私たちは
自分が発した言葉に
責任を負わなければ
いけません。
新聞やYVのニュース
等を見ていても
感じるのですが
世界的に
政治や企業の
リーダーたちの
言葉が
軽いように思います。
或いは
報道の仕方が
偏っているのかも
知れませんが
そう感じます。
しかし、
そのリーダーを
選んだのは
自分たちであるので
今の私たちの
総意であることも
事実です。
今、総意が変わろうと
していて
リーダーや
システムが
変わろうとしています。
是非、
明るい未来を
力強い言葉で
先導していく
リーダーシップの
発揮できる
リーダーが
選ばれて欲しいと
願います。
言葉というものは
言霊と呼び
言葉に魂が宿るとして
日本では
古くから重要視
されてきました。
万葉集での
柿本人麻呂の和歌にも
「しきしまのやまとの国は言霊の
さきわふ国ぞま福(さき)くありこそ」
と歌われています。、
言葉を発すると
いうことは
まず思わなければ
言葉となりません。
ということは
自分の思いをこそ
点検しなければ
なりません。
思いは
念いの方が
強い言霊ですが、
この念いは
字を分解しますと
今の心となります。
今この瞬間に
何を念うかが
重要になってきます。
念いは発した瞬間に
一人歩きを始めます。
念いは
人を
破壊する念いでも
人を
いたわる念いでも
別個の
生きものの如く
行動するのです。
例えば
他の人に対して
送った
あらゆる破壊的な
念いは
その人にも
向かうけれど
自らの念いに反して
自らにも
破壊的な念いが
降りかかってくるのです。
念いというのは
自も他も区別が
つかないのです。
そういう意味では
念いは
発した瞬間から
すべてに影響を
与えていくのです。
自他に関わらず
波及して
いくのです。
自らが
発した念いが
自らに
根付いていきます。
その念いの頻度が
自らの魂の傾向性を
形作っていきます。
破壊的傾向に
固まっていけば
今生での問題集が
説き終わらずに
来世に持ち越しとなり
業(カルマ)として
刈り取らなければ
なりません。
私たちは
自らの念いをこそ
点検してください。
自分の念いが
どこから来るのかを
チェックして下さい。
自分の念いが
自我意識からの念いは
結局のところ
自と他を分離します。
しかし
念いは発した瞬間
自と他を区別せず
他にも届くけれど
自らにも戻ってきます。
ですから
自我意識から
離れない限り
他も幸福に
出来ないばかりか
自らも不幸に
なっていきます。
どんどん不幸を
再生産させて
いってしまうのです。。
真我意識から
念いを
発することです。
真我意識とは
いたわりです。
思いやりです。
慈悲の心です。
美しいものを
美しいと感じとれる
意識です。
愛のこころです。
自らの良心です。
神のこころ
神性です。
自我からではなく
真我から
念いを発するのです。
愛の念いは
他に遍く届き
そして
自分にも及んできます。
真我意識は
発しているだけで
みんなが幸せに
なってきます。
見返りを求める
必要はないのです。
私たちが発した
愛の分量は
私たちにも
戻ってくるのです。
いや、何倍にも
戻ってくるのです。
その愛は
天界の蔵にも
貯蓄できるように
なっています。
「天の蔵に徳を積む」
ことで、
来世にもその徳を
使うこともできるのです。
幸福をどんどん
再生産していくのです。
自我意識に
囚われている以上
不幸を再生産して
いきます。
(By.Phoyo,Akiyo.I)
真我意識を
発見してください。
それは
ほんとうのあなたの
心なのです。
見つからない訳が
ないではありませんか。
真実の
自分なのですから。
真我である
愛を
見つめてください。
そして
念いを
愛から
発することです。
意識して
そうするのです。
意識して
発し続けてください。
やがて、
意識せずとも
愛の心で
念うことが
当たり前に
なってきます。
それ以外
念えなく
なってきます。
それが
私たちの
幸福への道です。
私たち
一人ひとりが
本来の姿である
真我から発する
念いが
人々に伝わり
受け取った人から
またその念いが
伝わっていきます。
まさに
愛の念いを
拡大再生産をしていく
それが、
世界をも
平和にしていくのです。
『今日は残りの人生の最初の日』
私たちの念いが
愛と思いやりに
満ち溢れたものに
なっていけば、
少なくとも
私たちの周囲は
照らすことができます。
まず、
今日一日、
「ありがとう」を
投げかけてください。
それを
「愛しています」と
念いながら
実施してみてください。
それが
一隅を照らす
ことになり
世界を
平和にしていく
よすが(縁)となると
確信します。
ありがとうございます。
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