2011年7月1日金曜日

“汝、殺すなかれ!”

昨日の内容
『身・口・意を正す』で
「身業の中の
汝、殺すなかれ!とありましたが、
世界的には、戦争の治まったことはなく
殺すなかれ!というのは、解らないでも
ありませんが、今の日本では、やはり、
馴染まないのではないかと思います。」
という、メールをいただきました。

その返事として、
“汝!殺すなかれ”について、
もう少し、
考察を加えて、
書いてみたいと思います。

生命は、
生きとし
生けるものすべてに
宿っており
人間だけに
宿っている
わけではありません。

植物や
動物、鉱物にも
生命は
私たちと同様に
宿っています。

人間だから
勝っていて、
それ以外だから
劣っていると
いうものでは
ありません。

そういった
観点からすれば、
対象になる存在は
無数にあることに
気がつきます。

お釈迦さまの言われた
“汝、殺すなかれ!”は、
いつでも、通用する
深い教えなのです。

私たちが、
肉体を持ち
この肉体を
維持していくためには
植物も
動物も
食する必要があります。

彼らの多くは
人間に
食されることについて
同意はしてくれています。

しかしながら、
その同意に対して
私たちは
感謝を
しているでしょうか?

当たり前と
思っていないでしょうか?

彼らを、
食する上において
彼らの生命と共に
生きていこうとする
決意があるでしょうか?

それは、
彼らが
喜んで、
同意をしてくれ
その生命を捧げ

私たちの
血や肉になって
くれたことに対して

『正しい生き方をする!』
という決意です。

彼らも共に、
真理の道を
体験したいのです。
私たちの
一部となって

私たちが
正しき道に
進むことこそ
彼らは
求めています。

それは、
彼らも
生かされるからです。
誰も、むやみに
殺されたくはないのです。

“汝、殺すなかれ!”

殺すということについて
もう少し、
別の観点から
書いてみましょう。

私たちの後から
生まれてくる生命、
また、
私たちが
肉体を離れた後に
生まれてくる生命、
未来の多くの生命に
対しての責任を
私たちは、
担っています。

今、私たちが
生きている
環境や社会に
ついての責任が
あります。

未来の生命に
どのような影響を
及ぼすのでしょう?

そういう観点から
考えたことはありますか?

殺すのは
何も
現在あるもの
ばかりとは限らず、
未来のものを
殺すことも
多いにあります。

あらゆるところに、
生命が待っており、
いたるところに、
未来が、
花を
咲かせようとしています。

しかし、
私たちは、
いつも、
それを
見て見ぬフリをして、
その多くの生命を
踏みにじっているのです。

私たちは、
いたるところで
つねに、
“汝、殺すなかれ!”
という過ちを
犯しているのです。

如何でしょうか?
“汝、殺すなかれ”は、
いつも、
私たちのテーマとして
避けては通れない、
重要なものです。

馴染まないと言う様な
単純なものでは
ありません。

『生命を頂く』
『生命を繋ぐ』
を意識し。

今日一日を
無駄に
生きることのないように
努めたいと思います。

ありがとうございます。

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