然(ぼうぜん)と立ちすくみ
涙するしかない
遺族一人一人の
姿が脳裏から離れない。
いままで、
見たことのない
悲嘆の姿だったという。 

「儀式ではあるけれども、
お経を唱えさせてもらうことで
少しでも慰めになれば」と考えている。
 
「日常だと思っていた平穏な日々が
実は非日常だった。
いま被災地では、
日常が苦しみとなった世界に、
皆がいる」 
宗教者として何ができるのか−。
答えはまだ見えていないという。

「やがては心のケアなどを
すべきでしょう。
でも今は、
多くの人が現実と向き合うことも
できていない段階ですから」 

四十九日に合わせて、
金田住職は近く、1
5人ほどの有志と沿岸部を訪れ、
鎮魂の行脚をする予定だ。 
「僧は『姿』で示すしかない。
いまは祈りをささげることで、
被災者に寄り添えれば」

 祖父の遺志継ぎ供養 津波被災地の僧侶 
「生涯をかけて亡くなった方々を供養したい」。    
大規模な津波被害が出た
岩手県田野畑村の法王山宝福寺の僧侶、
岩見具行さん(27)は
亡くなった村民のために連日、
遺体安置所や
火葬場で読経を続けている。 
宝福寺は
昭和8年の津波で死亡した
村民の供養のために祖父が建てた。
岩見さんは
「亡くなった方の役に立ちたい」
と被災者の供養と遺族の
心の救済に当たっている。
祖父は生涯、
津波の被災者の供養を続けた。
父も遺志を継いだ。 
岩見さんは
東京でサラリーマン生活を送っていたが、
父の死去で仏門に入り
平成21年秋に宝福寺に。
今回の津波で多くの被害者が出たが、
当初は自分が何をすべきか分からなかった。 
人に相談し
「できることをやろう」と決意。
連日、
遺体の火葬前に読経し、
被災者には「一緒に頑張りましょう」
と励ましている。
(産経新聞)

 ここに登場したお坊さんたちは、
被災者でありながら、
自らの立場に翻弄されながらも、
目の前の現実に立ち向かっておられる。
この惨憺たる状況の中において、
もしかしたら
初めて自らの本来の使命に
目覚められたのかも知れない。
合掌

2011年5月1日日曜日

はすの花


泥沼の中にありても、
清浄なる花を
咲かせる
はすの花を
眺めていると、

今、私たちの前に
立ちはだかる
現実の中で
壊れゆくように見える
物質界の中に在って、

この
はすの花のように、
凛として
佇んでいたいと
思えてくる。

"今までの
物質優先の時代は終わり、
新しい時代へ入るために 
霊性の目を開いてください。

その霊性の時代は、
何も恐れたり、
何の不安も要りません。

私たちの
怖れや不安を、
限りなく
抑えるためには、

頭で考えるのではなく、
魂意識(丹田)のほうに
意識を置くように
努めること、
そして、
自分自身の
「内なる声」に
繋がることです。
それは、
私たちに
遥かに拡大する
視野をもたらします"

と、はすの花は
語っているようです。
そして,
 
"あなたの意識と
周波数を
上昇させながら、
あなたの目の前に 
新しい世界が
拡がってゆくのを
見届けてください"とも!