2012年2月29日水曜日

“上九一色村と田子の浦”

昨日は山梨の甲府に
仕事ででかけました。
中央自動車道で
一宮御坂インターを降りて
20号線で甲府に
向かいました。

仕事が思いのほか
早く終わりましたので
最近、お母さんが
亡くなって実家の
静岡県富士市に戻った
友人に連絡しました。
在宅でしたので、
一度、寄らせて頂く
ことになりました。

甲府をスタートして
精進湖バイバスから
139号線で
山道を越えて行きます。

私はこの道は
はじめて通ります。
暫く車を走らせていると
目の前に白銀の富士山が
最高の表情を見せて
くれています。
標識を見ますと
精進湖と書いてあります。

精進湖は
富士五湖のひとつで
私は河口湖や山中湖は
行ったことがありますが、
本栖湖や西湖と共に
行ったことがありません。

車窓から見ただけですが
精進湖は小さいけれど
神々しい神秘的な湖です。
澄み切った湖水と
富士山のパノラマは
思わず車を停めて
見入ってしまいました。
小船を静かな湖面に
浮かべ糸を垂れて
釣りをしている方が
おられました。
わかさぎでも
釣っているのでしょうか。

後ろから車に
クラクションを
鳴らされましので
少しの間でしたが
余韻を残しつつ
再出発です。

そして
本栖湖はちらっと
垣間見るだけで通過し
そのまま走らせました。
車窓からは湖の全貌は
見ることができません。

暫くそのまま
車を走らせていると
標識に上九一色村と
書いてあります。

上九一色村はあの
地下鉄サリン事件や
数々の事件を起こした
オーム真理教の
サティアンがあった場所です。

今も思い出しますが
確か平成7年でしたか
1月17日に
阪神淡路大震災があり
その年の3月20日に
地下鉄サリン事件が
ありました。

私はその日は
国際展示場に
或るイベントがあり
リラクセーション関連の
システム等を
出展していました。
その時事件に巻き込まれ
私はサリンを蒔いた
電車には乗車して
いませんでしたので
事なきを得たのですが
大幅に展示場に着くのが
遅れました。

そのサリンを
製造していたのが
この上九一色村の
第7サティアンで

今まで名前すら
知らなかった
一つの村が
一躍、全国いや世界に
有名になりました。

連日、この上九一色村に
マスコミや報道陣の
過熱した取材合戦が
繰り広げられていました。

また、列をなして
捜査員の方たちが
ガスマスクをつけて
インコを手に持ち
ものものしい戦闘服で
サティアンを捜索する
様子が、
テレビに放映されました。
17年も前ですが
今でも鮮明に覚えています。

今、オセロの
中島知子さんの
家賃滞納問題から
中島さんと同居している
女性の占い師さんのことが
連日、テレビや
インターネットで
話題になっていまして
マインドコントロールや
洗脳ということが
言われています。

マインドコントロールや
洗脳という言葉を
一躍、有名にしたのも
このオウムの事件でした。

その頃、
今、通過している
この上九一色村の道を
オウムの信者たちが
頭に電極をつけた
帽子のようなものを
被ってこの辺を
歩いていたのだと
思いますと

この静かな山間の村の
人たちからすれば
まったくもって
異様極まりない
気持ち悪かっただろうなと
思わずにはいられません。

私も当時
リラクセーションや
スポーツ選手たちの
イマジネーション等の
システムを提供していた
仕事をしていたので
よく思うのですが

洗脳は別物ですが
マインドコントロール
というのは
あくまでも
自分自身をコントロール
するための知恵であり
他人をコントロールする
ものではありません。

オウムや今回の
中島知子さんの例を
とってみても
報道されていることが
真実であるならば
教祖や他人に
自分の心を
委ねてしまっています。
依存心では
だめなのです。

また、
教祖や占い師の方が
自分自身をさえ
コントロールできて
いません。
自分自身を
コントロールできない人が
ヴァジラヤーナという
金剛乗の教えを曲解し
ポアという殺人思想を
妄想・暴走するのです。

また、神の名を語り
神が焼肉を食べたいとか
神が誰々と
離れなさいとか
悪口を言ったりとか
煩悩を煽り
分離を促して
いくのです。
少し冷静に考えれば
解ることです。

前述しましたが
マインドコントロールは
自らが自らを高めて
いくためのものであって

上記のような例は
マインドコントロールを
悪用した例と
言えるでしょう。

人の上に立つ
立場であればある程、
まずは自分自身を
コントロール
できなければなりません。

話が横にそれました。
しかし、上九一色村は
これまた大変
広い村です。
かなり車で走らせても
上九一色村の標識が
出てくるのです。

上九一色村を
あとにして
道の駅朝霧高原の
看板がありましたので
そこで一休みを
しました。
雄大な富士山を背景に
牛舎のような
牧歌的な施設です。
そこで農産物や
町の特産品を
販売していました。
朝霧高原牛乳を
飲んで、
エネルギーを補給して
富士宮市を抜けて
富士市の友人宅へ
一路向かいました。


友人と会い
富士市の富士山眺望
スポットを案内して
頂きました。
実に美しい!
大変堪能させて
いただきました。

その後、時間が
ありましたので
海を見に行こうと
なりまして
田子の浦に一緒に
まいりました。
田子の浦漁港があり
松林の横を道路が
通っていて
堤防の上まで
車で行くことができます。
その堤防から見る
駿河湾一面に広がる
景色も是非お勧めです。

「田子の浦ゆうち出でてみれば真白にぞ 
富士の高嶺に雪は降りける」

万葉集の有名な和歌です。
今年は寒い日が
続いているせいか
富士山の真っ白い雪景色が
裾野にまで広がって
いました。
友人も言っていましたが
地元でもあまり
見たことはないのだそうです。

帰り道に
友人が
この周辺は
吉原と言って
江戸時代に栄えた
東海道五十三次の宿場町、
吉原宿の跡であると
教えてもらいました。

『今日は残りの人生の最初の日』

まだまだ
初めてのことは
たくさんあります。
今日の一瞬が
人生で最初の経験を
しています。
今日を大いに
楽しんでまいりましょう。

生かしていただいて
ありがとうございます。

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