2011年12月30日金曜日

“次元の意味と参拝について”

今日は30日
年の瀬も押し詰まって
来ましたね。
皆様は
いかがお過ごし
でしょうか?

お仕事を終えて
のんびりして
いらっしゃいますか?
それとも
大掃除の途中で
一服して
いらっしゃる方も
おられることでしょう。

日本も世界も
今年一年
いろいろな出来事が
起こりました。

2012年を
迎えるにあたり、
皆様一人ひとりの
それぞれの意識の中に
去来する思いが
浮かんでくるのでは
ないでしょうか。

今年も多くの方が
どこかに参拝に
行かれることと
思います。

そこで
どこかの
寺社や神社で
参拝するにしましても

参拝に臨む
心構えについて
お話しを
進めてみたいと
思います。

各人各様
それぞれの念いを
持って参拝されると
思いますが
参拝される前に
もう一度
自らの念い、
意識と言うものを
点検して
頂きたいのです。

そこで、
皆様にお話して
おかなければ
ならないことが
あります。

それは、
次元という言葉に
ついてです。

皆様は
次元という言葉を
聞いたことが
あると思います。:

三次元だとか
四次元だとか
十次元とか
聞いたことが
ありませんか?

よく宗教や精神世界の
指導者が言っています。
「私は九次元の存在です!」
だとか
「あなたは○次元です!」
とか?

では、
実際にそういう
分離された次元と
いうものが存在
するのでしょうか?

次元とは私たちの
意識の状態のことを
言っています。
私たちの意識に
すべての次元が
存在しています。

しかし、元々は
神一元という
一つの次元しか
存在しないというのが
霊的真実です。

私たちが
肉体人間として
長く物質世界を
送っている間に
本来は神一元である
完全なる意識を
様々に分離し
低めていって
様々な意識状態を
創造していきました。
そして、
何次元とか言っているに
過ぎないのです。

私たちは
今、どの次元に
意識状態を置いて
いるのかということを
点検しなければ
なりません。

私たちが今、
物質のみを重視して
いるならば
そのことを指して
三次元の意識状態に
今、在ると
いうことであって

次元と言う領域が
ある訳では
ありません。
次元はどこにも
存在しません。

私たちの意識にのみ
存在するのです。
ということは
自分次第で
どの次元にも
意識を向けることが
できるということ
なのです。

ですから、
まず、自らの意識が
どこにあるのかを
点検しなければ
ならないと
言っているのです。

怒りや恨み或いは
嘆きや悲しみ
単なる金銭や
個人の欲得の意識を
持って参拝をしますと、
その時に寄る神気は、
同じような種類の
次元の邪気が
集まってくるからです。

平安や安らぎ
今、生かされている
ことに対して
感謝の気持ちで
参拝をしますと、
感謝が増幅される
ような次元の
有り難い神気を
引き寄せていくからです。

参拝の時の次元
そのままに
現れてくるのです。

私たちを
照らす鏡のように
神気は瞬間で変わります。
変幻自在です。
私たち参拝する者の
意識次第であるのです。

私たちには
元々、
神一元なる
完全意識が
備わっています。

自身の内在神に対して
感謝を献げ
神と一体となり
今年一年最善と
最高を尽くすことを
決意することを持って
参拝するのです。

欲得で
お願い事ばかりを
してはいけません。

同じ次元の
波動を持った
彷徨える霊的存在が
参拝をする者を
頼りにして、
瞬時に集まるのです。

欲しいものと
欲しいもの同士
その願いは相殺され、
妨害する出来事が
次々と現れることに
なります。
注意をしてください。


あなたは、
今どこに
おられるのでしょうか?

どこに
住んでいようとも
神のような
意識そのもので
愛で満たされて
いるならば
あなたは
高次元の従者であります。

次元が区切られた
特定の場所に
あるわけではなく、

どこに意識を向けて
生きているのかが
問われているのです。

私たちの魂は
自由自在です。
融通無碍です。

私たちの実相は
神一元であるのです。

私たちは神の子で
あるのです。
神に不可能は
ありません。
神のすべての御技を
自分と言う
媒体を通して
顕現せしめること。
完全状態になること。

それが、
この世に
生まれてきた目的です。

日常生活の中に
神を実践していくこと。

自分の想念と言う。
汲んでも汲んでも
減らない
無限の智慧が
存在しているのです。

ただ、
それを自覚して
いないだけなのです。

無限の智慧から
分離している人間は
誰一人もいません。

一個一個の
個人個人のすべての
生きとし
生けるものの
小さな智慧を
総計したもの、
その総計したものと
私たちとは
一体であります。

そうすると
すべての宇宙空間に
満ち満ちている智慧を
自由に受信したり
送信したりできるのです。

どこに意識を
向けるかによって
高度の次元の意識も
地獄の次元の意識も
受信できるのです。

悪霊的なものを
語るものは、
悪霊的な次元の
レベルであります。

無限意識、
普遍意識、
神意識という
宇宙を支配している
完全な次元を
意識することによって
神の智慧と力を
自分のものに
出来るのです。

そうすれば、
肉体という衣装を
纏っていながら
天国の従者で
あるのです。

平安と安らぎの中に
日々の生活を
送ることが
できるように
なってくるのです。

この一体観念に
ならない限り、
到底すばらしい
智慧と力を
くみ出すことは
できないのです。

そこから
分離するがゆえに
不調和になるのです。

自分の心が分離して
勝手に
不完全な人間と
思い込んでいるに
過ぎないのです。

神は実在し、
実際的で
現実的で
活動的であるのです。
すべて私たちの
意識に存在します。

視野を無限大にすれば
全宇宙を知ることに
なるのでしょう。
意識の目が
すべてを見、
理解するのだと
思います。
それがお釈迦さまが
得られました
宇宙即我なる
悟りなのだと思います。

一体から離れれば
迷える子羊、
放蕩息子、
迷い子になるのです。

無限宇宙は
神が抱擁していて
神の中から
外に一歩も
出ることはできません。
そのままで
神と一体であるのです。

迷える子羊でも
戻って来れます。
全体は我であり、
私はあなたであり、
あなたは私である。
自他一体、
全体一体であります。

宇宙意識を
素直に受け取って
いきましょう。

次元というのは
すべて
自分の中の
意識の状態であります

その意識を
高めることも
低めることも
自分の意識次第です。
自由自在に
どの次元にも
存在することが
できるのです。

私たち一人ひとりは
神より創られた
神の御子であり、
肉の御子では
ないのです。
人間の意志によって
この世に
誕生したものは
一人もおりません。

それを処女懐妊と
言うのです。
私たちの実相は
霊存在なので
イエスさまだけが
処女懐妊ではないのです。

人間の肉体は
神の宿るところの
乗り物に過ぎません。
その乗り物のことを
馬小屋と表現しました。
イエスさまだけが
馬小屋で産まれた
訳ではないのです。

結局のところ
神のご意志によって
生かされているのです。
誕生も死も
すべて神のご意志
であるのです。
神から出でて
神に還るのです。
これが
宇宙の法則なのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちは
今この瞬間に、
神の大調和の中に
没入することが
できるのです。

その次元には
自他の一体があります。
裁くものも無く、
憎めるものも無く、
粗末することも無く、
争うことも無く、
非難することない
愛と調和の体験が
現れる世界です。

それは真我なる意識
私たちの中の
内在神(仏)を
よく自覚して
健全な人生を
全うする道なのです。

これからの
参拝にあたって
書かさせていただきました。
参考にして
頂きたいと存じます。

今年はこのブログを
読んでいただいて
本当にありがとう
ございました。

2012年が
読者の皆様にとって
真我なる次元に
留まり
あらゆる出来事に
惑わされないように
不動心の一年に
なりますよう
祈りつつ2011年の
ブログは
終わりたいと思います。

生かして頂いて
ありがとうございます。

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