2011年8月24日水曜日

「佐和さんからの学び!」


8月20日(土)の
私のブログで
「宮ぷー 
心の架橋プロジェクト」に
書かれていた
森安さんの
講演内容を
紹介しました。
私は
2年ほど前から
このメルマガを
購読させて
いただいています。
いろんな度に
個人的に
家族や友人に
紹介してきた
すばらしい
メルマガです。

そのメルマガを
さらに皆様に
知っていただく
縁をいただいたのが
森安さんの
講演内容でした。
是非、
読まれていない方は
戻って読んで
いただきたいと
思います。

私は
この
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」を
紹介したいあまり
本人に断りもなく
掲載して
しまいました。

それで
昨日の
「宮ぷー」の中に
森安さんの
メールアドレスが
掲載されて
いましたので
昨日、
遅ればせながら
事後承諾を
するために
メールをさせて
いただきました。

森安さんは
快く
お受け
くださりました。
以下は
返信のメールです。

『こんにちは。
初めまして。森安です。

私のような者が社会のためになるなら、
私の文章などどこへでも使っていただいて結構です。
ブログへの掲載ありがとうございます。
知的障害のある子どもたちとの出会い以来、
この社会の「常識」とは、
私たちの利権を守る「都合」で
固められたものであることに気づかされてきました。

常識ほどあやしいものはない。
でも口で言っても、頭で理解しても、人は変わらない。
実践して実証しないと人は変わらない。

ほら、本当のことだよ、と私はみんなに見てもらいたいです。

そんな私が1年前に1/4の奇跡を観て、
かっこちゃんとつながったのも、必然なのかなと思います。

早速メールをいただきとてもうれしいです。
ありがとうございました。
森安 英憲』

森安さんは
この社会の常識という
あやふやなもの
あやしいものに対して
行動で示して
おられます。

いかに
私たち
社会を営むものが
外的なもの
可視できるものを
重要視し
判断しているのかを
思い知らされます。

私が
いつも
このブログで
いうところの
自我意識でしか
ものを見ようとしない
傾向のことです。

その見方に
真実は
ありません。

森安さんの
講演文章の中で
特に
印象に残った
知的障害者の
看護学校生の
佐和さんの話を
一部紹介させてください。

『次のお話は、養護学校の佐和さんです。高校2年生でした
が、小学生のように小さい子でした。
会社で用意したいちばん小さい安全靴もぶかぶかで、
詰め物をしてはきました。
「口ばっかり達者で、学校では何もできない子なんです」と、
先生はおっしゃいました。
佐和さんの職場実習は、製品に部品を取り付けて、包装する仕事でした。
「部品を取り付けるよ。まずドライバーを持って」と言ったら、
ドライバーに手が届きませんでした。ドライバーの位置を下げましたが・・・
今度は手が小さすぎてドライバーをしっかり持てません。
ビス1本打つのに1日中失敗し続けました。
手が小さすぎてテープカッターもちゃんと使えませんでした。
周りの社員が、ドライバーの持ち方、
テープカッターの持ち方を教えるのですが、
手が小さすぎて、全然そのとおりに使えませんでした。
見ている私のほうがヘトヘトに疲れて、
もうやめよう、
もう別の簡単な作業に変えようと何度思ったことでしょう。
でも失敗しつくしてあきらめるまでやらせようと思いました。
その日1日終わって、
私は明日少し様子を見たら、後は簡単な作業に変えようと決めて、
現場にも予定変更を連絡しました。
ところが次の日、佐和さんは自分の工夫をし出しました。
手だけではしっかりドライバーが持てない彼女は、
手と体でドライバーを固定して、体ごとビスを打ちました。
テープカッターは両手で持って体を使ってテープをカットしました。
実習が終わるころには佐和さんの顔は自信があふれていました。
この実習で口だけでなく仕事も達者な佐和さんになりました。

佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。
口が達者な佐和さんは私に向かってどんなに
こう言いたかったことでしょう。
「私を信じて!待って!」と。
私たちは何もできなかったのに、自分の力でがんばりぬいて
ついに乗りこえた佐和さんの姿に、
「佐和さん、よくがんばったね」と言ったきり、
胸がいっぱいになって私は次の言葉が出てきませんでした。』

如何でしょうか?
私たちの常識の中に
時間通りにやるのが
常識であり
ハンデがあるから
無理と思うことが
常識であり
知的障害の方は
考えるのが
できないが
常識と思っています。

森安さんの
仰るとおり
常識ほどあやしい
ものはありません。
佐和さんは
「できない!」とは
1%も思っていませんでした。

森安さんが言う
この文章です。
『佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。』

私が思うに
佐和さんは
「できる!」とか
「できない!」とか
ではなく
目の前の課題を
「実現する!」と
いうことを
露ほども
信じて
疑っていないのです。

唯、周囲が
常識という
あやふやなもので
時間という
ものさしで
そのプロセスを
止めています。

「実現する!」と
100%
信じ込んでいる
佐和さんが
佐和さんのイメージと
異なった現象が
起こっても
それを結果だとは
捉えないのです。
「実現する!」ために
ひたすら
進行しているに過ぎません。

私たちが
常識としているもの
特に
結果という概念に
固執しているように
感じます。

結果は
固定した
時間の中に
存在します。

私たちの真実は
永遠の中に
存在しています。
永遠の旅人です。
結果は重要では
ないのです。

私たちは
いつも
限られた時間の中で
何かをやらなければ!
何かを成し遂げよう!と
想いを発します。

佐和さんは
ありたい自分で
いるのだと思います。
ありたい自分を
はっきりと
持っているんだと
思います。

佐和さんは
とても知的な人です。

知的障害者とは
私たちの
限定された社会が
作った
あやしい常識からの
呼び方に過ぎません。

寧ろ
私たちのほうが
知的障害者かも
しれません。

今、私たちにとって
大切なことを
佐和さんは
教えてくれています。

限られた時間など
ないのです。
何かをやり遂げよう!
と思うことも
ありません。
その心の中に
恐れが潜んでいます。

この恐れがある限り
自我意識が
顔を持ち上げてきます。
真の問題解決には
ならないのです。

あるがままの
ありたい自分で
いることです。
結果は
自分がゴールと
決めたところが
結果であり
その結果は
また原因になり
進んでいくのです。
そのプロセスをこそ
楽しんでください。

私たちは
これからも
プロセスの中で
進行し続けていきます。
それが進化すると
いうことです。
ゴールなどないのです。
それは
限定された
常識の上での
ゴールに過ぎません。

私たちは
永遠の宇宙の旅人であり
神に向かって
旅をしています。

『今日は残りの人生の最初の日』

この永遠の中の
今という瞬間に
ありたい自分を
思いっ切り
表現していこうでは
ありませんか。

共有、
ありがとうございます。

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