2011年7月17日日曜日

“良寛さんを想う”

今日は、良寛さんの長歌
「月の兎」を共有してください。


石(いそ)の上(かみ) 古(ふ)りにし御世(みよ)に 有りといふ 
猿(まし)とと 狐(きつに)とが 友(とも)を結(むす)びて 
朝(あした)には 野山(ぬやま)に遊(あそ)び 
夕(ゆふ)べには 林(はやし)に帰(かへ)り かくしつゝ 
年(とし)の経(へ)ぬれは 久方(ひさかた)の 天(あめ)の帝(みかど)の 聞(き)きまして 
其(そ)れが実(まこと)を 知(し)らむとて 
翁(おきな)となりて そが許に よろぼひ行(ゆ)きて 申(まう)すらく 
汝等(なむだち)たぐひを 異(こと)にして 同(おな)じ心(こころ)に 遊(あそ)ぶてふ 
信聞(まことぎ)きしが 如(ごと)あらば 
翁(おきな)が飢(うゑ)を 救(すく)へとて 杖(つゑ)を投げて 息(いこ)ひしに 
やすきことゝて やゝありて 
猿(まし)は後(うし)ろの 林(はやし)より 菓(このみ)を拾(ひろ)ひて 来(きた)りたり 
狐(きつに)は前(まへ)の 河原(かはら)より 魚(いを)を銜(くは)へて 来(きた)りたり 
はあたりに 飛び飛べど 何もものせで ありければ 
は心 異(こと)なりと 詈(ののし)りけれは はかなしや 
りて 申(まう)すらく 猿(まし)は柴を 刈(か)りて来(こ)よ 
狐(きつに)はこれを 焼(や)きて給(た)べ 
言(い)ふが如(ごと)くに 為(な)しければ 
炎(ほのほ)の中(なか)に 身(み)を投(な)げて 知(し)らぬ翁(おきな)に 与(あた)へけり 
翁(おきな)は是(これ)を 見(み)るよりも 心(こころ)もしぬに 
久方(ひさかた)の 天(あめ)を仰(あふ)ぎて 打(う)ち泣(な)きて 
土(つち)に僵(たふ)りて やゝありて 胸打(むねう)ち叩(たた)き 申(まう)すらく 
汝等(なむだち)みたりの 友達(ともだち)は いづれ劣(おと)ると なけれども 
ぞ殊(こと)に やさしとて 元(もと)の姿(すがた)に 身(み)をなして 
骸(から)を抱(かか)へて 久方(ひさかた)の 月(つき)の宮(みや)にそ 葬(はふり)ける 
今(いま)の世(よ)までも 語(かた)り継(つ)ぎ 月(つき)のウサギと 言(い)ふことは 
これか由(よし)にて ありけると 
聞(き)く吾(われ)さへも 白栲(しろたへ)の 衣(ころも)の袖(そで)は 透り(とほり)て濡(ぬ)れぬ
月(つき)の(をさぎ)
(糸魚川歴史民俗資料館『相馬御風と良寛遺墨』から読み方のルビ引用)

 ずっと昔のこと、
猿と兎と狐が一緒に暮らそうと約束し、
朝には一緒に野山を駆け廻り
夕方には林に帰り仲良く暮らしていました。
こうして年月が過ぎていきました。
天帝がそのことを聞き及び、
そのことが本当かどうか確かめたいと、
老人に姿を変えて現れました。
そして、よろめき倒れながら
「お前達は異なった種類なのに仲良く暮らしていると聞いたが
それが本当ならば、私のこの空腹をどうにか救ってくれないか」と
杖を投げ出して座り込んでしまいました。
猿は、「それは、簡単です」と
林の中から木の実を拾い戻って来て、老人に与えました。
狐は川原から魚をくわえて老人に与えました。
兎は野山をあちこち飛び廻ってみたけれど、
何も手に入れることが出来ませんでした。
老人が「お前は他のものと異なって思いやりが無い」と
兎を叱りました。
兎は心の中で考えて
「猿さんは、柴を刈って来て下さい、
狐さんは、それを燃やして下さい。」と言いました。
 二匹は言われたとおり準備をしました。
兎は炎の中に飛び込んで焼け焦げ、
老人に自分の肉を与えました。
老人はその姿を見て心も、
しおれるばかりに天を仰ぎ涙し、地面に倒れ伏しました。
しばらくして胸をたたくようにしながら
「お前達三匹の友達は誰が劣ると言うのではないが、
兎は特に心が優しい」と言いました。 
天帝は兎の亡骸を抱き、月の世界の宮殿に葬ってあげました。
今現在も語り継がれ「月の兎」と呼ぶことは、
こんないわれであったのだと、聞いた私までも、
感動のため白たへ(黒染め)の衣の袖が涙で滲みてぬれてしまいました。


如何でしたか、
この「月の兎」の元になっているものとして、
古くは、
ジャータカ物語(本生譚・ほんじょうたん)
に記されており、
そして、孫悟空で有名な
玄奘(げんじょう)三蔵(三蔵法師)さんが
著した「大唐西域記」から伝わって
日本では「今昔物語」巻五にある
「捨身伝説」に基づいて
良寛さんが万葉風の長歌に
したためたものだそうです。

この評価は
読んだ方に委ねたいと思います。
コメント下されば
ありがたいです。

良寛さんは
あまり、人々に説法をするのが
好きではなく、
何か人に求められた時には
筆を取り書かれていたそうです。
上記の「月の兎」も長歌にして
遺墨として残しています。
(糸魚川歴史民俗資料館展示)

他の遺墨の中で
“言葉についての戒め”があります。
よく取り上げられているので
知っている方も多いと思います。
これも、共有してください。

ことばの多き、
話しの長き、
問わずがたり、
てがらばなし、
じまんばなし、
おのが氏素性高きを人に語る

人のもの言いきらぬ内にもの言う、
さしで口、
人の話のじゃまをする、
ことばのたがう、

たやすく約束する、
人に物くれぬ先に何々やろうと言う、
くれてのち人に語る

よく心得ぬことを人に教うる、
おしはかりのことを真実になして言う、
よくものの講釈をしたがる

人の隠すことをあからさまに言う、
人の悪しきことを喜んで言う、
口を耳につけてささやく

まけおしみ、
人のことをよく聞かずして答える、
へつらうこと、
心にもなきことを言う、
あなどること

いやしき人を軽しめる、
おろかな人をあなどる、
下僕をつかうに言葉の荒き、
鼻であしらう

語りくさき話、
学者くさき話、
茶人くさき話、
酒に酔いて理屈を言う、
あくびとともに念仏。

と続きます。
いかがですか?

当たり前のような
感じがしますが、
客観的に見ると
結構、当てはまるのでしょうね(笑)
いつも、意識していたい戒めです。

良寛さんは
道元さんの「正法眼蔵」(90巻)
を愛読していたようです。
道元さんの教えの中心は
「愛語」ですから、
良寛さんは、
自らの“戒”としての
“言葉についての戒め”
であったのだろうと思います。

良寛さんは
一生を通じて
「愛語」を貫き通した方でした。
そして、
無所有の今とここを極めた方でした。

ありがとうございます。

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