2011年10月18日火曜日

「命宣(いのり)とは?」

昨日は
私が
恒例としている
地元にある
氷川神社に
感謝奉納に行って
まいりました。

皆さんが
思い思いの願いを
絵馬に託し
書き記して吊るして
いる場所に

女房が
思いを込めて
折った千羽鶴を
皆さんの
願いが
叶えられますようにと
奉納して
まいりました。

3月11日以降は
千羽鶴を
宮城の被災者の
子どもたちに
鎮魂の目的で
送付してきましたので

今年に入ってからは
三度目の
千羽鶴奉納です。

私自身は
神前で
心厳かに
生かされていることの
感謝をさせて
いただいています。
身が引き締まる
瞬間です。

毎月1日、15日に
近い、土曜か日曜に
行っています。

昨日は、
土日に所用が
重なったため
昨日の早朝に
伺わせて
いただきました。


そうしましたら
神社の
入り口に

「東日本大震災
復興祈願」の

のぼり旗が
鳥居の左右に立てて
ありました。






私は朝起きて
一番先に
仏壇に向かって

先祖の
縁によって
連綿と続く
繋がりにおいて
肉体を
与えられ

今、生かされて
いることの奇跡に
感謝をさせて
いただいたのち

内在する神仏に
大生命を
与えられ
生かされて
いることに
感謝をさせて
いただいております。。

それから
東日本大震災が
起きた3.11の
翌日から

「東日本大震災において
被災された方々
並びに
復興に
全力を尽くして
おられる方々を
お救いください!」と
祈っております。

昨日は
この朝の祈りの
言葉を
心を込めて

「東日本大震災
復興祈願」
として

氷川神社の
神前で
祈らせて
いただきました。

本当に
早く復興され
力強く
立ち直って
いただきたいと
思います。

以前のブログにも
書きました
祈りとは
命宣(いのり)とも
書くが如く
生命を
宣言することです。 

単純に 
祈りで終わらずに
行動に繋げる
積極的なものです。

五感から離れて 
こころを整え、
実相を全身全霊に感じ、
行動することに
繋げる力強い
行為です。。

私は仏前や
神前において
自分の
お願い事は
一切しないことに
しています。

苦しいときの
神頼みでは
駄目なのです。

また、欲得からの
お願い事は
言語道断です。

ただ
宇宙にある叡智
この宇宙を巧みに
設計するところの
無限の神に
生かされていることの
感謝を奉げると共に

私たちの
魂の奥底に
創造主である
神の叡智が
宿っています。

そこには
私たちが
“かく在りたい!”
という本源の
使命なるものが
あるのです。

使命といったら
重ければ
「何かを為す!」という
強い希望や
強いねがいが
潜在しています。

これは
誰一人も
例外なく
すべての人たちに
ある理念です。

この現実界において
成就すべきものが
厳然として
あります。

神の意識の世界に
私たちの内部に
あるところの
神の意識と
同一の源泉が

私たちが
この世で
果たさなければ
ならない
こととして

夢となり
願いとなって
現れてくるのです。

その願いは
生命からのものです。

命の宣言です。

祈りは
命宣(いのり)となり
自然(じねん)に
合掌し
神との統合を
果たしていく
秩序ある
儀式と言えます。

従って
単なる
お願い事の類の
祈りに関しては
否定的に
ならざるを
得ません。

神は
私たちの内部に
存在しているのです。

私たちの
真からの願いは
語らずとも
知っているのです。
私たちに
早く気づいて欲しいと
願っているのです。

私たちの
自我からの
個人的な願い事や

「私の仕事を成功させてくだい!」
「私の病気を治してください!」
「私をお金持ちにしてください!」
「私を幸せにしてください!」
等々の祈りについては

神を外部に置く
行為として
感心するものでは
ありません。

私たちの本質は
自らにその力を
有する存在なのです。
依存する心が
元々の
無限力を
弱めていくのです。

また、
このような
祈りは
「仕事がうまくいっていない!」
「病気である!」
「貧乏である!」
「不幸である!」
ことを宣言しているのです。

上記のことは
神の世界には
一切ないのです。

神の世界には
生老病死も
ありません。
不幸もないのです。
物資の欠乏や
希望の成就は
神の世界にないのです。
だから
波長が合わないのです。

神は
全知全能にして
無限の大霊です。

そこに
波長を合わせるのです。
命宣なのです。
それは神様からの
贈り物なのです。

既に成就している
という
確信を持って
手を差し出して
受け取ることです。

その開かれた中に
勇気を持って
突き進むことです。

「汝ら祈りて
何事にても求むるとき、
既にそれを
受けたりと信ぜよ!
すなわち、
汝はそれを得ん!」

信念を強く
持つことです。

自分の心の中に
乏しさを
描きながら
祈ったところで
乏しさの波動を
さらに引き寄せる
だけです。

「我これを
為さんと欲す!
神が為さしめ
給うのである!」

神は
全知全能です。

その
全知全能の力が
私たちに宿って、
それを
成就させるのである。

既にそれは
成就して
いるのである。

そう信じ、
行動するのです。
努力するのです。
努力をすることが、
魂が進化に
繋がっていくのです。

自分の内部の
奥の奥なる
鉱泉を掘り出す努力!

この努力を
引き出すために
鉱脈は
敢えて
深いところに
埋まっているのです。

「神は自ら
救くるものを救く」
とは
自らが努力を
するから
神も救けることが
できるのです。

努力して心を
鍛錬するのです。

強く思い描く
努力をしなければ
なりません。

求めるものは
必ずあるのです。

それを
既に受けたりと
するのです。
欲する事物を
心に強く描くのです。

「信念、
岩をも貫く!」のです。

一滴の雨水は
長い時間をかけて
岩に穴を開けるのです。

諦めないことです。
それが
魂の奥底からの
源泉であるならば
決して
途中で掘るのを
やめては
いけません。

あと少し掘れば
そこに
ダイヤモンドの
鉱石に
到達するのです。

種を蒔いたら
種の中には
もう既に
花の形が
出来ています。

蕾が出てきて、
それぞれの
個性に合わせた
色彩を持つ
形になって、
花が咲いて、
そして
果実が
実るというイデア!

既に種の中に
理念が
備わっているのです。

「汝、それを
受けたりと信ぜよ!」

既に傍に来ている
という強い信念を
持つのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

「与えよ!
さらば与えられん!」

あなたは
今まで
人々に
どれだけの
福を与えてきましたか?

福の種を
蒔いてきましたか?

その種の中に
無限なる
永遠なる鍵が
備わっていました。

でも
今日はスタートの日
今からでも
遅くはありません!

今日、出会う人々に
福の種を
善なる種を
蒔いていこうでは
ありませんか。

そのことこそが
一日一日の
命宣(いのり)の
生活なのです。

ありがとうございます。

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