『今日は残りの人生の最初の日』
このブログの
タイトルです。
それは、下記の意味で
名づけました。
今日という括りしか、
私たちには
存在しません。
もっと、
厳密に言えば
今、
この瞬間にしか
確かな実在はありません。
だから、
昨日までの人生は
どんな人生だろうが、
もう、
既に
過ぎ去ったものです。
既に、
過ぎ去ったものに
しがみつき
それを、
実体のあるが如く
今をも、
心を占有し続ける。
それは、
幻想に過ぎないのです。
そういう意味で
『今日は残りの人生の最初の日』の
タイトルをつけました。
また、
これからの
未来の人生は
まだ、
誰にも来ていないし、
来る保障もありません。
それも、
実体のあるが如く
こころを占有します。
それも、
幻想に過ぎません。
そいいう意味では
『今日は残りの人生の最後の日』
でもあります。
過去も、
未来も
実体はありません。
それなのに
私たちの心は
いつも、
過去と未来に
占有されています。
それでは
今日を生きる。
今を生きる。
この瞬間、
瞬間を生きることは
できません。
それが
このブログで書いた
神道における
『なかいま』(中今)の
考え方の
意味合いでもあります。
時間の
永遠の流れのうちに
中心点として
確かに
存在している今を
それは、
神と共に
存在している
今のことです。
と書きました。
『なかいま』
(7月9日号ブログ参照)
何回も振り返って
読んで頂きたいと
思っています。
私たちは
今という、
この瞬間、
神と共に
存在しています。
神は
有限者ではありません。
無限者であります。
神は、
生きとし
生けるものを
排斥し
分離はしません。
育みそだて統合します。
無限であり、
統合であるならば、
私たちの
目の前に
現れるところの、
すべての現実は
「私たちが生み出した。」
ということを
認める立場にある。
ということになります。
「なぜ?そうなるの?
冗談じゃない!
そんなこと厳しすぎる!」
と聞こえてきそうです。
それは
私たち
ひとりひとりが
「私は、主人公である。」と
認める立場でもあります。
私という存在は
毎日、毎日
確かな実感を
持っています。
いくら
身近にいる
配偶者や
家族でも
私という存在の
ようには感じられません。
その確かな私が
「主人公」なのです。
「私は主人公」という
立場であるなら、
私の目の前に現れる
すべでの物語の責任は
私にあることになります。
今までのように
有限という立場を
取っていたとしたら、
自分に都合のいいように
判断をし
「これは必要だけど
これは不必要だ!」
「この人はいい人だけど、
この人は悪い人だ!」と
分類して
仕分けをしていました。
この立場に
立つ限り、
何か不都合や
問題が起った時、
私たちは、
その原因を
自分の外部に求めます。
その責任を
自分以外の外部に
転嫁しようと考えます。
「私は主人公」という
立場を選択した場合は、
すべては、
自己責任ですから、
例え、
不都合や問題が
起きようとも
その原因を
外には
求めなくなります。
すべて、
「私が、生み出した!」と
なります。
何か問題が
生じたとしても、
「誰が?」と
いう考えはとらず、
「どうして?
そうなったんだろう!」
という内部からの
問いかけが
湧き上がってきます。
その立場で
また、
新たな現実が
起きてきます。
そして、人は
自我の気づきを得て
有限から無限へと
飛翔していくのです。
どちらの道を
行くかは
それぞれに
委ねられています。
しかし、
どちらを
選んだとしても
いずれは
無限の道へ
進むことになります。
それは、
私たち
ひとりひとりが、
帰り着く
”一なる本源”が
そこであるからです。
だとするならば、
『今日は残りの人生の最初の日』です。
過去は
既に過ぎ去っています。
過去の
奴隷になってはいけません。
今、この瞬間に
この確かな最初の日に
「私は、主人公である。」と
宣言しましょう。
そして、
『今日は残りの人生の最後の日』です。
未来は不確実です。
幻想なのです。
今、この瞬間に
この確かな最後の日に
「私は、主人公である。」と
宣言しましょう。
この道は
創造者である
神へ向かう道です。
この道を
選択したとき
すべての人々や
出来事は
私たちを
進化へと導く
協力者以外の
何者でもなくなります。
困難、
苦難と見える
様々な出来事も、
敵のように
立ちはだかっていた
憎き人たちも、
自分を主人公とする
自分の物語に
彩をまた、
渋さを加え、
充実した偉大なる物語に
完成させようと
協力してくれた
名バイブレイヤーだったのです。
さあ、
今日という一日に
出会う出来事
出会う人々
出会う環境は
私たちが自我に
気づき
神我へと
到達するための
私たちへの
メッセージを携えています。
感謝の気持ちで
その
珠玉のメッセージを
受け入れて
いこうではありませんか。
ありがとうございます。
0 件のコメント:
コメントを投稿