2011年8月31日水曜日

“地球に愛を”

今、
私たちは
この宇宙の中の
地球に存在しています。

といっても
唯、漠然としか
感じていないように
思います。

私たちが窺い知る
ことのできる
地球は
地球儀の上での
地球
或いは
人工衛星や宇宙船から
送られてくる
映像上の地球です。

アポロ計画で
月面着陸をしたと
いうことで
大騒ぎをしたり、
宇宙探検には
関心を示しても
意外と
地球に対しては
改めて関心を示す
ことは少ないように
思います。

しかし
私たちにとって
地球は
母なる大地なのです。
その母なる大地に
育まれ
生長してきました。

地球は
地球が持つ
エネルギーを
惜しみなく
無条件で
与えてくれています。

母なる大地
地球は
山川草木
万物を生かし
ありとあらゆる
生命を
受け止めていて
くださいます。

私たちは
母なる大地
地球が

あまりにも自然に
さらに気前よく
何でも
無条件に
与えてくださるので
慣れっこになって

好き勝手に
傍若無人に
振舞ってきました。

私たちが
その
与えきりの
空気や

海や
山や
大地からの
恵みだけでは
満足せず

さらに
快適なものを
追い求め
地球上の資源を
無駄に浪費して
いきました。

私たちの
欲は
それに留まらず

まるで
ハイエナが
動物の屍骸に
むさぼるように
あさましい
様相を
呈してきました。

いや、
ハイエナは
腹膨れれば
欲しがりませんが、

私たち人間は
もっと快適に
もっともっとと
限界なく
求め続けてきました。

山を切り開き
海を埋め立て
動物の住処をなくし
絶滅させてきました。

食料を奪い
それを求めてくる
動物たちを
容赦なく
殺しました。

「仕方ないんだ!」
と言いながら。

私たち人間は
それでは
飽き足らず
私たちと
同じ同胞である
人間をも
武器で追い払い
すべてを
奪い取っています。

そして
さらに
奪い取るために
この母なる大地
地球が何個も
消滅してしまう程の
“核”を開発して
しまいました。

さらに
“核”には
“核”で対抗しようと
抑止力という
言葉を使い
さらに
“核”を
保有しようと
しています。

もう地球は
限界にきています。
私たちが
痛めつけて
痛めつけて
疲弊しています。

地球は
私たち人類
70億人弱
動植物や
生きとし生けるものの
多くの生命を
懐に抱き
守り抜いてきました。

今のままで
いいんでしょうか?

その母なる大地
地球に対し
今こそ
恩返しをしようでは
ないですか。

母なる大地
地球に
愛を届けなければ
なりません。

母なる地球に
感謝を
しなければ
なりません。

私たちは
母なる大地
地球に
思いを馳せ

母なる大地が
育てた
山川草木の
愛のエネルギーと
同じく
育てられた
私たちの
愛のエネルギーを
融合させ
その神秘なる偉大さ
その輝ける美しさ
その眩いばかりの光
その融合の神々しさを
送りましょう。

母なる大地
地球に対し

ごめんなさい
許してください
ありがとうございます
愛しています

と伝えましょう。

私たちの
内部から
美しい地球の
イメージを高めて
心から
お伝えしましょう。

今まで
いただいた
無条件の愛と光を

自分の
周囲で
参加してくれる
家族や
ペット
草花や
石たちと共に

どんな場所からでも
大地に立ち
みんなで
大地に愛を
おくりましょう。

何回も
何回も
心から
愛をこめて

ごめんなさい
I'm sorry.
許してください
Please forgive me.
ありがとうございます
Thank you.
愛しています
I love you.

そして
母なる大地
地球に
宣言しましょう。

私たちは
あなたが
(母なる大地が)
等しく
与えてくれている
恵みに
感謝し
他のどんな人よりも
多くを望む
ことはありません。

又、
あらゆろ国籍や
人種や環境で
あなたが育んだ
人間を差別
することは
一切、いたしません。

人はすべてが
平等であるからです。

又、
生きとし生けるもの
万有万物に対して
和解をし
仲良く
共生する道を
探していきます。

それはすべてが
神の子であり
あなたが育んだ
生命だからです。

私たちに
無条件の愛を
与えてくださった
あなたに対して
私たちは
ささやかでは
あるけれど
愛を
お届けします。

私たちが
あなたから
受け取った
愛のエネルギーで
この世を
照らすとき
あなたを
心に想い
その輝きを
あなたにも
お送りします。

母なる大地
地球よ
ありがとうございます。
あなたを
心より
愛しています。

『今日は残りの人生の最初の日』

今、この瞬間に
あなたに
愛を送ります。
受け取ってください。

ありがとうございます。
愛しています。

ありがとうございます。

2011年8月30日火曜日

「共に在る!」

今日は
何回か紹介させて
いただいている
「心のチキンスープ」より
抜粋させてください。

“わたしを見守るひとがいる”
(『こころのチキンスープ13
 ほんとうに起こったラブストーリー』より)

 バスの乗客は、白い杖を持った美しい若い女性が
慎重にステップをのぼってくるのをはらはらしながら見守っていた。
彼女は手探りで座席の位置を確かめながら通路を歩いて、
運転手に教えられた空席を見つけた。座席に腰を下ろすと、
ブリーフケースを膝に載せ、杖を脚によせて立てた。

 34歳のスーザンが視覚障害者になってから1年になる。
誤診のために視力を失って、彼女は闇と怒りと苛立ちと
自己憐憫の世界に突き落とされた。
ひと一倍独立心の強い女性だったのに、
残酷な運命のいたずらのせいで、
ひとの助けを借りなければならないのが辛かった。
「どうして、こんな目にあわなければならないの?」
彼女は怒りに胸をつまらせて嘆いた。
だが、いくら泣いてもわめいても祈っても、
辛い現実が変わるはずもないことはわかっていた。
視力は2度と回復しない。

 以前は明るかったスーザンの心は、重い鬱の雲に覆われた。
毎日をやり過ごすだけでも、苛立ちや果てしない疲労の連続だった。
彼女は必死の思いで夫のマークにすがった。

 マークは空軍の将校で、心からスーザンを愛していた。
視力を失った彼女が絶望の淵に沈み込んだとき、
マークはなんとか妻にもういちど力と自信を取り戻させよう、
もういちど独立心を回復させてやろうと決意した。
軍人であるマークは、扱いの困難な状況に対処する訓練を
充分に受けていたが、その彼でさえ、
これはこの上なく厳しい闘いになることを知っていた。

 ついに、スーザンは仕事に復帰する決心をした。
だが、どうやって職場に通ったらいいだろう? 
以前はバスを使っていたが、
ひとりで街に出るなんてもう怖くてできない。
マークが、毎日車で職場まで送って行こうと申し出た。
2人の職場は街の反対側に分かれていたのだが。
はじめ、スーザンは喜んだし、
ほんのわずかなことにも大変な思いをしている妻を
守ってやりたいというマークの気持ちもこれで満たされた。

 ところがしばらくすると、
マークはこのままではいけないと気づいた。
そんなことを続けるのはどう考えても無理だったし、
負担が大きすぎる。
スーザンはひとりでバスに乗ることを覚えなければいけないんだ、
とマークは自分に言い聞かせた。
だが、彼女にそう言うと考えただけで、彼はひるんだ。
それでなくても頼りなく、怒りにさいなまれているのに。
そんなことを言われたら、どうなるだろう?

 マークの予想どおり、またバスに乗ると考えただけで、
スーザンは震え上がった。
「目が見えないのよ!」
彼女は苦々しく答えた。
「どうすれば行く先がわかるの? 
あなた、もうわたしの面倒を見るのがいやになったんだわ」

 こう言われてマークの心は傷ついたが、
しかしなすべきことはわかっていた。
彼はスーザンに毎日、朝晩いっしょにバスに乗ってやると約束した。
彼女がひとりで大丈夫と思うまで、どんなに時間がかかっても。

 そのとおりになった。
まる2週間、軍服を着て支度を整えたマークは、
毎日スーザンの送り迎えをした。
残った感覚、とくに聴覚を働かせて、自分の居場所をつかみ、
新しい環境に適応する術をスーザンに教えた。
バスの運転手ともなじみになり、彼女に気を配り、
座席をとっておいてもらえるようにした。

 そのうちに、スーザンも笑い声をあげるようになった。
バスを下りるときにつまづいたり、
書類が詰まったブリーフケースを通路に落としてしまう
といった運の悪い日にすら、笑顔が出るようになった。

 毎朝、2人はいっしょに出かけ、
それからマークはタクシーでオフィスに向かった。
車で送迎するよりももっと費用がかかったが、
マークは時間の問題だと知っていた。
スーザンはきっとひとりでバスに乗れるようになる。
彼はスーザンを信じていた。
視力を失う前の、何があっても恐れずに立ち向かって、
決してあきらめなかったスーザンを。

 ついに、スーザンはひとりでバスに乗ると言いだした。
月曜日になった。スーザンは出かける前に、
夫であり親友でもあるマークの首に両腕をまきつけた。
彼の誠実さと忍耐と愛を思って、スーザンの目に感謝の涙があふれた。
「行ってきます」。
2人は初めて、べつべつに出勤した。

 月曜日、火曜日、水曜日、木曜日……。
毎日は無事に過ぎていき、スーザンの気持ちも、
かつてなかったほど明るくなった。
やったわ! 自分だけで出勤できるんだ。
 金曜日の朝、スーザンはいつものようにバスに乗った。
料金を払ってバスを下りようとしたとき、運転手が言った。
「あんたはいいねぇ」

 スーザンは、まさか自分に言われたのではないだろうと考えた。
いったい誰が目の見えない女性をうらやむというのだろう。
この1年をやっとの思いで生きてきたというのに。
不思議に思って、彼女は運転手に聞いた。
「どうして、いいねぇなんて言うんですか?」

 運転手は答えた。
「だって、あんたみたいに大切にされて、守られていたら、
さぞかし気分がいいだろうと思ってさ」

 スーザンには運転手の言っていることが
全然わからなかったので、もう一度尋ねた。
「どういう意味なの?」

 答えが返ってきた。
「ほら、今週ずっと、
毎朝ハンサムな軍人が通りの向こうに立って、
あんたがバスを下りるのを見守っていたじゃないか。
あんたが無事に通りを渡って、
オフィスの建物に入っていくのを確かめているんだよ。
それから、彼はあんたにキスを投げ、
小さく敬礼をして去っていく。
あんたはほんとうにラッキーな女性だよ」

 幸せの涙がスーザンの頬をつたった。
目には見えなくても、マークの存在がありありと感じられた。
わたしはラッキーだ。ほんとうにラッキーだわ。
彼は視力よりももっと力強いプレゼントを、
見る必要などない、
はっきりと信じられるプレゼントをくれたのだった。
闇の世界を明るく照らしてくれる愛というプレゼントを。
(シャロン・ワイダ)

如何でしたか
私はこの話を聞いたとき
メアリー・スティーブンさんが
14歳のときに書いた
「足跡」という
詩を思い出しました。

この詩も
共有してください。


“足跡”
 

『ある夜、

 私は夢を見た。

 夢の中で、

 私は神様とともに

 浜辺を歩いていた。

 空には、

 私の人生の

 さまざまな場面が

 走馬灯のように

 映し出された。

 そのそれぞれの場面で、

 私は二人分の足跡が

 砂浜についているのを見た。

 ひとつは私のもの、

 そしてもうひとつは

 神様のものだった。


 驚いたことに、

 私の人生の中で

 足跡が

 一人分しかない時があることに

 気がついた。

 そして、

 それは人生で

 もっとも暗く

 悲しい時期ばかりだった。


 私は神様に尋ねた。

「 神様、

 あなたはおっしゃいました。

 一度私があなたについていくと

 決めたなら、

 あなたはずっといっしょに

 歩いてくださると。


 しかし、

 私が辛く悲しい時期に、

 砂浜には一人分の足跡

 しかありませんでした。

 私がもっとも

 あなたを

必要としているときに、

 どうして

 私を

 お見捨てなられたのですか 」


 すると、

 神様は

 答えておっしゃった。

 「 一人分の

   足跡しか

   なかった時期には、

   私は

   お前を

   背負って

   歩いていたのだよ 」 』


いかがでしたか、
賢明な
読者の方は
私が何を云わんと
しているか
もうお分かりだと
思います。

私たち
一人ひとりに
どんな時にも
苦しいとき
悲しいとき
共に在ってくれる存在が
神なのです。

私たちに
生きる希望と
真実の喜び
無限の力
克服する克己心
決して諦めないで
やり抜く力
思いやりと
献身的な愛を
そして
永遠の中に
瞬間として
存在する
今を

「今日は残りの人生の最初の日」

今、この瞬間こそ
神が働き給うのです。

今、この瞬間に
神と共に
すばらしい瞬間を
心ゆくまで
味わい尽くして
いこうでは
ありませんか。

今日も
共有して
ありがとうございます。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2011年8月29日月曜日

“こころの旅”

私は
この60年余りの
人生の中で
多くの旅を
しました。
外国も
たくさんの国を
訪れました。

仕事で
台湾の台北をはじめ
アメリカでは
ロサンゼルスや
サンフランシスコ
ニューヨークや
ボストンから
メイン州の方にも
又、バンコクには
2年程日本と
一ヶ月毎に
往復していました。

家族との
旅行でも
韓国のソウルから
各都市を巡り
プサンに
行ったり
中国では
南は
中山(ちゅうざん)
それから
北京
上海
西安と
巡りました。

香港
マカオ
マレーシアの
クアラルプール
シンガポール
サイパンや
ハワイのワイキキ
ハワイ島
ニューカレドニアの
各島巡り
オーストラリアの
ブリスベンや
ゴールドコースト
バハマのナッソーから
ラスベガス
等々
数多くの国や都市に
行かせて
いただきました。

多くの人と出会い
多くの自然に触れ合い
多くの名所、名跡を
尋ねました。

それは
楽しい思い出であり
家族とも
その時その時の
アルバムを見ては
話の花が咲きます。

それぞれの国や
人たちの文化に触れ
違いに驚き、また
楽しんできました。

独自の歴史の中で
育んできた
生活様式や
思考の形成等
学ぶべきことは
たくさんありました。

そういう意味では
すばらしい体験を
たくさん
させていただいたと
思います。

しかし
それら多くの
旅を得て
感じますのは。
人は
それぞれの国や
その場所にいながら
心の旅を
しておられるのだと
いうことでした。

どこの国にも
共通しているのは
程度の差こそあれ
苦楽の感情です。

楽しいこと
嬉しいことが
笑顔をもたらし
苦しいことや
悲しいことが
涙を誘います。

些細な
感情のもつれで
喧嘩もし
人をも殺めています。

些細な施しでも
満面の喜びを湛え
感謝をします。

金持ちは
金持ちしか
入れない場所に
豪邸を建てて
高級な物に囲まれ
その場所に
ブランドショップが
蜜を求めて
集まっています。

高級なレストランで
好きなものを食し、
パーティーで
人を招いたり
贅沢三昧の
生活をしています。
あらゆる
国や都市を巡り
観光やショッピング
等に余念がありません。

でもそこにも
苦楽の感情が
存在します。

貧乏人は
隅に追いやられ
インフラの
整っていない
衛生環境の悪い
地域に
追いやられ
トタンや廃材を
使った
バラックに
暑さ寒さに耐えながら
たくさんの家族が
ひしめいています。

今日の食事さえ
ままならない生活を
余儀なく
されています。
そこから一生
離れられない
人たちも
多くいます。

でも
そこにも
苦楽の感情が
存在します。

どちらの方が
苦が多くて
どちらの方が
楽が多いかは
わかりません。

以前にも
紹介させて
いただきました
ゲーテさん
1778年当時の
「いましめ」の
中に
こんな詩があります。

『いや遠く
さまよい出でんとするか。
見よ。
善きことは
まことに近きにあり。
幸福を捉えるすべを知れ、
幸福は
常に手じかにあれば。』

また
「格言的」の中にも
『誠実に
君の時間を利用せよ!
何かを
理解しようと思ったら、
遠くを探すな。』と
あります。

私たちは
例外なく
この地球に
魂の進化を求めて
選択して
降りてきました。

そういう
意味では
心の旅人です。
何も外に求めずとも
今いる場所で
今、この瞬間に
体験することが
すべてであり、
どこに求めても
得られるものでは
ないのです。

自らの内に
シャンバラは
ありました。
どんな
国に行って
すばらしい
体験をしても
自らの内にある
宝の国に勝るものは
ないのです。

何と
近きにありて
不可視なもの
それを
求めて
長き旅を
してきたことか。

その王国は
光り輝く
愛の世界
無差別で
無制限にして
誰にも
備わっている
宇宙の中の王国

唯、
外ばかりを
追い求めていると

外に
楽しみや
ユートピアを
見つけようと
していると
見つけにくいもの。

イエスさまも
仰っています。

『金持ちが
神の国に入るよりも、
らくだが針の穴を
通る方がまだ易しい。』

いくら
物質的に恵まれ
財産を
持っていたとしても
行くことが
叶わない
神の王国

しかし
この世の物を
一切持たずとも
いとも
簡単に
見つけることの
できる
無限の至福感に
満たされている
唯一無二の
領域

その王国へ
至る道は
自らの内に
進まなければ
なりません。

自らの内にしか
その王国は
存在しないのです。

外にいくら
探しても
どこに行こうとも
永遠に
見つからないのです。

なぜかと言うと
私たちの外には
永遠なるものは
何も存在
しないからです。

永遠なるものは
神の国にしか
ない宝なのです。
無限なるものは
神の国にしか
ない宝だからです。

心の旅をしましょう。
そして
神の王国へ
シャンバラへ
到達しましょう。

それが
私たちの
究極の旅だからです。

ありがとうございます。

2011年8月28日日曜日

「真の信仰とは」

(By.Photo,Hiroshi Sugaya)

日本の国も
政治のトップである
総理大臣が変わります。

世界も
リビア情勢を始め
転換点に来ています。

アメリカも
かろうじて
デフォルトには
なりませんでしたが
危機は継続中です。


誰が
リーダーとなって
舵取りをする
ことになっても
今迄の意識の
在り方では
リーダーの
名前を取り替えるだけで
大きな変化は
やってきません。

しかし
評論家では
ありませんが
言うは易し
行うは難しです。

ただ、
私たちに取って
最も大事なことは
自分の意識は
変えられると
いうことです。

そして
厳然とした事実は
自分が変われば
世界が変わるという
真理です。

今こそ
自分の内に
信仰を立てなければ
なりません。

信仰こそが
キーポイントに
なります。

それでは
何を信仰する
のでしょうか?

今こそ
本質・本源に
目覚めなければ
なりません。

私たちが
信仰すべきは
本質なる神です。
それ以外に
信仰する対照は
ありえません。

あらゆる
個人という
特定の人間や
象徴の物質を
信仰しても
不毛なのです。

私たちの
創り主である
無限なる神を
信仰するのです。

私たち
生きとし生けるもの
万物の親である
無限なる本質を
見つめるのです。

現れている
被造物である
個人や物質を
信仰するのでは
ないのです。

それを
現わしている
無限者をこそ
信仰するのです。

その無限は
宇宙に
一つしかありません

無限は全ての
原点です。
一つなる無限が
さまざまな形を
現わしているに
過ぎないのです。

どんな形をして
現れようとも、
本質は
皆同じ無限が
全ての創り主であり、
無限が全てに
宿っているのです。

神は
全てに
宿るのであって
特定の国や人種や
人間にだけ
宿るのでは
ないのです。

世界の
否、宇宙のすべてに
宿り給うのです。
すべては神の子
なのです。

その自覚を持って
神の子として
親である神
無限者である神
全ての全てである神
普遍者である神
永遠なる神
全知全能なる神の
心を
自らの心として
いこうと意識を
向けることを
真実の信仰と
いいます。

私たちに
宿っている無限は
私たちの
目の前に
いろんな形で
現れてくるところの
人間や出来事にも
等しく
宿っています。

起こっている
現象
現れている
現象に
目を
奪われるのではなく
その中に在る
無限なる本質を
見るように
するのです。

あなたにとって
望まない現象が
現れているかも
知れません。

しかし、
それは
その現象の
中にある
神の意図に
気づいて
いないのです。

その
無限の本質を
見つめて
いないのです。

そのことに
気づかない限り
あなたにとって
望まない現象は
永遠に
消えることは
ないでしょう。

実は
望まない現象は
ないのです。
あなたの
永遠の
進化のために
現れている
現象なのです。

無限の本質と
ひとつとなる
道すがら
クリアすべき
課題の問題集を
自らが
与えているのです。

その中に
神の意図が
あるのです。

そのことを
100%
信じることが
真実の信仰なのです。
それは
神我になる道なのです。

私たちは
神我意識に
至らない限り

起こった現象や
現れた現象
その対象の人間に
対して

怒りや
憎しみや
怨みなどの感情で
受け留める
ことになります。

苦しみや
悩みから
自由になることは
できません。

その苦しみや
悩みを
外にある神や
特定の人間や
物質に
依存して解放
しようとします。

一時的には
楽になった
気がします。
しかしながら
本質としての
解放ではありません。

同じ問題を
繰り返し
繰り返し
堂々巡りをして
いるに過ぎません。

その度に高いお金を
払って
いろいろな
種類の
外なる神や仏と
称する人間や
霊能者に
依存していきます。

或いは
憂さを
晴らすために
酒を飲んだり
高価なものを
買ったり
いろんなものに
逃避します。

私たちには
解決能力が
備わっているのにも
拘わらず

依存して
自分以外の
人間や物質を
大きなものにし

自分を
単なる
血や肉に属する
肉体人間に
限定しています。

これを
信仰と
称しています。
ニセモノの信仰です。
自我による
教祖であり
自我による
信者による
独りよがりの
ビジネスとしての
信仰に過ぎません。

私たちの
自らの中に教祖は
います。

その教祖は
無条件の愛を
持っています。

一切の見返りは
求めません。

無限であり
永遠です。
全知全能なのです。
それを
見つめてください。

静かに
目を瞑り
自らの実相を
見つめてください。

その実相こそ
ほんとの
自分の
あるべき姿です。
自分自身なのです。

自分を
信頼するのです。
自分を信頼し
自分と同じ
実相を持つ
他を
信頼するのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日、
この瞬間に
無限を見ることが
できます。

「即、無限なのです!」
自らの内部にある
無限なる神が
すべてのすべてであり

「天は汝の内に在り」です。

天は無限であり、
永遠なる神なのです。

これを
見つめ
感じることが
真実の信仰なのです。

そして
「自分が変わり
世界をも変える」
ことに繋がって
いくのです。

ありがとうございます。

2011年8月27日土曜日

“幸せを感じる”

あなたは
今、
どんな状態なら
幸せと
感じるのでしょうか?

お金があったら
幸せですか?
恋人がいれば
幸せですか?
「もし、○○があったら
幸せなのに!」と
感じていられるとしたら
あなたが
幸せになるには、
条件が
必要になってきます。

「こうであれば
幸せである!」
ということは、
そうならない限り
幸せになることは
永遠に
来ないことになります。

幸せに
条件が必要でしょうか?

勿論、
条件をつけて
そうなるために
頑張ろうと思うのも
必要といえば
必要ですが、

そうならなかった時、
自分の心の中に
焦燥感や
強迫観念が
もたげてきます。

大切なのは
自分の幸せの
イメージを
描くことであり、
何かの結果を
得るために
頑張ることでは
ありません。

幸せを感じるのに
条件は
必要ないのです。

「今、この瞬間
私は幸せです!」と
宣言し、
意識の焦点を
幸せに
合わせるのです。

幸せそれ自体に
意識をフォーカス
するのです。

今、この瞬間に
満たされて
いるものや
与えられて
いるものに
焦点を
向けるのです。

そうすると
いかに、
有り余るほどの
多くを
与えられて
いることを
知ることに
なります。

今、
こうして
生きている
生かされている
ことへの
感謝の心が
沸々と
湧き上がってきます。

私たちは
はじめから
幸せになるための
必要条件が
既に備わって
いたのです。

この幸福感を
手に入れてください。

延々と
望む結果ばかりを
追い求めて
いたとしても
その得た結果が
あなたを
幸せにするとは
限らないのです。

得た結果は
得た瞬間から
それを
失う不安をも
得ることになります。

条件付きの
幸せは
自我意識から
発せられます。
自我は
分離や排除の
気持ちをも
同時に
発していきます。
得た瞬間から
心配がもたげて
くるようになるのです。

心配は
幻想です。
起きてもいないことを
殊更、
大きくし
ほとんどの思考を
その幻想に
つぎ込んでいます。

自我意識からの
条件付きの幸せを
望むということは
幻想と妄想の
なかで
過去と未来に
生きるということです。

私たちは
自分の内面に在る
既に備わっている
幸せの種子に
気づくことです。

与えられているものに
意識を
向けてください。
満たされているものに
意識を
向けてください。

どんなものが
与えられて
いるでしょう?

ひまわりの花が
太陽に向かって
背筋を伸ばし
黄色く輝いています。

せみが
木々に
止まり
この世の儚さを
歌っています。

川のせせらぎが
水面に
光を反射させ
豊かに
水の本質を
表現しています。

雨あがりは
木の葉たちが
生き生きとして
水のしずくを
アクセサリーにして
潤っています。

空には
満点の星たちが
静かに
煌めいて
宇宙を語っています。

数え切れないぐらいの
多くの
すばらしいものを
与えられています。

そして
それらを
感じることの出来る
心も
与えられています。

美しいものを
美しいと感じれる心
思いやりの心
慈しむ心
優しい心
育む心
等々
愛の心を
与えられています。

すべてを
与えられていたのです。
与えられているものに
焦点を当て
見つめてください。

そして
それを
充分に
味わってください。
静かに
目を瞑り
感じてください。

『今日は残りの人生の最初の日』

「今、この瞬間
私は幸せである!」

ありがとうございます。

2011年8月26日金曜日

「森安さんからのメール」

今日も
先日以来
宮ぷー こころの架橋
プロジェクト
」メルマガの
紹介の時に
森安さんの講演文章を
載せさせて
いただきました。
その後
何回か森安さんから
すばらしいメールを
頂いていますので
ここで
私の返信メールと
ともに
掲載します。
共有してください。

まず
私のブログの
佐和さんからの学び
(8月24日号参照)を
読んでいない方は
読んでからでないと
繋がらないかも
しれませんので
ご一読ください。


森安さんからの
メールです。

『おはようございます。

アーカメロディさんの
おっしゃるとおりだと、
私も感じております。

知的障害がある、
と言われる子どもたちは、
いとも簡単に、
本当のことを私に教えてくれます。
私は40年以上生きてきて、
それまでの人生を
180度転換するような
日々に出会っているのです。

どちらに「知的障害」があるのか?
私もアーカメロディさんと同じ感想です。

そして、「結果」というもののこと。
ゴールはない、
すべては、因果関係のプロセスだと、
私も思います。

このように感じていますと、
この子どもたちは
宇宙の真理のままに
生きているのだと気づきます。

私たちは宇宙の真理を、
自分たちの都合で曲げて生きている。
この地球上で、唯一、
自然に反する生き方を
しているのが人間です。

いつも思うのです。
この子どもたちが教えてくれることは、
いつも目の前にあった、
いちばん簡単なはずのこと。

「賢いはずの」私たちが、
なぜこんなに困窮しているのか?
答えは簡単ですね。

森安 英憲』

私からの返信です。
『森安さん

おはようございます。

感想ありがとうございます。

毎日のようにに
天使たちと一緒におられる
森安さんからの
お言葉ですので、
重みがあります。
ありがとうございます。

私の家の近くに
特別障害者センターがあります。
その子供たちが
そこに通う道すがらに
挨拶をすることがあります。

たまに奇声は
発することはありますが、
あるがままを
表現してくれています。
そこに人に
どう見られているとか、
気負いもなく
比較もなく
怖れもありません。

私は
その子供たちを見るにつけ
手を合わせたくなります。
あのように
在りたいと思います。

森安さんが
彼らを受け入れて
一緒に働き、学んでから
森安さん自身が
持つところの
神性が
輝きだされているように
感じました。

受け入れる前の
森安さん
受け入れてからの
森安さんの変化を
よく現わしていられる
講演の文章です。
今後も多くの学びが
あると思います。
是非、
また天使たちのことを
知らせてください。

本当に
ありがとうございます。

アーカメロディ』

さらに
森安さんからの
返信です。

『おはようございます。
メールありがとうございました。
昨日は1日出張で
お礼が遅れて申し訳ありません。

私たちのよって立つ
「基準」なんて、
あやしいものですね。

何が普通で、何が異常なんて、
たかだか多数決にすぎません。
私はこの社会にある
「少数者問題」という
言葉のおかしさを思います。

私から見れば、「多数者問題」です。
大多数がおかしくて、
少数のまともな者が
苦労を強いられる。

1年ほど前に
精神科の先生が
講演されたのを聞いたのですが、
冒頭に障害の歴史みたいなことを
ちょろっとお話しになりました。
先生としては「マクラ」ぐらいの
つもりだったと思いますが。
私は衝撃を受けました。

「自閉症は原初の人間にも
あった性質である」

それが本当なら、
元はといえば
人間が基本的な性質として
自閉症の性質を持っていたわけです。
自閉症の人が、
まるで宇宙の知恵を得て
生きているように見えるのも、
うなづけることだと思いました。

その力をだんだん失って、
自然と離れた生き方しか
できなくなったのが、
今の社会なのではないかと思います。

だとすれば、元はといえば、
自閉症が正常で、今の大多数が異常とも言えます。

ことほどさように、
私たちの基準なんて、無意味な、
どちらかといえば有害なものだなあと、
私は思います。

森安 英憲』

私からの返信です。

『森安さん
いつも
ありがとうございます。

森安さんの仰ることに同感です。

今の社会を見れば一目瞭然です。
大多数の方たちが
創った社会が
私たちの今生きている
グラウンドです。

違いをもたらすものに対する
分離や排除をしています。
分離や排除された側は
どのように生きればいいんでしょう?

仰るように
多数の人たちが決めた
スタンダードを押し付けられています。

森安さんのような方は少数なのです。
でも森安さんをはじめ
山元加津子さんのような方たちが
愛を伝えてくれています。
この愛は多くの広がりを
増していくことでしょう!

私が「宮ぷー こころのプロジェクト」
メルマガを
読ませていただいた頃は
まだ数百名の方たちしか
読んでいませんでした。
今は5000人近い方が
読まれています。
こういった地道な努力が
世を変えることに
つながると信じています。

「自閉症は原初の人間にもあった性質である」
納得できます。

現代の多くの人が、
外へ外へ視点を移しすぎています。
自分以外を見て、
比較をして悩んだり、
満足しています。
前述の社会が作った物差しの中で。

自らの内部に
すべての答えがあるのに、
内部に入る時間を
持とうとしません。

私が思いますに、
原初は自らの
内部に在るところの神性を
疑う人がいなかったんではないかと思います。
常に自らの神と対話するために
内に没入していました。

私が感じる自閉症の方というのは、
私たち一人ひとりが
例外なく持っているけれど、
気づいていない神性に
気づいている方たちなのでは
ないかと
思っています。

神と対話できる
数少ない人たちと
思っています。
人間にとって大切な
「優しさ」
「思いやり」
「慈しみ」
「美しいものを
見て美しいと感じるこころ」等々、
良心に繋がっているのではないかと
思います。

もしそうであるならば
私たちは
一日に必ず自閉症になる時間を
持たなければなりません。
自らのうちにある
本質に繋がらない限り、
真の自覚は得られないのでは
ないでしょうか。

トンデモ話に
聞こえるかもしれませんが、
私はそういうふうに
感じています。

今後も、
森安さんのあたたかい心が
世の中に
インフルエンスしていく
イメージが
湧いています。

すばらしい瞬間をお過ごしください。

アーカメロディ』

今日までの
森安さんとの
メールの
やりとりです。

共有していただいて
ありがとうございます。

2011年8月25日木曜日

「かっこちゃんの宝物」

今日も
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」
メルマガの中の
かっこちゃんの宝物の
お話を紹介します。

私は
こういうお話は
大好きです。

山元加津子さんの事は
何回かブログ
書いていますので
プロフィール等は
省略しますが、
養護学校の先生を
していて
生徒さんたちは
山元さんのことを
「かっこちゃん」と
呼んでいます。

『かっこちゃんの宝物なあに?と学校の子供たちが聞きました。
宝物はいっぱいいっぱいあります。
そのひとつを渡辺のおっちゃんからの手紙です。

もう何年も前のこと、
郵便受けの中の手紙の差出人のお名前を見ても、
なんのことかわかりませんでした。
いったいどなただったろう、それにしても不思議な肩書き・・
そう思って文字をしばらく眺めていて思い出したのです。
その方の肩書きは「公園のおっちゃん」というのでした。
その方とお会いしたのは、関西へ出かけたときでした。 

 その日は雪の降る日でした。
講演会場は駅から歩いて5分と聞いていたのに、
歩いても歩いてもそこにはつきませんでした。
道はあってるようなのに、地図だって見てるのに、
もう40分も歩いたのに・・と不安になっていながらも、
まだ2時間もあるから・・とそれほどあわててはいませんでした。
けれど(5分のところをタクシーに連れていっていただくのは
申し訳ないって思ったのは間違いだったかもしれない・・
タクシーの運転手さんだったら、きっとすぐにわかったのに)と
ため息まじりに考えだしていたところでした。
関西って雪の少ないところだと思っていて、
おまけに小松では晴れていたのです。
だからコートもなしで傘も持っていませんでした。

 主催者の方に書いていただいた地図に載っている
公園をみつけました。
うれしくて、その中を走るようにいそいでいたら、
途中ですべってころんでしまいました。
ころぶのは慣れているけれど、たった一人、
見知らぬ土地に来て、講演会場になかなか着かないし、
お洋服もどろどろだし、髪もぬれちゃったし、
こんな格好でたくさんの方の前に出なくちゃいけないんだと思ったら、
自分でもびっくりするくらい急にわきあがるように悲しくなって、
近くのベンチに座って、ちょっと泣きました。
その方にお会いしたのはそのベンチででした。

「痛かったんか?」
さっきまで確かに私の横には誰も座っておられなかったはずなのに・・
その方はいつのまにかそこに座っておられました。
その方はきっと公園の中のテントに暮らしておられる方
なのだとそのとき、私はなぜだか思いました。
「痛かったんか」の問いにうんと小さくうなずくと、
何か口の中でおっしゃたのだけど、私には聞き取れませんでした。
その方はじっと下を向いておられて、
私はなにを話そうかと思いました。
そして道を聞きました。
「〇〇ホールというのはどこにあるのでしょう?」
その方は首を傾げて「おっちゃんはわからんわ」
っておっしゃいました。
わからんわとおっしゃったけれど、とても温かく、
わからないことがとても残念そうに言ってくださったので、
さっきまでちょっとだけ泣いていたことがうそのように
うれしくなりました。
「駅から5分って書いてあるのだけど、
もうすごくたくさん歩いたの・・」
「そうか・そうか・・」
おっちゃん”はやっぱりとてもやさしかったです。
どうしてポケットを探しておられるのかなと思ったら、
ポケットから飴を出してくださいました。
きっと大事にずっと持っておられた飴なのだと思います。
飴の包み紙が飴にくっついていて、
食べたとき、「あれ?」って思いました。
「ナイロンくっついとったか?なめとればとれるよ」
と“おっちゃん”は教えてくれました。
「ほんとう・・」
とてもきれいにナイロンはおもしろいようにはがれました。
大きな甘露飴みたいな飴はとても甘くて、ほっとしました。
その方のことをどう呼んでいいかわからなくて、
「なんてお呼びしたらいいですか?」とお聞きしたら、
「おっちゃんでいいよ」とおっしゃいました。
でも“おっちゃん”っていう呼び名に
こちらにいてなれていなくてためらっていたら、
「渡辺っていう名前やった・・しばらく使ったことがなかったな」
と言われました。
「私、6時までにどうしてもそこへ行かなくちゃいけないんです。
渡辺さんありがとうございました」立ち上がろうとしたら、
「ちょっと待って・・」
と“おっちゃん”は傘を貸してくださいました。
「でも私、ここにすんでいないから返せないかもしれないんです」
“おっちゃん”は、
「たくさんあるからいいよ。それとも骨が曲がっていて恥ずかしいか?」
と言ってくださいました。
確かに骨は曲がっていたけど、
その傘は雪をよけるには十分すぎるほどでした。
「じゃあ返しにきます」と言ったのに、
「いいよ、あげるよ」と言ってくださったので、
私はそれをいただくことにしたのです。

 公園を出て、地図を頼りに歩いたらそれからしばらくして、
そのホールはありました。
まだ建ったばかりの真新しいホールでした。
主催者の方が私のぬれていたり、泥だらけだったりする
かっこうを見てびっくりされたようでした。
それから「ちょっと遠かったでしょう?
ここ、できたばかりなので、私たちも初めて来たので、
遠くてびっくりしてたんです」と言われました。

 家に帰ってから、
でも“おっちゃん”のことは何度も思い出しました。
それでお礼のお手紙を書きたいと思いました。
前にも大阪駅で、お世話になった方で、
やっぱり住所をもっておられない
段ボールのおうちにすんでおられた方にお手紙を出したとき、
手紙は「宛先不明」で戻ってきてしまいました。
でも今度は名字も知っているので、
郵便局の方に申し訳ないなあと思いながら、
またお手紙を書きました。
宛名のところには、〇〇の〇〇市〇〇公園と書いて、
それから公園の絵地図を書いて、テントの絵もかいて、
おっちゃんの似顔絵も描いて、“渡辺のおっちゃん”と書きました。
その手紙は何日たっても戻ってきませんでした。
最初は私の手紙どうなったかな?って
何かの折りに思い出したりしていたけど、
でもきっとついてはないだろうなって昨日まで思っていました。
その手紙を出して、もう2年以上経っていました。
私はその手紙を出したことさえすっかり忘れていたのでした。

 ところがその日いただいた手紙は
“渡辺のおっちゃん”からのものだったのです。
手紙は届いていたのです。
郵便やさんが、私が書いた、宛名と地図で、
“おっちゃん”を探してくださったのです。
こんな手紙を出したと書くと郵便局の方や、
それからどなたかに叱られてしまいそうです。
だって、とても迷惑をおかけしますもの。
でもお手紙、出したかったのです。
親切な郵便やさんに今日はお礼を言いたいです。
本当にありがとうございました。

“おっちゃん”は

「げんきですか?てがみをくれておどろきました。
しんせつなゆうびんやさんが、
渡辺さんというひとはいませんかとたずねてもってきてくれました。
さいしょはおっちゃんのことかどうかわからなかったけれど
えでかいたちずで、おっちゃんのことだとわかりました。
うれしくてなかまにもみせました。
へんじがかけるとはおもいませんでした。
けれど、かくことができました。げんきでいてください。
こうえんのおっちゃんより」

これは原文のままです。
私がいただいた宝物のようなお手紙が
こうしてお返事で返ってくるなんて、
私、うれしくて、うれしくて、信じられないくらい
うれしくてたまりません。
思い出したくないと思っていたことも、
本当は“おっちゃん”に会うことができるために、
それから住所を見て、
届くはずがないだろうなんて思わずに
探してくださった郵便やさんのことを知ることができるために、
みんなあったのかなと、
あんなふうに考えてしまったことを
やっぱり恥ずかしく思います。
そして、考えたら、毎日届けていただいているお手紙も、
郵便やさんが心をこめて届けてくださってるのだと
改めてありがたく思いました。
それから2年間も私のことを覚えていてくださった
渡辺のおっちゃん、ありがとう。
いろんな宝物があります。
また今度違う宝物のお話しをさせてください。
かつこ』

いかがでしたか?
今日は
こんなすばらしい話を
読んだ
余韻に浸って
一日をお過ごしください。

最後に
このメルマガの
登録URLを再度
乗せておきます。
是非、登録して
「宮ぷー こころの
プロジェクト」を
お読みください。

ありがとうございます。


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2011年8月24日水曜日

「佐和さんからの学び!」


8月20日(土)の
私のブログで
「宮ぷー 
心の架橋プロジェクト」に
書かれていた
森安さんの
講演内容を
紹介しました。
私は
2年ほど前から
このメルマガを
購読させて
いただいています。
いろんな度に
個人的に
家族や友人に
紹介してきた
すばらしい
メルマガです。

そのメルマガを
さらに皆様に
知っていただく
縁をいただいたのが
森安さんの
講演内容でした。
是非、
読まれていない方は
戻って読んで
いただきたいと
思います。

私は
この
「宮ぷー 心の架橋
プロジェクト」を
紹介したいあまり
本人に断りもなく
掲載して
しまいました。

それで
昨日の
「宮ぷー」の中に
森安さんの
メールアドレスが
掲載されて
いましたので
昨日、
遅ればせながら
事後承諾を
するために
メールをさせて
いただきました。

森安さんは
快く
お受け
くださりました。
以下は
返信のメールです。

『こんにちは。
初めまして。森安です。

私のような者が社会のためになるなら、
私の文章などどこへでも使っていただいて結構です。
ブログへの掲載ありがとうございます。
知的障害のある子どもたちとの出会い以来、
この社会の「常識」とは、
私たちの利権を守る「都合」で
固められたものであることに気づかされてきました。

常識ほどあやしいものはない。
でも口で言っても、頭で理解しても、人は変わらない。
実践して実証しないと人は変わらない。

ほら、本当のことだよ、と私はみんなに見てもらいたいです。

そんな私が1年前に1/4の奇跡を観て、
かっこちゃんとつながったのも、必然なのかなと思います。

早速メールをいただきとてもうれしいです。
ありがとうございました。
森安 英憲』

森安さんは
この社会の常識という
あやふやなもの
あやしいものに対して
行動で示して
おられます。

いかに
私たち
社会を営むものが
外的なもの
可視できるものを
重要視し
判断しているのかを
思い知らされます。

私が
いつも
このブログで
いうところの
自我意識でしか
ものを見ようとしない
傾向のことです。

その見方に
真実は
ありません。

森安さんの
講演文章の中で
特に
印象に残った
知的障害者の
看護学校生の
佐和さんの話を
一部紹介させてください。

『次のお話は、養護学校の佐和さんです。高校2年生でした
が、小学生のように小さい子でした。
会社で用意したいちばん小さい安全靴もぶかぶかで、
詰め物をしてはきました。
「口ばっかり達者で、学校では何もできない子なんです」と、
先生はおっしゃいました。
佐和さんの職場実習は、製品に部品を取り付けて、包装する仕事でした。
「部品を取り付けるよ。まずドライバーを持って」と言ったら、
ドライバーに手が届きませんでした。ドライバーの位置を下げましたが・・・
今度は手が小さすぎてドライバーをしっかり持てません。
ビス1本打つのに1日中失敗し続けました。
手が小さすぎてテープカッターもちゃんと使えませんでした。
周りの社員が、ドライバーの持ち方、
テープカッターの持ち方を教えるのですが、
手が小さすぎて、全然そのとおりに使えませんでした。
見ている私のほうがヘトヘトに疲れて、
もうやめよう、
もう別の簡単な作業に変えようと何度思ったことでしょう。
でも失敗しつくしてあきらめるまでやらせようと思いました。
その日1日終わって、
私は明日少し様子を見たら、後は簡単な作業に変えようと決めて、
現場にも予定変更を連絡しました。
ところが次の日、佐和さんは自分の工夫をし出しました。
手だけではしっかりドライバーが持てない彼女は、
手と体でドライバーを固定して、体ごとビスを打ちました。
テープカッターは両手で持って体を使ってテープをカットしました。
実習が終わるころには佐和さんの顔は自信があふれていました。
この実習で口だけでなく仕事も達者な佐和さんになりました。

佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。
口が達者な佐和さんは私に向かってどんなに
こう言いたかったことでしょう。
「私を信じて!待って!」と。
私たちは何もできなかったのに、自分の力でがんばりぬいて
ついに乗りこえた佐和さんの姿に、
「佐和さん、よくがんばったね」と言ったきり、
胸がいっぱいになって私は次の言葉が出てきませんでした。』

如何でしょうか?
私たちの常識の中に
時間通りにやるのが
常識であり
ハンデがあるから
無理と思うことが
常識であり
知的障害の方は
考えるのが
できないが
常識と思っています。

森安さんの
仰るとおり
常識ほどあやしい
ものはありません。
佐和さんは
「できない!」とは
1%も思っていませんでした。

森安さんが言う
この文章です。
『佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。』

私が思うに
佐和さんは
「できる!」とか
「できない!」とか
ではなく
目の前の課題を
「実現する!」と
いうことを
露ほども
信じて
疑っていないのです。

唯、周囲が
常識という
あやふやなもので
時間という
ものさしで
そのプロセスを
止めています。

「実現する!」と
100%
信じ込んでいる
佐和さんが
佐和さんのイメージと
異なった現象が
起こっても
それを結果だとは
捉えないのです。
「実現する!」ために
ひたすら
進行しているに過ぎません。

私たちが
常識としているもの
特に
結果という概念に
固執しているように
感じます。

結果は
固定した
時間の中に
存在します。

私たちの真実は
永遠の中に
存在しています。
永遠の旅人です。
結果は重要では
ないのです。

私たちは
いつも
限られた時間の中で
何かをやらなければ!
何かを成し遂げよう!と
想いを発します。

佐和さんは
ありたい自分で
いるのだと思います。
ありたい自分を
はっきりと
持っているんだと
思います。

佐和さんは
とても知的な人です。

知的障害者とは
私たちの
限定された社会が
作った
あやしい常識からの
呼び方に過ぎません。

寧ろ
私たちのほうが
知的障害者かも
しれません。

今、私たちにとって
大切なことを
佐和さんは
教えてくれています。

限られた時間など
ないのです。
何かをやり遂げよう!
と思うことも
ありません。
その心の中に
恐れが潜んでいます。

この恐れがある限り
自我意識が
顔を持ち上げてきます。
真の問題解決には
ならないのです。

あるがままの
ありたい自分で
いることです。
結果は
自分がゴールと
決めたところが
結果であり
その結果は
また原因になり
進んでいくのです。
そのプロセスをこそ
楽しんでください。

私たちは
これからも
プロセスの中で
進行し続けていきます。
それが進化すると
いうことです。
ゴールなどないのです。
それは
限定された
常識の上での
ゴールに過ぎません。

私たちは
永遠の宇宙の旅人であり
神に向かって
旅をしています。

『今日は残りの人生の最初の日』

この永遠の中の
今という瞬間に
ありたい自分を
思いっ切り
表現していこうでは
ありませんか。

共有、
ありがとうございます。

2011年8月23日火曜日

“唯、気づくこと”

この世と
あの世と
言います。
この世は
私たちが住んでいる
世界
三次元世界のことを
言っています。

あの世とは
私たちが
肉体を離れてからの
世界
四次元以上の世界です、
霊界とも言います。

私たちは
この世に
肉体を持ち
生きています。

この世にいる以上
この世での
特定のルールがあり
この世で
リーダーを選び
社会を営んでいます。

実際に
動かしているのは
神仏では
ありません。

人間の心が
この世を
動かしているのです。

だから、
この世に
天国も地獄も
存在するのです。

神仏は
私たちを創造しました。
そして
神の子として
仏の子として
神仏の確かな証を
それぞれの
一人ひとりの
心の中に
宿しました。

しかし
人間たちは
神仏の名の下に
殺し合いもしています。

神仏の名の下に
財産を略奪しています。

まるで
この世は
地獄の如く様相を
呈しています。

しかし、
神仏は
何も言いません。

干渉しないと
決めました。
そうでないと
修行に
ならないからです。
そうでないと
進化
しないからです。

神仏は
決して
無視している
訳ではありません、
自由を
与えているのです。

でも
人間同士の
あらゆる争いには
大変
心を痛めて
いらっしゃいます。

ただ、
どんなことが
起ころうが
必ず
神仏の子供たちが
真の自由の意味を
理解して
くれることを
信じて
下さっています。

その期待に
どう応えましょう。

まず、
私たち
人間の心を
清めないかぎり、
天国は
実現できません。

外にいる
限定された
神仏を語る
宗教が
私たちを
自由に
してくれることは
絶対に
ありません。

実際に
神仏の名を語り
自由を謳い
不自由にされて
お互いに
争っているのが
世界の
現状なのです。

私たちを
自由ならしめるのは
私たち自身です。
私たちの中に
内在する
神仏を見るのです。

自らの
強欲や
怒りや
憎しみや
慢心から
解放しなければ、
私たちは
決して
自由になることは
ありません。

私たちの
内部が
小宇宙です。
ミクロコスモス
なのです。

自分の中に
ご本尊があるのです。

自分の中に
宮があります。

自らが
寺であり社です。

内在する
神仏が在るのです。

自分の中に気高く
尊いものが厳然として
在るのに

外にある神が
尊く見えるのです。
外にある仏が
気高く見えるのです。

それは錯覚です。
外にはいないのです。

限定された
特定の人間に
神仏は
宿っているのでは
ありません。

例外を作らず
私たち全員にも
宿っているのです。

神仏は
『人の上に人を創らず
人の下に人を創らず』
なのです。
無差別なのです。

そんな
限定された
「この宗派を信じれば
救われる」とか

「この神仏を信じれば
自由になる」とか

「この教団から
離れたら
地獄に落ちる!」とか

罪や恐怖感を
煽るようなものが
真実で
ある訳が
ないのです。

神仏が
そんな
自我意識の中に
そんな
小さきものに
収まる筈が
ありません。

神は
真の自由です。

仏は
融通無碍です。

神仏は
全知全能なのです。

神も
仏も
上帝も
サムシンググレートも
根源神も
根源仏も
創造神も
創造仏も
同じです。
その地域や
人々が
元の元の存在
大いなる存在を
そう呼びました。

そう呼ばれている
存在が
私たちの中に
備わっているのです。

その存在が
強欲や
怒りや
憎しみや
慢心の心でいたり、

限られたものの
幸福を願ったり
恐怖感を
煽ったりする
筈がある訳など
ないでは
ありませんか。

神仏は
私たちが
苦しんで
いるのを見て
悲しんで
いるのを見て
共に在り悲しみ
そこから
生きる力を
与えんとされて
いらっしゃいます。

あらゆる災害や
あらゆる
不可抗力での
死を見て
悲しみ
その選択をした
魂を称え
次の新しい生を
与えんとされて
いらっしゃいます。

永遠の中で
私たちから
決して
離れることは
ありません。
どんなことが
あろうと
共に在って
くださいます。
こんな心強いこと
ありますか?

私たちは
他にどんな条件が
加われば
自由で
幸福なのでしょうか?

何もありません!
私たちが
気づくことが
できれば
私たちは
無限の財産を
既に
持っているのですから
永遠の生命を
与えられて
いるのですから
神仏の
持つところの
性質である
優しい心
思いやりの心
慈悲の心
感謝の心
等々
清い心が
数え切れないほどの
良心が
備わっているのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日は最後の
日かも知れません。
でも、今日
今の瞬間にそれを
気づくことができれば、
私たちは
その瞬間から
永遠の今を生きる
ことができるのです。

ありがとうございます。

2011年8月22日月曜日

“念いの点検”

私たちは
自分が発した言葉に
責任を負わなければ
いけません。

新聞やYVのニュース
等を見ていても
感じるのですが
世界的に
政治や企業の
リーダーたちの
言葉が
軽いように思います。

或いは
報道の仕方が
偏っているのかも
知れませんが
そう感じます。

しかし、
そのリーダーを
選んだのは
自分たちであるので
今の私たちの
総意であることも
事実です。

今、総意が変わろうと
していて
リーダーや
システムが
変わろうとしています。

是非、
明るい未来を
力強い言葉で
先導していく
リーダーシップの
発揮できる
リーダーが
選ばれて欲しいと
願います。

言葉というものは
言霊と呼び
言葉に魂が宿るとして
日本では
古くから重要視
されてきました。

万葉集での
柿本人麻呂の和歌にも

「しきしまのやまとの国は言霊の
さきわふ国ぞま福(さき)くありこそ」

と歌われています。、

言葉を発すると
いうことは
まず思わなければ
言葉となりません。

ということは
自分の思いをこそ
点検しなければ
なりません。

思いは
念いの方が
強い言霊ですが、
この念いは
字を分解しますと
今の心となります。
今この瞬間に
何を念うかが
重要になってきます。

念いは発した瞬間に
一人歩きを始めます。
念いは
人を
破壊する念いでも
人を
いたわる念いでも
別個の
生きものの如く
行動するのです。

例えば
他の人に対して
送った
あらゆる破壊的な
念いは
その人にも
向かうけれど
自らの念いに反して
自らにも
破壊的な念いが
降りかかってくるのです。

念いというのは
自も他も区別が
つかないのです。
そういう意味では
念いは
発した瞬間から
すべてに影響を
与えていくのです。
自他に関わらず
波及して
いくのです。

自らが
発した念いが
自らに
根付いていきます。

その念いの頻度が
自らの魂の傾向性を
形作っていきます。

破壊的傾向に
固まっていけば
今生での問題集が
説き終わらずに
来世に持ち越しとなり
業(カルマ)として
刈り取らなければ
なりません。

私たちは
自らの念いをこそ
点検してください。
自分の念いが
どこから来るのかを
チェックして下さい。

自分の念いが
自我意識からの念いは
結局のところ
自と他を分離します。

しかし
念いは発した瞬間
自と他を区別せず
他にも届くけれど
自らにも戻ってきます。

ですから
自我意識から
離れない限り
他も幸福に
出来ないばかりか
自らも不幸に
なっていきます。
どんどん不幸を
再生産させて
いってしまうのです。。

真我意識から
念いを
発することです。

真我意識とは
いたわりです。
思いやりです。
慈悲の心です。
美しいものを
美しいと感じとれる
意識です。
愛のこころです。
自らの良心です。
神のこころ
神性です。

自我からではなく
真我から
念いを発するのです。
愛の念いは
他に遍く届き
そして
自分にも及んできます。

真我意識は
発しているだけで
みんなが幸せに
なってきます。

見返りを求める
必要はないのです。
私たちが発した
愛の分量は
私たちにも
戻ってくるのです。
いや、何倍にも
戻ってくるのです。

その愛は
天界の蔵にも
貯蓄できるように
なっています。
「天の蔵に徳を積む」
ことで、
来世にもその徳を
使うこともできるのです。
幸福をどんどん
再生産していくのです。

自我意識に
囚われている以上
不幸を再生産して
いきます。

(By.Phoyo,Akiyo.I)
真我意識を
発見してください。

それは
ほんとうのあなたの
心なのです。

見つからない訳が
ないではありませんか。

真実の
自分なのですから。

真我である
愛を
見つめてください。
そして
念いを
愛から
発することです。

意識して
そうするのです。
意識して
発し続けてください。

やがて、
意識せずとも
愛の心で
念うことが
当たり前に
なってきます。
それ以外
念えなく
なってきます。

それが
私たちの
幸福への道です。

私たち
一人ひとりが
本来の姿である
真我から発する
念いが
人々に伝わり

受け取った人から
またその念いが
伝わっていきます。
まさに
愛の念いを
拡大再生産をしていく

それが、
世界をも
平和にしていくのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

私たちの念いが
愛と思いやりに
満ち溢れたものに
なっていけば、
少なくとも
私たちの周囲は
照らすことができます。

まず、
今日一日、
「ありがとう」を
投げかけてください。

それを
「愛しています」と
念いながら
実施してみてください。

それが
一隅を照らす
ことになり
世界を
平和にしていく
よすが(縁)となると
確信します。

ありがとうございます。

2011年8月21日日曜日

「違いを超えて」

真実は人の数だけ
存在する
そう聞くと
皆さんはどう思うでしょうか?

しかし、
これは真理なのです。
「これは真実だ!」
「これは真実ではない!」
という
ものの見方は、
自分から見た真実に
対しての
一方的な見方に
過ぎないのです。

人はそれぞれ
環境や性別等
条件が
異なった世界にいます。
その条件下で
事実というものを
構築しています。

例え、相手が
自分が考える事実とは
違っていても
相手からすれば
それが事実なのです。

事実とは
今この瞬間の
在るがままの状態の
ことです。

その在るがままの
状態を見て、
私たちは
私たちの認識を
持ちます。
その認識は
それぞれが
私たち固有の認識です。
その認識は
貴重であり
かけがえのないものです。

その認識が
「正しい!」とか
「正しくない!」とかは
関係ないのです。
あまり意味を持ちません。

実は
正しいとか
正しくないとか
意識をするのは
自我意識から来るのです。

自我意識は
自分と違う人や物事を
判断し排除しようと
いう意識が働きます。

排除する力が働き
反作用として
自分が他人から
排除される体験を
するようになります。

人は異なるから
すばらしいのに
肌の色や
言語の違い
生まれてきた環境
お金持ちや貧乏人
意見の違い等々の
違いをつけたがります。

人は
真我意識にあるとき
違いは学びであり
あるのは
在るがままの姿
今そこにある尊い
存在として輝くのです。

自らの内に
視野を広げてください。
そこに永遠なる
宝が備えてあります。

人は
外に目を向けて
ばかりいると
自と他との違いや
分離感に囚われます。

自我は
肉我であり
偽我です。
小さな自分に
限定された意識です。

真我は
神我です。
宇宙大に
拡大する自分です。
無限なる意識です。

無限とは
不可能はないと
言うことです。
無限の中で見る
世界では
“違い”という感覚も
景色が変わって見えます。

異価値だから
すばらしい。
異文化だから
すばらしい。
お互いの違いを
認め合い
共生する道を
見出します。

そこに
分離や排除や
排斥や拒絶は
ありません。

真我なる意識は
違いを超えて
統合なる道へ
向かいます。

自我意識による想いは
すべて空想でしか
ありません。
頭脳を捏ね繰り回しても
そこに答えはありません。
分離や排除や
排斥や拒絶は
根拠のない恐れから
やってきます。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日、
自分の内に入って、
真我を見つけてください。
そしてそれを中心において
在るがままの自分を
生きてください。
そのために
今日はあり
今という瞬間を
与えられたのです。

生かしていただいて
ありがとうございます。

2011年8月20日土曜日

「宮ぷー こころの架橋プロジェクト」

今日は、
「宮ぷー こころの架橋プロジェクト」
という
メルマガを紹介
させてください。

このブログでも
一度、紹介させて
頂きました。
東日本大震災に寄せての
山元加津子さんの
動画を貼付しました。
「是非、ご覧になって
友人にも紹介してください」
4月22日号ブログ参照)

山元加津子さんの日記を
一部抜粋して
星野ひとつさんが
メルマガとして
毎日配信してくれています。

山元加津子さんは
特別支援学校の先生を
しています。
以前は養護学校と
呼ばれていました。
その養護学校の
同僚だった
宮田俊也さんが
2年半前に
脳幹出血で突然
倒れました。
脳幹出血という病気は
ほとんでの方が
亡くなられる病気で
生存しても
ほとんどが
寝たきりになって
しまう病気です。
かっこちゃん
(山元加津子さん)が
献身的に
宮ぷー
(宮田俊也さん)を
介護して
奇跡的に宮ぷーが
回復していく姿を
綴った日記です。

同じ病にあり
毎日の闘病での悩みを
持つ家族の方々からの
こころからの
メールを紹介しながら

命の大切さ
重い病にあり
コミュニケーションの
取れない辛さを
解決する方法や
リハビリのあり方を
教えてくれています。

かっこちゃんの
強い思いと愛情は
患者との心の交流や
意思伝達装置など
知らなければ
いけないことを
知らないが故に
苦しんでいる人たちが
いることに対する
悲しみにもなっています。

一人でも多くの人に
知ってもらいたい。
かっこちゃんの強い
思いです。

最後にメルマガ登録
アドレスを
書いておきますので
是非、読んでいただき
お友達にも広めて
くださいますように
お願いいたします。

今日は
そのメルマガの中から
最新の三日間に
紹介されている。
森安さんという方の
講演での内容を
紹介させていただきます。


“子どもたちが教えてくれたこと”
『私たちの会社は平城宮跡朱雀門の隣にあります。
会社ができて36年になります。
社員は85名で、障害のある社員が14名、難病の社員が1名います。
私たちの会社はユニットバスを作っています。
工場で部品を作って、建築現場で組み立てて作るお風呂のことです。

人はみんな、持って生まれた能力があります。
100点の人もいれば、50点の人や30点の人もいます。
いろんな人がいるのがこの社会です。
私たちの会社には、知的障害のある社員がいます。
彼らの能力は確かに低いかも知れません。
でも、私たちの会社は、彼らが働くようになって、
50点や30点の人がいても、今までと同じ、それどころか、
今まで以上の結果が出せるんだということがわかってきました。

私が社員を採用するときの基準は、
「仕事にふさわしい人を採用する」というものです。
普通の会社は、応募者を比較して、優秀な者から順に採用します。
AさんとBさんが応募して、AさんとBさんを比較します。
Aさんは優秀、Bさんは能力が低い。
満場一致でAさんを採用するのです。
でも私は、仕事とAさん。仕事とBさんを比較します。
確かにAさんは優秀。
でもこの仕事ではAさんは能力を遊ばせてしまう。
Bさんは能力が劣る。でもこの仕事のレベルにふさわしい。
だからBさんを採用しようと。

その考えは今、さらに進んでいます。
仕事を誰でもやりやすく易しく変えていけば、
能力の低い人にも働いてもらえる会社になるのだと。
逆に、能力の高い者しか受け入れられない会社は、
働きにくい会社なのだと。
そして私たちは、
この会社に知的障害のある社員を迎え入れてから、
それまで目の前にあったのに、誰も気づかなかったことを、
たくさん教えられるようになりました。

今日はそんな彼らが教えてくれたことをお話していきます。
この写真は私たちの会社の知的障害のある仲間たちです。
また、毎年、養護学校の知的障害のある子どもたちが、
職場実習に来てくれます。
障害あるみんなは、いつもいつも、
いろんなことを私たちに教えてくれます。
私は、この障害あるみんなのことを
たくさんの人に知ってもらいたくて、
こうやってお話させてもらっています。

私はある出会いから、
養護学校の知的障害のある子どもたちと知り合いました。
障害のために、就職も難しく、
幸せとはほど遠い一生を送る子も多いことを知りました。
私はその場で、この子どもたちのために仕事をしようと思いました。
会社で職場実習の提案をしましたが、
「知的障害者は何をするかわからん」
「うちの会社に知的障害者が働ける職場などない」と言われました。
そんな中で初めての実習は行われました。
実習に来たのは高校2年生の男女3人です。
そして、私の思いどおり、
この3人の子どもたちの活躍は、社員たちの目を大きく変えてくれました。
今の私があるのは、この子どもたちのおかげです。

ところで私は、こんな夢を持っています。
私たちの会社には、知的障害がある仲間がいます。
この会社で、彼らが幸せに働いてほしい。
彼らが幸せに働ける会社は、みんなが幸せに働ける会社です。
そして、この社会もそうです。
障害ある人たちが幸せに暮らせる社会は、
みんなが幸せに暮らせる社会です。
だから、誰もが当たり前に働ける会社に。
誰もが当たり前に暮らせる社会に。それが私の夢です。

「障害者ってどんな人?」
障害者と聞くと、どんな障害か、程度は、どんな行動をするのか。
そんなことを人は気にするものです。
その人のことを知るのに、障害の種類とか、重さとか、
行動特性とかが真っ先に重要なことなのでしょうか?
私は未だにうちの社員たちの何が障害なのかは知りませんが、
彼はこんなことが好き、彼女はこんなすてきなところがある、
みんなこんなに一生懸命生きている。
そんなことを私は知っています。

この会社の社員で知的障害のある留美さんです。
勤めて3年になります。
前に勤めていた会社では
「あんたら障害者なんて雇わんでもええねんで」
と言われていたそうです。
彼女が初めて会社に来たときのことは覚えています。
受付から電話がかかってきました。
「森安さん。用件が自分でわからないという人が来てますけど」
留美さんが来たんだなと思って、私は受付まで迎えに行きました。
留美さんは困ったように受付簿の前に立っていました。
「留美さん、どうしたの?」
「・・・ようけんって・・・なんですか・・・」
「留美さん、用件というのは、今日
この会社に何をしにきたかということだよ」
「めんせつです」
「用件のところには、面接って書いてね」
「・・・めんせつ・・・かけません・・・」
「留美さん、ひらがなは書ける?」
「かけます」
「ひらがなで書こう」
留美さんは、ひらがなで「めんせつ」と書いて、
ようやく受付を通りました。
そして面接をしたのだけど、私はこの仕事を始めたことを後悔しました。
なぜといって、
留美さんはとっても小さくて、とってもみすぼらしかったからです。
こんな人がうちの会社で働けるわけがない。そう思いました。
でもとにかく、実習をして決めようということで、4日間の実習をしました。
仕事の覚えはとても遅かったのだけど、
2日めぐらいには、私は彼女を採用しようと決めていました。
それは、彼女は何をやっても絶対に、
あきらめるということをしなかったからです。
夕方に、「留美さん、ご苦労さん。また明日がんばろう」、
そう言うと、彼女は材料を家に持ち帰って家でも練習しました。
ご家族が見るに見かねて
「今日はもうそのくらいにしといたら」と言っても、
彼女はやり続けたといいます。
その気持ちがあれば、何でもできるのだと、私は思いました。

こんなこともありました。50枚ロットで仕上げていく製品です。
やっと50枚できたので、
「留美さん、ひと山できたよ。数かぞえてみて」、
そう言うと、留美さんは、
「・・・10、11、12、13・・・・・・わかりません・・・」
「え?もう一度かぞえてみて」
やっぱり留美さんは、
「・・・12、13・・・・・わかりません・・・」
「じゃあね、留美さん。10まで数えたら、また1から数えよう」
そうやって、10ずつ、5回数えて、留美さんは50がわかりました。

入社してからも引き続いて、
留美さんと私は朝から夕方まで、作業の習得をしていました。
研修期間が終わっても、
彼女が達成できた作業スピードはたったの30%でした。
それでも私は手を放して、彼女を製造現場に入れました。
1か月がたち、3か月がたち、
少しずつだけど確かに彼女は成長していました。
そして6か月がたったとき、
彼女は一人前の作業者になっていました。
それだけではありません。
彼女は見違えるように、明るくきれいになりました。
初めて会ったときのことを思って、
人はこんなに変わるんだと、私は思いました。
・・・・・

次は社員の将義君です。
特定のことにとてもこだわりがある彼です。
朝更衣室で髪型を整えます。どうみても丸刈りに見えるのですが、
鏡を見て時間をかけて髪形を気にします。
やっと髪型を整え終わるのだけど、
最初とちっとも変わっていないのです。
洗面所で手を泡だらけにして、10分ぐらい
手を洗っている人がいたら、それは彼です。
バスが大好きで、必ず運転士が見える一番前の席に座るのは彼です。
養護学校在学中に、ほかの会社に就職が決まっていましたが・・・
その会社の社員たちから「あんな子と同じ会社だと思われたくない」
という声があり、取り消しになったそうです。

彼はカウンターという製品を作る仕事をしています。
大きなプレス機を使って、たくさんの手順があって、
品質基準も厳しいとても難しい仕事です。
知的障害者にこんな難しい仕事は任せられないだろうという
見方に反して、彼は今1人でこの職場を任されています。
何かとこだわりのある彼は、仕事の手順も正確で、
検査も、非常に細かい
基準に正確に従うため、どんなキズも見落とすことがありません。
彼が検査したのなら間違いはない、とみんなに言われています。
私は彼が養護学校時代に、絵を描いたり工作をするのを見て、
物の成り立ちを見抜く力、物を作る力の優れているのに感心して、
この力はもの作りに活かせると思って、採用を決めました。
コミュニケーションはイマイチで、
いまだに話をするとかみ合わないことがあります。
でも4年つき合って、私は一度も困ったことはありません。

それからある養護学校で出会った、
知的障害のあるリサさんのことをお話します。
リサさんはおしゃべりが不自由です。
私はリサさんは何も考えてなくて、
何もわかってないんだと思っていました。
ところがある日、
たまたまリサさんが書いた作文を目にしてびっくりしました。
原稿用紙数枚にわたって、表現豊かにつづられた文章でした。
私は初めて、体や知的能力は不自由なところがあっても、
心はとても自由なんだということを知りました。
リサさんはメールが得意で、
送ったらすぐに生き生きとした返事が返ってきます。
そうやって、適切な補助があれば、
障害があっても自由に表現を楽しむことができるんだと思いました。
人の表面しか見ることができなかった自分に気づかされました。
ハンディがある人ほど、自分を表現できない、理解してもらえない、
もどかしい思いをしていることに気づきました。

最後に、職場実習にゲーム機を持ってきた生徒の話です。
「休み時間はいちばん好きな過ごし方をするんだよ」と言ったところ、
彼はゲーム機を持参しました。
そして、巡回で来られた先生に
「これは仕事と関係ないだろう。しまってこい」と言われました。
先生が帰られた後、私は彼に
「すぐ使いたいものは手元に置くんだよ」と言いました。
彼は安心して仕事をして、休み時間はすぐゲームをすることができました。
そして、自分で時間を守って、また仕事に向かいました。
大事なのは、こだわることも好きなことも思い切りやって、
仕事も集中してやる。そのけじめが自分でつけられることです。
私たちは「余計なことはやめさせることによって、仕事に集中させよう」と
思うものですが、それは教育の半分ができていないのです。
彼にとってみれば、どれも同じだけ大切にしているのだということを、
忘れてはいけないと思います。
好きなことをやめれば、きっと、仕事もできない、
切り替えもできない中途半端な人間ができあがることでしょう。
同じ気持ちで私は知的障害者の作業支援の勉強をしたときに、
こんなことを学びました。
知的障害者に仕事を教えるときは、こうするんだという方法です。
実際いっしょに仕事をしてみてどうだったのでしょうか。

1.初めから一貫して(同じ方法で)繰り返す
2.指示者、指導者は同じ指導をする
3.理解しやすい方法を考える
4.指導内容をいっしょに整理する
5.できたことをほめる
6.理解したかどうかの確認をする

ひもで作る部品があります。
養護学校の生徒には、同じ形にそろえるのが難しい作業でした。
私がいっしょに作業しながら、つまづいているところを観察して、
わかりやすい手順書を作って、
養護学校の生徒にも、この作業ができるようになりました。
後日製造課に行ったとき、
社員がみんなでその手順書を使っていました。
「これは、みんながわかりやすいから、使わせてもらってるよ」と。

私は、養護学校の生徒が、この作業がわかりにくいから、
できないから、それを何とかしようと思ってやったのだけど、
そんなことではありませんでした。
みんながわかりやすい、みんなができるということが、
いちばん尊いことなんだと。そうすれば、障害の有無なんて
関係ないんだと思いました。
障害あるみんなが、この作業はわかりにくいよ、
この作業は力がいってしんどいよ、この部品は何でこんな形なの?
といろんな疑問を出してくれました。
私たちはそれを一つ一つ改善していきました。
その結果どうなったでしょうか?
障害ある人だけが助かったのでしょうか。そうではありません。
職場のみんなが、わかりやすくなりました。
楽にできるようになりました。
健康な環境になりました。扱いやすい形になりました。
障害あるみんなが来てくれるまで、
私たちは何年も気づかずにいたことが、たくさんありました。
こうやって、障害あるみんなに気づかされて、
初めていろんな改善をしてきました。
指導法とか上から目線なものはあるわけですが、同じ気持ちで、
目の前にいる相手と学び合うことがいちばんだと思ったものです。

次のお話は、養護学校の佐和さんです。高校2年生でした
が、小学生のように小さい子でした。
会社で用意したいちばん小さい安全靴もぶかぶかで、
詰め物をしてはきました。
「口ばっかり達者で、学校では何もできない子なんです」と、
先生はおっしゃいました。
佐和さんの職場実習は、製品に部品を取り付けて、包装する仕事でした。
「部品を取り付けるよ。まずドライバーを持って」と言ったら、
ドライバーに手が届きませんでした。ドライバーの位置を下げましたが・・・
今度は手が小さすぎてドライバーをしっかり持てません。
ビス1本打つのに1日中失敗し続けました。
手が小さすぎてテープカッターもちゃんと使えませんでした。
周りの社員が、ドライバーの持ち方、
テープカッターの持ち方を教えるのですが、
手が小さすぎて、全然そのとおりに使えませんでした。
見ている私のほうがヘトヘトに疲れて、
もうやめよう、
もう別の簡単な作業に変えようと何度思ったことでしょう。
でも失敗しつくしてあきらめるまでやらせようと思いました。
その日1日終わって、
私は明日少し様子を見たら、後は簡単な作業に変えようと決めて、
現場にも予定変更を連絡しました。
ところが次の日、佐和さんは自分の工夫をし出しました。
手だけではしっかりドライバーが持てない彼女は、
手と体でドライバーを固定して、体ごとビスを打ちました。
テープカッターは両手で持って体を使ってテープをカットしました。
実習が終わるころには佐和さんの顔は自信があふれていました。
この実習で口だけでなく仕事も達者な佐和さんになりました。

佐和さんは失敗しつづけていたのではありませんでした。
佐和さんは挑戦しつづけていたのです。
そして、挑戦しつづける人に失敗という言葉はないのだと、
佐和さんは教えてくれました。
口が達者な佐和さんは私に向かってどんなに
こう言いたかったことでしょう。
「私を信じて!待って!」と。
私たちは何もできなかったのに、自分の力でがんばりぬいて
ついに乗りこえた佐和さんの姿に、
「佐和さん、よくがんばったね」と言ったきり、
胸がいっぱいになって私は次の言葉が出てきませんでした。

この彼女は高校3年生だったゆみこさんです。
人との信頼関係作りがとても難しい彼女でした。
人間関係を作っていけるように、
毎月2日ずつ長期にわたって職場実習に来ていました。
いつもこんな顔で、居場所がないような、
おびえたような顔をしていました。
仕事場では一度もまともに言葉を発することもなく、
一度も笑うこともありませんでした。
現場では
「この子は手に負えない」
「こんな子の面倒は見られない」と言っていました。
私は「彼女は自分をどうやって表現したら
いいのかわからないのではないか。また、
相手との距離感を測っているのではないか」と思いました。
私はそんな彼女だからこそ、
どうしても友だちになってみたいと思いました。
ミーコというあだ名をつけて、昼休みにはいっしょにお弁当を食べて、
いつもミーコミーコと話しかけていました。
彼女は、「はあ」とか「ふん」とかそんな返事しかせず、ま
ともにコミュニケーションが取れませんでした。
月に2日しか会社に来ないので、
それだけでは友だちになるのは難しいと思いました。
そこで、彼女に手紙を書くことにしました。
私はこんなことが好きで、いつもこんなことを考えているよ。
そんな手紙を書きました。返事はありませんでした。
それから毎週手紙を書いていました。
書き続けた手紙は46通ありました。
それからミーコは、私にはいつも笑顔を見せてくれるようになりました。

一度だけ彼女から手紙をもらいました。
彼女が初めて、自分の言葉で自分の気持ちを伝えてくれたと思い、
たった1枚の手紙がこんなに重たく思えたことはありません。
でもミーコにはやっぱりこの社会で働くことは難しく、
今はどこか遠い施設で暮らしていると聞きました。
でも、ミーコが私にくれた笑顔と、私の前では驚くほど仕事を
していたその姿が、彼女の本当の姿だと、私は今も思っています。

私にはこんな夢もありました。
養護学校を卒業した人だけで、一つの職場を作ってみたい。
あるとき現場の社員にそんなことを言ったのです。
すると「それは最悪の場合や!」と言われました。
そうか、養護学校の子は最悪なのか・・・。
私は将来必ず夢を本当にしようと思いました。

木のパレットを修理する仕事をしている社員です。
養護学校を出たこの2人が、今立派にこの仕事をしています。
その職場に実習に来たのが、
知的障害と自閉症を併せ持つという、
高校3年生のたかゆき君です。
たかゆき君はこのパレット修理の仕事の実習に来ました。
8月の暑い5日間でした。

事前にたかゆき君のお母さんから、
サポートブックが送られてきました。
私は、きっと彼も私たちのことを知りたいだろうと思い、
会社のサポートブックを作って彼に送りました。
彼はそれが気に入って何度もながめていたそうです。
実習が始まりましたが、
たかゆき君はよくわからない仕草をしたり、
講義中に大あくびをしたり、場違いなところで大笑いしたり、
仕事中に扇風機にあたったり、外をうろついたりしました。
障害ある社員たちが実習の担当をしました。
最初の2日ぐらいは、なかなか意思が伝わらず、
重たい雰囲気でした。
社員は「くぎうちをやってみよう」「のこぎりで切ってみよう」と
根気強く同じ声をかけ続けました。
3日めぐらいから意思がスムーズに伝わるようになり、
たかゆき君は7種類の工具を使いこなし、
4日めの午後にはくぎうち機という機械も使えるようになり、
5日めには1枚のパレットを1人で修理するという、
修了課題を難なくこなしました。

実習も終わって社員たちとお別れのとき、社員の一人が
「ようがんばったな。自信持てよ」と言ったら、
たかゆき君はふいにボロボロと涙を流しました。
高校生なのに純真だなぐらいに、私は思っていました。
後でたかゆき君のお母さんからこんなお話を聞きました。

----たかゆきは3歳のときまだ言葉がなく、
私はいつかこの子の声を聞きたいと、
毎日同じことを何十回も声かけしていました。
この実習で、会社の方がそれと同じように、
一つ一つの作業に、「これをやってみよう」
「これはできるかな」と、
5日間続けてくれているのを見て、胸が熱くなりました。
私は、たかゆきが感動して涙を流す姿を初めて見ました。
自閉の子には、そんな表現は難しく、18になるこの子には
もうそんなことはないのだと、私はあきらめていました。
人の心にたかゆきが動かされ、自然に涙が出たのでしょう。
私はたかゆきに言いました。
「痛いときだけ、涙が出るんじゃないよ。
嬉しいとき、お別れするのが寂しいときにも、
涙は出るんだよ。それはすてきなことなんだよ」
と。たかゆきが自閉症の診断を受けたとき、
周りからは「早期療育が大事。
3歳では遅すぎる」と言われました。
「療育」で頭がいっぱいになった私は、
たかゆきに無理やりいろんなことを教え込もうとしていました。
そんなある日私は気がつきました。
これはたかゆきのためではない。
私の自己満足のためにやっているんだ。
これからはこの子のペースで楽しくやっていこうと。
療育のスタートが遅れたことで、
自分を責める気持ちもずっと消えたことはありませんでした。
でもこの実習で、素直に明日が信じられるようになりました。

私は障害のことは何も知りませんでしたが、
お母さんの話を聞いて「人の可能性って、
測り知れないなあ」と思いました。
でもその可能性も、私たちに「人を受け入れる力」がなければ、
一生埋もれたままです。
障害者支援というけれど、
この子たちの光をさえぎっている、私たちが変わること。
それが最高の支援だと、私は思います。
私はコスモスが大好きです。
風にゆらいで頼りなげだけど、みんなで支え合って、
またお日様に向かっていくのです。
コスモスを見ると、
私の大好きな子どもたちを思い出します。
子どもたちは教えてくれました。
この社会はパズルみたいだねって。
人はそれぞれ、できること、できないことあるのだけど、
みんなが合わさって、一つの絵が完成するのです。
重要なピースとそうでないピースなんて区別はありません。
どのピースも同じ大切さを持っています。
この社会には易しい役割から難しい役割まで、
いろんな役割が必要です。
だから、いろんな役割を担うために、
人はいろんな違いを持って生まれてくるのだと思います。
パズルのピースのように、お芝居のキャストのように、
みんながそろわなければ、この社会も完結しない。
その「ちがい」こそ、私たちが生きていく力なのだと。
だから
誰が欠けてもいけない。みんなで一つの命なんだと、
私の大好きな子どもたちは教えてくれました。
そして、それは私ひとりが知っているだけでは、
取るに足らない小さなことです。
「ひとりひとりが大切で、すてきな存在だということを、
世界中の人が当たり前に知っている世の中にしたい。」
だから、私は、この子どもたちが教えてくれたことを、
みんなに伝えていこうと決めました。・・・・・

最後に、なぜ私がこの仕事をするようになったのか、
そのきっかけをお話しします。
それは4年前の5月のことでした。
ある日の夕方受付から電話がありました。
「森安さん。養護学校の先生、来られてますけど・・・」
先生が電話口に出て来られて
「こちらの会社では養護学校の生徒の
職場実習をやってもらえないでしょう
か」と。
養護学校?職場実習?そんなの会社の仕事と関係ないよ。
私は電話口で断ってしまおうと思いました。
でも私は思い直しました。
知らない学校の先生が会社に来るなどということは、
なかなかありそうにないことです。
話だけでも聞いてみようかと思い、私は先生を迎え入れました。

先生は「職場実習のお願い」という紙を見せて、
「こんな生徒たちで、就職も難しい。
せめて職場実習だけでもやってほしい。
一人でもいいからお願いします」と。
それを聞いても私はピンとこなくて、
別にうちの会社でやらなくてもいいよね、なんて思っていました。
やっぱり断ろうと思ったのだけど、私はもう一度思い直しました。
この話の主役は養護学校の生徒たちです。
会ったこともないのに、断ってはいけないかなあと思い、私は先生に
「生徒たちに会わせてくれますか」と言いました。

10日後に約束して、私は学校に行きました。
でも、本当は学校の前まで行って、私は学校に入れませんでした。
ちょうど休み時間で子どもたちが遊んでいたのだけど、
叫び声や奇声が聞こえてきて、私は怖くなりました。
やっぱりこんなところに来るんじゃなかった。もう会社に戻ろう。
そう思って、一度は門の前を通り過ぎ、
でも・・約束だから・・・また戻ってきて・・・
そんなことをしているうちに、先生に見つかって、
私はしかたなく学校に入りました。
そうして恐る恐る出会った子どもたちだったのだけど、
子どもたちは、とても優しく、温かく、私を迎えてくれました。
「思っていたのと違うなあ。何てかわいい子どもたちなんだろう」
そのとき私はそう思いました。
こんなかわいい子どもたちが、
障害があるために、幸せになれないんだって。
でも、そのとき、私はとても心が痛みました。
私は、障害とは、体が不自由なことだと思っていました。
知能の発達が遅れていることだと思っていました。
でも、この子どもたちから見たとき、
本当の障害とは、この子どもたちを受け入れてくれない
この社会のことだと気がつきました。
そして、それは、
この子どもたちを知ろうともしていなかった、私のことでした。

こんな私を優しく迎えてくれた子どもたちが、
私はその場で大好きになりました。
これから、この子どもたちが幸せになる仕事を、私はしよう。
そう心に決めて4年がたちました。
私の大好きな子どもたち、
そしてこんなすばらしい子どもたちを
育ててくださっているみなさまに、私の感謝の気持ちを捧げます。
そして、私たちの当たり前を、社会の当たり前に。
それが私の願いです。つたないお話でした。ご清聴あり
がとうございました。森安 英憲・・・・・』

森安さん
ありがとうございました。
森安さんと
ハンデを持った方との
心の絆を感じました。

お互いにお互いを
必要としている
このつながりは
永遠の魂の中で
育んでいるんだと
感じさせていただきました。

「宮ぷー こころの架橋プロジェクト」は、
こんなすばらしいお話が
毎日のように届けられます。
かっこちゃんが発した
愛情がインフルエンスして
愛の架け橋になっています。

最後に
メルマガの登録URL等
載せておきます。

共有ありがとうございます。

プロジェクトのページ(こちらでメルマガ登録=プロジェクト参加できます)
http://www005.upp.so-net.ne.jp/kakko/miyapupuro/kokorokakehasi.html
携帯からは空メールを送れば登録できます。
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2011年8月19日金曜日

“シンクロニシティ”

今日は
このブログで
何回も紹介している
中国の深センで
設計事務所を
経営している
日本人の
友人からの
メールを紹介します。
友人からの学び
6月10日号参照)

『アーカメロディ兄へ
昨日は陸の移動で1800キロの出張、
湖南省へ行きました。
今日は久しぶりにお世話になった、
黄さんに会いました、
自分が深センにくるようになった、
最初のお客さまです、
彼からいい話し聞きました。
彼の会社がいよいよ駄目になろうとした時
公園のベンチで一人、
置いてあった新聞に目をおいて、
ただ見ているふりをして下を見ると、
5才ぐらいの子どもが、
「叔父さん!どうしたの?辛い事が有るの?」
と言います。
どぎまぎしていると、
「寝て起きればなおるよ!」と言われ、
そうだ!
こんな簡単な事も忘れている自分に気づき、
うれしくて、なみだがとまらない、
沢山の思いをかさね、
身動きのできない自分に気がつき、
新たな道に踏み出すことができた
という原因の話しです。
自分はこの人大好きです。 ○○』

私からの返信です。

『○○さん
いつもありがとうございます。

日本では
1800キロの陸路での移動は
考えが及ばないですね。
本当に○○さんはタフですね!
私はよく夢で宇宙に飛びますが(笑)

上帝はいろいろな機会を
与えてくださいます。
どんな名監督でも
演出することのできない、
素敵な出会いを、
偶然を装って、
感じる魂に響きます。
いい話です。
ありがとうございます。』

人はいるべくして
そこにいて、
会うべくして
その人に会い、
起こるべくして
物事が起こります。

本屋さんに行って
何万冊もある中から
その本を手に取り
購入して読む
自分が
求めていたことが
書かれていた。
よくある出来事です。

何年かぶりに
思い出した友人が
尋ねてきたり
電話があったりします。
頻繁に起こります。

人はそれを
偶然の一致と
言います。

しかし、
偶然はありません。
すべて必然として
起こっています。

紹介した友人の
メールのように
黄さんが
会社の経営が
思わしくなく
二進も三進も
身動きが取れない時に
偶然を装い
訪れる必然の出来事。

神は
5歳の男の子を
神の使いとして
黄さんの
目の前に現します。

黄さんに
感じる心があるから
感性で受け止めます。

うれしくて、
うれしくて、
溢れてくる涙の気づき、

そして
囚われている心から
解放され
新たな出発を
していきます。

新しい
黄さんに
祝福を送りたいと
思います。

カール・ユングさんは
この
「意味のある偶然」のことを
「シンクロニシティ」と
呼びました。
「共時性原理」と
翻訳されています。

ユングさんは
「全ては繋がっていて
連動している」と
言います。

通常活動していない
意識の潜在意識下で
私たち人間だけでなく、
生きとし生けるもの
すべてを繋げている。
そして互いに
影響を与えあい、
連動して動くという
仮説を立てました。

そうです。
私たちは
内面に
問いを発している時
宇宙のすべてと
繋がっています。

ユングさんの
言うところの
シンクロニシティが
起こります。

ただ、
私たちは
表面意識で
外を見る限り
それが、
シンクロニシティとは
気づきません。

内面を
見つめることです。
見つめ続けることです。

そうすると、
あらゆる出来事が
意味のある
偶然であり
シンクロニシティである
ことに気づくように
なります。

私たちの
周囲は
シンクロニシティに
溢れています。
常に
私たち自身が
発信機であり
受信機なのです。
そして
すべての
生きとし生けるものと
繋がり
連動しています。

それが
根源なる神の
私たちへの
粋な計らいなのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

さあ、
今日も多くの
シンクロニシティが
起こっています。
今日一日
感性を持って
会う人や
出来事を
見つめてみましょう。

ありがとうございます。

2011年8月18日木曜日

「チャクラとは」

チャクラという
言葉を聞いたことが
あると思います。

チャクラについては
いろいろな解説書が
あり、
それぞれの解釈も
あります。

チャクラとは、
サンスクリット語で
「車輪」を意味します。
身体の中には、
主に7つの
エネルギーセンターが
あります。

私が
考えるところの
チャクラとは
内奥に存在する
神性に繋がる
通路と
考えています。

大宇宙の
惑星も
太陽

火星
水星
木星
金星
土星
とあります。

私たち人間も
小宇宙です。
惑星と同じように
代表的な
7つのチャクラが
あります。
7つの教会とも
言います。

私たちには
神性があります。
これは、
何回も言っています。

従って
神と同じ自覚を
持つことが出来ます。

しかし、
肉体こそ
自分と思い
自我意識にある時
チャクラの
通路は閉じたままに
なっています。
教会の門も
閉じたままです。

真我意識にある時
チャクラの
通路は開かれるのです。
教会の門が
開かれます。

肉的に生き
霊的に生きていないと、
閉じた教会となり
神は顕れることが
できなくなります。。

神と私たちは
惑星も全て
霊的中枢で
繋がっているのです。

7つのチャクラについて
簡単に説明します。
7番目のチャクラ
(ラサハスラー) 
頭頂にあるチャクラで
クラウンチャクラと
言います。
松果体を活性化したり
左脳・右脳の
バランスを取ったり、
意識のチャクラで
すべてをコントロールする
働きを持ったチャクラです。
内的、霊的なチャクラで
高次元と繋がります。
 
6番目のチャクラ
(アジュナ ) 
第三の目と
呼ばれている
眉間にあるチャクラです。
サードアイチャクラと
言います。 
内側を見る力を伸ばす。
透視する能力や
想像する力、
洞察力や直観力という
働きを持つチャクラです。

5番目のチャクラ
(ヴィシュダ ) 
喉のあたりにある
チャクラです。
スロートチャクラと
言います。
コミュニケーション能力
の働きを持つ
チャクラです。
誠実性とか、
優しさ、智慧を
持って接することが
できます。

4番目のチャクラ
(アナハタ)
人間の心臓部分に
位置するチャクラです。 
ハートチャクラと
言います。
愛や調和
慈悲心や寛容の心
と言った働きを持ちます。
神聖な愛の感覚を
育みます。

3番目のチャクラ
(マニプーラ ) 
みぞおちに
位置するチャクラです。
ソーラーチャクラと
言います。
この太陽神経叢の
チャクラは
エネルギーの
同化や消化の
働きがあります。
このチャクラは
発生する
個的なエネルギーの
コントロールや
集中をつかさどり、
力の権威と
関係しています。

2番目のチャクラ
(スワディスターナ ) 
お臍の直ぐ下に位置する
チャクラです。 
ベリーチャクラと
言います。
感情や性欲、
生殖能力に関係しています。
アドレナリンの生産も
このチャクラです。
肉体的愛や、
情熱や性衝動、
喜びの感覚と
繋がっています。

1番目のチャクラ
(ムラダーナ ) 
尾てい骨の先端部に
位置するチャクラです。
ベースチャクラや
ルートチャクラとも
言います。
肉体と繋がっている
チャクラです。 
物質界の基礎の
安全や生存に関する
ものに対して
責任を持ちます。

以上、
7つのチャクラについて
簡単に説明しました。

上から
クラウンチャクラ
サードアイチャクラ
スロートチャクラ
ハートチャクラ
迄のチャクラを
活性させることです。

ソーラチャクラ
ベリーチャクラ
ベースチャクラは
人間が
この肉体次元に
ある以上
避けられないものであり
大切なものであります。

しかし
ハートチャクラから上の
チャクラが開いて
活性化されれば
それらを
受け止めながら
解放することが
できるのです。
そのエネルギーを
浄化することが
できます。
霊的なエネルギーが
満ち溢れてきます。

この霊的中枢と
神の中枢との
連絡通路が
チャクラなのです。

その
チャクラを
開く方法として
瞑想があります。

瞑想は
内奥の神へと
繋がる
通路に至る道です。
愛の根源より、
7つの教会の門が開き、
7つのチャクラが
開かれるのです。

瞑想は
目を瞑り想うことです。
それでは
何を想うのでしょうか。
一心に
神を想うのです。
神の無限を
感じるのです。
神の永遠を
感じるのです。
神の光に
満たされるのです。
そして、
神の智慧を得るのです。
チャクラを
開くのです。

神の無限の愛が
流れ入る
神の無限の光が
流れ入る
神の無限の智慧が
流れ入る
神の無限の力が
流れ入る

私は今、
神の無限の
エネルギーで
満たされている。
生かして頂いて
ありがとうございます。

神は今、
私の内にあり、
私は今、
神の内にあります。
神我一体です。

それを
一心に想うのです。
これが
真実の瞑想なのです。

親鸞さんは
念仏を説きましたが、
念仏とは常に
仏を想うこと、
今の心(念)に
仏を想うことです。
念仏とは
お経を唱えるという
意味で使いますが、
ただ、一心に
仏を想うことなのです。

仏の無限の慈悲が
流れ入る
仏の無限の光が
流れ入る
仏の無限の智慧が
流れいる

私は今、
仏の無限の
エネルギーに
満たされている。
生かして頂いて
ありがとうございます。

仏は今、
私の内にあり、
私は今、
仏の内にあります。
仏我一体です。

親鸞さんは
知識を
得ただけでは
仏にならないことを
悟ったのです。

知識を全放棄して
念仏僧になったのです。
ただ、仏を一心に想い
仏を体験する
お坊さんになったのです。

今日は
神仏に至る
通路
チャクラについて
話してみました。

共有
ありがとうございます。

2011年8月17日水曜日

“自我意識と真我意識”


このブログでは
自我と真我(神我)という
言葉をよく使います。

自我意識といっても
いいのですが、
肉体をこそ我であると
捉える意識のことを
言っています。

一方、
真我(神我)意識は
内なる神性をこそ
我であると
捉える意識のことを
言っています。

自我意識を
肉我意識とか、
偽我意識とも
言っています。

真我意識を
神我意識とか
完全意識とも
言っています。

肉体なる我は
有限であり
いつか必ず滅びる
ものであります。
そこからは誰も
逃れることは
できません。

真我なる我は
無限であり
永遠に滅ぶことは
ありません。

私たちは
滅び行く有限なる我を
重要視して
毎日を送っています。

自我意識は
肉我意識ですから
肉の目で感じますから
自分と他人と
別のものと見ます。
分離した見方です。
そこから対立も
生まれてくるわけです。
滅び行く有限にこそ
最終点を見ているから
苦となるのです。
事実は生命は
永遠なのです。

私たちの
真我なる意識は
不可視です。
肉眼では見ることは
できません。
しかし、
瞑想を通じて
内観を通じて
インスピレーションとして
確かな実感を持つことは
できます。

その意識の領域は
無限であり
永遠です。
決して喪うことのない
完全意識です。

この完全意識は
生きとし生けるものの
一つひとつに
備わっています。

皆、同じひとつの
完全意識が
神我意識が
宿っているのです。

そこに対立はありません。
自他一体なのです。
神なる意識には
一点の空間もないのです。

私たちは
自我意識に
打ち勝たねばなりません。

肉我の我に
打ち勝って、
真我の我に
還らなくてはなりません。

敵は自分です。
自分を縛っているのは
自分だけなのです。
自分以外の誰も
私たちを
縛ることはできません。

太陽は
自我意識を
持つでしょうか?

ただ、
永遠に
光を
照らし続けています。

地球が少しずつ
回転していて
昼夜を分かち
闇を見ているに
過ぎないだけです。

本質から見た太陽は
生命の息吹である
光を永遠に
生産しているのです。

しかし
例え、私たちが
同じエリアで
同じ時間帯で
夜という
闇を見たとしても、
必ず、朝には
太陽が
昇ってくるのです。

毎日訪れる
今日という瞬間
太陽が昇り
エネルギーが
満ち満ちて来るのです。

愛と
智慧と
生命に
溢れた一日が
始まるのです。
その栄光に
気づけば
いいだけなのです。

真我意識とは
今、
この瞬間に生きる
ということです。

何故なら、
過去も、
未来も無く
永遠の今だけが
存在していることを
気づくことが
真我意識だからです。

私たちが
真我に目覚める時、
永遠の
今という瞬間を
初めて
手に入れることに
なります。

自我意識で
得た認識は
過去の出来事です。
過去はないのですから、
幻影に
過ぎないのです。

今に生きるということは
自我意識を手放す
ということです。

過去の擦り切れた
幻影に
縛られないで
ください。

その代わりに、
自由自在な
無限なる愛
無限なる智慧
無限なる生命を
感じてください。

新しい我に
新我に真我に神我の
意識に
立ち帰ろうでは
ありませんか。

ありがとうございます。

2011年8月16日火曜日

「自分の本質を知る!」


昨日は
近くの氷川神社に
感謝参りに
行ってきました。

以前書いた
「茅の輪くぐり」
7月4日号ブログ参照)
でも紹介しましたが、
毎月1日と15日近くの
土・日に行っています。
昨日は
お盆休みでしたので
行ってきました。


いつものように
感謝の言葉を述べ
二礼二拍手一礼をして
お賽銭箱の横に
おいてある
「生命の言葉」の
短冊を
頂いてきます。

昨日の短冊には
こう書いてありました。

「知って行わざれば
知らずに同じ」

「いくら頭で知っていても、
実際に行わなければ、
知らないことと同じである」
『慎思録』

この言葉は、
貝原益軒さんという
江戸前期の儒学者の
言葉です。

裏の解説に
こう書いてあります。

「人生まれて
学ばざれば
生まれざるに同じ、
学んで
道を知らざれば
学ばざるに同じ」
に続く言葉。

人は生きていくには
勉強しなければ
ならない。
そして、
正しい道理を知り
それを
役立たせなくては
ならない。
そして、
それを実際に
行動に移さなければ
何の意味も
ないのである。
教育とは何かを
説いた言葉である。

知行合一
(ちこうごういつ)と
いう言葉がありますが
陽明学の中心の
思想でもあります。

また、
知るだけでは
それは知識であり
実践して
はじめて
智慧となるのである。
も学んだことが
あるでしょう。

私たちは
正しい道理(真理)を
知ったならば
まず、実践して
それが真理である
実感を体得します。


真理を体得した
感覚として
精妙なる至福感に
満たされていきます。
平和であるという
安心感や
統合されていく
一体感が自分の中から
醸成されます。

その気持ちは
味わったものの
しるしです。

その気持ちを
他の人にも
味わってもらいたいと
思います。

正直
言葉では
正確には
伝えられません。
体験に
基づいたものです。

それを
出来るだけの
表現を用いて
伝えます。

何を伝えたら
いいのでしょう?

私は
究極的には
自分と言う
人間の本質を
知ることを
伝えます。

それを
知らずして
この人生を終えては
ならないからです。

私たちが
真理を
学ぶということは
自分を知ることです。

自分の本質を
知ることです。
自分の中に内在する
神を知るということです。

神の居るところに
自分が居り、
自分の居るところに
神が居る。
この神聖なる
自分の本質を
知ることです。
本質である神に
自分をすべて
委ねるのです。

私たちは
自我意識、
肉体意識で
もがけばもがくほど、
苦しみは
拡大していくのです。
私たちは
この形ある人間に
囚われていて、
四苦八苦しています。
この形から
離れなければ
なりません。

私たちの中に
内在する本源の
神が存在しているのです。
無限なる神が
内在しているのです。

天国は
遥か空の彼方に
あるのではないのです。
私たちの内に
その場所はあるのです。
それが
イエスさまが
仰った
“天国は汝の内にあり”の
意味なのです。

お釈迦さまも
「内観をしなさい!」と
お弟子さんたちに
仰っていました。
外観を見なさいとは
一言も言っていません。
「内を観よ!」と
言ったのです。

そこに
本質があるからです。
そこに涅槃の境地が
あるからです。
それは無限なのです。

私たちが
無限を認めたとき
はじめて
無限を知ることに
なります。
その無限を
受け入れた時
無限に満たされて
いくのです。

無限の自覚です。
その自覚を持って
自分の主なる無限を
愛していくのです

無限を感じたときに
苦難や困難は
彩(いろどり)を変えて
いくのです。
それは
悩み、苦しみから
離れて
無限の進化へと
飛翔していくのです。

真理を知る
ということは
自分を知ると
いうことです。
無限なる自分を
知るということです。

そして
真理の導き手は
常に
私たちと共に
一番近くに
私たちの中心に
在るということを
今日は
伝えたいと思います。

ありがとうございます。

2011年8月15日月曜日

“精神の時代を生きる”


今日
8月15日は
終戦記念日です。

多くの方が
66年より前の
この戦争で
尊い命を喪いました。
冥福をお祈りいたします。

この日を迎える度に
「二度と同じ過ちは
しない!」と心に誓います。



私は
戦後生まれなので
この戦争の経験は
ありません。

ただ、戦後の
物のない時代の
体験はあります。
いつもお腹は
すいてました。
でも、
みんなが
そうでしたから
どうということはなく、
水道の蛇口から
水を飲めば
それでもう
外に飛び出し
遊んでいました。

戦後
戦争責任云々と
語られてきました。
繰り返さない愚を知る
検証としては
一定の
価値はありますが、

その時代時代の
日本人の
集団的意識が
そうしたのであり、
個人に責任を
転嫁するのは
どうかと思います。

戦争にしても
どんな争い毎にしても、
精神的構造としては
“怖れ”から
発生するものです。
肉体を維持する上での
基本的な“怖れ”

「食べられなく
なるのではないか?」

「殺されるのではないか?」
「食料が
不足するのではないか?」
等々
“怖れ”が
他を侵略してまで、
奪おうとする
あさましい行為となって
発生するのが
戦争であり
あらゆる争いです。
今でも、
エネルギーが
欲しいために
エゴとエゴが
ぶつかり合っています。

今、世界は岐路に
立たされています。
そのような争い毎で
収奪する当事国が
デフォルトといって
国家的な破産の
危機に陥っています。

今までの時代は
音を立てて崩壊し、
新しい時代
アクエリアスの時代
精神の時代に
突入しています。

私たちも
変わっていかなければ
なりません。
唯物的世界は
終わりを告げなければ
なりません。

物が欲しいために
お金を稼ぎ
人よりも
大きな家に住み
人よりも
高級な自動車に乗り
人よりも
美味しいものを食べ
人よりも贅沢をし
人よりも
人よりもと
もっともっとと
貪り続けた結果
人が誰もいなくなったら
どうなるのでしょう?

それでも
幸せなんでしょうか?
何か、
そんなふうに
毎日を送っている
ようにしか
思えなくなります。

私たちは
この肉体を
至上とした
生き方を
改めなくては
なりません。

有限な肉体を
喜ばせるために
有限な物質を
求めている。
すぐに
滅びるもののために
貴重な一生をかけて、

もう充分に
体験したから
いいでしょう?
そこに
留まってはいけません。
そこに
真実はないのです。
そこに
本質はありません。

私たちは
無限に生きなければ
なりません。
決して失うことのない
無限の世界に
永遠の世界に
本質の世界に
生きなければなりません。

それは
イエスさまが
“汝の救いは汝自身なり"
と言ったように
自分自身の
私たちの心の内側に
それは
厳然としてあるのです。

真理の実践とは
無限に生きることです。
私たちの
内奥にあるところの
神なる性から語り、
行為することなのです。

無限より語る言葉は
天声となり
人を輝かせます。

2000年前に
イエスさまが語った言葉も

2600年前に
お釈迦さまが語った言葉も
無限より語りました。

私たちが語る言葉も
イエスさまや
お釈迦さまと同様に
無限より語ることが
できるのです。

無限なる神には
一切の差別はありません。
神は、
人の上に人を創らず
人の下に人を創らずです。
無差別なのです。

私たちの
内なる
自覚次第なのです。
私たちの神に対する
理解力のみです。
どれだけ神を理解し、
知ったかだけの違いです。

私たちが知るべきことは
無限なる
一なる本源
宇宙唯一の神を
知ることです。
神の他には
何もありません。

真実の精神の時代に
入りました。
肉体重視
物質重視は
迷いの自分です。

「今日は残りの人生の最初の日」

悟りも迷いも
今の一瞬の中に
あります。

思いひとつで
悟りでもあり、
迷いでもあります。

私たちは
迷っている人から
真実は得ることは
できません。
真実は真実からしか
得られないのです。

真実は無限なる存在が
私たち一人ひとりに
宿っていると
いうことなのです。

そういう意味では
外にあるものや人が
私たちを救ってくれる
救い主が現れると
信じることは
迷信以外の何者でも
ありません。

私たちの救い主は
私たち自身です。

私たちが
天国に住むには
私たち自身が
天国を
持ってこなくては
ならないのです。
他の人やものが
持たらす訳では
ありません。

“精神の時代”
“真実の時代”
自分自身が
真の自覚を持って
今日一日を
過ごさせて
いただきたいと
思っています。

ありがとうございます。

2011年8月14日日曜日

“地球を癒す道”

今、世界は
物質的なものが窮まり
次の展開に向かう道を
見失っているように
見えます。

もう私たちは
古い枠組みの中で
古いエネルギーのまま
夜行列車に
乗って行くのを
やめなければなりません。

新しい枠組みの中で
新しいエネルギーを
生み出す時
来たりです。

私たちは
目覚めなければ
なりません。
夜行列車で
眠っている
場合ではないのです。

より精神的なものへ
より本質的なものへ
向かう決意を新たに
しなければなりません。

私たちは
地球に
住居するものです。
地球は宇宙の一部です。
宇宙を離れて
地球は存在しません。
また地球を離れて
宇宙も
存在できないのです。
互いに、
依存しながら
影響しあっています。

今、
地球は病んでいます。
それは私たち
住居するものの
心が病んでいる
人たちが多いことを
現わしています。
それは、
宇宙をも病ますことに
繋がっていくのです。

地球たちの人間は
勝手に争いの種を
作っておきながら
戦いをしないための
抑止として
核を持ちました。

多くの大国が
核開発に
余念がありません。
誰かが
ボタンを押せば
地球どころか
宇宙そのものを
破壊するものを
持ってしまいました。

その核技術の
平和利用として
原発もできました。
私たちの
生活が飛躍的に
便利になりました。

しかし、
私たちが便利を
享受するあまり、
次第に、
心はおざなりに
なってきました。

この恩恵を
受けているのは
その地球の
人たちの中で
私たちを含め
ほんの一部の文明国?と
言われた内の
また一部なのです。

地球の土地の上に
一部のものの
快適さを
もたらすために
永遠に処理できない
放射線廃棄物を
発生させながらも
進めて行く、
愚かな人間たちの
文明の利器?
としての選択は
地球のこころをも、
病ますことになりました。

今回、
日本に起こったことも
地球が風邪を引いて
身震いしただけの
ことかも知れません。

まだ、
地球のあちこちが
病を持っていて
身震いをしたり
くしゃみをしています。

過去にもありました。
行き過ぎた
文明による悲劇が
アトランティスや
ムーの消滅です。

地球の人間は
その時と、
同じ轍を踏んでいます。
同じ過ちを
迎えようとしています。

その意味からも
他の惑星から、
地球に
癒しの波動を
送ってきています。
多くの
宇宙の惑星から
地球を
助けるために
地球に住む
私たちにも
愛の波動を
送ってきてくれています。

皆さんは
宇宙の波動を
感じませんか?

私は感じます。

私たちもそうでしょう?
自分の子供たちや
家族や仲間たちが
病んでいるのを平気で
いられないでしょう?

それも、
他にも影響を及ぼす
可能性のある
伝染病だとしたら
余計に
助けなければと
思うでしょう?

地球の愛欠乏症は
宇宙にも
影響を与えるのです。

私たちは
本質の元に
一体なのです。
共に愛を向けて
いかなければなりません。

病んでいる地球に
愛の波動を送りましょう。

住んでいる地球、
母なる地球に
感謝の念を送りましょう。

そして宇宙の
皆さんに
愛の波動を
お返ししましょう。
感謝を込めて!

それが、今
私たちの一人ひとりの
誰もが
例外なく
できることです。

文明という名で
物質的なものを
いくら追いかけても
何の価値もないのです。
そういう時代は
終わろうと
しているのです。

これからは
自分を高めていく時代
精神世界を理解し
心を統御する時代へ
入ってきました。

ちょっと
感じることができれば
判る筈です。
あらゆるものが
壊されていってます。

あなたは
壊されて
いくものを見て
ただ、怖れを為して
いるだけですか?

今がチャンスです。
意識を
向上させるように、
私たち一人ひとりも
その使命と役割を
担っているのです。
その自覚をもつことです。
これは単なる破壊ではなく
創造的破壊なのです。

諸行無常という
言葉があります。
私たちの世界には
一定のものはなく、
常に変化して止まない。
という意味です。

この世での
物質や肉体偏重に対する
戒めとしての意味で
使うことが多い言葉ですが。

しかしながら、
本質的な道に一歩
足を踏み出した時、
無限なる道
永遠なる道を目指し
進化し続けるという
意味での
変化は
大いなることであり。

これが
私たちの
あるべき姿なのです。

ありがとうございます。

2011年8月13日土曜日

“お盆を迎えて”


日本では
お盆休みに入り
実家へ帰省される方も
多いと思います。
昨日のTVのニュースを
見ていましても
帰省ラッシュが
流れていました。

今日は
先祖供養について
お話をしてみたいと
思います、



お盆と一般的には
言っていますが
正式には
「盂蘭盆会」
(うらぼんえ)といいます。

この由来は
お釈迦さまの
十大弟子の一人である
目連(もくれん)さんの
物語にはじまります。
 
目連さんは、
中央インド、
マガダ国の
バラモンの出身で
お釈迦さまの
仏弟子の中で
「神通力第一」と
いわれた方でした。

目連さんは
雨安居(うあんご)という
雨季の間(約90日間)
草木や虫や小動物が
繁茂するので
お弟子さんたちが
歩き回ることによって
知らずにむやみな
殺生をしなくて済むように
一ヶ所に集まって
修行することです。

その雨安居を終えて
久しぶりにお日さまが
顔を出し
とてもいい天気の朝
祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の
木の下で
亡くなったお母さんを
思い浮かべながら
瞑想に入りました。

そうしますと
目連さんのお母さんが
食べ物に飢えている姿、
のどの渇きに悶えて
苦しんでいる姿を
見てしまうのです。

それを見た目連さんは、
大変悲しみ
神通力を使って
地下深くに
降りていきます。

そうしますと
そこには、
餓鬼の姿になり
苦しむ人々が
たくさんいるのです。

その人々は皆、
目は窪み、
やせ衰え
骨と皮になっていて
お腹だけがふくれ、
食料や水を求めて
さまようありさまでした。
とてもまともには
見られない光景の中で、
目連さんは
その中で
変わり果てた
お母さんの姿を
やっと見つけだしました。

目連さんは
何とかしたい一心で
神通力を使って
お母さんの前に
ご飯を盛った鉢を
差し出しました。

しかし、
お母さんが
そのご飯を
食べようとすると
お母さんの口から
火が噴きだし、
ご飯が燃えて
なくなってしまうのです。
何回も繰り返しましたが、
食べられません。

目連さんは
食べようにも食べれない
お母さんの
嘆き悲しむ姿を見て
大いに悲しみました。

目連さんは、
「お母さん!
待っていてください!
必ずこの苦しみから
救ってあげます。」と伝え、
地上の世界に戻ります。
そして、
お釈迦さまに
涙ながらに
このことを相談しました。

お釈迦さまは
仰りました。
「目連よ、あなたの母は、
生前欲をむさぼり(貪欲)、
物を惜しんでいました
(吝嗇・りんしょく)。

死んで後に
その罪を償うことに
なったのです。」

そして、
お釈迦さまは
目連さんに
救う方法を伝授しました。

「雨安居を終えた僧達が
祇園精舎に集まってきます。
その僧達に食べ物の施しを
(供養)してあげなさい。
そして共に祈りましょう。
そうすれば、
あなたの母も
餓鬼道から
救われることでしょう。」

目連さんは、
お釈迦さまの
教えに従い
僧達への供養と
祈念を行いました。
するとその功徳あって、
目連さんのお母さんは
餓鬼道から救われ、
天上界に
行くことができました。
という物語です。
 
その年から毎年、
雨安居を終える
この時期に
皆を集めて食べ物を施す
大会(たいえ)を行い、
餓鬼に苦しむ
人々の供養にと、
法要を行いました。
所謂、これが
「餓鬼を施す供養の会」としての
「施餓鬼会」でありました。
亡くなった人々が
苦しむ事なく、
成仏してくれる様にと
わたし達、子孫が
報恩の供養を
する時になりました。

このような先祖供養は、
日本においては
独特な菩提寺(氏寺)
を出現させる
源にもなりました。
やがて孟蘭盆会の
諸霊は「お盆様」と
いわれて、
先祖を意味する
ようになりました。

私たちは
肉体的には
父母のDNAを
引き継いでいきます。
その又
父母のDNAと
連綿と
人類の始まりから
この世の始まり
宇宙のすべての
生きとし生けるものと
繋がり共生しています。
そして今がある訳です。
まさしく
原因という源があって
結果という
この世の今
私たちは
生きているのです。

日本においては
1500年余り
続いてきた
この先祖供養の
儀式には
日本に於ける
習慣の儀式として
ご先祖さまたちも
戻ってきています。

「千の風にのって」
という歌が
数年前に流行りました。

“私のお墓の前で
泣かないでください。
そこに私はいません。
眠ってなんかいません“
という歌詞でした。

その通りです。
いつも
魂は自由自在なのです。

しかし
自分の子孫が
毎年決まった形で
集まってくれて
供養をしてくれるのは
うれしい気持ちは
生きている人間と
同じです。

一年に一回
夏のこの時期に
里帰りをして
お父さんやお母さんに
会いに行く
孫たちを連れて
電車から降りてきた
孫と抱き合う
おばあちゃんの姿が
TVで映っていました。
その姿を見て
ご先祖さまも
嬉しいのです。
親が居られるなら
存分に
親孝行をしてください。
それを見て
ご先祖さまも
喜ぶのです。

私たちは
このお盆を
いい機会として
日常においても
ご先祖さまや
神仏に
生かされていることへの
感謝をすることが
大切であると
私は思っています。

「今日は残りの人生の最初の日」

今日も生かされ
いつも共に在ってくれる
見えない存在に対して
「今日も、生かして
いただいて
ありがとうございます」と
感謝をさせて
いただきましょう。

感謝から始まる一日が
悪い筈がないでは
ありませんか。

ありがとうございます。

2011年8月12日金曜日

「プロレス観戦記」

昨日は所要があり
ブログを休みました。
また、夕方からは
久しぶりに
後楽園ホールに
プロレス観戦に
行ってきました。

友人から招待券を
頂きましたので
以前、書いた事が
ありますが、
告白的プロレス論
(7月13日号ブログ参照)
わたしが顧問を
していました
“インディーズ
活性化委員会“の
代表だった
伊藤章彦さんと
伊藤さんの友人で
出版社に勤務されている方
お二人と
合計四人で
楽しんでまいりました。

私がプロレスを
最後に見たのは
二年以上前になります。
武藤敬二さんの
全日本プロレスを
観戦して以来です。

伊藤さんも
テレビでたまに
チェックしていた程度で
私よりももっと
久しぶりの
観戦だったようです。


今日は
田尻義博さんが
率いる
“スマッシュ”という
団体の興行でした。

田尻さんは
メキシコCMLLという
団体や
ECW、WWE等の
アメリカのメジャー団体で
スーパースターとして
活躍していました。

日本以上に
海外では
有名なレスラーです。

独特な田尻ワールドを
持っていて
私も好きなレスラーの
内のひとりです。

昨今のプロレスを初め
格闘技団体は
私も正確には
数が判らないほど
乱立しており
さらに
スターの不足と
企画的にも
新基軸が
打ち出されて
いるとは言えず
どの団体も
観客動員数が
減少しているのが
実体です。

“スマッシュ”という
団体は
昨年10月に
旗揚げしたばかりの
一年にも
満たない新団体です。
今は
1ヶ月に一度
後楽園ホールでのみ、
開催をしているようです。

驚いたのは
いかに
後楽園ホールが
箱として
大きいとは
いえないとしても
超満員だったのです。

私も経験しているので
わかるのですが、
後楽園ホールは
最大で
1600人動員できます。
フルハウスでした。

よく団体発表の
観客動員数等が
スポーツ新聞に
書かれていますが
後楽園ホールで
2000人とか
2100人とか
書かれていますが
これは大幅な
サバを読んでいます(笑)

わずかな期間で
後楽園ホールを
満員にさせるのは
至難の業です。

しかし、
試合を
見させていただいて
合点がいきました。
さすが、
田尻さんは
海外での
試合経験が長く

メジャーの
特にWWEの
エンターティーメント
手法を
存分に
取り入れています。

WWEは
派手な
イルミネーション
爆発音での
選手入場や
戦う相手の
因縁のストーリーを
綿密にたてて、
展開させていきます。

会場でリアルタイムに
次の試合の
今迄の因縁の経過や
相手に対する思いや
今日の
自分のテーマ等を
語らせていきます。
ひとつのドラマを
観客は見るのです。

そういう形で
観客に
アピールしていきます。
観客は試合前に
もう既に映像の中の
スーパースターに
感情移入されて
いくのです。

映像が終了すると共に
そこに映像の中の
スーパースターが
リングに上がって
テーマに添った形で
死闘が繰り広げられる。
その試合の流れから
次の展開の興味を
さらに引き出していきます。

計算され尽くした
エンターティーメント
システムです。
監督によって
出来栄えが違うように
この映像を製作する際の
シナリオと音楽やあらゆる
効果をあげるための
スタッフが
チームを組み
創意工夫を
凝らしていきます。
それがすべてを
決していきます。

力道山さんや
ジャイアント馬場さんや
アントニオ猪木さんのような
日本での
スーパースターが
いた時分は
それぞれに
メジャーTV局が
付いていて
TV放送していましたし、
団体数も
少なかったので
スーパースターに
からめた強豪との
戦いというだけで、
十分な満足を
していましたが、

現在のような
群雄割拠の時代は
オリジナリティを持った
団体しか
生き残ることはできません。

良くあることなんですが
格闘技の試合を
観戦にいきますと、
第一試合から
ただ、
もくもくと試合を
こなしていくだけの
スタイルから
脱していない団体も
少なくないのです。

一部のマニアのファンは
その団体の流れ
例えば抗争であるとか
誰と誰が軍団を
作っているかとか
こちらがヒール(悪玉)で
こちらが
ベビーフェイス(善玉)とか
知っているので
それなりに
堪能はしているのですが、

それ以外の
観客には
親切でないのです。
ましてやはじめて来た
観客は
ただ、試合を見るだけで
選手の体力や技量を
生で見ることの
迫力を感じることのみを
楽しんできました。
それでは、
不十分なのです。
わざわざ、
会場に足を運びません。

増してや、
今はTVで
放映されても
BSやCSとか
有料放送で
また、
稀にしか
放映していません。
遠ざかるばかりなのです。

WWEは
巨大企業なので
ふんだんに
お金をかけますが、

日本の団体は
余程スポンサーが
しっかりした企業が
ついていない限り
それ程
お金はかけられません。

その中で
“スマッシュ”は
よく工夫されていました。
先ほどWWEのところで
説明しました
映像をしっかりと
作り込んでいます。

それぞれの
試合前にそれを流し
観客をその中に
引き込んでいきます。

選手入場の曲の選定や、
入場の仕方にも工夫の
後が窺われます。
観客は試合前に
既に
ヒートアップ
しているのです。
試合が始まってからの
観客の乗りは
最近では
久しく見たことのない
光景でした。

この何回かの
後楽園ホールでの
興行で
観客の心を掴んだようです。

よく
映画なんかも
予告編があるように
まず、今迄の経緯
並びに
今日の試合そのものの
ショーアップ
さらに
次回の興行への
期待までの
プロセスを
作りあげています。

藤波辰己さんや
天龍源一郎さんも
出ていましたが
ひとつのレジェンドが
花を添え
全体の厚みも
演出されていました。

試合結果そのものより
初めて格闘技を
見ても
その日から
すべての流れがわかり、

リングと観客が
一体となって
楽しむことができる
エンターティーメント
プロレスの
可能性を大いに秘めた
“スマッシュ”の今後に
期待いたします。

今日はプロレスの話でした。

共有、
ありがとうございました。