2011年4月30日土曜日

もうひとつの震災物語③

「恩返すまで死ねない」

老人が漏らした嗚咽悲しさや悔しさではない。
心の奥底の感情が、そのまま噴き出したとしか表現できない涙。
そんな涙を流して嗚咽(おえつ)する"老人"の姿を見たのは、
生まれて初めてだったかもしれない。 
3月26日から約20日間、被災各地を巡った。 
岩手県大槌町の中央公民館では、避難者らの暮らしを取材した。

震災から約1カ月が過ぎ、住民らは不自由ながらも避難生活に慣れてきていた。
その半面、震災当初の緊張が薄れ、避難所には疲労と倦怠(けんたい)が
侵食してきているように見えた。
消されたテレビ。薄暗がりの中に響く、くぐもった話し声。
一日中横になったままの人々…。この傾向は、特に高齢者に顕著だった。 
「退屈ではないか。何か必要なものはないか」。避難者らにそう聞いて回った。
そこで出会った道又康司さん(79)は
「食事も毛布もあり、何の不自由もなく過ごしている。不満などない」という。
「そんなものなのかな」と安易に納得してしまっていた。 

岩手を去る前日、取材で知り合った方々にあいさつするため、この避難所を訪れた。
その際、道又さんも見つけた。取材のお礼を述べると、「ちょっと話を」という。
そこで避難所の端のいすに並んで座った。
 
道又さんは「食事や衛生面に不満がないといえば嘘になる。
しかし全国の皆様から本当に温かい支援をいただいている上、
周囲に大勢の避難者がいる中では言えなかった」と明かした。
その言葉を聞き、繊細な取材を怠った自分の顔が赤らむのを感じた。
さらに、関東に住む息子から同居の誘いがあったこと、
その誘いを断り町に残る決心をしたことを教えてくれた。
 
「大槌の復興には10年以上かかるだろう。しかし私は、
もし再びどこかで災害が起きたとき、復興した大槌が今度は
恩返しをする姿を見届けてからでないと、死んでも死にきれない…」 
言葉の途中で、道又さんは嗚咽を漏らし、くしゃくしゃになった顔を両手で覆った。
最後に50歳も年下の私に差し出された手の温かみと涙の感触は、今もこの手に残っている。
(産経新聞・小野田雄一)

この道又さんのような方が、苦労を重ね敗戦後の日本を復興されてきた。
それが、また今、震災や津波によって、すべてを失ってしまった。
この道又さんが語る言葉は重い。

『わたしたちこそ、あなたに恩返しをしなければならない。』

マザー・テレサの祈り



『永遠の父なる神

ミサにおいて
キリストの
お苦しみと
ご受難に一致して−

原爆が
この場所で
たくさんの人に負わせた
苦しみと大きな傷を

あなたに捧げ、
日本と
全世界の人々が、

すでに恐れと
不信感、
そして
心労に
悩まされている
核による痛みを、

二度と
経験しないように
お守りくださることを、
永遠の父なるあなたに
心より
お願い申しあげます。』

このメッセージは、
マザー・テレサさんが
1982年4月に
長崎の被爆地に立って
語ったメッセージである。
ちょうど29年前の
今頃のメッセージです。

ここで語られている、
『恐れと
不信感、
そして
心労に
悩まされている
核による痛み』を、
福島原発の
震災による
事故において、
同じ痛みを
経験しています。

マザー・テレサさんは言います。
『日本と
全世界が
悪に
襲われないように
神が
お守りくださることを願って、
皆さんとご一緒に
この
メッセージを唱えたいのです。

しかし、
祈れるようになるのには、
許さなければなりません。

そうすれば、
心が自由に
祈れるようになります。

自分自身の心に
平和がなければ、
平和のために働き、
平和をもたらすことは
できないのです。』

愛の対極にあるのは、
恐れであり不信感です。

私たちは
マザー・テレサさんが
29年前に
残して頂いた言葉
"許し"を
今の様々な状況や
自分自身に対して
与えていきましょう。

今、
私たちの地上に
起きている
現実性は、
人間の精神によって
創り出されています。
ただ、
私たちが
自覚していないだけです。
私たちは、
恐れを
手放すことにより、
初めて愛を
発現することができます。
そして、
皆で祈り、

この地球上に
素晴らしい現実性を
創出していきましょう。

2011年4月27日水曜日

もうひとつの震災物語②

相次ぐ“ヤンキー系”芸能人の復興支援 元総長、街頭に立つ!


3月26日、“ジャニーズいちの暴れん坊”の異名を持つ
KAT-TUNのラップ担当・田中聖の車が、東北道を北上した。
TV番組で知り合った重い病を患っている少年が、
東北関東大震災で被災。彼に会うべく、完全プライベートで訪問し、
宮城県多賀城市の避難所で、持参した救援物資を配った。
 彼のような“ヤンキー魂”を持った有名人の復興支援が目立つ。

浪速乃闘拳・亀田興毅は3月15日に飲料水1万本とグミ1万袋を送付。
宮城県でのロケ中に地震に襲われたヤンキールック芸人・サンドウィッチマンも、
独自の義援金口座を開設した。
また、ヤンキーやギャルに絶大な影響力を持つ浜崎あゆみと安室奈美恵も、
地震後いち早くそれぞれ3500万円、5000万円を寄付している。 
相次ぐヤンキー系芸能人たちの復興支援活動。
しかし、彼らと同等、否、それ以上のスピリットを持った市井のヤンキーも、
いち早く独自の支援に乗り出していた。

「募金お願いします!」
 渋谷の雑踏に立ち、声を嗄らすのは元暴走族総長の中澤達也(31歳)。
この日は、自身も出場する不良系格闘技イベント「THE OUTSIDER」の
ファイターとして募金活動を行っていたが、彼の活動はこれにとどまらない。
 福島第一原発3号機が爆発した3月15日。彼は、地元の仲間とともに、
八王子市を出発した。物資を持って宮城県仙台市に向かうためだ。
翌日なんとか物資を届け、すぐさま情報を収集。
第2便を送るために東京に戻った。
「荒浜の海岸に遺体が並んでいた光景はとても言葉にできない。
とにかく自分の命があることに感謝して、自分にできることをやるべきだと思いました。
西東京のワルのネットワークを使って、
地元のコンビニやスーパー10か所以上に支援物資受付所を設置してもらい、
物資をかき集めたんです」
 2tトラック4台、ワゴン2台に物資を詰め込み、20日、同県気仙沼市に届けた。
「個人の物資は受け付けないというのは政府が決めた話でしょ? 
俺たちは小さな力の集まりだから、大きな力が届かない場所に届ける。
俺らみたいな人間だからこそできることがあるはず」

 動いた不良系格闘技団体はほかにもある。
北海道の不良格闘技団体「道志」の代表・三浦弘人は、
「1万人に豚汁炊き出しプロジェクト」を立ち上げ、避難所に入れない住民を支援。
同じく不良系格闘技「野蛮一族」の代表・吉田武生も地元のネットワークで、
水や食料、紙おむつを集めた。

自衛隊より先に動くギャングたち「支援?そんなんじゃない」
ギャングたちも負けていない。
ストリートの連合体「BOND&JUSTICE」代表・大土雅宏は、
福島県南相馬市出身。彼も震災の翌日から動き始めた。
「東北関東大震災支援隊本部」を結成し、
被災した仲間と連絡を取り合って物資を集めた。
自衛隊よりも先に南相馬市に物資を運んだのは、何を隠そう彼らだ。
現在まで彼らが集めた物資は、2週間で100tを超えている。
「地元だから土地勘があるし、各所に仲間がいるので、
どこの道路が通れるのか、どこの避難所に何が必要なのかを聞きながら、
自衛隊などでまかなえない場所に物資を運んでます。
ボランティア? 支援? そんなんじゃない。
今回の地震で少なくとも仲のいいヤツが2人死んだ。
3人の子供たちを残して……。
だからこそ、生きている仲間やその家族、大事な人たちを助けないといけない」
 音楽関係の仲間らのコネクションをフル活用し、
被災の翌日から3日間で、全国300人の仲間にヘルプを要請した。
今は、足りないものを聞いては、集めて運び込む作業をひたすら繰り返している。
「原発のせいか、正直肌はピリピリするし、
原発爆発直後は手とか体がすごいだるくなったけど、
時間がたったら収まるので、大丈夫かなと思いながらやっています。
これからもできることを各々でやっていくだけ。
それに、死んだ仲間の子供が一人前になるまで、
俺たちが面倒を見なければならない。
復興はずっと続く。
あとは、被災者に夢と希望と光を与えることも大事。
物資の支援が落ち着いてきたら、子供たちのために絵本を作ったり、
音楽制作をしていくことも考えています。
協力や支援をしてくださった皆様に、この場を借りて御礼を申し上げたいです」
転載終了(産経新聞より)

今回の震災は悲惨さと共に、これほど人間から発する思いや行いが
大きな愛に基づいているものかと思わせていただきました。
すべてが神の化身としての現われであると思わず手を合わさずにはいられない。

2011年4月26日火曜日

もうひとつの震災物語

産経新聞の記事より
「子供たちのたくましいパパでいて」 優しく語りかける妻の手紙

震災で妻の奈保子さん(38)を亡くした佐々木健吾さん(44)は、
長女の千紘(ちひろ)ちゃん(6)とこんなやりとりを何度か繰り返した。
 「ママは、天使になって天国にいるの?」
 「そう。ここにはいないけど、ちいちゃんのこと、いつも見てるよ」
 最初のころ「透明なママは嫌」と泣いた千紘ちゃん。
最近は笑顔も見せるようになったが、どこまで母の死を受け止められたのか。
長男の郁哉君(12)は「お母さんの分まで生きる」と気丈に話し、少しだけ泣いた。
 4月。親子3人は自宅があった宮城県南三陸町を離れ、登米市のアパートへ。
18日には千紘ちゃんの小学校の入学式があった。
咲き始めた桜の下、支援物資の中にあった
白のブラウスを着た娘を見つめながら、
健吾さんは、式を楽しみにしていた妻の声が聞こえた気がした。
「今日も一日頑張って」。
あの手紙の中にあった言葉だ。

 南三陸町志津川。海から約1キロ離れた丘の中腹に、
特別養護老人ホーム慈恵園は建っていた。
 ■職場で結ばれ職場で
 健吾さんは事務、奈保子さんはデイサービスセンターの介護職員として勤務。
職場で出会った2人は1997(平成9)年に結婚した。
 震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。
慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。
 「とにかくもっと上へ」。
裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。
十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、
お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。
助けられたのは約20人。
無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。
 地震の後、慈恵園の前で毛布を手に、
お年寄りの間を歩いていた奈保子さんが
いないと気付いたのは日が暮れたころ。
3日後、がれきの中から遺体が見つかった。
 職場の机の引き出しには、
泥まみれになった健吾さんのかばんが残っていた。
内ポケットから、奈保子さんの手紙が出てきた。
数年前、夫婦げんかをした後にもらったものだ。
かばんにしまい、そのまま忘れていた。
 「突然手紙というのも何かあったと思うかな? 
何もないのよ。昔書いていた日記を見つけて読んだら、
とっても大切にしてもらってたのね。反省しました」

 ■介護士に合格してた
 仕事が大好きで責任感が強かった奈保子さんは今年、
介護福祉士の試験に初めて挑戦した。
4月初め、健吾さんがインターネットで確認すると、合格していた。
「一緒に喜べたらよかったのに」と泣きながら、笑う。
 今も妻が戻ってこないとは信じられない。
道具箱や鍵盤ハーモニカ、おはじき。
奈保子さんがそろえた千紘ちゃんの学用品は全て流された。
学校のこと、2人の子の世話、新しい仕事探し。
「料理だってやったことないのに…」と戸惑う健吾さんに、
中学生になった郁哉君は「ごはんは僕が作る」と言ってくれた。
 奈保子さんの手紙は、こう続いていた。
今の健吾さんへのエールのように。
 「パパ、大好きよ。郁哉と千紘のたくましいパパでいてね。
今日も一日頑張って」
転載終了

震災は今日という確かな一日を精一杯大切に生きることを教えてくれました。
ありがとうございました。

2011年4月25日月曜日

被災地の女子高生からの手紙

まず、この手紙を読んでください。
そして、大切な人にも教えてあげてください。


『助けてください
福島県南相馬市の
女子高校生です

わたしは友達を津波で
なくしました
私の友達は
両親をなくしました
私の無二の大親友は
南相馬でガソリンが
ないため退避できずにいます

電話やメールでしか
励ますことしかできません

親友は今も放射能の恐怖と
戦っています

だけどもう、諦めてました

まだ16なのに
死を覚悟しているんです
じわじわと死を感じているんです

もし助かったとしても
この先放射能の恐怖と
隣り合わせなんです

政治家も国家も
マスコミも専門家も
原発上層部も全てが敵です
嘘つきです

テレビでは原発のことが
放送されなくなりつつあります
同じ津波の映像や
マスコミの心無い
インタビュー
口先だけの哀悼の意
被災を『天罰』と言った政治家

政治家はお給料でも
貯金でも叩いて助けてください

彼らの贅沢をやめて
被災者を生きさせてください

命令ばかりしないで、
安全な場所から見てないで、
現地で身体をはって助けてください

私たちは・・・見捨てられました
おそらく福島は隔離されます

完全に見捨てられます
国に殺されます

私たち、被災地の人間は
この先ずっと
被災者を見捨てた国を、
許さないし恨み続けます

これを見てくれた人に
伝えたいです

いつ自分の大切な人が
いなくなるかわからないです
今隣で笑っている人が

急にいなくなることを
考えてみてください

そしてその人を
今よりもっと大切にしてください
今、青春時代をすごす
学校が遺体安置所になっています
体育や部活をやった
体育館にはもう二度と
動かない人たちが横たわっています

どうしたら真実を
一人でも多くの人に
伝えられるのか・・・
一人でも見て貰えれば幸いです
考えた末、勝手ながら
この場をお借りしました
ごめんなさい、そして
ありがとうございます』

如何でしたでしょうか?
大変、悲惨な状況に心が痛みます。
この福島県南相馬市の女子高生の方の
お気持ちを察すると、かける言葉も
みつかりません。
友人を思いやる優しさと悲しさと同時に
「私たちは・・・見捨てられました
おそらく福島は隔離されます
完全に見捨てられます
国に殺されます
私たち、被災地の人間は
この先ずっと
被災者を見捨てた国を、
許さないし恨み続けます」
とも、この方のように正義感と優しい気持ちで
いっぱいの心なのに・・・感じさせてしまいました。
この手紙を読ませていただいて、
政治家や国家や
マスコミや専門家や原発上層部だけでなく、
今の現状をつくった私たちひとりひとりが
いや、私自身が便利を快適さを享受するあまり、
大きな流れの中に身をゆだね、大きな問題意識も持たず
毎日を過ごしていたことに、恥ずかしさと責任を感じます。
この手紙の最後はこの言葉で結んでくれました。
「どうしたら真実を
一人でも多くの人に
伝えられるのか・・・
一人でも見て貰えれば幸いです
考えた末、勝手ながら
この場をお借りしました
ごめんなさい、そして
ありがとうございます」

こちらこそ
ごめんなさい
許してください
そして
あなたを被災者のみなさまを
心から愛しています
本当にありがとうございました。

2011年4月22日金曜日

是非、ご覧になって友人にも紹介してください。

生命科学者村上和雄先生と、
映画「1/4の奇跡」の山元加津子さん、
どちらも命を見つめ続けてきた人。
この大震災を受けて思うこと。

村上先生は
長年研究してきた立場から、


加津子さんは、
病いで倒れるも、
周りの支えで
奇跡の回復を見せている
宮田さんとの日々もまじえて、
心を込めて
語ってくださっています。

今、
この時こそ
ますます日本人の和を大事にする心、
思いやり、
優しい気持ち、
強い心が大切なんだなぁ
と感じています。

東日本大震災によせて
~http://www.youtube.com/watch?v=TDy_6ya89q4
大震災を受けた今、
いのちに向き合い続けてきた二人が思いを語ります!

このメッセージが
一人でも多くの方の心に
あたたかい灯をともしますように・・・・・・。

自分の心のあり方

人は

どんなに
お金持ちで
物質的に
豊かであっても、


また、
その権力で
他人を
支配したと思っても、

それは
独りよがりの
錯覚に過ぎないのです。

決して
幸福になることは
ありません。
と言うより、
不幸になる
心のあり方です。

永遠の生命の中で、
統御・支配を
しなければならないのは、
自らの心の
あり方であり、

すべては
生かされていることへの
深い感謝がら
生じてくるところの
幸福の源泉を
探し当てることです。

2011年4月21日木曜日

智慧を持って生きる

人間は皆、
この世に
生まれたからには
皆、等しく老い、
病を持ち、
必ず死んでいきます。

しかしながら、
広大な
宇宙での存在は
死ぬことはありません。
だから、
生・老・病・死が
怖いのではありません。

貪りの心や
人を憎んだり
怒ったりする心
妬んだり
羨んだりする心
これらの心に
支配されることが
怖いのです。

生まれつき
身体が弱かったり、
障害があったり
家が貧しいことや、
学問を受けられなかったり、
いい会社に就職できないのが、
恥ずかしいこと
ではありません。

人を
むやみに傷つけ、
あらゆる生命を
むやみに損ない、
平気でウソをついて
生きることが、
とても恥ずかしい
ことなのだと自覚して

今日という
瞬間、瞬間を
感謝して
大切にして
生きていきたいと思います。

2011年4月20日水曜日

真実のこと

あなたの心が
捕らえる感覚も
あなたの心から
湧き上がる感情も
あなたの脳裏に
浮かぶ思考も

あなたが
今まで生きてきた中で
出会った人々や、
育ってきた環境によって
つくられたものです。

それらが
絶対であるわけがなく、
あなたの身体同様、
自分のものでは
ないのです。

ですから、
あなたが
自分のものだと
思っている。
その感覚や
感情や
思考に
しがみついて
こだわることもありません。
外部にある
すべてのものに
実体があるわけ
ではありません。

あなたの内部に
静かに耳を傾け
真実の答えを
導き出してください。

2011年4月19日火曜日

"When you look, do it with love."

「あなたが見る時は、愛をもって見るように」

この言葉は、
イハレアカラ・ヒュー・レン博士の言葉で
ホ・オポノポノの伝道者として知られている。

ホ・オポノポノにおける癒しとは、
”あなた自身を愛すること”

あなたが自分の人生を改善したければ、
今ここという瞬間に
あなたは自分の人生を癒さなければならない。

もしあなたが誰かを癒したければ
―たとえそれが精神障害を持った
犯罪者であっても―
今ここという瞬間に
あなたはそれを、
自分自身を癒すことによって行うのだ。

ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

自分の前に現れるすべての出来事は
いったい、
どんな「わたし」のどんな記憶の再生から
そう、見えてしまうのだろう。

怠慢からか
知識や経験の不足からか
むさぼりの心や
おごりの心からか

目の前に起こっている出来事や
あなたの苦しみはいったい
「わたし」のなかの
どんな記憶を見せられていると
いうのだろうか



自分の内にある優しさ
自分の内にある素直さ
自分の内にある慈悲の心
自分の内にある感謝の心




ごめんなさい
許してください
ありがとう
愛しています

この魔法の言葉で上書きをします
すべては、今というこの瞬間に
"When you look, do it with love."

2011年4月18日月曜日

今日は残りの人生の最初の日


今日は残りの人生の最初の日、

今日は今までの人生の
最後の日でもあります。
ただ、私たちにあてがわれた
確かな時があるとするならば、

今日という括り、
あえて言えば
今この瞬間にしか
私たちは
存在していないと言えます。

今この瞬間にしか、
私たちの
実在はないとも言えます。

今の瞬間に考えていること
思っていることが
私たちそのものの実体です。

それ以上でも、
それ以下でもありません。

私たちは、
今この瞬間に何を考え
何を思うかは
私たちの自由です。

ならば、どう考えたら
より良いのでしょうか。
それを
書いていきたいと
思っています。