2012年4月22日日曜日

「耳の大きなおじいさん」


ある会合の席で
講師の方が紹介
してくれた
「耳の大きなおじいさん」
というお話があります。

このお話は
高木善之さんの本
『ありがとう』
(地球村出版)の中の

(P30からP33)に
書かれている一節です。

とてもすばらしいお話です。
共有してください。

『私が子どもの頃、
近所に
東(あずま)さんという
お宅があり、
そこにおじいさんがいました。

おじいさんは
いつも籐椅子で
揺られていました。
耳が大きく、
いつもニコニコして、
いつも半分寝ていました。

もとは父と同じ病院の
歯医者さんでしたが、
数年前に定年退職しましたので
六十五歳くらいです。
いまなら六十五歳は
高齢ではありませんが、

「村の船頭さん」の歌詞にも
「ことし六十のおじいさん」
とあるくらいですから、
当時は六十五といえば、
近所でもっとも高齢でした。

この
「耳の大きなおじいさん」は、
「悩み事、相談事をすると
とても楽になり、
解決が見つかる」
ということで評判で、
近所の人はもちろん、
遠くからも
人がやって来ました。

私は、
小さな子どもだったので
実際に
相談したわけでは
ありませんが、

人の話によると、
おじいさんは、
どんな話も
黙って聴くのだそうです。

相手が笑うと、
おじいさんも微笑んで
くれるのだそうです。

相手が泣くと、
おじいさんも
涙を流して
くれるのだそうです。

相手が黙り込むと、
おじいさんは
やさしい目で見つめて
黙って待って
くれるそうです。

そして、
相手が立ち上がると、
抱きしめて
くれるそうです。

そして玄関まで
送ってくれて、
相手が
見えなくなるまで
手を振って
くれるそうです。

相談に来た者は、
最後には
みんな涙を流して
「ありがとう!
ありがとう!」
と感謝して帰って
いくそうです。

「耳の大きなおじいさん」は
どんな悩み事も、
受け止めて
くれるのだそうです。

あとになって私は、
父親にこのことを聞くと、

「あのおじいさんはね、
耳が聞こえなかったんだよ」
と衝撃的なことを
話してくれました。

「えっ!どうして!
どうして
耳の聞こえない人が
相談を解決できたの?」
と聞くと、父は

「さあ、
わからないけれど・・・
きっと愛
だったんだろうね」
と言いました。

そして父は、
「ボケ(認知症)が
かなり進んでいた」
と付け加えました。

耳が聞こえない
おじいさん、
認知症の
おじいさん、
相手の話も聞こえない、
相手の話も理解できない
おじいさんが、
多くの人の
相談事や悩み事を
解決したということ。

そのおじいさんを
思い出すと、
いつも
ニコニコしている
笑顔が浮かんできます。

相談者は、

黙って
聴いてくれること、

うなずいてくれること、

共に
喜んでくれること、

共に
悲しんでくれること、

それを一番に
求めているのです。』

いかがでしたでしょうか?

私も昔で言えば
「おじいさん」と
呼ばれる歳になりました。

少し耳も
遠くなっています。
聞き返すことが
増えました。

また、少し
ボケてもきました。
単純な言葉が
中々出てきません。
よく忘れ物をします。

でもこのお話を読んで
それもいいかと
そして、
「この、
耳の大きなおじいさん
のような人に
なりたい!」
と思えてきました。

だんだんと
年を経てくれば
必要のないことは
聞かなくてもいいように
自然に耳も遠くなって
いくのでしょう。

取り越し苦労や
持ち越し苦労を
しないで
いいように
ボケてもいくのだと
思います。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日もひとりでも
多くの人のお話を
聞きたくなりました。

少なくとも
今日一日は
「口の大きなおじいさん」
ではなく、
自分の主張は引っ込めて

人の話に耳を傾けよう!
そして共に笑い
共に悲しみ
大きな愛で包んでみよう!
と思うのです。

この
「耳の大きなおじいさん」
のように

生かして頂いて
ありがとうございます。

2012年4月16日月曜日

『最後だとわかっていたなら』

昨日は女房の実家がある
鶴見(横浜市)に行き
女房の妹さんや
妹さんの長女
弟さんと
食事をし語らい
楽しい一日を
過ごしました。

今年は早々
ブログでも
書かせて戴きましたが
女房のもう一人の
弟さん(長男)が
肺がんと肝硬変で
突然逝去しました。

女房自身も
食道がんと
共に生きてきた
8年もの間
死や別れを意識
しなかったことは
なかったと思います。

そんな中
昨年は私たち
日本人、いや、
日本人だけでなく
世界中の人たちが

3,11に
未曾有の
大震災と津波が襲い

たくさんの方たちが
お亡くなりになり

愛する人たち
大切な人たちとの
強制的な?別れを
目の当たりに
しました。

昨日まではいや、
さっきまでは
普通の日常を
送っていたのに!?

「なぜ!?どうして!?」

当事者の方たちの
喪失感や後悔は
いかばかりかと
察せられます。

しかし、同時に
何よりも
かけがえのない人たち
大切な人たちへの
限りない愛の気持ちが
私たちにも
芽生えてきたのでは
ないでしょうか!

人と人との
“絆”(きずな)

限られた人生の中で
70億もの中から
会うことができた奇跡
“一期一会”という
言葉の持つ深い意味を

その中で
親子。兄弟、友人として
会いまみえることが
出来ている
かけがえのない
愛する人々

この大きな出来事は
今、私たちがやるべき
本当に大切なことは
一体何なのか?を
一人ひとりが思い直す
きっかけになったのも
事実であります。

今、会えるときに
会っておきたい。
会って、
私があなたを
愛していることを
伝えたい“

照れくさくて
今更言えないかも
知れないけれど
私流の愛を伝えたい!
素直にそのままを
伝えたい!

今。語らい合うことの
とても素晴らしく
充実した時間
そんな大切な時間を
確かに感じていきたい
そう思うのです。

ひとつの愛の詩が
あります。

それは
ノーマ・コーネット・
マレック(Norma Cornett Marek)
さんという
アメリカ人女性が書いた
「Tomorrow Never Comes」
という詩です。

これは、彼女が
亡くなった
我が子を偲んで
1989年に書いた
詩です。

2001年の9.11
ワールド・
トレーディング・センタ
爆破事件の後に
チェーンメールとして
世界中に送られ
多くの人に感動を
与えた作品です。

9.11の救命の時に
出動し
爆破現場で命を
落とされた消防士の方の
書かれたものとの
尾ひれがついて
噂話がまことしやかに
囁かれた作品としても
評判になったそうです。

日本でも
評判になり
佐川睦さんという方が
大変感銘を受け
この詩を翻訳して
くださり

邦題
「最後だとわかっていたなら」
というタイトルで
2007年に
サンクチュアリ出版で
出版されています。

作者の
ノーマ・コーネット・
マレックさんは
2004年に亡くなった
そうです。

しかし、
この詩が伝える
かけがえのない
愛の伝達の渦は
拡大し多くの人に
生きる力と
多くの感動を
与え続けると
思います。

それでは
共有してください。


『最後だとわかっていたなら』

あなたが
眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
もっとちゃんとカバーをかけて
神様に
その魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたが
ドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
あなたを抱きしめて 
キスをして
そして
またもう一度呼び寄せて 
抱きしめただろう

あなたが
喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは 
その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは
言わなくても 
わかってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と
わたしは 
伝えただろう

たしかに
いつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 
今日
どんなにあなたを愛しているか 
伝えたい

そして 
わたしたちは 
忘れないようにしたい

若い人にも 
年老いた人にも
明日は誰にも約束されて
いないのだということを
愛する人を
抱きしめられるのは
今日が
最後になるかもしれないことを

明日が
来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは
今日を後悔するだろうから

微笑みや 
抱擁や 
キスをするための
ほんのちょっとの時間を 
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の
最後の願いとなってしまったことを
どうして 
してあげられなかったのかと

だから 
今日
あなたの大切な人たちを 
しっかりと抱きしめよう
そして 
その人を愛していること
いつでも 
いつまでも
大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や
「許してね」や
「ありがとう」や
「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば 
もし
明日が来ないとしても
あなたは
今日を後悔しないだろうから

【翻訳 佐川睦さん】

【原文 全文】
Tomorrow Never Comes
Norma Cornett Marek

If I knew it would be the last time that I'd see you fall asleep,
I would tuck you in more tightly, and pray the Lord your soul to keep.
If I knew it would be the last time that I'd see you walk out the door,
I would give you a hug and kiss, and call you back for just one more.

If I knew it would be the last time I'd hear your voice lifted up in praise,
I would tape each word and action, and play them back throughout my days.
If I knew it would be the last time, I would spare an extra minute or two,
To stop and say “I love you,”instead of assuming you know I do.

So just in case tomorrow never comes, and today is all I get,
I'd like to say how much I love you, and I hope we never will forget.
Tomorrow is not promised to anyone, young or old alike,
And today may be the last chance you get to hold your loved one tight.

So if you're waiting for tomorrow, why not do it today?
For if tomorrow never comes, you'll surely regret the day
That you didn't take that extra time for a smile, a hug, or a kiss,
And you were too busy to grant someone, what turned out to be their one last wish.

So hold your loved ones close today and whisper in their ear
That you love them very much, and you'll always hold them dear.
Take time to say "I'm sorry,"... "Please forgive me,"... "thank you" or "it's okay".
And if tomorrow never comes, you'll have no regrets about today.


いかがでしたでしょうか!

『今日は残りの人生の最初の日』

「ごめんね」を
今、伝えましょう。

「許してね」を
今、伝えましょう。

「ありがとう」を
今、伝えましょう。

「気にしないで」を
今、伝えましょう。

確かな時間は
今しか
ないのだから。

そして、
「今」
『あなたを
愛しています 』と
伝えましょう!

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年4月10日火曜日

“ドイツ発ドキュメンタリー、フクシマの真実を!“2

これは
”ドイツ発ドキュメンタリー
フクシマの真実を!”1の
続きです。
1からお読みください。

フクシマ──最悪事故の陰に潜む真実

20万人を超す人が見たという「フクシマの嘘」に続き、私がよくまとめられていると思ったARTE(フランスとドイツ合同で作っているテレビ放送局)の1時間弱のドキュメンタリーの字幕をつけた。

http://www.dailymotion.com/video/xpzmuo_yyyy-yyyyyyyyyyy_news#from=embediframe

ここにもとの「字幕書きおこし」といえる私のもとの翻訳を載せる。1時間もインターネットで動画をみる時間のない人には、この方が簡単かもしれない。画面の状況説明を括弧で入れておいた(画面を見なくても大体がわかるように)。
このドキュメンタリーも、フクシマの嘘のように原発事故の前後関係と経過がよくわかる点で優れていると思うが、ことにこのドキュメンタリーでは、事故の過小評価や隠蔽が行われたのが、日本だけではない、アメリカやフランスにも原子力ムラにつながるものがあり、やはりマスコミを巻き込んで圧力をかけている、ということがはっきり伝えられているのがいいと思う。
ガンダーセン氏、バスビー教授、上杉隆氏、佐藤栄佐久氏、鈴木智彦氏などがインタビューされている。

00.23 最悪事故の陰に潜む真実
00.35 監督:ミヒャエル・ミュラー/ペーター・F・ミュラー/フィリップ・アブレシュ
00.39 字幕翻訳:無限遠点
00.55 金曜日。とても天気のいい日だった。
00.58 2011年3月11日の午後
01.01 東京を始め日本の東北地方で大地震が起こった。
01.05 震源地は仙台から約130キロ東の太平洋にあった。
01.10 これは観測史上4番目に最大の地震だった。
(菅前首相登場)
本日14時46分、海を震源地とする
01.27 非常に強い地震が発生しました。
01.30 マグニチュードは8.4でした。
01.38 実はマグニチュード9.0と訂正された巨大な地震は
01.41 さらに恐ろしい津波をもたらした。
01.44 地震から約40分後には
01.47 巨大な波が東北地方の
01.50 ほぼ150キロに及ぶ範囲に襲い掛かった。
01.55 数分で海水は国土にどっと流れ込み
01.59 何キロにもわたる広い範囲を呑みこみ
02.02 沿岸にあった町や村を根こそぎ破壊していった。
02.05 19000人以上の人が死亡し
02.08 10万人が帰る家を失った。
02.11 この被害が残した爪あとと、日本はこれから
02.14 何十年も闘っていかなければならないだろう。
02.17 災害が起きてすぐには、いったいどれだけの
02.20 被害ができたのか、大まかの予測さえ不可能だった。
(枝野、画面に登場)
02.27 現時点では、相当甚大な被害が出ている模様です。
02.30 政府は被害拡大の防止に向けて
02.33 最大限の努力を払っています。
(福島原発の画像)
02.43 しかし恐ろしい最大規模の被害はもうすでに起きていた。
02.46 まず地震が福島原発の原子炉に重大な故障を引き起こし
02.50 事故の始まりを告げていたが
02.54 津波が第1号機から第4号機までを襲ってからは
02.57 次々と決定的な、取り返しのつかない事態が
03.00 連鎖反応のように起こっていった。
03.03 15時42分には第1号機から第3号機までの
03.06 電源が喪失した。
03.09 数分後には津波で夥しい量の海水が襲い掛かり
03.12 非常用発電機のオイルタンクが流されてしまった。
最悪の事態が起きた。
03.18 原子力発電の完全なブラックアウトである。
03.21 一時間後には第1号機と第2号機の
03.24 冷却が止まった。
03.27 これで「最悪の事故」を止めることはできなくなったのだ。
(アメリカ、バーモント州の画像)
03.34 ここはアメリカのバーモント州。
03.37 原子炉エンジニアであるアーノルド・ガンダーセン氏は
03.40 アメリカで原発を操業する大手電力会社の
03.43 監査委員会に所属しているほか
03.46 アメリカの原子力規制委員会や議会でも顧問を務めている。
03.50 ガンダーセン氏は福島原発事故を
事故発生直後からずっと注意深く観察し続けてきた。
(ガンダーセンのインタビュー)
04.04 第1号機では、すでに地震で配管が壊れたことを示す徴候があります。
04.07 ということは津波が到達するまでに
04.10 すでに原子炉の冷却はできなくなっていたのです。
04.13 第2号機と第3号機では地震と津波が来て
04.16 最初の数時間はまだ普通に冷却されていました。
04.19 でも、第1号機では地震ですでに問題が起きていたのです。
04.35 津波は2つのことを引き起こしました。
04.38 まずは非常用のディーゼル発電機を破壊しました。
04.41 非常時に原子炉が冷却できるよう準備されていたものです。
04.44 第二には、海岸沿いに設置してあったポンプというポンプが
04.47 すべて破壊されたのです。
04.50 ということは、たとえ非常用の発電機が作動していたとしても
04.53 冷却する水は取り込めなかった、ということです。
04.56 津波は、この第1、2、 3号機の息の根をまさに止めたのです。
(街角で人々が立っている画像)
05.00 そんなことは東京に住む人も
05.03 津波の起こった地方の住人もまだ思いもしなかった。
05.06 午後、当時の菅首相は、
05.09 原発の状況は平常だと伝えていた。
05.12 地震後、原発炉は自動的に停止された、と。
05.16 7時45分には東京の一部で停電が起きた。
05.20 そして45分後に菅首相は非常事態を宣言した。
05.25 東京では人々がまだテレビに釘付けになって
05.30 災害の様子を追っている間
05.35 原発の周辺ではすでに、最初の住民避難が始まっていた。
05.40 こうして最終的に88000人が故郷を失うこととなる。
05.44 翌日になっても政府は、事故の起きた原発がどのような状況か
05.47 ほとんど知らせなかった。
05.50 東京にある緊急時対策本部と福島の現場を結ぶ
05.54 連絡が途絶えることもあった。
(東電?のジャンパー姿のスポークスマン)
06.01 今のところ、我々は事実を確認中です。
06.04 状況を観察し、情報を収集しています。
06.13 第1号機原子炉の炉心溶融はこの時点ですでに
06.16 かなり進行していた。
06.20 この日の夜、格納容器の圧力が異常に上昇した。
06.23 電源が喪失していたため
06.26 作業員は手動でベントを試みた。
06.29 これにより格納容器の圧力を下げようとしたのである。
06.32 しかし放射線量が高すぎて、この必死の試みは中断せざるを得なかった。
06.35 空気圧縮機を使ってやっと弁を開放することに成功し
06.39 最悪の事態は防ぐことができたように見えたが
06.42 排水システムに漏れがあり
06.45 大量の水素ガスが格納容器が入っている
06.48 原子炉建屋の外壁部に出てしまい
06.51 それが天井付近に溜まってしまった。
(エメリッヒ・ザイデルベルガー氏、原子炉エンジニア)
06.55 このように完全なブラックアウトというのは信じがたい。
06.58 電源喪失だけでなく水もなかったというのは
07.01 あってはいけないことです。
07.04 システムが閉じた状態になれば
07.07 漏れが生じるのは当然です。
07.10 システムは開かれていなければ、冷却もできません。
07.13 すべて、想像しがたい事態です。
(福島原発爆発の画像)
07.34 状況はどんどんコントールできない状態へ陥っていった。
07.38 3月12日の13時36分には第1号機の建物の
07.42 外壁部を吹き飛ばす大爆発が起きた。
(ウィーンの画面)
07.53 ここはウィーン。
07.56 ここで物理学者兼リスク研究家の 
07.59 ヴォルフガング・クロンプ氏は働いている。
08.02 彼は70年代から原子力エネルギーの危険をテーマにして
取り組んできただけでなく、その事故を分析してきた。
(クロンプ氏のインタビュー)
08.08 あれは水素爆発だったということですが
08.11 それはどう起こるかというと
08.14 金属は高温になると水と反応し
08.17 まず水素を発生させます
08.20 大量の水素が今度は
08.23 酸素と反応して酸化し
08.26 可燃性の高いガス集合気体となります。
08.32 第1号機の爆発の2日後には
08.35 今度は第3号機で大爆音と共に爆発が起きた。
08.38 ここでも炉心溶融はすでに起きていた。
08.44 原子力安全保安院は福島第一原発に関し
ほとんど情報を持っていないようだった。
(保安院のスポークスマンの画像)
08.52 本日11時1分に福島第一原発の3号機外壁部で
08.55 爆発が起こりました。
08.58 大爆音が聞こえ
09.01 水蒸気が大量に上昇しました。
09.04 おそらく水素爆発と考えられます。
09.08 それでは、東電が伝えてきた内容を、報告します。
09.11 計測されたパラメータをもとにしますと
原子炉格納容器の健全性は保たれていると考えております。
(枝野)
09.25 今回の爆発事故の原因は、先日の
09.28 第1号機の爆発と同じだと考えられます。
09.31 格納容器は健全です。
09.34 そして、我々も、専門家も含めて
09.37 これにより大量の放射能が外に漏れることはないと
09.40 認識しております。
09.47 この時点で責任者が唯一、確かに言えたことは
原子炉建屋が2つ、爆発したということだけだった。
(クロンプ氏、車中)
09.58 ヴォルフガング・クロンプと彼のリスク研究所の同僚は
10.01 チェルノブイリの事故があった直後にも
10.04 事故の影響を分析してきた。
10.07 彼は、日本のエネルギー政策が無責任だと語る。
10.12 最大の過ちはなによりも
10.15 これほど地震の多い国に原発を建設したということです。
10.18 このような土地に原発はまったく不適です。
10.21 どのような地震にも耐えられる安全な設計というのが
10.24 あるとは思えません
10.27 ここまでは事故が起きても我慢できるとか
10.30 ここまではいいことにするなどの
10.33 計算をするということがそもそもおかしい。
10.36 実際に核の事故が起きてしまえば
帳消しにできない足跡を
10.42 とてつもなく長い時間に渡って残すことになってしまう
そしてそれは決して許されないことだからです。
(ツヴェンテンドルフの画像)
10.51 ドナウ川のほとり、ツヴェンテンドルフに
10.54 オーストリア唯一の原発が建っている。
10.57 1978年に行われた原発の可否を問う国民投票で
11.00 否決されて以来、一度も運転されたことがない。
11.03 それ以来ここは、世界各地で原発に携わる人間の
11.06 トレーニング施設として使用されている。
11.09 この沸騰水型軽水炉はほとんど福島の原子炉と同じ型である。
11.12 この建物を見てください。
11.15 この建物の基礎を残して、上がほとんど
11.18 数秒の間に爆発で木っ端微塵に飛び散り
11.21 鉄骨が見えるだけの状態になってしまったのです。
11.24 ということは上から覗けば
11.27 原子炉の上のほうが見える状態になっている。
11.30 圧力容器や、何年も保管しなければならない
11.33 使用済み燃料プールがなんの保護も覆いもなく
11.36 露出するという状態になるのです。
11.47 まさにその状態が、3月15日に第4号機で
11.50 爆発が起きた時に生じた。
11.53 この爆発により、使用済み燃料プールの天井が粉砕した。
11.56 この第4号機には前に爆発していたユニットとちがった
12.00 新しく、恐ろしい危険が潜んでいる。
(ガンダーセン)
12.09 第1から3号機までは、津波が来たときに稼動していました。
12.12 4号機にはでも、原子炉には燃料棒が入っていませんでした。
12.15 そう聞くと、それなら第4号機は一番安全だったと
12.18 お思いになるかもしれませんが、そうではありません。
12.21 実際は、この4号機が一番危険なのです。
12.24 燃料棒は原子炉から取り出され、
12.27 燃料プールに入れられていました。
12.30 つまり、安全を確保する格納容器の外にあるわけです。
12.33 ということは、この燃料棒を保護するものは何もないということです。
津波に襲われて、4号機では燃料プールの水は
12.39 かなりこぼれてしまいました。
12.42 それに加え、電源がなかったので冷却ができませんでした。
12.45 ここに入れられたまだ原子炉から取り出されたばかりの核燃料は
すごく高熱で、水はすぐに蒸発してしまったはずです。
(爆発の画像)
12.54 状況はどんどん悪化してしまった。
12.57 自衛隊が投入され
13.00 空からヘリコプターで注水を行った。
13.04 しかし、これは原子炉の冷却が主な目的ではなかった。
時間との競争は、もうこの時点ですでに始まっていたのである。
(ガンダーセン)
13.19 この頃のドラマチックな画像として
13.22 ヘリコプターで水をかけようとする様子が流れましたが
13.25 彼らはこの時、原子炉に水をかけようとしたのではないのです。
13.28 そうではなく、4号機の燃料プールに水を入れようとしたのです。
13.31 彼らはなるべく下降してどうにか少しでも
13.34 燃料棒が入っているプールに水を入れようとしたのですが
13.37 この必死の試みをとうとう断念せざるを得ませんでした。
13.45 水位はどんどん下がっていき
13.48 とうとう燃料棒の先端が露出してしまいました。
13.51 画像で見れるとおりです。
13.54 それが原因となって、1~3号機ですでに起きたと同じ
13.57 反応が起こってしまいました。
14.00 つまり、水素がどんどん発生して
14.03 4号機の建物が吹っ飛ぶだけの量に達してしまったのです。
14.07 原子炉自体は稼動していなかったにも限らず、です。
(東電の画像)
14.10 東電と保安院は4号機の爆発についてまず知らないふりをした。
14.14 4月4日の報告書では15日のこととして単に
14.17 「壁の損傷」だけが確認されている。
14.23 しかし米国の原子力安全委員会は
14.26 3月17日の時点で最大の警告を発していた。
14.30 燃料プール内の核燃料が露出していたため
14.34 4号機では水素による爆発が起きたと考えざるを得ない、と
14.37 インターンの報告書に書かれている。
(再びガンダーセン)
14.42 これは4月初めに東電が公開したビデオです。
14.45 これでようやく4号機の燃料プールの様子を
14.48 覗くことができました。
14.51 この画面がその中でも一番わかりやすい。
14.54 これは次のことを示しています。
14.57 床は大体、このくらいの高さまであったはずです。
15.00 蒸発と爆発により水量が減り、かなりダメージを受けて
15.03 床が落下しています。
15.08 ここら辺に核燃料が置かれています。
15.13 この緑の機械は、核燃料を移動するためのクレーンです。
15.17 しかしこのクレーンも破壊してしまい
今では燃料プールに入り込んでしまっているのです。
(ナレーション)
15.24 東電は、原子炉建屋と燃料プールに上から水を入れるしかなくなった。
15.27 東電自身も事態をかなり深刻と判断し
15.30 爆発後、4号機の作業員は
15.33 全員避難を余儀なくされた。
15.36 その中で50人だけがここに残った。
15.39 これが、外国のジャーナリストから
15.42 フクシマ・フィフティと呼ばれるようになった勇敢な50人である。
15.45 東電は2011年の11月になって初めて
15.48 4号機で爆発があった事実を認めた。
15.51 しかしそれでもその水素ガスが燃料プールから
15.54 発生したものだとは認めようとしなかった。
15.57 というのも、それを認めてしまえば
16.00 燃料がしっかり冷却できなかったことを認めざるを得なくなるからだ。
16.03 それで彼らは、自分たちの解釈を説明した。
(ロバート・アルヴァレス、原子力安全専門家)
16.10 東電は4号機の爆発は水素爆発だった、
16.13 そしてその水素は、3号機と繋がっている
16.16 共通の排気筒を通して
16.19 3号機から水素が4号機に流れ込み
16.22 爆発を起こした、と説明しています。
私自身は、この説明に信憑性があるとは思えません。
(ナレーション)
16.33 日本の東京大学の学者も
16.36 日本原子力研究開発機構も
16.39 この説を疑っている。
16.42 3号機の爆発が起きてから4号機の爆発まで
16.45 20時間も経っていることもそれでは説明がつかない。
(ふたたびRobert Alvarez)
16.49 2つ目の説があります。
16.52 これは、長くジェネラル・エレクトリック社に務め
16.55 スリーマイル島の事故があったときにも
16.58 事故の収束にたずさわっていたマイルスという
17.07 原子力エンジニアが主張している説ですが
17.10 彼や私の知っているエンジニアたちはこう解釈しています。
17.13 つまり、まず地震で燃料プールに亀裂が入り
17.16 水が流出してしまった。
17.19 それで、ウラン燃料の被膜をつくっているジルコニウムが
17.22 とても高い温度に達して
17.25 自然に発火してしまった。
17.28 そのときに水素も同時に発生したために
17.31 爆発が起きた、というものです。
(ナレーション)
17.37 結果的に爆発は途方もない破壊をもたらした。
17.40 燃料プールには点検のため原子炉から取り出された
17.43 燃料が入っていただけではなく
17.46 200本以上の燃料棒が入っている。
17.49 燃料プールに充分な水がなければ
17.52 これらは途方もない脅威を意味する。
(東電の画像)
東電は2012年1月にもまだ事態の過小評価を試みている。
18.02 東電のスポークスマンの主張は
18.05 世界の専門家たちによる原子炉画像のどんな分析にも
あらゆる点で矛盾している。
(東電スポークスマン)
燃料プールにはちゃんと水が入っていて
冷却がされていますし
燃料プールが大きく損傷しているということを示す
兆候は確認されていません。
(ガンダーセン)
米国の原子力規制委員会は福島第一の4号機を
一番危険なものと見なしています。
というのは、燃料プールがなんの保護もなく
放置されていて、燃料棒が
いつ引火して火災を起こしておかしくないからです。
そのようなことが起きれば放射能と火災で20万人を超す人間が
死亡することがありうると想定できました。
18.45 だから米国政府は、原発から
半径100キロ圏内の住民に避難勧告を出したのです。
(ワシントン)
ワシントンにある原子力エネルギー協会は
米国の原子力ロビーを取り仕切る団体だ。
A. P. ヘイマー氏はここを代表する戦略家だ。
(ヘイマー氏)
米国の原子力規制委員会は、米国市民に対して
福島第一の最低半径50マイル圏内から離れるよう、勧告しました。
この勧告をするに至ったのには2つ理由があります。
19.15 1つ目は、日本に滞在する米国市民は外国人であり
現地の言葉をちゃんと理解できないことです。
このような災害が起きた時に、邪魔にならないよう
退散していた方がよい、という判断です。
19.35 2つ目の、しかももっと適当だと思われる理由は
原子力規制委員会がワーストケース、つまり
最悪の事態を分析したことにあります。
米国の原子力規制委員はワーストケースのシナリオを
重要視した。
19.50 4号機の燃料プールに水がなくなる危険を重視した。
これは、官庁インターンの電子メール文書から明らかだ。
20.00 日本人はそうではないと主張しているが
アメリカではそれを疑っていることがここでわかる。
20.06 しかし、どうやらその最悪の事態は起きなかったようだ。
(ガンダーセン)
もし燃料棒が火災を起こしていれば
今頃日本ははっきり2つに分断されていることでしょう。
そうなれば50マイルほどの幅の地帯が日本を横断し
もう北から南へ行くことができなくなっていたでしょう。
東京から消防隊が現地に送られるまで
事故から1週間かかった。
菅首相自ら、その命令を下している。
まさに、決死隊だった。
(当時の消防隊の隊長)
これは、もう黄泉の国かと思いましたね。
普通私たちが行く事故の場所とは違って
あそこではなんの音もなく森閑としていました。
怪我人も死亡者も誰もいない。
あそこに着いた時は正直言って、怖かったですね。
(ナレーション)
暗闇の中で、彼らはどう進むべきか計画を練った。
右も左もまったくわからない状態だった。
隊員たちは36時間休むことなく働き通しに働いた。
どこもかしこも瓦礫ばかりで
大きい車両は、海までたどり着けなかった。
それでも、なにがなんでも1号から4号機まで
水で冷却しなければいけなかった。
(別の消防員のインタビュー)
人力で200キロもあるポンプを海まで引っ張っていきました。
それから、原子炉のそばまで、かなり長いホースを
引かなければだめでしたね。
(枝野)
現在、1号機から3号機まで消防隊により海水が運ばれており
状態は安定しているとの報告が入ってきています。
(Seidelberger)
あれは必死の試み、というものでしたね。
なんの水もほかになかった上
非常用の貯水もなかった
それで仕方なく海水を使ったわけですが
先のことを考えなかったのか
あるいは知っていてなにもしなかったか知りませんが
海水というのは塩分が固まりになってそこら中にこびりつき
なにかをふさいだり沈殿したりします。
そしてその後、真水を使って放射能にまみれた塩の塊を
洗い流し、今度は大量の放射能に汚染された水を
また海に流してしまったのです。
(消防隊の放水の画像)
昼夜ひっきりなしに1~4号機まで放水が続けられた。
毎時ごと、放射能に汚染された水が
22.23 各ブロックでどんどん溜まっていった。
22.27 海江田経産相は、放射線量が高いので放水活動を
22.30 中断せざるを得ない消防隊に向って
原発事故現場で放水を中断すれば処分する、と脅した。
それから2号機で2度、爆発が起きた。
これにより配管と外側の立て杭に亀裂が生じた。
その亀裂から放射能汚染水が漏れ出た。
亀裂をまずコンクリートで固めようとしたが失敗し
紙やおがくずなどで試みたのち
水ガラスを導入してどうにか亀裂を止めることができた。
23.00 大量に発生した放射能汚染水を
東電にはもう処理することができなくなっていた。
(枝野記者会見)
放射性物質を含む水を海に放出する以外手立てがありません。
(ナレーション)
23.20 1万トンの高放射能汚染水がその後太平洋に放出されることとなる。
それが世界の生態系にどのような影響をもたらすことになるのか
まだ誰にも評価できない。
(Robert Alvarez)
海に放出された汚染水の量を査定すると
開始時点より3倍に増えているとする
報告が上がっています。
そして原子炉からずいぶん離れた場所でも高い放射線が
見つかっているということから、かなり高度の放射能が
放出されてしまったことがわかります。 
私は、これまでの評価を訂正すべきだと思います。
数字はずっと高いものであるはずです。
(クロンプ)
海が今後どのような反応を起こすかについては
まだ答えは出ていません。世界初の実験であるわけで
24.07 これから判明していくことでしょう。
(車中テレビの画面)
これほどの非常事態に対して
危機管理があまりにひどかった東電と政府だが
24.15 菅首相は7月にこのようなニュースを晴々と伝えた。
原発事故を収束するための第1ステップが
見事終了したというのだ。
「循環注水冷却システムができあがり
これからもステップ2終了に向け
努力を続けていく所存です。
いわゆる「冷温停止」が完成できるのは
24.39 2012年の初めと考えております。」
これはしかし、政治的な議事日程であって
絶え間なく続行する事故の現実とは
無関係だ。
(ウェールズ沿岸画像)
24.57 ここはウェールズ沿岸のアバリストウィス。
25.00 クリストファー・バスビー教授は
25.03 ここの大学で研究する放射性化学者だ。
25.06 彼はまた、独立した欧州放射線リスク委員会のメンバーでもある。
25.09 ここにはヨーロッパ各地からあらゆる専門家が所属している。
25.13 彼は、フクシマ近辺とその周辺で実際に
25.16 どの程度汚染が進んでいるか、調査し
25.19 住民にとってどれくらい危険があるか調べようとしている。
25.22 それで彼は、車のエアフィルターを日本から取り寄せた。
25.26 彼はその車が、事故直後からどこにあったかを
25.29 持ち主に細かく記録してもらった。
(バスビー教授)
フィルターを開けて
アルファ粒子を検出する装置に入れます。
25.45 まず24時間待たなければいけません。
アルファ粒子を放出する放射性線は
26.00 人間の細胞に当たれば、極めて危険である。
26.05 人々はこの放射能に当たるだけでなく
26.08 それを体内に吸い込みます。
環境にはウランやプルトニウムが大量に放出されていて
遺伝子を壊す、非常に危険な物質に満ちています。
ですから、地面にある放射能だけでも
大変怖れなければいけない。
それが空気にあれば、人々はそれを当然吸い込みます。
私は車のフィルターを測定しましたが
フィルターに溜まった同じものは人間が吸い込んでいるのです。
それが肺からリンパシステムに入れば病気になります。
(渋谷の画像)
26.38 7月には東京はいつもと同じ状況に戻った様子を見せていた。
しかし、放射能に汚染された牛のえさや
緑茶、または米などがニュースとなった。
東電や政府の過小評価がどんどん
信憑性を失っていく中でも
人々はあまり動揺しなかったように見られた。
(自由報道協会の記者会見)
同じ頃、バスビー教授は自分の最初の分析結果を手に
東京を訪れた。
分析結果はかなり不安を呼び起こすものだった。車のフィルターから
セシウム430と137が発見されたからである。
セシウム137は、何百年にも渡って
放射能を出し続ける強い放射性物質である。
27.21 ノルウェーの研究者たちがその後
バスビー氏の分析結果を確認している。
(バスビー氏インタビュー)
ということはかなりの量の放射線がすでに
放出されたということです。
福島からあれだけ離れた千葉などで
予測していた以上のものが発見されたわけですから。
これはまたウランやプルトニウムを含むその他の放射性物質が
かなり大きな距離にわたって拡散されたはずであることを
示す証拠ともいえます。つまり
27.51 住民たちはかなりの被爆の危険にさらされているのです。
27.54 それは、核実験が世界で相次いだ1963年ごろ
27.57 測定された大気の放射能物質より、千葉では300倍も強く
28.00 100キロ圏以内ではなんと1000倍も強くなっています。
(フクシマ近郊の道路の画像)
クリストファー・バスビー氏はふたたび北へ向い
環境における放射能の影響を測定した。
(バスビー氏、会津若松の家の庭)
今私たちは津若松にいます。
そしてここにあるのはポータブルのガンマ線スペクトロメータです。
(ナレーション)
スペクトロメータは夥しい量のセシウム430と137を検出した。
この2つの放射性物質は人体においては
ことに筋肉と臓器組織に蓄積される。
専門家は、このように汚染が進んだ
28.33 東日本、東北地方では今後
28.36 何十年にも渡って
農業はできなくなるであろうと語っている。
夏には米や牛肉から放射性物質が見つかったが
28.48 12月にはとうとう乳児用の粉ミルクから
放射性セシウムが検出され、回収されることとなった。
(フクシマ原発爆発の画像)
29.00 放射性の粒子がそれほど高い濃度で
しかもそれほど遠く離れた場所で発見されるということで
専門家にとってかなりのことが明らかになる。
(バスビー氏)
事故当初、あれは原子炉建屋の外側の壁が吹き飛んだだけの
水素爆発だ、と言われましたが
あれはそうではなかったはずです。
ことに激しい勢いでエネルギーが垂直に抜け出た爆発がありました。
29.23 ただの水素爆発であったのならば
29.26 あんなに事故現場から離れた場所で
29.29 あれだけの放射性物質が発見されるわけがありません。
(Nature誌の画像)
科学雑誌ネイチャーは12月に
29.36 福島の事故調査を行った
国会議員の報告書を掲載した。
ここで、プルトニウムが最大45キロ離れた地点で
発見されていると伝えている。
しかも、これだけの量のプルトニウム238は福島第一原発から
放出された以外には考えられない、と確認している。
しかし東電にとっては、それはあってはならないことだった。
(東電スポークスマン)
どのようにしてプルトニウムが検出されたか
詳細はわかりませんが
私どもでもその地方を調査しており
ごく微量のプルトニウムしか検出されませんでした。
しかしプルトニウムは核実験の放射性降下物として
全世界に広がっていますので、どこでも
わずかな量のプルトニウムは検出できるのです。
(ふたたび爆発の画像)
3号機の激しい爆発は世界の独立した専門家たちに謎を投げかけたが
30.28 ワシントンの原子力ロビーにとっては
30.32 答えは明白だったようだ。
(Heymer氏インタビュー)
30.36 3号機ではその周辺がまさに吹き上げられ
破壊したように見えますが
30.42 爆発がどのように進行したか見ていく限り
私たちはあれは即発臨界ではなかったと確信しています。
あれは本当に水素爆発だったのです。
(山口幸夫氏)
31.00 山口幸夫氏は原子力資料情報室の代表を務める
環境学者だが
彼はもっと恐ろしい事態を危惧している。
(山口幸夫氏インタビュー)
31.11 3号機で起きたのが核爆発ではなかったとは言い切れません。
というのも、あそこではウランとプルトニウムを混ぜて
つくったMOX燃料が使われていたからです。
どれだけの物質がどこまで拡散したかを
突き止めていけば
それを決定する調査を進めることができると思います。
(車から見たヴェルモント)
31.30 もう一度ヴェルモントに戻った。
アーノルド・ガンダーセン氏はこの3号機の爆発を
細かく分析しているからである。
(ガンダーセン氏)
私が3号機の爆発の画像を見る限り
31.43 1号機で起こった爆発や、その他の水素爆発から
私が見て知っているどの爆発とも
はっきり異なることがよくわかります。
(スライド画像)
このスライドはどれも300分の1秒の間隔で撮られたものです。
31.57 5番目のスライドで3号機の爆発が始まります。
32.00 鋭い閃光が走るのが見えています。
これは即発臨界の始まりを示します。
建物の右の部分から炎が突き抜けます。
そしてこここそ、燃料プールがある場所なのです。
ですから私は、燃料プール自体が爆発の原因であったと
考えているのです。
(爆発ピークの写真)
爆発がピークに達した時、黒煙とともに
がれきが木っ端微塵に飛び散るのが見えます。
燃料も中に入っています。ありがたいことに
そのほとんどが海に吹き飛ばされました。
燃料にはウランとプルトニウムが入っています。
そしてプルトニウムに関しては、25万年も環境に留まるのです。
(爆発の黒煙の写真)
この煙は約1キロも空中に上昇しています。
燃料プールから燃料が吹き飛ぶには
燃料が異常な熱と異常な速度を持たなければいけません。
これを私たちは即発臨界、と呼んでいます。
これは原子爆弾に似ていますが
それほどはひどくないというところです。
そしてこれは、通常の水素爆発とは異なります。
化学的爆発というのがある一方で
原子爆弾というのがあります。
ここで起きたのは、その中間、と呼べるでしょう。
これは核分裂の連鎖反応であり
これは非常に高い速度で進行します。
水という水がすべて蒸発し原子炉の金属も溶かし
そして燃料がプールから上に吹き飛ばされて
何マイルもの領域にわたって降り注いだのです。
(爆発の画像)
米国の原子力規制委員会でも早々と
33.36 3号機の爆発は単なる化学的水素爆発ではなく
劇的なものであったと報告している。
33.49 インターンの電子メールで3月25日に
33.53 膨大な量の蒸気は放射能特有のプロセスであった可能性が高く
つまり意図しない臨界による熱があったことを示唆している。
34.00 この分析のことはまったく公に知られていない。
(ガンダーセン)
事故のすぐ直後に世界で有数の原子力産業
アレバ社やジェネラルエレクトリック社
34.14 ウェスティングハウス社などがこぞって
このことを公にしないようにと
国会に圧力をかけ始めたことを私たちは知っています。
しかし私たちは、アレバ社がスタンフォード大学で報告発表を
開催するということを突き止めることに成功しました。
あそこではどれだけ深刻であるかが、報告されたのです。
そして、やはりジェネラルエレクトリック社や
ウェスティングハウス社に管理されている主要メディアは
このストーリーを過小に伝えることに徹底しました。
(フランス、アレバ社本社ビルの画像)
34.42 フランスはパリの、アレバ社の本社ビル。
アレバ社は世界で最大級の核産業企業であり
ウランとプルトニウムからできている
悪評の高いMOX燃料の納品会社だ。
福島第一3号機で使用されていたMOX燃料もアレバ社のものだ。
アレバ社でも事故はすぐに分析された。
35.00 ドイツの原子炉安全協会もこの報告をもとにデータを出しているが
35.03 4号機では事故直後に
35.06 燃料プールで爆発と火災が起こったと
記載されている。
(スタンフォード大学の画像)
この報告は、事故から10日後にスタンフォードで
開催される会議のベースとなるものだった。
国際安全保障協力センターのプライベートな招きで
35.27 訪れた参加者たちはすべて
35.30 事故の経過と詳細を知っている人ばかりだった。
しかし、事故の恐るべき事態や影響に関する情報には
誰一人動揺していようには見受けられなかった。
インターンで撮影されたビデオがその様子を物語っている。
(アレバ社のアラン・ハンソン報告)
今のところ燃料プールは無事に保たれている様子です。
これは日ごと小さくなっていく問題でしょう。
我々に報告されている現場の放射線量では
燃料が引火したということは
結論付けることができません。
(福島第一原発爆発の画像)
考えられ得る最悪の事故が
起こったなどということがあってはいけないのである。
あまりに多くのことが危険にさらされることになるからだ。
世界中の原子力エネルギーの未来がかかっているのだ。
(原子力ロビースポークスマン、Kate Marvelの報告)
この事故は、原子力エネルギーの終焉を告げるものではありません。
原子力エネルギーがなくなることはありません。
(アラン・ハンソン)
現場に数時間滞在しても
大した量の被爆をすることはないでしょう。
現地の住民たちの健康に大きな影響を
及ぼすことはないでしょう。
(病院、患者が身体検査を受けている画像)
事故が起こってから4ヵ月後にはすでに
15歳までの1080人の子供を対象に甲状腺スクリーニングが
おこなわれたが、そのほぼ半分が放射性ヨウ素による
被爆をしていることがわかった。
これはガンを発病する危険性が高いことを意味する。
ついに政府は秋から福島の18歳までの
36.50 36万人の子供と若者を対象に
36.53 ガン定期検査を実施すると決定した。
スタンフォードで専門家の一人は
経済的な影響について希望的に語っている。
(スタンフォードの会議でのDaniel Okimoto、政治顧問の報告)
37.08 復興が始まれば需要が刺激され
37.11 9ヵ月後、今年の終わりまでには
37.14 成長率が伸びるものと思われます。
37.18 私の予測では、来年の2012年には
37.21 より高い成長が期待できるでしょう。
(瓦礫をクレーンが除去する画像)
大事故から1年。
37.33 2900万トンもの瓦礫を処理しなければならないが
まだ計画は出来上がっていない。
放射能に汚染された瓦礫がただ無造作に積み上げられ
野外に野放しにされたままだ。
除染を計画されている家屋の数は
実際に必要な家屋の数の10分の1に過ぎないと専門家は語る。
(原子力ロビースポークスマン、Kate Marvelの報告)
この意味で私たちは選挙民としてもエネルギー消費者としても
全員が核エネルギーの将来を決定するのです。
私は、今後起こるであろうことに対し
根拠ある議論ができる道が
38.08 見出せることを願ってやみません。
(CBS放送局の画像)
38.19 原子力ロビーは早くから
38.22 マスメディアが必要であることを知っていた。
38.25 今日では「メディアの原子力コンプレックス」と
それを呼ぶことができるだろう。
38.31 このようにしてアメリカの大手のCBS放送やNBC放送は
38.34 ジェネラル・エレクトリック社やウェスティングハウス社を通じて
38.37 日本の原子力産業とつながっており
事故直後、日頃は鋭いオブザーバーが
きわめて控え目なコメントしかメディアに出そうとしなかった。
必要以上に早急に出来事の詳細を
評価するのは避けようと判断したようだった。
これが世界に影響する原子力事故であるなどとは
いいたくなかったのである。
(ガンダーセン氏インタビュー)
39.00 事故があってから2,3日後は
ニュースでもほかの話題を出してから
最後にちょこっと付け加える程度しか
報道しませんでした。
これは原子力産業にとって
ニュースポリシーに干渉することが大切だったからです。
(上杉隆氏画像)
日本の原子力産業の伸ばす腕も長い。
フリージャーナリストでありニュースキャスターでもある
上杉隆氏は、フクシマでの事故経過と政府や東電の
情報政策の裏を探ろうとしてきた
数少ないジャーナリストの一人だ。
日本のマスメディアに対する彼の評価は
かなり意気消沈するものだ。
(上杉氏インタビュー)
報道内容に関して点数評価をつけるとしたら
百点満点のうち1点も上げることができません。 
いや、それ以下です。
マスコミの仕事は東電や政府が隠そうとする情報を
39.58 暴いていくことにあるはずです。
40.02 しかし彼らは、真実の隠蔽に
40.05 貢献しているのです。
(テレビ局スタジオの画像)
40.14 上杉氏は今でもある放送局の番組の司会役を務めている。
40.17 彼の番組の今夜のゲストは
福島前知事、佐藤栄佐久氏だ。
40.24 彼はプルトニウムが燃料に入ることに反対し
日本の原発ムラの権力を身に沁みて感じることとなった人間である。
彼は自分の職務から追放されてしまったのだ。
上杉氏に対する攻撃は、かなりオープンだった。
(上杉氏インタビュー)
40.37 3月18日のことだったと思いますが
政府スポークスマンである枝野氏が記者会見で
フリーのジャーナリストの中に「放射能が放出されている」
というデマを流している者がいますが
市民を不安に陥れているので
即刻やめてほしい、と発言しました。
私の名を出さなくても、私のことを指しているのは
明らかでした。
そしてそのうち、テレビで「デマに注意しましょう」
というコマーシャルを流し始めました。
それでも踏みこたえていくと、いつか番組から降ろされることになります。
それで、以前原発関係会社がスポンサーをしていたTBSでの
仕事を失う羽目となった、と上杉氏は語る。
41.27 私はメルトダウンが起きているはずだという報告や
41.30 爆発でかなりの放射能が拡散されたに違いないという報告を
目にしたので、東電に向ってそれを確認する質問をしました。
それ以後、彼らは圧力をかけて
日本のメディアから私を排除することが始まっていきました。
もともと原発ロビーの敵ではなかった佐藤栄佐久氏には
汚職疑惑がでっち上げられた。
(佐藤栄佐久氏インタビュー)
私は、日本が原子力帝国になってしまったと思います。
情報は抑制され、政府、マスコミ、学者たちはこぞって
彼らとは別の考えを持つ人間を全部排除してきました。
これはファシズム以外の何物でもありません。
こういう状況ができあがっていたからこそ
42.13 フクシマの事故が起きたのです。
(サンフランシスコ)
カリフォルニア州サンフランシスコ。
シリコンバレー近くに住む日系アメリカ人ケイ・スガオカ氏は
長年ジェネラル・エレクトリック社に
42.29 原子炉技術者として務め
42.32 1年に数回、原子炉納入業者の依頼で
定期検査のために福島原発を訪れていた。
それは、彼が解雇されるまで続いた。
(ケイ・スガオカ氏インタビュー)
私たちは放射線防護装置を点検し
修理を行い、点検をしました。
我々の専門は原子炉容器内での作業
ことに燃料挿入箇所でした。
スガオカ氏と彼のチームは点検の際
43.06 原子炉容器の奥底で時として
43.09 信じられぬ発見をすることがあった。
例えば蒸気乾燥機の向きが
43.15 180度反対に取り付けられていた。
それから、配水管に15cmほどの亀裂が見つかった。
しかしそれらのことをスガオカ氏が検査報告書に
43.26 書こうとすると
責任者たちが、それをやめさせようとした。
(スガオカ氏のインタビュー)
彼らは、180度向きが反対だという箇所を削除したのです。
誰も、蒸気乾燥機の位置が反対に取り付けられていることを
認めようとしなかったのです。
私は当時は、どうして彼らがそれを隠そうとするのか
わかりませんでした。
そして私にもう1つわからないことは
43.50 その後、東電とジェネラルエレクトリック社と
官庁の間で、どのような取り決めが行われたかです。
43.56 彼らはちゃんと議論をしたはずです。
やっと2002年9月になってGE社の弁護士が
一度も蒸気乾燥機を取り替えていないと東電が言っているのに対し
44.05 GE社がなんの抗議もしなかったと認めました。
2002年の9月には、彼らはまだ嘘をついていたのです!
(東電本社の画像)
スガオカ氏の認識が公になって
彼は内部告発者として有名になった。
それは東電にとっては災難なことだった。
東電の持つ全原発が一時停止を余儀なくされ
社長や幹部はすべて辞任に追い込まれた。
今日では東電は前向きには透明性に務めている。
44.36 30人ほど選り分けの報道陣が11月には
事故の起きた福島第一原発の視察を許された。
線量計は毎時500マイクロシーベルトを測定。
とても危険な値で、記者たちはバスを離れることは許されなかった。
この東電の宣伝企画は
不毛の惑星への日帰り旅行だったといえるだろう。
(鈴木智彦氏インタビュー)
フリーのジャーナリストたちははっきり差別されています。
あのバス視察旅行でも私たちは最初から排除されています。
通常の記者会見には、フリーのジャーナリストは
入場が許されていません。
万が一入れることがあるとすると、今度は
なんの質問もしてはいけないといわれます。
我々は、だから原発の現場からも除外されています。
調査報道派のジャーナリストである鈴木智彦氏は
ジャーナリストして入ることができないのなら、と
潜入することに成功した。
労働者として丸1ヶ月、事故の起きた原発で働いたのである。
そして自分の仕事の間、秘密で撮影を行った。
45.36 この腕時計に隠した小さいカメラを使って、だ。
こうして彼は、50時間の映像材料を集めた。
(原発内作業の画像)
45.48 冷却システムでの作業はとても危険だ。
45.51 というのも、ここは3号機から30mと離れていない。
45.54 ここで働いている労働者はほぼ全員この地方出身で
45.57 なにもかも地震・津波で失ったという人ばかりだ。
46.00 生き延びるために、彼らはどんな仕事でも
引き受けざるを得ないのである。
彼らは東電の子会社のまた子会社、ひ孫会社から派遣されている。
こうして親会社はどんな責任からも逃れられるという仕組みだ。
日本のやくざがこの人材派遣を仕切っているというのは
今では誰もが知っている秘密である。
東電は先日ようやく、2人の労働者が急性白血病で
死亡したことを認めた。
噂では、死亡者の数はずっと多いという。
(また鈴木氏のインタビュー)
労働者にとっては、今手にするお金の方が
46.33 10年後発生するガンよりずっと大事なのです。
(再び鈴木氏撮影の画像)
労働者は最高4時間仕事をする。
それ以上は体がもたない。
(労働者の放射線測定の画像)
以前の規則では、作業員の放射線測定で
インパルスが180以上だったら
47.00 ここから出てはいけないことになっていました。
47.04 ところが今では、3000、または4000という量を
47.08 被爆した作業員が普通にノーチェックで出されているのです。
47.12 考えてもみてください、以前なら
47.15 高線量被爆者として扱われていた人間が
ここから普通に出て行くんですよ。
(原発内水タンクの画像)
東電の問題は全然別なところにある。
冷却システムから出てくる放射能に汚染された
47.36 大量の水はどうしたらいいのだろうか。
47.40 場合によっては長い間貯蔵していかなければならないものだ。
原発サイトにはぎっしりタンクが並んでいる。
どれも一杯に汚染水が入っている。
(ふたたび鈴木氏)
このタンクにつながるホースですがどれも
47.52 簡単なプラスチックでできています。
私は外国人のオブザーバーに早くから
これが冬凍結すれば、ホースが破れてあちこちから
47.00 水が漏れるぞ、と言っていたんですが
47.02 つい先日、それが本当に漏れてしまいました。
(原発内画像)
47.06 鈴木氏は身の危険を承知で休憩時間に
福島第一原発全体を歩き回り観察した。
東電は、告訴すると脅しながら、
ここでのことを報告することを彼に禁じた。
48.18 東電としては、どうしても
48.21 原発の中が悲惨な状況にあるという、その真実が
公表されることを食い止めなければいけないからだ。
(再び鈴木氏のインタビュー)
なにもかも仮の一時しのぎの処置です。
彼らは、本当に安全な設備など最初から
つくっていません、時間がかかりすぎるからです。
政府は昨年中にどうしても「冷温停止」達成と
宣言したかった。
原発は安定した状態になったと言いたかったのです。
(野田記者会見の画像)
そして、まさにその「冷温停止」達成を
野田首相は2011年末に誇らかに宣言した。
(野田首相記者会見発表内容)
原発近郊の放射線量を少なく抑えることが
まだ問題はあるとしても
技術的に可能だということが確認されました。
(燃料プールの画像)
49.11 3号機の燃料プールに沈む瓦礫の山。
49.14 この画像を見るだけでも、「冷温停止」など
49.17 東電と日本政府が世界に公表した
陳腐なプロパガンダ用トリックに
49.23 過ぎないことが一目瞭然だ。
(吉岡斉氏インタビュー)
冷温停止というのは、燃料棒が
完全に水の中に浸かっていて
圧力容器内の温度が100度以下に
保たれていなければ言うことができません。
しかし福島第一原発では1号機から3号機までの
原子炉はすでに破壊されてしまっています。
燃料棒の温度が低く保たれているとすれば
それは絶えず水を上からかぶせ続けているからだけです。
こういうことですから、とても
冷温停止とは言い難いのです。
(東電本社の画像)
もちろんそのことは東電もよく知っている。
しかし世間に安心してもらうためなら
どんな言い訳もありがたく飛びつく。
(東電スポークスマン)
冷温停止といえば通常、圧力容器内の温度が
50.14 100度以内に保たれている状態を言います。
この福島第一原発ではもちろんそれとは違うことは
私たちもよく承知しています。
ただ、私たちはそれでも冷温停止状態と
呼ぶことにしました、それは
状態がかなり安定に保たれているからです。
(バスビー氏インタビュー)
日本の北部はすべて失われてしまったといっていい。
私は誰にも、早く避難しなさい、と勧めてきました。
これが私の心からの忠告です、早く逃げなさい、と。
あそこはもう、危険な場所なのです。
(スクリーニングの画像からある福島市民の画像)
私の家族は1000年以来ここに住んできました。
私はここからどこにも行く気はありません。
たとえ何があろうと。
死ぬまで、ここにいるしか私には選択がありません。
(ガンダーセン氏インタビュー)
福島の事故では、死人は道路に倒れていたりはしません。
ガン患者は、違った死に方をします。
人々は10年、20年後に
ガンで亡くなっていくのです。
福島ではガン疾患率が高くなり
少なくとも100万人は新しいガン患者が出ると思われます。
しかし原子力産業はこの数字を公表したくはないでしょう。
それは世界中で原子炉の終わりを意味することになるからです。
(福島の瓦礫処理の画像)
フクシマの原発最悪事故は
原子力エネルギーにこれからも未来を託すには
51.50  まったく起こってはいけないものだった。

“ドイツ発ドキュメンタリー、フクシマの真実を!“1

「無限遠点」という
ブログがあります。
今年の2月中旬から
書き始めたブログで
梶川ゆうさんという
ドイツ在住の方が
書いておられます。

その中で
紹介されている
ドイツのテレビ局の作品で
「フクシマの嘘」という
ドキュメンタリー作品を
共有してください。
もう既に
20万人の方たちが
視聴した作品だそうです。

梶川さんが翻訳をして
日本語の字幕を
つけてくださいました。
有難いことです。

さらに
フランスとドイツの
合作で製作された
「フクシマ最悪事故の
陰に潜む真実」も翻訳
されて、日本語の字幕で
映像が見ることが
できます。

真実を伝えたいという
梶川さんの情熱を
感じる労作です。
是非、ご覧になってください。
長いので
二回に分けて
掲載させて
いただきます。


ドキュメンタリー「フクシマの嘘」日本語字幕付き

ドイツ第二テレビ放送製作

http://www.dailymotion.com/video/xpisys_yyyzdf-yyyyyyy_news

フクシマ事故が起こって1年。フクシマだけではない原子力ムラの実態をZDF(ドイツ第二テレビ放送)の記者ハノ氏が取材して30分のドキュメンタリーにまとめたもの。これを字幕用に翻訳し、その翻訳を、これまでにもいろいろな海外のフクシマに関するドキュメンタリーの日本語訳紹介に務めてきた友人の知り合い(私は面識はない)が映像に載せて、それをデイリーモーションにアップしてくれた。

新しい事実はないが、菅の独占インタビューなども出てくるし、それなりによくまとめられていると思う。

私はこういうドキュメンタリーや記事を翻訳することで何かの役に立てれば言うことはないし、だからこの作業も引き受けたのだが、なんだかこういう仕事を続けていることに「空しさ」を覚えるのが正直な気持ちだ。空しさ、というのは、つまり「外国の記者などにこうして実情を報道」され、日本のいわば恥、汚点がこれだけあからさまにされても、日本はこうも変わらないか、しかも日本人はそれでもただ他人事のように今の状況を見ているだけなのか、と思うと情けなくなって更に落ち込んでしまうからだ。震災から1年、もう原子力ムラのひどさも、利権の浅ましさも、政治家と官僚の罪も、マスコミのお粗末さも、学者の悪徳ぶりもわかったのではないか? それならなぜ、なにも起こらないのだろう。そして、これだけたくさんの人間がそれでもこうした「海外の報道」を翻訳して紹介しようとするのは、「海外から圧力がかかり、日本を救ってほしい」という他力本願の現われではないのか、と思えて仕方がない。しかし、「助け」を待っていても誰も助けには来てくれないし、自分が動かなければなにも動かない、自分以外の誰も自分の利益のための行動も発言もしてはくれないのだと、全員が思って言動できるようにならなければ、日本は変わるわけがない。こんな遠くにいて、私にはなにができるのだろう、と頭を抱えてしまう。(ゆう)

00.13 我々は放射能から身を守り、警察から外人と見破られないよう
00.18 防護服を着こんだ。
汚染され、破壊した原発が立っているのは立ち入り禁止区域だ。
そこに連れて行ってくれることになっている男性と落ち合った。
なにが本当にそこで起きているか、彼に見せてもらうためだ。
ナカ・ユキテル氏は原子力分野のエンジニア会社の社長で
00.44 もう何十年間も原発サイトに出向いて働いてきた。
フクシマでも、だ。
私たちは見破られず、無事チェックポイントを通過した。
00.54 作業員たちが作業を終え、原発から戻ってきたところだった。
3月11日に起こったことは、これから日本が遭遇するかもしれぬことの
01.03 前兆に過ぎないのかもしれないことが次第にわかってきた。
そしてその危険を理解するには、過去を理解することが必要だ。
01.22(タイトル)フクシマの嘘
監督ヨハネス・ハノ
私たちは立ち入り禁止区域の中、事故の起きた原発から約7キロ離れたところにいる。
ナカ氏はここで生活をし
フクシマ第一とフクシマノ第二の間を股にかけて仕事をしてきた。
ナカ氏と彼の部下は、何年も前から原発の安全性における重大な欠陥について注意を喚起してきた。
しかし、誰も耳を貸そうとしなかった。
私の話を聞いてくれた人はほんのわずかな有識者だけで
その人たちの言うことなど誰も本気にしません。
日本ではその影響力の強いグループを呼ぶ名前があります。
原子力ムラ、というのです。
彼らの哲学は、経済性優先です。
この原子力ムラは東電、政府、そして
02.29 大学の学者たちでできています。
彼らが重要な決定をすべて下すのです。
私たちは東京で菅直人と独占インタビューした。
彼は事故当時首相で、第二次世界大戦以来
02.48 初の危機に遭遇した日本をリードしなければならなかった。
彼は唖然とするような内容を次々に語った、たとえば
首相の彼にさえ事実を知らせなかったネットワークが存在することを。
マスメディアでは彼に対する嘘がばらまかれ
彼は辞任に追い込まれた。
彼が原子力ムラに対抗しようとしたからである。
最大の問題点は、3月11日が起こるずっと前にしておかなければ
いけないものがあったのに、なにもしなかったことです。
原発事故を起こした引き金は津波だったかもしれないが
当然しておくべき対策をしなかったことが問題なのです。
この過失は責任者にあります。
つまり、必要であったことをしなかった、という責任です。
では原発事故の原因は地震と津波ではなかったのか?
原子力ムラの足跡を辿っていくと、
嘘、仲間意識と犯罪的エネルギーの網の目に遭遇する。
調査は2つの大陸にまたがった。
まずカリフォルニアに飛んだ。
04.04 目的地はサン・フランシスコである。
私たちはある男性と話を聞く約束をしていた。
04.24 彼は長年原子炉のメンテナンスの仕事で
フクシマにも何度も来ており
かなり深刻なミスや事故を東電が隠蔽するのに遭遇した。
04.36 フクシマの第1号原子炉は70年代初めに
アメリカのジェネラルエレクトリック社が建設し
それ以来アメリカのエンジニアが点検を行ってきた。
そしてフクシマでは何度も問題があった。
東電は、点検後、なにをあなたに求めたのですか?
亀裂を発見した後、彼らが私に言いたかったことは簡単です。
04.59 つまり、黙れ、ですよ。
何も話すな、黙ってろ、というわけです。
問題があるなど許されない
日本の原発に問題など想定されていない
アメリカのエンジニア、ケイ・スガオカ氏も
それを変えようとすることは許されなかった。
05.25 1989年のことです、蒸気乾燥機でビデオ点検をしていて
05.34 そこで今まで見たこともないほど大きい亀裂を発見しました
スガオカ氏と同僚が発見したのは、それだけではない。
原子炉を点検している同僚の目がみるみる大きくなったと思うと
05.51 彼がこう言いました
蒸気乾燥機の向きが反対に取り付けられているぞ、と。
もともとこの原発の中心部材には重大な欠陥があったのだ。
スガオカ氏は点検の主任だったので
正しく点検を行い処理をする責任があったのだが
彼の報告は、東電の気に入らなかった。
私たちは点検で亀裂を発見しましたが、東電は
私たちにビデオでその部分を消すよう注文しました。
報告書も書くな、と言うのです。
私はサインしかさせてもらえませんでした。
私が報告書を書けば、180度反対に付けられている蒸気乾燥機のことも
06.33 報告するに決まっていると知っていたからです。
06.36 では、嘘の文書を書くよう求めたわけですか?
そうです、彼らは我々に文書の改竄を要求しました。
スガオカ氏は仕事を失うのを怖れて、10年間黙秘した。
06.49 GE社に解雇されて初めて彼は沈黙を破り
日本の担当官庁に告発した。
ところが不思議なことに、告発後何年間もなにも起こらなかった。
日本の原発監督官庁はそれをもみ消そうとしたのだ。
07.11 2001年になってやっと、スガオカ氏は「同士」を見つけた。
それも日本のフクシマで、である。
18年間福島県知事を務めた佐藤栄佐久氏は
当時の日本の与党、保守的な自民党所属だ。
佐藤氏は古典的政治家で
皇太子夫妻の旅に随行したこともある。
始めは彼も、原発は住民になんの危険ももたらさないと確信していた。
それから、その信頼をどんどん失っていった。
福島県の原発で働く情報提供者から約20通ファックスが届き
08.00 その中にはスガオカ氏の告発も入っていました。
経産省は、その内部告発の内容を確かめずに
これら密告者の名を東電に明かしました。
それからわかったことは、私も初めは信じられませんでした。
東電は、報告書を改竄していたというのです。
それで私は新聞に記事を書きました。
08.24 そんなことをしていると、この先必ず大事故が起きる、と。
それでやっと官僚たちもなにもしないわけにはいかなくなり
08.33 17基の原発が一時停止に追い込まれた。
調査委員会は、東電が何十年も前から重大な事故を隠蔽し
安全点検報告でデータを改竄してきたことを明らかにした。
それどころか、フクシマでは30年も臨界事故を隠してきたという。
社長・幹部は辞任に追い込まれ、社員は懲戒を受けたが
皆新しいポストをもらい、誰も起訴されなかった。
09.00 一番の責任者であった勝俣恒久氏は代表取締役に任命された。
彼らは佐藤氏に報告書の改竄に対し謝罪したが
佐藤氏は安心できず、原発がどんどん建設されることを懸念した。
そこで佐藤氏は日本の原発政策という
「暗黙のルール」に違反してしまった。
09.30 2004年に復讐が始まった。
09.37 12月に不正な土地取引の疑いがあるという記事が新聞に載りました。
この記事を書いたのは本来は原発政策担当の記者でした。
この疑惑は、完全にでっち上げでした。
09.52 弟が逮捕され
首相官邸担当の検察官が一時的に福島に送られて検事を務めていた。
10.00 彼の名はノリモトという名で
遅かれ早かれ、お前の兄の知事を抹殺してやる、と弟に言ったそうです。
事態は更に進み、県庁で働く200人の職員に
圧力がかかり始めました。
少し私の悪口を言うだけでいいから、と。
中には2、3人、圧力に耐え切れずに
自殺をする者さえ出ました。
私の下で働いていたある部長は、いまだ意識不明のままです。
それで、同僚や友人を守るため、佐藤氏は辞任した。
裁判で彼の無罪は確定されるが
しかし沈黙を破ろうとした「邪魔者」はこうして消された。
これが、日本の社会を牛耳る大きなグループの復讐だった。
そしてこれこそ、日本で原子力ムラと呼ばれるグループである。
ここ10~20年の間、ことに原子力の危険を訴える人間に対する
あらゆる形での圧力が非常に増えています。
大学の研究者が原発には危険が伴うなどとでも言おうものなら
出世のチャンスは絶対に回ってきません。
政治家はあらゆる援助を電力会社などから受けています。
しかし、彼らが原発の危険性などを問題にすれば、
そうした援助はすぐに受けられなくなります。
反対に、原発を推進すれば、多額の献金が入り込みます。
それは文化に関しても同じで
スポーツやマスコミも含みます。
このように網の目が細かく張りめぐらされて
原発に対する批判がまったくなされない環境が作り上げられてしまいました。
ですから原子力ムラというのは決して小さい領域ではなくて
国全体にはびこる問題なのです。
誰もが、この原子力ムラに閉じ込められているのです。
東電から献金を受け取っている
11.58 100人以上の議員に菅首相は立ち向かった。
その中には前の首相もいる。やはり彼と同じ政党所属だ。
ネットワークは思う以上に大きい。
多くの官僚は定年退職すると、電事業関連の会社に再就職する。
12.12 1962年以来東電の副社長のポストは
原発の監査を行うエネルギー庁のトップ官僚の指定席だ。
これを日本では天下り、と呼んでいる。
しかし反対の例もある。
12.32 東電副社長だった加納時男氏は当時与党だった自民党に入党し
12.36 12年間、日本のエネルギー政策を担当し
それからまた東電に戻った。
このネットワークについて衆議院議員の河野太郎氏と話した。
河野氏の家族は代々政治家で
彼の父も外相を務めた。
彼は、第二次世界大戦後日本を約60年間に渡り
支配した自民党に所属している。
原発をあれだけ政策として推進してきたのは自民党である。
誰も、日本で原発事故など起こるはずがない、と言い続けてきました。
だから、万が一のことがあったらどうすべきか、という準備も
一切してこなかったのです。
それだけでなく、原発を立地する地方の行政にも
危険に対する情報をなにひとつ与えてこなかった。
いつでも、お前たちはなにも心配しなくていい
万が一のことなど起こるはずがないのだから、と。
彼らはずっとこの幻想をばらまき事実を歪曲してきた
そして今やっと、すべて嘘だったことを認めざるを得なくなったのです。
この雰囲気が2011年3月11日に壊れた。
日本がこれまでに遭遇したことのない大事故が起きてからだ。
13.52 14時46分に日本をこれまで最大規模の地震が襲った。
マグニチュード9だった。
しかし、地震は太平洋沖で始まったその後の
ホラーの引き金に過ぎなかった。
時速数百キロという激しい波が津波となって
日本の東部沿岸を襲った。
津波は場所によっては30メートルの高さがあり
町や村をのみこみ消滅させてしまった。
約2万人の人がこの津波で命を失った。
そしてフクシマ第一にも津波が押し寄せた。
ここの防波堤は6メートルしかなかった。
津波の警告を本気にせず
処置を取らなかった東電や原発を監査する当局は
警告を無視しただけでなく、立地場所すら変更していたのだ。
もともとは、原発は35mの高さに建てられる予定でした。
しかし標高10mの位置で掘削整地し
そこに原発を建設したのです、低いところの方が
16.01 冷却に必要な海水をくみ上げやすいという理由で。
東電がはっきり、この方が経済的に効率が高いと書いています。
巨大な津波が、地震で損傷を受けたフクシマ第一を完全ノックアウトした。
まず電源が切れ、それから
非常用発電機が津波で流されてしまった。
あまりに低い場所に置いてあったからである。
電気がなければ原子炉冷却はできない。
法律ではどの原発も非常用電源センターを用意することが義務付けられています。
フクシマ第一ではその電源センターが原発から5キロ離れたところにあります。
これは津波の後、1分と機能しなかった。
それは職員が地震があったために、そこにすぐたどりつけなかったからです。
それで電源は失われたままでした。
こうして送電に必要な器具はすべて作動しませんでした。
つまり非常用電源センターは、本当の非常時になんの機能も果たさなかったということです。
法律では原発事故と地震が同時に起こるということすら想定しいなかったのです。
菅直人はこの時、原発で起こりつつある
非常事態について、ほとんど情報を得ていなかった。
首相である彼は、テレビの報道で初めて、
17.11 フクシマ第一で爆発があったことを知ることになる。
東電からは、その事故の報道があって1時間以上経っても
なにが原因でどういう爆発があったのかという説明が一切なかった。
あの状況では確かに詳しく究明することは難しかったのかもしれないが
それでも東電は状況を判断し、それを説明しなければいけなかったはずです。
しかし、それを彼らは充分に努力しませんでした。
17.41 2011年3月15日、災害から4日経ってもまだ
東電と保安院は事故の危険を過小評価し続けていた。
しかし東電は官首相に内密で会い、
職員をフクシマ第一から撤退させてもいいか打診した。
今撤退させなければ、全員死ぬことになる、というのだ。
それで私はまず東電の社長に来てもらい
撤退はぜったい認められない、と伝えた。
誰もいなくなればメルトダウンが起き
そうすれば莫大な量の放射能が大気に出ることになってしまう。
そうなってしまえば広大な土地が住めない状態になってしまいます。
18.22 菅は初めから東電を信用できず
18.25 自分の目で確かめるためヘリコプターで視察した。
18.28 しかし首相である彼にも当時伝えられていなかったことは
18.31 フクシマの3つの原子炉ですでにメルトダウンが起きていたということだ。
18.35 それも災害の起きた3月11日の夜にすでに。
18.40 東電の報告にも、東電を監査していた保安院の報告にも
18.44 燃料棒が損傷しているとか
メルトダウンに至ったなどということは一言も書かれていなかった。
18.55 3月15日には、そのような状況にはまだ至っていないという報告が私に上がっていました。
事故からほぼ1年が経った東京。
世界中であらゆる専門家が予想していたメルトダウンの事実を
東電が認めるまでなぜ2ヶ月も要したのか、私たちは聞こうと思った。
自然災害が起きてからすぐにこの原発の大事故は起きていたのである。
19.28 「原子炉1号機、2号機そして3号機でメルトダウンになったことを、東電はいつ知ったのですか」
19.35 「私どもは目で見るわけにはいきませんが
上がってきましたデータをもとに自体を推定し
燃料棒が溶けおそらく圧力容器の底に溜まっているだろう
という認識に達したのは5月の初めでした。」
膨大なデータに身を隠そうとする態度は今日も変わらない。
東電は、毎日行う記者会見でこれらのデータを見せながら、事態はコントロール下にあると言い続けている。
20.00 しかしこれらのデータの中には、本当に責任者たちは
何ををしているのか解っているか、疑いたくなるような情報がある。
たとえばスポークスマンはついでのことのように
放射能で汚染された冷却水が「消えてしまった」と説明した。 
理由は、原発施設ではびこる雑草でホースが穴だらけになっているという。
「放射能で汚染された水を運ぶホースが
雑草で穴が開くような材料でできているというのですか?」
20.34 「草地に配管するのは私たちも初めてのことですが
穴があくなどのことについては知見が不十分だったと思っています。」
しかし原発の廃墟をさらに危険にしているのは
雑草だけではない。
私たちは富岡町に向かった。
ゴーストタウンだ。
原発廃墟のフクシマ第一から7キロのところにある。
私たちはナカ氏に便乗した。
彼のような住民は、個人的なものをとりに行くためだけに
短時間だけ帰ることが許されている。
21.20 彼は、地震に見舞われた状態のまま放り出された会社を見せてくれた。
今では放射能のため、ここに暮らすことはできない。
この木造の建物はとても快適でした。
とても静かで、夏は涼しく、冬は暖かかった。
私たちは皆ここで幸せに暮らしていました。
21.48 80人の原発専門のエンジニアが彼のもとで働いており
原発事故後も、事故をできるだけ早く収束しようと努力している。
ナカ氏と彼の社員は、原発廃墟で今本当になにが起きているのか知っている。
私たちの最大の不安は、近い将来、
廃墟の原発で働いてくれる専門家がいなくなってしまうことです。
あそこで働く者は誰でも、大量の放射能を浴びています。
どこから充分な数の専門家を集めればいいか、わかりません。
しかし、まだ被爆していない原発の専門家を集めなければ
事故を収束するのは不可能だ。
例えこれから40年間、充分な専門家を集められたとしても
日本も世界も変えてしまうことになるかもしれぬ
ある1つの問題だけは残る。
今原発は安全なのですか?
そう東電と政府は言っていますが
働いている職員はそんなことは思っていません。とても危険な状態です。
私が一番心配しているのは4号機です。
この建物は地震でかなり損傷しているだけでなく
この4階にある使用済み燃料プールには
約1300の使用済み燃料が冷却されています。
その上の階には新しい燃料棒が保管されていて
非常に重い機械類が置いてあります。
なにもかもとても重いのです。もう一度大地震が来れば
建物は崩壊してしまうはずです。
そういうことになれば、また新たな臨界が起こるでしょう。
このような臨界が青空の下で起これば
日本にとって致命的なものとなるだろう。
放射能はすぐに致死量に達し、原発サイトで働くことは不可能となる。
そうすれば高い確率で
第1、2、3、 5、 6号機もすべてが抑制できなくなり
24.03 まさにこの世の終わりとなってしまうだろう。
東京で著名な地震学者の島村英紀氏に会った。
24.15 2月に東大地震研が地震予知を発表したが
それによれば75%の確立で4年以内に
首都を直下型地震が襲うと予測されている。
このような地震があった場合に原発が壊滅して
24.36 確立はどのくらいだとお考えですか?
-はい、とても確率は高いです。 
-どうしてですか?
計測している地震揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきています。
私たちはここ数年千以上の特別測定器を配置して調査してきましたが
24.52 それで想像以上に地震波が強まり、速度も増していることがわかったのです。
これは日本の建築物にとって大変な意味を持つだけでなく
25.00 原発にとっても重大な問題となることを島村氏は説明する。
これが原発の設計計算です。
将来加速度300~450ガルの地震が来ることを想定しています。
そして高確率で発生しないだろう地震として600ガルまでを想定していますが
この大きさに耐えられる設計は原子炉の格納容器だけで
原発のほかの構造はそれだけの耐震設計がされていないのです。
しかし私たちの調査では、最近の地震の加速度がなんと
25.44 4000ガルまで達したことがわかっています。
想定されている値よりずっと高いのです。
電気会社は、それを知って増強をしなかったのですか?
今のところ何もしていません、不十分であることは確かです。
これだけの地震に耐えられるだけの設計をしようなどというのは
ほとんど不可能でしょう。
ここは原発廃墟から60キロ離れた場所だ。
フクシマ災害対策本部では東電、保安院、福島県庁が共同で
原発の地獄の炎を鎮火するための闘いの調整をはかっている。
私たちは東電の災害対策部責任者にインタビューした。
ことに彼に訊きたいのはどうやって今後
これだけ損傷している原発を大地震から守るつもりなのか、ということだ。
ことに、危ぶまれている4号機について訊いた。
26.39 4号機の使用済み燃料プールには夥しい量の使用済み燃料が入っています。
これをすべて安全に保つためには、燃料プールの増強が必要です
燃料プールのある階の真下に、新しい梁をつけました。
原発はほとんど破壊したといってもいいわけですが
26.54 原発が健在だった1年前ですら大地震に耐えられなかった構造で
26.58 どうやって次の地震に備えるつもりなのでしょうか?
我々は耐震調査を4号機に限らず全体で行いました。
その結果、問題ないという判断が出ています。
でも地震学者たちは4000ガルまでの地震加速度が測定されていて
これだけの地震に耐えられるだけの原発構造はないと言っています。
半壊状態のフクシマの原発の真下でそのような地震が来ても
全壊することはないと、なぜ確信がもてるのですか?
その4000ガルという計算は別の調査ではないでしょうか
それに関しては、私は何とも言いかねます。
原発を日本で稼動させるだけの心構えが
27.44 東電にできているとお考えですか?
それは答えるのが難しいですね。
これがやってきたことの結果です。
この結果を人類はちゃんと知るべきだと思います。
一緒に未来の政策をつくっていくことができるように

フクシマをめぐる沈黙、嘘、隠蔽

ARD(ドイツ第一放送、日本語字幕付き)

今度は6分くらいの短いレポートの動画を翻訳して、この前「フクシマのうそ」の字幕を動画につける作業をしてくれた人にまたつけてもらい、それをYoutubeにアップしてもらった。
http://youtu.be/nLgouGEzOgc

ARD(ドイツ公共放送)メディアテーク

フクシマをめぐる日本の沈黙、嘘、隠蔽

日本に大地震と津波が起きてからまもなく一年。
これが福島第一原発事故を引き起こし
日本の神話をいくつか壊すこととなりました。
原発が安全だという神話や
技術でなにごとも統治できるという神話です。
今日本では、政府や電気会社は、新しい神話を浸透させようとしているようです。
すべてコントロール下にあり、事故は収束したという神話です。
共同の忘却が求められているわけです。
そして54基もある原発からの
部分的撤退が決定されたものの最高60年まで
稼動期間延長が認可されて実質的に骨抜きにされています。
でも反対運動が起きています。
(ここから映像がチェックポイントに変わる)
ここは別世界へ続く門だ。
防護服を着ている人にだけ、開かれる門。
渡辺氏は浪江町の議員を務めている。
浪江町は福島県の立ち入り禁止区域で、ゴーストタウンだ。
渡辺氏の仕事は、なるべく早く住民が故郷に帰還できるよう
除染の進行をチェックすることだ。
渡辺氏の道中に同行し
現実とは思えぬこの町を映像に撮った。
ここは寒く、人っ子一人いない、そして危険だ。
ここは24ミリシーベルトある。
浪江でもこれほど高いところはまずない。
谷底に見えるのは、ほとんどの日本人が今注目しているものだ。
立ち入り禁止区域から放射能にまみれた材木などを
ここに運んできて、それで福島から避難してきた
人たちのための仮設住宅を建てたという。
スキャンダルとしか言えぬ原発事故の対処方法はあとを絶たない。
日本政府が今年目論んでいる計画はしかし、たくさんある。
春からは警戒区域を少しずつ解除していき
放射能の地獄の代わりに日常生活を戻そうという。
ここ「ツチマ」でも除染隊が作業中だ。
彼らは町の区域全体を除染する使命を負っている。
道路、住宅、公共施設。
放射能の汚染の80%削減が目標だ。
しかしこの作業が、期待しているだけの成果をもたらすかは
誰にも分からない。
行動主義でごまかしているが、経験は誰にもない。
これが今日除染する区域です。
町民ホール、保育園、中学校、そして住宅地。
これが石井家のお宅で、ここは加藤家。
なにもかも高圧洗浄器で洗浄して
草はむしりとり、木は切り倒し
汚染された土を撤去します。
ここは東京の東電本社。
本社は二重に警備されている。
まずは警察の警備と、東電が雇うガードマンの警備だ。
彼らは警戒区域の大変な仕事からは遠く距離を置いている。
除染は政府と福島の地方自治体の仕事であり
東電が担当するのは原発だけだ、と言うのである。
そして東電からも、今後はいいニュースしか出さないつもりだ。
いつものようにインタビューができるのを門の前で待った。
03.02 東電は去年の暮れ、原子炉の「冷温停止」を誇らしげに発表した。
原子炉の温度は低温に保たれ
燃料棒は充分に冷却され、すべてコントロール下だ、と言う。
まだやらなければならないことはたくさんありますが
とにかく重大なステップをこなすことができました。
原発は今管理下にあり、状態は安定しています。
03.27 本当にそうなのだろうか?
雪と塵が舞い続けるようなこの画像から
放射能が映像信号を妨げていることがわかる。
原発作業員は2号機の格納容器内部に内視鏡を入れ
03.41 撮影することに成功した。
これで東電はどのくらい水位が原子炉にあり
燃料棒が充分冷却されているか確認しようとした。
これでは何もはっきりとわからないのだが
東電が毎日行っている記者会見では、このブレの多い画像を
どうやら大成功として位置づけたいようだ。
今は原子炉からはほとんど放射能が出ていません。
04.07 先日は冷却システムで短期間停電がありましたが
それもすぐにまた修理することができました。
ですから福島の住民たちにはもう危険はないものと思います。
安定、もう危険はない、それ一点張りだ。
原発推進派はわずかで不正な情報を更に
過小評価することに徹している。
東京都知事は水を飲んでみせ
飲料水にも野菜果物にセシウムの心配はないとアピールする。
政府のスポークスマン枝野は福島産のトマトをかじって見せた。
そして園田政務官にいたっては原発浄化水を飲んで見せた。
原発ロビーはありとあらゆる方法で闘っている。
福島のことはできるだけ早く過去のものとして葬りたい。
このセクターで彼らはまた金稼ぎがしたいのだ。
05.00 将来の計画はすでに出来上がっている。
浜岡原発。ここは東京から200キロしか離れていない。
この原発は建設からすでに40年経っており
しかも地震プレート上に建っているため危険性がよく知られている。
福島事故があったショックで浜岡原発は停止されたが
この原発の情報センターでは今にも原発が再稼動しそうな気配だ。
色とりどりのショー
子供たちには中性子の漫画を見せ
大人にはいい情報だらけのビデオを見せて
浜岡原発はまた再稼動する、とはっきり言っているのだ。
設備を増強し、基礎をもっと丈夫にし
津波防波堤を高くし、完全防水のドアにするという。
そうしてスポークスマンは、住民の方たちに
安心していただけるように努力を続けています、と主張する。
(浜岡の電気会社スポークスマンの画像)
私どもの作業員が今年一杯増強工事をしまして
来年からは、世界一安全性の高い原発となって再稼動できるでしょう。

浜岡原発の過小評価、そしてフクシマの汚いトリック。
06.00 ジャーナリストの鈴木智彦氏はそれに抵抗して闘っている。
彼は事故を起こした福島の原発に普通の作業員として
潜入し一ヶ月働いた。
そう遠くまで行く必要はないんです。
東京から車で2時間も走れば世界で一番危険な区域に入れます。
僕はそれを自分の目で見てみたかったんです。
彼は腕時計についた隠しカメラで自分の体験を撮影した。
毎日作業のために原発に向かう。
廃墟となった原子炉や、放射能で汚染された
冷却水を溜めたタンクが並ぶのを横に見る
あんなに得意げに東電が公表した「冷温停止」など
おとぎ話ですよ、と鈴木氏は言う。
年が明けて、いいことばかりを見せたかったのでしょうが
あまりに大急ぎにいい加減な取付をしてしまった
と鈴木氏は語る。冷却回路はどこもかしこも

安上がりのプラスチック製
ホースはストローみたいに薄い材料でできているので
冬になればそれが凍ってあちこちから汚染水が漏れるでしょう
原発での作業は殺人的だ。
防護服に防護マスク、それにヘルメット。
これで毎日4時間作業をする。これ以上長くは誰ももたない。
作業員は皆、過労、めまいを訴える。
これは放射能のせいではないかと皆、危惧している。
原発の放射能チェックは鈴木氏を含め作業員の
全員を何の問題もなくどんどんパスさせていく。
作業員の被爆量をはっきり把握しようなどという
気は東電には一切ないのです、と鈴木氏は語る。
原発には管理下にあるものなどありません。
原子炉のある建物は放射能が強すぎて入れません。 
だから実際どうなっているかもわからないし
溶けた燃料棒をあとからどう取り出していいかもわからない。
あれだけ作業員は必死で働いていますが
フクシマに関しては、解決策は出ていないのです。
08.00 原発にはなんの解決策もないのか?
でも、避難民の最初のグループがもうすぐ帰還の予定だ。
浪江町議員の渡辺氏は懐疑的だ。
ゴーストタウンとなっているこの町に活気が戻るまで
本当は何年も待つべきなのではないだろうか。
それでやっと危険が判断できるようになるのではないだろうか。
08.20 原子力ロビーはしかしあと数週間でその状態にするつもりだ。

続く

2012年4月3日火曜日

『希望のメッセージ』

今日は
ユーチューブで
見つけました
『希望のメッセージ』を
お届けします。

是非、ご覧になってください。

希望のメッセージ2012.1

輝くスペクトラム
この宇宙
本当に驚くべきことが
この惑星に起きている。

はじめて
この何千年の間に
本当のチャンスを
手にしている。
地球が
平和になるチャンス
驚くべき自由の感覚

今、
目覚めの時

「自分が
大きくなったんです。
自分の体より
大きくなって
私は
すべてになりました。

皆になったのです。
この身体は
ドーム状なのです。
身体は
魂によって
使われています。

何千年もの間
私たちは
平和を
追求してきました。

ようやく
気がついたのです。

自分の中が
平和でなければ
平和はあり得ないと」

人間の思考は
電磁波を出している。
心臓の奥底から
電磁波を出している。
それは測定ができます。

その電磁波が
世界に影響を
与えているのです。

心臓は、
強力な身体の
電磁波を作る
ファイルなのです。
これは重要なことです。

脳の
電気磁気フィールドが
障害を起こすと
心臓と比べて
弱くなります。

心臓の電気は100倍、
磁場は5000倍。
5000倍も強いんです。

身体は電気と磁気の
二つの場を
持っています。

物理学は
電気エネルギー場か
磁気エネルギー場の
どちらかを変えると、
文字通り
身体が変わると
教えています。

それで
人間の心臓は
その二つの場を
変更する力が
あるのです。

そして、
心臓と大脳の間で
感情が作られ、
感情に反応するのです。

物質は
すべての振動する
音の波である。
音は形を作る。

どんな考えも
パワフルな情報の波を
発信する。

波は、この周りの
世界を形作る。

各思考は、
それぞれ違った周波数を
発している。

ポジティブな思考が
水に働く時
否定的な思考が
水に働く時

“1995年に行われた
瞑想実験の結果、
多くの人が
同時に瞑想を行うと
犯罪発生率が減少した。
世界中の科学者が
この事実に注目した。

様々な経験を持つ
4000人の瞑想者が
ワシントンに集まり、
瞑想を開始すると
すぐ、
犯罪発生率が
信じられないほど
低下した

その後、
実験研究は何百回と
繰り返され
驚くべき結果を出した“

「平和に関しては、
30万もの本が出版
されていますが、
平均すると各本は、
3人の人に読まれて
いることになります。

平和の本を
読みたい人は
平和を
創っているのです。
それは実に、
平和の科学なのです。

意識の場、
一なる意識の場、
安らぎの場、
平和の場を
創っているのです。

実体的に
パワフルで目に見える
物理的レベルで
何百万回も
原子に
接触しているのです。

意識は
接触できるのです。

神経システムを
発達させ、
平和をじかに
取り込み、
平和を
放射することが、
ピースメーカーに
なります。」

集団のネガティブさ
集団の意識は
自然災害さえも
起こせる。

「地球のプレートが
シフトして津波が来ました。

意識を信じられれば、
世界全体の
乱れた心と自然が
関わっていることが
分かるでしょう。

我々は
自然の一部なんです。
あなたもそうです。
外の世界の一部です。

だから
全体の意識が乱れると
自然も乱れるのです。
自然と
区別しようとしますが、
そうじゃないんです。」
Deepak.Chopra
(ディーパック・チョプラ)

多くの危機は
こころが
一つになった時
驚くほどの力によって
減少するでしょう。

私たちが必要なことは
“瞑想”
毎日です。
実に簡単。

「過去18年、
この研究センターでは
心臓と脳の反応
その二つの
コミュニケーションの
仕方を研究してきました。

それが、意識と知覚に
どう影響するのか

一つ発見したのは
コヒーラントです。

ポジティブな感情を
感じる時に、
夕日を見る時とか
人への愛や
思いやりを感じる時に
心臓の鼓動は
違ったメッセージを
発するのです。

心臓は身体の周りに
大きな電磁波を
創るのです。

それと、
心臓が導く電磁場の
スペクトラム解析をして、
感情の情報は
コード化され、
実際にその場に
出現しているのです。

だから、
感情が変化するのを学んで、
心臓は
その情報を変えて
身体の周りの磁場に
コード化して、
磁場を変えているのです。

私たちは
根本的にお互いに深く
繋がっています。
地球とも
繋がっているのです。
個人のすることは、
本当に物質に影響を
与えるのです。」
Heartmath研究所、Rollin.McCraty,Ph.D 

(ピラミッドの発見)
abcニュースより

一人の人が、
後ろにピラミッドを
発見したと言うのです。

それは
ヨーロッパ大陸で初めての
ピラミッドであるばかりか、
世界で一番大きな
ピラミッドだと言うのです。

「わずか、
数ヶ月の発掘作業で
たくさんの石材が
発見されました。
衛星写真、
地上からの写真撮影
などによって、
何千もの丘陵地が
調査されました。
何千ものの中から、
9つ見つかりました。
その5つは、
この谷にありました。

完全な
幾何学的形態をしており、
一年半前に
はじめこれを見た時、
すぐに、
これは自然のものではない、
人間によるものだと
分かりました。」

炭素年代測定によると、
このピラミッドの
年代は3万年から
4万年前のものだと
推定される。

巨大なブロック
石を引き上げる
現代のクレーンなど
どこにもない。

内部には沢山の
空洞の部屋がある。

そして
何マイルもあるトンネル。
世界中で
ピラミッドが新たに
発見されている。

CNN The Station room Live

「考古学者が
驚くべき発見を
しました。
驚くべき話です。
何が
起きているのでしょう。

ミラドールからです。

正式に考古学が
認めました。
私たちが初めて
テレビで
お伝えします。
世界で
最大のピラミッドに
なるでしょう。

一見
ジャングルに見えます。

ワナマラの森は
秘密を宿しています。

失われた古代都市
ミラドールです。
マヤ文明の
初期の頃と言われて
いるところです。

これは
山ではありません。
ミラドール
プロジェクトによれば
これはピラミッドです。
世界一の規模です。」

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

大ピラミッドは大洪水で沈んだ。
http://www.youtube.com/watch?v=xGsLaCg0uP8&feature=youtu.be

希望のメッセージ2012.2

日本の
アカプルコの南端、
与那国島は
謎に包まれています。
海底の光景は
世界最大の謎の一つです。

文字通り、
人間の歴史に起きた
場所と言えます。

誰もこの海底全体を
見ることは
できません。

専門家はマヤ文明と
古代水中都市の
片割れだと確信
しています。

失われた文明、
日本の
アトランティスです。

南向きという
特徴を持つ
互いに直角で
交わっている。
跡地全体は
南に2°傾斜している。
このような角度は
見たことがない。
全部が南向きだ。

思い出す時に来ています!

一体私たちは誰なのか
今、
直面している
大きな変化を
怖れないでください。

これは
大きなプロセスである
ことを認めてください。

古い世界を
洗い流すために

自分だけ、
一人だけが
いい思いをする
時間はないのです

Meditate every day
日々、瞑想をする。

周りの壁がこなごなに
砕け散るとき

その壁は
私たちを長い間、
閉じ込めていた
壁だったことが
分かります。

始まります。

私たちが、実際に、
ひとつの家族の
一員だということが
分かるでしょう。

地球をもっと
平和で健康な
住みよい場所に
していきましょう。

親切心
思いやり
寛容なこころが

実際に
地球を変える力に
なるのです。

Choose love
愛を選択する

一つになって立つ

抑圧した人たちを
憎んではいけない。

怒りが起こるのは
怖れるからです。

そうではなく、
心の奥深くに
分け入って
許すこころを
見つけなければ
なりません。

しかし、
一見、
闇のように見える
存在の中にも
すべてに
光があるのです。

感情のエネルギーを
現実にしてください。

これは人間すべての
贈り物です。

どんな感情でも
それが
自分の
現実になるのです。

Choose love
愛を選択する

“偉大なスピリットは、
劣った、心の暴力の反対を
常に受け入れてきた“

“人間は「宇宙」と呼ばれる
限りある時間と空間、
全体の一部である“
~アルバート・アインシュタイン

人間は周りから
切り離された
考えを持ち、
感じる。

ある意味、
目の錯覚と同じ
ことなのである。

You are one
あなたがたは一つです

We are one
私たちは一つです

命は大切です。

自分の命を
無駄にしないでください。

AWAKEN 目覚め

Look around you
周りを見て
Open your eyes
目を開けて
Open your heart
こころを開いて
Believe in love
愛を信じて
Know love
愛を知って
Real love
本当の愛を
Choose love
愛を選ぶ
United we stand
一つになると、立てる
Divided we fall
分け隔てられると、倒れる

It is NOW 今がその時

私たちの内なるパワー、
愛がこの世界を変える
原動力となるのです。

世界は一つなのです。

http://www.youtube.com/watch?v=9SUaSfDhW7s


いかがでしたか?

今日は日本全国
大雨と嵐が
吹き荒れています。

しかし、
大雨と嵐が
去った後
すべての闇は
一掃され

やわらかい光に
照らされた
平和な日が
訪れることを
知っています。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、
目覚めの時

平和は外に
求めるものでは
ありません。

自分の内部に
平和の光を
灯すのです。

一人ひとりが、

自分の心を
慈しみと平和に
変えれば、
すぐにでも
平和は
実現できるのです。

私たちは
愛から生まれ
愛を永遠に宿す
存在なのですから

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年4月2日月曜日

“生きる力 安らかな死”

本日は
二つの知らせなければ
ならないと思う
重要な情報があります。

一つは
ベストセラー
「大往生したけりゃ
医療とかかわるな」
(幻冬舎新書)の
著者である
中村仁一医師を取材した
ジャーナリスト
塩田芳享さんの

【医者には診せない 
苦しまずに死ねる
「自然な最期」~ベストセラー
医師が明かす大往生の秘訣~】
という
末期がんと
どう関わっていくか?を
テーマにした
週刊文春の記事と

もう一つは
病気や事故のために、
意識が無く、
回復の見込みが少ないと
思われてきた
「植物状態」から
少しでも回復し
自分の意志を
伝達する方法は
数多くあるにも拘らず
知らないか故に
それを諦め、
悲しい思いをされている
患者さんや家族の人たちが
たくさんおられます。

山元加津子さんは
自身の経験を
宮ぷー こころの
架橋プロジェクト」
というメルマガで
同僚の宮ぷー
(宮田俊也さん)の
脳幹出血からの
生還を宮ぷーと共に
果たしてこられた実情を
毎日、書いて
愛を送り届けて
いらっしゃいます。

このブログでも
何回も紹介させて
頂いていますので
皆さまもご存知のことと
思います。

山元加津子さんは
知った人たちが
一人でも多くの方たちに
伝達しお知らせし
なければという
使命感から

今回のメルマガの
特別版で
「白雪姫 プロジェクト」の
スタートの案内が届きました。
どうか、共有して頂き
一人でも多くの方が
このプロジェクトの
愛ある情報から
救われますよう

言葉を取り戻し
自分の足で
この大地に再び
立って欲しいと
思わずにいられません。

是非、この二つの情報を
あなたの大切な方たちに
拡散してくださるよう
心より、お願いいたします。


●【緊急告知】 がん完全放置 → 全員安楽死 ・うそのような本当の話

*この情報を今必要としている、身内、友人、知人の方がいませんか?ぜひお知らせください。誤ったがん治療を回避しましょう。
*******************

●医者には診せない 苦しまずに死ねる「自然な最期」~ベストセラー医師が明かす大往生の秘訣~
(出典)週刊文春2012/03/29号P52~55
(ジャーナリスト)塩田芳享
―――――――――――――――――――――――――――――
ベストセラー「大往生したけりゃ医療とかかわるな」の著者・中村医師は、老人ホームで末期がんの入居者を数多く看取ってきた体験から、ある一つの確信を得るようになった。がんになっても医療を受けず、「完全放置」すれば、全く苦しむことなくあの世に逝ける――。
―――――――――――――――――――――――――――――

厚生労働省は二〇一二年度を「新生在宅医療・介護元年」と銘打って、在宅医療・介護の推進を呼びかける。厚労省の調査では、六割以上の人が自宅での最期を希望しながらも、実際は病院で亡くなる人が八割近い。住み慣れた我が家で最期を迎える人はわずか15%に過ぎないのだ。
 
二月二十五日に放送されたNHKのスペシャルドラマ『家で死ぬということ』は、住み慣れた岐阜県の旧家で最期を迎えたいと願う末期がんの老女の物語だった。しかし老女の希望は簡単に受け入れられない。東京に住む娘夫婦が入院させようと画策するからだ。「がんの末期は大変苦しいものだ。病院に入院しなければ、その苦しみには耐えられないだろう」--東京の娘夫婦はそう危惧したのだ。

「末期のがんは苦しいもの」-そう考えている人は大変に多い。実際に、日本緩和医療学会の調べでも、がんと診断された時点で痛みを感じる人は30%に対して、末期がんの場合は75%の人が痛みを感じていると報告されている。

しかし、「がんの最期は苦しいもの」という常識に異議を唱える医師が、いま大きな注目を集めている。今年一月に『大往生したけりゃ医療とかかわるな』(幻冬舎新書)を出版した中村仁一医師(71)だ。わずか一ヵ月半で二十六万部も売れているという。なぜ、この本が多くの読者の心を捉えたのか。それは中村医師が、自ら勤務する老人ホームのデータによって、「自然の最期は苦しまない」「死は恐いものではない」ことを実証してくれたからだ。

「私自身、六十歳でこの老人ホームに来るまでは、がんの最期は苦しいものだと考えていました。そう考えることが医療界の常識でしたし、苦しむがん患者しか診ていませんでしたから」
 
そう語る中村医師は京都大学医学部を卒業後、内科医として京都の民間病院に勤務。介護保険が始まった平成十二年から、京都にある社会福祉法人老人ホーム「同和園」附属診療所の常勤医となる。「同和園」に来るまでは中村医師も「がんの末期の痛みをとるためには、麻薬を使うのが当たり前」と考えていたという。

「病院に勤務している頃は、胃がん、直腸がん、肺がん、肝臓がんなど、色々ながんを診てきましたが、大なり小なりの差こそあれ、患者さんはみなはっきりと痛みを訴えていました。そして痛みを訴える人には必ず麻薬を使う。それが常識だったのです」

その常識が「同和園」に来て大きく覆されてゆく。実際に「同和園」では、こんなことが起こっていた。「同和園」に入居していた山川悟さん(79、以下患者はすべて仮名)が吐血し、病院に入院することになった。そして精密検査の結果、手遅れの胃がんだと判明する。しかし、山川さんは中等度以上の認知症を患っており、なおかつ七十九歳という高齢。家族は積極的治療を望まず、「同和園」で看取ってほしいと要望する。

普通なら末期のがん患者を医療体制の整っていない老人ホームに戻すことなど考えられないことだという。末期のがん患者のほとんどが激しい痛みを訴えるものと考えられているからだ。しかし、中村医師は家族が望んでいるならと、ホームで看取ることにした。だからといって成算があったわけではなかった。

◎52人全員が痛みがなかった

「このホームには麻薬をおいていなかったので、いくところまでいって、痛みが出たら病院に送ろうと考えていました」
しかしそれは杞憂に終わった。病院でなんの治療もせずにホームに戻った山川さんは、痛みを訴えるどころか、コールタールのような黒い便が普通の便に変わり、食事ももりもり食べるようになった。血液検査をしたところ、貧血も改善し、正常の域に達していった。その後も痛みが出ず、外出するなど普通の生活をすることができるまで回復したという。病院からは、余命はせいぜい二~三ヵ月と言われた山川さんは結局、一年近くも普通の生活を続け、最後まで苦しむことなく安らかに亡くなったというのだ。

このホームに来るまで、中村医師は「最期まで痛みが出ないがん患者」がいることなど、全く念頭になかったという。山川さんのケースは偶然でなかった。こんなケースもあった。

食欲が落ち、やせてきて、胃腸の具合が思わしくないということで入院した海老原卓二さん(70)は検査の結果、進行性の胃がんで余命三ヵ月と診断された。がん性の腹膜炎を起こしていたが、がんに対して積極的治療の意思がなかった海老原さんは二週間で退院してホームに戻ってきた。痛みは全く訴えなかったが、がん性腹膜炎で腹水が増え、蛙腹がだんだんひどくなっていく。しんどがるようなら、腹水を抜かなくてはと中村医師が思っているうちに傾眠状態となり、口から一滴の水も摂ることができなくなる。その後、海老原さんは何の治療もしなかったが、最後まで痛みを訴えることなく、安らかに息を引き取ったという。驚いたことに、亡くなった時には、あの出っ張った蛙腹がぺしゃんことなり、完全に腹水が消えていたという。

「人間、生きるためには水分が必要です。口から水分を摂れなくなった海老原さんは、身体にある水分を全部使い果たして亡くなったのです。人間の自然の身体の仕組みはこんなにすごいものなのかと、感嘆しました」

中村医師が「同和園」に来て以降、最期まで痛みが出ないがん患者が十人くらい続いたという。これはもはや偶然ではない。中村医師はそう思うようになっていった。十人に共通していたことは、がんが手遅れで発見され、その後、抗がん剤や放射線などの治療をせずに、いわば、がんを「完全放置」していたことだった。これは中村医師が勧めたことではなく、本人や家族が望んだからだという。

彼らを診ていくうちに、中村医師はこのような考えに行き着く。「末期のがん患者はのたうちまわるほど苦しむと思っていたのに、十人の患者の誰一人、がんの痛みで苦しむ人がいなかった。がんが発見されるまでも痛みが出ず、その後、亡くなるまで全く苦しんでいない。がんという病気は、『完全放置』していれば、全然苦しむことはないのかもしれない」

この考えが、どれだけ正しいのか。平成十五年から平成二十二年までの間に「同和園」でがんで亡くなった人の数は五十二名。年齢とがんの種類は様々だが、驚いたことに麻薬を使うほどに痛んだケースは1例もなかったというのだ。五十二名中、ホームで最期まで看取った人は二十七名。それ以外の二十五名は病院で最期を迎えたが、彼らも痛みを訴えたから、入院したわけではない。胃や腸から大量の出血をしたり、肺炎になったり黄疸がでたりしたために、「最期は病院で」という家族の要望があったからだという。

もちろん痛みを訴えた人が、まったくいなかったというわけではない。九十九歳の女性は首に大きなしこりができたので、病院で検査したところ、どこかから転移したがんであると診断される。詳しく知るためには精密検査が必要だったが、高齢であることから、家族は治療も精密検査も望まず、ホームに戻ってきた。

その後、しこりは急に大きくなり、女性は痛みを訴えたのだが、その痛みは、冷却シートを貼るだけで治まってしまったというのだ。「がんの痛みが冷却シートぐらいで治る訳がありませんから、これはがんの痛みではなく、しこりが急速に大きくなったため、皮膚が引っ張られて、それを痛みと感じるようになったんだと思います」

以前は、がん患者が痛みを訴えたら、すぐにそれはがんの痛みと考え、麻薬を使っていたこともあったという中村医師だが、「同和園」に来て、その考えが大きく変わったという。「がんの患者が痛みを訴えると、なんでもがんの影響だと考える傾向が強いような気がします。ここに来て、そのことがよくわかるようになりました。お尻がただれて痛いという患者に麻薬を使う医師がいるほどですから。がん患者の痛みの中には、がんの影響ではないものもかなりあると私は思うようになりました」

◎病院のがん患者との違いは何か

中村医師は十六年前から「自分の死を考える集い」という市民グループを主宰している。
「いまの時代、“死”をタブー視し、遠ざけるあまり、“生″もおかしなものになっている。“自分の死”を考えることは、“死に方”を考えるのではなく、死ぬまでの。“生き方”を考えることなのだ」

中村医師のこんな考えに共感した人が全国から集まってくる。なかにはがんと診断された人もいる。検査の結果、肺がんと診断された森野茂一さん(79)もそんな一人。森野さんは診断後、担当医からこう言われたという。

「八十歳なら手術はやらないが、あなたは七十九歳だから手術しよう」なぜ、一歳だけの違いで手術をするかしないかが決まるのか――。そう考えた森野さんは医師に不信感を持つようになる。そして「集い」にやってきて、中村医師の考え方に共感し、その後一切の医療との関わりを絶つことになる。手術の勧めを拒否し、肺がんを「完全放置」した森野さんはその後どうなったか。

なんと、その後四年三ヵ月間も好きな卓球を続けながら、QOL(生活の質)も全く落ちることなく、普通に生活を続けることができたというのだ。さすがに亡くなる1ヵ月前には、へたりこんで力は衰えたというが、最後まで呼吸困難もなく、痛みも全く出なかったという。しかし、亡くなる間際に問題が起きた。どこの医者にもかかっていなかった森野さんには、亡くなった後に死亡診断書を書いてくれる医師がいなかったのだ。そうした場合、「不審死」として警察が入って厄介なことになる。中村医師は森野さんに至急、往診医を探すよう助言する。八方手を尽くしてなんとか往診医を見つけるが、医療との関わりを絶ったがん患者など、普通の医師からすれば常識外だ。往診医から、「入院しろ、検査しろ、点滴しろ」と厳しく迫られたという。

当初は頑なに拒否していた森野さんだが、仕方なく一回だけ点滴注射と血液検査を受けた。そのとき、肺がんの腫瘍マーカーの数値のあまりの高さに医師は驚いたという。だが、最期まで全く痛みを訴えることもなく、苦しむこともなかった。そして、何の治療もしないことに猛反対だった子供たちが、「よくぞ、こんな穏やかな死を見せてくれた」と感謝したほど、森野さんの最期は安らかなものだったという。

前述したように、中村医師は、以前は「がんの最期は苦しむもの」が常識だと考えていた。だが、「同和園」で診た七十人以上のがん患者には、一人も麻薬が必要な人はいなかった。その違いは何なのか?実ははっきりとした違いがあった。「同和園」の人たちは、がんが手遅れで発見され、さらに高齢でほとんどの人が認知症を患っているために、抗がん剤や放射線などの治療を一切していない。

中村医師が以前勤めていた病院で診た患者は、すべて手術をした後か、抗がん剤や放射線の治療をしている人たちだった。「抗がん剤や放射線をした場合の最期が、必ず痛むかどうかはわかりません。しかし、治療をしなかった人は痛まなかったということだけは言えます」

筆者は本誌昨年九月二十九日号の「病院で死なないための『理想の看取り』」という記事で、延命治療などの医療に頼らずに「自然な最期」を迎えた人たちの事例を取り上げた。

東京・世田谷にある特別養護老人ホーム「芦花ホーム」に入居していた武藤公江さん(89)は誤嘸性(ごえんせい)肺炎を起こして救急病院に運ばれた。幸い肺炎はすぐに治まったが、その後医師から「胃ろう」をつけるよう強要される。しかし、これを夫は頑なに拒否した。認知症の妻の体に管を付けて、みじめな姿にさせたくないというのが理由だった。口から食べられないと宣告された公江さんだったが、その後、一日わずか六百キロカロリーという少量のゼリー食を夫が愛情込めて食べさせることで、一年半も元気に生き続けたのだ。息をひきとるときも、大変に安らかなものだったという。

富山県砺波市にある「ナラティブホーム」は終末期の行き場のない人を受け入れる看取りの場である。この施設では延命治療は一切しない。完全に自然な最期だ。そうすると、体はやせ衰えていくが、逆に不思議な現象が色々起こるという。認知症がよくなったり、耳が聞こえるようになったりと、医学では解明できない不思議な現象である。医療に頼らない自然な最期には、本来人間が持っている色々な力が現れてくるのだ。

◎人間には“自然緩和力”がある

そうした事例を知るまでは、筆者も、がんに限らず死ぬときは苦しいものと考えていた。だが、取材を続けていくと、「自然な最期」は驚くほど安らかなものであり、医療に頼らなくても痛みを感じないという。“事実”を知るようになった。そんな例をいくつも見ていくうちに、筆者はある確信を得るようになる。

それは、人間には自分で病気を治す“自然治癒力”があるように、安らかに死んでいける力、“自然緩和力”とでも呼ぶべき力が本来備わっているのではないかということだ。このことは、来月上旬出版予定の拙著『医療に頼らない理想の最期』(日新報道刊)に詳しく書いた。

人間は本来安らかに死んでいける力を持っている――数多くのがん患者を診続けてきた中村医師も全く同じ考えを持っていると言う。「死ぬ間際、人間は飢餓状態の場合、エンドルフィンという脳内麻薬が出て気持ちの良い状態になっているのです。呼吸状態がおかしくなっている時は酸欠になりますが、あの酸欠状態の時は脳内モルヒネが出ているのです。人間が死んでいく時は、自然に放っておけば、夢うつつのまどろみの状態で気持ち良くこの世からあの世へ移行できるものなのです。人間は本来、このような力を持っていて、自然な最期は苦しいものではないんです」

だが現在、この“自然緩和力”が使われることはほとんどない。中村医師が言う。「病気ではない。“死”に対して、医療が過度に介入するから、人間の本来持っている力が生かされてないのです。人間の持っている自然な力を無駄な医療が邪魔しているのです。医療の本来の役割とは、人間が持っている自然の力を最大限発揮させることなのです」

二人に一人ががんにかかり、三人に一人ががんで死ぬと言われている時代である。治療法は進化し、多種多様になっている。どの治療法を選ぶか悩む人も多いことだろう。だが、そんなときに、「何もしないで完全放置する」という選択肢もあるのではないだろうか。これだけの多くの人が、全く苦しむこともなく、安らかに亡くなっているという“事実”があるのだから。
(転載 了)

次は
山元加津子さんの
「白雪姫 プロジェクト」
始動のお知らせを
転載いたします。


『こんにちは。山元加津子と言います。ぜひ、この1分ほどの動画を見てください。
http://www.youtube.com/watch?v=ot_fmBvKUh0&feature=youtu.be

脳幹出血で友人の宮ぷーが倒れて、一生植物状態で四肢まひだと
お医者さんが言われたときも「だいじょうぶ」と思えたのは、
学校の子どもたちが教えてくれたことがあったからでした。
私は、特別支援学校に長くいます。
子どもたちは、意識がないように見えても、実は、すべての人に
思いがあり、全部わかっているし、聞こえているし、
見えているということと、そして、もうひとつは、
人間の体や脳にはものすごい回復力があり、
あきらめなければ思いは伝えあえるし、
きっと回復していくんだということを
教え続けてくれました。
それは、間違いがないことだと私は思っています。

ところが、残念なことに、それはまだ、一般常識ではないのです。
私は、情報がないために、知らないというただそれだけの理由で、
思いが伝えあえなかったり、回復をあきらめなければならない方が
おられることに胸が痛くてたまらなくなります。
だって、もしかしたら、それは、自分の家族だったり、
自分だったりするのかもしれません。
そして、廃用症候群(寝かしておくことで病気になってしまうこと)も
決して人ごとではないのです。

どうかみなさんのお力で「白雪姫プロジェクト」をすすめていただきたいです。
そして、みんなが笑顔でいられますようにと心から願っています。

白雪姫プロジェクトとは…「病気や事故のために、意識が無く、
回復の見込みが少ないと思われてきた「植物状態」と言われる人たちが
世界に何十万人もいるといわれています。
その方たちは、これまで、ベッドで長い間寝たままの生活を送ってこられました。
けれど、意識を取戻し、食べる、思いを伝えるなどの生活行動を取り戻すための
方法があることがわかってきました。
白雪姫プロジェクトは、回復の方法や、それにつながる意思伝達の方法、
口から食事をとること、リハビリの方法、介護の方法などの
情報を集め広めるプロジェクトです。
私たちは、「誰もが思いを持っていて、回復する可能性がある」ということが
当たり前になっていく世界をめざします。
白雪姫は王子さまの愛によって、目覚めることができました。
白雪姫プロジェクトはそんな愛でいっぱいのプロジェクトです」

ただ、知らないというだけで、思いを伝えられない方、
ただ、知らないというだけで、回復をあきらめてしまっている方や
ご家族の方がたくさんおられるということ。
それはとてもとても悲しく残念なことです。
4月1日に白雪姫プロジェクトを始めます。

まず、情報をお伝えするために、ホームページを開設しました。
http://shirayukihime-project.net/

意識を取り戻すために、具体的にどうすればいいか、
腰を痛めない介護法はどうすればいいか、
人は寝かせたままにしておくとどうなってしまうかなど、
たくさんの情報が載っています。
また、多くの専門家の先生や、
村上和雄さんや、
黒岩祐治さん、
紙屋克子さん…
たくさんの方にも応援いただいて、
コメントを寄せていただいています。

 私がみなさんにお願いしたいのは、
とにかく、まず必要な方に、
情報をつたえていただきたいこと。
そして、白雪姫プロジェクトの内容を
多くの方に知っていただきたいということです。
皆さんお願いです。
白雪姫プロジェクトには
「応援のしかた」ページがあります。
そこに応援の方法が書いてあります。

1.応援のページの登録をお願いしたいです。
「私は白雪姫プロジェクトを応援します」というページです。
ここには、お顔の写真、ブログやミクシィやフェイスブック
などを入れて登録するページがあります。
そこに登録していただくと、白雪姫のページから、
みなさんのページに飛ぶことができます。
そしてもうひとつ、このプロジェクトを
多くの方に知っていただくために、
みなさんのお持ちのブログやフェイスブックページなどに、
「私は白雪姫プロジェクトを応援しています」の
文字とリンクをお願いしたいです。
それが、広まっていく大きな力になるからです。
登録数全部で何万にもなることが、目標です。
きっとそうすれば、何か変わっていくはずと思っています。

2.ちらしがあります。配っていただけたらうれしいです。
・・・・・

もっともっといろんな応援の仕方があると思うのです。
ぜひ、そんな方法も教えてください。
そして、どうぞ、応援をよろしくお願いします。
今も、横になったまま、
思いも伝えられずにいる方がおられます。
一分一秒もそんなことは嫌なのです。
どうぞどうぞお力をお貸しください。
私だけでは何もできないのです。
ぜひお願いします。
そして本当にみんなが、
元気で笑っていられますようにと
心から願っています。    
山元加津子
・・・・・(転載 了)

いかがでしたでしょうか?

どちらも皆さまや
皆さまの周囲の
大切な方たちの
問題として
決して
無関係な問題では
ありません。

私自身も
何回もこのブログで
紹介していますが
私の女房も
食道がんになってから
7年以上
24回も入退院を
繰り返してきた立場です。

4月4日にも
次の入院のための
通常の検査の日が
やってきます。
その度に
女房は落ち込み
夜、眠れない日が続きます。

今、この原稿を
書いているのは
夜中の3時半です。
女房のお付き合いで
近くで書いています。

女房の場合は
体力が無かったことと
(入院時26キロ)
私たちの方からも
拒否したため
幸いにも
抗がん剤や
放射線治療は
やらずに
内視鏡治療で
がんを切除して
いただいています。

女房は
食道の3分の2程
がんに侵されていました。
しかし、
女房よりも軽度の
同じ食道がんの方で
抗がん剤や
放射線治療を
受けた方の多くは
亡くなっています。

内視鏡は
一度に3センチ位しか
切除できないので
時間はかかりましたが
女房の場合は
それが良かったようです。
でも、その間
二度、死にかけたことは
あります。

また、変なもので
体力が無かったため
がんの進行も
ほとんど進まなかった
ことも幸いしたと思います。

若干、喉頭がんが
3箇所くらい
見つかった程度で
済んでいます。
これから切除していく
予定になっています。

しかし、
この週刊文春の
塩田芳享さんの
記事を読んで
今後のがんとの
付き合い方は
真剣に話し合って
決めようと思いました。

また
もう一方の
事故や病気で
植物状態になったり
意識はあっても
周りの無知から
あえて寝たきり状態に
なってきた方たちも

私の友人や
周囲の人たちの中にも
今まで
たくさん見てきました。

今、そのような状態の
家族や友人や
大切なかけがえのない人を
立ち上がらせることが
できます。

もう一度
お願いいたします。
この情報を一人でも
多くの方に
拡散してください。

『今日は残りの人生の最初の日』

人間には
偉大な力が
潜在しています。

自己を癒す力です。

私たちが
心の底から望むならば
驚異的なパワーを
ひとりひとりが
発揮できるのです。

自然治癒力
自然回復力
自然緩和力

偉大な力が
備わっています。

希望の伝道者として
共に伝えて
いくことは
難しいことでは
ありません。
今日、
一人でもいい誰かに
伝えてください。

生かして頂いて
ありがとうございます。