2012年2月26日日曜日

“多数凡人”の意味するもの

24日のブログ
森安 英憲さんから
頂いたメール
萬谷 衣里(まんたに えり)さんの
ピアノコンサートのご案内と
添付してくださった
森安さんが職安の講演会で
発表されるジョブガイダンス
『この社会で生きやすく・
この社会を生きやすく』を
掲載させていただきました。

そうしましたら
反響が大きく
私の場合
あまりブログ上の
コメント欄には
書かれる方は
少ないのですが、
メールや携帯を
知っている方たちが
多いものですから
直接コメントを
頂くことが多いのです。

その中で
或るコンサルタント会社の
経営者の方から
こんなメールを
頂きました、

「森安さんの仰ることは
目からウロコでした、
私も少数精鋭という
言葉に錯覚をしていた様です。
今の社会、仕事をしたくても
仕事がない状況ですが
一部の人たちに富が
集中していたり
仕事が集中していて
却って、効率を
悪くしている
みんなが少し分け合うだけで
すばらしい世の中に
なるんだと確信しました。
今後は多数凡人を
心がけていきます!」

さらに
いつも私のブログでも
紹介させて頂いています
中国で設計事務所を
経営している友人からは
私のブログの再開の歓迎と
このようなメールを
いただきました。

「アーカメロディ兄へ
またはじまりましたか、
皆様の心を
いやし癒されるブログです。
末永く励んでください。
ありがとうございました。

日本の社会は、おとなしい
律儀な人たちの国です、
私がいる中国圏とは違います。
でももう我慢している
必要などないのです、
言葉に出して、行動に出して、
表現をしましょう、
今を変えましょう、
もう待つ必要などないです、
個がそれぞれに始めましょう。 
みんなつながります。
とてもうれしい気持ちです。」

また、知的障害の子を持つ
38歳の主婦の方からは

「森安さんが書いている
“障害者を含めて一つの社会です。”と
思っていただける人が
一人でも増え
また、その人が
友人や社会に伝播していく
そうしたら何と
すばらしいことでしょう!
“障害は社会が作るもの”とも
仰っていましたが
本当にそう思います。
知的障害だからと言って
すべて理解しているのです。
表現することが
出来にくいというだけです。
でも、人への思いやりや
優しい心は
誰にも負けずに
持っています。
人間として
とても大切なことです。
その大切なことが
生かせない社会にこそ
寧ろ、障害があるのでは
ないでしょうか!?
子どもからいつも教わる
毎日です。
私は社会がつけた
知的障害者と言われている
偉大なる愛深き天使と
一緒に生長できることを
神に感謝しています。

森安さんありがとう!」

とのメールが
届きました。
私もまったく同感です!

又、森安さんからも
ブログ掲載のお礼と
萬谷 衣里さんとの
エピソードを記した
メールがありました。

「養護学校でコンサートを」
クラシックコンサートの思い出
というタイトルで
2009年10月2日に
書かれた内容です。
いつもながら
とても素晴らしいお話です。
共有してください。


『こんにちは。
掲載ありがとうございました。

簡単なことですね。
みんなが仲良く力を合わせるだけのことです。
企業は効率を追い求める?
競争によって最適な経済が自然にできる?

ウソ八百 笑。

企業・競争社会は重複のムダ、
排除のムダ、ムダムダムダだらけ。
BCP(事業継続計画のこと)も必要になりますね 笑。

ボランティアなら
人は必要最小限で効率よく動こうとします。
ムダなことはやりません。

「お金」という概念があると、
「最少の人員で」(企業・競争社会)

「お金」という概念がなければ、
「できるだけ多くの人を」(ボランティア)
みんなが力を合わせて、ムダなことをやらず、
お金を媒介にせず。

どちらが効率よく生産的な社会なのでしょう?笑笑

私たちは、できるだけ成長しないように
努力しようとしているようですね 笑。

競争社会には特許なんて概念もあって。
そんなにいいものならオープンにして
みんなで使えばみんなが幸せになりますよね。
独り占めするなんて、
社会を不幸にするためにやってると言われて、
反論できるでしょうか 笑

---

ところでピアニストの萬谷衣里さんとの
エピソードを下記しておきます。

「養護学校でコンサートを」
~クラシックコンサートの思い出~

「知的障害」という言葉もおかしいなと思いますが、
10年ほど前までは「精神薄弱」と言っていたそうです。
精神薄弱という言葉が 
「当事者に不快感を与えるという理由もあり」 
知的障害に変えられたそうです。

話変わりますが、私はピアノの音が大好きです。
あるときふと、養護学校の子どもたちに
プロのピアニストの演奏を聴かせてあげたいと思いました。

私は後先考えず、
大好きなクラシックピアニスト エリさんに
養護学校の子どもたちへの思いをメールで話しました。
10日連続でメールしました。ほとんど迷惑メールです。
そして「養護学校でピアノを弾いてほしい」と。
ドイツに住むエリさんはさぞかし驚いたことでしょう。

養護学校でプロのピアニストがクラシックコンサート。
この前代未聞の企画にエリさんは

「養護学校の子どもがクラシックを聴くのですか?」
と戸惑いを隠さず、

学校は「アニメソングとかじゃないと難しいだろう」
と不安を示しました。

私は子どもたちの感性を信じていました。

エリさんはドイツから帰国の翌日リハーサル、
その翌日本番、
それも学年ごとに3度の公演という
無茶なお願いを聞いてくれました。

・・・その日、子どもたちがくれた答えは
私の予想さえ超えました。

エリさんは何度も
「また養護学校に呼んでくださいね」と。
そして、その日に子どもたちが書いた感想文は、
1か月も先生方の手をわたってから、私の手元に届きました。
その感想文に私は何度も胸が熱くなりました。

この感想文を書いた子どもたちの精神が薄弱なのでしょうか?
この子どもたちを精神薄弱と呼んでいたのは、
私たちの心の貧しさの表れではないでしょうか。

コンサートのフィナーレを飾った
リストのハンガリーラプソディー第2番の躍動的なメロディーと、
別世界に入りこんだような子どもたちのことは、
いつまでも私の脳裏を離れることはありません。

そして子どもたちの心を
しっかり受け取ってくださったエリさんは、
ドイツから世界へ、子どもたちの心を
ピアノにのせて伝えていってくれることでしょう。

いつも大切なことを教えてくれる子どもたちに、
たまにはお返しを、と思った私でしたが、
子どもたちはやっぱり、
私たちに大切なことを教えてくれたのでした。

この日から、
私は子どもたちにお返ししようなんて気持ちは捨てました。
子どもたちがくれたものは、社会に返していこうと。

2009年10月2日

森安 英憲』

「今日は残りの人生の最初の日」

萬谷 衣里さんの
ピアノコンサートが
さらに楽しみになってきました。
ワクワクします!
もう1度日時と場所を
確認します。

3月7日 水曜日 18時30分開演 
台東区立旧東京音楽学校奏楽堂(上野公園 重要文化財)
2,000円

ですので、
皆様も如何でしょう!!

生かしていただいて
ありがとうございます。

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