昨日は
ある教団の方と
お話する
機会がありました。
私は
あらゆる宗教は
神仏の教えを
説いているのであり、
否定する
立場ではありません。
寧ろ
この唯物的な
物質至上主義が
行き過ぎた
現代社会に
警鐘をならす立場からは
奨励していると
言えます。
その教団の方は
両親共が
谷口雅春先生の
「生長の家」の信者さんで
若いときから
「生長の家」に入会し
学んでいました。
その後、
「生長の家」の本部講師も
されていた方です。
そこで
出会った女性と結婚し
一男一女を儲けました。
その後
約30年前に
「生長の家」を辞め
現在の教団に
入会したそうです。
勿論、
私もその教団は
知っています。
すばらしい教団でした。
なぜ、「でした」と
言ったかと言いますと、
その教団の方と
お話をしていて、
今まで、
自分が理解していた
教団の姿が
変質を
していたからです。
その方が
仰るには
教団の創業者は
『イエスさまが
「我が父よ!」と言われた
その「父」なのです。』
と言ったからなのです。
私の理解としては
イエスさまが、
「我が父よ!」と
仰った方は
創造主である神と
思っています。
その方に聞いても
「そうです!」と
断定されました。
その教団では
最近は
海外への伝道活動も
積極的に行なわれ
「イエスさまが
我が父」と
仰った存在が
下生(げしょう)され
究極の教えを
説かれていることを
宣伝にして、
多くの信者を
集めていると
いうことでした。
以前はそんなことは
言っていませんでした。
勿論、
すべての存在
生きとし生けるものに
神なる性が
宿っており
「自らが神だ!」と
捉えても
間違いとは言えません。
しかしながら
「自らのみが神だ!」となると
一挙に胡散臭く
なってきます。
その教団は
その創業者の写真を
ご本尊として
拝礼の対象と
しています。
イエスさまにしても
お釈迦さまにしても
自分が神だ!
自分が仏だ!とは
言いませんでした。
イエスさまは
「私と父と聖霊の
名の下にアーメン」と
祈られます。
お釈迦さまは
覚られた方という
意味で
仏近き存在として
崇められ
「仏陀」と
呼ばれたのです。
この教団のことを
糾弾するつもりは
ありません。
その教団の方との
お話を一部
書いているに過ぎません。
7月30日の
私のブログ「宗教とは?」に
私の宗教観は
書きましたので
参照してください。
ここで
少し抜粋します。
『私たち
ひとりひとりに
神性が備わっています。
その内在する神を
信じることこそ
究極の宗教です。
私たちと
神とを分離させ
外に神を
求めさせる教義は
また、
万人が
内に持つ力よりも
対象となる
特定の人間や物を
偶像として
力を与える教義が
問題なのです。
私たちは
ひとりひとりが
自らの内奥にある神性を
自らが課した
あらゆる体験を通して
顕現していく
目的で
この現象界に
生まれてきます。
どんな苦難や困難
病や死にも
重要な意味が
隠されています。
その価値を経ずして
何かがあると
外に依存して、
その苦を
取り払おうとする行為は
自らが持つ神を
否定する行為です。
すべてとは
言いませんが
多くの
宗教の中に
神や仏と
私たちを分離し
神を恐れの対象にしたり
それを信じないものを
排斥したりします。
人間には
それぞれの
真理の発見の
仕方があります。
それぞれに
自分の問題集を
解いています。
真理に至る道も
それぞれです。
問題ではありません。
愛から発する、
あたたかみや
慈しみを感じ
共感できるものこそ
真理なのです。
最終的な判断は
私たちの
内なる声から
聞こえるところの
直感に従うことです』
(抜粋了)
こう思っています。
神を
遥か雲の遠い
彼方に追いやり
私たち
一人ひとりと
神とを分離させたり
特定の神を作って
それを
絶対視させることも
私たちと
神との関係を
遠いものにしています。
我が神しか
信じないものが
宗教という名の下に
お互いが正しいとして
殺しあっています。
それは神ではなくて
神の名を語った
誰かの
野望を果たすために
神を
利用しているとしか
思えません。
その人は
自らの中に真実の神を
感じたことは
ない筈です。
私たちと
神とを分離させる
如何なる教義も
如何なる団体も
危険を孕んでいます。
神は「ここに見よ、
あそこに見よ」と
いう如くにいるのでは
ありません。
至る所に
神はいるのです。
そのことを
知ってください。
神は、
無限空間に
満ち満ちている、
偉大なる「生命」です。
そのことをを
知ってください。
神は、
宇宙を
支配しているところの
「愛」なのです。
そのことを
知ってください。
神は
万有万物
生きとし
生けるものすべてに
存在しています。
そのことを
知ってください。
そういう意味では
神と私たちを
引き離し
私たち一人ひとりを
引き離すものからは
一線を画すことです。
神と私たちは一体です。
私たち一人ひとりも
一体です、
神を離れて
私たちは存在しません。
神我一体です。
私たち一人ひとりも
お互いに
自他一体なのです。
統合する道
世界が宇宙が
助け合い、育み合い
まとまる道を示すこと。
愛を実践し、
愛を人々に
拡大していくことこそ
救済であり、
ほんものの宗教では
ないでしょうか?
ありがとうございます。
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