2011年7月20日水曜日

“苦難・困難の意味するもの”

私たちは
困難・苦難と思える
出来事に出遭った時、
どう考え、
どう対処するでしょうか?

尻込みをして
逃げ出すでしょうか?

それとも
積極的に受け入れ
自分の
一冊の問題集として
教育的観点
学びの機会として
取り組みますか?
どちらを選択しますか?

私のブログを
最初から
読んでいる方々の
ほとんどは
後者の
学びを選ぶと確信します。

この観点は
私たちの人生にとって
重要な
キーポイントに
なってまいります。

仏教においては
業(カルマ)の法則という
教えがあります。

私たちの
輪廻の中での因縁で
過去世に為した罪障を
(未解決な問題)
刈り取る意味合いで
今世、
さまざまな困難・苦難が
生起するという法則です。

この世という
括りだけで考えたなら
なぜ?
何も
悪いことを
していないのに
こんなにも、
次から次へと
苦難・困難が
立ちはだかるのか?
そう思うかもしれません。

しかし、
自らが為した行為は
今生では
思い出すことは
できないとしても、

責任を回避した問題は
学び、
説き終えなければなりません。

これは、
厳然とした事実として
我々の眼前に現れてきます。

しかし
さらに
付け加えたいと思います。

人間は因縁と言う
言葉に重きをおいて、
覚えていない過去に
囚われ過ぎる
必要はありません。

嫌な事があれば
自らの為した
前世からの
借金の反射だと
悲観するのではなく、

これから、
良いことが起こる
貯金をしているのだと、
考えて頂きたいのです。

未来に備えて
霊界銀行への貯金を
しているのです。

この起っている
苦難・困難は
チャンスなのです。

折角、
霊界銀行の
複利の貯金ができる機会を
逃すことは
もったいないのです。
そう考えて頂きたいのです。

このような、
徳を積むという
意味合いもあるのです。

私たちの目の前に
どんなことが起ろうとも
苦難・困難が
立ちはだかろうとも、
それは、
所詮は一過性のことなのです。
その、一過性のものごとに、
永遠の意味づけを
与えてはなりません。

人生に顕れるところの
あらゆる体験は
真実の光を
輝かせるためのものです。

私たちに
障害物を持つ
苦しさを知らせ
それを
乗越えることを
促します。
すべてが、
“一なる本源”に
向かう道なのです。

その神聖なる目的を
知ったとき
最早、
障害物は存在しません。
苦難・困難は
幻想でしかないのです。
それは
究極のレベルにおいては
導きそのものなのです。

『今日は残りの人生の最初の日』
苦難・困難何するものぞ!

“今日一日、
生かしていただいて
有難うございます“

有難うは難が有るのです。
だから、
有難うございます!なのです。
難は避けるものでは
ありません。
積極的に受け入れた時
もうそこには、
苦難・困難は消え失せ、
有難うございますの
感謝の想いが湧いてきます。

ありがとうございます。

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