2011年8月16日火曜日

「自分の本質を知る!」


昨日は
近くの氷川神社に
感謝参りに
行ってきました。

以前書いた
「茅の輪くぐり」
7月4日号ブログ参照)
でも紹介しましたが、
毎月1日と15日近くの
土・日に行っています。
昨日は
お盆休みでしたので
行ってきました。


いつものように
感謝の言葉を述べ
二礼二拍手一礼をして
お賽銭箱の横に
おいてある
「生命の言葉」の
短冊を
頂いてきます。

昨日の短冊には
こう書いてありました。

「知って行わざれば
知らずに同じ」

「いくら頭で知っていても、
実際に行わなければ、
知らないことと同じである」
『慎思録』

この言葉は、
貝原益軒さんという
江戸前期の儒学者の
言葉です。

裏の解説に
こう書いてあります。

「人生まれて
学ばざれば
生まれざるに同じ、
学んで
道を知らざれば
学ばざるに同じ」
に続く言葉。

人は生きていくには
勉強しなければ
ならない。
そして、
正しい道理を知り
それを
役立たせなくては
ならない。
そして、
それを実際に
行動に移さなければ
何の意味も
ないのである。
教育とは何かを
説いた言葉である。

知行合一
(ちこうごういつ)と
いう言葉がありますが
陽明学の中心の
思想でもあります。

また、
知るだけでは
それは知識であり
実践して
はじめて
智慧となるのである。
も学んだことが
あるでしょう。

私たちは
正しい道理(真理)を
知ったならば
まず、実践して
それが真理である
実感を体得します。


真理を体得した
感覚として
精妙なる至福感に
満たされていきます。
平和であるという
安心感や
統合されていく
一体感が自分の中から
醸成されます。

その気持ちは
味わったものの
しるしです。

その気持ちを
他の人にも
味わってもらいたいと
思います。

正直
言葉では
正確には
伝えられません。
体験に
基づいたものです。

それを
出来るだけの
表現を用いて
伝えます。

何を伝えたら
いいのでしょう?

私は
究極的には
自分と言う
人間の本質を
知ることを
伝えます。

それを
知らずして
この人生を終えては
ならないからです。

私たちが
真理を
学ぶということは
自分を知ることです。

自分の本質を
知ることです。
自分の中に内在する
神を知るということです。

神の居るところに
自分が居り、
自分の居るところに
神が居る。
この神聖なる
自分の本質を
知ることです。
本質である神に
自分をすべて
委ねるのです。

私たちは
自我意識、
肉体意識で
もがけばもがくほど、
苦しみは
拡大していくのです。
私たちは
この形ある人間に
囚われていて、
四苦八苦しています。
この形から
離れなければ
なりません。

私たちの中に
内在する本源の
神が存在しているのです。
無限なる神が
内在しているのです。

天国は
遥か空の彼方に
あるのではないのです。
私たちの内に
その場所はあるのです。
それが
イエスさまが
仰った
“天国は汝の内にあり”の
意味なのです。

お釈迦さまも
「内観をしなさい!」と
お弟子さんたちに
仰っていました。
外観を見なさいとは
一言も言っていません。
「内を観よ!」と
言ったのです。

そこに
本質があるからです。
そこに涅槃の境地が
あるからです。
それは無限なのです。

私たちが
無限を認めたとき
はじめて
無限を知ることに
なります。
その無限を
受け入れた時
無限に満たされて
いくのです。

無限の自覚です。
その自覚を持って
自分の主なる無限を
愛していくのです

無限を感じたときに
苦難や困難は
彩(いろどり)を変えて
いくのです。
それは
悩み、苦しみから
離れて
無限の進化へと
飛翔していくのです。

真理を知る
ということは
自分を知ると
いうことです。
無限なる自分を
知るということです。

そして
真理の導き手は
常に
私たちと共に
一番近くに
私たちの中心に
在るということを
今日は
伝えたいと思います。

ありがとうございます。

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