2011年12月2日金曜日

“「創造者」としての自覚”

人間は何故、
まだ来ない未来に対して、
いろいろと
心配するのでしょう?

人間は何故、
もう既に
過ぎた過去の出来事に
思い悩むのでしょう?

前者を
取り越し苦労と言い
後者を
持ち越し苦労と言います。

人間には未来も
過去も本当は
存在しないのです。

すべては今、
この瞬間しか
確かな時間は
無いのにも拘らず

この今と言う瞬間に
過去と未来を
持ち込んできます。
今と言う時間を
過去と未来で
占有させてしまいます。

それでは
今を生きていない
ことになります。
今しかないのに
今を生きていない
と言うことは
何も生きていないことと
同じことです。

過去はどんなに
思い悩んでも
悔やんでも
既に飛び去ったのです。

未来は
今の自分自身が
継続して蓄積して
行くのです。

今、目の前に
現れている事だけに
集中すれば
いいだけなのです。
未来は、
今の瞬間の連続に
過ぎないのです。

私たちは
完全自由な神性が
宿っている
存在であることに
今、気づくことです。

私たちは
創造者である
神の子であり、
神の創造的性質を
持つものです。

単なる肉体と言う
物質存在では
ありません。

物質は自発的には
動くことは
できない存在です。
それなのに
何故?あなたは
自由に動くことが
できるのでしょうか?

その物質を
動かすところの
精神エネルギーこそが
私たちの本質なのです。
私たちは
創造者の子にして
私たちも
創造者そのものなのです。

創造者である神が
過ぎた過去や
まだ来ぬ未来を
思い煩ったり
するのでしょうか?

神は何者にも
支配されることは
ないのです。

過去や未来や
どんな環境によっても
左右されることは
有り得ないのです。

私たちも創造者です。
創造者と言うのは
まだ、来ない未来を
心配したり
過ぎ去った過去を
思い悩んだりすることを
創造するのでは
ありません。

それは、
創造とは言わないのです。
それは自我という
偽者の我が
生み出す幻想にしか
過ぎないのです。

幻想に振り回されては
なりません。
既に無い過去や
まだ訪れていない未来に
今と言う瞬間を
費やされてしまい

本当の自分を
発揮することが
出来なくなっていきます。

未来は
今、創造したことの
延長上にあるのです。

今という瞬間が
未来を創るのです。

今というこの瞬間は
過去をも変える
力も持っています。

自分に内在する
創造者としての魂は
現在、只今
顕現することが
できます。

あなたが
今、
抱いている思いや
話している言葉や
なしている行いは
一瞬のうちに
過ぎ去り、
消え去っていきますが、
同時に
”何か”を
新しく創り、
生み出しているのです。

その”何か”とは
あなた自身です。
あなたは
つねに
「新しいあなた」を
創造し続けているのです。
あなたの
創造主は
あなた自身です。

自らが主人公なのです。
過去も未来も
どんな環境も
自分を歪めたりは
できないのです。

自分が主体で
創造している訳ですから
一切はすべて
自分の責任であり、
自分以外の他の
何者の責任では
ないのです。

今、あなたが
どんな環境であろうと
自らが自らの
主人公としての
自覚を持てば

良くも悪くも
自らの選択において
現われているに
過ぎないのですから
余計な取り越し苦労や
持ち越し苦労は
今日からよしましょう!

谷口雅春先生著作の
真理第9巻295ページに
こういう喩えが
書かれています。
紹介したいと思います。

『ある日、
父と子どもとが
花園の手入れをして
草花に
水をやっていました。

子どもは水道の栓に
ゴムホースを繋いで
ホースの先から出る水を
草花に注いでやるのが
楽しみでした。

ところが突然
その水道の水が
止まってしまったのです。

「お父さん
水が出なくなりました。」
と、その子どもは叫びました。

父は振り返って
ゴムホースを見ました。
見るとその子ども自身が
ゴムホースを右足で
踏んでいるのです。

「お前がホースを
踏んでいるではないか!」
と父は子に言いました。

子どもは気がついて
右足を上げますと
また元の通り
ゴムホースから
水か豊かに
噴出しはじめました。

ところが暫くすると、
子どもはまた叫びました。

「お父さん、また
水が止まりました。
足を上げているのに
水か止まったのです。」

父がまた
振り返ってみますと、
今度は子どもの
左足がゴムホースを
踏んでいました。』
という物語です。

この喩えが
教えているものは
まさしく、
神と私たちの関係性
並びに、
私たちに内在する
無限なる永遠なる
創造者の魂の存在を
伝えています。

私たちには既に
ありとあらゆる良き物を
与えられているのです。

しかし、
与えられているにも
拘わらず
自分の足で
ゴムホースを踏んでいて
無限の供給を
止めています。

過去は自分はこうだった!
今のシステムが悪過ぎる!
環境が悪い!
誰々が悪い!
私の未来はどうなる!
ゴムホースが詰まっている!
等々
ゴムホースの
せいにしています。

神の子の自覚とは、
一切はすべて
自分の責任である。

自分以外の
他の何者の責任でも
ないのである。
と自覚することなのです。

自己を一切者とする
自覚の発動こそ、
真に人間神の子の
自覚の証左であります。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日、この瞬間
自分はすべてに責任を
負うところの
創造者であり
一切者であると
宣言しようでは
ありませんか!

過去や未来や
環境やゴムホースに
罪をきせるような
卑怯な真似は
よしましょう!
自分が自分の
主人公なのです。

生かしていただいて
ありがとうございます。

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