2011年10月2日日曜日

「我慢」と「適当」

先日、
36年前のメモを
見ていましたら
「我慢」という
意味が書かれていました。

一般的には
「我慢」という意味は
よい意味で
使われることが
多いと思います。

「何事も辛抱して
何かを成し遂げる」
意味合いで
使ったりします。

唯、この
「我慢」という言葉
基本的には仏教から
来ている
“七慢”の中の
一つなのです。

“七慢”とは
① 慢(まん)~
劣った他人に対して、
自分が勝っているといい、
等しい他人に対して、
自分は等しいという。

② 過慢(かまん)~
等しい他人に対して、
自分が勝っているといい、
勝っている他人に対して、
自分は等しいという。

③ 慢過慢(まんかまん)~
他人が勝っているのに
対して、
さらに勝るという。

④ 我慢(がまん)~
我あり、我が所有ありと
執着して、奢り高ぶる。

⑤ 増上慢(ぞうじょうまん)~
いまだ
悟っていないのに
我は
証得しているという。

⑥ 卑慢(ひまん)~
他人がはるかに
勝っているのに対し、
自分はわずかしか
劣っていないという。

⑦ 邪慢(じゃまん)~
悪行をなしても
悪をたのんで
驕り高ぶる。

我慢とは、
自己の中心に
我(が)があると考え、
その我を
拠り所として
心が驕慢であること。
とあり、

さらに、
己をたのんで
心の驕る煩悩と
書かれています。

我慢の心と
言うと
現代では
いい意味ですが

本当の意味は
いつも
このブログで
言っているところの
自我の心のことを
「我慢」と
言うのです。

自我であり
偽我のことです。

一方
「適当」という
言葉の意味も
書かれています。
「適当」とは、

「この仕事は
適当にやればいい!」とか
「あの人は
適当な人だ!」
というような
「いい加減!」の
意味で、
使われる方が
多いように思いますが。

「適当」とは
「適切かつ妥当」の
省略語ですので、
通常の解釈では
物事に対して
適切なのかを
判断しているといった
意味です。

そして
本来の「適当」とは
時、
場所、
人の三相応を得て
判断をするという
意味なのです。

このように
逆の解釈をする
言葉は
意外と多く
見受けられます。

「貴様」なんかも
本来は
いい言葉ですが
実際の使われ方は
人を蔑視した
言い方として
定着しています。

こういう言葉を
見つけてみるのも
たまには
面白いですね!

また、
探して見たいと
思います。

しかし、
折角、
36年前の
私のメモに
「我慢」の意味が
書かれていたのですから、
それを、たまたま
読んだのも
偶然では
ないでしょう!

「我慢」という
タイトルを
頂いたと思い
本来の
このブログのテーマ
として少し
書きたいと思います。
言葉の持つ
本来の意味
本質的な意味に
触れながら
書いていきます。

「我慢」が
“七慢”の
四つ目の慢であり、

「自己の中心に
我(が)があると考え、
その我を
拠り所として
心が驕慢であること。
とあり、

さらに、
己をたのんで
心の驕る煩悩」の
意味であると
書きました。

結局は
自らの感覚器官の
五感にのみ
囚われた状態

肉体こそ
物質こそ
すべてと思う
心の状態こそ
「我慢」であります。

この状態に
囚われている以上
“生老病死”や
“四苦八苦”から
自由になることは
できません。

私たちの内部に
本来、備わっている
ところの
真なる我に気づく
ことです。

真なる我とは
どういう意味を
いうのでしょうか。

真は“まこと”で
“まこと”の“ま”は
○(まる)のことで
“こと”は“言”のことで、
言葉のことです。

“まる”は
少しも欠けて
いないことを意味し
完全な相(すがた)
いわゆる実相のことです。

神が創り給いた
相(すがた)です。

“こと”は言葉のこと
‘初めに言葉ありき“
と聖書でも
書いてあります。

この言葉の意味は
神以外に
何も存在していない時から
ある言葉の事で
神の波動の事です。

真なる我とは
神なる我のことです。
この自覚を持つことが
値(音)打ちの自覚とも
いいます。

私たちの内部にある
ところの生命の響き(音)
バイブレーション
心の響きを
感ずることが
その人の値(音)打ちです。
それを真(神)価と
言います。

私たちには
神と同じ値(音)打ち
真価が内在しています。

このことが
人間の本質なのです。

本当の
真価を発揮する!とは
その人の神なる
値打ちを発揮する。

自己を
霊的人間として
自覚することを
言います。

「我慢」という
エゴからの自覚なのが

「真価」からの
自覚なのか

自覚の誤差を捨てて

本来なる
自己
真我意識を
自覚することが
大切です。

『今日は残りの人生の最初の日』

私は今日
「我慢」から離れ
善なるもの、
美なるもの、
光なるもの、
愛なるもののみに
こころを
振り向けていきます。

本当の
値打ちのあることに
真価を
発揮します。

そして、
私から
善なるもの、
美なるもの、
光なるもの、
愛なるものを
放射していきます。

私は
神の子です。
そして
あなたも

共有ありがとうございます。

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