2011年7月13日水曜日

『告白的プロレス論』

本日は、
少し趣の変わったお話になります。
私のプロフィールの趣味の欄に
精神世界と並んで格闘技と書いてあります。

精神世界と格闘技に
どんなつながりがあるのかというと、
何もありませんね(笑)

告白でもあるのですが、
1973年5月4日のことです。
当時の格闘技と言えば、
プロレスです。
新日本プロレスの川崎市体育館での出来事です。

この日は、
プロレスファンなら
誰しもが知っている事件が起きました。
リングでは、
昨年8月に、お亡くなりになった山本小鉄さんと
スティーブ・リッカードさんの試合が行われてる最中でした。
客席から突如、
ターバンを巻いた大柄の外人がリングに乱入し、
山本小鉄さんを殴り、
コブラクロー(首を絞める技)で小鉄さんを失神させたのです。
それを、見ていた日本人の若者が、
その行為に激高し、
そのターバンの外人がリングを降りた瞬間、
飛び掛り、頭突きをその男に喰らわせました。
慌てたリングサイドに陣取っていた若いレスラー達が、
二人の間に立ちはだかり、一生懸命になって止めました。

その、ターバンの外人は、
その当時、日本では誰も知らないレスラー、
タイガー・ジェット・シンさんだったのです。
そして、そのシンさんに頭突きを喰らわしたのが、
今でも誰も知らない私(アーカメロディ)だったのです。
私たちの番外戦を止めてくれた若いレスラーたちの中には、
藤波辰巳さんやリトル浜田さんたちがいました。
その後、後で語る
『インディーズ活性化委員会』で知友を得た
グラン(リトル)浜田さんと
この話をして、大笑いをしたことがあります。

いまでこそプロレス界に“事件”は多数起こっていますが、
当時としては前代未聞の乱入劇でした。
その後、タイガー・ジェット・シンさんは
日本のプロレス界で長年に渡って大活躍をしています。
プロレスファンでなくても、
40代くらい以上の人でしたら知っていると思います。

その日の、川崎市体育館の会場には、
私のすぐ近くに座っていた
ターバンを巻いていた外国人は、
私も見て確認はしていました。
普通に観戦していたので
一般の観客と思っていましたので、
まさか乱入するなどとは、
露ほども思っていませんでした。

当時の私は、
6~7年前から、ボクシングや重量挙げなどをやっていて、
後で、書きますが
当時、国際プロレスという団体のストロング・小林さん
(現ストロング・金剛)と知友を得ていて、
私の練習場(といっても建材店の倉庫ですが)に来てくれて、
一緒に練習したり指導をしていただいていました。
国際プロレスの巡業にも
参加させていただいたりしていました。
後に全米の大スターとなる
故アンドレ・ザ・ジャイアントさんが
まだ、モンスター・ロシモフさんという
名前で出ていた頃のことです。

その当時の私は、好んで喧嘩ばかりして、
川崎のパチンコや飲み屋の用心棒などもしていた時期で、
心が荒れていましたので、
川崎市体育館のシンさんの乱入は
願ってもない“事件”だったのかもしれません。

その件について、
ストロング小林さんからも、
「あまり、無茶しないほうがいいよ!」と、
注意されたのを覚えています。
また、タモリさんが
この川崎市体育館のシンさんと観客の番外編を
ご自分のTVの番組で取り上げて、
「あの、タイガー・ジェット・シンに殴りかかった、
客がいた。
馬鹿な観客がいるものだ!」と言ったとか、
友人に聞きました。
(でも、こんなこと恥ずかしいので確認は取っていません。)

このような私でしたが、
このプロレスとの出会いは
親孝行からの出発でした。
まだ、小学校に上がるか
上がらないかの頃に溯ります。
「オールウェイズ三丁目の夕日」の
映画のシーンのように、
テレビが普及していない時代、
街頭テレビの時代です。

力道山さんが日本中の英雄でした。
空手チョップで
大きな外人をバッタバッタとなぎ倒していく勇姿を、
人々は街頭テレビの前で、
人だかりになって
歓声を上げながら見ていた時代です。

私の亡くなった親父が、
(45~6年前に亡くなっています)
相撲とプロレスが大好きで、
相撲はラジオで聞き、
プロレスはスポーツ新聞で読んでいました。

親父は明治20年代に生まれた人で、
私が
ものごころつくかつかないかの時分から、
喘息で苦しんでいて、
私の親父の記憶は、
喘息で咳をしている
その咳の音と苦しそうな親父の姿です。

その親父が、
視力も悪くなっていて
新聞も思い通りに読めなくなっていました。
好きなプロレスの情報が遮断されるのは、
楽しみの少ない時代です、
何か可哀想だと思いました。

私は、その時から毎日、
新聞のプロレスの記事を
親父に読んであげることが、
日課になっていました。
でも、プロレスは難しい技の名前や
難しい漢字があり、
悪戦苦闘しながら
兄が使っていた
ボロボロの辞書を引き引き
読んであげたことを覚えています。

「力道山!怒涛の空手チョップで赤鬼を粉砕する!」とか
「長時間に渡り、腕固めを決められる力道山、
必死な思いで、ロープに逃れる!怒り心頭に達した力道山は、
阿修羅の如く形相で空手チョップを12発も打ち下ろし、
最後はルー・テーズ伝承の岩石落しにて、
勝利を収めたのである!」と言った具合です。

とても、難しい!(笑)
そのお陰で
漢字は学校に上がってからも、得意になりました。
それがきっかけで、
自然にプロレスのファンにもなっていきました。

その当時から、
それ以降のプロレス黄金時代の事を
語ったらキリがありません。
要望があれば、又、どこかの機会で書くとして
先ほど、出てきたストロング小林さんと
アントニオ猪木さんとの試合について
書いてみます。


1974年3月19日
ストロング小林さんと
アントニオ猪木さんとの世紀の対決が、
蔵前国技館で行われました。
当時のプロレス界では、
力道山時代から
「善玉日本人対悪玉外国人」という流れがあり、
ジャイアント馬場さんの全日本プロレスも、
一流外国人レスラーと
馬場さんとの対決が主流でありました。

若手レスラーの場合を除いては、
「日本人対決」はタブー視されていた時代です。
ましてや、
当時ストロング小林さんは
国際プロレスのエース、
アントニオ猪木さんは
新日本プロレスのエースでした。
今のように、
プロレスや格闘技団体が
乱立している時代ではなく、
力道山由来の日本プロレスは
猪木さんや馬場さんが抜けて
風前の灯でした。
馬場さんの全日本プロレス
吉原 功さんの国際プロレス
猪木さんの新日本プロレスしか
ない時代のことです。

二人のエース対決は、
当時のプロレスファンのみならず、
世間を驚かせました。
試合会場の東京・蔵前国技館には
1万6500人(超満員)もの
大観衆で埋まりました。
チケットを買えなかった
多くの人々が会場周辺に溢れ、
蔵前国技館はごった返していました。

私は、
その戦いで、
ストロング小林さんのセコンドの一人として、
リングサイドの小林側コーナーに陣取り、
敵であるアントニオ猪木さんに罵声を浴びせ、
ストロング小林さんの応援をしていました。

試合はファンの予想を
はるかに超える名勝負になりました。
結果は29分30秒、
ジャーマン・スープレックス(原爆固め)で、
アントニオ猪木さんが勝利しましたが、
試合が終わって、
控え室に引き上げるストロング小林さんに向かって、
「お前は、強い!」とか
「お前がの方が勝ったぞ!」
とか、多くの観客が大声援を
送っていたのを覚えています。
控え室に戻ってからも、
控え室の上部にある
金網入りのガラス窓に人が群がり、
その丈夫なガラスに
ひびが入った程の熱気でした。

アントニオ猪木さんの
数ある名勝負の中で、
一番か二番に挙げられるほどの、戦いでした。
テレビ視聴率も20%を遥かに越え、
翌日のスポーツ紙は
全紙が一面で報じました。
一般の新聞にも掲載されたほどです。
私にとっても
思い出に残る一番の名勝負です。


私はその後、
縁があって少なからず、
プロレス界と
関係を持つようになっていきました。

新日本プロレス全盛時代の
タイガー・マスク(佐山サトルさん)が、
新日本プロレスを辞めて、
タイガージムを設立した際、
スポンサーとして参加しました。

『ザ・タイガー・甦る四次元殺法』とか
1984年7月23日に
後楽園ホールで行った試合の
『UWF無限大記念日 
ザ・タイガー・高田延彦VS
藤原喜明・前田日明』等のビデオを発売しています。

アントニオ猪木さんの
『闘魂ザ・ワールド』というビデオも出しました。

その後、
前にちょっと
書いた
グラン浜田さんと知友を得る
きっかけとなった、

伊藤章彦さんという
私の友人が立ち上げた
『インディーズ活性化委員会』の
顧問もさせていただきました。

前K-1の石井和義さんにも、
K-1が始まる以前に、
K-1の企画の話を伺ったこともあります。

新日本プロレスやゼロワン、
武藤敬二さん率いる
全日本プロレスの
ビデオやDVDを数多く撮ってきた
小路谷秀樹さんとも、
親しくお付き合いを
させていただいています。

親父にプロレス記事を
読んだことが縁を持ち、
いろいろな格闘技の
いろいろな方たちの
接点が持つことができました。

縁とは異なもの不思議なものです。
それぞれに、独特の個性があり、
いろいろ影響も受けてきました。
みんな、すばらしい方々です。
格闘技関係で出会った人々に
感謝したいと思います。

『今日は残りの人生の最初の日』
過去は教訓としてのみ、生かすことができます。
今日を皆さんと共有できたこと、
本当にありがとうございました。

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