2011年7月7日木曜日

「知足」

「足ることを知る」
この短い言葉の中に
重要な真理が
含まれています。

それは、
「今の、あなたは
そのままで完璧である」
と言う真理です。

そんなことはない!
と否定しますか?

しかし、
あなたにとって
最も深い意味において
もし、
今より完璧な
状態があるならば
今、あなたは
そのままでは
ないからです。

私たちは
意識を
進化させるために
この物質世界に
降りてきます、
それは、
私たちの
魂において
まだ、
学ぶべき点が
たくさんあるからです。

今ある状態こそが
自分に用意した
最高の舞台なのです。
完璧なのです。

「足ることを知る」

今の瞬間、
今のあなたそのままで、
既にどれだけのものを、
与えられているでしょうか?
不足でしょうか?

「足ることを知る」
ということは、
今の瞬間に
如何に
多くのものを
与えられているかを知り、
まず、
その事実に対して
感謝することでは
ないでしょうか。

老子さんの
教えの中にも
『足ることを知る者は富めり。
強(つと)めて行う者は志有り』
があります。
「(もっているだけのもので)
満足することを知るのが
富んでいることであり、
自分をはげまして
行動するものが
その志すところを
得るのである」
(『老子』小川環樹訳注/中公文庫)
とあります。

また、お釈迦さまが
今まさに
滅度されようとする
最後の時の
説法を伝える経典である、
仏遺教経
(ぶつゆいぎょうきょう)の中にも
この「足ることを知る」の
教えがあります。

「若し諸の苦悩を脱せんと欲せば、
まさに知足を観ずべし。
知足の法は即ち
富楽安穏の処なり。
知足の人は地上に臥すといえども、
安楽なりとなす。

不知足の者は富むといえども、しかも貧し。
不知足の者は常に五欲のために
牽かれて、知足の者のために憐憫せらる。
是を知足と名づく」
とあります。

私たちひとりひとりは
今、この瞬間そのままで
完璧なのです。

そして、
今回のこの世の目的は
「人は、完全である!」
ということを
思い出す旅です、

完全である。
完璧であるということは、
足りないものは
ないということです。

もともと
私たちには
不足しているものは
何もありません。

これからも
どの瞬間においても
完璧で
あり続けていきます。

ただ、それを
見ようと
しないだけなのです。

この世において
肉体をのみ
自分と思い
いつも
不足の気持ちで
物質的なものばかり
「欲しい!欲しい!」と
追い掛け回したところで
心が
満たされることは
永遠に
来ないのです。

今、足ることを知るのか
不足していると思うのかは
それは、
自らの選択に過ぎません。

足りているものに
意識の焦点を
合わせた人が、
満たされている人であり、
不足しているものに
焦点を合わせている人が、
満たされない人なのです。

「今日は残りの人生の最初の日」

今までがどうあっても
悔やむことは
ありません。
無駄なことです。
今日、
生まれたのですから。

来てもいないこれからに
不安や
焦燥感を持つなんて
それこそ、幻想です。
未来は、
今の瞬間を
どう考え、
どう生きるかの
集積なのですから。

「幸せになりたい!」
といくら思っても
達成することは
ありません。
それは、
前提として
「今が幸せでない!」
と思っている
不足の心です。

今、「知足」
「足ることを知り」
「今の、あなたは
そのままで完璧である」

この真理を
知った瞬間から、
絶対的な安心感と
馥郁とした安らぎに
こころが
満たされていきます。

さあ、
有り余るほどのものを
持っている
豊かなあなたを
点検してみましょう!
ひとつひとつ
ノートに
書き留めてみては
如何でしょう。
びっくりする筈です。

ありがとうございます。


(By Photo, Akiyo.I)

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