2012年4月22日日曜日

「耳の大きなおじいさん」


ある会合の席で
講師の方が紹介
してくれた
「耳の大きなおじいさん」
というお話があります。

このお話は
高木善之さんの本
『ありがとう』
(地球村出版)の中の

(P30からP33)に
書かれている一節です。

とてもすばらしいお話です。
共有してください。

『私が子どもの頃、
近所に
東(あずま)さんという
お宅があり、
そこにおじいさんがいました。

おじいさんは
いつも籐椅子で
揺られていました。
耳が大きく、
いつもニコニコして、
いつも半分寝ていました。

もとは父と同じ病院の
歯医者さんでしたが、
数年前に定年退職しましたので
六十五歳くらいです。
いまなら六十五歳は
高齢ではありませんが、

「村の船頭さん」の歌詞にも
「ことし六十のおじいさん」
とあるくらいですから、
当時は六十五といえば、
近所でもっとも高齢でした。

この
「耳の大きなおじいさん」は、
「悩み事、相談事をすると
とても楽になり、
解決が見つかる」
ということで評判で、
近所の人はもちろん、
遠くからも
人がやって来ました。

私は、
小さな子どもだったので
実際に
相談したわけでは
ありませんが、

人の話によると、
おじいさんは、
どんな話も
黙って聴くのだそうです。

相手が笑うと、
おじいさんも微笑んで
くれるのだそうです。

相手が泣くと、
おじいさんも
涙を流して
くれるのだそうです。

相手が黙り込むと、
おじいさんは
やさしい目で見つめて
黙って待って
くれるそうです。

そして、
相手が立ち上がると、
抱きしめて
くれるそうです。

そして玄関まで
送ってくれて、
相手が
見えなくなるまで
手を振って
くれるそうです。

相談に来た者は、
最後には
みんな涙を流して
「ありがとう!
ありがとう!」
と感謝して帰って
いくそうです。

「耳の大きなおじいさん」は
どんな悩み事も、
受け止めて
くれるのだそうです。

あとになって私は、
父親にこのことを聞くと、

「あのおじいさんはね、
耳が聞こえなかったんだよ」
と衝撃的なことを
話してくれました。

「えっ!どうして!
どうして
耳の聞こえない人が
相談を解決できたの?」
と聞くと、父は

「さあ、
わからないけれど・・・
きっと愛
だったんだろうね」
と言いました。

そして父は、
「ボケ(認知症)が
かなり進んでいた」
と付け加えました。

耳が聞こえない
おじいさん、
認知症の
おじいさん、
相手の話も聞こえない、
相手の話も理解できない
おじいさんが、
多くの人の
相談事や悩み事を
解決したということ。

そのおじいさんを
思い出すと、
いつも
ニコニコしている
笑顔が浮かんできます。

相談者は、

黙って
聴いてくれること、

うなずいてくれること、

共に
喜んでくれること、

共に
悲しんでくれること、

それを一番に
求めているのです。』

いかがでしたでしょうか?

私も昔で言えば
「おじいさん」と
呼ばれる歳になりました。

少し耳も
遠くなっています。
聞き返すことが
増えました。

また、少し
ボケてもきました。
単純な言葉が
中々出てきません。
よく忘れ物をします。

でもこのお話を読んで
それもいいかと
そして、
「この、
耳の大きなおじいさん
のような人に
なりたい!」
と思えてきました。

だんだんと
年を経てくれば
必要のないことは
聞かなくてもいいように
自然に耳も遠くなって
いくのでしょう。

取り越し苦労や
持ち越し苦労を
しないで
いいように
ボケてもいくのだと
思います。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日もひとりでも
多くの人のお話を
聞きたくなりました。

少なくとも
今日一日は
「口の大きなおじいさん」
ではなく、
自分の主張は引っ込めて

人の話に耳を傾けよう!
そして共に笑い
共に悲しみ
大きな愛で包んでみよう!
と思うのです。

この
「耳の大きなおじいさん」
のように

生かして頂いて
ありがとうございます。

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