2012年2月2日木曜日

「共時性の中に生きる」

年が明けて
私の女房の弟さんが
亡くなりました。
まだ、56歳でした。

弟さんが
勤務している
会社の方には
暮れに体調が悪いと
言っていたそうですが

仕事始めの
1月5日に出社せず
6日~10日まで
連絡が取れない
状態だったので、
会社の同僚の方が
心配してくれて
弟さんのマンションの
大家さんに頼んで
部屋の鍵を
開けてもらい
亡くなっているのを
発見したそうです。

こういったケースは
警察署が解剖を
するのですが、
その結果
亡くなったのは
1月6日だったとのことで、
死後4日経っていました。
死因は肺がんと肝硬変と
いうことで
どちらが死因といっても
いいぐらい悪化していた
様です。

弟さんは
現在は独身でしたので
発見が遅れて
4日も経って
しまいました。

女房の親や
兄弟は
お母さんが
横浜市鶴見区に
ご健在で
女房のお姉さんが
長女で近くの川崎に
旦那さんと住んでいます。
女房が次女で
今回亡くなった弟さんが
その下で、長男です。
そして、このブログでも
紹介したことのある
四国に嫁いでいる
妹さんが三女です。
そして、母親の隣に
マンションを借りて
住んでいる
やはり、このブログで
紹介したことのある
一番下の弟さんが
います。
やはり独身です。
何故か?男は独身です。

この5人兄弟の中で
この亡くなった
弟さんだけが
ここ20年程
他の兄弟との連絡を
あまりとって
いなかったために
近況については
家族のみんなも
状況を把握して
いませんでした。

健康面においては
寧ろ
病気とは程遠いと
思われていた方でした。

それだけに
お母さんや
兄弟たちの驚きと
悲しみは
如何ばかりかと
慮ります。

それぞれに
彼との思い出はあり
その思いに浸りながらも
彼と今生での
お別れを言い
また、次の再会を
約束したことでしょう。

彼の納骨までの
49日間
私は
毎朝
仏壇に向かって
弟さんに
こう
語りかけていきます。

「○○○○さん
あなたは1月6日に
亡くなりました。
1月13日には
焼き場にて
56年間使っていた
肉体にも
お別れを告げました。

しかしながら
あなたの実相は
完全円満なる霊なのです。
その証拠に
何も食さなくても
生きているという
確かな実感があるでしょう。

これから
あなたには
既に亡くなっている
お父さんを始め
有縁の方たちが
あなたを導くために
あなたの前に
訪れてまいります。

その方たちの
あなたを思う愛情を
魂から受け取って
その導きに従って
より深い気づきを
感じてください。

あなたの深い気づきは、
古いエネルギーから
あなたを開放し、
あなた自身の肉体や物質に
付着するものを
手放していくプロセスです。

最早、あなたには
病気もありません。
あらゆる執着から
自由になっていきます。
素晴らしい事です。
全てが変化していきます。
一つのステージを
越えていくのです。

そして
新生したあなたの
あたたかい愛で
残された
お母さんや
兄弟たち並びに
あなたに係わった
有縁の方たちを
お見守り下さいますよう
宜しくお願いいたします。」

真理を学んだことのある方
であるならば、
永遠の生命を自覚
されているでしょうが
自覚の無い方やまた、
自覚があっても
亡くなった状況が
昨年の地震や津波や
交通事故と言った
突発的なことであったり
した場合
どうしても直ぐには
理解できない方も
おります。

そのために
49日間という期間は
意味のあることと
言えます。

その場合
お坊さんから
あげて頂くお経も
大変、すばらしい内容で
雰囲気としては
いいのですが
それはそれとして

私は
亡くなられた方の年齢や
状況に鑑みて
現代語にて
その人自身に
毎朝、語りかけるように
お話をしていきます。

いつも同じではなく
弟さんの場合は
一番上のお姉さんや
一番下の弟さんのところに
たびたび出かけていって
夜中にテレビを点けたり
見ているテレビを
突然消したり
棚の上の物を
転がしたり
いたずらをするのです。

一番下の弟さんから
そんなことがあったので
お兄さんの相手を
してあげたそうです。
そして、
こんなメールが
届いていました。

「身内は気配でわかります。
ただ、恐怖感は何もありません。
昨日、兄の写真と一緒に
語り合いました。
酒を二人で飲みながら・・・」

その人の
係わりのあることの
状況を逐次、付け加えて
普通に友人と
話をしているように
語りかけるのです。

おとなしく
聞いている姿を
感じることもあれば
悲しみや
寂しさの感情の
波動も感じることが
できます。

何か
どうしても
言ったおきたいことが
あれば
夢枕に立ち
大切なことを
伝えてくれることも
あります。

ただ、不思議と
49日に近ずくにつれ
穏やかな静かな
波動になってくるものです。
理解さえしてくれれば
肉体と言う粗い密度と
違って
早く悟れるのです。

「今日は残りの人生の最初の日」

今日も彼に
語りかけました。
今日の彼は
とてもあたたかな波動を
出してくれました。

2月23日には
納骨をいたします。
それまでの間
彼と共に
次のステップに進むよう
語りかけていきます。

生かしていただいて
ありがとうございます、

2012年1月10日火曜日

「意識を高め、視野を拡大する」

2012年に入り
早いもので
今日は1月10日に
なりました。

今年に入ってから
明らかに
今までとは
精神的波動が
変わってきたのを
感じます。

お会いした方々も
口々に
何かの違いを
感じられて
いるようです。

皆様は
いかがでしょうか?

昨年起こった
東日本大震災において
建物や道路などが
崩落し破壊され
あらゆる大切なものや
多くの
かけがえのない命を
喪いました。

それに追い討ちを
かけるように
津波によって
建物や車輌と一緒に
多くの思い出と共に
大切な人たちを
流し飲み込んで
しまいました。

また福島原発が爆発し
放射能が大気中に飛散し
地面や海を汚染し、
食料や水にまで
影響されました。
人々は
郷土を追われ、
家族や友人や隣人たちと
離れて暮らすことを
余儀なくされて
いらっしゃる方たちが
多数おられます。

直接的な被害を
被らなかった
人たちにしても
この惨状を
目の当たりにして
共に悲しみ苦しんで
おられます。

しかし、その一方で
人々の絆や結びつきが
世界中に及び
多くの人たちの
あたたかく尊い
思いやりや励ましの
言葉や支援が
再びの生きる力を
また明日への希望を
与えてくれました。

何が本当に
価値あるものなのか?
あらためて
考えさせられる
大きな出来事でも
ありました。

その激動の
2011年から
2012年に入って
多くの人々の気持ちは
大きく変化している
ように感じます。

2012年はまさしく
精神的な転換の
分水嶺の年に
なると思われます。

私たちの
意識を高め
視野を拡大することが
より大切に
なってまいります。

人と人との絆
思いやり、
優しさ
慈しみといった
本来持つ特質を
こころの内部に
留め保ち
発揮していこうという
強い動機と意思を
持つことが
必要になります。

私たちは
神の子であり
今こそ、
その自覚を
持たなければ
なりません。

神なる意識は
無限であります。
宇宙意識であり
全ての全てを抱擁し
生かし給い、
そして育み、
愛してくださる
偉大なる
意識であります。

大愛の中に
全てのものが
抱擁されています。
全ての全ての中に
私が存在し、
自分と他人という
分離は存在しません。

分離と言うのは
限定された意識や
限定された視野の
自我の意識という
観念が創っているに
過ぎないものです。

この分離感は
個人においても
国家においても
自と他を区別し
自分の領域に無い
他という存在を
攻撃したり
破壊したり
侵略し奪ってきました。

結局は
他を攻撃し破壊した
と思っていても
それは
自分を攻撃し
破壊しているのです。
そのことに
気づかなければ
なりません。

もうその時代に
終りを告げなければ
なりません。

私たち一人ひとりの
意識を高め
視野を拡大させる
ことによって
変わっていけるのです。

低い意識とは
自分さえよければという
自己保存や
自己中心の意識です。

また、
狭い自己のみに
囚われている
自己限定の思いです。

それは自我であり
偽我であります。
そいいう
低い意識
狭い視野は
もう手放さなければ
なりません。

私たち
一人ひとりに
本来備わっている
本当の相(すがた)は
無差別の愛であり、
無限大の私なのです。
ただ、そう
自覚することです。

なぜ、
宇宙大の意識を
制約しなければ
ならないのでしょう?

私たちは
一度なりとも
神から分離した
ことはありません。

私たちは
神の子なのです。
生きとし生けるもの
万有万物悉く
神の子なのです。

すべては
本来そのままで
奉仕と循環の
法則によって
同じ神の子同士
すべてが
関連しながら
生かされているのです。

数え切れない
ご加護を
受けながら
私たちは
生かされているのです。

それでは一体
人間は
何に奉仕しようと
しているのでしょう?

すべては
神の愛と調和の
中にあって
人間はそのバランスを
崩していただけなのでは
ないのでしょうか?

神が大きな愛と
調和でバランスを
取ろうとしているのに、

人間は
大気中は汚染するし、
自然は破壊するし、

人間同士でさえ
罵り、
けなしあい、
憎しみ合い、
悪口の言い合いを
してきました。

そして
宇宙にまで
影響を及ぼすような
核爆弾を
たくさん持っています。

もう、よしましょう!

意識を高め
視野を拡大させるのです。

神が大愛でなかったら、
とうに地球は
滅びています。
神は何一つ誰一人とも
裁くことはありません。

神の大愛によって、
いかに罪を犯そうが
気長に
私たちの罪を許して
くださっているのです。

神は
私たちを
裁いたことが
あるでしょうか?

人間は
自らが犯した罪は
自らが
刈り取っている
だけなのです。

神は慈悲深く愛深く、
永遠に私たちを
久遠の愛、
不変的愛によって、
許してくださって
いるのです。

神は愛であり
調和であります。
すべては
助け合い、
分かち合いなのです。

罵りや、悪口は
神から
離れている行為です。

それは、神を罵り、
悪口を言っている
ことと同じことなのです。

隣人も
神の子であるのです。
私たちも神の子です。
隣人を罵る者は
結局、自分自身を
罵っているのです。

すべては一つなのです。
神は大調和であり、
大愛であり、
到る所に
満ち満ちているのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、この瞬間に
満ち満ちている
神の愛と調和を
我が意識として
高めていき、
視野を拡大できるのです。

それは既に
備わっている
真我なのです。
今、確かにあるのです。

大愛が備わっています。
大愛とは
真我に由来する
数多くの
特質を網羅している
力強い
エネルギーのことです。

そのエネルギーは
すべての存在達に
希望と確信を与え
抱擁し、
生かし育むところの
偉大なる意識であります。

この大愛を
こころの内部の
中心に置くことが
意識を高め
視野を
拡大することです。

2012年は
その意識を高め
視野を拡大し

日々の生活の中で
それを維持し続ける
ことこそ

私たちの
最優先の課題にして
いくことが
とても大事であると
思うのです。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2012年1月5日木曜日

2012年始まっています!

新年あけまして
おめでとうございます。
2012年という年が
皆様にとって、
すばらしい一年と
なりますよう
祈りつつ

本日から
ランダムに
ブログの投稿を
始めたいと思います。
今年もお付き合いの程
よろしく
お願いいたします。

今年は早々に
昨年、
このブログにも
紹介させて頂いています
きくちゆみさんから
講演会のお知らせが
届いています。

是非、お時間と
興味のある方は
参加してください。
掲載します。

「2012年を脱原発元年に」と決意しているきくちゆみです。

311以来、福島の妊婦さんと子連れ家族を支援してきた「つなぐ光」(@沖縄)を支援する講演会を、脱原発世界会議の前日に港の見える丘公園の中にある神奈川近代文学館で開催します。講演会の収益は、「つなぐ光」に寄付させていただきます。

脱原発世界会議に参加するために、遠方から横浜まで出かける方が沢山この中にもいるかと思います。前日から入れば、以下のイベントにも参加して、福島の妊婦さんと子どもたちを支援することができます。

福島第一原発の最新情報を知りたい方は、広瀬隆さんが3時間たっぷりお話する夜の部へ、放射能汚染時代を生き抜く食や暮らしの工夫、ハワイ島でのエコビレッジ計画に興味のある方は、私が対話形式で行う昼の部へどうぞ。

<ポスト311・チャリティ講演会>

夜の部:広瀬隆講演会
福島原発事故の真相と放射能汚染の恐怖
フライヤー:
http://www.harmonicslife.net/Blog/2011/20111201/Post311_TakashiHirose.pdf

311原発震災以降、政府、マスコミ、市民団体、独立 メディアの情報はまちまちで、何を信じていいのかわからなく なりつつあります。今、福島、そして東日本では何が起きていて、 私たちはどのように生きればいいのでしょうか。 30年以上の言論活動を通して原子力の危険性を指摘し、 原発震災に警鐘を鳴らし続けて来た広瀬隆さんの最新情報を 聴き、2012 年以降を生き抜く指針とするために、この講演会 を企画しました。

日時 :2012年1月13日(金)午後5時開演(4時半開場、8時半終演予定)
場所:神奈川近代文学館(港の見える丘公園内)
最寄り駅:みなとみらい線「元町・中華街駅」徒歩8分
地図:http://www.kanabun.or.jp/0g20.html
参加費:前売り券 2000円/当日券 2500円 (ローソンチケット L コード:37105)

昼の部:きくち ゆみ講演会
原発止めて 地球と一緒に生きる
フライヤー:
http://www.harmonicslife.net/Blog/2011/20111201/StopNuclearPower_LiveWithTheEarth.pdf

1998年から南房総の山間地で自給的な暮らしをしてきた きくち ゆみさんが、いよいよハワイ島にも自給暮らしの拠点を 創り始めました。脱原発世界会議に参加するために帰国している彼女の311以降とこれからの活動について話を聞き、いろいろ質問しましょう(質問タイムをたっぷりとっています)。

この講演会に参加すると得する人
*子どもを元気に育てたい人(赤ちゃん、子ども連れ歓迎!)
*子どもを産む可能性のある人
*自給的な暮らしに興味のある人
* ハワイ島に行きたい人・暮らしたい人

日時 2012年1月13日(金) 午後1時半開演 (1時開場、3時半終演予定)
場所 神奈川近代文学館(港の見える丘公園内)
最寄り駅:みなとみらい線「元町・中華街駅」徒歩8分
地図:http://www.kanabun.or.jp/0g20.html

参加費 : 前売り券1500円/当日券2000円 (ローソンチケット L コード:37105)

*お近くにローソンがない方は、メールで事前申し込みして下さい。前売り価格でご入場いただけます。
申し込み専用メール:rawinfo@harmonicslife.net
メールのタイトル:ポスト311・チャリティ講演会(昼)(夜)(両方)
とし、お名前、連絡先(電話)、チケットの種類と枚数をご明記下さい。

2012年がターニングポイントとなって世界の脱原発が進み、持続可能な社会があちこちで誕生しますように!
まずや食とエネルギーの地域自給から始めましょう。

きくち ゆみ


また。
きくち ゆみさんの
ご主人の
森田 玄さんからも
新年の挨拶と
「神との対話」の
著者である
ニール・ドナルド・
ウォルシュさんからの
年頭のメッセージを
送ってくれました。
それも紹介します。

森田 玄さんに
ついては
昨年の
私のブログでも
紹介していますので
そちらも参考にして
ください。
10月14日掲載
生命の無限のゲーム


新年のメッセージ
2012年1月1日

みなさま、新年明けましておめでとうございます。

昨年は、日本が未曾有の大災害に見舞われ、だれもが辛い経験を強いられました。それを今年は再生の踏み台としたいです。

「神との対話」の著者であるニール・ドナルド・ウォルシュさんが年頭のメッセージを送ってくれましたので、みなさんと共有したいと思います。


2012年1月1日

人類はいま自己再生を願ってやみません。それはどこにでも感じられるでしょう。その空気をあなたも感じられるはずです。人々が待ち望んでいるのは誰かが立ち上がって道を示してくれることです。口火を切ってくれる誰かです。最初のドミノを倒す人です。

でも、ひとつ明確なことがあります。ひとりの救世主の時代は終わりました。いま必要なのは共同行動、力を合わせた活動、全員参加の共同創造です。いま必要とされているのは一人の人間だけではなく、家族やコミュニティや社会で、その時その場で変化をもたらす仕事を引き受ける”その人”にたくさんの人間が進んでなることなのです。

ニール・ドナルド・ウォルシュ  『新しい啓示』より

如何でしたでしょうか?

そして
まさしく
ニール・ドナルド・
ウォルシュさんが
仰っている

その時その場で
変化をもたらす仕事を
既に引き受けている
“その人”と
呼ぶにふさわしい

森安英憲さんから
昨年末にメールが
届いています。
それも下記のように
快く掲載許可を
頂きましたので
紹介させて
いただきます。

まず、
掲載許可のメールです。

『こんにちは。ブログ毎日拝読しております。

私のメールなら今後も全部自由に使ってください。

これは私の言葉ではなく、宇宙の真理を毎日私に伝えてくれる使徒達の言葉ですから。

自分に足りないものは、自分以外のすべてのものだと気づかせてくれたみなさまに感謝申し上げます。

みなさまよいお年を。みなさまの幸せが私の幸せです。

森安 英憲』

そして下記が
昨年末に
届けられた
メールです。

『こんばんは。会社の納会も終わり、ほぼ全社員が帰った後の時間です。

ブログへの掲載ありがとうございます。
大山会長が若い頃、お坊さんから与えられた啓示を読みました。

人の生きる喜びは
・愛されること
・ほめられること
・必要とされること
・役に立つこと

このうち、愛されること以外の3つは、働くことによって得られるのだと。

そうなんですね。施設で大事にされればいいのでは?と思ってしまうところですが、本人からすれば、主体として認められない自分って何?ということですよね。それは障害のあるなしではなく、人としてみな同じことです。

もう50年も前のことですから時代も違うし、働くという言葉の定義も違うのでしょう。私は4つすべては同じものであり、働くことによって得られると思っています。

添付は私たちの会社を報じる記事です。「職場とは、すべての人が自分にふさわしい役割を果たすところ」という私の言葉には、次のような思いがあります。

人はみな、使命(役割)を持って生まれてくるのだと思います。私にとって、「働く」とは、会社や施設で生産活動をすることだけではなく、すべての人が、自分の役割を果たすことが「働く」ということだと思っています。

重い障害や病気の人は「役にたたない」と言われる世の中だけど、障害や病気もこの社会に必要なもので、それをみんなのために引き受ける役割を果たしています。

みんなが自分の役割を果たす社会。それは、みんながお互いの役割を知る社会。自分に足りないものは、自分以外のすべてのものだと知る社会。みんなが、すべては自分の一部でありみんなで一つの命だと知る社会。

それは必然的に、お互いに愛し・ほめ・必要とされ・役に立つ関係です。

障害があってもがんばって役に立つとか愛されるとかいうことではありません。

一つの命を、みんなで役割をもって生きる。ただそれだけのことです。

人だけではなく、地球や宇宙のすべてのものがそうなのだと思います。

私は4つは同じものだと思うから、ひとこと「愛」だと。

障害のあるみんなは、そう教えてくれました。

私は人からバカにされることが多いですけど、より宇宙の真理に則して生きるみんなが教えてくれたことだから、それが正しいのだと思います。

年末ぎりぎりまでお騒がせしました。ブログでとても貴重なお話をとんでもない量(笑)読ませてもらって、光を感じています。ありがとうございます。
---

森安 英憲』

森安さんが
添付して下さった
奈良新聞の
森安さんを
報じる記事には、
下記のように
紹介されていました。
抜粋させて
いただきます。

“対等な視線で築く信頼”

立積住備工業
取締役管理部長
森安 英憲さん

『3年前、偶然の出会いから
県内の特別支援学校を訪問した。
迎えてくれたのは、優しく、
かわいい子どもたち。接する
うち、いつしか心の壁も
消えていた。
「『障害』は私たちの社会が
つくっているもの。これからは、
この子どもたちを幸せにする
仕事をしたい」。この熱意で
会社を動かし、生徒の実習
受け入れ、知的障害者雇用と
進めてきた。
平成19年7月、初の実習。
安全面の危惧から
[管理職が交代で見守る]という
条件が付いたが、幹部社員が
生徒たちの働く姿に直接
触れたことは社内の理解を
進める力になった。
20年2月、「雇用第一号の
松本留美さん(33)=県立
高等看護学校出身=が入社。
松本さんは当初、作業の習得に
時間がかかったが「絶対、
あきらめない」という気持ちで
仕事をマスター。
今、生き生きと働く。
森安さんは実習生や障害ある
社員との日常的な
コミュニケーションやさりげない
見守りを欠かさないが、それは
「特別扱い」とは違う。
「信頼関係の中でこそ安心して
働ける。それは誰しも同じはず。
ただ、サポートの必要な度合いが
違うだけ」。
あくまで対等な視点の根本には

職場とは、
すべての人が
自分にふさわしい
役割を果たすところ


という理念がある。
森安さんは職場での実践から、
さらに広く社会に思いを伝える
活動を続けている。』

如何だったでしょうか?
今年も
森安 英憲さんや
きくち ゆみさん
森田 玄さん夫婦や
山元加津子さん達の
活動を多く
紹介したいと思います。

それは、
読者の皆様
一人ひとりが
創造の担い手として
立ち上がる縁となると
思うからなのです。

今年も一年
よろしくお願いいたします。
共有、ありがとうございます。

2011年12月30日金曜日

“次元の意味と参拝について”

今日は30日
年の瀬も押し詰まって
来ましたね。
皆様は
いかがお過ごし
でしょうか?

お仕事を終えて
のんびりして
いらっしゃいますか?
それとも
大掃除の途中で
一服して
いらっしゃる方も
おられることでしょう。

日本も世界も
今年一年
いろいろな出来事が
起こりました。

2012年を
迎えるにあたり、
皆様一人ひとりの
それぞれの意識の中に
去来する思いが
浮かんでくるのでは
ないでしょうか。

今年も多くの方が
どこかに参拝に
行かれることと
思います。

そこで
どこかの
寺社や神社で
参拝するにしましても

参拝に臨む
心構えについて
お話しを
進めてみたいと
思います。

各人各様
それぞれの念いを
持って参拝されると
思いますが
参拝される前に
もう一度
自らの念い、
意識と言うものを
点検して
頂きたいのです。

そこで、
皆様にお話して
おかなければ
ならないことが
あります。

それは、
次元という言葉に
ついてです。

皆様は
次元という言葉を
聞いたことが
あると思います。:

三次元だとか
四次元だとか
十次元とか
聞いたことが
ありませんか?

よく宗教や精神世界の
指導者が言っています。
「私は九次元の存在です!」
だとか
「あなたは○次元です!」
とか?

では、
実際にそういう
分離された次元と
いうものが存在
するのでしょうか?

次元とは私たちの
意識の状態のことを
言っています。
私たちの意識に
すべての次元が
存在しています。

しかし、元々は
神一元という
一つの次元しか
存在しないというのが
霊的真実です。

私たちが
肉体人間として
長く物質世界を
送っている間に
本来は神一元である
完全なる意識を
様々に分離し
低めていって
様々な意識状態を
創造していきました。
そして、
何次元とか言っているに
過ぎないのです。

私たちは
今、どの次元に
意識状態を置いて
いるのかということを
点検しなければ
なりません。

私たちが今、
物質のみを重視して
いるならば
そのことを指して
三次元の意識状態に
今、在ると
いうことであって

次元と言う領域が
ある訳では
ありません。
次元はどこにも
存在しません。

私たちの意識にのみ
存在するのです。
ということは
自分次第で
どの次元にも
意識を向けることが
できるということ
なのです。

ですから、
まず、自らの意識が
どこにあるのかを
点検しなければ
ならないと
言っているのです。

怒りや恨み或いは
嘆きや悲しみ
単なる金銭や
個人の欲得の意識を
持って参拝をしますと、
その時に寄る神気は、
同じような種類の
次元の邪気が
集まってくるからです。

平安や安らぎ
今、生かされている
ことに対して
感謝の気持ちで
参拝をしますと、
感謝が増幅される
ような次元の
有り難い神気を
引き寄せていくからです。

参拝の時の次元
そのままに
現れてくるのです。

私たちを
照らす鏡のように
神気は瞬間で変わります。
変幻自在です。
私たち参拝する者の
意識次第であるのです。

私たちには
元々、
神一元なる
完全意識が
備わっています。

自身の内在神に対して
感謝を献げ
神と一体となり
今年一年最善と
最高を尽くすことを
決意することを持って
参拝するのです。

欲得で
お願い事ばかりを
してはいけません。

同じ次元の
波動を持った
彷徨える霊的存在が
参拝をする者を
頼りにして、
瞬時に集まるのです。

欲しいものと
欲しいもの同士
その願いは相殺され、
妨害する出来事が
次々と現れることに
なります。
注意をしてください。


あなたは、
今どこに
おられるのでしょうか?

どこに
住んでいようとも
神のような
意識そのもので
愛で満たされて
いるならば
あなたは
高次元の従者であります。

次元が区切られた
特定の場所に
あるわけではなく、

どこに意識を向けて
生きているのかが
問われているのです。

私たちの魂は
自由自在です。
融通無碍です。

私たちの実相は
神一元であるのです。

私たちは神の子で
あるのです。
神に不可能は
ありません。
神のすべての御技を
自分と言う
媒体を通して
顕現せしめること。
完全状態になること。

それが、
この世に
生まれてきた目的です。

日常生活の中に
神を実践していくこと。

自分の想念と言う。
汲んでも汲んでも
減らない
無限の智慧が
存在しているのです。

ただ、
それを自覚して
いないだけなのです。

無限の智慧から
分離している人間は
誰一人もいません。

一個一個の
個人個人のすべての
生きとし
生けるものの
小さな智慧を
総計したもの、
その総計したものと
私たちとは
一体であります。

そうすると
すべての宇宙空間に
満ち満ちている智慧を
自由に受信したり
送信したりできるのです。

どこに意識を
向けるかによって
高度の次元の意識も
地獄の次元の意識も
受信できるのです。

悪霊的なものを
語るものは、
悪霊的な次元の
レベルであります。

無限意識、
普遍意識、
神意識という
宇宙を支配している
完全な次元を
意識することによって
神の智慧と力を
自分のものに
出来るのです。

そうすれば、
肉体という衣装を
纏っていながら
天国の従者で
あるのです。

平安と安らぎの中に
日々の生活を
送ることが
できるように
なってくるのです。

この一体観念に
ならない限り、
到底すばらしい
智慧と力を
くみ出すことは
できないのです。

そこから
分離するがゆえに
不調和になるのです。

自分の心が分離して
勝手に
不完全な人間と
思い込んでいるに
過ぎないのです。

神は実在し、
実際的で
現実的で
活動的であるのです。
すべて私たちの
意識に存在します。

視野を無限大にすれば
全宇宙を知ることに
なるのでしょう。
意識の目が
すべてを見、
理解するのだと
思います。
それがお釈迦さまが
得られました
宇宙即我なる
悟りなのだと思います。

一体から離れれば
迷える子羊、
放蕩息子、
迷い子になるのです。

無限宇宙は
神が抱擁していて
神の中から
外に一歩も
出ることはできません。
そのままで
神と一体であるのです。

迷える子羊でも
戻って来れます。
全体は我であり、
私はあなたであり、
あなたは私である。
自他一体、
全体一体であります。

宇宙意識を
素直に受け取って
いきましょう。

次元というのは
すべて
自分の中の
意識の状態であります

その意識を
高めることも
低めることも
自分の意識次第です。
自由自在に
どの次元にも
存在することが
できるのです。

私たち一人ひとりは
神より創られた
神の御子であり、
肉の御子では
ないのです。
人間の意志によって
この世に
誕生したものは
一人もおりません。

それを処女懐妊と
言うのです。
私たちの実相は
霊存在なので
イエスさまだけが
処女懐妊ではないのです。

人間の肉体は
神の宿るところの
乗り物に過ぎません。
その乗り物のことを
馬小屋と表現しました。
イエスさまだけが
馬小屋で産まれた
訳ではないのです。

結局のところ
神のご意志によって
生かされているのです。
誕生も死も
すべて神のご意志
であるのです。
神から出でて
神に還るのです。
これが
宇宙の法則なのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちは
今この瞬間に、
神の大調和の中に
没入することが
できるのです。

その次元には
自他の一体があります。
裁くものも無く、
憎めるものも無く、
粗末することも無く、
争うことも無く、
非難することない
愛と調和の体験が
現れる世界です。

それは真我なる意識
私たちの中の
内在神(仏)を
よく自覚して
健全な人生を
全うする道なのです。

これからの
参拝にあたって
書かさせていただきました。
参考にして
頂きたいと存じます。

今年はこのブログを
読んでいただいて
本当にありがとう
ございました。

2012年が
読者の皆様にとって
真我なる次元に
留まり
あらゆる出来事に
惑わされないように
不動心の一年に
なりますよう
祈りつつ2011年の
ブログは
終わりたいと思います。

生かして頂いて
ありがとうございます。

2011年12月26日月曜日

“森安さんからの学び”


12月24日のブログ
メリークリスマス
予告しておりました。
森安英憲さんから
掲載許可を
いただきましたので、
紹介させて
いただきます。

森安さんは
私が毎日愛読している
山元加津子さんの
「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」の
メルマガ上で

森安さんの
講演の内容を
紹介されていました。

それを読ませて
頂きまして
あまりにも
感動しまして涙を
流してしまいました。

是非、ブログの
読者の皆様にも
知って頂きたいと思い
森安さんに
お断りも無く

「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」の
メルマガの紹介と同時に
掲載してしまいました。

その後
森安さんに
事後承諾に
なりましたが
快く了解を頂き、
良かったと
思っています。

読まれていない方は
8月20日号ブログ
是非、読んでください。
また、8月24日号
佐和さんからの学び!
8月26日号
森安さんからのメール」も
併せてご覧ください。

それでは
お待たせしました。
森安さんからの
メールです。

『こんにちは。お久しぶりです。
ブログ拝見しています。
難しい文章が多く結構骨が折れます 笑。

私も幼少のころから、父母に、
いまだ木鶏たりえず
鶏口となるとも牛後となるなかれ、
など難しい言葉を聞かされてきました。
何千年も前の人が残した比ゆだと思いますが、
人のありようを知らなければ
言えない言葉だと思います。

私は経理の仕事をしています。
経理とは、会社の仕事を効率よく合理的に
するための情報分析・提供をする仕事だと、
長年信じ込まされてきました。

知的障害のある子どもたちと出会ってから、
この社会の本質を教えられるようになりました。

今や、金勘定は、最も非効率で
不合理な社会を作るためのものだと思っています。
私は、人はそんなにバカじゃないはずだと思いますが、
人の心をコントロールしている力があるのでしょうか?

競争とは力を殺ぎあうためのもの。
みんなが一つになれば、力は有り余るものです。

金勘定という概念がなくなる社会を作りたいと思います。

お金を媒介にしなければ何も動かない社会。
お金は媒介ですから、なくても同じことはできるはずです。
お金がなければ、銀行は全部つぶれます。
失業?そんなわけないですよね。
無用の仕事がなくなったらそれこそ効率的ですよね。
飯が食えない?分け合えば有り余るでしょう 笑。

この社会で価値が高いと思われていることほど、
無用のものであると私は思います。

さて、私たちの会社では知的障害のある社員が多くいて、
大活躍をしてくれています。
いっしょにいる私たちは、
「彼らは私たちに欠けている私たちの一部なのだ」
とわかっているのですが、
一歩外から見る人などは「あれ(私のこと)はアホだ」と。

「障害者など雇って生産性落として、
どれだけ余計なコストをかけているのか見せろ」という圧迫も。
ところが、障害者の多くいる職場ほど、
職場の改善が進み、最も高効率であることが証明されるのです 笑。
それでも人は変われない。

30年来、地元でも何をやっている会社か
知られていなかった私たちの会社が、
最近では地域から年間何十回も見学に来られます。

見た人はみんな変わっていく。頭でしか考えない人は変われない。
私はそのはざまにいて、会社のためではなく、
社会のために仕事をしようと思います。
本当はこんな区別はおかしいですけどね。
どちらも同じもののはずですから。
これが通用しないなら、会社は反社会存在だということになります 笑。

冬、ふと陽だまりのあたたかさに気づきます。
そこにはすべてがあると思います。

今年も1年お世話になりありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。』
掲載了

どう感じられました
でしょうか?

森安さんは
こう仰いました。

『競争とは
力を殺ぎあうためのもの。
みんなが一つになれば、
力は有り余るものです。

金勘定という概念がなくなる
社会を作りたいと思います。』

24日のブログで
紹介しました
日本理化学工業の
会長である
大山さんも
やはり森安さんと
同じように
知的障害の方と共に
仕事をされている方です。

大山さんは
たまたま法事で
出会ったお坊さんから

『人間の究極の幸せは、
愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
人に必要とされる
ことの4つです。
愛されること以外は、
働いてこそ得られます』
と聞いて気づきました。

そして
人間の幸せを
かなえられるのが
会社なら、
知的障害者を一人でも多く
雇用しようと
考えるようになりましたと
仰っています。

それ以降
工場見学に来る
小学生や中学生の
子どもたちが来ると

「働くって、
どういうこと?」と
投げかけて
みるのだそうです。

すると全員が
「会社に行っておカネを
もらうことです」と
答えるのだそうです。

子どもたちは
私たち大人が
言ったり考えたり
していることを
言っているのに
過ぎないのですが、
ここにも
金勘定という概念が
蔓延しています。

大山さんは
その時、
法事の時の
お坊さんから
聞いた言葉を
伝えるのだそうです。

「働くとは、
人に必要とされ、
人の役に立つことだと
思います」と。

大山さんも
森安さんも
知的障害者という
くくりで

社会が勝手に
決めつけられている
方たちと
働くことによって
人間の本質を
掴まれた方々だと
思います。

知的障害者と
呼ばれている方たちこそ
本質において
健常者であり

私たちの方が
本質においての
障害を持っています。

知的障害者と
呼ばれている方々は
常に真我から
語り表現しています。
神の心のままに

森安さんが
指摘されるように
私たちは
金勘定や物質や
単なる効率や
生産性やコストとか
いう訳の解らないもので
分析などという
あたたかくない言葉で
人や物事を
分け隔てています。

自我による
どんなことも
偽者なのです。

偽者こそ
現象だけに
囚われています。
それこそ
障害者なのです。

私はこのブログで
真なるリーダーシップを
学ぶ意味で
『呻吟語』からの学び
紹介しました。
その中にも出ていますが

リーダーが
人を使うときの
重要な心がけとして
「相手の能力を引き出す」
という箇所があります。

「駱駝(らくだ)は
百鈞もの重さを
背負うことができるが、
蟻はわずか
一粒のものしか
背負うことができない。
それで駱駝も蟻も
全力をつくして
いるのである。

象は数石もの
水を飲みほすが、
鼠はわずか
一勺の水しか
飲むことができない。
それで象も鼠も
腹一杯に
飲んでいるのである。

君子が人を使う場合、
必ずしも同じような
実績を期待しない。
相手がそれぞれの長所を
発揮できるように
しむけるのである。」


このように
人にはそれぞれに
すばらしい特性が
備わっています。
その特性をきちんと
見て、適材適所に
配置するのが
リーダーとして
とても必要なことです。

それが真なる
仕事なのです。
その適材適所を
正しく見ないで

一番大事な仕事を
怠っている人程
効率や生産性や
コストとか
金勘定を言うのです。

森安さんが
森安さんのメールを
掲載許可を
して頂いた返信の
メールも紹介させて
いただきます。

「うちの職場を見ていると本当に面白いです。例えば、2名のペア作業。2つの作業内容を二人でするのですが、ひとりは「作業1」しかできない。他方は「作業2しかできない」。ところがふたりがそろえば、まるでプロフェッショナルのように仕事ができるわけです。

ふたりチェンジしたら、できない。

ホームランバッターにバントをさせてもうまくいかないし、バントの名手にホームランを打てといっても打てない。バントの名手がバントを決め、ホームランバッターがホームランを打てば大量点が取れる。

生産性を低下させるものは、能力の高い低いではなく、能力に見合わない仕事をさせることです。

日本理化学工業の大山会長は本でしか拝見したことがありませんが、50年来こんな立派な仕事をして来られたのに、日本はちっとも変わっていないのだと思います。テレビでも紹介されても、みんな感動はしても行動はしない。

いや、昭和初期から、「この子らを世の光に」と提唱し実践してこられた糸賀一雄先生も日本にはいらっしゃいます。

日暮れて道遠しの感がありますが、でも私はきっと変われると思います。時代が変わってきたと思うから。宇宙のエネルギーが確かに変わってきたと思うから。

陽だまりの暖かさのように、本当に大切なことは、いつも目の前にあるいちばん簡単なことだと思います。

ありがとうございました。」

いかがでしょうか?
本物のリーダーが
語る言葉を
聞いて頂けたでしょうか

『今日は残りの人生の最初の日』

私も日本は
変われると思います。
山元加津子さんや
森安英憲さんや
大山泰弘さんのような方が
居られるから

知的障害者と
呼ばれる方々に
認められている方たちです

知的障害者と
呼ばれている方々が
お墨付きを出すのです。

彼らの本質よりの
純粋性は

私たちも本質から
接しない限り
見透かされて
しまいます。

知的障害者と
呼ばれている方々の
前にたって
恥ずかしくない
本当の自分を
発見しようでは
ありませんか!

共有ありがとうございます。

2011年12月24日土曜日

メリー・クリスマス

今日は
クリスマス・イブです。
皆様、
思い思いの
聖夜をお迎えの
ことでしょう。
このブログでも
何回か紹介させて
いただいています。
こころのチキンスープ」の
中から
“ベンのプレゼント”という
お話を紹介します。 

“ベンのプレゼント”

『毎日牛乳配達するベンは、
11月末に、お得意さん2人に
たまった牛乳代を払わずに、
引っ越されてしまいます。

そして彼がそのツケを埋め合わせる羽目になり、
1人は、20ドル、もう1人は79ドルもあり、
かなり落ち込んでいました。

そして、こんなふうに言っていました。
「この奥さんがまた美人でねぇ」と彼は言った。
「子どもは6人いたが、もう一人おなかにいて、
だから、信用したんだなぁ。
ああ、おれはなんてバカだ!人のために
いいことをしていると思っていたのに、
痛い目にあったよ。だまされちまった!」

私は、「お気の毒に」と言うのが精一杯だった。(略)
私は慰めの言葉を口にして、
なりゆきを見守ることにした。
だが、ベンが帰った後、
私は自分がなんとか彼の力になりたいと
思っていることに気がついた。
このままでは、
ベンは暗い人間になってしまうかもしれない。
何か私にできることはないだろうか?

ふと、クリスマスが近いことに気がつき、
祖母が昔口癖のように言っていた言葉を思い出した。

「誰かに物を盗まれたら、それをその人に
あげてしまいなさい。
 そうすれば、もう盗まれることはないよ」

つぎにベンが牛乳を配達してくれたとき、
私は79ドルの件で
うっぷんを晴らす手があると言った。

「そんな手があるわけないでしょ。
でもとにかく教えてください」

「牛乳はその女性にあげたと思いなさい。
子ども達へのクリスマスプレゼントだったと思って」

「冗談じゃない」と彼。

「そんな高いプレゼントなんて、うちの女房にだって
やったことはないよ」(略)

私はそこで口をつぐんだが、
ベンならきっとわかって
くれると信じてていた。
彼が配達にくるたび、
2人はそのことで軽口をたたき合った。
「もう彼女に牛乳をあげた?」と私が聞く。
「いや」と彼が切り返す。
「でも、またどっかの美人のお母さんにカモられる前に、
うちのやつに79ドルのプレゼントを
してやろうかと思っているよ」

私がこの質問をするたびに、
彼の口調も軽やかになっていった。

やがて、クリスマスの6日前に、あることが起こった。
彼が満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせてやってきた。

「やったよ!
牛乳をあの人にクリスマスプレゼントしちゃった。
いやあ、正直きつかったけど、たいしたことじゃない。
牛乳そのものは、とっくにくれてやっちゃってるんだし、
そうでしょう?」

「そうよ」私は彼といっしょに喜びながら、
「でも、本気でそう思って贈らなきゃダメだわ」

「わかってますって。本気ですよ。ああ、いい気分だ。
だから、クリスマスってのはめでたいんだよね。
あの家の子ども達は、おれのおかげでたっぷり
牛乳が飲めたじゃないですか」

クリスマス休暇がきて、やがて終わった。
2週間後、よく晴れ上がった一月のある朝、
ベンが玄関先に小走りにかけてきた。

「いやぁ、聞いてくださいよ」と言って、
にこにこしている。
彼の話では同僚のピンチヒッターとして、
いつもとは別の配達ルートを回っていると、
誰かに名前を呼ばれた。
振り返ると、1人の女が手にした紙幣を
振りながら走ってくる。

あの子だくさんの美人の母親だった。
腕には、おくるみにくるんだ
生後間もない赤ん坊をだいている。

「ベン!ちょっと待って!」女は大声で言った。
「あなたにお金を渡さなきゃ」

ベンはトラックを止めて、外に出た。
「ごめんなさいね」と女は言った。
「支払いをしなきゃって、
ずっと気にかかっていたんだけど」

話を聞くと、彼女の夫がある晩帰宅して言った。
「おい、安いアパートを見つけたぞ。
それに、夜の仕事も見つかったんだ!」
それで急に引っ越すことになり、
そのどさくさのせいで
ベンに転出先のメモを残すのを忘れたのだと言う。

「でも、ちゃんと貯めておいたの。
 ほら、まず手始めに20ドル」

「いいんだよ」とベンは言った。
「もう払ってあるんだ」

「払ってある!」女はビックリした。
「どういうこと?誰が払ったの?」

「おれだよ」

彼女は、彼がまるで神の使いであるかのように彼を見、
やがて泣き出した。

「それで?」
ベンが話し終えるのを待って、私は尋ねた。
「あなたはそれでどうしたの?」

「どうしたらいいのかわらなくてさ。
泣いている彼女の肩に手をまわしたけど、
いつのまにかおれまで涙が出てきて。
なんで泣いているかわかんなかったけど、泣いていた。

それから、あの子ども達が、コーンフレークに
おれの牛乳をかけて食べている様子が
目に浮かんできてね。
おれ、奥さんの言うとおりにして本当によかった」

「それじゃ、その20ドルは受けとらなかったの?」

「もちろんさ」彼は憤然と言った。

「あの牛乳は、おれからの彼女への
クリスマスプレゼント。でしょう?」

シャーリー・バチェルダー

いかがでしたか?

私たちも
このベンのように
過去から引きずっている
ことがあるかも
知れません。

今日、思い出して
すべて許してあげましょう!
それがどんなことであれ
結局は
自分を許すことに
なるのですから

これも
私のブログで何回も
紹介させて
いただいています
今日の山元加津子さんの
メルマガ
「宮ぷーこころの架橋
プロジェクト」の中に

加津子さんの
大好きな詩が紹介
されていました。
盲ろうであられる
お友達の
福島智先生に教えていた
だいた詩なのだそうです。
これも紹介します。


~生命は~ 詩人・吉野弘
生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で
虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする
生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和
しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄
ときにうとましく思えることさえも許されている間柄

そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている
私も あるとき誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき私のための風だったかもしれない
・・・・・

いかがでしょうか?
私たちの存在そのものが
他者との総和で
成り立っています。
というより
自と他は一体なのです。
すべてはひとつに
繋がっているのです。

生命
智慧
光の視点において
同じものが
感応して
増幅しています。

昨日、最近
良く参加させて
いただいている
或る会の感謝忘年会が
ありました。

その席上
責任者の
方のお話がありまして、
日本理化学工業㈱の
会長である
大山泰弘さんの
お話をして頂きました。

日本理化学工業は
56年目を迎える
黒板に書くチョークの
製造会社として
国内の3割超を超える
会社です。
その会社の社員さんの
74人の中で
7割超が
知的障害者の方たちが
働いています。

今では、
「日本でいちばん
大切にしたい会社」
という本でも
紹介されている会社です。

しかし、
最初のきっかけは
1959年だったそうですが、

知的障害者の通う
養護学校の先生が
会社に飛び込んで
きたんだそうです。
来年卒業する子の
就職依頼でした。

大山さんは
門前払いのような感じで
その依頼を
断ったのだそうです。

しかし、
その看護学校の先生は
めげずに
3回も大山さんの会社に
訪ねられたそうです。

3回目には
『子どもたちは卒業したら
地方の施設に入ります。
そうしたら働くことを
知らずに一生を終えます。
もう就職は
お願いしませんから、
働く経験だけさせて
もらえませんか』と
大山さんに
頭を下げて
お願いしたそうです。

不憫に思った大山さんは、
2週間の約束で
実習を受け入れました。

実習をしに、
やってきた2人の
知的障害の少女は
2週間、
一心不乱に
ラベル貼りをしました。
昼休みのチャイムにも
気づかないくらい
頑張るのだそうです。

その姿に
大山さんの会社の
社員さんが
心に打たれて、

「不足しているところは
私たちが補うから
雇ってください」
と大山さんに
お願いしたそうです。
そして、
初めて
知的障害者を
採用することに
なりました。

それから暫くして
大山さんは、
法事でたまたま隣に座った
お坊さんにこの話を
したのだそうです。
そして、
「施設にいれば
3食付いて幸せなのに、
どうして彼女たちは毎日、
満員電車に乗って
会社に来るんでしょう」
と尋ねたそうです

そうしましたら、
そのお坊さんは
「人間の究極の幸せは、
愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
人に必要とされる
ことの4つです。
愛されること以外は、
働いてこそ得られます」
と言われたのだそうです。

その言葉を聞いて
大山さんは
気づいたんだそうです。
「人間の幸せを
かなえられるのが
会社なら、
知的障害者を一人でも多く
雇用しようと
考えるようになりました」
とのお話でした。

このお話を聞き
そして、さらに
このブログで
何回か紹介させて
いただいています。
森安英憲さんから
今日、
メールを
いただきました。
森安さ
奈良市の
立積住備工業株式会社で
大山さんと
同じように
知的障害者を雇用されて
おられて
彼らと心の交流を
されておられる方です。
すべては繋がっています。

今日、メールを拝見したのが
遅かったものですから
明日、森安さんに
メールの掲載の
許可を頂いてから
是非、皆様にも
共有して頂きたいと
思っています。
是非、楽しみのしてください。

私のブログ
森安さんからのメール参照
してください。

『今日は残りの人生の最初の日』

最後に友人から
カナダの
セリーヌ・ディオンさんと
ノルウェイのシセールさんの
「オー・ホーリナイト」が
届いています。
セリーヌ・ディオンさんの
透き通った素敵な
歌声を堪能してください。
セリーヌ・ディオンさん
「タイタニック」のテーマ
を歌った方です。
http://www.youtube.com/watch?v=iaxXAkDMlWI&feature=fvwrel


また、
シーセルさん
落ち着いた暖かい歌声も
また、とても素晴らしい
歌声です。
浅田麻央さんが
よくフィギュアで
使われている
歌の一つだそうです.
http://www.youtube.com/watch?v=jr5D9AbDSxs&feature=related

メリークリスマス
共有ありがとうございます。

2011年12月20日火曜日

「イマダモクケイにオヨバズ」

暫く、『呻吟語』を
題材にブログを
進めていまして、
安岡正篤先生の
『呻吟語を読む』を
紹介していた時に、
ふと双葉山さんの事が
頭をよぎりました。

私は大分県の出身で
郷里が生んだ大横綱
双葉山さんの
大ファンでした。

双葉山さんこそ
呂新吾さんが
『呻吟語』で語る
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)の
第一等の
資質を持つ人物として
頭に浮かんだことも
さることながら、

さらに
安岡先生と
双葉山さんとの
出会いにおける
或るお話を
思い出したからです。
それは、「木鶏」の話です。

安岡先生の
『人物を修める』
(致知出版社刊)という
本の中に
それは書かれています。
このお話も
とても奥深い
人格形成にふさわしい
実話で大好きな
おはなしです。
引用させていただきます。


「恐らく老子と
その最も代表的な
後進である荘子と
前後する人と思われるのが
列子であります。

しかし、
この人については、
老子の後学で
荘子の流(ながれ)であると
推定される以外、
全くわかっておりません。

その「列子」に
「木鶏」(もっけい)
の話があります。

紀渻子(きせいし)、
王の為に闘鶏を養ふ。
十日にして而して問ふ、
鶏已(よ)きか。
曰く、未だし。
方(まさ)に
虚憍(きょけう)にして
而して気恃(たの)む。

十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお影響に応ず。

十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお疾視(しつし)して
而して気を盛んにす。

十日にして又問ふ。
曰く、幾(ちか)し。
鶏、鳴くもありと
雖(いえど)も、
已に変ずることなし。
之を望むに木鶏に似たり。
其の徳全し。
異鶏敢(あえ)て
応ずるもの無く、
反って走らん。

これと同じ話が
「荘子・外編」に
出ております。

紀渻子という人が
闘鶏の好きな王
(学者によって
説もありますが、
一般には
周の宣王ということに
なっています)
のために
軍鶏(しゃも)を養って
調教訓練しておりました。

そして
十日ほど経った頃、
王が“もうよいか”と
ききましたところが、
紀渻子は
“いや、まだいけません、
空威張りして
「俺が」という
ところがあります”
と答えました。

さらに十日経って、
またききました。
“未だだめです。
相手の姿を見たり
声を聞いたりすると
昂奮するところがあります”。

また十日経って
ききました。
“未だいけません。
相手を見ると
睨みつけて、
圧倒しようとする
ところがあります”。

こうして
さらに十日経って、
またききました。
そうすると初めて
“まあ、
どうにかよろしいでしょう。
他の鶏の声がしても
少しも平生と変わる
ところがありません。

その姿はまるで
木彫の鶏のようです。
全く徳が充実しました。
もうどんな鶏を
連れてきても、
これに
応戦するものがなく、
姿をみただけで
逃げてしまうでしょう“と
言いました。

大変おもしろい話で
ありますが、
私はこの話を
往年の名横綱双葉山関に
したことがありました。

これは双葉山関自身が
『相撲求道録』という本に
書いておりますが、
まだ横綱になる前の
大変人気が出てきた頃でした。

双葉山を
非常にひいきにしていた
老友人に招かれて
一緒に
飲んだことがあるのです。

なにしろ
私も
まだ若かった頃ですから
つい一杯機嫌で、
“君もまだまだだめだ”と
申したましたところ、
さすがに
大横綱になるだけあって
私もそのとき
感心したのですが、
“どこがいけないのですか”と
慇懃(いんぎん)に
尋ねるのです。

そこで私が
木鶏の話を
いたしましたところが、
大層感じ入ったらしく、
それから
木鶏の修行を
始めたのです。

その後は皆さんも
ご存知のように
あのような
名力士となって、
とうとう
六十九連勝という偉業を
成し遂げたのであります。

なんでもそのとき、
私に木鶏の額を
書いてくれということで、
書いて
渡したのでありますが、
その額を部屋に掛けて、
朝に晩に静座して
木鶏の工夫をした。
本人の招きで
私も一度まいりました。

今度の大戦
(第二次世界大戦)の
始まる直前のことで
ありますが、
私は欧米の
東洋専門の学者や当局者達と
話し合いをするために
ヨーロッパの旅に
出かけました。

もちろん
その頃はまだ
飛行機が
普及しておりませんから
船旅ですが、
ちょうどインド洋を
航行中のときでした。

ある日、
ボーイが
双葉山からの
電報だと言って
室に飛び込んできました。

なにしろ
当時の双葉山は
七十連勝に向かって
連戦連勝の最中で、
その人気は
大変なものでしたから、
ボーイもよほど
興味を持ったらしい。

そして
“どうも電文がよく
わかりませんので、
打ち返して
問い合わせようかと
係の者が
申しておりますが、
とにかく
一度ご覧ください”と言う。

早速手にとってみると
「イマダモクケイにオヨバズ」
とある。

双葉山から
負けたことを報せてきた
電報だったのです。

なるほどこれでは
普通の人に
わからぬのも
無理はありません。

この話が
たちまち船中に伝わり、
とうとう晩餐会の席で
大勢の人にせがまれて
木鶏の話を
させられたのを
覚えています。

その後双葉山の
木鶏の話が
自然に広がり、
あちらこちらに鶏ならぬ
人間の木鶏会が
できました。
しかし、
これは結構なことです。」
引用了

双葉山さんが
69連勝を達成する
時代というのは
昭和11年~14年で

当時、大相撲は
1月場所と5月場所の
年二場所の興行でして
しかも、11日間でした。

12年5月場所から
13日間になりましたが、

それも、双葉山人気が
凄まじいものであって
徹夜で入場券を
求める人たちが
後を絶たず
当時の相撲協会も
判断を下し
昭和12年5月場所より
13日間行われることに
なったのです。

その時代の69連勝です。
丸三年間の連勝記録です。

三年もの間
コンディションと
精神力を高めていくのは
並大抵のことでは
なかったことでしょう。

双葉山さんは
元々、右目が見えません。
子どもの頃に
吹き矢が当って
失明を余儀なく
されています。

また、小指も二回
事故で骨折しています。

ハンデもものともしない
双葉山さんの精神力は
木鶏たりえたからこそ
為しえた快挙と
いえるのではないかと
思っています。

私が子どもの頃は
既に引退されており
私が知っている
双葉山さんは

時津風部屋の親方として
横綱、鏡里をはじめ
大関も多数輩出された
名親方として

また、
日本相撲協会の理事長
として相撲協会の
トップに君臨されており、
数々の改革も
為されたリーダーとして
大活躍された方でした。

57歳の若さで
亡くなられました。
2012年2月9日が
双葉山さんの
生誕から100年目で

郷土の大分県宇佐市では
100周年記念の
イベントで
真っ盛りだそうです。


木鶏は
木で作られた鶏です。
真に強い闘鶏は
まさに木鶏のようだと
言います。

木で作られた鶏は
無心であります。

そこには
相手に勝ちたいとか
名誉が欲しいとか
お金が欲しいとか
人を憎む心も
怒りも妬みも
何もかもありません。

一切の我執を離れた時
人間を超えた
真なる我、
尋常ならざる
偉大な力が
湧き上がってくると
思うのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちも
この木鶏の寓話のように
虚心坦懐の我に
なれるのです。
それは、
元々、備わっている
性質だからです。

しかし、
努力なしには
為すことはできません。
今、この瞬間から
意識して
「木鶏」を目指すのです。
あなたは
真の強者になり得るのです。
共に頑張って
まいりましょう。

生かしていただいて
ありがとうございます。