今日は30日
年の瀬も押し詰まって
来ましたね。
皆様は
いかがお過ごし
でしょうか?
お仕事を終えて
のんびりして
いらっしゃいますか?
それとも
大掃除の途中で
一服して
いらっしゃる方も
おられることでしょう。
日本も世界も
今年一年
いろいろな出来事が
起こりました。
2012年を
迎えるにあたり、
皆様一人ひとりの
それぞれの意識の中に
去来する思いが
浮かんでくるのでは
ないでしょうか。
今年も多くの方が
どこかに参拝に
行かれることと
思います。
そこで
どこかの
寺社や神社で
参拝するにしましても
参拝に臨む
心構えについて
お話しを
進めてみたいと
思います。
各人各様
それぞれの念いを
持って参拝されると
思いますが
参拝される前に
もう一度
自らの念い、
意識と言うものを
点検して
頂きたいのです。
そこで、
皆様にお話して
おかなければ
ならないことが
あります。
それは、
次元という言葉に
ついてです。
皆様は
次元という言葉を
聞いたことが
あると思います。:
三次元だとか
四次元だとか
十次元とか
聞いたことが
ありませんか?
よく宗教や精神世界の
指導者が言っています。
「私は九次元の存在です!」
だとか
「あなたは○次元です!」
とか?
では、
実際にそういう
分離された次元と
いうものが存在
するのでしょうか?
次元とは私たちの
意識の状態のことを
言っています。
私たちの意識に
すべての次元が
存在しています。
しかし、元々は
神一元という
一つの次元しか
存在しないというのが
霊的真実です。
私たちが
肉体人間として
長く物質世界を
送っている間に
本来は神一元である
完全なる意識を
様々に分離し
低めていって
様々な意識状態を
創造していきました。
そして、
何次元とか言っているに
過ぎないのです。
私たちは
今、どの次元に
意識状態を置いて
いるのかということを
点検しなければ
なりません。
私たちが今、
物質のみを重視して
いるならば
そのことを指して
三次元の意識状態に
今、在ると
いうことであって
次元と言う領域が
ある訳では
ありません。
次元はどこにも
存在しません。
私たちの意識にのみ
存在するのです。
ということは
自分次第で
どの次元にも
意識を向けることが
できるということ
なのです。
ですから、
まず、自らの意識が
どこにあるのかを
点検しなければ
ならないと
言っているのです。
怒りや恨み或いは
嘆きや悲しみ
単なる金銭や
個人の欲得の意識を
持って参拝をしますと、
その時に寄る神気は、
同じような種類の
次元の邪気が
集まってくるからです。
平安や安らぎ
今、生かされている
ことに対して
感謝の気持ちで
参拝をしますと、
感謝が増幅される
ような次元の
有り難い神気を
引き寄せていくからです。
参拝の時の次元
そのままに
現れてくるのです。
私たちを
照らす鏡のように
神気は瞬間で変わります。
変幻自在です。
私たち参拝する者の
意識次第であるのです。
私たちには
元々、
神一元なる
完全意識が
備わっています。
自身の内在神に対して
感謝を献げ
神と一体となり
今年一年最善と
最高を尽くすことを
決意することを持って
参拝するのです。
欲得で
お願い事ばかりを
してはいけません。
同じ次元の
波動を持った
彷徨える霊的存在が
参拝をする者を
頼りにして、
瞬時に集まるのです。
欲しいものと
欲しいもの同士
その願いは相殺され、
妨害する出来事が
次々と現れることに
なります。
注意をしてください。
あなたは、
今どこに
おられるのでしょうか?
どこに
住んでいようとも
神のような
意識そのもので
愛で満たされて
いるならば
あなたは
高次元の従者であります。
次元が区切られた
特定の場所に
あるわけではなく、
どこに意識を向けて
生きているのかが
問われているのです。
私たちの魂は
自由自在です。
融通無碍です。
私たちの実相は
神一元であるのです。
私たちは神の子で
あるのです。
神に不可能は
ありません。
神のすべての御技を
自分と言う
媒体を通して
顕現せしめること。
完全状態になること。
それが、
この世に
生まれてきた目的です。
日常生活の中に
神を実践していくこと。
自分の想念と言う。
汲んでも汲んでも
減らない
無限の智慧が
存在しているのです。
ただ、
それを自覚して
いないだけなのです。
無限の智慧から
分離している人間は
誰一人もいません。
一個一個の
個人個人のすべての
生きとし
生けるものの
小さな智慧を
総計したもの、
その総計したものと
私たちとは
一体であります。
そうすると
すべての宇宙空間に
満ち満ちている智慧を
自由に受信したり
送信したりできるのです。
どこに意識を
向けるかによって
高度の次元の意識も
地獄の次元の意識も
受信できるのです。
悪霊的なものを
語るものは、
悪霊的な次元の
レベルであります。
無限意識、
普遍意識、
神意識という
宇宙を支配している
完全な次元を
意識することによって
神の智慧と力を
自分のものに
出来るのです。
そうすれば、
肉体という衣装を
纏っていながら
天国の従者で
あるのです。
平安と安らぎの中に
日々の生活を
送ることが
できるように
なってくるのです。
この一体観念に
ならない限り、
到底すばらしい
智慧と力を
くみ出すことは
できないのです。
そこから
分離するがゆえに
不調和になるのです。
自分の心が分離して
勝手に
不完全な人間と
思い込んでいるに
過ぎないのです。
神は実在し、
実際的で
現実的で
活動的であるのです。
すべて私たちの
意識に存在します。
視野を無限大にすれば
全宇宙を知ることに
なるのでしょう。
意識の目が
すべてを見、
理解するのだと
思います。
それがお釈迦さまが
得られました
宇宙即我なる
悟りなのだと思います。
一体から離れれば
迷える子羊、
放蕩息子、
迷い子になるのです。
無限宇宙は
神が抱擁していて
神の中から
外に一歩も
出ることはできません。
そのままで
神と一体であるのです。
迷える子羊でも
戻って来れます。
全体は我であり、
私はあなたであり、
あなたは私である。
自他一体、
全体一体であります。
宇宙意識を
素直に受け取って
いきましょう。
次元というのは
すべて
自分の中の
意識の状態であります
。
その意識を
高めることも
低めることも
自分の意識次第です。
自由自在に
どの次元にも
存在することが
できるのです。
私たち一人ひとりは
神より創られた
神の御子であり、
肉の御子では
ないのです。
人間の意志によって
この世に
誕生したものは
一人もおりません。
それを処女懐妊と
言うのです。
私たちの実相は
霊存在なので
イエスさまだけが
処女懐妊ではないのです。
人間の肉体は
神の宿るところの
乗り物に過ぎません。
その乗り物のことを
馬小屋と表現しました。
イエスさまだけが
馬小屋で産まれた
訳ではないのです。
結局のところ
神のご意志によって
生かされているのです。
誕生も死も
すべて神のご意志
であるのです。
神から出でて
神に還るのです。
これが
宇宙の法則なのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちは
今この瞬間に、
神の大調和の中に
没入することが
できるのです。
その次元には
自他の一体があります。
裁くものも無く、
憎めるものも無く、
粗末することも無く、
争うことも無く、
非難することない
愛と調和の体験が
現れる世界です。
それは真我なる意識
私たちの中の
内在神(仏)を
よく自覚して
健全な人生を
全うする道なのです。
これからの
参拝にあたって
書かさせていただきました。
参考にして
頂きたいと存じます。
今年はこのブログを
読んでいただいて
本当にありがとう
ございました。
2012年が
読者の皆様にとって
真我なる次元に
留まり
あらゆる出来事に
惑わされないように
不動心の一年に
なりますよう
祈りつつ2011年の
ブログは
終わりたいと思います。
生かして頂いて
ありがとうございます。
2011年12月30日金曜日
2011年12月26日月曜日
“森安さんからの学び”
12月24日のブログ
メリークリスマスで
予告しておりました。
森安英憲さんから
掲載許可を
いただきましたので、
紹介させて
いただきます。
森安さんは
私が毎日愛読している
山元加津子さんの
「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」の
メルマガ上で
森安さんの
講演の内容を
紹介されていました。
それを読ませて
頂きまして
あまりにも
感動しまして涙を
流してしまいました。
是非、ブログの
読者の皆様にも
知って頂きたいと思い
森安さんに
お断りも無く
「宮ぷー こころの架橋
プロジェクト」の
メルマガの紹介と同時に
掲載してしまいました。
その後
森安さんに
事後承諾に
なりましたが
快く了解を頂き、
良かったと
思っています。
読まれていない方は
8月20日号ブログを
是非、読んでください。
また、8月24日号
「佐和さんからの学び!」
8月26日号
「森安さんからのメール」も
併せてご覧ください。
それでは
お待たせしました。
森安さんからの
メールです。
『こんにちは。お久しぶりです。
ブログ拝見しています。
難しい文章が多く結構骨が折れます 笑。
私も幼少のころから、父母に、
いまだ木鶏たりえず、
鶏口となるとも牛後となるなかれ、
など難しい言葉を聞かされてきました。
何千年も前の人が残した比ゆだと思いますが、
人のありようを知らなければ
言えない言葉だと思います。
私は経理の仕事をしています。
経理とは、会社の仕事を効率よく合理的に
するための情報分析・提供をする仕事だと、
長年信じ込まされてきました。
知的障害のある子どもたちと出会ってから、
この社会の本質を教えられるようになりました。
今や、金勘定は、最も非効率で
不合理な社会を作るためのものだと思っています。
私は、人はそんなにバカじゃないはずだと思いますが、
人の心をコントロールしている力があるのでしょうか?
競争とは力を殺ぎあうためのもの。
みんなが一つになれば、力は有り余るものです。
金勘定という概念がなくなる社会を作りたいと思います。
お金を媒介にしなければ何も動かない社会。
お金は媒介ですから、なくても同じことはできるはずです。
お金がなければ、銀行は全部つぶれます。
失業?そんなわけないですよね。
無用の仕事がなくなったらそれこそ効率的ですよね。
飯が食えない?分け合えば有り余るでしょう 笑。
この社会で価値が高いと思われていることほど、
無用のものであると私は思います。
さて、私たちの会社では知的障害のある社員が多くいて、
大活躍をしてくれています。
いっしょにいる私たちは、
「彼らは私たちに欠けている私たちの一部なのだ」
とわかっているのですが、
一歩外から見る人などは「あれ(私のこと)はアホだ」と。
「障害者など雇って生産性落として、
どれだけ余計なコストをかけているのか見せろ」という圧迫も。
ところが、障害者の多くいる職場ほど、
職場の改善が進み、最も高効率であることが証明されるのです 笑。
それでも人は変われない。
30年来、地元でも何をやっている会社か
知られていなかった私たちの会社が、
最近では地域から年間何十回も見学に来られます。
見た人はみんな変わっていく。頭でしか考えない人は変われない。
私はそのはざまにいて、会社のためではなく、
社会のために仕事をしようと思います。
本当はこんな区別はおかしいですけどね。
どちらも同じもののはずですから。
これが通用しないなら、会社は反社会存在だということになります 笑。
冬、ふと陽だまりのあたたかさに気づきます。
そこにはすべてがあると思います。
今年も1年お世話になりありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。』
掲載了
どう感じられました
でしょうか?
森安さんは
こう仰いました。
『競争とは
力を殺ぎあうためのもの。
みんなが一つになれば、
力は有り余るものです。
金勘定という概念がなくなる
社会を作りたいと思います。』
24日のブログで
紹介しました
日本理化学工業の
会長である
大山さんも
やはり森安さんと
同じように
知的障害の方と共に
仕事をされている方です。
大山さんは
たまたま法事で
出会ったお坊さんから
『人間の究極の幸せは、
愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
人に必要とされる
ことの4つです。
愛されること以外は、
働いてこそ得られます』
と聞いて気づきました。
そして
人間の幸せを
かなえられるのが
会社なら、
知的障害者を一人でも多く
雇用しようと
考えるようになりましたと
仰っています。
それ以降
工場見学に来る
小学生や中学生の
子どもたちが来ると
「働くって、
どういうこと?」と
投げかけて
みるのだそうです。
すると全員が
「会社に行っておカネを
もらうことです」と
答えるのだそうです。
子どもたちは
私たち大人が
言ったり考えたり
していることを
言っているのに
過ぎないのですが、
ここにも
金勘定という概念が
蔓延しています。
大山さんは
その時、
法事の時の
お坊さんから
聞いた言葉を
伝えるのだそうです。
「働くとは、
人に必要とされ、
人の役に立つことだと
思います」と。
大山さんも
森安さんも
知的障害者という
くくりで
社会が勝手に
決めつけられている
方たちと
働くことによって
人間の本質を
掴まれた方々だと
思います。
知的障害者と
呼ばれている方たちこそ
本質において
健常者であり
私たちの方が
本質においての
障害を持っています。
知的障害者と
呼ばれている方々は
常に真我から
語り表現しています。
神の心のままに
森安さんが
指摘されるように
私たちは
金勘定や物質や
単なる効率や
生産性やコストとか
いう訳の解らないもので
分析などという
あたたかくない言葉で
人や物事を
分け隔てています。
自我による
どんなことも
偽者なのです。
偽者こそ
現象だけに
囚われています。
それこそ
障害者なのです。
私はこのブログで
真なるリーダーシップを
学ぶ意味で
『呻吟語』からの学びを
紹介しました。
その中にも出ていますが
リーダーが
人を使うときの
重要な心がけとして
「相手の能力を引き出す」
という箇所があります。
「駱駝(らくだ)は
百鈞もの重さを
背負うことができるが、
蟻はわずか
一粒のものしか
背負うことができない。
それで駱駝も蟻も
全力をつくして
いるのである。
象は数石もの
水を飲みほすが、
鼠はわずか
一勺の水しか
飲むことができない。
それで象も鼠も
腹一杯に
飲んでいるのである。
君子が人を使う場合、
必ずしも同じような
実績を期待しない。
相手がそれぞれの長所を
発揮できるように
しむけるのである。」
このように
人にはそれぞれに
すばらしい特性が
備わっています。
その特性をきちんと
見て、適材適所に
配置するのが
リーダーとして
とても必要なことです。
それが真なる
仕事なのです。
その適材適所を
正しく見ないで
一番大事な仕事を
怠っている人程
効率や生産性や
コストとか
金勘定を言うのです。
森安さんが
森安さんのメールを
掲載許可を
して頂いた返信の
メールも紹介させて
いただきます。
「うちの職場を見ていると本当に面白いです。例えば、2名のペア作業。2つの作業内容を二人でするのですが、ひとりは「作業1」しかできない。他方は「作業2しかできない」。ところがふたりがそろえば、まるでプロフェッショナルのように仕事ができるわけです。
ふたりチェンジしたら、できない。
ホームランバッターにバントをさせてもうまくいかないし、バントの名手にホームランを打てといっても打てない。バントの名手がバントを決め、ホームランバッターがホームランを打てば大量点が取れる。
生産性を低下させるものは、能力の高い低いではなく、能力に見合わない仕事をさせることです。
日本理化学工業の大山会長は本でしか拝見したことがありませんが、50年来こんな立派な仕事をして来られたのに、日本はちっとも変わっていないのだと思います。テレビでも紹介されても、みんな感動はしても行動はしない。
いや、昭和初期から、「この子らを世の光に」と提唱し実践してこられた糸賀一雄先生も日本にはいらっしゃいます。
日暮れて道遠しの感がありますが、でも私はきっと変われると思います。時代が変わってきたと思うから。宇宙のエネルギーが確かに変わってきたと思うから。
陽だまりの暖かさのように、本当に大切なことは、いつも目の前にあるいちばん簡単なことだと思います。
ありがとうございました。」
いかがでしょうか?
本物のリーダーが
語る言葉を
聞いて頂けたでしょうか
『今日は残りの人生の最初の日』
私も日本は
変われると思います。
山元加津子さんや
森安英憲さんや
大山泰弘さんのような方が
居られるから
知的障害者と
呼ばれる方々に
認められている方たちです
知的障害者と
呼ばれている方々が
お墨付きを出すのです。
彼らの本質よりの
純粋性は
私たちも本質から
接しない限り
見透かされて
しまいます。
知的障害者と
呼ばれている方々の
前にたって
恥ずかしくない
本当の自分を
発見しようでは
ありませんか!
共有ありがとうございます。
2011年12月24日土曜日
メリー・クリスマス
今日は
クリスマス・イブです。
皆様、
思い思いの
聖夜をお迎えの
ことでしょう。
このブログでも
何回か紹介させて
いただいています。
「こころのチキンスープ」の
中から
“ベンのプレゼント”という
お話を紹介します。
“ベンのプレゼント”
『毎日牛乳配達するベンは、
11月末に、お得意さん2人に
たまった牛乳代を払わずに、
引っ越されてしまいます。
そして彼がそのツケを埋め合わせる羽目になり、
1人は、20ドル、もう1人は79ドルもあり、
かなり落ち込んでいました。
そして、こんなふうに言っていました。
「この奥さんがまた美人でねぇ」と彼は言った。
「子どもは6人いたが、もう一人おなかにいて、
だから、信用したんだなぁ。
ああ、おれはなんてバカだ!人のために
いいことをしていると思っていたのに、
痛い目にあったよ。だまされちまった!」
私は、「お気の毒に」と言うのが精一杯だった。(略)
私は慰めの言葉を口にして、
なりゆきを見守ることにした。
だが、ベンが帰った後、
私は自分がなんとか彼の力になりたいと
思っていることに気がついた。
このままでは、
ベンは暗い人間になってしまうかもしれない。
何か私にできることはないだろうか?
ふと、クリスマスが近いことに気がつき、
祖母が昔口癖のように言っていた言葉を思い出した。
「誰かに物を盗まれたら、それをその人に
あげてしまいなさい。
そうすれば、もう盗まれることはないよ」
つぎにベンが牛乳を配達してくれたとき、
私は79ドルの件で
うっぷんを晴らす手があると言った。
「そんな手があるわけないでしょ。
でもとにかく教えてください」
「牛乳はその女性にあげたと思いなさい。
子ども達へのクリスマスプレゼントだったと思って」
「冗談じゃない」と彼。
「そんな高いプレゼントなんて、うちの女房にだって
やったことはないよ」(略)
私はそこで口をつぐんだが、
ベンならきっとわかって
くれると信じてていた。
彼が配達にくるたび、
2人はそのことで軽口をたたき合った。
「もう彼女に牛乳をあげた?」と私が聞く。
「いや」と彼が切り返す。
「でも、またどっかの美人のお母さんにカモられる前に、
うちのやつに79ドルのプレゼントを
してやろうかと思っているよ」
私がこの質問をするたびに、
彼の口調も軽やかになっていった。
やがて、クリスマスの6日前に、あることが起こった。
彼が満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせてやってきた。
「やったよ!
牛乳をあの人にクリスマスプレゼントしちゃった。
いやあ、正直きつかったけど、たいしたことじゃない。
牛乳そのものは、とっくにくれてやっちゃってるんだし、
そうでしょう?」
「そうよ」私は彼といっしょに喜びながら、
「でも、本気でそう思って贈らなきゃダメだわ」
「わかってますって。本気ですよ。ああ、いい気分だ。
だから、クリスマスってのはめでたいんだよね。
あの家の子ども達は、おれのおかげでたっぷり
牛乳が飲めたじゃないですか」
クリスマス休暇がきて、やがて終わった。
2週間後、よく晴れ上がった一月のある朝、
ベンが玄関先に小走りにかけてきた。
「いやぁ、聞いてくださいよ」と言って、
にこにこしている。
彼の話では同僚のピンチヒッターとして、
いつもとは別の配達ルートを回っていると、
誰かに名前を呼ばれた。
振り返ると、1人の女が手にした紙幣を
振りながら走ってくる。
あの子だくさんの美人の母親だった。
腕には、おくるみにくるんだ
生後間もない赤ん坊をだいている。
「ベン!ちょっと待って!」女は大声で言った。
「あなたにお金を渡さなきゃ」
ベンはトラックを止めて、外に出た。
「ごめんなさいね」と女は言った。
「支払いをしなきゃって、
ずっと気にかかっていたんだけど」
話を聞くと、彼女の夫がある晩帰宅して言った。
「おい、安いアパートを見つけたぞ。
それに、夜の仕事も見つかったんだ!」
それで急に引っ越すことになり、
そのどさくさのせいで
ベンに転出先のメモを残すのを忘れたのだと言う。
「でも、ちゃんと貯めておいたの。
ほら、まず手始めに20ドル」
「いいんだよ」とベンは言った。
「もう払ってあるんだ」
「払ってある!」女はビックリした。
「どういうこと?誰が払ったの?」
「おれだよ」
彼女は、彼がまるで神の使いであるかのように彼を見、
やがて泣き出した。
「それで?」
ベンが話し終えるのを待って、私は尋ねた。
「あなたはそれでどうしたの?」
「どうしたらいいのかわらなくてさ。
泣いている彼女の肩に手をまわしたけど、
いつのまにかおれまで涙が出てきて。
なんで泣いているかわかんなかったけど、泣いていた。
それから、あの子ども達が、コーンフレークに
おれの牛乳をかけて食べている様子が
目に浮かんできてね。
おれ、奥さんの言うとおりにして本当によかった」
「それじゃ、その20ドルは受けとらなかったの?」
「もちろんさ」彼は憤然と言った。
「あの牛乳は、おれからの彼女への
クリスマスプレゼント。でしょう?」
シャーリー・バチェルダー
いかがでしたか?
私たちも
このベンのように
過去から引きずっている
ことがあるかも
知れません。
今日、思い出して
すべて許してあげましょう!
それがどんなことであれ
結局は
自分を許すことに
なるのですから
これも
私のブログで何回も
紹介させて
いただいています
今日の山元加津子さんの
メルマガ
「宮ぷーこころの架橋
プロジェクト」の中に
加津子さんの
大好きな詩が紹介
されていました。
盲ろうであられる
お友達の
福島智先生に教えていた
だいた詩なのだそうです。
これも紹介します。
~生命は~ 詩人・吉野弘
生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で
虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする
生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和
しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄
ときにうとましく思えることさえも許されている間柄
そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている
私も あるとき誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき私のための風だったかもしれない
・・・・・
いかがでしょうか?
私たちの存在そのものが
他者との総和で
成り立っています。
というより
自と他は一体なのです。
すべてはひとつに
繋がっているのです。
愛
生命
智慧
光の視点において
同じものが
感応して
増幅しています。
昨日、最近
良く参加させて
いただいている
或る会の感謝忘年会が
ありました。
その席上
責任者の
方のお話がありまして、
日本理化学工業㈱の
会長である
大山泰弘さんの
お話をして頂きました。
日本理化学工業は
56年目を迎える
黒板に書くチョークの
製造会社として
国内の3割超を超える
会社です。
その会社の社員さんの
74人の中で
7割超が
知的障害者の方たちが
働いています。
今では、
「日本でいちばん
大切にしたい会社」
という本でも
紹介されている会社です。
しかし、
最初のきっかけは
1959年だったそうですが、
知的障害者の通う
養護学校の先生が
会社に飛び込んで
きたんだそうです。
来年卒業する子の
就職依頼でした。
大山さんは
門前払いのような感じで
その依頼を
断ったのだそうです。
しかし、
その看護学校の先生は
めげずに
3回も大山さんの会社に
訪ねられたそうです。
3回目には
『子どもたちは卒業したら
地方の施設に入ります。
そうしたら働くことを
知らずに一生を終えます。
もう就職は
お願いしませんから、
働く経験だけさせて
もらえませんか』と
大山さんに
頭を下げて
お願いしたそうです。
不憫に思った大山さんは、
2週間の約束で
実習を受け入れました。
実習をしに、
やってきた2人の
知的障害の少女は
2週間、
一心不乱に
ラベル貼りをしました。
昼休みのチャイムにも
気づかないくらい
頑張るのだそうです。
その姿に
大山さんの会社の
社員さんが
心に打たれて、
「不足しているところは
私たちが補うから
雇ってください」
と大山さんに
お願いしたそうです。
そして、
初めて
知的障害者を
採用することに
なりました。
それから暫くして
大山さんは、
法事でたまたま隣に座った
お坊さんにこの話を
したのだそうです。
そして、
「施設にいれば
3食付いて幸せなのに、
どうして彼女たちは毎日、
満員電車に乗って
会社に来るんでしょう」
と尋ねたそうです
そうしましたら、
そのお坊さんは
「人間の究極の幸せは、
愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
人に必要とされる
ことの4つです。
愛されること以外は、
働いてこそ得られます」
と言われたのだそうです。
その言葉を聞いて
大山さんは
気づいたんだそうです。
「人間の幸せを
かなえられるのが
会社なら、
知的障害者を一人でも多く
雇用しようと
考えるようになりました」
とのお話でした。
このお話を聞き
そして、さらに
このブログで
何回か紹介させて
いただいています。
森安英憲さんから
今日、
メールを
いただきました。
森安さんは
奈良市の
立積住備工業株式会社で
大山さんと
同じように
知的障害者を雇用されて
おられて
彼らと心の交流を
されておられる方です。
すべては繋がっています。
今日、メールを拝見したのが
遅かったものですから
明日、森安さんに
メールの掲載の
許可を頂いてから
是非、皆様にも
共有して頂きたいと
思っています。
是非、楽しみのしてください。
私のブログ
森安さんからのメール参照
してください。
『今日は残りの人生の最初の日』
最後に友人から
カナダの
セリーヌ・ディオンさんと
ノルウェイのシセールさんの
「オー・ホーリナイト」が
届いています。
セリーヌ・ディオンさんの
透き通った素敵な
歌声を堪能してください。
セリーヌ・ディオンさんは
「タイタニック」のテーマ
を歌った方です。
http://www.youtube.com/watch?v=iaxXAkDMlWI&feature=fvwrel
また、
シーセルさんの
落ち着いた暖かい歌声も
また、とても素晴らしい
歌声です。
浅田麻央さんが
よくフィギュアで
使われている
歌の一つだそうです.
http://www.youtube.com/watch?v=jr5D9AbDSxs&feature=related
メリークリスマス
共有ありがとうございます。
クリスマス・イブです。
皆様、
思い思いの
聖夜をお迎えの
ことでしょう。
このブログでも
何回か紹介させて
いただいています。
「こころのチキンスープ」の
中から
“ベンのプレゼント”という
お話を紹介します。
“ベンのプレゼント”
『毎日牛乳配達するベンは、
11月末に、お得意さん2人に
たまった牛乳代を払わずに、
引っ越されてしまいます。
そして彼がそのツケを埋め合わせる羽目になり、
1人は、20ドル、もう1人は79ドルもあり、
かなり落ち込んでいました。
そして、こんなふうに言っていました。
「この奥さんがまた美人でねぇ」と彼は言った。
「子どもは6人いたが、もう一人おなかにいて、
だから、信用したんだなぁ。
ああ、おれはなんてバカだ!人のために
いいことをしていると思っていたのに、
痛い目にあったよ。だまされちまった!」
私は、「お気の毒に」と言うのが精一杯だった。(略)
私は慰めの言葉を口にして、
なりゆきを見守ることにした。
だが、ベンが帰った後、
私は自分がなんとか彼の力になりたいと
思っていることに気がついた。
このままでは、
ベンは暗い人間になってしまうかもしれない。
何か私にできることはないだろうか?
ふと、クリスマスが近いことに気がつき、
祖母が昔口癖のように言っていた言葉を思い出した。
「誰かに物を盗まれたら、それをその人に
あげてしまいなさい。
そうすれば、もう盗まれることはないよ」
つぎにベンが牛乳を配達してくれたとき、
私は79ドルの件で
うっぷんを晴らす手があると言った。
「そんな手があるわけないでしょ。
でもとにかく教えてください」
「牛乳はその女性にあげたと思いなさい。
子ども達へのクリスマスプレゼントだったと思って」
「冗談じゃない」と彼。
「そんな高いプレゼントなんて、うちの女房にだって
やったことはないよ」(略)
私はそこで口をつぐんだが、
ベンならきっとわかって
くれると信じてていた。
彼が配達にくるたび、
2人はそのことで軽口をたたき合った。
「もう彼女に牛乳をあげた?」と私が聞く。
「いや」と彼が切り返す。
「でも、またどっかの美人のお母さんにカモられる前に、
うちのやつに79ドルのプレゼントを
してやろうかと思っているよ」
私がこの質問をするたびに、
彼の口調も軽やかになっていった。
やがて、クリスマスの6日前に、あることが起こった。
彼が満面の笑みを浮かべ、目をキラキラと輝かせてやってきた。
「やったよ!
牛乳をあの人にクリスマスプレゼントしちゃった。
いやあ、正直きつかったけど、たいしたことじゃない。
牛乳そのものは、とっくにくれてやっちゃってるんだし、
そうでしょう?」
「そうよ」私は彼といっしょに喜びながら、
「でも、本気でそう思って贈らなきゃダメだわ」
「わかってますって。本気ですよ。ああ、いい気分だ。
だから、クリスマスってのはめでたいんだよね。
あの家の子ども達は、おれのおかげでたっぷり
牛乳が飲めたじゃないですか」
クリスマス休暇がきて、やがて終わった。
2週間後、よく晴れ上がった一月のある朝、
ベンが玄関先に小走りにかけてきた。
「いやぁ、聞いてくださいよ」と言って、
にこにこしている。
彼の話では同僚のピンチヒッターとして、
いつもとは別の配達ルートを回っていると、
誰かに名前を呼ばれた。
振り返ると、1人の女が手にした紙幣を
振りながら走ってくる。
あの子だくさんの美人の母親だった。
腕には、おくるみにくるんだ
生後間もない赤ん坊をだいている。
「ベン!ちょっと待って!」女は大声で言った。
「あなたにお金を渡さなきゃ」
ベンはトラックを止めて、外に出た。
「ごめんなさいね」と女は言った。
「支払いをしなきゃって、
ずっと気にかかっていたんだけど」
話を聞くと、彼女の夫がある晩帰宅して言った。
「おい、安いアパートを見つけたぞ。
それに、夜の仕事も見つかったんだ!」
それで急に引っ越すことになり、
そのどさくさのせいで
ベンに転出先のメモを残すのを忘れたのだと言う。
「でも、ちゃんと貯めておいたの。
ほら、まず手始めに20ドル」
「いいんだよ」とベンは言った。
「もう払ってあるんだ」
「払ってある!」女はビックリした。
「どういうこと?誰が払ったの?」
「おれだよ」
彼女は、彼がまるで神の使いであるかのように彼を見、
やがて泣き出した。
「それで?」
ベンが話し終えるのを待って、私は尋ねた。
「あなたはそれでどうしたの?」
「どうしたらいいのかわらなくてさ。
泣いている彼女の肩に手をまわしたけど、
いつのまにかおれまで涙が出てきて。
なんで泣いているかわかんなかったけど、泣いていた。
それから、あの子ども達が、コーンフレークに
おれの牛乳をかけて食べている様子が
目に浮かんできてね。
おれ、奥さんの言うとおりにして本当によかった」
「それじゃ、その20ドルは受けとらなかったの?」
「もちろんさ」彼は憤然と言った。
「あの牛乳は、おれからの彼女への
クリスマスプレゼント。でしょう?」
シャーリー・バチェルダー
いかがでしたか?
私たちも
このベンのように
過去から引きずっている
ことがあるかも
知れません。
今日、思い出して
すべて許してあげましょう!
それがどんなことであれ
結局は
自分を許すことに
なるのですから
これも
私のブログで何回も
紹介させて
いただいています
今日の山元加津子さんの
メルマガ
「宮ぷーこころの架橋
プロジェクト」の中に
加津子さんの
大好きな詩が紹介
されていました。
盲ろうであられる
お友達の
福島智先生に教えていた
だいた詩なのだそうです。
これも紹介します。
~生命は~ 詩人・吉野弘
生命は自分自身で完結できないようにつくられているらしい
花もめしべとおしべが揃っているだけでは不充分で
虫や風が訪れてめしべとおしべを仲立ちする
生命はすべてそのなかに欠如を抱きそれを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分他者の総和
しかし互いに欠如を満たすなどとは知りもせず知らされもせず
ばらまかれている者同士無関心でいられる間柄
ときにうとましく思えることさえも許されている間柄
そのように世界がゆるやかに構成されているのはなぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで虻の姿をした他者が光りをまとって飛んできている
私も あるとき誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき私のための風だったかもしれない
・・・・・
いかがでしょうか?
私たちの存在そのものが
他者との総和で
成り立っています。
というより
自と他は一体なのです。
すべてはひとつに
繋がっているのです。
愛
生命
智慧
光の視点において
同じものが
感応して
増幅しています。
昨日、最近
良く参加させて
いただいている
或る会の感謝忘年会が
ありました。
その席上
責任者の
方のお話がありまして、
日本理化学工業㈱の
会長である
大山泰弘さんの
お話をして頂きました。
日本理化学工業は
56年目を迎える
黒板に書くチョークの
製造会社として
国内の3割超を超える
会社です。
その会社の社員さんの
74人の中で
7割超が
知的障害者の方たちが
働いています。
今では、
「日本でいちばん
大切にしたい会社」
という本でも
紹介されている会社です。
しかし、
最初のきっかけは
1959年だったそうですが、
知的障害者の通う
養護学校の先生が
会社に飛び込んで
きたんだそうです。
来年卒業する子の
就職依頼でした。
大山さんは
門前払いのような感じで
その依頼を
断ったのだそうです。
しかし、
その看護学校の先生は
めげずに
3回も大山さんの会社に
訪ねられたそうです。
3回目には
『子どもたちは卒業したら
地方の施設に入ります。
そうしたら働くことを
知らずに一生を終えます。
もう就職は
お願いしませんから、
働く経験だけさせて
もらえませんか』と
大山さんに
頭を下げて
お願いしたそうです。
不憫に思った大山さんは、
2週間の約束で
実習を受け入れました。
実習をしに、
やってきた2人の
知的障害の少女は
2週間、
一心不乱に
ラベル貼りをしました。
昼休みのチャイムにも
気づかないくらい
頑張るのだそうです。
その姿に
大山さんの会社の
社員さんが
心に打たれて、
「不足しているところは
私たちが補うから
雇ってください」
と大山さんに
お願いしたそうです。
そして、
初めて
知的障害者を
採用することに
なりました。
それから暫くして
大山さんは、
法事でたまたま隣に座った
お坊さんにこの話を
したのだそうです。
そして、
「施設にいれば
3食付いて幸せなのに、
どうして彼女たちは毎日、
満員電車に乗って
会社に来るんでしょう」
と尋ねたそうです
そうしましたら、
そのお坊さんは
「人間の究極の幸せは、
愛されること、
褒められること、
役に立つこと、
人に必要とされる
ことの4つです。
愛されること以外は、
働いてこそ得られます」
と言われたのだそうです。
その言葉を聞いて
大山さんは
気づいたんだそうです。
「人間の幸せを
かなえられるのが
会社なら、
知的障害者を一人でも多く
雇用しようと
考えるようになりました」
とのお話でした。
このお話を聞き
そして、さらに
このブログで
何回か紹介させて
いただいています。
森安英憲さんから
今日、
メールを
いただきました。
森安さんは
奈良市の
立積住備工業株式会社で
大山さんと
同じように
知的障害者を雇用されて
おられて
彼らと心の交流を
されておられる方です。
すべては繋がっています。
今日、メールを拝見したのが
遅かったものですから
明日、森安さんに
メールの掲載の
許可を頂いてから
是非、皆様にも
共有して頂きたいと
思っています。
是非、楽しみのしてください。
私のブログ
森安さんからのメール参照
してください。
『今日は残りの人生の最初の日』
最後に友人から
カナダの
セリーヌ・ディオンさんと
ノルウェイのシセールさんの
「オー・ホーリナイト」が
届いています。
セリーヌ・ディオンさんの
透き通った素敵な
歌声を堪能してください。
セリーヌ・ディオンさんは
「タイタニック」のテーマ
を歌った方です。
http://www.youtube.com/watch?v=iaxXAkDMlWI&feature=fvwrel
また、
シーセルさんの
落ち着いた暖かい歌声も
また、とても素晴らしい
歌声です。
浅田麻央さんが
よくフィギュアで
使われている
歌の一つだそうです.
http://www.youtube.com/watch?v=jr5D9AbDSxs&feature=related
メリークリスマス
共有ありがとうございます。
2011年12月20日火曜日
「イマダモクケイにオヨバズ」
暫く、『呻吟語』を
題材にブログを
進めていまして、
安岡正篤先生の
『呻吟語を読む』を
紹介していた時に、
ふと双葉山さんの事が
頭をよぎりました。
私は大分県の出身で
郷里が生んだ大横綱
双葉山さんの
大ファンでした。
双葉山さんこそ
呂新吾さんが
『呻吟語』で語る
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)の
第一等の
資質を持つ人物として
頭に浮かんだことも
さることながら、
さらに
安岡先生と
双葉山さんとの
出会いにおける
或るお話を
思い出したからです。
それは、「木鶏」の話です。
安岡先生の
『人物を修める』
(致知出版社刊)という
本の中に
それは書かれています。
このお話も
とても奥深い
人格形成にふさわしい
実話で大好きな
おはなしです。
引用させていただきます。
「恐らく老子と
その最も代表的な
後進である荘子と
前後する人と思われるのが
列子であります。
しかし、
この人については、
老子の後学で
荘子の流(ながれ)であると
推定される以外、
全くわかっておりません。
その「列子」に
「木鶏」(もっけい)
の話があります。
紀渻子(きせいし)、
王の為に闘鶏を養ふ。
十日にして而して問ふ、
鶏已(よ)きか。
曰く、未だし。
方(まさ)に
虚憍(きょけう)にして
而して気恃(たの)む。
十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお影響に応ず。
十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお疾視(しつし)して
而して気を盛んにす。
十日にして又問ふ。
曰く、幾(ちか)し。
鶏、鳴くもありと
雖(いえど)も、
已に変ずることなし。
之を望むに木鶏に似たり。
其の徳全し。
異鶏敢(あえ)て
応ずるもの無く、
反って走らん。
これと同じ話が
「荘子・外編」に
出ております。
紀渻子という人が
闘鶏の好きな王
(学者によって
説もありますが、
一般には
周の宣王ということに
なっています)
のために
軍鶏(しゃも)を養って
調教訓練しておりました。
そして
十日ほど経った頃、
王が“もうよいか”と
ききましたところが、
紀渻子は
“いや、まだいけません、
空威張りして
「俺が」という
ところがあります”
と答えました。
さらに十日経って、
またききました。
“未だだめです。
相手の姿を見たり
声を聞いたりすると
昂奮するところがあります”。
また十日経って
ききました。
“未だいけません。
相手を見ると
睨みつけて、
圧倒しようとする
ところがあります”。
こうして
さらに十日経って、
またききました。
そうすると初めて
“まあ、
どうにかよろしいでしょう。
他の鶏の声がしても
少しも平生と変わる
ところがありません。
その姿はまるで
木彫の鶏のようです。
全く徳が充実しました。
もうどんな鶏を
連れてきても、
これに
応戦するものがなく、
姿をみただけで
逃げてしまうでしょう“と
言いました。
大変おもしろい話で
ありますが、
私はこの話を
往年の名横綱双葉山関に
したことがありました。
これは双葉山関自身が
『相撲求道録』という本に
書いておりますが、
まだ横綱になる前の
大変人気が出てきた頃でした。
双葉山を
非常にひいきにしていた
老友人に招かれて
一緒に
飲んだことがあるのです。
なにしろ
私も
まだ若かった頃ですから
つい一杯機嫌で、
“君もまだまだだめだ”と
申したましたところ、
さすがに
大横綱になるだけあって
私もそのとき
感心したのですが、
“どこがいけないのですか”と
慇懃(いんぎん)に
尋ねるのです。
そこで私が
木鶏の話を
いたしましたところが、
大層感じ入ったらしく、
それから
木鶏の修行を
始めたのです。
その後は皆さんも
ご存知のように
あのような
名力士となって、
とうとう
六十九連勝という偉業を
成し遂げたのであります。
なんでもそのとき、
私に木鶏の額を
書いてくれということで、
書いて
渡したのでありますが、
その額を部屋に掛けて、
朝に晩に静座して
木鶏の工夫をした。
本人の招きで
私も一度まいりました。
今度の大戦
(第二次世界大戦)の
始まる直前のことで
ありますが、
私は欧米の
東洋専門の学者や当局者達と
話し合いをするために
ヨーロッパの旅に
出かけました。
もちろん
その頃はまだ
飛行機が
普及しておりませんから
船旅ですが、
ちょうどインド洋を
航行中のときでした。
ある日、
ボーイが
双葉山からの
電報だと言って
室に飛び込んできました。
なにしろ
当時の双葉山は
七十連勝に向かって
連戦連勝の最中で、
その人気は
大変なものでしたから、
ボーイもよほど
興味を持ったらしい。
そして
“どうも電文がよく
わかりませんので、
打ち返して
問い合わせようかと
係の者が
申しておりますが、
とにかく
一度ご覧ください”と言う。
早速手にとってみると
「イマダモクケイにオヨバズ」
とある。
双葉山から
負けたことを報せてきた
電報だったのです。
なるほどこれでは
普通の人に
わからぬのも
無理はありません。
この話が
たちまち船中に伝わり、
とうとう晩餐会の席で
大勢の人にせがまれて
木鶏の話を
させられたのを
覚えています。
その後双葉山の
木鶏の話が
自然に広がり、
あちらこちらに鶏ならぬ
人間の木鶏会が
できました。
しかし、
これは結構なことです。」
引用了
双葉山さんが
69連勝を達成する
時代というのは
昭和11年~14年で
当時、大相撲は
1月場所と5月場所の
年二場所の興行でして
しかも、11日間でした。
12年5月場所から
13日間になりましたが、
それも、双葉山人気が
凄まじいものであって
徹夜で入場券を
求める人たちが
後を絶たず
当時の相撲協会も
判断を下し
昭和12年5月場所より
13日間行われることに
なったのです。
その時代の69連勝です。
丸三年間の連勝記録です。
三年もの間
コンディションと
精神力を高めていくのは
並大抵のことでは
なかったことでしょう。
双葉山さんは
元々、右目が見えません。
子どもの頃に
吹き矢が当って
失明を余儀なく
されています。
また、小指も二回
事故で骨折しています。
ハンデもものともしない
双葉山さんの精神力は
木鶏たりえたからこそ
為しえた快挙と
いえるのではないかと
思っています。
私が子どもの頃は
既に引退されており
私が知っている
双葉山さんは
時津風部屋の親方として
横綱、鏡里をはじめ
大関も多数輩出された
名親方として
また、
日本相撲協会の理事長
として相撲協会の
トップに君臨されており、
数々の改革も
為されたリーダーとして
大活躍された方でした。
57歳の若さで
亡くなられました。
2012年2月9日が
双葉山さんの
生誕から100年目で
郷土の大分県宇佐市では
100周年記念の
イベントで
真っ盛りだそうです。
木鶏は
木で作られた鶏です。
真に強い闘鶏は
まさに木鶏のようだと
言います。
木で作られた鶏は
無心であります。
そこには
相手に勝ちたいとか
名誉が欲しいとか
お金が欲しいとか
人を憎む心も
怒りも妬みも
何もかもありません。
一切の我執を離れた時
人間を超えた
真なる我、
尋常ならざる
偉大な力が
湧き上がってくると
思うのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちも
この木鶏の寓話のように
虚心坦懐の我に
なれるのです。
それは、
元々、備わっている
性質だからです。
しかし、
努力なしには
為すことはできません。
今、この瞬間から
意識して
「木鶏」を目指すのです。
あなたは
真の強者になり得るのです。
共に頑張って
まいりましょう。
生かしていただいて
ありがとうございます。
題材にブログを
進めていまして、
安岡正篤先生の
『呻吟語を読む』を
紹介していた時に、
ふと双葉山さんの事が
頭をよぎりました。
私は大分県の出身で
郷里が生んだ大横綱
双葉山さんの
大ファンでした。
双葉山さんこそ
呂新吾さんが
『呻吟語』で語る
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)の
第一等の
資質を持つ人物として
頭に浮かんだことも
さることながら、
さらに
安岡先生と
双葉山さんとの
出会いにおける
或るお話を
思い出したからです。
それは、「木鶏」の話です。
安岡先生の
『人物を修める』
(致知出版社刊)という
本の中に
それは書かれています。
このお話も
とても奥深い
人格形成にふさわしい
実話で大好きな
おはなしです。
引用させていただきます。
「恐らく老子と
その最も代表的な
後進である荘子と
前後する人と思われるのが
列子であります。
しかし、
この人については、
老子の後学で
荘子の流(ながれ)であると
推定される以外、
全くわかっておりません。
その「列子」に
「木鶏」(もっけい)
の話があります。
紀渻子(きせいし)、
王の為に闘鶏を養ふ。
十日にして而して問ふ、
鶏已(よ)きか。
曰く、未だし。
方(まさ)に
虚憍(きょけう)にして
而して気恃(たの)む。
十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお影響に応ず。
十日にして又問ふ。
曰く、未だし。
なお疾視(しつし)して
而して気を盛んにす。
十日にして又問ふ。
曰く、幾(ちか)し。
鶏、鳴くもありと
雖(いえど)も、
已に変ずることなし。
之を望むに木鶏に似たり。
其の徳全し。
異鶏敢(あえ)て
応ずるもの無く、
反って走らん。
これと同じ話が
「荘子・外編」に
出ております。
紀渻子という人が
闘鶏の好きな王
(学者によって
説もありますが、
一般には
周の宣王ということに
なっています)
のために
軍鶏(しゃも)を養って
調教訓練しておりました。
そして
十日ほど経った頃、
王が“もうよいか”と
ききましたところが、
紀渻子は
“いや、まだいけません、
空威張りして
「俺が」という
ところがあります”
と答えました。
さらに十日経って、
またききました。
“未だだめです。
相手の姿を見たり
声を聞いたりすると
昂奮するところがあります”。
また十日経って
ききました。
“未だいけません。
相手を見ると
睨みつけて、
圧倒しようとする
ところがあります”。
こうして
さらに十日経って、
またききました。
そうすると初めて
“まあ、
どうにかよろしいでしょう。
他の鶏の声がしても
少しも平生と変わる
ところがありません。
その姿はまるで
木彫の鶏のようです。
全く徳が充実しました。
もうどんな鶏を
連れてきても、
これに
応戦するものがなく、
姿をみただけで
逃げてしまうでしょう“と
言いました。
大変おもしろい話で
ありますが、
私はこの話を
往年の名横綱双葉山関に
したことがありました。
これは双葉山関自身が
『相撲求道録』という本に
書いておりますが、
まだ横綱になる前の
大変人気が出てきた頃でした。
双葉山を
非常にひいきにしていた
老友人に招かれて
一緒に
飲んだことがあるのです。
なにしろ
私も
まだ若かった頃ですから
つい一杯機嫌で、
“君もまだまだだめだ”と
申したましたところ、
さすがに
大横綱になるだけあって
私もそのとき
感心したのですが、
“どこがいけないのですか”と
慇懃(いんぎん)に
尋ねるのです。
そこで私が
木鶏の話を
いたしましたところが、
大層感じ入ったらしく、
それから
木鶏の修行を
始めたのです。
その後は皆さんも
ご存知のように
あのような
名力士となって、
とうとう
六十九連勝という偉業を
成し遂げたのであります。
なんでもそのとき、
私に木鶏の額を
書いてくれということで、
書いて
渡したのでありますが、
その額を部屋に掛けて、
朝に晩に静座して
木鶏の工夫をした。
本人の招きで
私も一度まいりました。
今度の大戦
(第二次世界大戦)の
始まる直前のことで
ありますが、
私は欧米の
東洋専門の学者や当局者達と
話し合いをするために
ヨーロッパの旅に
出かけました。
もちろん
その頃はまだ
飛行機が
普及しておりませんから
船旅ですが、
ちょうどインド洋を
航行中のときでした。
ある日、
ボーイが
双葉山からの
電報だと言って
室に飛び込んできました。
なにしろ
当時の双葉山は
七十連勝に向かって
連戦連勝の最中で、
その人気は
大変なものでしたから、
ボーイもよほど
興味を持ったらしい。
そして
“どうも電文がよく
わかりませんので、
打ち返して
問い合わせようかと
係の者が
申しておりますが、
とにかく
一度ご覧ください”と言う。
早速手にとってみると
「イマダモクケイにオヨバズ」
とある。
双葉山から
負けたことを報せてきた
電報だったのです。
なるほどこれでは
普通の人に
わからぬのも
無理はありません。
この話が
たちまち船中に伝わり、
とうとう晩餐会の席で
大勢の人にせがまれて
木鶏の話を
させられたのを
覚えています。
その後双葉山の
木鶏の話が
自然に広がり、
あちらこちらに鶏ならぬ
人間の木鶏会が
できました。
しかし、
これは結構なことです。」
引用了
双葉山さんが
69連勝を達成する
時代というのは
昭和11年~14年で
当時、大相撲は
1月場所と5月場所の
年二場所の興行でして
しかも、11日間でした。
12年5月場所から
13日間になりましたが、
それも、双葉山人気が
凄まじいものであって
徹夜で入場券を
求める人たちが
後を絶たず
当時の相撲協会も
判断を下し
昭和12年5月場所より
13日間行われることに
なったのです。
その時代の69連勝です。
丸三年間の連勝記録です。
三年もの間
コンディションと
精神力を高めていくのは
並大抵のことでは
なかったことでしょう。
双葉山さんは
元々、右目が見えません。
子どもの頃に
吹き矢が当って
失明を余儀なく
されています。
また、小指も二回
事故で骨折しています。
ハンデもものともしない
双葉山さんの精神力は
木鶏たりえたからこそ
為しえた快挙と
いえるのではないかと
思っています。
私が子どもの頃は
既に引退されており
私が知っている
双葉山さんは
時津風部屋の親方として
横綱、鏡里をはじめ
大関も多数輩出された
名親方として
また、
日本相撲協会の理事長
として相撲協会の
トップに君臨されており、
数々の改革も
為されたリーダーとして
大活躍された方でした。
57歳の若さで
亡くなられました。
2012年2月9日が
双葉山さんの
生誕から100年目で
郷土の大分県宇佐市では
100周年記念の
イベントで
真っ盛りだそうです。
木鶏は
木で作られた鶏です。
真に強い闘鶏は
まさに木鶏のようだと
言います。
木で作られた鶏は
無心であります。
そこには
相手に勝ちたいとか
名誉が欲しいとか
お金が欲しいとか
人を憎む心も
怒りも妬みも
何もかもありません。
一切の我執を離れた時
人間を超えた
真なる我、
尋常ならざる
偉大な力が
湧き上がってくると
思うのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちも
この木鶏の寓話のように
虚心坦懐の我に
なれるのです。
それは、
元々、備わっている
性質だからです。
しかし、
努力なしには
為すことはできません。
今、この瞬間から
意識して
「木鶏」を目指すのです。
あなたは
真の強者になり得るのです。
共に頑張って
まいりましょう。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2011年12月19日月曜日
「脱原発~電気は足りている!」
きくちゆみさんと
いう方がおられます。
私は
きくちゆみさんを
以前、このブログでも
紹介しました。
ご主人の森田 玄さんの
ブログ
「玄のリモ農園ダイアリー」を
通じて知りました。
森田 玄さんは
友人である
コスタリカのヒーラー
であるカレンさんから
情報を得て
ハワイの
「ホ・オポノポノ」の
ヒューレン博士や
「マシュー君のメッセージ」を
翻訳して
日本に伝えた方です。
「ホ・オポノポノ」は
浄化の秘儀であり
「マシュー君のメッセージ」は
アセンションを中心として
2012年に訪れる
地球と私たちの
次元上昇の様子
心の在り方を
伝えてくれています。
共通しているのは
地球や私たちの
すばらしい未来を
語ってくれていることと
私たち一人ひとりに
備わっているところの
内面の力がすべての
鍵となるところです。
今日は
この詳細については
いずれ紹介することとして
きくちゆみさんの
現在の様子が
プロフィール調に
書かれていますので
紹介します。
きくちゆみ Yumi Kikuchi
千葉鴨川の山間地で食べものを自給し、築200年の古民家に暮らしてきたが、311原発震災をきっかけに長年の夢である「ハーモニクスライフ@ハワイ」の実現に向け行動開始。環境と平和と健康をテーマに書き、訳し、話す。戦争と原発のない持続可能な地球を実現したいので、それに一歩でも近づくよう自分の人生を使います。
それでは
きくちゆみさんの
ブログである
「きくちゆみのブログと
ポッドキャスト」から
原発についての
論考を紹介させて
いただきます。
私たちが
いかにマスコミや
専門家と言われる人たちの
情報をそのままに
鵜呑みにしているかを
知らなければなりません。
知ることによって
私たちはどう判断したらよいかを
知るのです。
最初の記事は
12月16日に書かれた
きくちゆみさんの
脱原発の誓いの
文章です。
2012年を脱原発の年に
311原発震災から早九ヶ月が過ぎ、2011年も残すところ2週間となりました。
全国の空間線量は落ち着いてきていますが(ハーモニクス・ライフセンターのある鴨川は0.1μSv以下)、全国で瓦礫を処理(焼却)することで、また大気中、焼却灰の中へ、そして土壌から水系へと放射性物質は移動してしまいます。
汚染瓦礫などはその場で処理する方が被害が小さく済みます。全国に拡散させてしまったら、今、日本中で起きている助け合い(西や南に住む人が、東と北に住む人に、より汚染の少ない食べ物や住まいを供給しています)ができなくなってしまいます。
放射性物質について政府やメディアなどが言う「除染」とは、実際には「放射性物質の移動」のことです。放射性物質を一カ所に集めて、環境から隔離するということはもちろん有効ですので、やったほうがいいですが、集めた放射性物質も長い年月(半減期の10倍程度)を待たなくては無害化されません。
そこが熱処理や化学処理で分解できる化学物質と放射性物質の違いです。半減期の短い放射性物質はどんどん消えていきますが、長いもの(30年ほどのセシウムやストロンチウム、2万4千年ほどのプルトニウムなど)は、私たちが生きている間はなくなりません。つまり、残りの人生、これからずっと対策が必要、ということです。
チェルノブイリ周辺では、まだ25年前の事故の影響が続いています(その一部は『チェルノブイリ・ハート』という映画に描かれている通りです)。福島、そして日本も世界も、今後長い間今回の事故の影響が続いていくでしょう。そんな放射能汚染の中でも、私たちはたくましく生き抜いて、いのちを次世代につないでいきたいです。
それには、これまでにも増して、各自が食や暮らしの工夫で、免疫を高めておく必要があります。とくに子どもたちの食生活には気を配ってあげたいですね。
化学物質も放射性物質も発がん性や催奇性が疑われますので、311の教訓を得た日本人は、かつて日本の祖先が完全循環の中で生きてきたことを思い出して、「自然のもの(本物)」に頼って暮らしていきましょう。農業は自然農や有機農業を応援・推進し、各家庭では、掃除も洗濯も美容もキッチンにあるもの(酢や塩、重曹など)だけでやりましょう。家庭でできる自然な暮らしの工夫を詳しく知りたい方は、牧野佑子さんの『楽して得して徳して楽しく暮らそう』(350円)が参考になります。
さて、今日のテーマ(私の誓い)は「2012年を脱原発の年に」です。このまま原発の再稼働を各地で阻止すれば、実現可能です。
「美浜の会」HPより「全国の原発の状況」:
再稼働ストップ作戦「ナノハナ革命」:
年明けにはパシフィコ横浜で「脱原発世界会議」が開催されます。私ももちろん参加します。会場でお会いできるのを楽しみにしています。14日は「東京ピースフィルム倶楽部(東京平和映画祭)」Presents「脱原発映画祭」を午後1時から5時まで開催していますので、ぜひいらしてください。
東京ピースフィルム倶楽部のトップページにも案内が載りました:
世界から100名のゲストを招き、日本全国から「脱原発世界会議」に結集します。1月、パシフィコ横浜でお会いしましょうね。
私は311以降、民間でいち早く福島原発周辺の妊婦さんと子連れ家族の受け入れを始めた「つなぐ光」を応援しています。もう最近は報道も減り、関心も薄らぎ、「つなぐ光」の資金は底を尽きました。それで、収益を「つなぐ光」に寄付するためのチャリティイベントです。汚染地域に住む妊婦さんと子どもたちのサポートは、これからも長い間必要になると思うので、あなたのできるサポートをお願いする次第です。
12,16記事転載了
きくちゆみさんは
このように
あらゆる活動を
している方です。
私も何回か
お会いさせて
いただいていますが、
小柄ながら
とても
エネルギッシュな方で
すばらしい透明力を
持った方です。
そして
下記の転載記事は
上記のきくちゆみさんの
脱原発記事に対しての
ブログ読者からの
コメントと
そのコメントへの回答です。
二日後の12月18日の
ブログ~転載します。
まだ「原発止めると電気が足りなくなる」と信じている人がいる!
二日前に、「2012年を脱原発の年に」というブログを書きました。
すると、匿名の方から以下のようなコメントをいただきました。
「頼みますので、再稼働阻止など電気を止めるようなことをしないでください。病院など人の命がかかっています。
冷静に考えれば、一般家庭がいくら節電しても原子力分を賄えないのはお分かりでしょ?
(私も節電は大切だとは思っています)
たとえ原子力を止めて化石燃料で賄ったとしても、電気料金の値上げは目に見えていますし、貧しい家庭は、これ以上電気料金が上がるのも困ります。
また、放射能も恐ろしいかもしれませんが、二酸化炭素による温暖化のほうが、世界規模でもっと恐ろしいのではないですか?
不安な思いも十分わかりますが、もっと現実を客観的に直視してみてください。」
ーーーーーー
ちょっとびっくりしました。
なぜなら、日本はすべての原発を止めても電気は足りているからです。
私はこのコメントに対して、以下のようにお返事しました。
「あなたが本気で「再稼働阻止な=電気を止めるようなこと」と信じている、と仮定してコメントします(もしかしたら、そうじゃない可能性もあるので)。
日本は原発がなくても電気は止まらないのです。これまでも、これからも。「原発止めたら電気が止まる」と言って脅してきたのは、原発を推進したい人たち(それで潤っている人たち)だけです。
「えっ!足りてたの?」のキャンペーンなど、今では多くの市民が今ではそのことに気づいていますので、どうぞ匿名さんもご自分で日本で必要な最大電力と、火力、原子力、水力、再生可能エネルギー、自家発電の設備容量を調べてみて下さい。節電しなくても足りてます。
参考サイトをあげておきます:
「原発なしでも電気足りてる:小出裕章」
えっ!足りてたの?http://sunaga.org/works/311t.htm
やはりマスコミの力は絶大ですね。
日本の市民運動、独立系メディアの力ではまだまだ太刀打ちできません。
それでも、このブログとかメルマガとかTwitterなどのネットメディアを使って、一人また一人と「原発なくても電気は足りる」ことを理解する人を増やしたいです。どうかあなたも力を貸して下さい。
転載了
皆さんも
小出裕章先生の
ユーチューブを
是非、ご覧になって
判断なされてください。
くれぐれも
一方だけからの情報による
きめツケをされないように
正しい判断を求めます。
いう方がおられます。
私は
きくちゆみさんを
以前、このブログでも
紹介しました。
ご主人の森田 玄さんの
ブログ
「玄のリモ農園ダイアリー」を
通じて知りました。
森田 玄さんは
友人である
コスタリカのヒーラー
であるカレンさんから
情報を得て
ハワイの
「ホ・オポノポノ」の
ヒューレン博士や
「マシュー君のメッセージ」を
翻訳して
日本に伝えた方です。
「ホ・オポノポノ」は
浄化の秘儀であり
「マシュー君のメッセージ」は
アセンションを中心として
2012年に訪れる
地球と私たちの
次元上昇の様子
心の在り方を
伝えてくれています。
共通しているのは
地球や私たちの
すばらしい未来を
語ってくれていることと
私たち一人ひとりに
備わっているところの
内面の力がすべての
鍵となるところです。
今日は
この詳細については
いずれ紹介することとして
きくちゆみさんの
現在の様子が
プロフィール調に
書かれていますので
紹介します。
きくちゆみ Yumi Kikuchi
千葉鴨川の山間地で食べものを自給し、築200年の古民家に暮らしてきたが、311原発震災をきっかけに長年の夢である「ハーモニクスライフ@ハワイ」の実現に向け行動開始。環境と平和と健康をテーマに書き、訳し、話す。戦争と原発のない持続可能な地球を実現したいので、それに一歩でも近づくよう自分の人生を使います。
それでは
きくちゆみさんの
ブログである
「きくちゆみのブログと
ポッドキャスト」から
原発についての
論考を紹介させて
いただきます。
私たちが
いかにマスコミや
専門家と言われる人たちの
情報をそのままに
鵜呑みにしているかを
知らなければなりません。
知ることによって
私たちはどう判断したらよいかを
知るのです。
最初の記事は
12月16日に書かれた
きくちゆみさんの
脱原発の誓いの
文章です。
2012年を脱原発の年に
311原発震災から早九ヶ月が過ぎ、2011年も残すところ2週間となりました。
全国の空間線量は落ち着いてきていますが(ハーモニクス・ライフセンターのある鴨川は0.1μSv以下)、全国で瓦礫を処理(焼却)することで、また大気中、焼却灰の中へ、そして土壌から水系へと放射性物質は移動してしまいます。
汚染瓦礫などはその場で処理する方が被害が小さく済みます。全国に拡散させてしまったら、今、日本中で起きている助け合い(西や南に住む人が、東と北に住む人に、より汚染の少ない食べ物や住まいを供給しています)ができなくなってしまいます。
放射性物質について政府やメディアなどが言う「除染」とは、実際には「放射性物質の移動」のことです。放射性物質を一カ所に集めて、環境から隔離するということはもちろん有効ですので、やったほうがいいですが、集めた放射性物質も長い年月(半減期の10倍程度)を待たなくては無害化されません。
そこが熱処理や化学処理で分解できる化学物質と放射性物質の違いです。半減期の短い放射性物質はどんどん消えていきますが、長いもの(30年ほどのセシウムやストロンチウム、2万4千年ほどのプルトニウムなど)は、私たちが生きている間はなくなりません。つまり、残りの人生、これからずっと対策が必要、ということです。
チェルノブイリ周辺では、まだ25年前の事故の影響が続いています(その一部は『チェルノブイリ・ハート』という映画に描かれている通りです)。福島、そして日本も世界も、今後長い間今回の事故の影響が続いていくでしょう。そんな放射能汚染の中でも、私たちはたくましく生き抜いて、いのちを次世代につないでいきたいです。
それには、これまでにも増して、各自が食や暮らしの工夫で、免疫を高めておく必要があります。とくに子どもたちの食生活には気を配ってあげたいですね。
化学物質も放射性物質も発がん性や催奇性が疑われますので、311の教訓を得た日本人は、かつて日本の祖先が完全循環の中で生きてきたことを思い出して、「自然のもの(本物)」に頼って暮らしていきましょう。農業は自然農や有機農業を応援・推進し、各家庭では、掃除も洗濯も美容もキッチンにあるもの(酢や塩、重曹など)だけでやりましょう。家庭でできる自然な暮らしの工夫を詳しく知りたい方は、牧野佑子さんの『楽して得して徳して楽しく暮らそう』(350円)が参考になります。
さて、今日のテーマ(私の誓い)は「2012年を脱原発の年に」です。このまま原発の再稼働を各地で阻止すれば、実現可能です。
「美浜の会」HPより「全国の原発の状況」:
再稼働ストップ作戦「ナノハナ革命」:
年明けにはパシフィコ横浜で「脱原発世界会議」が開催されます。私ももちろん参加します。会場でお会いできるのを楽しみにしています。14日は「東京ピースフィルム倶楽部(東京平和映画祭)」Presents「脱原発映画祭」を午後1時から5時まで開催していますので、ぜひいらしてください。
東京ピースフィルム倶楽部のトップページにも案内が載りました:
世界から100名のゲストを招き、日本全国から「脱原発世界会議」に結集します。1月、パシフィコ横浜でお会いしましょうね。
私は311以降、民間でいち早く福島原発周辺の妊婦さんと子連れ家族の受け入れを始めた「つなぐ光」を応援しています。もう最近は報道も減り、関心も薄らぎ、「つなぐ光」の資金は底を尽きました。それで、収益を「つなぐ光」に寄付するためのチャリティイベントです。汚染地域に住む妊婦さんと子どもたちのサポートは、これからも長い間必要になると思うので、あなたのできるサポートをお願いする次第です。
12,16記事転載了
きくちゆみさんは
このように
あらゆる活動を
している方です。
私も何回か
お会いさせて
いただいていますが、
小柄ながら
とても
エネルギッシュな方で
すばらしい透明力を
持った方です。
そして
下記の転載記事は
上記のきくちゆみさんの
脱原発記事に対しての
ブログ読者からの
コメントと
そのコメントへの回答です。
二日後の12月18日の
ブログ~転載します。
まだ「原発止めると電気が足りなくなる」と信じている人がいる!
二日前に、「2012年を脱原発の年に」というブログを書きました。
すると、匿名の方から以下のようなコメントをいただきました。
「頼みますので、再稼働阻止など電気を止めるようなことをしないでください。病院など人の命がかかっています。
冷静に考えれば、一般家庭がいくら節電しても原子力分を賄えないのはお分かりでしょ?
(私も節電は大切だとは思っています)
たとえ原子力を止めて化石燃料で賄ったとしても、電気料金の値上げは目に見えていますし、貧しい家庭は、これ以上電気料金が上がるのも困ります。
また、放射能も恐ろしいかもしれませんが、二酸化炭素による温暖化のほうが、世界規模でもっと恐ろしいのではないですか?
不安な思いも十分わかりますが、もっと現実を客観的に直視してみてください。」
ーーーーーー
ちょっとびっくりしました。
なぜなら、日本はすべての原発を止めても電気は足りているからです。
私はこのコメントに対して、以下のようにお返事しました。
「あなたが本気で「再稼働阻止な=電気を止めるようなこと」と信じている、と仮定してコメントします(もしかしたら、そうじゃない可能性もあるので)。
日本は原発がなくても電気は止まらないのです。これまでも、これからも。「原発止めたら電気が止まる」と言って脅してきたのは、原発を推進したい人たち(それで潤っている人たち)だけです。
「えっ!足りてたの?」のキャンペーンなど、今では多くの市民が今ではそのことに気づいていますので、どうぞ匿名さんもご自分で日本で必要な最大電力と、火力、原子力、水力、再生可能エネルギー、自家発電の設備容量を調べてみて下さい。節電しなくても足りてます。
参考サイトをあげておきます:
「原発なしでも電気足りてる:小出裕章」
えっ!足りてたの?http://sunaga.org/works/311t.htm
やはりマスコミの力は絶大ですね。
日本の市民運動、独立系メディアの力ではまだまだ太刀打ちできません。
それでも、このブログとかメルマガとかTwitterなどのネットメディアを使って、一人また一人と「原発なくても電気は足りる」ことを理解する人を増やしたいです。どうかあなたも力を貸して下さい。
転載了
皆さんも
小出裕章先生の
ユーチューブを
是非、ご覧になって
判断なされてください。
くれぐれも
一方だけからの情報による
きめツケをされないように
正しい判断を求めます。
2011年12月18日日曜日
「正しい生き方を学ぶ」
本日も
呂新吾さんの
『呻吟語』から
始めさせて頂きます。
安岡正篤先生訳著の
「呻吟語を読む」の中に
「四つの難」
事を行うものの心得を
抜粋いたします。
「自分が判断したことを
人に伝えることで、
4つ難しいものがあると、
呂新吾が
『呻吟語』の中で
整理しています。
(本文)
進言に四難有り。
人を審(つまびら)かにし、
己を審かにし、
事を審かにし、
時を審かにす。
一も不審有れば、
事必ず済(な)らず。
(解説)
人は、多彩な知識が
あったとしても、
相手をよく見て
伝えなければならぬ
ことはいうまでも
ありません。
自分は
どういう人間で
あるかということを
知っておくことが
必要です。
耳学問で
己に似つかわしくない
放言をしてみたところで、
相手に通じるはずは
ありません。
第三に、
事を内容を
しっかり取られることは、
言うまでもありません。
最後に、
何事にも時、
時機というものがあって、
それを逸するとかえって
害をおよぼすことがある。
この四つのうち一つでも、
はっきりできなければ、
事はかならず成功しないと
訓示ともいえる
四つの難です。」
ほとんどの問題や
トラブルの元は
上記の四難によるもの
と言いましても
過言ではないと
思います。
どうして
あんなに社会的にも
認められた方が
あんなに
すばらしいことを
やっているにも
関わらず
上手くいっていない
のだろうということは
世間にたくさん
あります。
私も含めて
ほとんどの人が
体験しているのでは
ないかと思います。
それと、
私も大好きな
故事の中で
「四知」というものが
ありますが、
これは、
南朝宋時代の
『後漢書』の中の
「楊震伝」(ようしんでん)
にある
故事です。
“天知る、
神知る、
我知る、
子知る、
何ぞ知る無しと
謂わんや“
というものです。
「楊震伝」は
後漢、安帝時代の
名臣だった
楊震さんのことを
伝えた逸話です。
楊震さんが
東莱郡の
太守(長官)だった時
王密さんという
優秀な人間を
茂才として推挙しました。
茂才とは
官吏登用試験の
合格者のことです。
王密さんが優秀なので
官吏登用試験に
合格しては
いませんでしたが、
長官である
楊震さんは、
王密さんを
推挙したのです。
喜んだ王密さんは
夜中に
楊震さんの家を訪れ
賄賂として金十斤を
贈ろうとしたのです。
断る楊震さんに
王密さんはさらに
賄賂を進めるのです。
王密さんは
こう言いました。
“暮夜無知者”
“今は夜ですから、
誰も見ていませんから
知られることは
ありません“
それに対して
楊震さんは
こう言葉を返すのです。
“天知、神知、
我知、子知、何謂無知“
冒頭の故事
天知る、
神知る、
我知る、
子(あなた)知る、
何ぞ知る無しと
謂わんや
“(誰も知るまいと
思っても)
天や神が知っている
だけでなく、
私が知っており、
あなたも知っているでは
ありませんか“
この楊震さんの
断りの言葉に
王密さんは
自らを恥じて
帰ったという
故事です。
安岡先生は
この『後漢書』の中の
「楊震伝」を例に
あげながら
「呻吟語を読む」の中で
こう書いています。
「無知を欺く、
知る無きを欺く
というのは
まだどこかに
忌(い)み
憚(はばか)る心、
何ものかを
畏れつつしむという
良心的な
反応の心である。
この内心の
びくびくするという
忌憚の心が
誠と偽との
分かれる関門である。
ところが
知る有るを
畏れないというのは、
これはもう
忌憚の心もない。
人間にとって
最も大事なものは
敬恥の心でありまして、
その敬恥の心が
悪い方に働くと
忌憚の心になる。
従って忌憚の心を
失ってしまったら、
これはもう
「此れ死生の関」
でありまして、
正に死の道である。
まだ人に知られては
困るという間は
良心が死に切って
おらぬからである。」
楊震さんの態度は
天地・神に恥ない
「正々堂々」とした
立派な態度であります。
この四知の故事は
自宅の私の机の
目のつくところに
書いて貼ってあり、
常に言い聞かせる
言葉として
繰り返し
読ませて
いただいています。
そして、
安岡先生は
「呻吟語を読む」の中で
「天徳は只是れの無我、
王道は只是れ箇の愛人」
意味は、
無我こそ至上の徳。
王道も、人間に徹して
人間を愛することより
外にない。
と結ぶのです。
いわゆる
『呻吟語』全般に
流れているエキスは
人間としての
正しい生き方
人格を高めることの
重要性を
知らせようとした
呂新吾さんからの
メッセージなのです。
再度、守屋洋さんの
訳著の『呻吟語』の
第2章“教養”の中に
こう書かれています。
「広く学問を窮める。
すばらしい技術を
身につける。
これはこれで
一つの長所だと言ってよい。
だが、
人格の形成に
終わりがないのと比べれば、
これらのことは
ある段階にまで達すると、
それで終わってしまう。
重要なのは、
立派な人格の形成、
これである。
一人前の
社会人となるためには、
能力と人格の
両面にわたって
自分を鍛える必要がある。
呂新吾に言わせれば、
能力を身につけるのは
まだやさしい。
むずかしいのは
人格を磨くことだという。
現代の日本では、
人格形成の面が
おろそかにされている
嫌いがないでもない。」
さらに
第2章“修養について”
の中にこう
書かれています。
「鋭い切れ味は、
十分に磨いて
おかなければならない。
ただし、
切れ味は内に秘めて、
おっとりと構えている
必要がある。
昔から、
禍いをこうむるのは、
十人のうち九人が
切れる人物であった。
おっとりした人物で
禍をこうむったものは
一人もいないのである。
ところが近ごろの人間は、
ひたすら
切れ味の鈍さだけを
心配している。
これは愚か以外の
なにものでもない。
人間には、四つのタイプが
あるのだという。
「かしこかしこ」
賢いことを表に出し続ける
「かしこあほう」
賢くみせて実は中身が無い
「あほうかしこ」
無知・無関心を装い、
実は賢い人間
「あほうあほう」
全くの無知、無関心
言うまでもなく、
理想は
「あほうかしこ」である。
ここで呂新吾が
語っているのも、
これに近いかもしれない。 」
呂新吾さんが
『呻吟語』に
込めた思いは
何でありましょう?
単なる処世術として
著したものでは
ありません。
諸行無常の移ろい行く
この世の中にあって
勿論、その場その場を
対処していくこと
「才覚」を発揮する
ことも重要では
あります。
しかし、
そういう現象界で
あるから
変わらないものが
大切であるのです。
人間として
いかに正しい
生き方をしていくのか?
これは大変難しい
課題でもあります。
「このスピード時代の
世の中で
そんなことを
言っていたら
取り残されて
しまうよ!」という
声が聞こえてきそうです。
しかし
こんな時代だからこそ
忘れてはならないのです。
多くの売上をあげ
多くの利益を出す。
これは
素晴らしいことです。
それによって
多くの税金が払われ
社会は成り立っています。
でも、利潤のためには
何をやってもいい
とはならないのです。
それが一義ではないのです。
多くの経営者は
人格的にも
すばらしい方が
大半ではあります。
しかし、
才に溺れる
経営者も
後を絶たないのも
現実です。
私たちが
肉体を維持して
いくために
毎日、ご飯を食べて
栄養を与えているように
私たちの心にも
継続的に栄養を
与えていかねば
なりません。
正しい生き方を
示してくれる
この『呻吟語』のような
時代を超えた
先達たちの教えは
こちらがその気になれば
いつでも引き出す
ことができます。
リーダーだけでなく
人間としての
正しい生き方は
毎日、少しでもいいから
繰り返し
学んでいかなければ
筋肉にならないのです。
一日でも怠れば
直ぐに筋肉は落ちます。
継続こそ力なりです。
継続することによって
「人格」が形成されて
いくのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、この大切な
あなたの貴重な瞬間に
あなたを高める瞬間に
していきましょう。
あなたが
知っている
正しい生き方を
示してくれる書物や
あらゆる媒体に
少しでも接してください。
そして
今日一日を
為し無事に終えることが
できたなら、
生かされていることに
感謝をし、
自らの行いを
振り返ってください。
そして、
人間としての
正しい生き方に
反した行ないを
為さなかったかどうかを
点検するのです。
為していたなら、
反省をすることです。
今日の因を知り
正すことにより
人格と言うのは
高められていくのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
呂新吾さんの
『呻吟語』から
始めさせて頂きます。
安岡正篤先生訳著の
「呻吟語を読む」の中に
「四つの難」
事を行うものの心得を
抜粋いたします。
「自分が判断したことを
人に伝えることで、
4つ難しいものがあると、
呂新吾が
『呻吟語』の中で
整理しています。
(本文)
進言に四難有り。
人を審(つまびら)かにし、
己を審かにし、
事を審かにし、
時を審かにす。
一も不審有れば、
事必ず済(な)らず。
(解説)
人は、多彩な知識が
あったとしても、
相手をよく見て
伝えなければならぬ
ことはいうまでも
ありません。
自分は
どういう人間で
あるかということを
知っておくことが
必要です。
耳学問で
己に似つかわしくない
放言をしてみたところで、
相手に通じるはずは
ありません。
第三に、
事を内容を
しっかり取られることは、
言うまでもありません。
最後に、
何事にも時、
時機というものがあって、
それを逸するとかえって
害をおよぼすことがある。
この四つのうち一つでも、
はっきりできなければ、
事はかならず成功しないと
訓示ともいえる
四つの難です。」
ほとんどの問題や
トラブルの元は
上記の四難によるもの
と言いましても
過言ではないと
思います。
どうして
あんなに社会的にも
認められた方が
あんなに
すばらしいことを
やっているにも
関わらず
上手くいっていない
のだろうということは
世間にたくさん
あります。
私も含めて
ほとんどの人が
体験しているのでは
ないかと思います。
それと、
私も大好きな
故事の中で
「四知」というものが
ありますが、
これは、
南朝宋時代の
『後漢書』の中の
「楊震伝」(ようしんでん)
にある
故事です。
“天知る、
神知る、
我知る、
子知る、
何ぞ知る無しと
謂わんや“
というものです。
「楊震伝」は
後漢、安帝時代の
名臣だった
楊震さんのことを
伝えた逸話です。
楊震さんが
東莱郡の
太守(長官)だった時
王密さんという
優秀な人間を
茂才として推挙しました。
茂才とは
官吏登用試験の
合格者のことです。
王密さんが優秀なので
官吏登用試験に
合格しては
いませんでしたが、
長官である
楊震さんは、
王密さんを
推挙したのです。
喜んだ王密さんは
夜中に
楊震さんの家を訪れ
賄賂として金十斤を
贈ろうとしたのです。
断る楊震さんに
王密さんはさらに
賄賂を進めるのです。
王密さんは
こう言いました。
“暮夜無知者”
“今は夜ですから、
誰も見ていませんから
知られることは
ありません“
それに対して
楊震さんは
こう言葉を返すのです。
“天知、神知、
我知、子知、何謂無知“
冒頭の故事
天知る、
神知る、
我知る、
子(あなた)知る、
何ぞ知る無しと
謂わんや
“(誰も知るまいと
思っても)
天や神が知っている
だけでなく、
私が知っており、
あなたも知っているでは
ありませんか“
この楊震さんの
断りの言葉に
王密さんは
自らを恥じて
帰ったという
故事です。
安岡先生は
この『後漢書』の中の
「楊震伝」を例に
あげながら
「呻吟語を読む」の中で
こう書いています。
「無知を欺く、
知る無きを欺く
というのは
まだどこかに
忌(い)み
憚(はばか)る心、
何ものかを
畏れつつしむという
良心的な
反応の心である。
この内心の
びくびくするという
忌憚の心が
誠と偽との
分かれる関門である。
ところが
知る有るを
畏れないというのは、
これはもう
忌憚の心もない。
人間にとって
最も大事なものは
敬恥の心でありまして、
その敬恥の心が
悪い方に働くと
忌憚の心になる。
従って忌憚の心を
失ってしまったら、
これはもう
「此れ死生の関」
でありまして、
正に死の道である。
まだ人に知られては
困るという間は
良心が死に切って
おらぬからである。」
楊震さんの態度は
天地・神に恥ない
「正々堂々」とした
立派な態度であります。
この四知の故事は
自宅の私の机の
目のつくところに
書いて貼ってあり、
常に言い聞かせる
言葉として
繰り返し
読ませて
いただいています。
そして、
安岡先生は
「呻吟語を読む」の中で
「天徳は只是れの無我、
王道は只是れ箇の愛人」
意味は、
無我こそ至上の徳。
王道も、人間に徹して
人間を愛することより
外にない。
と結ぶのです。
いわゆる
『呻吟語』全般に
流れているエキスは
人間としての
正しい生き方
人格を高めることの
重要性を
知らせようとした
呂新吾さんからの
メッセージなのです。
再度、守屋洋さんの
訳著の『呻吟語』の
第2章“教養”の中に
こう書かれています。
「広く学問を窮める。
すばらしい技術を
身につける。
これはこれで
一つの長所だと言ってよい。
だが、
人格の形成に
終わりがないのと比べれば、
これらのことは
ある段階にまで達すると、
それで終わってしまう。
重要なのは、
立派な人格の形成、
これである。
一人前の
社会人となるためには、
能力と人格の
両面にわたって
自分を鍛える必要がある。
呂新吾に言わせれば、
能力を身につけるのは
まだやさしい。
むずかしいのは
人格を磨くことだという。
現代の日本では、
人格形成の面が
おろそかにされている
嫌いがないでもない。」
さらに
第2章“修養について”
の中にこう
書かれています。
「鋭い切れ味は、
十分に磨いて
おかなければならない。
ただし、
切れ味は内に秘めて、
おっとりと構えている
必要がある。
昔から、
禍いをこうむるのは、
十人のうち九人が
切れる人物であった。
おっとりした人物で
禍をこうむったものは
一人もいないのである。
ところが近ごろの人間は、
ひたすら
切れ味の鈍さだけを
心配している。
これは愚か以外の
なにものでもない。
人間には、四つのタイプが
あるのだという。
「かしこかしこ」
賢いことを表に出し続ける
「かしこあほう」
賢くみせて実は中身が無い
「あほうかしこ」
無知・無関心を装い、
実は賢い人間
「あほうあほう」
全くの無知、無関心
言うまでもなく、
理想は
「あほうかしこ」である。
ここで呂新吾が
語っているのも、
これに近いかもしれない。 」
呂新吾さんが
『呻吟語』に
込めた思いは
何でありましょう?
単なる処世術として
著したものでは
ありません。
諸行無常の移ろい行く
この世の中にあって
勿論、その場その場を
対処していくこと
「才覚」を発揮する
ことも重要では
あります。
しかし、
そういう現象界で
あるから
変わらないものが
大切であるのです。
人間として
いかに正しい
生き方をしていくのか?
これは大変難しい
課題でもあります。
「このスピード時代の
世の中で
そんなことを
言っていたら
取り残されて
しまうよ!」という
声が聞こえてきそうです。
しかし
こんな時代だからこそ
忘れてはならないのです。
多くの売上をあげ
多くの利益を出す。
これは
素晴らしいことです。
それによって
多くの税金が払われ
社会は成り立っています。
でも、利潤のためには
何をやってもいい
とはならないのです。
それが一義ではないのです。
多くの経営者は
人格的にも
すばらしい方が
大半ではあります。
しかし、
才に溺れる
経営者も
後を絶たないのも
現実です。
私たちが
肉体を維持して
いくために
毎日、ご飯を食べて
栄養を与えているように
私たちの心にも
継続的に栄養を
与えていかねば
なりません。
正しい生き方を
示してくれる
この『呻吟語』のような
時代を超えた
先達たちの教えは
こちらがその気になれば
いつでも引き出す
ことができます。
リーダーだけでなく
人間としての
正しい生き方は
毎日、少しでもいいから
繰り返し
学んでいかなければ
筋肉にならないのです。
一日でも怠れば
直ぐに筋肉は落ちます。
継続こそ力なりです。
継続することによって
「人格」が形成されて
いくのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、この大切な
あなたの貴重な瞬間に
あなたを高める瞬間に
していきましょう。
あなたが
知っている
正しい生き方を
示してくれる書物や
あらゆる媒体に
少しでも接してください。
そして
今日一日を
為し無事に終えることが
できたなら、
生かされていることに
感謝をし、
自らの行いを
振り返ってください。
そして、
人間としての
正しい生き方に
反した行ないを
為さなかったかどうかを
点検するのです。
為していたなら、
反省をすることです。
今日の因を知り
正すことにより
人格と言うのは
高められていくのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2011年12月12日月曜日
「“THINKER”のNAOKIさんからの重要情報」
2011年7月5日のブログ
「次世代エネルギーと送電線の国有化」
の情報を送っていただいた
“THINKER”のNAOKIさんから
子宮頸がんワクチン・ガーダシルの
件についての、重要情報が入って
来ましたので、下記に添付します。
下記の原文もユーチューブも
日本語で翻訳されています。
アーカメロディ
最近、気になったニュースをお伝えします。
少し前になりますが、今年の9月、アメリカにおいてメルク社の子宮頸がんワクチン・ガーダシルに遺伝子組換えされたHPVウイルスが混入され、汚染されていたことが、外部のワクチン安全性調査会社のセイン・バックス社の調査により、判明しました。
原文はこちら
このニュースによれば、遺伝子組換えされた生のHPVウイルスが混入されていたのは、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、スペイン、ポーランド、フランスへ輸出されたバイアルで、世界的な現象であると推測されます。ここ日本でも、7月にガーダシルは厚生省の認可を受け、現在、子宮頸がんワクチン接種を受ける女児は、英グラクソ・スミス・クライン社のサーバリックスかこのガーダシルのどちらかを選択できることになっています。
ワクチンの危険性に関して最も詳しい専門家の一人であるシェリー・テンペニ-博士のインタビュー動画をユー・チューブのTHINKERチャンネルにアップしました。
この中には、テンペニ-博士の子宮頸がんワクチンに関するコメントも含まれていますので興味のある方はぜひご覧ください。動画の最後には、彼女から賢明な親への熱いメッセージが込められています。
ユーチューブ動画
アメリカの現在の状況は、日本がごく近い将来直面するものです。
この情報が大事だと思われた方は、周りの方へお伝えください。
ご協力ありがとうございます。
THINKER・NAOKI
「次世代エネルギーと送電線の国有化」
の情報を送っていただいた
“THINKER”のNAOKIさんから
子宮頸がんワクチン・ガーダシルの
件についての、重要情報が入って
来ましたので、下記に添付します。
下記の原文もユーチューブも
日本語で翻訳されています。
アーカメロディ
最近、気になったニュースをお伝えします。
少し前になりますが、今年の9月、アメリカにおいてメルク社の子宮頸がんワクチン・ガーダシルに遺伝子組換えされたHPVウイルスが混入され、汚染されていたことが、外部のワクチン安全性調査会社のセイン・バックス社の調査により、判明しました。
原文はこちら
このニュースによれば、遺伝子組換えされた生のHPVウイルスが混入されていたのは、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、スペイン、ポーランド、フランスへ輸出されたバイアルで、世界的な現象であると推測されます。ここ日本でも、7月にガーダシルは厚生省の認可を受け、現在、子宮頸がんワクチン接種を受ける女児は、英グラクソ・スミス・クライン社のサーバリックスかこのガーダシルのどちらかを選択できることになっています。
ワクチンの危険性に関して最も詳しい専門家の一人であるシェリー・テンペニ-博士のインタビュー動画をユー・チューブのTHINKERチャンネルにアップしました。
この中には、テンペニ-博士の子宮頸がんワクチンに関するコメントも含まれていますので興味のある方はぜひご覧ください。動画の最後には、彼女から賢明な親への熱いメッセージが込められています。
ユーチューブ動画
アメリカの現在の状況は、日本がごく近い将来直面するものです。
この情報が大事だと思われた方は、周りの方へお伝えください。
ご協力ありがとうございます。
THINKER・NAOKI
2011年12月9日金曜日
“『呻吟語』からの学び”
今日のブログも
引き続き
呂新吾(りょしんご)さんの
『呻吟語』(しんぎんご)
から進めていきます。
呂新吾(りょしんご)さんは、
1536年から
1618年の人で
その当時、中国は
明の末の時代でした。
呂新吾さんは
陪臣(ばいしん)といって
現在の
高級官僚だった方で
地方長官を
歴任していました。
その時代は
あちこちで
政争があり
国は混乱していました。
呂さんは
官僚として
政治改革をしなければ
ならないと思っていて、
改革案なるものを
作っていました。
しかし、
呂さん自身も
その政争の中に
巻き込まれて
陪臣から退くことに
なるのです。
その時の呂さん自身の
体験を通して
人間観や処世訓として
書かれたのが
『呻吟語』であります。
呻吟という意味は
嘆きうめくこと
ですので、
呂さん自身の魂から
絞り出すように
書きとめた言葉
だったと
思われます。
自らも地方の長官として
人材の任命や登用、
或いは移動等も
したでありましょう。
そういう体験の中で
多くの
才智と機知があり、
弁が立つ者
いわゆる
聡明才弁の者を
重用する弊害を
身に染みて
経験したのだと
思います。
呂新吾さんの
『呻吟語』を
守屋洋さんが編・訳を
された本が
徳間書店から出版
されています。
とても解りやすく
解説していますので、
是非、お読みに
なってください。
その守屋洋さんの本の
はしがきに
こう書かれています。
引用させていただきます。
「『呻吟語』という書名は、
「病気に苦しみながら
発する沈痛なうめき声」
なのだという。
呂新吾の生きた時代は、
現代と同じように
混迷の時代であった。
かれもまた、
われわれと同じように、
一人の社会人として、
また組織の責任者として、
悩んだり
苦しんだりすることが
多かったにちがいない。
だが、かれはそういう
悩みや苦しみに反省を
加えることによって、
かれなりの確信に
達していったらしい。
それを折にふれて
記録にとどめたのが、
のちに『呻吟語』として
まとめられたのだという。
『呻吟語』もまた、
人間とはどうあるべきか、
人生を
どう生きるべきかなど、
われわれにとって
切実な問題を
さまざまな角度から
解き明かしている。
これを読めば、
必ずやわれわれの
当面する問題について
多くの示唆を
汲みとることが
できるであろう。」
とあります。
他に、『呻吟語』は
安岡正篤先生訳著の
『呻吟語を読む』も
致知出版社から
出版されています。
安岡先生の本も、
大変わかりやすく、
『呻吟語』を
学べる本です。
こちらも、
是非、お読みに
なってください。
その両方の本から
私のメモを見ながら
紹介していきます。
「過ちを指摘されたら喜べ」
というのがあります。
そこには、こう
書かれています。
守屋さんの訳です。
「自分の過ちを
指摘してくれるのは、
必ずしも過ちのない人
だとは限らない。
過ちのない人に
過ちを指摘してほしいと
願っていたのでは、
一生かかっても
自分の過ちを耳にする
機会はないであろう。
相手がたとえ
どんな人であれ、
過ちを指摘して
もらえるのは、
ありがたいことだと
思わなければならない。
相手に過ちがあろうと
なかろうと、
そんなことを
気にしている
暇はないのである。」
とあります。
この言葉は
私自身
大変身に染みた
言葉でした。
特に、若い頃の私は
ひとつ過ちを
指摘されれば、
相手の過ちを
みつけては何倍にも
言い返し、
逆上していました。
そんな状況ですから
誰も私に指摘して
くれる方がいなくなって
しまいました。
敢えて言えば女房ぐらい
それでさえ、言い返して
いましたね(笑)
今、思えば
大変勿体無いことを
してしまったと
反省しています。
女房を含めて
私に指摘をしてくれた
方々に対しまして
この場を借りて
お詫びしたいと
思います。
「ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
ありがとうございます。」
年をとると
自然に過ちを
指摘してくれる方は
こちらから望んでも
いなくなります。
若い方は
是非、自分の過ちを
指摘してくださる。
家族や友人や先輩を
大切にして下さいね。
さらに
「相手の人物いかんは
問わない」というのが
あります。
そこには
こうあります。
これも守屋さんの本を
引用したメモから
抜粋させて
いただきます。
「発言を聞き
行動を観察する、
これは
相手の人物を
判断する
ポイントである。
発言には
耳を傾けるが
人物のいかんは
問わない。
これは
自分を向上させる
ポイントである。
ところが、
近ごろの人間は
すばらしい
教えを聞いても、
「話すことは立派だが、
おやりになって
いることが
それに伴わない。
あいつの
話すことなど
聞いても仕方がない」
と言って、
受け付けようとしない。
こういう人間は
思いちがいをしている。
そもそも相手の発言に
耳を傾けるのは、
自分にとって
プラスに
なるからである。
自分にプラスに
なるならば、
相手の人物が
どうあろうと、
いっこうに
構わないではないか。」
その通りであります。
私たちは
どんな人間からも
いや、人間だけではなく
生きとしいけるもの
すべてから学べます。
そう考えると
どんな時も無駄では
なくなります。
すべては自分の進化の
ためにあるのです。
又、リーダーが
人を使うときの
重要な心がけとして
「相手の能力を引き出す」
という箇所があります。
「駱駝(らくだ)は
百鈞もの重さを
背負うことができるが、
蟻はわずか
一粒のものしか
背負うことができない。
それで駱駝も蟻も
全力をつくして
いるのである。
象は数石もの
水を飲みほすが、
鼠はわずか
一勺の水しか
飲むことができない。
それで象も鼠も
腹一杯に
飲んでいるのである。
君子が人を使う場合、
必ずしも同じような
実績を期待しない。
相手がそれぞれの長所を
発揮できるように
しむけるのである。」
人にはそれぞれに
すばらしい特性が
備わっています。
その特性をきちんと
見て、適材適所に
配置するのが
リーダーとして
とても必要なことです。
そして、
小さなことから
大きなことまで
争いの種は尽きません。
例えば
国と国の戦争という
大きなもので
あろうとも
はじめは
小さなことが原因で
その小さなうちに
種を摘み取る
努力を怠った結果
大きくなっていくのです。
『呻吟語』の中には
こういうのも
書かれています。
「譲れば争いは起こらない」
という箇所です。
これも
守屋さんの訳です。
引用します。
「二つの物が
ぶつかれば、
必ず音をたてる。
二人の人間が
交われば、
必ず争いが起こる。
音をたてるのは、
両方とも
固いからである。
両方とも
柔らかいなら、
音はたたない。
一方が固くても
一方が柔らかいなら、
やはり音はたたない。
争いが起こるのは、
双方とも
欲の皮が突っぱって
いるからである。
双方とも譲るなら、
争いは起こらない。
一方が欲深でも、
一方が譲るなら、
これまた
争いは起こらない。
それよりも
さらに望ましいのは、
柔らかいほうが
固いほうを軟化させ、
譲ったほうが
欲深い相手を
感化させることだ。」
そして欲について
天の欲と人の欲の
違いを下記のように
書かれています。
「有天欲 有人欲
吟風弄月 傍花随柳
此天欲也 声色貸利
此人欲也 天欲不可無
無則禅
人欲不可有 有則穢
天欲則好底人欲
人欲即不好底天欲」
「欲には天のものと
人のものがある。
風と歌い、
月と遊び、
花を傍らに、
柳に随う、
これは天の欲である。
名声、色、利子を
貪るのは、
人の欲である。
天の欲は
持つべきであり、
持たないならば、
禅となってしまう。
一方、人の欲は、
持つべきでない。
持てば、穢れる。
天の欲は、
人が
持つべきものであり、
人の欲は、
天の欲ではない。」
呂新吾さんが
一等の資質という
「深沈厚重」な人と
言うのは
まさしく
人の欲とは無縁な
自我我欲のない
実相を感得していた
人であったのでしょう。
今日も
『呻吟語』に
ついて
書かせて
いただきましたが
これから所用が
ありますので
安岡先生の
『呻吟語を読む』等の
メモも紹介したいので
明日以降も
引き続き
『呻吟語』の中からの
学びを共有させて
頂きたいと思います。
生かして頂いて
ありがとうございます。
引き続き
呂新吾(りょしんご)さんの
『呻吟語』(しんぎんご)
から進めていきます。
呂新吾(りょしんご)さんは、
1536年から
1618年の人で
その当時、中国は
明の末の時代でした。
呂新吾さんは
陪臣(ばいしん)といって
現在の
高級官僚だった方で
地方長官を
歴任していました。
その時代は
あちこちで
政争があり
国は混乱していました。
呂さんは
官僚として
政治改革をしなければ
ならないと思っていて、
改革案なるものを
作っていました。
しかし、
呂さん自身も
その政争の中に
巻き込まれて
陪臣から退くことに
なるのです。
その時の呂さん自身の
体験を通して
人間観や処世訓として
書かれたのが
『呻吟語』であります。
呻吟という意味は
嘆きうめくこと
ですので、
呂さん自身の魂から
絞り出すように
書きとめた言葉
だったと
思われます。
自らも地方の長官として
人材の任命や登用、
或いは移動等も
したでありましょう。
そういう体験の中で
多くの
才智と機知があり、
弁が立つ者
いわゆる
聡明才弁の者を
重用する弊害を
身に染みて
経験したのだと
思います。
呂新吾さんの
『呻吟語』を
守屋洋さんが編・訳を
された本が
徳間書店から出版
されています。
とても解りやすく
解説していますので、
是非、お読みに
なってください。
その守屋洋さんの本の
はしがきに
こう書かれています。
引用させていただきます。
「『呻吟語』という書名は、
「病気に苦しみながら
発する沈痛なうめき声」
なのだという。
呂新吾の生きた時代は、
現代と同じように
混迷の時代であった。
かれもまた、
われわれと同じように、
一人の社会人として、
また組織の責任者として、
悩んだり
苦しんだりすることが
多かったにちがいない。
だが、かれはそういう
悩みや苦しみに反省を
加えることによって、
かれなりの確信に
達していったらしい。
それを折にふれて
記録にとどめたのが、
のちに『呻吟語』として
まとめられたのだという。
『呻吟語』もまた、
人間とはどうあるべきか、
人生を
どう生きるべきかなど、
われわれにとって
切実な問題を
さまざまな角度から
解き明かしている。
これを読めば、
必ずやわれわれの
当面する問題について
多くの示唆を
汲みとることが
できるであろう。」
とあります。
他に、『呻吟語』は
安岡正篤先生訳著の
『呻吟語を読む』も
致知出版社から
出版されています。
安岡先生の本も、
大変わかりやすく、
『呻吟語』を
学べる本です。
こちらも、
是非、お読みに
なってください。
その両方の本から
私のメモを見ながら
紹介していきます。
「過ちを指摘されたら喜べ」
というのがあります。
そこには、こう
書かれています。
守屋さんの訳です。
「自分の過ちを
指摘してくれるのは、
必ずしも過ちのない人
だとは限らない。
過ちのない人に
過ちを指摘してほしいと
願っていたのでは、
一生かかっても
自分の過ちを耳にする
機会はないであろう。
相手がたとえ
どんな人であれ、
過ちを指摘して
もらえるのは、
ありがたいことだと
思わなければならない。
相手に過ちがあろうと
なかろうと、
そんなことを
気にしている
暇はないのである。」
とあります。
この言葉は
私自身
大変身に染みた
言葉でした。
特に、若い頃の私は
ひとつ過ちを
指摘されれば、
相手の過ちを
みつけては何倍にも
言い返し、
逆上していました。
そんな状況ですから
誰も私に指摘して
くれる方がいなくなって
しまいました。
敢えて言えば女房ぐらい
それでさえ、言い返して
いましたね(笑)
今、思えば
大変勿体無いことを
してしまったと
反省しています。
女房を含めて
私に指摘をしてくれた
方々に対しまして
この場を借りて
お詫びしたいと
思います。
「ごめんなさい。
許してください。
愛しています。
ありがとうございます。」
年をとると
自然に過ちを
指摘してくれる方は
こちらから望んでも
いなくなります。
若い方は
是非、自分の過ちを
指摘してくださる。
家族や友人や先輩を
大切にして下さいね。
さらに
「相手の人物いかんは
問わない」というのが
あります。
そこには
こうあります。
これも守屋さんの本を
引用したメモから
抜粋させて
いただきます。
「発言を聞き
行動を観察する、
これは
相手の人物を
判断する
ポイントである。
発言には
耳を傾けるが
人物のいかんは
問わない。
これは
自分を向上させる
ポイントである。
ところが、
近ごろの人間は
すばらしい
教えを聞いても、
「話すことは立派だが、
おやりになって
いることが
それに伴わない。
あいつの
話すことなど
聞いても仕方がない」
と言って、
受け付けようとしない。
こういう人間は
思いちがいをしている。
そもそも相手の発言に
耳を傾けるのは、
自分にとって
プラスに
なるからである。
自分にプラスに
なるならば、
相手の人物が
どうあろうと、
いっこうに
構わないではないか。」
その通りであります。
私たちは
どんな人間からも
いや、人間だけではなく
生きとしいけるもの
すべてから学べます。
そう考えると
どんな時も無駄では
なくなります。
すべては自分の進化の
ためにあるのです。
又、リーダーが
人を使うときの
重要な心がけとして
「相手の能力を引き出す」
という箇所があります。
「駱駝(らくだ)は
百鈞もの重さを
背負うことができるが、
蟻はわずか
一粒のものしか
背負うことができない。
それで駱駝も蟻も
全力をつくして
いるのである。
象は数石もの
水を飲みほすが、
鼠はわずか
一勺の水しか
飲むことができない。
それで象も鼠も
腹一杯に
飲んでいるのである。
君子が人を使う場合、
必ずしも同じような
実績を期待しない。
相手がそれぞれの長所を
発揮できるように
しむけるのである。」
人にはそれぞれに
すばらしい特性が
備わっています。
その特性をきちんと
見て、適材適所に
配置するのが
リーダーとして
とても必要なことです。
そして、
小さなことから
大きなことまで
争いの種は尽きません。
例えば
国と国の戦争という
大きなもので
あろうとも
はじめは
小さなことが原因で
その小さなうちに
種を摘み取る
努力を怠った結果
大きくなっていくのです。
『呻吟語』の中には
こういうのも
書かれています。
「譲れば争いは起こらない」
という箇所です。
これも
守屋さんの訳です。
引用します。
「二つの物が
ぶつかれば、
必ず音をたてる。
二人の人間が
交われば、
必ず争いが起こる。
音をたてるのは、
両方とも
固いからである。
両方とも
柔らかいなら、
音はたたない。
一方が固くても
一方が柔らかいなら、
やはり音はたたない。
争いが起こるのは、
双方とも
欲の皮が突っぱって
いるからである。
双方とも譲るなら、
争いは起こらない。
一方が欲深でも、
一方が譲るなら、
これまた
争いは起こらない。
それよりも
さらに望ましいのは、
柔らかいほうが
固いほうを軟化させ、
譲ったほうが
欲深い相手を
感化させることだ。」
そして欲について
天の欲と人の欲の
違いを下記のように
書かれています。
「有天欲 有人欲
吟風弄月 傍花随柳
此天欲也 声色貸利
此人欲也 天欲不可無
無則禅
人欲不可有 有則穢
天欲則好底人欲
人欲即不好底天欲」
「欲には天のものと
人のものがある。
風と歌い、
月と遊び、
花を傍らに、
柳に随う、
これは天の欲である。
名声、色、利子を
貪るのは、
人の欲である。
天の欲は
持つべきであり、
持たないならば、
禅となってしまう。
一方、人の欲は、
持つべきでない。
持てば、穢れる。
天の欲は、
人が
持つべきものであり、
人の欲は、
天の欲ではない。」
呂新吾さんが
一等の資質という
「深沈厚重」な人と
言うのは
まさしく
人の欲とは無縁な
自我我欲のない
実相を感得していた
人であったのでしょう。
今日も
『呻吟語』に
ついて
書かせて
いただきましたが
これから所用が
ありますので
安岡先生の
『呻吟語を読む』等の
メモも紹介したいので
明日以降も
引き続き
『呻吟語』の中からの
学びを共有させて
頂きたいと思います。
生かして頂いて
ありがとうございます。
2011年12月6日火曜日
「リーダーとしての資質とは!」
中国明代の著名な
思想家である
呂新吾(りょしんご)さんの
『呻吟語』(しんぎんご)
という著書の中に
リーダーの
資質としての
重要な性格として
以下のように
述べられています。
皆さんにも
役に立つと思います。
共有してください。
深沈厚重是第一等資質
磊落豪雄是第二等資質
聡明才弁是第三等資質
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)
なるは、
是れ第一等の資質なり。
磊落豪雄
(らいらくごうゆう)
なるは、
是れ第二等の資質なり。
聡明才弁
(そうめいさいべん)
なるは、
是れ第三等の資質なり。
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)が、
リーダーとして
一番重要な資質とは、
沈思黙考
(ちんしもっこう)
いわゆる、
深く静かに物事を考え、
重厚な性格を
持っていることであり、
私利私欲を抑えた
公平無私な
「人格者」でなければ
ならない。
磊落豪雄
(らいらくごうゆう)が、
二番目に
重要な資質とは
細かいことに拘らず、
物事にもこだわらず、
つまり型にはまらない。
度量が大きい性格を
もっている人物である。
聡明才弁
(そうめいさいべん)が、
三番目の資質
いわゆる、
リーダーとしての
資質としては
一番優先順位が
低いとしている。
頭がきれて、
才能が有り、
弁舌巧みな人物である。
と呂新吾さんは
仰っています。
論語の中の
泰伯第八の205にも
以下のように
述べられています。
子曰、巍巍乎。
舜禹之有天下也。
而不與焉
子日(のたま)わく、
巍巍乎(ぎぎこ)たり。
舜(しゅん)・禹(う)の
天下を有(たも)てるや。
而(しこう)して
与(あずか)らず。
「孔子さまが仰るには、
何と(徳の高く尊い)
立派なことであるか!
舜と禹が、
天下を治めた方法は、
自らが、直接的に
政治に関与せず、
有能な部下を信頼して
任せきった所にある」
とあります。
古代中国では
理想的な君主として
尭(ぎょう)を含め
舜(しゅん)禹(う)を
3人組と称します。
尭から舜へ、
また舜から禹へ、
有徳の人へ帝王から
禅譲で政権が
譲渡されたことから
孔子さまは
上記のことを
述べられたのだと
思います。
その中の
舜と禹の聖王が
天下を
統治されたことは
「巍巍乎たり、
而して与らず」
と述べられているのです。
「巍巍乎たり」が
山の高さの
偉大さのことで、
徳の高く尊い
という意味で、
堂々として
立派なものだと
仰っています。
そして
「而して与らず」
舜と禹は
政治を独占しなかった。
磊落豪雄の臣下や
聡明才弁の臣下に
権限を預ける
器量があった。
いわゆる、
深沈厚重たる
第一等の人物で
あったのです。
特にこの論語の
泰伯編は
泰伯(大伯)という
大変、徳の高い人物の
名前を冠した編です。
有徳のリーダーとは
どういうものかを
孔子さまが
語っておられる編で
ありまして
大変ためになります。
この泰伯さん自身も
下記のように
語られています。
紹介します。
「泰伯は
それ至徳(しとく)と
謂(い)うべきのみ。
三たび天下を以て譲る。
民得て称するなし。」
とあります。
意味としては、
泰伯は徳の極致と
いうべき存在である。
己の天下を譲って、
絶対に
自分が取ろうとは
しなかった。
泰伯の譲り方が
譲ったと
わからないような
ものだったので、
民衆も
称することが
できなかった。
泰伯さんは
自我の一切無い
自分の中にある
良心を開眼した方だと
思います。
泰伯さんのように
特に国を治める
リーダーとしての
立場を持ちながら
自分の美徳を
ひけらかすこともなく
民衆が気がつかぬまま
禅譲する見事な振る舞い。
まさに、
深沈厚重たる
第一等の資質を持った
人物です。
本当に徳の高い人は、
自分のなす
善なる行為を
喧伝する必要を
感じない人物ですので、
有名な人の中には
いないのかも
しれませんね。
こういった
舜や禹、泰伯さんの
ような
深く静かに物事を考え、
重厚な性格を
持っていながら、
私利私欲を抑えた
公平無私な
「人格者」の
リーダーの出現が
地球規模で
待ち望まれているの
ではないでしょうか。
日本においても、
政治や企業における
リーダーの
不祥事が数多く
報道されて
おりますが、
ただ、聡明才弁である
いわゆる、
頭が切れて、
弁が立つ人物が
第一等として
リーダーに
据えているという
勘違いを
しているが故に
起こるべくして
起こっている
出来事なのでは
ないでしょうか?
聡明才弁は
官僚や各部署の
リーダとしては
有能な資質かも
知れませんが、
孔子さまは
論語の季氏第十六で
こう仰っています。
「陪臣(ばいしん)
国命を執(と)れば、
三世(さんせい)にして
失わざること希なり。」
陪臣とは、
官僚のことを指します。
官僚が国の政治を
取り仕切るようになると、
三代続くことは希である。
と述べております。
いわゆる
聡明才弁の資質の
限界を語った
ものと思われます。
そして、
権力を失い
そこで
磊落豪雄が割拠して
国の混乱が生じて
最後には
深沈厚重たる
徳の高い人物が
国を治め、
聡明才弁の人物や
磊落豪雄の人物を
適材適所に配置し
権限を委譲して
任せていく
スタイルこそ
理想的ではないでしょうか?
今日は
呂新吾さんの
『呻吟語』の
リーダーとしての資質を
論語の中の
孔子さまの語られた
お言葉を交えて
みなさんに
共有していただきました。
生かしていただいて
ありがとうございます。
思想家である
呂新吾(りょしんご)さんの
『呻吟語』(しんぎんご)
という著書の中に
リーダーの
資質としての
重要な性格として
以下のように
述べられています。
皆さんにも
役に立つと思います。
共有してください。
深沈厚重是第一等資質
磊落豪雄是第二等資質
聡明才弁是第三等資質
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)
なるは、
是れ第一等の資質なり。
磊落豪雄
(らいらくごうゆう)
なるは、
是れ第二等の資質なり。
聡明才弁
(そうめいさいべん)
なるは、
是れ第三等の資質なり。
深沈厚重
(しんちんこうじゅう)が、
リーダーとして
一番重要な資質とは、
沈思黙考
(ちんしもっこう)
いわゆる、
深く静かに物事を考え、
重厚な性格を
持っていることであり、
私利私欲を抑えた
公平無私な
「人格者」でなければ
ならない。
磊落豪雄
(らいらくごうゆう)が、
二番目に
重要な資質とは
細かいことに拘らず、
物事にもこだわらず、
つまり型にはまらない。
度量が大きい性格を
もっている人物である。
聡明才弁
(そうめいさいべん)が、
三番目の資質
いわゆる、
リーダーとしての
資質としては
一番優先順位が
低いとしている。
頭がきれて、
才能が有り、
弁舌巧みな人物である。
と呂新吾さんは
仰っています。
論語の中の
泰伯第八の205にも
以下のように
述べられています。
子曰、巍巍乎。
舜禹之有天下也。
而不與焉
子日(のたま)わく、
巍巍乎(ぎぎこ)たり。
舜(しゅん)・禹(う)の
天下を有(たも)てるや。
而(しこう)して
与(あずか)らず。
「孔子さまが仰るには、
何と(徳の高く尊い)
立派なことであるか!
舜と禹が、
天下を治めた方法は、
自らが、直接的に
政治に関与せず、
有能な部下を信頼して
任せきった所にある」
とあります。
古代中国では
理想的な君主として
尭(ぎょう)を含め
舜(しゅん)禹(う)を
3人組と称します。
尭から舜へ、
また舜から禹へ、
有徳の人へ帝王から
禅譲で政権が
譲渡されたことから
孔子さまは
上記のことを
述べられたのだと
思います。
その中の
舜と禹の聖王が
天下を
統治されたことは
「巍巍乎たり、
而して与らず」
と述べられているのです。
「巍巍乎たり」が
山の高さの
偉大さのことで、
徳の高く尊い
という意味で、
堂々として
立派なものだと
仰っています。
そして
「而して与らず」
舜と禹は
政治を独占しなかった。
磊落豪雄の臣下や
聡明才弁の臣下に
権限を預ける
器量があった。
いわゆる、
深沈厚重たる
第一等の人物で
あったのです。
特にこの論語の
泰伯編は
泰伯(大伯)という
大変、徳の高い人物の
名前を冠した編です。
有徳のリーダーとは
どういうものかを
孔子さまが
語っておられる編で
ありまして
大変ためになります。
この泰伯さん自身も
下記のように
語られています。
紹介します。
「泰伯は
それ至徳(しとく)と
謂(い)うべきのみ。
三たび天下を以て譲る。
民得て称するなし。」
とあります。
意味としては、
泰伯は徳の極致と
いうべき存在である。
己の天下を譲って、
絶対に
自分が取ろうとは
しなかった。
泰伯の譲り方が
譲ったと
わからないような
ものだったので、
民衆も
称することが
できなかった。
泰伯さんは
自我の一切無い
自分の中にある
良心を開眼した方だと
思います。
泰伯さんのように
特に国を治める
リーダーとしての
立場を持ちながら
自分の美徳を
ひけらかすこともなく
民衆が気がつかぬまま
禅譲する見事な振る舞い。
まさに、
深沈厚重たる
第一等の資質を持った
人物です。
本当に徳の高い人は、
自分のなす
善なる行為を
喧伝する必要を
感じない人物ですので、
有名な人の中には
いないのかも
しれませんね。
こういった
舜や禹、泰伯さんの
ような
深く静かに物事を考え、
重厚な性格を
持っていながら、
私利私欲を抑えた
公平無私な
「人格者」の
リーダーの出現が
地球規模で
待ち望まれているの
ではないでしょうか。
日本においても、
政治や企業における
リーダーの
不祥事が数多く
報道されて
おりますが、
ただ、聡明才弁である
いわゆる、
頭が切れて、
弁が立つ人物が
第一等として
リーダーに
据えているという
勘違いを
しているが故に
起こるべくして
起こっている
出来事なのでは
ないでしょうか?
聡明才弁は
官僚や各部署の
リーダとしては
有能な資質かも
知れませんが、
孔子さまは
論語の季氏第十六で
こう仰っています。
「陪臣(ばいしん)
国命を執(と)れば、
三世(さんせい)にして
失わざること希なり。」
陪臣とは、
官僚のことを指します。
官僚が国の政治を
取り仕切るようになると、
三代続くことは希である。
と述べております。
いわゆる
聡明才弁の資質の
限界を語った
ものと思われます。
そして、
権力を失い
そこで
磊落豪雄が割拠して
国の混乱が生じて
最後には
深沈厚重たる
徳の高い人物が
国を治め、
聡明才弁の人物や
磊落豪雄の人物を
適材適所に配置し
権限を委譲して
任せていく
スタイルこそ
理想的ではないでしょうか?
今日は
呂新吾さんの
『呻吟語』の
リーダーとしての資質を
論語の中の
孔子さまの語られた
お言葉を交えて
みなさんに
共有していただきました。
生かしていただいて
ありがとうございます。
2011年12月4日日曜日
“「真我」に到達する方法”
本日は
仏教の中心的な
教えのひとつである
「四無量心」
(しむりょうしん)を元に
書かせていただきます。
ます。「四無量心」は
慈悲の心を
高める修行であり、
与える愛の大切さ、
与える愛とは
何なのか?を
しっかりと
つかむことができます。
また、
人びとに対する
祝福の心を
つかむことができます。
「四無量心」とは
「慈」(じ)
「悲」(ひ)
「喜」(き)
「捨」(しゃ)
それぞれに無量心を下に
つけて
「慈無量心」
(じむりょうしん)
「悲無量心」と
(ひむりょうしん)と
繋がっていきます。
これは、5月5日の
私のブログでも
取り上げました。
参照してください。
「慈」とは、
他の人の
幸福を心から願う心。
「悲」とは、
他の人の
苦しみや悲しみを
取り除いて
あげようという心。
「喜」とは、
他の人が
幸福になった姿をみて
満足できる、
心から喜べる心。
「捨」とは、
他の人が
幸福になった姿をみて、
とらわれない心。
(嫉妬心がわかない・
心が揺れることがない。)
それぞれ
「慈」「悲」「喜」「捨」
の四つの徳目が
無限に
どこまでも成長させる
ことができるという
意味で
無量心といいます。
私たちは、
人のために
役にたちたいと
いう心を
先天的に持っています。
それが
「四無量心」の中の
「慈」「悲」の心です。
しかし、
三次元波動の
肉体や物質に
とらわれて
鈍感になっています。
その三次元波動から
心を解放して
本来の真我を素直に
引き出すこと。
それが、この
「慈無量心」
「悲無量心」の実践です。
この実践は
今日一日の
行動を点検する
ことによって
無限に
成長させる
ことができます。
今日一日の
終りに
静かな場所で
2~3回深呼吸を
してください。
鼻で息を吸って
お腹の下に空気を
落として(丹田)
一回止めて
息を吐きます。
吐くときはゆっくりと
吐きます。
(吸った時間の倍以上かけて)
そして目を瞑り
眉毛と眉毛の
真ん中の少し上
(チャクラ)を意識して
まず次にあげる
5つのステップに沿って
思い描いてみて下さい。
(1)ステップ
今日、会った方
一人ひとり
(家族・知人・友人・
会社の方・その他)を
思いだして下さい。
その方たちに、
どういう思いを
出したでしょうか。
(2)ステップ
そうした人たちに、
具体的に幸福を願う心、
祈る心をだせたか
どうかの点検を
して下さい。
(3)ステップ
出会った人、
一人ひとりの
幸福を願いましょう。
自分にとって
千載一遇の
出会いなのです。
一期一会、
縁があるから出会える。
気持ちを込めて。
(4)ステップ
出会った人が
苦しみや悲しみが
あるのなら
それを取り除いて
あげようという心。
それは、
苦しみや悲しみが
実体としてある
というのではなく、
既に、そのままで
完全円満であること。
その人に
内在する神の完全性、
無限性を拝むように
祈ります。
愛の具体化のために
愛の架け橋になる
気持ちを込めて。
(5)ステップ
慈悲の心を
段階的に広げていきます。
① 家族に対する
愛の念い、慈悲の念い。
② 友人・知人。
③ 自分の住む町の人たち。
④ 自分の住む国の人たち。
⑤ 地球全体、宇宙全体を
つつむ念い。
(太陽の慈悲のような念い)
ここまで広げますと、
神や仏の慈悲の心の
一端を感じれるように
なってくるでしょう。
真我に到達する
きっかけになります。
この「四無量心」における
「慈」「悲」の点検を
することによって、
自分に対する
変革課題も
明確になってきます。
他の人の幸福を
願うにも実力が
あると思います。
今、自分自身が
苦しみや悲しみの
渦中にあるのに
他人の
幸福どころではないと
思っている方も
いるかも知れません。
しかし、
悩みごとの本質は、
何故悩んでいるかを
分析してみますと、
奪う愛になっています。
今がどんな現状でも、
それでも
私たちは
大きな慈悲で
生かされているのです。
「四無量心」の点検は
まず、生かされている
ことに対して感謝を
することです。
現状への感謝の
基礎を固めた上で
行動をしますと、
必ず積み上がって
行くのです。
とにかく現状への
感謝をする磁気が、
この世では
とても、大切なのです。
そして、
与える愛に
念いを切り変えて
今日一日の点検を
することで
解消できていくのです。
愛の心は
日常的に
使っていないと、
愛の念いを
いつもいつも
出していかないと
錆びついてしまいます。
愛は使っても使っても
減ることは
ありません。
私たちが
惜しみなく
他の人たちを
満たそうとする時
他の人たちの心を
潤そうとする時に
神や仏の力が
無限の愛が、
無限の智慧が
無限の光が
無限の豊かさが
無限の勇気が
こんこんと
湧き出てくるのです。
自分に内在する
無限を信じることです。
与えることによって
無限が生じるのです。
奪う愛は
限定の自分
有限の自分です。
苦しみ、悲しみ
悩みの元は
小さな自分に
閉じ込めているから
起こります。
この世だけに視点を
おいた見方
金銭にしても
健康にしても
容姿にしても
家や財産にしても
あの世に
持っていけるものは
何も無いのに拘らず
それに囚われるから
悩むのです。
人は必ず
この世を去ります。
悩みの対象物は
すべてこの世だけで
消える内容なのです。
結局は
自分の内在神への
自覚を持てない限り、
よそ見ばかりして
迷うことに成ります。
その自覚を持つための
自己点検として
この「四無量心」の
徳目をチェックして
みましょう。
『今日は残りの人生の最初の日』
今、この瞬間に
愛を与えていきましょう!
それは、
自分の心の中にある
良心を見つめる行為です。
その良心こそ
内在神なのです。
「四無量心」の実践は
内在神をみつめる
習慣を醸成します。
「真我」に到達する
方法なのです。
生かして頂いて
ありがとうございます。
2011年12月2日金曜日
“「創造者」としての自覚”
人間は何故、
まだ来ない未来に対して、
いろいろと
心配するのでしょう?
人間は何故、
もう既に
過ぎた過去の出来事に
思い悩むのでしょう?
前者を
取り越し苦労と言い
後者を
持ち越し苦労と言います。
人間には未来も
過去も本当は
存在しないのです。
すべては今、
この瞬間しか
確かな時間は
無いのにも拘らず
この今と言う瞬間に
過去と未来を
持ち込んできます。
今と言う時間を
過去と未来で
占有させてしまいます。
それでは
今を生きていない
ことになります。
今しかないのに
今を生きていない
と言うことは
何も生きていないことと
同じことです。
過去はどんなに
思い悩んでも
悔やんでも
既に飛び去ったのです。
未来は
今の自分自身が
継続して蓄積して
行くのです。
今、目の前に
現れている事だけに
集中すれば
いいだけなのです。
未来は、
今の瞬間の連続に
過ぎないのです。
私たちは
完全自由な神性が
宿っている
存在であることに
今、気づくことです。
私たちは
創造者である
神の子であり、
神の創造的性質を
持つものです。
単なる肉体と言う
物質存在では
ありません。
物質は自発的には
動くことは
できない存在です。
それなのに
何故?あなたは
自由に動くことが
できるのでしょうか?
その物質を
動かすところの
精神エネルギーこそが
私たちの本質なのです。
私たちは
創造者の子にして
私たちも
創造者そのものなのです。
創造者である神が
過ぎた過去や
まだ来ぬ未来を
思い煩ったり
するのでしょうか?
神は何者にも
支配されることは
ないのです。
過去や未来や
どんな環境によっても
左右されることは
有り得ないのです。
私たちも創造者です。
創造者と言うのは
まだ、来ない未来を
心配したり
過ぎ去った過去を
思い悩んだりすることを
創造するのでは
ありません。
それは、
創造とは言わないのです。
それは自我という
偽者の我が
生み出す幻想にしか
過ぎないのです。
幻想に振り回されては
なりません。
既に無い過去や
まだ訪れていない未来に
今と言う瞬間を
費やされてしまい
本当の自分を
発揮することが
出来なくなっていきます。
未来は
今、創造したことの
延長上にあるのです。
今という瞬間が
未来を創るのです。
今というこの瞬間は
過去をも変える
力も持っています。
自分に内在する
創造者としての魂は
現在、只今
顕現することが
できます。
あなたが
今、
抱いている思いや
話している言葉や
なしている行いは
一瞬のうちに
過ぎ去り、
消え去っていきますが、
同時に
”何か”を
新しく創り、
生み出しているのです。
その”何か”とは
あなた自身です。
あなたは
つねに
「新しいあなた」を
創造し続けているのです。
あなたの
創造主は
あなた自身です。
自らが主人公なのです。
過去も未来も
どんな環境も
自分を歪めたりは
できないのです。
自分が主体で
創造している訳ですから
一切はすべて
自分の責任であり、
自分以外の他の
何者の責任では
ないのです。
今、あなたが
どんな環境であろうと
自らが自らの
主人公としての
自覚を持てば
良くも悪くも
自らの選択において
現われているに
過ぎないのですから
余計な取り越し苦労や
持ち越し苦労は
今日からよしましょう!
谷口雅春先生著作の
真理第9巻295ページに
こういう喩えが
書かれています。
紹介したいと思います。
『ある日、
父と子どもとが
花園の手入れをして
草花に
水をやっていました。
子どもは水道の栓に
ゴムホースを繋いで
ホースの先から出る水を
草花に注いでやるのが
楽しみでした。
ところが突然
その水道の水が
止まってしまったのです。
「お父さん
水が出なくなりました。」
と、その子どもは叫びました。
父は振り返って
ゴムホースを見ました。
見るとその子ども自身が
ゴムホースを右足で
踏んでいるのです。
「お前がホースを
踏んでいるではないか!」
と父は子に言いました。
子どもは気がついて
右足を上げますと
また元の通り
ゴムホースから
水か豊かに
噴出しはじめました。
ところが暫くすると、
子どもはまた叫びました。
「お父さん、また
水が止まりました。
足を上げているのに
水か止まったのです。」
父がまた
振り返ってみますと、
今度は子どもの
左足がゴムホースを
踏んでいました。』
という物語です。
この喩えが
教えているものは
まさしく、
神と私たちの関係性
並びに、
私たちに内在する
無限なる永遠なる
創造者の魂の存在を
伝えています。
私たちには既に
ありとあらゆる良き物を
与えられているのです。
しかし、
与えられているにも
拘わらず
自分の足で
ゴムホースを踏んでいて
無限の供給を
止めています。
過去は自分はこうだった!
今のシステムが悪過ぎる!
環境が悪い!
誰々が悪い!
私の未来はどうなる!
ゴムホースが詰まっている!
等々
ゴムホースの
せいにしています。
神の子の自覚とは、
一切はすべて
自分の責任である。
自分以外の
他の何者の責任でも
ないのである。
と自覚することなのです。
自己を一切者とする
自覚の発動こそ、
真に人間神の子の
自覚の証左であります。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、この瞬間
自分はすべてに責任を
負うところの
創造者であり
一切者であると
宣言しようでは
ありませんか!
過去や未来や
環境やゴムホースに
罪をきせるような
卑怯な真似は
よしましょう!
自分が自分の
主人公なのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
まだ来ない未来に対して、
いろいろと
心配するのでしょう?
人間は何故、
もう既に
過ぎた過去の出来事に
思い悩むのでしょう?
前者を
取り越し苦労と言い
後者を
持ち越し苦労と言います。
人間には未来も
過去も本当は
存在しないのです。
すべては今、
この瞬間しか
確かな時間は
無いのにも拘らず
この今と言う瞬間に
過去と未来を
持ち込んできます。
今と言う時間を
過去と未来で
占有させてしまいます。
それでは
今を生きていない
ことになります。
今しかないのに
今を生きていない
と言うことは
何も生きていないことと
同じことです。
過去はどんなに
思い悩んでも
悔やんでも
既に飛び去ったのです。
未来は
今の自分自身が
継続して蓄積して
行くのです。
今、目の前に
現れている事だけに
集中すれば
いいだけなのです。
未来は、
今の瞬間の連続に
過ぎないのです。
私たちは
完全自由な神性が
宿っている
存在であることに
今、気づくことです。
私たちは
創造者である
神の子であり、
神の創造的性質を
持つものです。
単なる肉体と言う
物質存在では
ありません。
物質は自発的には
動くことは
できない存在です。
それなのに
何故?あなたは
自由に動くことが
できるのでしょうか?
その物質を
動かすところの
精神エネルギーこそが
私たちの本質なのです。
私たちは
創造者の子にして
私たちも
創造者そのものなのです。
創造者である神が
過ぎた過去や
まだ来ぬ未来を
思い煩ったり
するのでしょうか?
神は何者にも
支配されることは
ないのです。
過去や未来や
どんな環境によっても
左右されることは
有り得ないのです。
私たちも創造者です。
創造者と言うのは
まだ、来ない未来を
心配したり
過ぎ去った過去を
思い悩んだりすることを
創造するのでは
ありません。
それは、
創造とは言わないのです。
それは自我という
偽者の我が
生み出す幻想にしか
過ぎないのです。
幻想に振り回されては
なりません。
既に無い過去や
まだ訪れていない未来に
今と言う瞬間を
費やされてしまい
本当の自分を
発揮することが
出来なくなっていきます。
未来は
今、創造したことの
延長上にあるのです。
今という瞬間が
未来を創るのです。
今というこの瞬間は
過去をも変える
力も持っています。
自分に内在する
創造者としての魂は
現在、只今
顕現することが
できます。
あなたが
今、
抱いている思いや
話している言葉や
なしている行いは
一瞬のうちに
過ぎ去り、
消え去っていきますが、
同時に
”何か”を
新しく創り、
生み出しているのです。
その”何か”とは
あなた自身です。
あなたは
つねに
「新しいあなた」を
創造し続けているのです。
あなたの
創造主は
あなた自身です。
自らが主人公なのです。
過去も未来も
どんな環境も
自分を歪めたりは
できないのです。
自分が主体で
創造している訳ですから
一切はすべて
自分の責任であり、
自分以外の他の
何者の責任では
ないのです。
今、あなたが
どんな環境であろうと
自らが自らの
主人公としての
自覚を持てば
良くも悪くも
自らの選択において
現われているに
過ぎないのですから
余計な取り越し苦労や
持ち越し苦労は
今日からよしましょう!
谷口雅春先生著作の
真理第9巻295ページに
こういう喩えが
書かれています。
紹介したいと思います。
『ある日、
父と子どもとが
花園の手入れをして
草花に
水をやっていました。
子どもは水道の栓に
ゴムホースを繋いで
ホースの先から出る水を
草花に注いでやるのが
楽しみでした。
ところが突然
その水道の水が
止まってしまったのです。
「お父さん
水が出なくなりました。」
と、その子どもは叫びました。
父は振り返って
ゴムホースを見ました。
見るとその子ども自身が
ゴムホースを右足で
踏んでいるのです。
「お前がホースを
踏んでいるではないか!」
と父は子に言いました。
子どもは気がついて
右足を上げますと
また元の通り
ゴムホースから
水か豊かに
噴出しはじめました。
ところが暫くすると、
子どもはまた叫びました。
「お父さん、また
水が止まりました。
足を上げているのに
水か止まったのです。」
父がまた
振り返ってみますと、
今度は子どもの
左足がゴムホースを
踏んでいました。』
という物語です。
この喩えが
教えているものは
まさしく、
神と私たちの関係性
並びに、
私たちに内在する
無限なる永遠なる
創造者の魂の存在を
伝えています。
私たちには既に
ありとあらゆる良き物を
与えられているのです。
しかし、
与えられているにも
拘わらず
自分の足で
ゴムホースを踏んでいて
無限の供給を
止めています。
過去は自分はこうだった!
今のシステムが悪過ぎる!
環境が悪い!
誰々が悪い!
私の未来はどうなる!
ゴムホースが詰まっている!
等々
ゴムホースの
せいにしています。
神の子の自覚とは、
一切はすべて
自分の責任である。
自分以外の
他の何者の責任でも
ないのである。
と自覚することなのです。
自己を一切者とする
自覚の発動こそ、
真に人間神の子の
自覚の証左であります。
『今日は残りの人生の最初の日』
今日、この瞬間
自分はすべてに責任を
負うところの
創造者であり
一切者であると
宣言しようでは
ありませんか!
過去や未来や
環境やゴムホースに
罪をきせるような
卑怯な真似は
よしましょう!
自分が自分の
主人公なのです。
生かしていただいて
ありがとうございます。
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