2011年9月30日金曜日

“相手の神性をみつめる”

今日は
ユーチューブで見た
先生 可能性のない人なんていない」を
紹介します。


“ある小学校で
いいクラスをつくろうと
一生懸命な先生がいた

その先生が五年生の担任になった時
一人、服装が不潔でだらしなく
遅刻をしたり、居眠りをしたり

みんなが手を挙げて発表する中でも
一度も手を挙げない少年がいた

先生はどうしてもその少年を好きになれず
いつからか、その少年を
毛嫌いするようになった

中間記録に先生は少年の
悪いところばかりを
記入するようになっていた

ある時
少年の一年生からの記録が目に留まった

そこには、こう書いてあった

『朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
勉強もよくでき、将来が楽しみ』とある。

間違いだ。他の子の記録に違いない、
先生はそう思った。

二年生になると

『母親が病気で世話をしなければならず、
時々遅刻する』
と書かれていた。

三年生では

『母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする』。

三年生の後半の記録には

『母親が死亡、
希望を失い、悲しんでいる』とあり、

四年生になると

『父は生きる意欲を失い、
アルコール依存症となり、
子どもに暴力をふるう』。

先生の胸に、激しい痛みが走った。

だめと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている
生身の人間として
自分の前に立ち現れてきたのだ。

先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。

『先生は夕方まで、教室で仕事をするから、
あなたも勉強していかない?
分からないところは、教えてあげるから』。

少年は、初めて笑顔を見せた。

それから毎日、少年は教室の自分の机で
予習、復習を熱心に続けた。

授業で、少年が初めて手を挙げた時、
先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

六年生では、先生は少年の担任ではなくなった。

卒業の時、

先生に、少年から一枚のカードが届いた。

『先生は僕のお母さんのようです。
そして、いままで出会った中で
一番すばらしい先生でした』。

それから六年、またカードが届いた。

『明日は、高校の卒業式です。
僕は五年生で先生に担当してもらって、
とても幸せでした。

おかげで奨学金をもらって
医学部に進学することができます』

十年を経て、またカードがきた。

そこには、先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。

『僕はよく五年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、
神様のように感じます。

大人になり、医者になった僕にとって
最高の先生は、
五年生の時に
担任して下さった先生です。』

そして一年、

届いたカードは、結婚式の招待状だった。

『母親の席に座ってください』
と一行、書き添えられていた。

先生は嬉しくて涙が止まらなかった。。。“

いかがでしょうか?

私は
このユーチュブの動画を
見たとき
(と言っても中島みゆきさんの
BGMが流れ文字だけが流れます)
涙で文字が揺らぎました。

是非、ご覧になってください。

私の人生の
それぞれの
瞬間、瞬間において

目をかけ
手を差し伸べてくれた
関わったくれた
人たちの思い出が
走馬灯のように
浮かんできました。

私の人生も
プロフィールに
ある通り
決して褒められた
人生では
ありませんでした。

しかし、
その中でも
人の評価は
どうであっても

私を評価してくれ
無所得の愛を
与えてくれる人たちの
お陰で
今、現在があります。

改めて
その人たちに
感謝したいと
思います。

昨日のブログ
「ひとを信じるエネルギー」でも
あったテーマですが、

「たったひとりでいいから、 
自分の未来を信じて
こころを注いでくれるひとがいたら、
ひとは、生きていける」

ほんとうに
そういうひとが
人生の節々に
いてくれました。

その人たちは
神の化身以外
何者でもありません。

その人になって
私の前に
姿を現わして
くれたのです。

そして
私にエネルギーを
与えてくれました。

その人たちが
いなければ
その時に
一般的に下されていた
評価のまま
人生は
送られていた筈です。

その時に
私を信じるエネルギーを
与えてくれた
その人に
影響を受け
そのエネルギーに
応えようと
変容をしていきます。

私たちも
多くの評価を
人に下しています。

果たして
この評価は
適切なものでしょうか?

何を持って
評価をして
いるのでしょう?

自分の価値観である
一般常識という
モノサシで
測って
決めつけているに
過ぎないのではないか?

私たちは
自分にとって
相手が
どのように見えようとも

外見や容姿
先入観からではなく
相手の神性を
みつめるように
見ることが
大切なのでは
ないかと
思うのです。

その神性を見るとき
相手の神性も
輝きだします。
相手を信じたように
その通りに
また、それ以上に
輝くものです。

こう考えると
結局のところ
私たちの
ものの見方
考え方次第だと
いうことが
分かります。

相手を
自分の価値観や
先入観で
ものを見るのか

相手の神性を
見つめるのか
次第と
言うことなのです。

あなたの周囲に
起こる出来事や
関わる人たちは

今のあなたに
どう映っていますか?
あなたの
見方や捉え方に
意識を向けてください。

この世界は
あなたが信じたものを
見る世界です。

あなたの観念が、
あなたの世界を
創造しています。
人は、創造エネルギー
そのものです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今日、この瞬間
あなたは
何を創造しますか?

今日も
共有ありがとうございます。

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