2011年7月29日金曜日

“出来事の持つ意味”

私たちの
目の前に起こる
あらゆる出来事に
「良い出来事」や
「悪い出来事」は
存在しません。

そういうと、
「そんなことはない!
現実にあるじゃないか!」と
反論をくらいそうです。

ただ、
私たちが
「良い」
或いは「悪い」と
判断する出来事が
起こっただけなのです。

私たちの感情と
あらゆる出来事は、
リンクしている
わけではありません。

その生起する
感情が
私たちの持つ
「良い」「悪い」
「好き」「嫌い」を
現わしています。
それを、
出来事によって
知らされているのです。

私たちが
過去から影響を
受けてきた
習慣的な感情を
起こる出来事によって
見せられているに
過ぎないのです。

その
湧き上がってくる
感情を
見つめてみてください。

それは、
否定的な感情ですか?
それとも
肯定的な感情ですか?

「良い出来事」と
感じますか?
「悪い出来事」と
感じますか?

祝福の心が
湧きあがってきますか?
嫉妬の気持ちでしょうか?

どんな感情が
出てきたとしても
それは
自分の内側の価値観で
判断を下した結果
起きてくるものです。

ですから、
その感情により
嫌な気持ちになったり
憂鬱になったり
した時に、

その感情を
どうにかしたいと思って
その
マイナスの感情に
外側から
頭脳でいくら
捏ね繰り回しても

さらに、
力を与え、
マイナスの
スパイラルの中に
嵌っていってしまいます。

起こってくる感情は
本質では
ありません。

判断によっては
良くも
悪くもなるものが
本質である訳が
ありません。

本質を知るための
手がかりとして
現れているに
過ぎないのです。
気づきを得るための
縁(よすが)として
現れています。

ですから、
いくら
出来事の
対象であるところの
人や環境に
焦点を
当て続けたとしても
マイナスの感情は
拡大するだけに
なってしまいます。

自らの内奥にある
本質をこそ
探らねばなりません。

自らの
真実の源泉を
見なければなりません。

その完全性からの
情報を
上書き修正し、
感情の質を
変換させるのです。

その真実の源泉は
すべてが
神聖なる秩序の中に
存在しております。
その場所に
争いや
憎しみや
怒り
妬みは
存在しません。

平和と
赦しと
調和と
慈愛に満ちた場所です。

すべてものが
完全なのです。

私たちは
その出来事によって

恐れや
否定性の感情の
手がかりや
あらゆる低い振動に
属する思いを

高い愛という
源泉の本質に
変えていくための
チャンスを
与えられています。

混沌から
新たな創造が
浮上するのです。

『今日は残りの人生の最初の日』

今という瞬間こそ
私たちの
より高い自己に
目覚めることができるのです。

明日はないのです。
今日の出来事は
あなたにとって
完璧な出来事なのです。

ありがとうございます。

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