2011年5月29日日曜日

“許す”ということ

私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
怒りを持ちます。

私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。

それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。

私たちは、
自我でいるとき
自分を
傷つけた相手に
仕返しを
しようとします。

私たちは、
神我(真我)にあるとき
自分を
傷つけた相手を
許します。

それは、
私たちも
自我意識で
誰かを
傷つけたことが
あるからです。

自我は
エゴと
言い換えても
いいでしょう。
分離に
向かいます。

神我(真我)は
私たちの内面に
既に存在している
愛、
許し、
思いやり、
希望、
献身
といった性質で、
統合、
一体性に向かいます

エゴに対して
エゴで向かっても、
決して、
まとまることはありません。

怒り、
妬み、
嫉み、
愚痴などは
エゴから生じます。

この
利己的なエゴに
力を与えて、
こころを
支配させてはいけません。


私たちの内面に
あるところの
神我を顕現し、
それぞれの
今という瞬間に、
許すという、
寛容なこころを
インフルエンスしていきましょう。

許すということは
自分自身も
相手も
起きた現実をも
許し、
愛情を
注ぐということです。

許しは
私たちにとって
大きな大きな
キー・ポイントに
なってきます。

この許すということを
瞑想の中に
取り入れましょう。

私たちが
神我としての
聖なる価値を
持っていることについての
肯定的な承認を
することに繋がります。

それは、
魂のための栄養であり、
私たちの中の
神我に微笑み、
微笑み返されることを
感じる魔法であり
奇跡なのです

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